デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
2節 女子教育
1款 東京女学館
■綱文

第26巻 p.856-864(DK260147k) ページ画像

明治19年11月(1886年)

是ヨリ先栄一、伊藤博文ノ勧説ニ従ヒ女子教育奨励会設立ニ協力シ、資金募集等ニ尽力ス。是月同会評議員トナル。


■資料

私立女子教育奨励会東京女学館一覧 同会・館編 第一―四頁 刊(DK260147k-0001)
第26巻 p.856-857 ページ画像

私立女子教育奨励会東京女学館一覧 同会・館編  第一―四頁 刊
    女子教育奨励会設立趣意書
吾邦教育の事、之を既往に顧みれば、維新以来実に振起改良せりといふべし、されど全体に就きて之を論ずれば、欠点と称すべきもの将たなきにあらず、女子教育の振はざるが如きも亦其一なり、夫れ社会は男女の二性よりして成立つものなれば、男女互に和合協力して能く相助くるにあらざれば、真の国家の隆盛は期し得べからず、蓋女子に要する所は、三箇の地位に立つに臨みて各能く其己を処すべきの点にあり、三箇の地位とは何ぞ、其一、人の妻と為る事、其二、家婦となる事、其三、母親となる事、是なり、而して家婦となり、母親となり、て、其己を処するが如きは、最も善良なる教育を受けたる者にあらざれば、容易に之を能くし得べからず、抑々家婦たる者は、一家整理の事、家内衛生の事、家事経済の事等に於て、皆能く之に通暁せずばあるべからず、されば女子たる者に教育の欠くべからざるは、また疑を容れざるべし、殊に女子の教育の必要なるを感ずるものは其子を挙げて母親となるの時にあり、そも児童の教育は、学齢に達し学校に入りて修学する頃に至りて、始めて始まるものにはあらず、胎中に在る時の如きは姑く論ぜず、胎内より出でゝ初めて大気に触れ、日光を見る時に於て、早く既に始まるものなり、而して襁褓の中に在る時より学齢に達する迄の間、受くる所の教育は、全く母親の掌中にあるものにて、生長の後善良なる人物となると否とは、大概此間の教育の良否に由りて分るゝものとぞいふべき、草木の最も撓まし易きは其萌蘖の時に在り、人の最も移し易きは其の幼稚の時に在り、学校教育の緊要なるは固より論を待たずといへども、其幼稚の時母親の膝下にありて善良なる教育を受けざる児童をして、一朝忽ち学校の教育を受けしむるるは、猶沙磧の上に大厦高楼を建築するが如しとやいはん、故に学校教育をして、果して其功を奏せしめんとには、母親をして善良なる教育を授けしむるの人となさゞる可らず、かゝれば女子に教育の欠くべからざるは今更言を俟たざるべし、されど女子教育の事をもて今日の急務とするの旨趣は、全く上に述べたる理由にのみ因れりといふにはあらず、諺に曰く釣合はぬは不縁の原と、凡そ男女の配偶は智識・品格互に相適合するものをこそ選むべけれ、若し然らざらんには情機投合せざるよりして、其間自然に阻隔の意を生じ、知らず知らず愛意の薄
 - 第26巻 p.857 -ページ画像 
きに至るものなり、夫婦の関係此の如きの有様なる時は、人生の重要なる家居日常の快楽を各々十分に受け得ざるのみならず、児童の教育を始として、終には社会の秩序国家の進歩にまでも、いみじき妨碍を生ずべきなり、今吾邦男女関係の有様を観るに、明治の今日に在りては、速かに排除すべき彼の男女疎遠・夫婦阻隔の陋習の如きは、却て大に増長せんとする勢あるぞ歎はしき、何故なれば、男子の教育は日に進歩を加へ月に改良に赴むけども、女子の教育は依然として旧容を改めず、宛も封建時代暗黒世界に棲息するが如き情態を存する者あるをもて、男子の智識思想の増進に従ひて、女子の有様と隔絶する事ますます遠く、随て所謂釣合を失ふものいよいよ甚しくして、男女の交際勢ひ疎遠に赴き、夫婦の愛情自から菲薄に帰するの外なきに至るべければなり、社会男女の有様此の如くにして、いかでか国家の隆盛をば望むべき、されば今日に於ては速に女子の教育を振興して、男子の教育と駢び馳せ、男子智識思想の増進に相伴ひて、常に其釣合を失はざらん事を期すべきなり。
女子教育の今日に急務なる上に陳述するが如し、故に我輩今女子教育奨励会を設立し、広く内外同感の士女を募り大に女子の教育を振興し将来吾邦の男女をして人生当然享有すべきの福利を完受せしめ兼て社会の秩序国家の進歩に裨益あらん事を期す、有志の諸君よ、冀はくは此の挙を賛成し速に本会に同盟して相共に協同輔翼し給はんことを。
  明治十九年十一月               発起人


