デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
1款 東京商法講習所
■綱文

第26巻 p.535-554(DK260085k) ページ画像

明治14年7月26日(1881年)

是日東京府会、当講習所経費ノ支出ヲ拒ミ、ソノ廃止ヲ議決ス。栄一、府知事松田道之及ビ農商務卿河野敏鎌ニ謀リ、農商務省ノ補助ヲ得テ之ヲ存続セシム。


■資料

東京高等商業学校同窓会会誌 第六一号 明治四一年一二月 【○上略 然るに恰度明治…】(DK260085k-0001)
第26巻 p.535-536 ページ画像

東京高等商業学校同窓会会誌  第六一号 明治四一年一二月
○上略
然るに恰度明治十五年《(マヽ)》に至りて、尤も十二年に東京府会といふ者が成立して、此府会に出た連中が、其時分には何でも行政官に対しては、経費を節約せしむるが政治家の本務といふやうな有様であつた。又二十三年国会の出来るやうになつたのも、恰度其風潮でずつとやつて来ましたが、当時の東京府に対して左様です、先づ第一に養育院を廃止せい、学校を廃止せい、今迄の役人が馬鹿な事ばかりして居る、無駄な銭を使ふと云ふ方の議論で、そこで商業教育は東京府には必要がないと云ふので、之を廃めるといふ議論が出た。それと同時に三菱が此高等商業学校を引受けやうといふ事になつた。併し私は三菱を嫌ふ訳ではないけれとも、個人の学校になると云ふことは情ない、既に森さんの時分に必要ありとして費用を出して補助して、それから続いて段段に生徒も出来て、大きに教育の効能を有つて来て居るのに、どうしても東京府が是位の維持が出来ぬと云ふのは実に情ない、東京府には必要がないと云つて府会で廃めるといふ以上は、最早分らぬ人達であるから仕様がない、是非政府で持つてくれと云ふて其事を請願したがなかなか政府でもそれだけの金は出せぬ。彼此と論じた末に、途中に東京府会で議決して廃止としたものであるから、其の廃されたと云ふに就て拠なしに、議論の末農商務省が一年継続した。其時は何でも費額が僅に年一万円位でありました、実に軽少なものであつた。それから吾々共其時分の商業学校廃滅をひどく憂へる人々が打寄つて、恰度十六年に芳川さんが東京府知事になつた、此の芳川さんを頻に説いて是非これは府知事の力を以て、政府に維持されるやうに心配してくれと云ふことを頼んだ。所が芳川さんが、市民の希望が強いと云ふ証拠を此に現さぬと、政府で維持させると云ふことが甚だしにくい。其の方法は如何にして宜いかと云へば、せめて玆に数万の金でも寄附すると云ふやうな工夫はつくまいかと云ふことになつた、併し今日のやうに商会とか会社とか云ふものが力強くございませぬから、直に資金を醵出すると云ふことも骨は折れましたけれども、まあ吾々は最も主唱者であつたから大に論じてとうとう其時には今の銀行集会所です、銀行者仲間で九千円ばかりを寄附すると云ふことに相談を詰めたと覚え
 - 第26巻 p.536 -ページ画像 
て居る、総体で四万円か三万六千円ばかりの寄附金が出来た。それを芳川さんに、斯く必要を感ずる人が多い為め、是程の金額をも寄附するのであるから、是非政府に維持してくれと云ふことを主張して、やはり其翌年も農商務省が維持すると云ふことになつて、其翌々年ですから、十八年に初めてこれが文部省に移つて、全く安全なる官立学校になつて、夫れから存廃に就て吾々が頭を悩ますことはないと云ふことになつた ○下略
   ○右ハ明治四十一年十月二日横浜銀行集会所ニ於テ催サレタル、東京高等商業学校同窓会横浜支部第四十二回例会ニ於ケル、栄一ノ演説ノ一節ナリ。


明治十四年東京府通常会議事表(DK260085k-0002)
第26巻 p.536 ページ画像

明治十四年東京府通常会議事表     (東京府庁所蔵)
             ○印ハ指令ヲ要セサルモノ《(太字ハ朱書)》

図表を画像で表示明治十四年東京府通常会議事表

 番号      項目         常置委員会   一次会    二次会      三次会   上申      指令                            六月廿日廃                 六月廿二日 区第三号    教育費商法講習所費  五月十七日   再議     七月十九日廃         七月廿日     ○                            七月十二日                         七月廿五日                              十八日 共有金議案号外 商法講習所経費予算  七月廿六日廃                        七月廿七日    ○ 




   ○右二項ニ就イテハ議事録ナシ。


中外物価新報 第四一一号 明治一四年六月二五日 東京商法講習所(DK260085k-0003)
第26巻 p.536-537 ページ画像

中外物価新報  第四一一号 明治一四年六月二五日
    東京商法講習所
我が東京商法講習所は当六月三十日を以て廃絶の期となれり、寔とに吾輩の一大歎息を発せさるを得さる所あり、然りと雖も此校は元来府税を以て設立しあるものなれは、其費目を定むる為あ府知事より議案を府会に下し、府会議員は其費目を討議の末へ其費を支出するを肯んせす、遂に廃案に決したるものなれは、其論の当否は姑らく措き、即ち我東京府民か此校費の支出を止めるものなれば今更府会に対ひ敢て一言を呈するを好ます、只止むを得ざるに付せんのみ
吾輩か此の商業の学校に関し本新報紙上に筆を駆馳せしや既に数度にして読者は必す記憶せらるゝならん、回顧すれは吾輩か此校に望みを属する久矣と云ふへし、抑も我か国今日商売の情況を察するに実に幼稚と謂はさるを得す、然るに時勢は日に月に進歩、駟馬も追ふ可からさるの勢ひなるに独り商売の一途に於て其道を開柝するの疎なるは吾輩の毎に怪しむに耐へさる所なり、今日の商売は従前の商売と異なり之れを振作せんには人物を養成するの第一着手なるは今更云ふ迄もなきことなり、今商売の子弟を養成して正真の商人と為さんと欲するもの、復昔日の丁稚奉公を以て足れりとするか、決して然からさるへし果して然らすとせは又安くに去て其養成所を索めんとするや、日本全国此一の講習所ありしのみ、現に廃案主張の論者と雖も該校の世に必用なるは新しく明言せられし所なりと聞けり
或は又此校を認めて他の一二の私学校と一般単に簿記法及び洋学を授け西洋の商法を講するものゝ如くに看做し、普通我か商賈に切用ならすと云ふものあり、是れ甚たしき妄想にして其実際を知らさるものゝ誣言なり、決して該校は如斯き不急の教場にあらさるなり、昨年以来該校は其教則の改良を謀り府知事よりも商法会議所に托して其方法を
 - 第26巻 p.537 -ページ画像 
調理せしめ我か商売の慣習は云ふに及はす、筆算其他実際に緊要なるものを教授し卒業の日より現場何れの店に雇はるゝとも手代番頭の場合は勤め得らるゝ丈けの薫陶を為し、其上尚御望みに依りては簿記法より外国の商売法をも教授し、完全なる一己独立の商人たるへきものを養成し得へき結構なりと聞けり、果して如斯は如何なる小商人の子弟と雖も是を学はすして可ならんや、是れ吾輩の此廃校を深く惜しむ所以なり(以下次号)


中外物価新報 第四一二号 明治一四年六月二九日 東京商法講習所(前号の続き)(DK260085k-0004)
第26巻 p.537-538 ページ画像

中外物価新報  第四一二号 明治一四年六月二九日
    東京商法講習所(前号の続き)
夫れ商業の盛衰は国家貧富の由て判るゝ所なり、商業繁盛なれば農産も蕃殖すべく工業も振起すべし、商業衰頽すれば安くんぞ農工独り振ふを得んや、然るに我が国従前の風習なる商賈を卑しむ甚たしきを以て、維新後百般改進の時勢に遭際し世の学士論者も稍商業の伸縮に思想を傾むくるに至りしと雖も、又一方より観察を下せば未た幾分か此積習を脱し能はざる所のもの有て存するが如し、試に看よ、政府は夙とに国家の開進富強を謀り、農には駒場農学校あり、下総模範場《(牧脱カ)》あり工には巍然たる工部大学校あり、其他博覧会あり、共進会あり、美術会あり、農談会あり、皆是れ農工を勧奨誘導するの目的に外ならず而して独り商事に至ては一の専門学校の設立なきは豈明世の一大欠典と言はざる可けんや、是れ畢竟積年の余習上下人士 《(の)》脳裏に住在するを以て、知らず識らず商業を振作鼓舞するの計画に於て一着に緩にし竟に今日の現状に帰せしものならん
今や吾輩の望みを属せし商校は既に廃滅せり、今より後ち商家の子弟は何れの校舎に依頼して薫陶を受けしめんとするか、府下大小の学校千を以て数ふへしと雖も、普通小学校を除くの外は大約皆な弁士論者を養成するの校舎ならされは法理文工医等専門高尚の学あるのみ、安くに去て吾輩商賈の子弟を陶冶するの校舎を索めん、嗚呼既往は追ふべからず、吾輩偏へに当路の君子に望む、彼の商法講習所に代るべき一の商校を官立せられんことを
論者或は云はん、商校の如きは府下有名なる豪商の一己独力或は数家の協力を以て設立すべく、何そ国費を以て官設するを要せんやと、此言や一応理あるか如し、且現に今日の勢ひ商校の設立を冀望するもの寡なからされは、之れを任放するも必すや多少の校舎は起るへしと雖も、其れを以て一般の商賈社会を満足せしむへしと云ふは到底門外漢の言たるを免かれす、如何となれは一己或は数家にて設立するの校舎は到底其一己数家が自ら為めにせんとするの校舎なり、広く一般の商賈に満足を与ふべきにあらず、良しや公共の為めに設立する校舎と雖も其費用を負担するもの一己数家に局る時は人情具一己数家の都合を謀るを以て自ら広く世上を益するの勢力を減するは亦已むを得さるの情態と云ふへし、此事情を避けて商家に公同の便利を与へんには官設の商校を起すに如くはなし、是れ吾輩の当路に望む所以なり
今や政府は特に農商務省を置かれ将に大に商業の振起を画策せらるゝ所なりと聞く、商法講習所の廃滅は事小なりと雖も其関係する所頗る
 - 第26巻 p.538 -ページ画像 
大なり、既に東京商法会議所に於ても該校の保存方を建議すべきに決せりと、果して然らば当路亦其人あり、吾輩の冀望も敢て画餅に属せざるべし、書して以て其結果を竢たんと欲す(畢)


