デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
2節 国際団体及ビ親善事業
3款 日印協会
■綱文

第25巻 p.474-476(DK250028k) ページ画像

明治36年12月(1903年)

是月、日印協会設立セラレ、栄一其会員トナル。


■資料

副島八十六氏談話(DK250028k-0001)
第25巻 p.474 ページ画像

副島八十六氏談話
      於麹町区内幸町日印協会 昭和十年九月十七日
                 本編纂所員 佐治祐吉 聴取
渋沢さんは協会の設立と同時に会員であつた。
   ○副島八十六ハ当時当協会ノ理事タリ。


日印協会々報 第一号 明治四二年八月刊 会報 経過略説(DK250028k-0002)
第25巻 p.474 ページ画像

日印協会々報  第一号 明治四二年八月刊
  会報
    ○経過略説
明治三十五年九月、嘗て印度に遊び、又は印度の事情を研究せんとする人々二十余名、本邦在留印度人と相謀り、日印倶楽部を組織したるものを本協会の創めとす、其後明治三十六年十二月其規模を更め、日印協会と改称し故子爵長岡護美氏会長に当られ、子爵の訃後明治三十九年八月、大隈伯爵会頭の任に当ることを諾せられ、爾来伯の指導と及び顧問英国大使サー・クロード・マクドナルドの翼賛により今日に到れり


日印協会々報 第一号 明治四二年八月刊 会則(DK250028k-0003)
第25巻 p.474 ページ画像

日印協会々報  第一号 明治四二年八月刊
    会則
一、名称
 本会を名けて日印協会と云ふ
二、目的
(一) 日印両国の親密を計ること
(二) 日印両国に関する商工業・文芸・教育等の事項を調査すること
(三) 両国に於ける当該商工業家・学生及び旅行家に便宜を与ふること
三、会員資格 会員一名の推薦に依り、評議員会の承認を得たる者は何人たりとも本会の会員たるを得べし
五、寄附 ○下略



〔参考〕日印協会々報 第八号 大正三年三月刊 設立の趣旨(DK250028k-0004)
第25巻 p.474-476 ページ画像

日印協会々報  第八号 大正三年三月刊
    設立の趣旨
 印度は世界の旧国にして、約四億の民衆を有し、前印度あり、後印度あり、英領あり、仏領あり、蘭領ありと雖もおのづから聯絡あり、特色ある一大地域を形成せり。之を歴史上より見れば、宗教・学術等に於いて、日本の文明は印度の文明に負ふ所甚だ大なり。更に之を当
 - 第25巻 p.475 -ページ画像 
今の経済上より見れば、通商貿易等の事に於いて、日印両地の互に相扶掖すべきもの極めて多し。斯くの如き歴史上の因縁を有し、斯くの如き経済上の関係を有しながら、此の東洋の諸邦が未だ十分に親善すること能はざるは何ぞや。
 我が日印協会は、乃ち此両地方親善機関を以て自ら任ずるものにして、或は貿易上産業上の調査に於いて、或は宗教上学術上の研究に於いて、相互提携の為め、有らゆる利便と機会とを提供せんことを期す故に若し我会の期する所にして、幸に幾分の効果を奏すとせば、相互の関係は玆に一変を来し、之を内にしては彼我自身の繁栄幸福を増進し、之を外にしては世界の平和、人類の進歩に貢献する事となるべく殊に日本帝国の立場としては、其の平和的国是、経済的発展の前程に於いて、豊富潤沢なる一大市場を開拓するものと謂ふべし。
 日印諸国先覚の士、冀くば此の趣旨を諒とし、恵然来り助けて吾人の志を成さしめよ。
                      日印協会
   ○右文ハ左ノ会則ト同時ニ作成セラレタルモノナリ、後若干字句ヲ訂正シタリ。設立当時ニ於ケル会則ハ焼失セリ。
○中略
    日印協会々則(大正三年一月二十五日改定)
第一条 本会は日印協会と称し、本部を東京に置き、時宜に応じ内外各地に支部を設く
第二条 本会は日本及び印度諸国(英領印度・海峡植民地・蘭領印度暹羅・仏領印度支那等)間の親善を増進するを以て目的とす
第三条 本会の事業は左の如し
    一、日本対印度諸国の商工業・学芸及び宗教上の事項を講究すること
    二、日印相互間の交通各般の調査及び修学等に対し便益を供すること
    三、毎年二回以上会報を発行すること
    四、図書を出版し及び講演会を開催すること
第四条 本会に左の役員を置く
    会頭一名 副会頭二名 評議員若干名 理事若干名 事務員若干名
第五条 会頭・副会頭は評議員会之を推薦し、評議員は総会に於て之を選挙し、理事は評議員の互選に拠る
第六条 役員の任務は左の如し
    一、会頭は会務を総理す
    二、副会頭は会頭の職務を代理し、且つ理事会を司掌す
    三、評議員は重要の会務を評議す
    ○中略
第七条 会頭・副会頭・評議員及び理事の任期は各三箇年とす、但し重選することを得
○下略
   ○右会則ハ昭和二年三月五日ノ当協会総会ニ於テ第八条以下ニ一部ノ改正ヲ
 - 第25巻 p.476 -ページ画像 
見タリ。



〔参考〕印度の大勢 日印協会編 昭和五年一〇月刊(DK250028k-0005)
第25巻 p.476 ページ画像

印度の大勢 日印協会編  昭和五年一〇月刊
  日印協会事業一斑
    一 本会の創立
 明治三十五年九月、曾て印度に游歴し或は印度に対して特別の趣味関係を有する二十有余名の主唱に由り、本邦在留の印度人と相謀り、日印倶楽部と称する一会を組織し、日印両国人相互の親密を講ぜり。之を本会の濫觴と為す。
    二 本会の発展
 其後国運の発展に伴ひ、事業拡張の必要を感じ、日印倶楽部は其の組織を変更して、日印協会と改称し、子爵長岡護美を会頭に推し、英国大使サー・クロード・マクドナルドを顧問に仰ぎ、明治三十六年十二月華族会館に於て発会式を挙げたり。
 然るに時恰も日露国交の破るるに際し、本会は暫く其の事業を中止するの已むなきに至り、剰へ一外字新聞は流言を放つて本会の存立に政治的意味ありと誣ひ、欧米諸新聞紙亦之を喧伝する等の事ありしを以て、本会は纔に会員中の有志に於て時々小集を催し、研究と親睦とに資するに過ぎざりき。
 然れども明治三十九年平和克復と同時に本会は更に其の活動を開始せり。偶ま同年六月長岡会頭の長逝に遭ひ、本会は更に侯爵大隈重信を会頭に推薦し、マクドナルド大使の輔翼を受くること旧の如く、徐徐として其の事業の歩を進めたり。
 斯くて大正三年一月に至り、世界の経済関係は愈々進展して止まざるものあるを看取し、本会は其の情勢に応ぜんが為め、英領印度の外新に蘭領東印度・海峡植民地・暹羅・仏領印度支那・米領比律賓等の東印度諸国を事業範囲に加へたり。
   ○当協会ノ事務所ハ大正十二年九月大震火災ニヨリ焼失シタレバ同時日以前ノ資料ヲ欠ク。