デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
3款 高等商業学校
■綱文

第26巻 p.613-621(DK260099k) ページ画像

明治33年7月1日(1900年)

是日当校同窓会、栄一ヲ招請シテ其還暦並ニ授爵ノ祝賀会ヲ同校講堂ニ開ク。栄一謝辞ヲ述ベ、兼ネテ商業教育ヲ大学程度ニ高ムルコトノ必要ヲ力説ス。


■資料

東京高等商業学校同窓会会誌 第一一号・第四―一一頁 明治三三年八月刊 渋沢翁還暦並に叙爵祝賀会(DK260099k-0001)
第26巻 p.613-618 ページ画像

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渋沢栄一 日記 明治三三年(DK260099k-0002)
第26巻 p.618 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
七月一日 曇
○上略 午後二時帰宿ス、更ニ商業学校ニ抵リ、商業学校出身ノ人々ヨリ還暦及授爵ノ祝賀ヲ受ケ、賀箋ヲ送ラル、依テ答辞演説ヲ為シテ、更ニ別席ニ抵リ、幹事十数名ノ人々ト学事ニ開スル雑話ヲ為シ ○下略


(八十島親徳) 日録 明治三三年(DK260099k-0003)
第26巻 p.618-619 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三三年   (八十島親義氏所蔵)
七月一日 曇 日曜
此日ハ午後三時、高等商業学校同窓会員が、学校創立以来廿余年一日ノ如ク陰ニ陽ニ尽サレタル我青淵先生ニ対シ、還暦並ニ叙爵ノ祝賀ヲナス為、先生ヲ講堂ニ招請スルノ挙アリ、予等ハ常議員ノ廉ヲ以テ午前十時ヨリ出席ス
○中略
之ニテ式終リ、会員ハ別館ニテ茶菓(会友ニハ菓子袋ヲ頒ツ)先生モ休憩室ニ導キ茶菓ヲ進シ、常議員其他廿余名ニテ接待シ、此席ニテモ先生カ予等ノ後継者タル商工業者ハ此校出身者ナラサルヘカラス、然ルニ大学出身者ナトヨリハ世間ニテモ薄遇ノ赴アルハ遺憾ナラスヤ、又商業学ナルモノ成立タヌ理モアルマジ、諸君ノ内大ニ講究サレン事
 - 第26巻 p.619 -ページ画像 
ヲ乞フ云々、坐談一時間、実ニ打クツロギタル有益ノ談話ニシテ、一同ハ必委員ヲ作リテ調査セシメ大ニ為ス所アラン、願クハ先生一臂ノ力ヲ仮サレン事ヲト誠心応答、実ニ今日ノ同窓会ノ催ハ非常ノ好結果ヲ奏シキ
○下略


竜門雑誌 第一四六号・第五〇―五一頁 明治三三年七月 ○高等商業学校同窓会の祝賀会(DK260099k-0004)
第26巻 p.619 ページ画像

竜門雑誌  第一四六号・第五〇―五一頁 明治三三年七月
    ○高等商業学校同窓会の祝賀会
高等商業学校出身者八百余名より成れる同窓会に於ては、本月一日青淵先生を同校講堂に招待し、先生の還暦及ひ叙爵の祝賀式を挙行せられたり、先生は明治八年同校創立以来、二十余年間一日の如く同校の為に尽されたる恩人なるを以て、特に此典を挙げられたるものなり
同日は在京浜間同窓会員百余名出席し、同校学生四百余名は会友として、又同校々長駒井重格氏始め、職員二十余名は陪賓として列席したり、先つ正賓たる青淵先生を壇上に請し、同窓会総代成瀬隆蔵氏祝辞を朗読し終りて紀念品(希臘商神マーキユリーに形取りたる時計飾り)を贈呈し、次に水島鉄也氏立ちて、各地方に散在せる同会支部より寄贈したる祝電二十余通を朗読せり、此に於て青淵先生は立ちて答辞を述へられ、先づ特に今日の盛典を以て祝賀せられたるの厚意を謝せられ、夫より我国商業教育の前途に対する希望に付きて演説せらる、其趣旨は
 国家富強の基礎は、商業の隆昌に待つことの外なし、其目的を達せんとするには、是非共高等教育を振興して人材を養成せさるへからす、本校の如き明治八年商法講習所として創立せられし以来、漸次に其組織を完備にし、其程度を高め、遂に今日の高等商業学校となれりと雖も、之を他の学術を研究・教授する大学の程度に比すれは一歩を譲るの地位にあり、立国の原素たる商業に対する最高の学校にして如此境遇に在るは遺憾の至りならずや、予は是非共其地位を高めて大学の程度となし、少くとも他の学科に譲らさるの取扱となさゞるべからず、是れ即ち今日の時勢上必要の急務なりと信す、願くは諸君と相共に其方法を研究し、以て将来此希望の貫徹を期せん云々
以上にて全く式を終り、外室にて茶菓の饗応あり、其席上先生には尚前段の趣旨を以て会員諸氏と談話せらるゝこと一時間余にして帰途に就かれしと云ふ