中外物価新報 第四一五号 明治一四年七月九日 【○東京商法講習所にて…】(DK260085k-0005)
第26巻 p.538 ページ画像

中外物価新報  第四一五号 明治一四年七月九日
○東京商法講習所にては本年の第二回内国勧業博覧会へ商業教育の諸具を出品せしか、左の通り総裁の宮より褒状を下与せられたり
  商業教育具
 本邦商業専門の教ある此校其嚆矢たり、但未た大ひに振ふを得すと雖ども、講習の課業漸く将さに完備せんとし、才能の子弟輩出す、而して此校商業に改進の関する少なからす、其効固より大なりとす頗ふる嘉すへし
此褒状を見るも其今日に有要欠くへからさるの校舎なるを知るに足らん、然るに我か東京府会は敢て無用視するにはあらさるへけれと入費減雑の論勢強く竟に廃滅に帰せしは甚た遺憾の事なりき


中外物価新報 第四一九号 明治一四年七月二三日 【○商法講習所の事も弥…】(DK260085k-0006)
第26巻 p.538 ページ画像

中外物価新報  第四一九号 明治一四年七月二三日
○商法講習所の事も弥府会の再議となり、去十九日再び議事を開きしが遂に府税にては支弁せず、府下共有金の利息より弁ずることに決し第二次会に費額の細目を議定せしも、三次会に及び総決議を為すに当り、又々廃案の説起り、終に之を起立に問しに一人の少数にて廃案ととなれり、其後傍聴を禁じたる議事ありしか、是も亦講習所の事にて此議事には府知事も臨席あり、其理由を聞かれしと歟、又来る廿五日は府下共有金の議事を開き、弥之を以て講習所の費額を支弁するや否やを審議するよし、扨々六ケしき事とはなりぬ


