デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
4節 諸外国災害救助
4款 イタリー震災救助義捐金募集
■綱文

第25巻 p.748-752(DK250116k) ページ画像

明治42年1月6日(1909年)

是日栄一、外務大臣官邸ニ開カレタルイタリー震災救助義捐金募集ノタメノ午餐会ニ出席シ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK250116k-0001)
第25巻 p.748 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年    (渋沢子爵家所蔵)
一月六日 晴 寒
○上略 午前十時外務省ニ抵リ、伊国震災義捐金ノ事ヲ協議ス ○下略


竜門雑誌 第二四八号・第五四―五五頁 明治四二年一月 ○伊国震災救助(DK250116k-0002)
第25巻 p.748 ページ画像

竜門雑誌  第二四八号・第五四―五五頁 明治四二年一月
○伊国震災救助 伊国に於ける大震災に就き日本赤十字社に於て義捐金募集の為め、本月六日外務大臣官舎に於て午餐会を催ふしたるに、松方侯・鍋島侯・松尾男其他朝野の有力者三十余名の出席あり、青淵先生も亦出席せられしが、先づ小村外務大臣より義捐金勧誘の演説あり、青淵先生は之に対して賛成の演説を為し、会衆一同皆同意して即座に七万余円の申込ありしが、青淵先生は特に金五百円を義捐せられたり
   ○栄一ノ演説筆記ナシ。


中外商業新報 第八一六一号 明治四二年一月七日 伊国震災義捐(DK250116k-0003)
第25巻 p.748 ページ画像

中外商業新報  第八一六一号 明治四二年一月七日
    伊国震災義捐
伊太利震災醵金に付き六日午前十一時半より小村外相官邸に鍋島・松方両侯、渋沢・松尾両男外卅一名集まり、応分の義捐をなすことに決し、即座に三井・三菱・日銀の各一万円、正金・第一銀行の各五千円宛を初めとして、七万千七百円集まりたるを以て、十一日発送の由なり、尚引続き赤十字社主導の下に一般義捐を募る筈にて、醵金支払込所は日銀・正金・第一・第五・第百・三菱・三井及び安田銀行等の各本支店なりと


東京朝日新聞 第八〇三九号 明治四二年一月八日 ○伊国震災義捐(DK250116k-0004)
第25巻 p.748-749 ページ画像

東京朝日新聞 第八〇三九号 明治四二年一月八日
    ○伊国震災義捐
今回伊国震災救助協議の為小村外務大臣より京浜在在《(住カ)》の紳士四十余名に参集を請ひたるに、一昨日同相官邸に集りたるは松方赤十字総裁・鍋島伊国協会長・松尾日本銀行総裁・渋沢男を首め重なる実業家三十五・六名なりしが、小村外相より諮る所ありたるに何れも之に同意し即座に義捐の申立あり、三井・岩崎両家並に日本銀行は一万円宛、其他は五千円・三千円と最低百円迄何れも応分の醸出をなしたるを以て其の場に七万千七百円丈け纏まりたるが、又外相の照会に接して当日出席せざりしものには席上に於て評議の末夫々割当をなし、これ又二万千余円は集まるべき筈、又横浜の実業家は当日出席せざりしも之は
 - 第25巻 p.749 -ページ画像 
同市長の手許にて取纏むる事となり、これ又相当の出金あるべければ全額にて十万円以上に上るべしと云ふ、之を差当り第一回の義捐金として来る十一日頃迄に日本赤十字社の名義を以て発送の筈なるが、其後更に大に全国に募り第二回の義捐として送附する事に決議したりと


中外商業新報 第八一六三号 明治四二年一月九日 伊国震災救助金(DK250116k-0005)
第25巻 p.749 ページ画像

中外商業新報  第八一六三号 明治四二年一月九日
    伊国震災救助金
六日小村外相官邸に於て伊国震災救助金の募集協議を為すと共に、即座に七万一千七百円の応募者ありたるが、尚ほ日本赤十字社の名義を以て広く同感の士女に訴へ之れが救助金の募集を為し、本月廿日を以て一先づ締切り第一回の送金を為し、我国民の同情を表せんとすることなるが、右七万一千七百円の寄贈者は左の如し
 一金一万円 日本銀行 三井八郎右衛門 岩崎家
 一金五千円 横浜正金銀行 南満鉄道 日本郵船
 一金二千円 第一銀行 日本勧業銀行 日本興業銀行 十五銀行 東洋汽船 大倉喜八郎 安田善次郎 古河虎之助
 一金一千円 東京株式取引所 東京瓦斯会社
 一金五百円 松尾臣善 渋沢栄一
 一金三百円 高橋新吉 浅野総一郎 高橋是清 近藤廉平 原六郎益田孝 早川千吉郎 大橋新太郎 日比谷平左衛門
 一金二百円 加藤正義 添田寿一
 一金百円  園田孝吉 吉井友兄 松方巌 首藤諒 山口宗義 木村清四郎



