デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
2款 東京商業学校
■綱文

第26巻 p.565-569(DK260087k) ページ画像

明治17年6月10日(1884年)

是ヨリ先三月、商法講習所東京府ノ管轄ヲ離レテ農商務省ノ直轄ト為リ、東京商業学校ト改称ス。是日栄一、益田孝・富田鉄之助ト共ニ農商務省ヨリ当校校務商議委員ヲ嘱託セラル。


■資料

商法講習所書類 明治一六年(DK260087k-0001)
第26巻 p.565 ページ画像

商法講習所書類  明治一六年       (東京府庁所蔵)
其府下商法講習所、今後当省於テ直轄官立商法学校ニ可致積リニ付、同所建物並附属品等有形ノ儘引継候積リヲ以、処分之見込至急取調可申出、此旨及内達候也
  明治十六年十一月廿二日
            農商務卿 西郷従道
    東京府知事 芳川顕正殿


商法講習所書類 明治一六年(DK260087k-0002)
第26巻 p.565-566 ページ画像

商法講習所書類  明治一六年        (東京府庁所蔵)
当府下商法講習所、今後御省ニ於テ直轄官立商法学校ニ被成度ニ付、同所建物並附属品等有形之儘引継之積ヲ以テ処分ノ見込取調、上申可致旨御内達之趣致承知候、則左ニ処分ノ意見致陳述候
一商法講習所地所ノ儀ハ別紙第一号図面ノ通ニ有之、然ルニ右地所ノ内、従前旧東京商法会議所建設為致置候処、頃日同会議所解散、更ニ東京商工会設立致候ニ付、右建物ハ同会ヘ下附致候、今般商法講習所地所御引継可申ニ付テハ、右建物之位置ニ従ヒ、地所分割、同会議場敷地トシテ貸渡、其余ノ土地ヲ御引継可致見込ニ有之候、乍去若シ御省ニ於テ前途ノ御都合有之、地所分割御差支モ候ハヽ、当分商工会ヘ従前ノ通同会要用ノ地所無地代ニテ御貸置相成度、且同会ニ於テモ不遠議場其他増築不致候テハ差支候段申出之趣モ有之候間、右増築ニ関シ要用ナル地面モ前同様御貸渡相成度、又他日貴省之都合ヲ以同会議場其他移転為致節ハ、移転スヘキ地所御附与之上移転費用ヲ御支給相成候儀ニ候ハヽ、全地其儘御引継申候テモ更ニ差支無之候
一商法講習所建物ノ内、地方財産《(税脱カ)》ニ属スル分ハ代価概算金弐千五百円程ニ相成候、右ハ其筋ヘ伺済之上御引継可申候、其節尚確定ノ代価取調上申可致候間、御省ヨリ御下金相成候様致度、其他ハ無代ニテ御引継可致候
一商法講習所書籍・器具ノ内、地方財産ニ属スル分ハ代償金弐百八拾円程ニ相成候、右ハ御引継之節御下金相成候様致度、其他ハ無代価ニテ御引継可致候
一商法講習所資金ノ儀ハ別紙第二号調書ノ通ニ有之、右資金ハ明治十四年以来府下豪商・商会等ヨリ府下商法講習所永遠維持ノ為寄附致候者ニ有之候処、今般講習所御引継致候上ハ、更ニ官立トセラレ、
 - 第26巻 p.566 -ページ画像 
其性質相変リ候ニ付、右資金ハ御引継難致、他日時機到来、当初ノ目的ヲ可遂モ難計候ニ付、府庁ニ於テ保存可致置見込ニ候、乍去商法学校御設置ノ上ハ、府下商業者ニ於テモ其利益ヲ享受可致ハ勿論ニ付右寄附金ヨリ生スル利子ハ当分ノ間御省ヘ相廻、商法学校費ノ内ヘ充テラレ候様致度見込ニ候
右条件御承認ノ上ハ、御達次第直ニ手順ヲ為済、御引継可申候、此段上申候也
  明治十六年十二月     東京府知事 芳川顕正
    農商務卿 西郷従道殿
   ○別紙第一号・第二号ヲ欠ク。
(別紙)
上申之趣聞置候条、制規ノ手続ヲ経テ、引継方取調、更ニ可申出候事《(太字ハ朱書)》
 但土地ノ義ハ悉皆引継候義ト可相心得事
  明治十六年十二月七日
              農商務卿 西郷従道