東京府通常議会議事録[東京府通常会議事録] 第四一号 明治一四年(DK260085k-0007)
第26巻 p.538-543 ページ画像

東京府通常議会議事録[東京府通常会議事録]  第四一号 明治一四年    (東京府庁所蔵)
 明治十四年七月二十六日午後第五時四十分 河田烋記
      闕席   関岡孝治       後藤庄吉郎
           小疇治郎兵衛     木寺安敦
           伊藤定七       坪内定益
           水野徳右衛門     青木庄太郎
           吉田丹兵衛      升本喜兵衛
           川島喜三郎      轟道賢
           塩谷良幹       喜谷市郎右衛門
    区部会
○議長芳野世経曰 議長ハ意見アル趣ナレハ本員代リ議長タリ、今日ハ共有金議案ノ号外ヲ下附セラレタレハ、此ノ一次会ヲ開クヘシ
  書記朗読
 共有金号外議案
    明治十四年度商法講習所経費予算
   一金三千六百円           俸給
     内
   金千弐百円               所長月給
 - 第26巻 p.539 -ページ画像 
    但月給金百円壱名
   金千八百六拾円              教員月給
    但月給金五拾五円一名・金弐拾五円一名・金弐拾円三名・金拾五円一名
   金五百四拾円               傭月給
    但事務掛月給金弐拾五円一名・弐拾円壱名
 一金九百弐拾弐円             給与
     内
   金八百七拾八円弐拾銭           諸雇給
    但小使月給金五円四名此金弐百四拾円・教科書編輯給金六百円・臨時雇上ケ人足賃金参拾八円弐拾銭、併テ如本文
   金四拾三円八拾銭             諸賄料
    但宿直一名一泊金七銭ツヽ此金弐拾五円五拾五銭・小使一名一泊金五銭ツヽ此金拾八円弐拾五銭、併テ如本文
 一金五百九拾三円             校費
     内
   金五百弐拾三円              需用費
     内
    金八拾七円               備品費
     但書筐・長持・椅子・テーブル・硯・錐・小刀ノ類新調補理費
    金四百三拾六円
     但筆墨・紙・インキ・ペン・新聞紙・薪炭・油・蝋燭其他諸費
   金七円                  郵便電信
   金六拾三円
    但協議費・上水井賦金・新聞広告料ニ充ツ
 一金三千六百円                外国人費
  但教師傭月給金弐百円一名・金百円一名
 一金九百弐拾円                営繕費
     内
   金四百九拾六円                新営費
    但講堂拾弐坪ニ付金弐拾五円此金三百円、並ニ東側板塀五十六間、壱間ニ付金三円五拾銭、此金百九拾六円
   金四百弐拾四円                修繕費
    但講堂・旧教師館・瓦屋・応接所・門脇平家其他小修繕ノ見込、金弐百八拾円、並ニ講堂喫飯所トタン屋根四拾六坪六合七勺張替、壱坪ニ付金三円八銭五厘余、此金百四拾四円
 合計金九千六百三十五円
     内
   金千六百八十円           生徒授業料
   金七千九百五十五円         十五区共有金ヨリ弁スル分
 以上経費予算額ナルヲ以テ、若シ不測ノ事故ヨリ実費ニ不足ヲ生スルカ、或ヒハ授業料ノ収入減少スル等ノ事アルトキハ常置委員ノ会議ニ付シ、共有金当座預ケノ内ヨリ支弁スルモノトス
○十番町田今亮君曰 常置委員ニ於テハ本案ニハ総テ修正ヲ加ヘタル事ナシ、此儘ニテ至当トセリ、依テ之レヲ報道ス
○四十八番鈴木唯一曰 曾テ地方税議案トナシテ出タサレシ時ニ之レヲ廃案ト決シタル其主意ハ、区ノ金ヲ以テ之レヲ設立スルニ及ハズトナスニアリ、是レ必竟此学校ノ必用ナルヲ見出サヾレハナラン、左スレハ共有金ナリトテモ亦人民ノ金ナレハ、之ニテ支弁スルモ地方税ヲ以テスルモ左ノミ異ナル事ナキカ故ニ、矢張此方ニテモ廃案
 - 第26巻 p.540 -ページ画像 
トスヘシ
○十一番牧山源兵衛曰 地方税議案ニテ再議迄ヲモ開カレタルニ、遂ニ廃案トナリシ事ニシテ、既ニ討論ヲモ尽シタル事ナリ、四十八番ヲ賛成ス
○五十八番和久井久太郎曰 四十八番ト同意ナリ
○三番小松崎茂助曰 之レハ先日ヨリ申ス如シ、廃案トスヘシ
○六十一番田口卯吉曰 共有金ト地方税トハ自ラ其性質ヲ異ニセリ、一ハ地方税ノ如ク各個ヨリ出タスモノニアラズ、タトヒ其元ハ稍々租税ノ性質ヲ帯ヒタルモノニモセヨ、今ハ先祖ヨリ受取リタル財本ナリ、蓋シ之レヲ積立テシ所ノ先祖ノ意モ其用方ハ之レヲ我々ニ許セシナルベシ、故ニ之レヲ有益ナル事ニ支弁スルナレハ、強チ救荒ノミニ出ストスルニモ及ハザルベシ、況ヤ其利子ノ如キハ全ク之レヲ遣ハズニアル事ナレハ、空シク積ミ立テ置カンヨリハ、府下ノ為メトナル事ナレハ之レニ向ヒ支弁スル方カ宜シキニ非スヤ、若シ此利子ヲ以テ地方税ノ不足ヲ補フナレハ之レハ別論ナルモ、然レトモ今ヤ決シテ地方税ノ不足ヲ共有金ニ仰クヲ須ヒサルナリ、左レハ此利子ハ空シク積ミ置クニ過キス、之レヲ積ミ置クモ必竟後来ニ利益アル事ニ向ヒ支弁スルノ事ナルベシ、或ハ府債ヲモ募ラサルヲ得サルノ時ニテモ起リタランニハ、之レヲ遣フ事モアルナラン、到底此事ヲ分析スレハ其利益ハ各自銘々ニ及ハサルモ一府ノ利益トナル者ニ向ヒ遣フ者ナルヘシ、左スレハ地方税トハ其性質異ナル者ナリ、依テ考フレハ之レヲ以テ商法講習所ヲ設クルハ敢テ不可ナカルベシ即チ我カ府下ハ商業ノ取引ニ於テ未タ完全ヲ得サル所ナレハ、之ヲ開導スルノ学校ヲ設立スルハ我カ府下ノ裨益トナルナリ、其余力ハ全国ニ及ホスニハ相違ナケレトモ、我カ府ノ共有金ヲ以テ之レヲ得ルナレハ、是レ我府ノ栄誉ハ長ク不朽ニ伝フル事ナラン、普通ノ学校ハ既ニ随所ニ十分ナレトモ、未タ商法専門ノ者ハ之アラサルナリ左リ迚凡ソ学校ナル者ハ租税ヲ以テ立ツヘキ限リノ者ニ非ス、聞ク外国ニテハ学校ニハ皆其所属ノ地所アリテ之ヲ以テ維持シ得ルトナリ、今此共有金ノ利子ナレハ稍々之レニ庶幾シ、空シク此利子ヲ積ミ置クニ比スレハ甚愈レリ、依テ本員ハ地方税支弁ノ時ニハ第一ノ反対論者ナルニモ拘ラス、此原案ヲ可トスルナリ
○七十番条野伝平曰 本員モ原案ヲ以テ至当ナリトス、此共有金ト地方税ト異ナルノ点ハ既ニ六十一番ヨリ申サレタレバ贅言セサレトモ元来之レヲ積ミ立タルモノハ、中ニハ旧幕府ノ坊主衆又ハ金銀座ノ役人モアリタレトモ、概シテ当時ノ町人ノ積ミ立タルモノナリ、其商人ノ積ミタル金ノ利子ヲ以テ、商法ヲ進捗セシムルノ学校ヲ起スハ、其因アリ、其縁アリテ甚タ至当ナリトス、依テ直ニ二次会ヲ開カレタシ
○三番小松崎茂助曰 六十一番ヨリ性質ヲ論セラレタレトモ、私シ共モ其等ハ皆承知ノ事ナリ、併シ之レヲ積ミ立タルノ本意ハ皆救荒ノ備ヘトナスニアリ、斯々ル先人ノ志ヲ水泡ニナス事ヲ欲セサルナリ元ト救荒ノ主意ナレハ、或ハ施療券ノ如キニ支出スルナレハ稍々其性質ニ近キモ、之レハ今年ハ廃止シ而シテ未タ左ノミ功モナキ商法
 - 第26巻 p.541 -ページ画像 
講習所ニ之レヲ支出スルニ及バズ、既ニ六十一番モ曾テ此商法講習所ハ一小部分ノ利益トナルノミト申サレシニ非ズヤ、況ヤ此共有金ハ備荒儲蓄ヲ議スルニ当リ其金ヲ動カス見込アルモノナレハ、決シテ此学校ノ如キニ出スヘキニ非サルナリ
○中略
○四十九番福地源一郎曰 又再商法講習所ハ問題トナリシカ、本員ハ宜シク之ヲ議スヘキ者ナリトシ、為メニ二次会ヲ開カレン事ヲ望ム本案ニ向ヒ兎角ニ不承知トスル諸君ノ論拠ハ、第一ハ此学校ハ必用ナラズトシ、第二ハ共有金ナル者ハ如此ニ向ヒテ使用スヘカラストナリ、其必用ナルヤ如何ハ之レヲ後段ニ申ス事トシ先ツ一言スルハ前会ニモ申シタル如ク抑モ此学校ハ、其創立ハ地方税ヲ以テセシヤ共有金ヲ以テセシヤト云ハ、共有金之カ最初ノ支弁ヲナセシ者ナリ既ニ其時モ府知事一個ノ量見ヲ以テセシニ非ス、此共有金ヲ受継キタル人ニテ議決セシ事ナリ、其後便宜ヲ以テ地方税ニテ受継キタル事ニテ延ヒテ今日ニ至タレリ、而シテ今年ノ如キ地方税ノ負担重キ時ニハ、旧ノ如ク共有金ニテ受取ルハ至極適当ナル事ト申スベシ、殊ニ共有金ノ積ミ立テハ先キニ七十番ヨリモ述ヘラレシ如ク、当時ノ町人ニテ之レヲ積タル者ナレハ、之レヲ以テ商家ニ利益アル者ヲ起スハ尤縁故アル事ニアラズヤ、又此学校ヲ以テ必用ナラストスル者ハ我カ府ノ現状ト後来ヲ如何考フルヤ、商法トテモ他ノ事物ト同シク進歩ヲ為サザル可カラサル者ナリ、苟シクモ東京ノ富ヲ謀ラントスル者カ、明治十四年ノ今日モ其商法術ハ依然ト天保・嘉永ノ度ニ止マリテ猶ホ利益アリト甘ンスルヤ、知ラスヤ天保・嘉永ニハ夢ニモ知ラサル所ノ銀行ナリ、会社ナリ、汽船ナリ、電信ナリ、保険法ナリ、為換法ナリ、交モ起ルノ時ニアタリ、之レニ応スルノ術ナクテ利益アリトセラルヽヤ、是レ恰モ其圃ヲ耕サスシテ収穫ヲ欲スル者ナリ、又質屋・呉服屋ニ取リテハ商法講習所ハ其益ナシト考フルヤ、之レ其商賈カ未タニ水野越前守時代ノ商業ヲ営ムガ故ナリ、此等ハ法律ノ進捗スルニ従ヒ最早旧体ヲ墨守スル事ハ能ハサル事ナラン、左レハ我々ハ玆ニ早ク目ヲ付ケテ置カサレハ、其富ヲ培養スル事ハ蓋シ能ハサルヘシ、然ランニハ之ヲ以テ其人ヲ養成セサルヘカラス、之レヲ忌ム者ハ是レ東京ノ富ヲ殖サン事ヲ忌ムト謂フモ、敢テ誣言ニ非サルベシ、実ニ浅間敷思想ナラズヤ、又或ル者ハ此金ヲ目シテ曰ク、之レハ祖先ノ救恤ノ為メニ積ミ置キタル者ナリト、蓋シ其起原ニ溯リナハ其レ然ラン、而シテ共有金支出ノ現時ノ予算ト決算トヲ見ルヘシ、稍々救恤ノ意ヲ含ミ居ル者ハ僅カニ出火ノ節焚出シノ一項アルノミ、之レノミ寛政年来ノ仕事ノ残リタル者ナレトモ、之レトテモ其費用トテハ僅カニ八百余円ニシテ、十四年度ノ予算ニハ千円ヲ理事者ヨリ求メラルヽニ過ギズ、而シテ此共有金ノ利子ハ四万円ノ多ニ至レリ、之レヲ空シク積メハトテ更ニ其功能ハナカルヘシ、宜ヘナリ六十一番ノ之レヲ死金トセラレシヤ、縦令利ヲ生スルモ其用ナクハ地中ニ埋ムルト同シ事ナリ、若シ此四万円ニシテ他ニ支出ナスヘキモノアルナレハ知ラス、今ヤ余リアルニ当リ之レヲ此商法講習所ニ消費スルモ更ニ不都合ナキノミナラズ、祖先
 - 第26巻 p.542 -ページ画像 
ノ意ハ救恤ニモセヨ、既ニ其余沢ニテ商法ヲ進歩セシムルノ学校ヲ作ル事ナレハ、在天ノ霊モ蓋シ欣喜セラルヽナルヘシ、殊ニ救恤ノ事タル一方ニハ備荒儲蓄法アリテ、之レハ配付金モアル事ニシテ、議場ノ考ヘ次第如何様トモナルヘシ、此共有金ヲ以テスルト決スルモ、四万円ニ余ル金額ナレハ一万円ヲ商法講習所ニ消費スレハトテ三万円ハ猶ホ剰余アルヘシ、之レヲ以テ何ニモ議決シ得ル事ナリ、而シテ此僅カニ壱万円ノ金ヲ以テ、将来拾万円・弐拾万円ノミナラズ、幾千倍ノ利益トモナルヘキ為メニ商法ヲ進歩セシムルノ具ヲ備フルハ、我々ノ最モ望ムヘキ事ニ非ズヤ、左レハ一概ニ本案ヲ廃セントスルハ亦老練ノ考ヘトモ申シ難ケレハ、諸君宜シク玆ニ眼ヲ注カレテ以テ本員ニ同意アラン事ヲ望ム
○六番藤田茂吉曰 共有金ヲ以テ之レヲ維持スルノ説ヲ聞キシニ、本員ハ未タ其理由ヲ見出サズ、抑玆ニ金アリテ之レヲ何レニ向ツテ支弁セハ利益アルヘキヤト見込ヲ付ルカ、其所有者ノ第一緊要ナル事ナルヘシ、此共有金ハ十五区之レカ所有主ニテ、之レヲ左右スルハ我々ノ権内ニアリ、然ルニ今之レヲ商法講習所ノ如キ者ニ支弁スルハ、其利益アルヤ否ヤニ最モ注目セサルヘカラズ、故ニ本員ハ其性質又ハ変遷ニハ拘ハラズ、既ニ地方税ニ於テ其直打ナシトセシ者ナレハ、共有金ノ方ニテ之レヲ買込ムニ及ハサル事ナリ、殊ニ前会迄ハ前年度ヨリノ引続キト申ス事モアレハ、稍々之レヲ維持スルノ理由アレトモ、今更メテ共有金議案トナリテノ事ナレハ、之ヲ新タニ設クル者ト見做シテ可ナリ、左レハ凡ソ物ヲ創立スルニハ、其利ヲ十分ニ見込マサルヘカラサルニ、或ル論者ハ将来ニ望ミアリテ府下ノ富源ヲ増殖スル者ト云ハレタレトモ、固ヨリ後来ハ無形ノモノタルヲ以テ碩学大儒ヲ輩出スルカハ知ラスト雖トモ、益アルヤ否ハ今日ニ之レヲ保スル能ハサルモノナレハ、空漠タル見込ニシテ他ノ事物ヲ節倹スル中ニテ、是非之レヲ設ケサルヘカラズトスル如キ必用ハ見出ス能ハズ、之レヲ必用トスルハ四十九番モ申サレシ通リ、会社其他ノ一二ニ過キサルベシ、果シテ此等ニ向テ必用ナリトセバ、此等ノ人ニ於テ自ラ之レヲ設クルナラン、今ヤ之レヲ廃スルハ残酷ニテモ吝嗇ニテモナシ、甚タ至当ナル事ナレハ廃棄セン事ヲ望ム
○中略
  府知事ハ議長ニ請ヒ自ラ番外ノ席ニ着ク
○中略
○番外一番松田府知事曰 最早決ヲ取ラルヽナランカ、拙者殊更ニ番外ノ席ニ着キテ之レヲ維持セントスルノ主意ヲ一応申述ベン、決シテ論理ヲ争フニハアラサレトモ、必スヤ一二ノ主意ヲ以テ之レヲ維持セサルヲ得サルノ場合トナレルニヨリテナリ、其次第ハ共有金ノ議案タルヤ、拙者ニ於テ之レヲ発スルノ立チ場ハ之レヲ管理スルヨリノ事ナリ、即チ議場ハ其出納ノ総体ヲ議スルノ場合、拙者ハ之レヲ管守スルノ場合ナリ、モシ不幸ニシテ本案廃棄トナレハ、地方税ノ処置ハ共有金ノ処置トハ、其性質ト事柄トヨリシテ職務上ニ差異アルニヨリ、拙者ニ於テハ迷惑ナル事トナルヘシ、故ニ維持シ得ル丈ハ之レヲ維持セサルヲ得ス、若シ地方税ノ議案ナレハ、勿論好マ
 - 第26巻 p.543 -ページ画像 
ヌ事ナレトモ或ハ不認可ヲナスノ権モアル事乍ラ、此案ハ拙者モ諸君ト共ニ管護スル者ナレハ、縦令廃棄トナルトモ黙シテ止ムノミニテ如何トモ致シ方ナシ、蓋シ諸君ニ於テハ之ヲ廃スルノ理由アリテ之レヲ廃棄スト自説ヲ維持セラルヽ事ニシテ、縦令商法講習所ハ倒ルヽモ更ニ顧慮スル所モナカルヘキ事乍ラ、拙者ニ於テハ然ラス、既ニ前会ヲ顧ミレハ地方税ノ方ニテ廃棄トナリ、共有金トスルノ説モ起リタリシカ、其金コソ異ナレ木挽町ノ商法講習所ハ則チ一ニシテ、必竟其資本ノ出シ方ヲ変セシノミナリ、然ルニ主トシテ弁シ置カサレハ決議ニ関係アルヲ以テ其維持ノ為メニ述ヘントスルハ、最初地方税議案ニ於テ廃案トナリタルモ、之レヲ認可スヘカラスト見タルヨリ法律上ニ於テ再議トセリ、然ルニ再議ノ景況ヲ考フル時ハ前後ノ議論其有様ヲ大ニ違ヘリ、而シテ反対者モ再議ノ理有ナシトハセラレス、之レヲ維持シ之レヲ廃棄スルモ其説ハ前会ニ異ナラサレトモ、再議ヲ無理ナラストスルハ其帰ヲ一ニシタリ、是レ理事者ニ於テハ独リ事ヲ道理ニノミ訴ヘ難キ所以ノモノアルヲ承知セラレタルニ由ルナルヘシ、之レ此講習所ハ昨年ヨリ議決ニ基キテ実行ナシ居リシニ、俄然ト廃止セラレナハ施政上左様ナル急変ヲ行ヒ得ヘキニアラサレハナリ、然ルニ此再議モ二次会ノ終リニイタリ又廃案トナリタルカ、其理由判然セサルニヨリ諮問ヲナシテ其答ヘモアリタリキ、左レトモ拙者ニ於テハ地方税議案ノ廃棄ト見止メ以テ共有金議案ヲ発シタリ、這ハ是迄ノ事乍ラ此後ニ要アレハ述ヘ置クナリ偖今日共有金ノ議案ヲ発スルニ於テハ地方税ノ方ヲ其儘ニハナシ置ケス、拠ロナク地方税ハ認可ナシタリキ、然ルニ先刻某議員ハ理事者ハ既ニ地方税ノ議案ハ認可ナシナカラト申サレシカ、之ハ議決ニ其力ヲ有スル事ナルベシ、之レヲ認可セシハ共有金ノ議案ノ為メナリ、然ラハ何故ニ理事者ハ其権ヲ有シナカラ直ニ不認可トセサルヤト疑モアランガ、之レ理事者ハ事ヲ好ミ弁ヲ好マサルカ故ニシテ、若シ監岳其他ノ諸費ノ如キモノナレハ知ラズ、此講習所ノ如キハ他ニ求ムルノ途アルヲ以テ政治ヲ穏カニセントテ之レヲ忍ンテ認可セシ事ナリ、然ルニ此忍ンタル事柄ヲ却テ廃棄ノ原因トナリテハ遺憾ナリ、此精神ニシテ貫徹セサレハ東京府即チ東京役場ノ理事ハ甚タ其処置ニ苦シムコトナレハ聊カ玆ニ熱心ノアル所ヲ述フルノミ
○中略
○議長曰 決ヲ取ルヘシ、二次会ヲ開クニ同意ハ起立
  起立十八人
 少数、然ラハ開クヘカラストスルニ同意ハ起立
  起立二十人
 過半数ナルヲ以、廃案ニ決ス、之レニテ散会スヘシ
  時ニ午後第九時