〔参考〕新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一三巻・第五三一頁 昭和一一年五月刊(DK250116k-0006)
第25巻 p.749 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第一三巻・第五三一頁 昭和一一年五月刊
    伊太利大震 ―死者十万人―
〔一二・三〇・○明治四一年東朝〕(二十八日桑港特派員発)二十八日早朝南部伊太利に於いて地震あり、其の中心はシシリー島にして、一命及家屋の損害甚だし、カタニヤにては海嘯起りて埠頭を洗ひ去り、碇泊中の汽船に損傷を与へたり



〔参考〕中外商業新報 第八一五七号 明治四二年一月一日 伊国の震災(DK250116k-0007)
第25巻 p.749-750 ページ画像

中外商業新報  第八一五七号 明治四二年一月一日
    伊国の震災
最近の情報に拠れば、南部伊太利の震災は最初報ぜられたるよりも被害甚だしく、死人の数二百万人前後あるべし、最も惨憺たるは人口九万を有するメツシナ市にて、全市三分の二の家屋倒潰し、死者の数未詳なるも数千を下らざるべし、碇泊中の汽船二隻にて負傷者をカタニアに送れるが、軽傷者と雖も何事をも説明する能はず、唯世の終り近づきたりと思ひしのみと言へるのみ、負傷者救護の為五隻の汽船カタニアよりメツシナへ急航したり、カタニアにては海嘯の為五百隻の小船破壊し、大汽船にも多大の損害を与へたり、州民は揺り返しを恐れて絶対に屋内に入らず、二万三千の人口を有するスタフアナコニアは全村倒潰したり、死者は五人のみなりしも負傷者は数千に上れり、政
 - 第25巻 p.750 -ページ画像 
府及赤十字社は全力を尽して救助に尽力中なるも、手も附けられぬ有様なり、羅馬法王は慰問の為被害地を訪問すべしと云ふ



〔参考〕中外商業新報 第八一五七号 明治四二年一月一日 伊太利の激震(DK250116k-0008)
第25巻 p.750 ページ画像

中外商業新報  第八一五七号 明治四二年一月一日
    伊太利の激震
地震に引続き高さ三十呎の猛濤伊太利海岸の諸市を襲ひ、死人頗る多し、メツシナ及びレギオ・チ・カラブリア等は殆ど破壊し、確報にはあらざれども死者数千に上れりとの説あり、電話・電信は破壊せられパシノ号船長はメツシナにて惨死し、ネープルスの艦長メツシナに出発したり、又地震は非常に激烈にして、伊太利国内の験震器は悉く破壊したり



〔参考〕中外商業新報 第八一五七号 明治四二年一月一日 激震続報(DK250116k-0009)
第25巻 p.750 ページ画像

中外商業新報  第八一五七号 明治四二年一月一日
    激震続報
メツシナは家屋其他の敗壊物等を以て堆かし、避難者の談に依れば、ツリネリア旅館は観光客九十名が避難せざる間に崩壊し、市会堂・株式取引所・郵便局・兵営等皆破壊したり、又メツシナ海峡に沿へる、諸村落は概ね荒廃に帰したり▲伊太利政府に着したる無線電信に依れば、メツシナにては五万人死し、且同市は火災の為め全然破壊し、又ガジリにては一千人、プルミにては五百人死し、死人総数七万五千に上りたりと▲死者十万人▲伊太利皇帝は皇后同道にて震災地に出発したり、レヰオ・チ・カラブリアの一部は全然消失し、残余は敗壊し、加ふるに激雨の為一層惨状を加へたり、英独旅行家の惨死せるもの多数あり▲伊太利皇帝は八千磅を下賜せり、英国倫敦市にては救済資金募集を開始し応募額盛んに増加しつゝあり▲震災地にて掠奪始まり、兵士は盗賊を銃殺しつゝあり▲最近の報に依れば、シヽリー島の死人は七万、カラブリアの死人は三万に上りたりと



〔参考〕中外商業新報 第八一五七号 明治四二年一月一日 伊国震災惨状別報(DK250116k-0010)
第25巻 p.750 ページ画像

中外商業新報  第八一五七号 明治四二年一月一日
    伊国震災惨状別報
伊太利震災被害民の惨状名状す可らず、軍隊被害地に送られたり、英露仏の軍艦は救助援護の為め同地方に急航せり、伊国皇帝は皇后陛下同伴羅馬を発して南部に向はる、自ら救助を指揮されん為めなり、羅馬法王は全世界の加特力教徒に救助を勧告し、且つ自ら二十万弗を下賜せり、又米国大統領も国務省を通じて懇篤なる見舞電報を伊国皇帝に送り、一方米国赤十字社に救助金募集を勧告し、同社は寄附募集を開始したり



