デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
5款 大倉商業学校
■綱文

第26巻 p.726-731(DK260115k) ページ画像

明治31年5月23日(1898年)

是日、大倉喜八郎還暦・銀婚ノ祝賀会ヲ開催スルニ当リ、栄一及ビ渡辺洪基・石黒忠悳ノ連名ヲ以テ学校設立ノ趣旨ヲ来賓ニ披露スル所アリシガ、栄一、偶々韓国地方旅行中ノ為メ、嫡子篤二ヲ代理トシテ之ニ参列セシム。


■資料

還暦銀婚之記 田辺浩編 第一七―二七頁 明治三一年一二月刊(DK260115k-0001)
第26巻 p.727-729 ページ画像

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竜門雑誌 第一二一号・第三八―三九頁 明治三一年六月 ○大倉喜八郎氏の義挙(DK260115k-0002)
第26巻 p.729-730 ページ画像

竜門雑誌  第一二一号・第三八―三九頁 明治三一年六月
    ○大倉喜八郎氏の義挙
大倉喜八郎氏が多年の素志を達し今年還暦に相当するを以て、去る五月廿三日本邸に於て内外朝野の紳士淑女を招待し、還暦及銀婚の祝賀を兼ね盛大なる園遊会を催されし際、来賓に向ひ発表せられたる大倉氏商業学校創立の主意は左の如くなりし、右に対し榎本子爵は来賓を代表し其義挙を称揚するの賛辞を陳べられたりといふ、大倉氏が身を商業界に起し今日の声誉を得たるを徳とし、邦家百年の後益々我商業界の隆盛を冀はんとして、特に巨額の資金を投して秀才養生の礎を立つるは、唯に一大美挙として大倉氏の為めに誇るに足るのみならず、邦家を益すること幾許ぞ、今左に其創立主意を録して紀念とす
 我輩ノ友人大倉喜八郎君還暦及ヒ結婚満二十五年ノ寿節ニ際シ、資産中ヨリ金五十万円ヲ割キ商業学校ヲ創設セントスルノ挙アリ、大倉君十八歳ニシテ郷里ヲ出テ、赤手経営商業ニ従事スルコト四十四年、今ヤ日本商業界ニ有数ノ位置ヲ占メ、還暦ノ寿ヲ迎ヘ夫人徳子ト共ニ銀婚ノ賀ヲ祝セラル、大倉君ノ如キハ多福ノ人ト云フベシ
 大倉君以為ラク、弱年以来幾多ノ辛苦ヲ嘗メ危険ヲ冒シ、今日ノ幸福ヲ得タルモノハ実ニ 聖世昌平ノ恩沢ナリト、即チ其資産ノ一部ヲ割キテ商業学校ヲ創設スルハ 聖世ノ恩沢ニ報スル所以ナルヘシ大倉君以為ラク、欧米文明諸国ト文字・言語・宗教・人種ヲ異ニスル邦国ニシテ、彼ト対等ノ条約ヲ結ヒ競争ノ商業ヲ営マントスルハ独リ我日本アルノミ、サレト日本国民ハ今日ノ地位ヲ以テ満足ス可ラス、日本国民ノ愈々奮励スヘキハ実ニ今後ニ在リ、今日ハ僅ニ競争場裡ニ名ヲ列スルヲ許サレタルノミ、漸クニシテ競争場裡ニ名ヲ顕シ最モ激シク甚タ長キ競争ヲ試ミントスルニ当リテハ、堅実ナル品性ヲ有シ日新ノ知能ヲ有シ素養確カニ教化敦キ人物ヲ有セスンハ対等条約・内地雑居ト云フカ如キハ適マ以テ国富国力ヲ耗スルノ不幸ヲ来サンノミト、即チ商業学校ノ創設ハ当世ノ要務ニ応スル所以
 - 第26巻 p.730 -ページ画像 
ナルヘシ、語ニ曰ク、富ハ屋ヲ潤シ、徳ハ身ヲ潤スト、大倉君亦タ此語ヲ銘スルモノ歟
 大倉君既ニ五十万円ノ支出ヲ決シ、学校設立ノ事ヲ我輩三名ニ嘱托セラレタリ、我輩固ヨリ其器ニアラスト雖、既ニ前例ナキノ美挙ニ感ス、豈区々ノ労ヲ惜マンヤ、而シテ設立ノ方法・学校ノ組織及ヒ其他ノ要件ハ、更ニ識者ヲ請シ委員ヲ編シ、適当ノ施設ヲ定メント欲ス
 玆ニ大倉氏還暦ノ寿宴及ヒ銀婚ノ賀会ニ際シテ、此ノ美挙ヲ世上ニ紹介スト云爾
  明治三十一年五月
                      渋沢栄一
                      渡辺洪基
                      石黒忠悳