商法講習所書類 明治一四年自一月至一二月(DK260085k-0008)
第26巻 p.543-544 ページ画像

商法講習所書類  明治一四年自一月至一二月    (東京府庁所蔵)
                       学務課
商法講習所之儀府会ニ於テ経費刪除致候付而ハ、到底廃校不相成ヲ不得義ト存候条、成規ニ依リ左按ノ通文部省ヘ御伺相成可然哉、此段相
 - 第26巻 p.544 -ページ画像 
伺候也
  按
    商法講習所廃校之義ニ付伺
本府商法講習所十四年度経費之儀、今般府会ニ於テ刪除議決之上ハ、同会ヨリ申出候処地方税増加相成、到底継続難及事情ニ立至候条、廃校致度、尤右資産之義ハ地方税ニ係候ニ付、追而府会ノ議決ニ依リ処分致候筈ニ候、前条ノ次第ニ付速ニ御認可相成候様致度此段相伺候也
  年月日               知事
  文部卿
書面伺之趣不得已事情ニ付、廃校ノ儀先以聞届候事《(太字ハ朱書)》
  明治十四年七月二十七日文部少輔九鬼隆一之印


商法講習所書類 明治一四年自一月至一二月(DK260085k-0009)
第26巻 p.544 ページ画像

商法講習所書類  明治一四年自一月至一二月    (東京府庁所蔵)
                       学務課
商法講習所経費、府会ニ於テ刪除相成候処、右ハ不得止義ニ付廃校相成、然レハ《(マヽ)》就而ハ先以左按之通同所ヘ御達相成候様致度此段相伺候也
  按
                      商法講習所
其所本月限リ廃止候条、此旨相達候事
 但資産取片付方之義、不都合無之様ニ取斗、且外国教□之義モ《(師カ)》本月限リ相断可申事
  年月日               知事


東京日日新聞 第二八九〇号 明治一四年七月二八日 東京商法講習所ヲ倒ス(DK260085k-0010)
第26巻 p.544-546 ページ画像

東京日日新聞  第二八九〇号 明治一四年七月二八日
    東京商法講習所ヲ倒ス
東京会《(府脱)》ハ其商法講習所ヲ倒シタリ、何ヲ以テ之ヲ廃スト云ハスシテ倒スト云フ乎、曰ク廃スベキノ理由アリテ廃セルニ非ス、多数ノ力ヲ以テ倒シタルガ故ナリ、顧ミルニ明治八年ノ頃初テ商法講習所ヲ東京ニ創立セルニ当リテヤ、我カ東京府民ハ其共有金ヲ以テ是ガ費用ヲ支弁シ、延テ十一年度マテヲ維持シタリ、今ヤ東京府会ヲ開設セラルヽニ至リ、府知事ハ始メテ商法講習所ヲ地方税支弁費目中ニ加ヘテ予算議案ヲ発シタルニ、府会ハ某議員ノ動議ニヨリ地方税中ヨリ求ムル所ノ半額ヲ支出シ、残余ノ半額ハ有志ノ醵金ニ任スベシト議決シ、乃チ三千五百円(原案請求七千円ノ半額)ヲ支給セリ、然ルニ醵金未タ集ラザルニ、定額ハ早クモ半年ニシテ渇キ頗ル其維持ニ困難シ、此上ハ講習所ヲ廃スルカ、但シ望アル人ニ譲与フル乎ニ、決セザルヲ得ザル程ノ場合ニ迫リケレハ、更ニ臨時会議ニ於テ其不足ヲ補給シ、辛クシテ十三年度ノ来ルヲ待チニキ。十三年度ノ通常府会ニ於テハ衆議ミナ此商法講習所ノ東京ノ為ニ甚タ緊要ノ設立ナリトシ、更ニ其教則ヲ改良シ其範囲ヲ広クシ、以テ府下商估ノ子弟ヲシテ早ク商法ヲ学フニ便ナラシムベシト議シ、乃チ府知事ノ請求ニ任セ九千余円ヲ支給シ、以テ其皇張ヲ謀ラシメタリ、而シテ此議決ハ争フ可ラザルノ多数ニ由テ定マリタル所ナリキ
 - 第26巻 p.545 -ページ画像 
府知事ハ此ノ議決ヲ得テ、明ニ府会ノ国是ハ商法講習所ヲ皇張スルニ在ルヲ知リ、鋭意シテ議会ノ許諾セル如クニ其教則ヲ改良シ、漸ク其端緒ニ就キ、是ヨリシテ将ニ其ノ好結果ヲ見ベキノ秋ニ当ルヲ以テ、玆ニ本年即チ十四年度ノ議会ニ向テ、其予算ニ於テ商法講習所ノ為ニ十三年度同額ノ支給ヲ請求シタルニ、豈図ランヤ議会(即チ区部会)ノ議論ハ廃案ト維持ノ両派ニ分レ、維持派ノ人々ガ得失利害ヲ十分ニ論弁セシニ拘ラズ、廃案派ノ多数ヲ以テ之ヲ起立ニ制シ、其第一次会ニ於テ廃案ト議決シタリ、吾曹ガ当時ノ紙上ニ於テ、其廃案スベキ主義モ無ク、一向ニ廃案セル議決タルヲ惜ミシハ、実ニ是ニ由ルナリ。既ニシテ東京府知事ハ此ノ案ヲ再議ニ附シ、一ノ府会ニシテ去年ノ国是ハ商法講習所ヲ皇張スベシト決シ、今年ノ国是ハ俄然コレヲ廃止スルニ決セン事、行政官ニ於テハ之ヲ処理スルニ太ハダ実地ニ迷惑スル所アルガ故ニ再議ヲ望ムノ趣意ヲ演説セラレヌ、偖テ、再議ノ第一次会ニ於テ、廃棄派ハ再ビ多数ヲ以テ、此案ヲ廃棄シタリト雖トモ、同時ニ維持派ヨリシテ商法講習所費ヲ共有金ヨリ支弁スルノ議ヲ発セシニ、如何ナル訳ニテアリケルカ、前ノ廃案派モ概ネ之ヲ賛成シ、出席三十余名ノ内ニテ八人ヲ除クノ外ハ皆此ノ動議ニ起立シ、商法講習所ハ共有金ヲ以テ維持スベシト議決シ、其翌日ヨリ為ニ第二次会ヲ開キヌ。第二次会ニ於テハ左セル修正モ無クシテ其逐条議ヲ畢リ、此案ヲ確定スル為ニ第三次会ヲ開クベキヤ否ヲ起立ニ問フノ際ニ至リ、其ヲ不可ナリトスルノ動議モ無カリシニ、不可トスルノ起立十八人、可ナリトスルノ起立十四人、即チ四人ノ多数ヲ以テ廃棄ノ道理ヲ明カニスルニ及バスシテ之ヲ廃シ、再ビ廃案派ノ勝利ヲ議会ニ顕ハシタリキ
前夜ノ第一次会ニ於テハ共有金ヲ以テ支弁スベシト決シ、翌夜第二次会後ニ於テハ之ヲ支弁スベカラズト決シ、所謂ル一夜ノ中ニ変説者ノ多カリシハ実ニ不審ノ次第ナレトモ夫レハ議会ニアリ得ベキ事ナレバ吾曹固ヨリ之ヲ非難セザルナリ、然レトモ議会ノ目的ハ、地方税ヲ以テモ共有金ヲ以テモ商法講習所ニ限リテハ支弁セザルノ目的ニテアル乎、但シハ逐条ニテ其方法ノ宜シカラザルヲ以テ之ヲ廃案ニシタル乎ハ、頗ル其分明ナラザルヲ疑ヒタルニ、東京府知事モ亦果シテ此ノ疑ヲ懐ケリト見エテ、更ニ議長ニ要メテ傍聴ヲ禁シ、議会ニ向テ廃案ニ帰着セル所以ヲ諮問セラレタリ、廃案派ハ此席ニ於テモ亦十分ノ解明ヲ与フル事無ク、結局商法講習所費ハ地方税ヲ以テモ共有金ヲ以テモ支弁スヘキ者ニアラズト議決セル旨ヲ、多数ノ起立ニ表シテ其勝利ヲ保守シタリキ
然レトモ夫ノ再議ハ原来地方税廃案ノ再議ニテ共有金ノ議案ニアラズ特ニ廃案派ノ説ニモ、若シ府知事ニシテ共有金議案ヲ附スルノ時ニ於テ再ヒ商法講習所費ヲ求メラレンニハ我々ハ之ヲ議セズトハ云ハザル可シト云ヒシ程ノ事ナレバ、東京府知事ハ乃チ共有金議案ヲ発シ、商法講習所費七千九百五十五円(前ノ第二次会ニ修正セル如ク)ヲ号外議案トシテ共有金ニ支弁ヲ請求セラレ、同時ニ地方税支出商法講習所費再議ニテモ、猶廃案ニ属セル議会ノ報道ヲ認可セラレ、以テ其敢テ不認可ヲ利器トシテ議会ヲ強迫スルノ意ナキヲ示サレタリキ、是レ吾曹ガ府知事ノ公直ヲ貴ヒ礼義ヲ重スルニ感服スル所ナリ、偖テ此議案
 - 第26巻 p.546 -ページ画像 
ハ去ル二十六日ヲ以テ其第一次会ヲ開キ、常置委員ハ、原案ノ如ク支出スベシト報道シ、町田・田口・益田・福地・須藤・条野・松田・松波・佐藤ノ諸氏ガ(沼間ハ此夜コソ発言セザレ、初ヨリ維持派ノ一人ナリ)原案ヲ維持シ、府知事モ亦自カラ答弁席ニ就キテ維持シタルニ拘ラズ、廃案派ハ鈴木・牧山・小松崎・藤田・馬場・大貫・関ノ諸氏ニシテ、其廃案ノ主意ハ講習所ハ有益ナレトモ府下ニ必要ナラズ(鈴木唯一氏)、共有金ヲ費シテ立ル程ノ価ナシ(藤田茂吉氏)、共有金ハ一般ノ利益ニアラサレバ使用スベカラズ、講習所ハ一般ノ利益ニアラス(小松崎茂助氏)、共有金ハ救恤ノ資本ナレバ講習所ニ費スベカラス(馬場半助氏)ナド云ヘル主義ニ過キス、維持派ヨリ論破シテ幾ト遺ス所ナキニ至リタレトモ、廃棄説ニハ是ト云テ取纏リタル主義ヲ明示スル事無ク、遂ニ起立十八人ヲ以テ維持派十七人ニ向ヒ、一人ノ多数ヲ以テ本日ノ紙上ニ詳載スルカ如ク又再ヒ其勝利ヲ表シタレバ、此数年間東京ニ設立セラレタル商法講習所ハ全ク倒レタリ、而シテ之ヲ倒シタルハ東京府会(区部会)ナレバ、議会ハ其中ニ於テコソ維持派アリ廃案派アリシトモ、府民ノ輿論ニ向テハ、議会之ヲ倒シタルノ責ニ任セザル可カラザル也


商法講習所書類 明治一四年自一月至一二月(DK260085k-0011)
第26巻 p.546 ページ画像

商法講習所書類  明治一四年自一月至一二月    (東京府庁所蔵)
本月廿七日附ヲ以テ貴府商法講習所廃止之儀御伺出相成候処、右講習所之儀ハ明治九年以来今日ニ至ルマテ保続セラレ候モノニシテ、従来多少之裨益モ有之、今後尚之ヲ継続維持候得ハ愈大ナル好結果ヲ生スベキ儀ト存候、然ルニ今一朝之ヲ廃止スルハ啻ニ従来ノ経営無効ニ属スルノミナラス、教育上其影響ノ及フ所少小ナラス、如何ニモ遺感之儀《(マヽ)》ニ付、到底地方税ヲ以テ維持相成難キ儀ニ候ヘハ何等ノ方法カ他ニ維持ノ道ハ無之儀ニ候哉、尚御考慮有之度、此段一応及御照会候也
               地方学務局長
  明治十四年七月廿八日    文部大書記官 辻新次
    東京府知事 松田道之殿


