デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.124-130(DK260028k) ページ画像

明治23年11月16日(1890年)

是日栄一、当社秋季総集会ニ出席シ「工業ニ就テノ意見」ト題スル演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三〇号・第四六―四八頁 明治二三年一一月 ○第五回竜門社秋季総集会記事(DK260028k-0001)
第26巻 p.124-125 ページ画像

竜門雑誌  第三〇号・第四六―四八頁 明治二三年一一月
    ○第五回竜門社秋季総集会記事
明治二十三年十一月十六日、本社秋季総集会を東京銀行集会所に開く当日午後一時より続々来会する者、青淵先生・同令夫人・穂積博士・同令夫人・坂谷学士《(阪谷学士)》・同令夫人・穂積学士を始め佐々木勇之助君・佐佐木慎思郎君・谷敬三君・大川平三郎君・朝倉学士・山中譲三君・原林之助君・星野錫君其他の会員にして、来賓法学士平田譲衛君も来会せり、(高等商業学校教頭成瀬隆蔵君ハ疾病の為に来会なかりし)社長及ひ委員等ハ之れを歓迎して会場に請し、午後二時半より演説会を開きたり、其順序及演題は左の如し
  一開会の趣旨           社長
  一会計報告            委員
  一銀行家の本色          布施藤平君
  一広告の利益           尾高次郎君
  一熱心と注意           渋沢篤二君
  一地租軽減論           坂谷芳郎君《(阪谷芳郎君)》
   休憩
   一西郷隆盛 薩摩琵琶
  一商法に対する商人の義務     穂積陳重君
  一商法を見る           朝倉外茂鉄君
  一商法に就て           平田譲衛君
  一工業に就ての意見        青淵先生
 - 第26巻 p.125 -ページ画像 
右終て支那料理の行厨とビールとを各員に供し、三遊亭円遊の金魚の芸妓・地獄巡り、及桃川如燕の見へたか甚平の伝、其他山下利助の薩摩琵琶小督の曲等ありて極めて盛会なりし、午後十一時頃全く解散せり、因に記す、当日の演説筆記は次号より掲載すべし
   ○「当日の演説筆記は次号より掲載すべし」トアレド、同誌ニ掲載セラレズ次ニ掲グルハ「青淵先生六十年史」ニ収録セラレタルモノニシテ、題名ヲ異ニスレドモ是日ノモノトス。因ミニ「二十四年春竜門社総集会ニ於テ」トアルハ二十三年ノ誤リナリ。二十四年春季総集会ニ於ケル栄一ノ講演題名ハ「政治家及学士諸君ニ望ム」ト云フニアリ。尚是年前後二・三年ノ間ニ栄一ノ行ヒタル演説ニシテ「工業云々」ト掲ゲタルモノハ他ニナシ。


