デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
5款 大倉商業学校
■綱文

第26巻 p.747-754(DK260122k) ページ画像

明治39年10月23日(1906年)

是日ヨリ三日間、当校設立者大倉喜八郎ソノ古稀ヲ記念シ、赤坂区葵町ナル自邸ニ園遊会ヲ開催ス。栄一毎日之ニ臨ミ、祝詞ヲ述ブ。


■資料

(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK260122k-0001)
第26巻 p.747 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三九年    (渋沢子爵家所蔵)
十月廿三日 終日雨
例刻出勤、午後一時過ヨリ大倉氏古稀祝賀園遊会ニ招カレ、葵町同家邸ニ至ル、雨中ノ招客、主人ノ苦心被察、本日ヨリ三日間連日ノ催ニテ朝野五・六百名、先ツ目下新築半成ノ洋館広間ニ通サレ、玆ニ式場ノ設備アリ、大倉氏ノ挨拶、石黒氏ノ演説、渋沢男爵ノ演説等アリ、余興ハ一中節台ノ芝居(浦島)・二人袴、其他藤間勘右衛門ト高麗蔵トノ子宝三番叟ノ素踊、役者ハ菊五郎・吉右衛門・高麗蔵等也、終テ大隈伯ノ演説 ○中略 美術館モ見タルガ実ニ盛ナ物ナリ、立食ハ庭ノ天幕ノ内ニテナリキ、惜イカナ雨天ノ為出入ニ至テ不便ナリキ、食堂ニテハ八十余才ノ林子爵万歳ノ音頭取ラレキ、各花街ノ芸妓・女将ノ類モ惣出ノ有様、エライ取設ナリキ、六時帰リ入浴食事
   ○中略
十月二十五日 晴 夜風甚シ
漸ク晴レル、大倉氏三日目即チ終リノ日ニ初メテ大当リ也、青淵先生ハ毎日臨場演説セラル
○下略


東京朝日新聞 第七二五三号 明治三九年十月二四日 大倉氏古稀祝筵(DK260122k-0002)
第26巻 p.747-748 ページ画像

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中外商業新報 第七四七三号 明治三九年一〇月二四日 大倉邸の盛事(大倉喜八郎氏古稀祝賀園遊会)(DK260122k-0003)
第26巻 p.748-751 ページ画像

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中外商業新報 第七四七四号 明治三九年一〇月二五日 大倉邸祝賀会(DK260122k-0004)
第26巻 p.751-753 ページ画像

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竜門雑誌 第二二二号・第四八―四九頁 明治三九年一一月 ○大倉喜八郎氏古稀祝賀園遊会(DK260122k-0005)
第26巻 p.753-754 ページ画像

竜門雑誌  第二二二号・第四八―四九頁 明治三九年一一月
○大倉喜八郎氏古稀祝賀園遊会 大倉鶴彦翁は今年古稀の齢に達せしを以て去月二十三日より三日間葵坂の邸内に於て盛なる祝賀会を開き内外貴賓知己を招待して園遊会を開かれたるが、同日青淵先生には主人鶴彦翁の挨拶、石黒男の演説に続き左の如き祝賀演説を為されたり
 閣下・淑女・紳士諸君、私は大倉君古稀の賀に一言の祝辞を呈するの光栄を担ひます
 私は君と三十余年の旧友、特に其従事の方面が同一の地位に立つて居りますので、百事相提携して今日に及び今に明治聖代の聖恩に浴する者でありますが、今日よりして過去を顧みますれば歳月流るゝが如く、大倉君は既に古稀の齢に達せられました
 明治照代は種々の人が国家に尽すの時代で、或は学問、或は政治、或は軍事に夫々貢献を致されまして、玆に御列席の方々の内にも、各方面から国家に貢献されし方々は枚挙に遑あらざる程であります乍併大倉君の如く商業界に雄飛されし人は、是れを他方面に求むるも匹儔甚だ稀れであらうと信じます
 君が経営の事業の跡に見まするに、君は議論の人よりも手腕の人、口舌の人よりも実際の人であつて、是が所謂君の今日ある所以であります、特に君は大に其事業の発展するに伴ひ、他人に越えて国家公益に尽くさるるは羨望に堪へざる次第であります、唯今石黒男の御報告に依つて我々共迄も大に面目を施したる様に感ぜられるは、特に感謝しなければならん次第であります
 昔の時代は少し年を取ると、さう何時迄も娑婆を塞がれては困ると云ふ様な時代でありましたが、長く生存しても世に益する所なくんば或は然らん、支那でも昔から七十を古稀と称へて居ますが、近来
 - 第26巻 p.754 -ページ画像 
世の中が段々進で参ると共に、老人の相場許りは諸物価と反対に下落の傾向あつて(笑)七十位では、何だか老人らしくなくなりました、斯う申すと何だか自分で老人らしく思はれぬ様な算段と疑はれるかも知れませんが(大笑)七十が老人らしくなくなつたも、是れも明治照代の賜であります(喝采)
 夫れで私は斯う申して主人の古稀を祝したい『人生七十近多見、福禄如君古来稀』而して其福禄を大に利用する事、君が如きは更に大に古来稀れなり(大喝采)私は此点に於て主人古稀の賀辞を呈する次第であります
因に記す、青淵先生を始め其他諸氏より鶴彦翁の寿を祝して多くの歌詩を寄せられたる由なるが、一二を記すれば左の如し
○中略
                    青淵先生
 和歌の浦に立ち帰りつゝあしたつの
      尚ほ幾度か千里行くらむ
○下略


東京経済雑誌 第五四巻第一三六一号・第八二二頁 明治三九年一一月三日 ○大倉氏古稀祝筵(DK260122k-0006)
第26巻 p.754 ページ画像

東京経済雑誌  第五四巻第一三六一号・第八二二頁 明治三九年一一月三日
    ○大倉氏古稀祝筵
大倉喜八郎氏は、去二十三日より七十の古来稀なりといふ長寿の賀筵を赤坂葵町の自邸に開き、盛大なる宴遊会を催され、雨宮氏の富士模造と好対の盛事なりき、第一日は大倉氏の挨拶に次きて、石黒男の大倉商業学校に関する報告を兼ねたる祝辞・渋沢男の祝辞・大隈伯の演説等あり、第二日は石黒男・渋沢男並に牧野文相の演説あり、各日とも千有余名の来賓あり、諸大臣を始め朝野の紳士群を為し、余興の趣向もさまざまにして、近時稀なる盛筵なりき