デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
2款 救世軍
■綱文

第26巻 p.86-88(DK260023k) ページ画像

明治41年10月3日(1908年)

是日栄一、救世軍ノ労作館落成式ニ臨ミ演説ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK260023k-0001)
第26巻 p.86 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年    (渋沢子爵家所蔵)
十月三日 半晴 涼
○上略 牛込赤城下ニ抵リ、救世軍ニテ着手セル出獄人保護事業労作館ノ開館式ニ出席シ、一場ノ演説ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第二四五号・第八三頁 明治四一年一〇月 ○労作館開館式(DK260023k-0002)
第26巻 p.86 ページ画像

竜門雑誌  第二四五号・第八三頁 明治四一年一〇月
○労作館開館式 救世軍が社会的事業として牛込区赤城下町に新築中なりし労作館は、今度落成を告げ本月三日午後三時より其開館式を行ひたり、祈祷の後山室中佐は開館の趣意を述べ、島田三郎・岡部司法大臣等の演説ありしが、青淵先生にも臨場の上同しく一場の演説を為されたり


渋沢子爵と救世軍 山室軍平稿(DK260023k-0003)
第26巻 p.86-87 ページ画像

渋沢子爵と救世軍 山室軍平稿      (渋沢子爵家所蔵)
一、明治四十一年十月三日 釈放者保護「労作館」を牛込区赤城下町に移転するや、子爵は岡部子爵等と共に其の開館式に臨みて一場の奨励演説を試みられたり。其の大意左の如し
   最初は救世軍を以て奇異のものとなし、其他方面に及ぼす影響に就て聊か杞憂を抱いたことである。さり乍ら段々事情を諒解し其憐れむべき弱者を事実上に救ふ様子を承知したる後は、成る程一応奇異とも見ゆる運動が場合止むを得ざりしことならんと解釈するに至つたのである。殊に昨年ブース大将来朝の節は、数回之に面して其高説を聞くの機会を得、又其書物を読んで一層救世軍
 - 第26巻 p.87 -ページ画像 
の真相が分つた様に思ふ、今日此労作館に就ては之は他の種々なる事業の内の一つと聞くにつけても、其骨折の多々にして成功の頗る見るべきものあることを感謝する者である。余も亦性善の説に同意し、天下に化すべからざる悪人はなきものとは思へど、之は理論のみにては足らず、実際の事実の上に確証せねば十分でない、然るに救世軍の出獄人救済所が、過る二年間に百人近き免囚を保護し、七割以上の好成績を得たる如きは、真に心強く覚えらるゝ事柄である。悪人の皆済度し得らるべきことを示す事実である。之は暫く神の恵を度外に措き、専ら人の道より言ふも必ず力を尽さゞる可らざるの事業である。余は人道の上より深く此事業の主意を賛成し益其振作を希望する者である。
   ○右山室軍平ノ原稿ニハ「昭和五年二月十一日了」ト記シアリ、了トハ推敲完了ノ意ナルベシ。
   ○後掲、右山室稿ニ依ル資料ハ総テ右原稿ノ一部ナリ。



〔参考〕救世軍二十五年戦記 山室軍平著 第四八頁 大正九年一一月刊(DK260023k-0004)
第26巻 p.87 ページ画像

救世軍二十五年戦記 山室軍平著  第四八頁 大正九年一一月刊
 ○附録 第一 救世軍の事業
    (五)免囚保護「労作館」
東京牛込区赤城下町八十七番地「労作館」(電話番町四七一〇)に於ける、免囚保護事業の結果は左の如し。
 一、前年末現在員            二〇
 一、本年中の収容人員         二九一
 一、職業に就かしめし数        一三〇
 一、親族知人に渡せし数         八八
 一、無断退館の数            七六
 一、不結果退館を命ぜし数         一
 一、他所に送りたるもの          一
 一、年末現在員             一五
 一、日雇に紹介したる数      四、八六九
 一、食事供給の数        一〇、八七〇
 一、監獄訪問の時間          四七三
 一、面会したる囚人の数        二一七
 一、出獄の際金銭を給せし数        五
 一、同物品を給せし数           二



〔参考〕新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一三巻・第四八一頁 昭和一一年五月刊(DK260023k-0005)
第26巻 p.87-88 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第一三巻・第四八一頁 昭和一一年五月刊
    救世軍の労作館
      免囚保護の社会事業
 〔一〇・四 ○明治四一年東京二六新聞〕牛込区赤城下町に、出獄人救済の目的にて東京救世軍の設立したる労作館は、昨日午後三時より其開館式を挙行したるが、来会者一同献堂の歌を合唱し、高橋救世軍大校の祈祷に次ぎ、ハリマン救世軍大尉の独吟あり、終つて救世軍書記官長山室中佐は開館の趣旨を述べ、又島田三郎氏の免囚保護事業の急務及び本邦に於ける救世軍の過去とその事業に就き演説あり、終つてウヰ
 - 第26巻 p.88 -ページ画像 
ルソン救世軍将校及び同夫人の二部合唱あり、次いで男爵渋沢栄一氏の演説ありしが、過去十三年以前に於ては救世軍なるものゝ事業及其他の行動に於て頗る世人の疑惑を起さしめ、予も亦之れを誤解したる一人なりしが、先年救世軍のブース大将渡来されたるに際し、親しく大将の謦咳に接し意見も聞き、又大将の著書等を看るに至り、始めて救世軍の事業の大要を知るに至りしが、今回の免囚保護事業に就いては、最も同情を以て之れに当らざる可からざるものにて、予は元来基督教信者に非ざるも、苟も人としては必ず此事業を補助す可き義務を有すると説き、次いで岡部子爵は去る一日市ケ谷監獄に至り、囚徒の晩食を目撃して感じたることを説き、最後に高橋救世軍大校の祈祷を以て閉会したるが、館内は来会者を以て、立錐の余地だになき盛況なりき。