青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第七四八―七六三頁 明治三三年六月再版刊(DK260028k-0002)
第26巻 p.125-130 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第七四八―七六三頁 明治三三年六月再版刊
 ○第五十九章 第三節 明治二十三年金融逼迫
    本邦工業ノ現状 (明治廿四年春竜門社総集会《(マヽ)》ニ於テ)
本日ハ竜門社ノ総集会ヲ開カルヽニ付私ニモ一場ノ演説ヲセヨト委員ノ申出アリタレハ聊カ申述ル所アラントス、去レトモ諸君ノ知ラルヽ如ク私ハ学者ニモアラス又弁士ニモアラサレハ、従テ私ノ御話申ス所ハ学理上ヨリ孕ミ出シタル論ニモアラス道理ニ適合スル説ニモアラス至テ面白味ノ少ナキコトハ固ヨリ免レサルナリ、故ニ今開陳セントスル事柄モ日々自ラ拮据奔走スル所ノ事業ニ付キテ管見ヲ述ルニ過キス然レトモ今私ノ述フル所ハ皆事実ヲ表白スルモノナレハ我国現今ノ実業社会ノ実状ヲ窺知スルニ足ルヘシト信ス、諸君願クハ私ノ言ハ実談ナリトシテ御聴アランコトヲ請フ
私ノ演説ハ「工業ノ現状」ナリ、夫レ工業ト云フモ其意味ノ取リ様ニヨリテハ其区域ニ甚タ広狭アリ鉱山事業ノ如キモ此ノ内ニ属スルモノニシテ我国従来ノ工業ノ中ニモ亦種々ノ別アレトモ凡テ彼是ヲ網羅シテ工業ノ区域中ニ駆リ入レテ論スヘシ、而シテ西洋ノ工業ハ大仕掛ケニテ合本会社ノ組織ヲ以テ成リ機械力ヲ使用スルコト甚タ大ナリト雖モ、我国ニテハ機械力ヲ用ヒスシテ人力ニ依リテポツポツ事ヲ為スニ由リ其効績ノ挙カルコト比較的ニ誠ニ少シトス
本邦工業ノ現状ヲ述ヘントスレハ其過去ニ溯リ其順序ヲ詳ニセサレハ如何ニシテ今日ノ有様トナリシカ、又過去現在ノ盛衰ハ如何、発達ノ順序ハ如何、将来ノ希望ハ如何ニアルカヲ確ムルニ由ナカラン、故ニ先ツ其根基ヨリ説明スヘシ
諸君ノ御承知ノ通リ私ハ明治六年頃迄ハ籍ヲ官途ニ有シ居タリシカ同六年ニ民間ニ下リ商人トナリタリ、其辞職ヲ為スニ際シ栄一以為ラク日本ノ商工業ノ区域タル誠ニ狭隘ニシテ、僅ニ此ノ偏小ナル我六十余州ノ内ニ於テ相交換シ互ニ満足スルニ止リ、二三百年来ノ商業ト云ヘハ宛モ味噌一斤ヲ小売スル位ニテ農ト云ヘハ大根ヲ作リ沢庵漬ノ用ニ供スルノ有様、又工ト云ヘハ老媼カ糸車ヲ用ヒ小娘カ機織スルニ類ス之ヲ要スルニ内職即チ自活的ノ事業ヲ為シ居タリシナリ、是ハ二三百年来ノ有様ヲ述ヘタル話ナルカ今夫レ刮目シテ我商工農ノ現況ヲ見ヨ其多数ハ実ニ尚ホ右ノ境遇ヲ脱出スル事能ハスシテ只管自活的ノ営業ニ齷齪スルニ非スヤ、矢張リ商業ト云ヘハ味噌一斤ニ酒一升ヲ売買シ工業ハ手職農業ハ大根作リト云フノ実況ナリ、然ルニ眼光ヲ転シテ欧
 - 第26巻 p.126 -ページ画像 
