デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
3款 高等商業学校
■綱文

第26巻 p.621-624(DK260100k) ページ画像

明治33年7月3日(1900年)

是日栄一、当校第十回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK260100k-0001)
第26巻 p.621 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
七月三日 曇
午前九時、高等商業学校卒業証書授与式ニ出席ス、一場ノ演説ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第一四六号・第五〇頁 明治三三年七月 ○高等商業学校の卒業式(DK260100k-0002)
第26巻 p.621 ページ画像

竜門雑誌  第一四六号・第五〇頁 明治三三年七月
    ○高等商業学校の卒業式
高等商業学校の卒業式は愈々本月三日を以て挙行せられたり、当日は樺山文相・黒田侯・青淵先生を始めとし、奥田文部総務長官・沢柳普通学務局長・水上横浜税関長、和田垣・寺尾両博士、坂本東京府書記官等数十名にして、式は午前九時過より同校講堂に於て挙行せられたり、職員・卒業生・生徒一同着席、次に同校商議委員及来賓一同着席し、樺山文部大臣の臨場あり、校長駒井重格氏第十回卒業証書授与式を行ふ旨を告げ、卒業生七十九名に対し一々証書を授与し、終つて駒井校長の学事報告、卒業生総代中島誠治氏の謝辞あり、次て文部大臣祝辞を朗読す、其主旨は今や世界平和の戦争は尤も猛烈にして、勝敗は商工業の盛衰にあり、其の盛衰は学力ある本校卒業生等の勉否にあり、と云ふにあり、次に商議委員たる青淵先生の演説ありたり、其要旨は、明治七年講習所の名を以て始りし本校が今日の如き盛況に達すべしとは予期せざりしとて、卒業生の需用愈々饒多なる事より粗製濫造の卒業生なからしむべき事を述べ、志は高遠なるべし、才は慎密なるべし、業は転替すべからず、事は兼営すべからず、との四戒を経験上より諭告したり、式は是にて終り、来賓一同食堂に於て立食の饗応あり、随意商品陳列所を観覧して十一時過退散したり、今回の卒業生は七十九名なり


竜門雑誌 第一四七号・第五―九頁 明治三三年八月 ○高等商業学校卒業式に於ける青淵先生の演説(DK260100k-0003)
第26巻 p.621-624 ページ画像