商法講習所書類 明治一六年(DK260087k-0003)
第26巻 p.566 ページ画像

商法講習所書類  明治一六年       (東京府庁所蔵)
                       学務課
商法講習所今般農商務省之管理ニ属シ、在来ノ建物及書籍・什器地方税財産ニ係ル分買上可相成ニ付テハ、調査掛ヘ左按之通御照会相成可然哉、相伺候也
    按
    調査掛宛               本課
商法講習所今般農商務省之直轄ニ属シ、在来之建物及書籍・什器地方税財産ニ係ル分買上可相成ニ付テハ、常置委員会ニ付シ度、此段及御照会候也


商法講習所書類 明治一六年(DK260087k-0004)
第26巻 p.566-567 ページ画像

商法講習所書類  明治一六年        (東京府庁所蔵)
    商法講習所建物代価調書
一弐百七拾三坪壱合九才     総建坪
   内百三拾壱坪五合   二階建
  此坪価金三千百拾七円拾四銭
   内
  金弐千四百六拾八円三拾三銭    地方税財産
   此建坪弐百六坪七合五夕八才
  金六百四拾八円八拾壱銭      国庫補助金ニテ建設
   此建坪六拾六坪三合五夕壱才
    商法講習所書籍什器調書
一書籍什器代金四百六拾四円六拾七銭四厘
   内
  金弐百七拾七円弐拾九銭五厘   地方税財産
  金百八拾七円三拾七銭九厘    国庫補助金ニテ購求
    商法講習所資金調書
一金弐万弐百円五拾銭
 - 第26巻 p.567 -ページ画像 
   内
  金壱万六千弐百弐拾八円六拾銭  既納
  金三千九百七拾壱円九拾銭    年賦上納約定ノ分
外ニ《(太字ハ朱書)》
金五百円也   宮内省ヨリ賜金


農商務省沿革略志 全 農商務省編 第四九頁 明治二五年四月刊(DK260087k-0005)
第26巻 p.567 ページ画像

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官報 第二八九号 明治一七年六月一七日 官庁彙報(DK260087k-0006)
第26巻 p.567 ページ画像

官報  第二八九号 明治一七年六月一七日
    官庁彙報
○日本銀行副総裁富田鉄之助他弐名ヘ、農商務省ニ於テ去ル十日左ノ通嘱托シタリ
              日本銀行副総裁 富田鉄之助
 東京商業学校校務商議委員嘱托候事
             第一国立銀行頭取 渋沢栄一
 東京商業学校校務商議委員嘱托候事
             三井物産会社々長 益田孝
 東京商業学校校務商議委員嘱托候事


青淵先生公私履歴台帳(DK260087k-0007)
第26巻 p.567 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    任免叙授
同 ○明治十七年六月十日 東京商業学校校務商議委員嘱托候事         農商務省


青淵先生六十年史 竜門社編 第一巻・第七八七頁 明治三三年二月刊(DK260087k-0008)
第26巻 p.567 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第一巻・第七八七頁 明治三三年二月刊
    第十五章 商業学校
○上略
明治十七年三月商法講習所ハ農商務省ノ直轄トナリ、東京商業学校ト改称ス、農商務省ハ東京商法会議所委員中ヨリ選ヒテ同校商議委員ヲ置キ、校長ハ商議委員ノ推選ニヨリテ任命スル事トセリ、先生ハ選ハレテ商議委員トナレリ ○下略