米各国ノ商工農業ノ有様ヲ見ヨ、大船ヲ浮ヘテ数千里外ノ間ニ貿易シ機械力ヲ用テ製造ニ従事シ大仕掛ノ耕作法ヲ用テ幾百町ノ耕耘ヲ為シ学者モ之カ進歩ヲ研究シ実業者ハ其発達ヲ希ヒ共ニ汲々トシテ余念ナク、従テ其挙クル所ノ利益ハ鴻大ニ其国力ハ富強ニシテ天下ヲ狭マシトスルノ実況アリ、其事情ノ相懸隔スル何ソ夫レ甚シキヤ、此ノ外国ノ盛大ナル商工農ニ対スルニ糸車ノ工業、大根作ノ農業、一斤売ノ商業ヲ以テセントス、嗚呼難哉
是ニ於テ栄一更ニ以為ラク、日本ヲ富強ナラシメント欲セハ商業モ進メサルヘカラス、商業ヲ進ムルト同時ニ工農ヲモ発達セシメサルヘカラス、然レトモ一人ニテ此等ノ事ヲ引受ケテ共ニ進歩セシメントスルハ到底能ハサル事ニシテ恰モ盆ト正月トヲ同時ニスルコトヲ得サルト一般ナリ、故ニ私ハ商人トナルヤ否ヤ先ツ合本ノ方法ニ依リテ大ニ我工業ヲ振起セント心ニ誓ヒ、之ヲ懇親ナル某貴顕殊ニ経済ノ事ニ付キ有名ナル方ニ相談シタリ、是レ明治六年ノ事ナリ、然ルニ該貴顕ノ曰ク、卿ノ着目ヤ善シ工業ノ組織ヲ一変シテ泰西ノ方法ヲ採用スルニアラサレハ我工業ハ発達セントスルモ能ハサルナリ、然レトモ工業ノ振起ヲ計ラントスルニハ甚タ困難ノ事情ノ其ノ前ニ横ハル有テ輙ク其目的ヲ遂クルコト極メテ容易ナラス、即チ其困難ニ三ツノ条件アリ(第一)ハ我国ハ金利高シ欧洲ニテハ高キモ年五六歩ニシテ低キハ三四歩ナルモ日本ニ於テハ低キモ年七八歩高キハ一割二三歩ナリ、此ノ高キ金利ヲ払フトキハ金利ノタメニ利益ヲ吸収セラレ工業ノ発達ハ望ムヘカラス(第二)ハ合本会社ヲ設ケテ大金ヲ集メントスルモ日本ノ総体ニ対シテ資本少キ故ニ資本ヲ呼ヒ集ムルコト甚タ困難ナリ、例ヘハ弐拾万円ノ会社ヲ二十人ニテ組成スルトシ平均一人ヨリ壱万円ヲ出金スルトセハ、是マテ此ノ金ニテ衣食セシモノカ直ニ其活路ニ迷フノ恐アリテ他ノ事業ノ荒廃ヲ招クノ憂アリ、即チ此ヲ長クセントシテ彼ヲ短クスルモノナレハ到底営業ヲ継続スルコト能ハサルヘシ、工業会社ニシテ起リテ直ニ利益アルモノナレハ兎モ角モナレトモ凡ソ業ハ大抵三年間ハ収得ナキモノニシテ利益ヲ永遠ニ期スルモノナレハ、今ノ我国状ニ照シテハ継続スルコト能ハサルヘシ 第三)ハ学理ト経験ト応用スルノ人物ナシ、凡ソ機械ヲ使用スルノ事業ハ必スヤ学理ニ通スル人ナカルヘカラス、又多年之ニ従事シタル経験家ナカルヘカラス、然ルニ我国ハ未タ斯カル人物ナシ、故ニ工業ヲ盛ニセントスルモ得ヘカラス、以上挙ケタル原因ハ実ニ我工業ヲ振興スルニ最モ必要ナルモノナルカ一トシテ我ニ備ハルアルナシ、故ニ我カ工業ヲ振興セントスルハ到底絶望ト謂ハサルヘカラス、卿夫レ之ヲ反省セヨト
実ニ私ハ此ノ高論ヲ聴キテ御尤モ千万ト思ヒタリ、独リ私カ当時御尤モ千万ト思ヒシノミナラス満場諸君モ亦必ス御尤モ千万ト思ハルヽナラン、二十年ヲ経過シタル今日ニ於テモ右ノ説ハ実ニ御尤モ千万ナルヘシ、三十年後ニ至テモ亦実ニ御尤モ千万ナルヘキナリ
