デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 災害救恤
1款 火災救恤
■綱文

第24巻 p.567-569(DK240068k) ページ画像

明治14年1月(1881年)

是月、神田・日本橋・本所・深川ノ四区ニ跨リ大火アリ、栄一、罹災者ヘ金百円賑恤ス。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK240068k-0001)
第24巻 p.567 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    賞典
同 ○明治一四年九月 本年一月中神田松枝町失火之際罹災人ヘ賑恤金百円差出候段、奇特ニ付、為其賞銀盃壱個下賜候事       同 ○東京府


(芝崎確次郎) 日記 明治一四年(DK240068k-0002)
第24巻 p.567 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記  明治一四年    (芝崎猪根吉氏所蔵)
第一月廿八日
○上略 夜ニ入、左之金員受払被仰付候事
  一金百円也   切手御手許用
  一金百円也   火災窮民救助金
   〆弐百円也
右切手金庫掛退社後ニ付、賄方ヨリ引替ニ差上、残金百円御直書添区役所ヘ明朝差出可申旨被仰付、正ニ預リ持帰リ候事
第一月廿九日 晴
今朝区役所ヘ出頭候処、九時半ニ相成候テモ区長罷出不申、因テ詰合佐藤貞嘉殿ヘ万事依頼置帰リ、銀行ヘ直ニ出頭
○下略



〔参考〕東京日日新聞 第二七三八号 明治一四年一月二七日 ○府下大火(DK240068k-0003)
第24巻 p.567-568 ページ画像

東京日日新聞  第二七三八号 明治一四年一月二七日
○府下大火 昨廿六日午前二時三十分ごろ、神田松枝町廿二番地のスタ屋塩崎国二郎と、其隣家なる米屋川島豊次郎が家の間に積置きたるスタに何者か火を放ちしを、折ふし通行の巡査が見認て、火ありありと其近辺の家々を叩き起し撲滅《うちけ》さんとする間もなく、此程の湿りハありたれども前日より吹続けし西北風の為に物みな乾きたる折なれバ、
 - 第24巻 p.568 -ページ画像 
忽ち燃上りてスタ屋の軒に附くが否や、直に向ひなる医師長坂の玄関に燃移り、早や一面の猛火となり、見る見る同町より岩本町を焼き、大和町へ移り、豊島町・富松町・橋本町・久右衛門町と焼払ふ中に、南の一口ハ、東福田町より橋本町一丁目へ吹出だし、夫より同三丁目・馬喰町一丁目・二丁目と延焼せしが、通塩町と横山町一丁目の西側にて消留めたり、又中央ハ直ちに弁慶橋へ出で、江川町より橋本町一丁目・二丁目・三丁目と焼立つるに、此辺ハ世に知られたる貧乏人の家屋おほき処ろとて瓦屋ハ少なく、柿葺《コケラブキ》の其も半バ朽ちたるなれバ、九岡の火兎毫を焼くと云ふが如く一払ひに二軒三軒づゝ焼払ひて、炎ハ早く初音の馬場を越え、千代田学校を焼て馬喰町三丁目・四丁目より横山町二丁目・三丁目と延び、米沢町一・二・三丁目・電信分局、又た同町の裏手なる若松町より薬研堀町を片側やきて、元柳橋の川を境に払いたるが、折しも強き西風に吹れて大川を火の越えたるか否やハ知らねど、向両国の中村楼より燃立ちて、さしもに造り磨きたる広座敷も見る間に一塊の焦土となりたるハ恰も午前十時ごろなりき、又かの富松町を焼きたる火ハ、此時元柳町にうつり、吉川町より両国警察署に燃えつきて焼落る、同時に浅草橋なる駅逓分局も烏有となれり、是皆な其辺より山の如く積出したる荷物の為に火を呼たるものなるべしとぞ、されど同所の消防第二中隊部(元警視病院)ハ流石に消防も届きたり、殊に人家を離れたれバ回禄の難を遁れたり、扨また向両国に移りたる火ハ、東元町より南東へと焼け広がり、又一口ハ同町なる大徳院を焼落して回向院の墓所に沿ひ、松坂町一丁目九番地より二丁目二十番地を斜めに、相生町二丁目まで焼て留りたるが、今一口ハ元町の柏屋より一ノ橋向ひの千歳町へ飛び、此処にて火先ハ四口に分れて八方へ散乱す、其うち千歳町の火先ハ安宅町へと延焼し、又一口ハ松井町一丁目を残らず払ひて山城橋にて止りたり、又中央の一口ハ千歳町の火先より御船蔵前町に飛び、烈しき川風に勢ひを増して西六間堀町・東六間堀町・東森下町を焼払い、伊予橋河岸の稲荷堂にて漸くに静まりたるが、安宅町よりの火先ハ猶ほ猿子橋へと焼往て、高橋の向ひなる霊岸寺の本堂へ焼附き、其煽りにて霊岸町を片側やき、東大工町の藪蕎麦に飛て此家を一軒焼きたり、又霊岸寺より元加賀町辺へ移りたる火ハ、西永町の河岸を飛び越え吉永町の河端まで焼きしが、此処にて諸口の火とも一つになりて、漸やくに焼留りしハ、同日の午後五時なりし、抑も此火事たる神田・日本橋・本所・深川の四区に跨がりて十六時間を焼とほし、焼亡の戸数ハ ○中略 概計凡そ一万千余戸に及びたれバ、死傷の人々もさぞ多かるべし、夫らハ又委しく探訪して次号の紙上に追録すべし、先づ本号ハ焼場の方角と町名だけを記すのみ、又この火災につき新富座ハ二十六・七・八日の三日間ハ休業するとの趣なり



〔参考〕東京市史稿 東京市役所編 変災篇第五・第一〇九八・一一〇〇頁 大正六年八月刊(DK240068k-0004)
第24巻 p.568-569 ページ画像

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