私立女子教育奨励会東京女学館一覧 同会・館編 第一三―一五頁 刊(DK260147k-0002)
第26巻 p.857-858 ページ画像

私立女子教育奨励会東京女学館一覧 同会・館編  第一三―一五頁 刊
    女子教育奨励会役員
 会長                北白川宮殿下(御薨去後欠員)
 副会長               有栖川宮殿下御息所
 同                 小松宮殿下御息所(御薨去)
 同                 伏見宮殿下御息所
 同                 閑院宮殿下御息所
 同                 三条公爵夫人
 同                 黒田伯爵夫人
 同                 伊藤公爵夫人
 同                 西郷侯爵夫人
 同                 大山公爵夫人
 同                 後藤伯爵夫人
 同                 毛利公爵夫人
 同                 岩倉公爵夫人
 同                 柳原伯爵夫人
 同                 鍋島侯爵夫人
 同                 蜂須賀侯爵夫人
 同                 花房子爵夫人
 同                 岩崎男爵夫人
 同                 渋沢男爵夫人
 評議員長               伯爵 土方久元
 - 第26巻 p.858 -ページ画像 
 評議員      (会計委員)    男爵 渋沢栄一
 同                     長崎省吾
 同                  男爵 神田乃武
 同                     桜井錠二
 同                     増島六一郎
 同                  男爵 穂積陳重
 同                     ノツト
 同                     ディクソン
      已上


私立女子教育奨励会東京女学館一覧 同会・館編 第五―九頁 刊(DK260147k-0003)
第26巻 p.858-859 ページ画像

私立女子教育奨励会東京女学館一覧 同会・館編  第五―九頁 刊
    女子教育奨励会規則
      第一条 目的
本会の目的は、日本の貴婦人に欧米諸国の貴婦人と同等なる佳良の教育及家事の訓練を受けしむるに在り
      第二条 方法
本会は前条の目的を達せんが為に、東京に於て女子高等教育の学館を設立し、各地方に於ても同様の学館を奨励すべし
      第三条 資金
本会の資本金は、本会より供資証票を発行して所要の金額を募集するものとす
      第四条 会員
供資証票の所有を以て何人たりとも本会々員たるの資格を有するものとす、但入会の許否は評議員会に於て之を決す
      第五条 役員
本会の役員を定むる左の如し
 一 会長     一名
 一 副会長    若干名
 一 評議員長   一名
 一 管財委員   若干名
 一 幹事     二名以上
 一 会計委員   一名
 一 評議員    十五名
      第六条 会長
会長は評議員会に於て推選し、本会の事務を総裁するものとす
      第七条 副会長
副会長は評議員会に於て高貴の婦人を推選し、会長を輔翼して本会の利達を謀るものとす
      第八条 評議員長
評議員長は会員に於て選挙し、本会行務の主宰として評議員会の議長となり、本会の総務を指揮し且其の目的の実行を監督するを以て其職掌とす
      第九条 管財委員
管財委員は会員に於て之を選挙す、本会の資金其の他の財産を管理し
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兼て評議員たるべし
      第十条 幹事
幹事は会員に於て選挙す、本会の記録及通信に関する事務を掌り、兼て評議員たるべし
      第十一条 会計委員
会計委員は会員に於て選挙す、本会の出納に関する事務を掌り、兼て評議員たるべし
      第十二条 評議員
通常評議員は会員に於て選挙す、其の任期は満一箇年とし、任期中に於て欠員を生ずる時は、評議員会に於て之を補充す
通常評議員は評議員長の指揮に属して、幹事・会計委員・管財委員と共に本会一切の事務を掌理す
      第十三条 会員の特権
本会の会員たる者は左の特権を有す
 第一 其の親族の婦人は本会学館の各室及庭園を使用する事
 第二 本会に属する交会に参加する事
 第三 親族中の女子をして他人に先ちて本会の学館に入学せしむる事
 第四 同上の女子をして他人に先ちて本会の学館に寄宿せしむる事
第三項・第四項の場合に於て、志願者欠員の数を超ゆる時は、該会員所有証票の数に応じたる抽籤を為し、其の当籤者を以て之に充つ、数多の証票を有する者にして、当籤の数自己の所要に超ゆる時は、其の権利を他の会員に譲与するを得
      第十四条 供資証票の譲渡
本会の証票は、予め評議員会の承諾を経るに非ざれば、他人に譲与するを得ず
      第十五条 投票
本会総会に於ては、会員たる者其の所有証票の数に関らず、一名一箇の投票権を有するものとす
      第十六条 総会
本会の総会は毎年一回之を開くを以て通則とす、評議員会は其の必要ありと思考する時は臨時総会を開くの権利を有す、又会員十五名以上の請求ありたる時は臨時総会を開くべし
      第十七条 規則変更
本会の規則は総会の出席三分の二以上の同意あるに非ざれば之を変更するを得ず、総会に於て規則の改正を発議せんとする者は、其の期日に先ち少くとも一箇月以前に其の発議案を幹事に差出すべし
幹事は総会期日より少くとも一週間以前に右の発議案を各会員に報告すべし