是ニ至リテ栄一又以為ラク、右貴顕ノ説ハ如何ニモ御尤モ千万ナレトモ只々御尤モ千万ナリト云フノミテハ不可ナリ、何トナレハ只御尤千万ナリトシテ之ヲ其儘ニ打捨テ置クヘキニアラス、若シ之ヲ打捨テオクトキハ我国ノ百事ハ一切其儘ニ打捨テ置カサルヲ得サルヘシ、抑々
 - 第26巻 p.127 -ページ画像 
我国ニ於テハ政治ト云ヒ軍事ト云ヒ其他百般ノ事皆右ノ如キ困難ノ附伴シ居ラサルモノナシ、困難ナルカ故ニ之ニ当ラスト言ハヽ何ノ時カ我カ百事ヲ改良スルノ日アラン、何ノ時カ進歩ヲ見ルノ日アラン、日本ハ如何ニモ貧弱ナリ、諸般ノ事皆幼稚ナリ、貧弱ナリ幼稚ナリトテ之ニ安ンシ自ラ卑ムヘキニアラサルナリ、貧弱ナル者ハ富強ニ進メサルヘカラス、幼稚ナル者ハ成長セシメサルヘカラス、見ヨ我政府ハ政治ニ於テモ亦軍事ニ於テモ夙ニ此ノ精神ヲ以テ困難アルニ拘ラス着々歩ヲ進テ改良ヲ計リ徐ニ完全ヲ期スルノ方針ヲ取リ居ルニアラスヤ、然ルヲ独リ工業ノミ困難アルカ故ニ之カ振興改良ヲ望ムヘカラス、又之カ振興改良ニ着手スルモ無益ナリト云フハ誠ニ奇怪ノ説卑怯ノ心ト云ハサルヘカラスト
且ツ以為ラク、右三困難ヲ切リ抜ケテ工業ヲ興ス事ハ必スシモ至難ノ業ニアラサルヘシ、第一ニ金利ノ高キハ誠ニ困難ニハ相違ナキモ独リ工業ノミ之カタメニ進マスト云フハ甚タ不可ナリ、前ニ述ヘタル自活的ノ営業ニ於テモ一トシテ金利ノ高カラサルモノナシ、若シ右等自活的ノ事業ニシテ金利ノ高キカタメニ困難堪ヘサル者ナラシメハ、此等事業ハ漸次萎靡消滅スルニ至ルヘキモ今其実際ヲ顧レハ却テ着々進歩増大スルヲ見ル、既ニ此等自活的事業スラ高キ金利ニ堪ヘテ能ク斯ノ如ク進歩シ得ル時ハ工業モ必ス進歩シ得ルノ道理ナリ、第二ニ資本ノ乏シキモ各自相省シテ冗費ヲ省キ倹約ヲ主トシ貯蓄ノ志ヲシテ厚カラシメハ斯ク資本ノ増殖ヲ見ルヲ得ヘク、而シテ資本家自身カ自活ニ窮セサル丈ヲ合本ノ会社ニ投資スルトキハ決シテ工業ヲ継続シ能ハサルノ理ナシ、又第三ニ学理ヲ研究シタル人並ニ経験アル人ハ現ニ乏シト雖モ其筋ニ在リテモ大学ニ於テ理科・工科ノ学生ヲ教育シツヽアルコトナレハ早晩其人ヲ得ルニ至ルヘケレハ、此等ノ人々ト実業家トヲ結付ケテ熱心之ニ従事スルトキハ決シテ成功ノ望ナキニアラサルナリ、即チ三ツノ困難アルカ為ニ幾分カ工業ノ振起ヲ妨ケラルヘシトハ云ヘ若シ之ニ当ルニ熱心ニ耐忍力トヲ以テセハ工業ノ発達シ得サルノ理ナシト、是ニ於テカ貴顕ノ反対説ヲ聞キナカラ断然力ヲ我工業ノ振興改良ニ尽スコトヲ決心セリ
凡ソ国トシテ立ツモノニシテ自ラ粗生品ヲ売出シテ更ニ之ヲ製造シタルモノヲ再ヒ買入ルヽ如キ国アラハ決シテ其富強ハ望ムヘカラス、是即チ人ニ富ノ資料ヲ与ヘテ自ラハ其糟粕ヲ嘗メルト一般ナリ、我国ニ入用ノモノハ自国ニテ作ラサルヘカラス、故ニ日本モ粗生品ヲ売リテ工業品ヲ買入レントスルハ甚タ不可ナリ、必ス品物ヲ立派ニ製造シテ而ル後ニ之ヲ売ラサルヘカラス、此ノ事タル我国人ノ一同ニ勉ムヘキ要件ナリトス
