デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
6款 其他 13. 山口高等商業学校
■綱文

第26巻 p.819-820(DK260141k) ページ画像

明治41年5月28日(1908年)

是日栄一、修学旅行ノ為メ上京セル当校学生ノ為メ東京高等商業学校ニ到リ、一場ノ演説ヲ為ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK260141k-0001)
第26巻 p.819 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
五月二十八日 雨 軽寒
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ ○中略 山口高等商業学校教授横地石太郎氏来話ス ○中略 午後三時半高等商業学校ニ抵リ、山口高等商業学校生徒修学旅行者ノ為、一場ノ演説ヲ為ス○下略
   ○演説筆記ヲ欠ク。



〔参考〕実業教育五十年史 文部省実業学務局編 第四六八―四六九頁 昭和九年一〇月刊(DK260141k-0002)
第26巻 p.819-820 ページ画像

実業教育五十年史 文部省実業学務局編  第四六八―四六九頁 昭和九年一〇月刊
 ○第四期 第五章 第一節 実業専門学校
    三 高等商業教育
○上略
 - 第26巻 p.820 -ページ画像 
  三 山口高等商業学校
 本校は其の淵源極めて遠く、文化十年萩藩の儒者に依つて創設せられた講堂を以て濫觴となす。その後一百数十年の間、社会情勢の変転に応じ或ひは講習室となり、鴻城明倫館となり、或ひは中学校と呼ばれ、変則小学と称せられ、又鴻城学舎と改められた。明治に入り更に私立山口中学校、県立山口中学校等を経て、十九年には山口高等中学校、次いで二十七年に山口高等学校と改称せられた。
 日清戦後我国の商業著しく発達し、一般に従来より一層高等なる商業教育の普及を要望するに至りたる結果、実業学校令に依る商業専門学校増設の気運漸く熟し、私立防長教育会は夙に此の情勢を察知する所あつた。其の結果明治三十七年本校に於ては来学年度入学せしむ可き大学予科生徒を募集せさることとし、本校を高等商業学校に組織変更するの準備を整へ、三十八年四月より山口高等学校を山口高等商業学校と改称し、多年本校を支持し来れる私立防長教育会より離れ、官立商業専門学校となつた。その際同会は本校に明治四十年まで毎年金二万五千円宛を寄附し、且つ特に校舎模様替及図書標本購入費として金二万円を寄附した。
 明治三十八年設立当時の学科目
  倫理 書法及商業文 応用物理学 英語 商業算術 商業地理 簿記 応用化学及商品学 経済学 民法 商法 商業学 商業実習 第二外国語 体操
 尚山口高等商業学校に於ては大正五年以降支那貿易科なるものを置き、対支商業に須要なる知識を習得せしむるを目的とし、其修業年限を一箇年とし主として同校卒業者にして支那語を修めたる者に入学を許した。其教科は支那経済事情・日支経済関係・支那最近社会事情・支那最近史・殖民政策・国際法・英語及支那語である。
 現行学科目
  修身 商業学概論 銀行及金融 外国為替 保険及共同海損 交通 取引所 税関 経営経済学 貿易実務 簿記(商業及銀行)原価計算 会計学 商業数学 珠算 応用理学及商品学 書法及商業文 経済原論 経済政策 財政学 経済史 経済地理及経済事情 経済統計 法学通論 民法 商法 英語(読解・会話・作文・商業英語)物理及化学 代数及幾何 国語及漢文 選択学科目 体操
○下略