青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第六一八―六一九頁 明治三三年二月刊(DK260147k-0004)
第26巻 p.859-860 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第六一八―六一九頁 明治三三年二月刊
 ○第五十八章 公益及公共事業
    第十節 女子教育奨励会
女子教育奨励会ハ明治十九年八九月ノ交、当時ノ内閣総理大臣兼宮内
 - 第26巻 p.860 -ページ画像 
大臣伊藤博文ノ勧誘ニ起リ、先生専ラ資金ノ募集ニ尽力シ、自ラ三千円ヲ出シ、応募者百七十八名募集金高六万九千三百七拾五円ニ達セリ先生ハ創立ノ初ヨリ今日ニ至ルマテ資金ノ出納ヲ監督シ、其労少ナカラス、而シテ特ニ注意スヘキハ明治十九年ハ今日ノ如ク文運進マス、商工業家ノ多クハ本会ノ如キ高尚ノ計画ハ、専ラ華族・官吏社会ノ事トシテ殆ント顧ミサルノ有様ナリシニモ拘ハラス、多数ノ出資者ヲ商工業家ヨリ得タルハ、全ク先生ノ尽力ニ依ルト云ハサルヘカラス ○下略


東京女学館書類 二(DK260147k-0005)
第26巻 p.860 ページ画像

東京女学館書類 二           (渋沢子爵家所蔵)
    女子教育奨励会東京女学館沿革概要(印)《(西田)》
      女子教育奨励会
起源 明治十八年秋時ノ総理大臣兼宮内大臣伊藤伯発案
趣旨目的 本邦貴婦人ニ欧米先進国ノ貴婦人ト同等ナル教育ト家事ノ訓練ヲ受ケシムルニ在リ
創立委員長 伊藤伯
創立委員 渋沢・岩崎・外山・富田・長崎・斎藤・神田・末松・高嶺桜井・大島・原・伊沢・渡辺・菊池・矢田部・穂積・ノット・ディクソン・ビッカーステス・シヨー(二十一人)
元資金 金拾万円ノ予定、明治二十一年三月会員ノ勧誘並ニ資金ノ募集ニ着手、会員百八十名、資金申込高金六万九千五百円(実収六〇、九七四、七五)
創立委員長更迭 明治二十一年伊藤伯台閣ヲ去リ土方宮内大臣就任
会ノ組織成ル 同年春本会ノ組織成リ九月ニ至リ会則発表
会長・副会長 北白川宮殿下ヲ会長ニ、有栖川宮御息所・小松宮御息所・伏見宮御息所外貴婦人十四名ヲ副会長ニ推戴ス
       明治二十七年会長宮殿下薨去、其後会長ノ推戴ナシ
評議員長 土方宮内大臣
評議員 渋沢・外山・富田・神田・桜井・菊池・穂積・伊沢・増島・長崎・ビッカーステス・シヨー・ノット・ディクソン
評議員長薨去 大正七年秋土方評議員長薨去
新評議員長 同年冬評議員会ヲ開キ渋沢子爵ヲ推ス
現在評議員 長崎・増島・桜井・服部・田中・若尾・大倉・西田
資産状態 最初会長ヨリ募集シタル金六万余円ハ東京女学館創立以来ノ経費補助ニ充当シ、大正十年度末ニ至リ全ク消費シ尽ス
校舎新築資金募集 ○下略
   ○右記録ハ昭和二年五月中旬ニナサレタルモノノ如シ。