王子ノ紙製造場、大阪ノ紡績会社等ハ栄一カ右目的ヲ以テ第一ニ着手シタル工業ニシテ明治六・七・八年ヨリ十二年ニ企テ一身ヲ以テ之ニ任シ人ニモ計リ或ハ人ニモ勧メ又ハ他人ノ設立スルニ方リテ意見ヲ述ヘ或ハ仲間ニ入リテ互ニ熟慮計考シ専ラ功績ヲ上ケテ之ヲ世人ニ示シ徐々ニ全国ニ工業ヲ進マシメント存シ乃チ自ラ率先シテ之ニ当レリ、然ルニ明治七・八年ニ至リテハ政費大ニ嵩ミ我流通貨幣大ニ減シ金融大ニ塞キテ商業為ニ振ハス、之ニ加フルニ島田・小野組等ノ破産アリ
 - 第26巻 p.128 -ページ画像 
テ商工業会社ニ狂瀾ヲ起セリ、又十年ニ西南ノ戦争アリテ大ニ商工業ヲ妨ケ十二・三年ニハ一時一寸商業ハ活溌ヲ極メシモ工業ハ尚ホ未タ進マサリキ、此ノ一時商業ノ活溌ヲ致シタルハ全ク世ノ景気ノ回復シタルニハアラスシテ明治六年以来政府カ財政ノ困難ヲ救ハンタメニ非常ニ紙幣ヲ増発シ市場ニ通貨ノ多カリシニ由ル者ニシテ、語ヲ換ヘテ云ヘハ物価ノ高クナリシナリ、否ナ物価ノ上リシニアラス、紙幣ノ価下落セシニ過キスシテ真ノ活溌ニアラス只々一時ノ狂盛ナリシナリ、明治十四年ニ至リテハ其紙幣ハ銀貨トノ価ニ大差ヲ生シタレハ、政府ハ其整理ヲ為サンカタメニ公債証書ヲ発行シテ不換紙幣ヲ引上ケ以テ兌換紙幣ノ制度ニセンコトヲ計リタレハ一時ニ流通貨幣ヲ減シタルニ由リ、十五・六・七・八ノ四年間ハ商業再ヒ萎靡シ物価年一年ニ下落シタリ、即チ先ニ紙幣増発ノタメニ騰貴シタル丈ノ価ハ紙幣ノ引上ケラルヽ丈下落シタルモノニシテ商業ハ沈滞シテ振ハサリキ、俗ニ所謂頭重シト云ヒテ必要口ノ外ハ取引スルモノナキニ至リタリ、然ルニ十九年ニ至リテハ或ル一部ハ稍々景気付キタリ是レ紙幣ト銀貨トノ価平衡スルニ至リタルカタメナリ、而シテ一方ニ稍々景気ヲ得ルト同時ニ他ノ一方ニ日本銀行ヲ設立シテ兌換券ヲ発行シ従来流通シタル不換紙幣ヲ引上ケタレハ漸ク紙幣ヲ信用シテ銀紙ノ価相一致スルニ至リ此ニ初テ貨幣制度ノ整理ヲ見ル事トナレリ、紙幣ノ信用ヲ回復スルニ従ヒテ婆サンノ巾着ノ中ヨリモ通貨漸次市場ニ出テタリ、米国ニテモ千八百六十一年頃ニハ財政ノ困難ヲ救ハンタメニ一時多クノ紙幣ヲ発行シケレハ一時大ニ商業ノ隆盛ヲ来シタルカ、其後又紙幣ハ銀貨ノ価ニ大差ヲ生シ商業衰ヘタレハ米政府ハ之ヲ救正センタメニ公債証書ヲ発行シテ不換紙幣ヲ引上ケ、終ニ銀紙相平衡スルニ至リテ貯蓄セラレタル通貨又々市場ニ現ハレ金融滑ニシテ金利漸ク低クナレリ、要スルニ金利ハ貨幣ノ需要ノ多少ニアリテ高低アルモノナリ、我国ニ於テモ明治九年ニハ政府ノ借金即公債証書ニハ六歩九三ノ利子ヲ付シ十二・三年ニハ七歩トナシ十九年ニハ五歩トセリ、民間ニ在リテモ信用アル人ノ大金ノ貸借ハ安