中外商業新報 第四八八七号 明治三一年五月二六日 大倉氏商業学校創立の主意(DK260115k-0003)
第26巻 p.730 ページ画像

中外商業新報  第四八八七号 明治三一年五月二六日
    大倉氏商業学校創立の主意
去る廿三日大倉喜八郎氏の本邸に於て同氏還暦及銀婚の祝賀会を催ふされし際、来賓に向ひ発表せられたる大倉氏商業学校創立の主意は左の如くにして、子爵榎本武揚氏は之に対し来賓を代表して祝詞を呈せりと云ふ
○下略


中外商業新報 第四九〇九号 明治三一年六月二一日 大倉商業学校創立委員会(DK260115k-0004)
第26巻 p.730 ページ画像

中外商業新報  第四九〇九号 明治三一年六月二一日
    大倉商業学校創立委員会
大倉喜八郎氏の義挙に依りて発起せられたる商業学校の創立委員たる渋沢栄一・渡辺洪基・石黒忠悳の三氏、及穂積陳重・小山文部次官の二氏は、去十六日大倉氏邸に会合し、該校創立案に関して協議せし由なるが、其際小山氏の起草に成れる学則、及穂積の起案に成れる学校法人組織の原案に多少の修正を加へて之を可決し、又大倉氏は其捐資すべき五十万円を本年十二月より向五ケ年間に支弁する事に定めしと云ふ、猶当日の決議に依れば近々の内該校にて商議員十一名及監事三名を設くると云ふ


竜門雑誌 第一二二号・第五五頁 明治三一年七月 ○大倉氏商業学校創立委員(DK260115k-0005)
第26巻 p.730-731 ページ画像

竜門雑誌  第一二二号・第五五頁 明治三一年七月
    ○大倉氏商業学校創立委員
大倉喜八郎氏の義挙に係る商業学校の創立委員渋沢栄一・渡辺洪基・石黒忠悳三氏、及穂積陳重・小山健三両氏は六月十六日大倉氏邸に会合し、同校創立に関し協議せられし由、其際小山氏の起草に成る学則並に穂積氏発案の学校法人組織の二案に、多少の修正を加て可決したりと云ふ、又同校設立に関しては大倉氏は五十万円の捐資を為すと云ふに止まり、学校組織其他一切の事項は挙て創立委員に依頼せる由にて、基本金五十万円は本年十二月より向五ケ年間に支出し、其保管を創立委員に托すことゝなり居ると云ふ、猶当日の決議に依れば不日商議員十一名・監事三名を設け、学校創設の計画に遺憾なきを期すべし
 - 第26巻 p.731 -ページ画像 
と云ふ


竜門雑誌 第一二三号・第二二頁 明治三一年八月 ○大倉氏商業学校と『Nation』(DK260115k-0006)
第26巻 p.731 ページ画像

竜門雑誌  第一二三号・第二二頁 明治三一年八月
    ○大倉氏商業学校と『Nation』
ニユヨルクに於ける『The Nation』雑誌が、七月十四日発兌の誌上に大倉氏商業学校創立に関して称賛の辞を以て左の記事を掲載せり、之れ独り大倉喜八郎氏の名誉のみならず、本邦商業教育が如斯文字に依り広く世界に紹介せられたるを喜ぶと同時に、是を完成せしむる責任一層重きを加へられたるを知る、即ち其原文を左に採録す
  Thoughtful critics of New Japan hava reasonably found fault with the present generation, because, while many of the old forms of benevolence went down and out with the feudal system,the new order failed to provide for the fresh claims of humanity and moral progress. A pleasing indication of better things is noted in the recent gift of the great Tokoy merchant, Okura, who recently devoted half a million dollars to the founding of a School of Commercial Education. The occasion of the gift was that of his silver wedding. About two thousand of the leading people of the metropolis attended the garden parties on three consecutive days. Tha presence of the highest officers of the Government was proof of the tremendous social advance of the merchant from the days of the seventies, when he had few rights which a swordwearer was bound to respect.