雨夜譚会談話筆記 上・第六四―六七頁 大正一五年一〇月―昭和二年一一月(DK260147k-0006)
第26巻 p.860-861 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  上・第六四―六七頁 大正一五年一〇月―昭和二年一一月
                     (渋沢子爵家所蔵)
  第四回 大正十五年十二月十一日 於飛鳥山邸
    一、女子教育に尽力せられしに就て
敬「女子教育に尽力せられましたことに就て、六十年史には斯うあります」(予備調べを読む)
先生「女子教育などと文字にこそ書けるが、明治十八年頃のことは、
 - 第26巻 p.861 -ページ画像 
非常に幼稚なもので、教育などゝ云ふことは出来ぬ程であつたから其時分から私が女子教育に尽力したと明瞭に述べるのは寧ろ恥しい位である。たぶん内閣の制度を始めて定める時であつたと思ふが、総て西洋の制度に則ることにしよう。就ては、女子をも西洋の如く取扱はねばならぬ。男子と女子との権利が甚だしく相違するやうでは面白くない。此等を改良せねばならぬと云ふので、女子教育奨励会を組織した。会の名称は教育奨励を標榜して居るが、実際は先づ女子をも社会的に交際するやうにし、礼式を悉く欧米の型に改めようと云ふに在つた。当時鹿鳴館が出来て居たと思ふが、其処へ婦人も会合して、社会的な交際をするやうに、寧ろ奨励する有様であつた。そこで奨励会では、英吉利人で相当の年配になるカークスと云ふ婦人を傭つて、交際の教授方に頼み、女子を社交界に出るやうにしやうとした。従つて西洋流の舞踏などの稽古もしなければならぬことになり、カークスの教授のみでは不充分であると云ふことになつた。又さうした人々は悉く家庭を持つた相当年配の者であるが、此等の人々よりも未だ家庭を持たぬ若い女子の教育をすることが大切であると云ふ点に気付いて、三四の教師を頼み其の教育を実行することになつた。これが今の東京女学館の抑も初めで、女子教育奨励会の実際教育機関である。然るにそれを実行するに就ては金がかかる。其処で私達が心配して、資金を六万円程集めた。今日では六万の金は大したものではないが、当時ではかなりの額であつたのでそれを基本として、校舎は宮内省に願つて借りることが出来、愈々成立した。それは以前虎之門にあつたから虎之門女学館と通称せられたが、大震災後羽根沢に移つた。兎に角相当な年齢の婦人を西洋流に教育して社会的に交際場裡へも出るやうにすると同時に、其の子女を教育すると云ふので、此の東京女学館を建てたのである。東伏見宮妃殿下も此の女学館の卒業と見え、養育院の田中がお目にかかつた時其事を仰せられ「渋沢へよろしく伝へて呉れ」と御伝言せられたさうである。○下略
   ○此ノ会ノ出席者ハ栄一・渋沢敬三・白石喜太郎・高田利吉・岡田純夫。