矢野二郎伝 島田三郎編 第六九―七一頁 大正二年五月刊(DK260087k-0009)
第26巻 p.567-568 ページ画像

矢野二郎伝 島田三郎編  第六九―七一頁 大正二年五月刊
 ○本伝
    一三 課業の程度を高めて面目一新す
波瀾洶湧全船覆没の危険を凌ぎ、人をして其存続如何を疑惧せしめたる時期に於て、夙くも先きに卒業せる学生各方に其適所を得て、漸次商業教育の商界に利益ある実例を示せしかば、氷雪の時節を経過して開花の陽春に向ふが如く、青年の入学其数漸く加はり、為めに校舎の増築を要することとなれり、是より先二郎の一知己なりし松田道之逝きて、芳川顕正東京府知事となりしが、偶々校務に関して意見衝突し嘗て府会と闘へる二郎は、今又管轄長官と相容れざるに至りしを以て
 - 第26巻 p.568 -ページ画像 
其任を尽すに由なきを自覚し、断然辞職して就職以来八年の関係此に至りて中絶したり、是れ明治十六年十一月の事なりき、東京府御用掛南貞助其所長となりしが、尋で農商務省は渋沢会議所会頭の意見を採用して之を其所管に移し、十七年三月改称して東京商業学校といひ、権少書記官河上謹一を以て校長兼務たらしめたり、十七年六月農商務省は第一国立銀行頭取渋沢栄一・日本銀行副総裁富田鉄之助総裁吉原重俊、行務を帯びて英国に赴きしを以て、富田は副総裁を以て事実の総裁たりき・三井物産会社長益田孝に東京商業学校商議員を嘱托せり、是皆二郎が罷職中の改革に係ると雖も、二郎の精神に適合して隠然其再起を促すべき素地となりたり
此に当時の真相を詳記せんに、農商務卿は初めより二郎の再起を切望して専任校長を置かず、彼に説くに校長就任の事を以てす、其言頗る懇切なりしも彼容易に之に応ぜずして、先づ自信の主張を無遠慮に披瀝したり、曰く学校の発達今日に至りしは極めて悦ぶべく、知己の言は感謝すべきも自説あり冀望あり、之を曲げて苟も其椅子に倚るは、唯自己の屑とせざる所なるのみならず、公利も亦終に之を全くする能はざらん、商業教育は実務に適し常識を養ふの性格を造るを第一義とす、其学校が官規に拘はりて大小の事一々主務省の指揮を仰ぎ、其束縛を受くるは、教務を挙ぐるに不便多かるべし、故に其管理を商工会十六年十月、東京商法会議所解散せられ、東京商工会起るに嘱托し、校内の教育と校外の実務と聯絡を保たんが為めに委員を設け、其推薦によりて校長を定むるの特例を設くべし、此の如くせば、教育は実際の商業を離れず、卒業者も亦商界に入るの便路を得て、二者の間同情益々濃かなるべし、此の如きは欧米の商業学校に於ても亦其実例あり、此の意見採用せらるゝに於ては甘じて微力を斯業に致すべしと、然れども経費の全額を国庫に仰ぐの官立学校が、斯の如く特別の制度を設くるは破格の例にして、之に適応する調和を計らざるべからず、此に於てか農商務省は校務を東京商工会に分任するの主義を容れ、先づ商業学校商議員を人撰し、其をして校長候補を推薦せしめ、農商務省之を任命するの組織となし、此順次を履みて二郎は罷免より九ケ月後再び校長の職に就きたり


実業教育五十年史 文部省実業学務局編 第一八七頁 昭和九年一〇月刊(DK260087k-0010)
第26巻 p.568-569 ページ画像

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〔参考〕明治前期財政経済史料集成 大蔵省編 第二〇巻・第六八三―六八四頁 昭和八年一一月刊(DK260087k-0011)
第26巻 p.569 ページ画像

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