〔参考〕中外商業新報 第八一五八号 明治四二年一月三日 伊国震災公報(DK250116k-0011)
第25巻 p.750-751 ページ画像

中外商業新報  第八一五八号 明治四二年一月三日
    伊国震災公報
十二月廿八日午前五時、伊太利南部カラブリア州及メツシナの海峡一帯の地方に強烈なる地震あり、電信不通の為未だ詳報を得ざるも、卅日朝までに接手せる報道に依るに、此等各地方の被害甚しく、死者約八万負傷者挙て計ふべからず、就中メツシナ市の如きは強震に加ふる
 - 第25巻 p.751 -ページ画像 
に海嘯を以てし、全市三分の二は破壊せられたりと云ふ、皇帝陛下は深く軫念あらせられ、皇后陛下と共に二十九日災害地に向け御出発あり、宮中に於ける新年の儀式・夜会等一切中止となり、朝野挙つて喪中に在るが如き実況なり、政府は直に救助費を支出し、軍隊及軍艦を派して救助に努め、地中海に在りし英仏露独諸国の軍艦も、現場に急航して災民の救護に援助中なりとの報其筋に達せり



〔参考〕中外商業新報 第八一五八号 明治四二年一月三日 生存者僅少(DK250116k-0012)
第25巻 p.751 ページ画像

中外商業新報  第八一五八号 明治四二年一月三日
    生存者僅少
伊国メツシナに於て存せるものは僅に一万人、レギオに於ては四千人に過ぎずといふ、同市は岩石の砕片及破壊物を以て満たされ、内地に於て十一哩程変形せり



〔参考〕中外商業新報 第八一五八号 明治四二年一月三日 伊帝の訪問(DK250116k-0013)
第25巻 p.751 ページ画像

中外商業新報  第八一五八号 明治四二年一月三日
    伊帝の訪問
伊国皇帝及び皇后はメツシナに到着せられ、災害防止に対する処置を非難し号泣せる人民に取囲まれたり、皇帝は救助者に援助せられつつありて、屍骸より発する恐るべき悪臭、生存者の呻吟及蓄積せる破壊物をも物ともし賜はず、皇后は仮設の病院及び避難船を訪問せられつつあり、数百人の避難民はネープルスに到着し、更に千名到着する筈にて、其供給困難なり、英露両国の水兵は救助人等と共に最も目醒しく立働きつゝあり、レギオに於ける荘麗なる寺院及び大学校破壊せられ、多数の学生死亡し、又兵営中に在りし数百の兵士も同様の非運に遭へり、生存者は裸体のまゝ、食物の欠乏を訴へつゝ、原野又は手当充分ならざる小都□《(邑カ)》に向て避難しつゝあり



〔参考〕中外商業新報 第八一五九号 明治四二年一月五日 震災続報(DK250116k-0014)
第25巻 p.751 ページ画像

中外商業新報  第八一五九号 明治四二年一月五日
    震災続報
伊国震災死亡者数は益々増加するものゝ如し、而して引続く降雨の為め、未だ埋葬せられざる屍骸の悪臭時々刻々惨鼻に堪へず、兵士は屍骸発掘の為に熱心に働きつゝあり、パン及び水は一般に配附せらるれども、水は水道破壊の為め制限せらるゝに至る



〔参考〕中外商業新報 第八一六二号 明治四二年一月八日 震災と衆議院(DK250116k-0015)
第25巻 p.751 ページ画像

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〔参考〕中外商業新報 第八一六二号 明治四二年一月八日 益々惨憺(DK250116k-0016)
第25巻 p.751-752 ページ画像

中外商業新報  第八一六二号 明治四二年一月八日
 - 第25巻 p.752 -ページ画像 
    益々惨憺
伊国シヽリー及カラブリア其他の内地々方に於ける救済事業は甚だ困難なり、道路は山崩の為め通行するを得ず、住民は餓死しつゝあり



〔参考〕中外商業新報 第八一六三号 明治四二年一月九日 震災続報(DK250116k-0017)
第25巻 p.752 ページ画像

中外商業新報  第八一六三号 明治四二年一月九日
    震災続報
公報によれば、メツシナに於て今日までに救助せられたるもの二千三百人に及び、尚六日十二名救助せられたり、然れども今後収助せらるるもの最早無かるべし、而して尚土中に埋没せらるゝもの二千名ありと云ふ



〔参考〕中外商業新報 第八一六七号 明治四二年一月一四日 震災謝電(DK250116k-0018)
第25巻 p.752 ページ画像

中外商業新報  第八一六七号 明治四二年一月一四日
    震災謝電
過般東京商業会議所より伊太利震災に関し同国羅馬商業会議所へ弔電を発したるに対し、十三日午前羅馬商業会議所より東京商業会議所に謝電到着せり、電文左の如し
 羅馬商業会議所は、我国の震災に関する貴商業会議所の御同情に対し、衷心より感謝の意を表す


渋沢栄一伝記資料 第二十五巻 終