雨夜譚会談話筆記 下・第七二七―七三〇頁 昭和二年一一月―昭和五年七月(DK260147k-0007)
第26巻 p.861-862 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  下・第七二七―七三〇頁 昭和二年一一月―昭和五年七月
                     (渋沢子爵家所蔵)
  第二十六回 昭和四年十月二十九日 渋沢事務所ニ於テ
    二、今後の女子教育に就ての御感想
先生「婦人問題に就ては、あまり立派な意見を述べる程の考はない。婦人に対する観念は、慶応三年民部公子にお伴して欧羅巴へ行つてから多少違つて来た。それ迄は東洋式の考で、当時参政権などの問題は、勿論なかつたが、婦人には主権を絶対に持たせぬがいゝ、孔子の所謂、女子と小人は養ひ難しと云ふのを信じ、貝原益軒の女大学式の説を尤だと思つてゐた。当時の説は、おしなべてそうであつたから、私も何らの考へもなく、ぼんやりと左様思込んでゐた。そんな具合で、「女子を斯様に、引立てねばならぬ。教育もせねばならぬ」などゝは考へてゐなかつた。ところが欧羅巴へ行つて、男女の
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交際を目撃して、「これではいかぬ。日本人の婦人に対する考は間違つてゐる」と云ふ事を、痛切に感じたのである。けれども私は儒教式の考を全然捨てたのではない。全然男女同権を認めるなどゝ云ふ説には同意し兼る。「男女はどうしても、本能的に相異る所がなければいけない」と云ふ点は、私は今猶確信して居るのである。
 私の婦人に対する考への変つたのは、三段に別ける事が出来る。一番最初が純東洋式の考で、乃ち欧羅巴へ行く前がそうであつた。それから明治十九年東京女学館を建てた時が、其次であつた。三度目は、成瀬仁蔵氏と共に、日本女子大学校を創立した前後がそれであつた。東京女学館を建てる前に、―明治十八年と思ふ― 婦人の社会的教育の必要が、次第に一般の人々に感じられるやうになつて、政治家仲間、特に伊藤公などがそれを唱へ出した。私も婦人を道具視しては、今後日本の進歩は望まれない事を力説した。これが実行されて、英国人でカークスと云ふ婦人を頼んで、先づ学問と云ふ事よりも婦人に社交教育を授ける事を担当させたのである。訪問とか夜会・晩餐会などに於ける婦人の敬礼の仕方などを欧羅巴式にしやうと云ふので、カークスに練習せしめることにしたのである。そしてそれをやりかけると、今度はいま一つの問題が生じた。家庭を持つた婦人の教育はそれでよいとして、子供の教育はどうすればよいか、それは学校教育が必要であると云ふので、女学校を作ることにした。そうして出来たのが東京女学館である。いざ学校が出来て見ると、学問の出来る外人を雇はねばならぬ。それには金が必要になつて来た。そこで私等が尽力してその金を寄附金で集めた。こんなにして、十八年以後、婦人に対する観念が著しく違つて来た。更に此考に一段の進歩を見たのは、日本女子大学校の設立の際であつた
○下略
   ○此ノ回ノ出席者ハ、栄一・渋沢篤二・渋沢敬三・白石喜太郎・佐治祐吉・高田利吉・岡田純夫・泉二郎。