キハ五歩六歩乃至七歩ヨリ高キモ一割以下トナリ、是ニ於テ金利漸ク低クシテ工業漸ク勃興シ年一年ニ隆盛ニ赴キテ次第ニ基礎モ確立シ利益モ漸ク上ルニ至レリ、是レ即チ前ニ述ヘタル三箇ノ原因相結合スルヲ得タレハナリ、明治二十・二十一・二十二ノ三年間ニハ尤モ工業会社ノ隆起シタル時ニシテ四方八方ニ工業会社ヲ見ルニ至レリ、先日商工会ニテ調査セシ所ニヨレハ此ノ三年間ニ於ケル合本会社ノ実際払込資ハ四千三百万円ノ多キニ上レリ、而シテ其内紡績会社ノ分千四五百万円ニ及ヘリ、盛ナリト謂ハサルヲ得ンヤ
是時ニ至リテ私ハ積年ノ希望ヲ達スルコトヽ思ヒ窃ニ喜ヒ勇ミ居タリシニ、退キテ考フレハ是等俄ノ進歩ニテ未タ商業ヲ営ミタルコトモナク少シノ経験モ積マサル人々ノ事業ナレハ如何ナラント第二ノ憂慮ノ種トナレリ、果セル哉、其事業ハ成立セシモ十分ナル利益モナク約束ノ株金ハ入金セラレ株主ハ未タ払込ヲ終ラサルニ懐中既ニ空シクナリ会社ヨリ払込ヲ催促スルモ之ニ応スルコト能ハス、会社モ困レハ株主モ困ル有様トハナレリ
抑モ当時即チ明治二十一・二年ノ頃ニハ初メ我等ノ利益アル事業ナリ
 - 第26巻 p.129 -ページ画像 
工業ハ利益多シト指称セシ事業ニハ我モ我モト同業ヲ起シ互ニ競争スルノ有様ニテ、一人ヨシト云ヘハ万人皆之ヲヨシトシテ共ニ同一ノ業ヲ企ツルヲ以テ、共ニ栄ヘ行クヘキノ理ナキハ固ヨリ明ナリ、且ツ会社事業ノ勃興スルニ従ヒテ株券ノ価非常ニ好況ヲ呈シタル故、此ノ間ニ乗シテ株券売買券ノ目的トシテ名ヲ工業会社ニ借リテ設立スル所謂山師業ナルモノ起リタリ、即チ工業ノ盛衰ハ敢テ意ニ介セス、唯々株券サヘ騰貴スレハ其希望ヲ達シ得ルトイフ連中比々トシテ起リタリ、多クハ此ノ株ヲ有シ居ラハ必ス幾円ノ騰貴アルヘシ、其時ニ売ランナト考ヘ居ル者ニシテ、真ニ工業ノ発達ヲ希ヒ、之ヨリ生スル利益ヲ得ン事ヲ楽ミ居ル者ハ甚タ少カリキ、初メ其会社ヲ創立スルヤ株主申込人ハ先ヲ争ヒテ来リシカ、今日ハ争ヒテ退カン事ヲ欲シ、如何ニモシテ払込ヲ逃レンコトヲ希ヒ、株券ヲ投売リスル者引モ切ラサルノ勢ナレハ、其株券ハ日ニ下落シ、会社ノ信用ハ月ニ衰ヘテ、商業社会ハ正ニ困難ノ穽中ニアリ、既ニ本年二・三月ノ比、東京ト大阪ノ商人ハ其金融ノ途ヲ開カントシテ、政府ト日本銀行ニ請願シテ保護アランコトヲ望ミタルモ、実ニ止ムヲ得サル次第ナリ
之ヲ要スルニ、明治十四年頃ヨリ奨励シタル工業ハ今ヤ漸ク其形ノ成リタマテニテ、外観甚タ盛ニシテ喜フヘキニ似タリト雖モ、其内部ヲ解剖スルトキハ未タ賀スルニ足ラサルナリ、一体日本人ハ人カ善シトテ為セハ輙ク之ヲ軽信シ、自ラ考ヘ自ラ胸算当ヲ為シテ、此ハ果シテ利益アルヘシ、彼ハ必ス成功スヘシ、ト断案ヲ立テヽ事ヲ成サヽルノ傾向アリ、此ノ傾向ハ誠ニ吾人ノ慎ミテ避クヘキモノナリ、日本人ハ智識未タ十分ナラサルヨリ如何ナル事ヲ為シテ真ニ利アリヤ否ヤヲ研究セス、自ラ労スル事ヲ為サスシテ、人カ労シ苦ミテ之カ善カラン之ハ利アラント云ヘハ、直ニ之ヲ真似スルカ故ニ、善キモ悪シキモ人真似ヲ為シ、人カ風ヲ引ケハ己モ風ヲ引ト云フ有様ナリ、先ニ紡績業ハ我国ニ利アルヘシト勧励セシニ幾十ノ紡績会社ヲ起セリ、一般ノ事皆然リ、工業ノ勃興シタルハ工業ノ盛大ヲ望ミテ勃興シタルモノニアラスシテ、主トシテ株式ノ売買ヲ目的トシタルモノナリ、斯ル会社ノ起ルハ真実工業家ハ甚タ迷惑ニ思フナリ、真ノ工業家ハ甚タ之ヲ悪ミ、之ヲ憂フル者ナリ
昨年マテハ甚タ盛況ヲ装ヒタル工業社会カ、今年ノ春ヨリ今日マテ大ナル困難ヲ感シ、実際惨状ニ陥リタルハ、(第一)会社勘定ニ困リタルコト(第二)ニ輸出品少ナクシテ輸入品ノ多カリシコト(第三)株主カ会社ノ利益ヲ外ニシテ株式ノ利益ニ熱中スルコト其主因タラスンハアラス、然レトモ此等ノ事情ハ早晩消滅スヘキモノナリ、果シテ然ラハ工業ハ今後利益アルヤ否ヤヲ熟考スルコト最モ肝要ナリトス、私ハ此ノ業ヲ為シ遂ケント初メヨリ固ク信シタリ、又今日利益ノ少ナキモノ或ハ全ク之ナキモノハ右ノ三原因ニ妨ケラレタルニハアラスシテ、未タ利益ヲ得ルニ至ルノ時間ナキニ由ルモノ甚タ多シ、然ルヲ世人カ山師連ノ事業ヲ見テ大ニ驚キ、凡ソ工業ハ危険ナリトシテ、是等ノ会社ニ対シ其払込ミヲ厭フ者アルハ、私モ大ニ憂フル所ナリ、尤モ其設立シタル儘ノモノ及成立ニ困難スルモノハ、全ク最初ニ十分ノ考ヘモセス調査モセス人真似ニ依リテ成リシモノ、又ハ株式売買ヲ目的トシ
 - 第26巻 p.130 -ページ画像 
テ組織セラレタルモノニ係ルモノ多シ、然レトモ斯ルモノアルカ為ニ真ニ望ミアルモノマテモ同一視セラレテ株金ノ払込ヲ拒ムカ如キモノモ亦少シトセス、誠ニ惜ムヘキコトニアラスヤ、之ヲ我工業ノ現状ト見テ不可ナカラン
果シテ然ラハ将来ニ向ヒテハ如何、営業継続スルヤ否ヤノ疑問ヲ起スナランカ、凡テ事物ハ一直線ニ進ミ行カルヽモノニアラス、或ハ倒レ或ハ躓キ、種々ノ艱難ヲ経辛苦ヲ嘗メ始テ成功ヲ見ルヘキモノナリ、物ヲ造ルニモ長カルヘキヲ短クシ狭カルヘキヲ広クスル等種々失策ヲ為シタル後チ漸ク精巧ノ称ヲ得ルニ至ルヘシ、即チ途中ニ障害ノアルヘキハ予メ之ヲ期セサルヘカラス、其躓キアルカタメニ望ミ絶ヘタリトハイフヘカラス、故ニ工業ニモ前述セルカ如キ出来事アリシカタメニ将来ニ望ナシトハ決シテイフヘカラス、是ヨリハ更ニ忍耐シ更ニ勉強スルコソ肝要ナレ、決シテ落胆シ決シテ失望スヘカラサルナリ、若シ更ニ忍耐シ更ニ勉強シテ而シテ後尚ホ発達セス利益ナキニ於テハ、渋沢栄一ノ意見ハ誤リタルナリ、日本ノ工業ハ亡フルナリ、然レトモ日本工業ノ真ニ発達スルヤ必ス数年ノ後ニアラン、若シ数年ヲ経過シタル暁ニ至ラハ、栄一ノ意見ハ必ス工業ノ上ニ証明セラルヽニ至ラン聊カ意見ヲ陳シテ参考ニ資ス