商業世界 第四巻第三号・第五七―五九頁 明治三三年七月一五日 高等商業学校に於ける渋沢栄一男の還歴及叙爵祝賀会(DK260099k-0005)
第26巻 p.619-621 ページ画像

商業世界  第四巻三号・第五七―五九頁 明治三三年七月一五日
    ○高等商業学校に於ける渋沢栄一男の還歴及叙爵祝賀会
明治商業史上の一大「ヒーロー」本邦実業界の斗星たる渋沢栄一男は同時に我が商業教育の開祖として、永く其名誉を後世に伝ふべき人なり、明治の初年、封建の夢未だ醒めず、賤商嫌学の風、一世を蔽ふの時に当りて、挺身一番、斯学の必要を唱へ、本邦史上曾て其例を見ざりし『商業教育』をして、初めて呱々の声を揚げしめ、爾来二十年、繁務激日の余暇、孜々営々として斯道の発達を計り、諄々として商家
 - 第26巻 p.620 -ページ画像 
の後進を誘掖し、今尚足れりとせずして、時に国家商業教育の為め憤慨するもの、実に男が半面の生命なり、現時の高等商業学校は即ち之れ男に拠りて起り、男に拠りて固まりたる我商業教育界の一城廓なり今や此門に遊ぶもの校の内外を併せて一千五百有余名、其等の活動飛躍、漸く社界の一大勢力たらんとするものあるに当り、曩に男には無事還歴の齢を迎ひ、優渥なる叙爵の恩命を受るあり、即ち同校出身者の組織せる同窓会が玆に其祝賀を兼ね謝意の微衷を表せん為、本月一日を卜して、男の為に祝賀の礼会を揚げたるもの、之れ実に男たる者の一光栄にして、又実に我商業教育界の一大美挙と云ふべきなり
斯の祝賀会は全く高等商業学校部内即ち同窓会の催に係り、案内を発せる向きは同校同窓会員、会友、同校職員等皆同校に親縁を有して、永年男が懇篤なる訓陶の下に立つ者のみなりき、開会定刻午後二時半と云ふに、会場と註せられたる同校講堂指して押寄する「フロックコート」袴羽織の紳士連及び正帽正服の学生・生徒等約九百名、正装端座待つこと暫くして、車石を轢るの声は正賓渋沢男の来駕を報じぬ、玆に於て水島幹事開会を告げ、接待員は粛々乎、渋沢男を擁して、壇上の美椅に誘ふ、満堂起立恭しく敬意を表す、和気洋々真に得難き風情、門外漢の味ふべからざる所なりき、乃ち会長成瀬隆蔵氏立ちて男に揖し、低調、当日来臨の労を謝し、イト森厳なる態度を以て、一巻の祝辞を朗読し、終りて恐惶時計飾一個を奉呈せり、而して祝辞は左の如し。
   ○祝辞略ス。
流音哴々、堂内を渡り、万坐粛として平水の如く、清聴するの時、渋沢男もしとやかに起立して祝辞の節々一々応対の意を表せられたりき次に水島幹事は又起つて各地同窓会者よりの祝電数十通を朗読す、玆に於て渋沢男は又立て正面し、先づ謝意を述べ、更に大に其所思を訴へられたりき
男の演説は次号に詳載すべしと雖も、矍鑠たる体躯を振て縷々数万言国家商業の振事に就て最も痛切に解弁せられたる所聴者の頗る爽快に感する所なりき、男開口先づ当日彼の如き盛会を自己の為に開かれたる同窓会諸氏の意を多とし ○中略 更に又男が商業教育に対して演ぜられたる節は一層の活気の籠れる所にして ○中略 我が商業教育は決して今日を以て充分進めりと云ふべからず、否他の諸教育に比して大に遜色を呈し居る際なれば、諸氏に於ても充分意を此辺に注ぎ、此商業教育にして今一段の進歩を計らざるべからざることを弁じ来りて意気昂然、老体を振はす、実に教育界近時の快事なりき、斯くして、男は当日の祝意を謝すると同時に「祝賀の席に不吉の様なれども」との詫言を挟んで、商業教育界の「不足」を述べて憤慨するところあり、以て拍手湧くが如き裡に降壇せりき
今や商業教育は日に漸備の域に向へりと雖も、男が言る如くに前途遼遠なり、嗚呼工科・農科には大学あり、中学校あり、高等学校あり、然れども我が商業教育界には未だ一の大学なし、吾人は今渋沢男の祝賀会に臨み、斯界雄将の二大慶事を祝すると同時に、親しく男の口吻に接して、大に心を強ふするものあるを覚ふ、男よ幸に健全なるや、
 - 第26巻 p.621 -ページ画像 
我商業界の為に、而して特に我が商業教育界の為に!@!