中外物価新報 第四二六号 明治一四年八月一七日 【○東京商法講習所は府…】(DK260085k-0012)
第26巻 p.546 ページ画像

中外物価新報  第四二六号 明治一四年八月一七日
○東京商法講習所は府会にて倒したとか倒れたとか、何にせよ其費用を弁せさることなりしか、該校長及教師等一同申合、生徒の志を抽折せんことを憂ひ、奮然銘々の力及ぶ限り維持すべしと一決し、其段府庁へ出願ありし由、商売に人物を養成るは最も今日の急務にして将来商運の隆盛を謀る基礎とも云ふへく、世に有り難き篤志と云ふべし


商法講習所書類 明治一四年自一月至一二月(DK260085k-0013)
第26巻 p.546-547 ページ画像

商法講習所書類  明治一四年自一月至一二月   (東京府庁所蔵)
                          学務課
                          会計課
商法講習所之儀、農商務省より別紙之通指令相成候条呈一覧候、就而ハ右学校設立之方法並ニ金額使用之順序、尚又左之通農商務・文部両省御伺相成可然乎相伺候也
但予算書ハ取調中ニ付更可相伺候《(太字ハ朱書)》
 - 第26巻 p.547 -ページ画像 
   ○右本文ニ於ケル「別紙」商法講習所書類中ニ見当ラズ。
    按
  農商務卿宛                府知事
    商法講習所設立並ニ御下附金使用方伺
本府商法講習所経費補助金御下付相成候ニ付テハ、校舎・書籍・器械共悉皆在来之分相用設立致度、別紙教則並御下付金額使用之予算書相添此段相伺候也
 ○右指令左ニ写置
  文部卿宛                 府知事
    商法講習所設置之義ニ付伺
本府商法講習所之儀、維持方法不相立より廃止候処、今般農商務省ヨリ経費補助トシテ金九千六百八拾四円御下付相成候為、従前之通設置致度、就而ハ御省本年第四号御達ニ基キ、設置ノ目的、学科課程ヲ詳細相具シ可相伺儀ニ候ヘドモ、従来入学ノ生徒モ其方向ニ迷惑致居候際開校之儀最至急ヲ要シ候ニ付、成規之伺書ハ追テ可差出候間、右御認可相成度、此段相伺候也
 伺之趣聞届候事
  明治十四年九月二日文部卿福岡孝弟之印

書面之趣聞届候条、校務ハ府知事於テ之ヲ管理シ、経費ハ講習所収入金及ヒ下附金ヲ以テ一切支弁シ、予算額ニ超ヘサル様可取計事
 但教則変更並ニ所長撰任ノ義ハ其都度当省ヘ可伺出事
  明治十四年九月九日    農商務卿 河野敏鎌


商法講習所書類 明治一四年自一月至一二月(DK260085k-0014)
第26巻 p.547 ページ画像

商法講習所書類  明治一四年自一月至一二月    (東京府庁所蔵)
                       学務課
商法講習所開設之儀ニ付、常置委員会ニ御下付相成ベキ議按御下命ニ依リ、別紙之通取調候、尤御裁可之上ハ地方税委員ニ回付可致、右相伺候也
(別紙)
本府商法講習所ハ通常会議ニ於テ之ヲ廃止シタリト雖トモ、府下商人中若シ之カ開設ヲ望ムモノアラハ、校舎ハ勿論、書籍・器械ニ至ルマテ悉皆之ヲ貸与スルノ議決アリタリ、然ル処本府上申スル所アリテ、終ニ今般農商務省ヨリ商業奨励ノ御旨趣ヲ以テ其経費ヲ下付セラレ府庁ヲシテ更ニ開設セシメラルヽノ命ヲ得タリ、依テ右校舎並ニ書籍・器械共在来ノ分ヲ最前決議ノ主意ニ基キ使用セントス


商法講習所書類 明治一五年(DK260085k-0015)
第26巻 p.547-548 ページ画像

商法講習所書類  明治一五年       (東京府庁所蔵)
                       学務課
商法講習所資金之儀ハ常ニ薄乏ニシテ、十分ノ経営ヲナス能ハス、為メニ有用ト認ムル事モ無余儀着手不致廉往々有之候ニ付、府下有志商人・公私銀行並ニ組合・会社等ニ応分之寄附ヲ促カシ、右醵金ヲ以テ資金ノ一部ヲ補候ハヽ大ニ便益ト被相考候、就テハ別紙記載之者甲按之通夫々御呼出之上、募集之旨趣一応御演述相成候様致度、尤右集会
 - 第26巻 p.548 -ページ画像 
之場所ハ乙按之通東京商法会議所ヲ借用致可然乎、此段併テ相伺候也
 追テ日限ハ更ニ可相伺候
    甲按
御面談致度儀有之候条、本月何日午后第四時府庁ヘ御出頭有之度、此段申進候也
 追テ当日銀行会社ナレハ頭取御差支有之候ハヽ、相当ノ代人御差出有之度此段申添候也
  年月日                  府知事
    乙按
   ○乙按ハ原文ニ於テ抹消シアリ。


農商務卿第一回報告 明治一四年 第一〇三―一〇四頁 刊(DK260085k-0016)
第26巻 p.548 ページ画像

農商務卿第一回報告 明治一四年  第一〇三―一〇四頁 刊
    商法講習所
東京商法講習所ハ嘗テ厚志者ノ戮力ニ開興スルモノニシテ、明治八年以降東京府庁之ヲ統轄ス、当初府税若クハ区金ヲ以テ校費ヲ支持セシニ、昨年六月府会其費目ヲ刪除セシヨリ、嗣後亦資力ノ継クヘキナク殆ト廃絶ニ帰スルノ運ニ際会セシガ、府知事其不可ナルヲ歴挙稟申シ本省亦採テ之ヲ太政官ニ進メ、竟ニ昨年分ノ補金数千円ヲ附与スルヲ得タリ、抑々商法講習所ハ農工二業ノ教黌ト並立チ理財ノ術ヲ講明スルモノニシテ、今日ニ在テ最大至務ナルハ亦呶々ヲ俟タサルナリ、独リ小舗市儈ノ輩或ハ規範ノ遠大ナルヲ見テ却テ以テ迂ナリト為スニ至ルモ、若シ夫レ大賈ノ巨資ヲ四方ニ転運シ、或ハ外賈ト市上ニ馳駆シ縦横贏輸ヲ競フニ際シ、彼ノ堂々ノ陣之ニ対スルニ非ルヨリハ、焉ソ能ク其全功ヲ期スルヲ得ン、況ヤ将来ニ冀図スル直輸貿易ノ如キ、商権回護ノ如キ、亦皆邦商ノ計画ヲ要スルノ日ニシテ、商業陶化ノ法之ヲ邈焉ニ帰シテ可ナランヤ、然リ而シテ近時各府県亦往々商学ノ開校ニ葵向スルモノアリ、是他ナシ、錙銖ノ法亦学術ノ欠クヘカラサルヲ認知スルモノニシテ、闔般ノ風潮漸ク商事ニ注念スルヲ徴スルニ足レリトス


東京経済雑誌 第一〇五号・第四二八―四二九頁 明治一五年四月一日 ○東京商法講習所(DK260085k-0017)
第26巻 p.548-549 ページ画像

東京経済雑誌  第一〇五号・第四二八―四二九頁 明治一五年四月一日
    ○東京商法講習所
去月二十四日府知事松田君は、諸銀行会社及ひ重立ちたる商家百三十余名を府庁の議事堂へ招かれ、東京商法講習所維持の事に付演説あり其の要領に云ふ
 我か東京は商売の地なり、故に商法講習の学校なかるべからず、尤も其商業に依りてハ直接に此校の利を被ふるあり、又間接に利を被ふるあり、或ハ目前其利を被らざるものありと雖ども、右に云ふ商売の地たる以上ハ、到底其利益を被ふるものと謂ハざるべからず、現に横浜にてハ此直接の利あるを以て新設の目論見あり、然るに東京にてハ却て在来の学校を廃せんとす、是を可と云ふべき乎、諸君も知る如く、府下に此校を設けてより既に六・七年、其間種々の改革等ありて今ま正に漸やく其美果を結ハんとす、此時に当りて維持に苦しむハ、余の痛歎に堪へざる所なり、原来此校の会計ハ、設立
 - 第26巻 p.549 -ページ画像 
以後数年間ハ府下共有金を以て支弁せり、其後東京府会の立つに及びて、地方税を以てせり、然るに昨年の府会に於て地方税の支弁を廃せり、其理由ハ此年地方税の負担の多きと、又此校ハ地方税にて維持すべき性質のものに非ざるを以てなり、依て余は共有金に其維持を求めたるに、是も僅の少数にて同く廃案に属したり、然れども議会中一人も此校を以て東京に不急無用なりと云ひたる者なし、唯其の支弁に途のなき故を以てなりき、余ハ夫より政府に乞ひ、昨年一万円の補助を得て漸やくに持続せしハ、諸君も略知る処ならん、今年も亦た同様の補助あるべしとハ思へども、到底政府の補助にのみ依りてハ、官立にして府立にあらず、既に官立と成る以上ハ、官にて官の都合好き教則を設けて、或ハ府下商人の便利に成らざる事もあらん、又是を府立とすれバ、諸君が見込にて宜しきと思ふ教科を建て、十分諸君の便利を謀らるゝ事を得ん、官立と府立と諸君の得失に差ある斯の如し、されば余ハ諸君に望む、府下商家の有志者協同して応分の醵金あらんことを、而して余ハ更に諸君に望み、其醵金ハ政府をして一万円の補助を出さしむるに恥ざる程の額あらんことを、尤も余ハ本年の議会に向ひて再び共有金の補助を望むの見込なれども、是ハ議会の決議にあれば、今より予じめ成否を量ること能はず、又此校の費用惣額ハ一年二万円より二万五千円までなり其余の金高ハ敢て望む処にあらず云々
右の演説畢りて皆々も之れに同意せり、去りなから仲間中とも篤と熟議すべけれは、今より三十日の猶予を与られたし、其まてには同意の醵金も一人の出金も其金高を記して差出すべしとの旨を答へたりとぞ