竜門雑誌  第一四七号・第五―九頁 明治三三年八月
    ○高等商業学校卒業式に於ける青淵先生の演説
 本編は青淵先生か七月三日高等商業学校の卒業式に於て演説せられたるものゝ速記なり
文部大臣閣下、臨場諸君及び学生諸子、此の最も慶すべき賀すべき盛会に当りまして、商議員の一人として玆に祝辞を述べますことは私の最も光栄と致す所でございます、唯今校長よりの御報告に依りますると、当校より卒業生を出しましたのは千余名ばかり、而して卒業証書の授与式も既に十回の数を重ねたと申すは、最も盛んなること、喜ぶべきことでございます
回顧しますれは此の高等商業学校の濫觴は、明治七年に築地で講習所
 - 第26巻 p.622 -ページ画像 
といふ名を以て組織されました頃には、斯様に盛大に発達しやうとはどなたも予期せられなんだのでございます、今を距ること丁度二十七年以前である、而して其後又五・七年を経過して此の商業学校が東京府の市費に依つて立てられて居る頃には、東京府会は左まで必要がないと云ふて此の費用を払はぬことに議決された、此の時分には高等教育と云ふ者は殆んど地に墜ちたる有様であつた
然るに文運の進歩と共に商業教育も斯様に進んで、昔日の事は何となく隣の国の如き感を為すやうになつたのは、何と商業界の為めに諸君も共に双手を挙げて喜ばねばならぬことであらうと思ひます
斯くの如く年々多数の生徒を出すと、或は供給が過ぎて需用に超過を生じはせぬか、所謂供給夥多にして品物停滞すると云ふ有様を惹起しはせぬかと御考へになるかも知らぬが、是れは大なる間違である、商業教育の発達と共に、日本の商業と云ふものも亦大いなる進歩を為したるものである、然のみならず日本の商業には古来学問と相密着することが無かつた為に、学理に依りて事業を営むと云ふことは、近来漸く其緒に就いたと申して宜しい、我々自身は縦令無学と雖も学問を応用する才能は持つて居る如く自惚《ウヌボ》れますが、一歩進んで論じたなら、斯く申す渋沢も矢張り無学の迷想中に居るかも知れぬ、既に商業が左様に進歩し、而して教育が斯の如く進んで来た世の中であるから、此の供給が如何程在つても所謂焼石に水である、決して御心配には及ばぬからどんどん御拵へになるやうに致したい(笑声起る)唯玆に校長に御願ひ申て置きたいのは、品物を善くして戴きたい、如何に多数の製造品を出しても、粗製濫造では困りますから、其の製出する品物に付ては校長にも御注意を願ひ、又出る品物自身も御用心なされて、成べく粗製濫造たらざるやうに致さなければ相成りませぬ
今申す如く商業界は左様に発達したが、併し此の商業界は或る場合には亦退縮すると云ふことは、世中の気運にても免れませぬことである而して目今は如何なる時であるかと申すと最も困難な時である、各種の事業総て進まんと欲して逡巡し、伸びむと欲して䠖跙すると云ふ時代である、此の難関を切抜けて行くと云ふには、或は政治の力に依らなければならぬこともあらう、併ながら政治の力に依るは甚だ小部分であつて、商業家それ自身の力であると云ふことは、特り私が申すのみではない、世の定論と云ふても宜しい、今日商業界が左様に逡巡䠖跙するものは如何なることかと云へば、或は他の誘導若くは不虞の妨害から生じたこともありますが、併し多くは商業家自身が我が位置を踏過ちたるのが多いのでございます、左様申すと『さう云ふ貴殿も踏過ぎた一人であらう』と言はれませう、私は之に答へて曰く『諾』と云ふより外は無いと思ふ、蓋し商業界は一己一人の物で無い、多数の力に依て成立するものである、其多数が踏迷ふ場合には私自身が如何に之を防ぐとも致方がない、そこで此誤謬をなからしむるは何であるかと云へば学問の力である、是商業教育の最も必要なる所以である、例へば商売人の品位を高くする、商売人の信用を厚うする、商売人の気性を剛毅にすると云ふやうなことは、皆な総て学問の力に依らなければならぬ、私は学校教育を受けて成長した者ではございませぬが、
 - 第26巻 p.623 -ページ画像 
未来の継続者はどうぞ私と同様なことは望ましくない、十分なる学問を修め十分なる知識を蓄えて、此の商業界を料理して貰ひたい、是れが即ち私の未来の商業界に出る人に対して偏に希望する所でございます、既に今文部大臣閣下も此の商業学校から商業界に出る所の諸君に向て、此の世の中の進むのは決して政治でもなければ兵備でもない、列国との激烈なる争ひは実力である、実益である、其実力・実益の原素は何であるか、商工業である、其商工業の衝に当る者は何であるか此の学生である、然らば各々方は是から先き国富を増進するの原素になるものであると云ふの御趣意を以て祝辞を述べられました、大に私の志を得たのである、否な私の志を得たのみではない、商業界に対して左様言はれるのは、実に相当なことであらうと思ひます、左様に諸君は重任を負ふて世の中に出る御方である以上は、十