〔参考〕雨夜譚会談話筆記 下・第四三三―四三八頁 昭和二年一一月―昭和五年七月(DK260147k-0008)
第26巻 p.862-864 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  下・第四三三―四三八頁 昭和二年一一月―昭和五年七月
                     (渋沢子爵家所蔵)
  第十五回 昭和二年十一月十五日 於飛鳥山邸
    一、所謂鹿鳴館時代に就いて
先生「鹿鳴館は伊藤(博文)さんが専ら拵へたものです」
穂積母堂「出来たのは何時頃で御座いませう。私は初めての夜会に行つた事を覚えて居ります」
先生「要するに日本の制度を欧米化する事にあつたが、それには婦人も共に交際社会へ出して、風俗を西洋式にしやうと云ふ目的もあつた。此頃女子教育奨励会も出来て居たが、之れが今日の女学館の前身で、英国婦人を雇つて婦人の交際方法の教授を頼んだりした。最早その英国婦人の名も忘れて仕舞つた。何んでも三・四人居た様です。唯カークスと云ふ名は覚えてゐます。女学館の目的は女子が当時の儘では到底西洋式に当嵌まらぬから、之れを教育し度いと云ふにあつた」
 - 第26巻 p.863 -ページ画像 
小畑「女学館の外国婦人は英国人ばかりで御座いましたか?当時米国人は如何で御座いました?」
先生「米国婦人は居ません。其頃は米国人の日本に来る者は少くて、大半は欧羅巴人でありました」
小畑「今でも女学館には米国人は入れないそうで御座いますネ」
敬「米国人禁制の場所ですネ。どうも米国人の英語は訛が多くて、英人の英語とは違つてると云ひますネ。最近では英語と米語は別のものだそうです」
先生「鹿鳴館は欧風化の実行場所で、舞踏会も盛んにやつた。そして色々な噂を立てられて遂に解散になつて仕舞つた」
穂積母堂「それに就て、私から少し弁解を致して置きたいと思ひます。舞踏会と云つても今のとは違つて、規則が中々厳しく、男子の方はエンビフクでなければならず、令嬢や若い婦人は監督者が附かなければ出る事が出来ませんでした。けれども伊藤さんが御承知の様な方だつたもので御座いましたから……。それでも噂程では御座いませんでした事は私が保証致します。或る御婦人などは色々な評判を立てられましたが、之れは全くの捏造だつたので御座います」
先生「そうだらう。何でも鹿鳴館に対しては三浦梧楼とか鳥尾小弥太等の軍人連中が大変反対したものだから……」
穂積母堂「場所は今の閑院の宮様の所で、松平出雲守様のお屋敷だつたと思ひます」
敬「女子教育奨励会の会長は北白川宮殿下、副会長が、熾仁親王殿下御息所・貞愛親王殿下御息所・三条公爵夫人・黒田伯爵夫人・伊藤伯爵夫人・西郷伯爵夫人・岩崎(弥之助)夫人・渋沢(栄一)夫人等となつて居ります。之れで見ると、当時が今日よりも宮様と人民との間が接近して居つた様に思はれますネ」
先生「鹿鳴館が悪いとばかりは思はない。欧風化は必要だと思つた。併し皆が良いとは云はない。要するに一概に善し悪しは云へません此間逓信大臣が航空会社設立の事を頻りに薦めるので、それはやつても良からうと云つた。何でも議会の協賛を経て、十年間に千八百万円を費す計画らしい。之れは見様に依つては馬鹿らしいとも思へるけれども、外国でやる事を日本では出来ぬとは真に恥かしい事である。又新しい仕事と云ふものは、其結果は神様でなければ判断する事は出来ぬ。そして社会を新しくして行くには新組織・新計画が必要であるのだからネ」
増田「女子のクラブとするのが鹿鳴館の目的で御座いましたか?」
穂積母堂「いゝえ、女子ばかりでなく、男子も女子も共に寄る社交機関で御座いました。天長節とか云つた様な時の夜会の為めに使つて居つたので御座います」
先生「女子教育は女子教育奨励会でやつて居つた。そして鹿鳴館は女子の舞踏の場所にも使用されて居つたと云ふに過ぎません」
渡辺「鹿鳴館は欧化主義が目的であつたと承りましたが、日本が条約の改正をするに其方便として、政略的に急に欧化する必要があつたと聞いて居りますが、左様云ふ意味も御座いましたか?」
 - 第26巻 p.864 -ページ画像 
先生「そう云ふこともあつた。条約改正には実際も之れに伴はねばならぬと云ふに在つた」
敬「喜賓会と云ふは外国人の案内をする事が目的だつたので御座いますか?」
先生「そうです。今のツーリスト・ビユーローの前身で、鹿鳴館とは全然目的が違ひます」
   ○此ノ回ノ出席者ハ、栄一・同夫人・穂積歌子・渋沢美枝子・渋沢鄰子・渋沢敬三・増田明六・渡辺得男・白石喜太郎・小畑久五郎・高田利吉・岡田純夫・泉二郎。


〔参考〕中外物価新報 第一六八〇号 明治二〇年一一月六日 女学校設立の相談(DK260147k-0009)
第26巻 p.864 ページ画像

中外物価新報  第一六八〇号 明治二〇年一一月六日
    女学校設立の相談
昨日午後第一時より伊藤総理大臣・三条内大臣・松方大蔵大臣・榎本逓信大臣其他顕官数名、又民間にては富田鉄之助・渋沢栄一・大倉喜八郎の三氏が坂本町銀行集会所の楼上へ参集して、女学校設立の件に付き相談を遂げられたる由


〔参考〕(外山正一) 書翰 渋沢栄一宛 (明治未詳年)七月一三日(DK260147k-0010)
第26巻 p.864 ページ画像

(外山正一) 書翰  渋沢栄一宛 (明治未詳年)七月一三日
                     (渋沢子爵家所蔵)
昨日辻新次君ヨリ来申、都合ニ依リシカゴ博覧会見物致度考案中ニ付キ、女学館之義此際は断度由ニ御坐候、就テハ神田氏並ニ小生抔ノ考ニテハ、今度廃サレタル音楽学校長タリシ村岡範為馳氏ニ女学館之世話ヲ頼度ト存候、同氏は第一高等中学ノ教員ニ専任可相成由ニ候得共校長ト申ニは無之故、幾分女学館之世話抔致呉候時間モ可有之トモ存し、実は昨日神田氏ト共ニ同氏ニ試話致候次第ニ御坐候、尚又貴台ヨリモ御書面ヲ以テナリ共御依頼被下候ハヾ、或ハ承諾ニ可相成哉ニ存候、若シ同氏ニ於テ引受呉候ハヾ、幸甚之至リニ可有之存候、右得貴意度 敬具
  七月十三日               外山正一
    渋沢栄一様