東京経済雑誌 第一〇七号・第四九九頁 明治一五年四月一五日 ○商法講習所(DK260085k-0018)
第26巻 p.549 ページ画像

東京経済雑誌  第一〇七号・第四九九頁 明治一五年四月一五日
    ○商法講習所
東京府知事松田君か、本府商法講習所維持のことに付、紳商を集めて演説せられたるよしは前号の紙上に記せしか、此の儀に付ては銀行の人々を始め有志の商家は何れも大奮発、互に応分の力を尽さんとて専ら協議中の趣にて、既に醵金に応せし向も少なからず、中にも日本橋長谷川町の栗原、同区通油町の藤掛の両氏は、該講習所の今日に必要なるを知りて若干の金を寄附せられたりとぞ、斯くありてこそ東京の東京たる所以なるべし


東京経済雑誌 第一一〇号・五九五頁 明治一五年五月六日 ○商法講習所の醵金(DK260085k-0019)
第26巻 p.549-550 ページ画像

東京経済雑誌  第一一〇号・五九五頁 明治一五年五月六日
    ○商法講習所の醵金
東京商法講習所維持の事に付ては、我が府知事を始め該所長矢野君にも大に尽力せられたるが、同所へ醵金を申込むもの多く、其寄付の概略を聞くに、国立及私立の銀行よりは合せて七千余円にして、即ち第十五国立銀行よりは千四百円、三井と第一銀行は各々六百五十円、其他は二・三百円つゝなり、株式取引所も合併のよし、又諸会社は八商会より二千円、海上保険会社より二百円、新潟物産会社支店百円、砂糖問屋五百円、唐糸問屋二百五十円、塩問屋と干鰯問屋二百円づゝ、己卯組紙問屋岡本弥兵衛氏より百円、同組合より百五十円、製紙会社
 - 第26巻 p.550 -ページ画像 
百二十五円等にて、此外にも一己の篤志を以て寄附を申込むもの多くありと云ふ


如水会々報 第一二四号・第九一―九二頁 昭和九年三月 ○座談会 青淵先生を偲ぶ夕 青淵先生と商業教育 成瀬隆蔵氏(DK260085k-0020)
第26巻 p.550 ページ画像

如水会々報  第一二四号・第九一―九二頁 昭和九年三月
 ○座談会 青淵先生を偲ぶ夕
    青淵先生と商業教育
成瀬隆蔵氏
○上略
 然るに其の翌年明治一三年は拡張の案が旨く通り、先づ好い塩梅だと思つて居りますと、又其の翌年になつて今度はばたりと否決されて了つた。それで講習所はもう成り立たない。青淵先生始め尽力の人達は非常に力を落して、何とかしなければなぬ、急速度にどうかしなければならぬとありて、青淵先生より矢野氏を通じて私に伝へられしは、玆に至つては教員諸君の意向次第で、教員諸君がもう厭だと言はれるならば如何とも仕方がないけれども、幸に続けやうと云ふことであるならば、私は先づ以て年に千円だけ出します。其の上他の人にも計つて経費を集めることとします。どうぞ其のことを伝へて下さいと云ふことでありました。此の伝言に敬服し、廃黌の此時こそ自分の実業界に出る初志を達する好機会なりと思ふも、講習所の為め又青淵先生の御誠意に対して、当所を潰してはならぬ、よし、それでは学校を続けるにはどうするかと云ふと、所長始め吾々教員連名で学校を貸与してもらつて、其の連名者が学校を経営して行くと云ふより外はないと云ふことになつて、それには東京府に願書を出すことにしやう。そこで教員を皆な呼びまして、私は其の当時主な位置に居つた者でありますから、皆なを纏めて、青淵先生から斯く斯くの御申出でがある。それに就ては皆さんの意見はどうであるか述べて貰ひたい。其の意見を聴く前に、先づ以て貴方々の収入からして考へなければならぬが、其の収入に就ては今迄の金額に拘らず、独身者には十円、家内二人の者にも十円、三人の者には十五円、四人の者には二十円、詰り一人頭に就て五円と云ふことにし、そこで私は独身者であるけれども、五円では下宿代や何かに足りないから、独身者は十円と云ふことにしやう、さうして家族の多少に依つて高を定めてゆけば、渋沢先生の出金千円と月謝を合はせ、どうやら斯うやら支弁が出来る。経費の多くは教員の手当なのであるから、それさへ工夫が付けばどうか出来。それから所長の収入ですが、是は何か知らぬが、所長には財産があるやうだから只に願ふではないか、此の計算で予算を立てゝ願書を提出して、それでやらうと云ふことに皆同意。さうしたところが図らずも此の黌が農商務省の管轄になることになつて生き返つたのであります。今の相談を定めて一ケ月一寸の間絶えて居りましたのが、青淵先生の御働きが主となつて、矢野氏なども非常に骨折られ、其の他に力を尽した人もあつて遂にそこに至つたのであります。
○下略


小山健三伝 三十四銀行編 第二六〇―二六一頁 昭和五年一二月刊(DK260085k-0021)
第26巻 p.550-552 ページ画像

小山健三伝 三十四銀行編  第二六〇―二六一頁 昭和五年一二月刊
 - 第26巻 p.551 -ページ画像 
 ○本伝
    第十四章 東京高商校長時代
○上略
 明治十五年三月、矢野所長は渋沢氏に謀り、汎く民間有志の寄附を募らんことを東京府に建議す。時の東京府知事松田道之、大にこれを賛し、大賈豪商に就きて説くところあり。事、宮廷に聞《ブン》す。依りて宮内省より、特に金五百円の下賜あり。民間有志の醵金また二万円を超ゆ。乃ちこれを資金として年年利殖の方針を立て、以て同校今日の基本財産を作り得たりしなり。当時、任に公使として清国にありし森有礼氏は、宮廷よりの御下賜金ありしを聞いて、欣喜措く能はず、遥に一書を矢野所長に寄せて曰く。
      ○
  頃日三井物産会社より渡辺専二郎を倫敦支店に遣して従来傭使の英国人に代ゆ。聞く氏は曾て商法講習所に於て学業を終へ能く三井物産会社に仕へ竟に遣外の特選に当る者なりと。氏此地に着し。直に来て余を訪ひ。語るに君が講習所を提理し。専心事を勉め。講習所由て栄え生徒由て大に業進むの実状を以てす。又新聞紙に拠て皇帝辱くも金を講習所に賜ひしことを知る。此二好報并至り。余感喜已むなし。君斯盛運を目し為に多年の苦心を慰するの時を得たり。余亦為に賀詞を呈するは甚楽と為す所なり。然れども苟くも忠愛の心を竭し。以て将来の慶福を図る者は豈早成に安ずべけんや。是余君が既往の功を祝ひ。仍将来愈愈勤勉あらんことを望む所以なり。夫吾邦人多くは商才に乏しく数理に短く沈実確正ならず。剰さへ外国通商を開きしより軽浮の商弊滋生し。将さに風俗為に紊れんとするの兆あり。蓋此弊たるや。一朝の能く矯正し得べきに非ず。然りと雖講習所は我邦商学の由て起る所の要地なり。而して其生徒は他日将さに内外の商業を負担せんとする者なり。此輩をして正路に進入せしめ以て漸く今世の病害を除くは。豈至難の事ならんや。況んや誠忠勤篤君の如きありて能く後輩を誘導養育するに於てをや。余遠く海外に在り。窃に微力を添へ以て君の苦心を慰するに由なし。故に君在任の間は少許の金を出し。聊生徒を奨励するの資に供せんと欲す。今先づ試みに三・四拾円と定め。毎年卒業する所の生徒の内品行端正なる者五・六名。各其望に依り有益の書籍を分与せば則如何ん。但生徒の品行を比較し之を甲乙するは或は難きことあらん。然れども君の正眼能衆生徒を看破し。其当を誤らざるや固より疑なし。君若年年其労を辞せず。余の微意を達するを得せしめば幸甚。偖尚君に言はんと欲する事多し。姑く他日に譲る。
      ○
と。森氏の矢野所長に対する感激は、この手紙を読むものをして暗涙を浮べしむ。事実、商法講習所は矢野氏ありて其の生命を持続し得たる也。維新以後、各種の学校、その大小高下の差はあれ、皆明治政府の施設に成り、以て民間に及び、教育そのものを施政の要素として経営せられたるうち、商業教育のみが其の源を民間に発し、溯りて当路を啓発したることは、我国の教育史上、特筆大書すべきことにして、
 - 第26巻 p.552 -ページ画像 
これを生みたる森、これを育て上げたる矢野、此の両先覚者の偉績は永世に没すべからざるものなり。
○下略



