デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
1款 アメリカ前大統領グラント将軍夫妻歓迎
■綱文

第25巻 p.537-538(DK250037k) ページ画像

明治12年8月26日(1879年)

是日栄一、横浜駐在アメリカ総領事トーマス・ヴァン・ビューラン(Thomas B. Van Buren)主催ノ夜会ニ臨ム。グラント将軍モ臨席ス。


■資料

東京日日新聞 第二三一七号 明治一二年八月二七日 【○昨夜ハ横浜にて米国…】(DK250037k-0001)
第25巻 p.537 ページ画像

東京日日新聞  第二三一七号 明治一二年八月二七日
○昨夜ハ横浜にて米国領事《(総脱)》ワン・ビユーレン氏の夜会ありて、グラント君も臨席あるよし、これハ廿五日の筈なりしが御臨幸委員の頼みによりて昨晩に延びたるなりと


東京日日新聞 第二三一八号 明治一二年八月二八日 【○昨日の紙上に記せし…】(DK250037k-0002)
第25巻 p.537-538 ページ画像

東京日日新聞  第二三一八号 明治一二年八月二八日
○昨日の紙上に記せし一昨夜米国総領事ワン・ビユーレン氏の夜会に来会せられしハ伊藤・山県・西郷・寺島・河村の諸公、並に吉田・上野の両全権公使、その外接伴掛りの人々、横浜の諸官員にて、東京の紳士にハ渋沢・福地・益田の三氏のみなり、午後十時より踏舞ありて
 - 第25巻 p.538 -ページ画像 
同十二時に終り、グラント君にハ同港に一泊せられしが、他の人々ハ同十時の汽車にて帰京せられたりと


東京日日新聞 第二三二〇号 明治一二年八月三〇日 【○グラント君ハいよい…】(DK250037k-0003)
第25巻 p.538 ページ画像

東京日日新聞  第二三二〇号 明治一二年八月三〇日
○グラント君ハいよいよ来月二日出帆の郵船にて帰国せらるゝに付き今卅日午後一時三十分に御暇乞として参内せらるゝよし、路次の巡査警備ハ都て去る七月四日参内の時の如しと申す、又一日の夜ハ接待委員が送別の為め延遼館へ参られ、数十本の煙火を打揚げさせらるゝと



〔参考〕東京日日新聞 第二四四一号 明治一三年一月三一日 【○此ごろ渡来せられた…】(DK250037k-0004)
第25巻 p.538 ページ画像

東京日日新聞  第二四四一号 明治一三年一月三一日
○此ごろ渡来せられたる米国の紳士デツキンソン氏が四五日前渋沢栄一君の家を訪れて晤談の折り、我らが出発の前グラント君に面謁せしに、其許日本に赴かれなば必らず渋沢・福地両氏のうちに面会して予が同国に滞在中両氏並に各接待委員の厚遇を篤く謝し呉れられよ、殊に此の謝辞ハ一遍の口誼のみならず予が心中に深く感銘して云ひ出でたることなるをも其許より好く通じ呉れらるべし、との伝言なりと委細に語られしが、其後ち又グラント君ハ帰国の後ち人に遇ふ毎に例も貴国のことを申出でられ予が這回の周遊中いまだ日本に到りし時の如く愉快なることハあらず接待の委員となりし人々が予を遇するの厚きのみか、諸事皆な活溌にして聊かも厭倦の色を現はさず、其の勉強の精神をもて考ふれば他日必らず為す処あるの人民なるべしと賞揚せられ、我ら如き日常出入するものゝ耳にハ所謂る蛸の入るほどなりしと申されたるよし、斯てこそ委員諸君も一時奔走の労を厭はれざりし甲斐ありけりと記者も亦た喜びに堪へず
   ○デツキンソンノ来訪ニ就イテハ後掲「第十四款其他ノ外国人接待」明治十三年二月十六日ノ条参照。