分自重あらんことを諸君に望み、且つまた諸君を作り出す所の此学校に向て、成べく純粋なる品物を作り出して下さることを只管懇願するのでございますそこで今日卒業された諸君に向つて二・三御注意になることを申上げて置きたいと考へる、是れは今日卒業された七十九名の御方に対して今後商業界に出たる後の御心掛けは斯様あつて欲いと云ふまでのことであります、第一に商業界の有様は前に述べます如くであり、而して諸君の負担する処は左様に重いが、さて諸君が是れから御出かけになつて事実に当る時には、左様に高い気位を持て居る訳にはいかぬ、是れは宜しく御考にならねばいけませぬ、是れから出かけて実際に当ると云ふのは、丁度巣立を致した鳥の如きもので、西に向つて飛べるやら東に向て飛べるやら、一通りの道理は知て居るが、事実は斯う云ふものであると云ふことは、熟知せぬのであると云ふことを御考へにならねばならぬ、第二に私は諸君に望む、成るべく此の商売人の気風と云ふものをもて卑屈に走らぬやうに、其気性は高尚に剛毅に持つと云ふことに御心掛けなさるやうに致したい、殊に商売社会は一銭一厘の勘定も、一紙半銭の取扱を労とせずにあらねばならぬ、此の細かい最も俗なる取扱をしつゝも、其志は卑屈に陥ゐることの無いやうにせねば、段々商売人の品格が落ちて参る、是れは余ほど恐るべきことである、維新前の商売人の品格の落ちたのは皆な其の点からである、故に商業者たる者は、どこまでも『高尚勇邁なる』気性を具へなければならぬと云ふことに御注意を願ひたい、併ながら事業に付て空想なる考を持つて、理屈だけを述べることは甚だ易いものである、けれども事を仕遂げると云ふは至つて難い、而して前者は甚だ面白いが後者は左まで面白くない、そこで兎角に空論に行走る、先づ学生でも普通の人でもそれが多い、世を挙げて皆然りでございます、日本人の短所は議論に鋭にして実際に鈍い、先づ押なべての天性と言はねばならぬ、斯る場合に志を高尚に持てと云ふと漢学の「修身斉家治国平天下」と云ふ順序に拠りて、身を修めると直ぐに天下を平げる気になるかも知れぬが、さう云ふことは出来るものではございませぬ、第三に申たいことは事業を専一に遂げると云ふことに御考へを願ひたい、昨は汁粉屋で今日は蕎麦屋とさう変しては困る、殊に商業社会には太閤秀吉は少ない、諸君の中に太閣秀吉や漢の高祖が若もあつたら私の演説は例外
 - 第26巻 p.624 -ページ画像 
ですが、兎に角事業を変ると云ふことは事を遂げぬと云ふ恐があります、是れは注意しなければなりませぬ、もう一つは一事に掛つたなら必す二つも三つも関係せぬことにせねばならぬ、然らば貴殿は如何と渋沢へ忽ち反問が来るでありませう、勿論私は変へた男だ、色々な事をやつた男である、但し一身上の弁解は甚だ面白からぬことであるけれ共、左様に諸君に向つて申上げる以上は簡単に一言申さねばなりませぬ
私の一身は最初百姓であつた、それから浪人になり、幕府の役人になり、新政府の役人になり、遂に商業者になつた、併し商業者になりてからは三十年と云ふものは変らぬ、其の前は世の中が私を変へましたのである、是れは宜しく御諒察を願ひます、又私は各種の事業に従事すると云ふことに付ては、既に一昨日も同窓会の諸君の内に御話しが出た、私に対しては失礼ではあるがそれは宜しくないと思ふ、と云はれたが誠に其理を得たことで、私自身に於てもやりたくはないが、併し私の場合は已を得ぬと云ふことを申すのでございます、或は已むを得るかも知れませぬが、先づさう云ふ理由があると思ふのであります併し通常の規則として申上るのは、どうでも今のことを変ると云ふことは余ほど慎まねばならぬ、是れは諸子の胸中に十分御納置きが欲しいと思ひます
尚ほ最終にもう一言申上げて置きたいのは、甚だ卑屈な口上に聞へまするが、事業を成すに当りては己の利益を多くすると云ふ、即ち蓄財を主とする念が先きに立つと、終に道理を誤ると云ふことに注意されたい、但し蓄財の念が悪とは云はれませぬが、若もさう云ふ観念のみで事業をするならば、其事業を道理正しくやることは甚だ期し難いと言はねばなりませぬ、故に総て事に当り物を処するには、己れ自身の蓄財と云ふ観念は第二に置いて欲しい、諸子の中には他日多くの財産を積む御方もありませうが、併ながら学生諸子はさう悉く三井・三菱の如き豪富の人ではない、故に此事は十分御注意をなさつて、道理に依て利益を得ると云ふの考を持て勉強せねばなりませぬ、私は漢学も十分に出来ないのに兎角に支那の例を引きますが、袁子才の言に『才は大なるを欲し、志は小なるを欲す』と云ふことがあります、併し是れは感心せぬ言葉で、私は丁度之と反対で、志は高尚に才は精密でなければならぬと思ひます、それで諸子に向つては飽までも其才を精密にし、其志を高尚にすると云ふことを希望致すのであります、将来の御注意として一言を申上て、以て今日の祝辞に代へます(拍手)