〔参考〕東京府商法講習所略則 明治一四年(DK260085k-0022)
第26巻 p.552-554 ページ画像

東京府商法講習所略則  明治一四年
    東京府商法講習所略則
                 左に掲くる規則は、現行の規則と聊異同ありと雖も、不日制定施行せんと欲するものなれは、自今本所に入学を望む者の便に供せんか為め、予め玆に開示し其大要を知らしむるものなり
一本所生徒ハ満十三歳以上にして、普通小学科を卒業せし者若くハ之と同等の学力を有する者とす
一学業教授は五箇年を十期に分ち、前三ケ年即ち六期間ハ専ら内国の商業に必要なる学科を教へ、後二ケ年即ち四期間ハ英語を以て外国の商業に必用なる学科を教へ、之を卒業期限とす、其学科左の如し
      自十級至五級教科目
  習字 算術暗算 筆算 顆算 簿記法縦横共 商業慣習誌 商業沿革地理誌 経済書 物産誌天造 人造 作文記事・日用書牘・証券文 約定文・公用文・訴訟文 書取作文ニ同シ 商業 要訣 税関規則 各国条約貿易ノ部 電信暗号 統計概略 諸条例銀行公債電信・郵便・印税・商業関係ノ御布告諸達類 内外商律大意 商談
  英学綴字書・第一、二読本・習字・綴字・誦読・書取・文典・会話・万国史・地理書・商家楷梯
  実践科小売店・卸問屋・口銭問屋・仲買・組合商業保険会社・製造所・廻船問屋・銀行等
      自四級至一級教科目
  ブラウン氏物産誌 ブライアントストラトン氏商業算術書 ブライアントストラトン氏商業簿記法 ホウセツト氏小経済書 英和訳 和英訳 英文書取 英文習字 簿記習例記載 英文商用作文 ウヲーカー氏致富学 タウンゼント氏・ベリー氏商律 経済要領輪講 日耳曼人カールアンドレー氏商業沿革地理誌 ニーツ氏産物沿革 仏蘭西語 電信諳号 商談
  実践科小売店・仲買・問屋・口銭問屋・製造所・銀行・保険会社・汽船会社・郵便局・税関・外国支店等
   但シ裏面略図ノ如ク、此教場ニハ商家社店ノ模型アリ、又証書式并ニ貨幣雛形等ノ備アリテ、都テ実地商業ニ従事スルト異ナル事ナシ
一夏期休業中六級以上ノ生徒ハ、所長ノ見込ト其生徒ノ願トニ由リ、実地商業演習ノ為メ諸商店又ハ諸商社等ニ寄寓セシムル事アルヘシ
一前三年ノ学科ヲ卒フル者ハ其試験ヲ為シ、合格ノ者ヘハ得業証書ヲ附与ス、而シテ是ヨリ後更ニ二年ノ諸学科ヲ卒フル者ハ其試験ヲ為シ、合格ノ者ヘハ卒業証書ヲ附与シテ此学ノ大成ヲ標識ス
一一日中六時間ヲ以テ教授時間ト定ム
一毎月末及ヒ期末ニ於テ試験ヲ行ヒ、学業ノ甲乙ヲ判ス
一生徒授業料ハ一月壱円ト定メ、前月廿日ヨリ廿八日迄ニ会計掛リヘ納ムヘシ
一教科書ノ校中ニ貯蔵セル分ハ之ヲ貸与スベシ
 - 第26巻 p.553 -ページ画像 
   但シ見料ヲ納ムヘシ
一日曜日及ヒ諸祭日ハ休業ト定ム、其他臨時休業ハ其時ニ之ヲ掲示ス
一本所ヘ入学ヲ乞フ者ハ、新聞紙ヲ以テ広告スル期日中左ノ書式ノ証書ヲ出スヘシ、則チ試験ヲ行ヒ、合格ノ者ハ其入学ヲ許ス
      願書式(用紙半紙四ツ切)
               何府県族籍
                      誰子弟
               宿所       苗字名
                         何年何ケ月
   右商法講習所ヘ入学仕度候間、試験相願候也
     年号月日           右苗字名印
一入学スル者ハ、当府居住ノ父兄或ハ親戚・朋友ニシテ、其身ヲ依頼スルニ足ル者ヲ保証人タラシメ、左ノ証書ヲ出スヘシ
      証書式(用紙美濃紙)
         引受証書
               何府県族籍
                      誰子弟
               宿所       苗字名
                         何年何ケ月
   右者私(子弟・親戚或ハ朋友)ニ候処、今般講習所ヘ入学候ニ就テハ、勤学中一切ノ事件私引請可申ハ勿論、本所規則堅ク為相守、猥ニ退学・転学等為致申間敷候也
              何府県族籍
               何区何町何番地
                      苗字名印
     年号月日
      東京府商法講習所御中
右之外詳細ノ事ニ至テハ本所ニ就テ問合ヘシ
  明治十四年四月     京橋区木挽町十丁目十三番地
                     東京府商法講習所
    東京府商法講習所略則附言
本府商法講習所ハ、明治八年八月、仮りに之を尾張町に創設し、商法学に熟練せる米国人を傭ひて教師となし、粗我国普通の学を修め兼て稍英語に通する少年をして入学せしめ、欧米諸国に行はるゝ商業の慣習・帳合・算術等を教授し、同九年五月木挽町の新築竣りてこれに移る、是則ち我国商法学校の嚆矢なり、抑英書のみを以て此学を施したるは、畢竟従来我国に商法と呼ふ程の教授法無きか故に已むを得さるに出たることハ敢て贅言を待たされとも、欧米諸国商業の盛なる事ハ我国の比に非れハ、従て其学問も能く整ひ、商業上の著書も亦多く世に行れたるか故、此等の書物に由り生徒を訓導せしに、今我国の事業多くハ欧米に則る勢なれハ、是迄本所より出て実地商業に従事する者各其学ひ得たる所を活用するを得、而して其力あること既に商業社会に信用を得たれハ、内外商業を営む者相尋ひて本所に来り、卒業生を請ひ求むること多く、方今に至りてハ其求めに応し難きに苦む如き情
 - 第26巻 p.554 -ページ画像 
状なれば、他日本所より人材続々輩出して、我国内外商業の振起隆盛を図るの先導者となるを期して待つへきなり
蓋し今の府知事も、此学の商業社会に大利益を与ふるものにて、殊に商業を専らとする此首府に於てハ、最も欠くへからさるの要具なるを察知せられ、府民と謀りて本所の定額を増し、教員を増加し、而して又商法会議所に托して同所の議員本所の教授方法の能く実際に叶ふ様に調査すへき旨達せられしかハ、乃ち渋沢栄一・福地源一郎・益田孝清水九兵衛・木村豊次郎の五名之か調査委員となり、所長と議して右に開示する規則を設け、一般商業の慣習、証文の書式及帳合法等に至るまて、皆能く今日の実地に叶ふ事を教授する所と為せり、玆に於て初めて内外二種の商業上必要の事を漏さす教ふることとなりたれは、此学の大成して出る者は、必づ先つ我普通商売の取引方法を暁り、而して英仏二国の会話・文章に自在を得、内外天産人工に由りて生する物産の品位・性質を始め運輸の便否、証文の文例、其他商人必用の規則類に至る迄悉く会得せる者たり、殊に商法会議所ハ講習所と一構内に設けあるか故、実験に富みたる議員諸君折々本所に来りて実地商業の有様等演説せらるゝこと教則中に載せたる如くなれハ、生徒ハ之れを聴き、各々卒業の後ち其尽すへき所を知るの便を得、紳商諸君も又生徒の性質・品行・技倆・人柄等を知り、随て其紹介又は採用の目途を生徒卒業前に於て予定するの便宜あるへし、此等双方の為め好都合を得るに至りたるハ、即ち二所の一地内に在るか故なり、然れハ苟くも内外商業の振起隆盛を図るに志あるの子弟は、必す本所の課程に従ひ、其法を講せすんハあるへからす、凡そ商事を談するもの動もすれハ以為く、商業の大小軽重ハ資本の多寡に是れ由るとのミ誤解するもの敢て少なしとせす、而して其資本とする所の要部ハ固より金銀貨幣に外ならすとは云へ、縦令金銀を山の如くに積むも、其運転の途を知らされハ、徒らに商売の損益を挙けて僥倖に委ぬるに至らん、豈に危険と云ハさるを得んや、焉んそ彼商学を以て資本となすの万全にして且不易なるに如かん、故に商業に熱心なる諸君ハ、猶予なく其子弟をして此学に従事し、其身に洪大の資本を具へ、世の貴重する所となさしめ、猶本所をして広く衆望に副はしめんことを
            東京府商法講習所長 矢野次郎識


図表を画像で表示生徒募集広告

    生徒募集広告 今般満十三歳以上ニシテ普通小学全科ヲ卒業セシ者、若クハ是ト同等ノ学力ヲ有スル者百名、試験之上入学差許候条、志願之者ハ本月廿五日ヨリ五月七日迄ニ可申出候事   明治十四年四月