デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
2節 女子教育
1款 東京女学館
■綱文

第26巻 p.868-873(DK260150k) ページ画像

明治41年10月30日(1908年)

是日栄一、当館創立二十年紀念祝典ニ参列シ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK260150k-0001)
第26巻 p.868 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
十月三十日 曇 冷
○上略 午後二時女学館ニ抵リ、創立二十年ノ祝典ヲ挙ケ、式後一場ノ女学生ニ対スル訓示演説ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第二四六号・第七一頁 明治四一年一一月 ○東京女学館創立廿週年祝典(DK260150k-0002)
第26巻 p.868 ページ画像

竜門雑誌  第二四六号・第七一頁 明治四一年一一月
○東京女学館創立廿週年祝典 虎ノ門の東京女学館にては、去る十月三十日午後二時より創立二十週年祝典を執行せられたるが、当日は君が代の合奏に次ぎて、館長土方伯教育勅語を捧読し、引続き同館創立以来の経過及現状に就いて演説し、右終るや青淵先生は、予も廿年来本館に関係あれば、未だ脳裡を離れざる本館の歴史を繰返して、土方館長の語を補ふべしとて、開館以来廿年間の女子教育の変遷を述べ、尚別に女学生を戒め、先般女子大学卒業式席上にての演説を繰返して学問と実際との相離る可らざるを切言し、次に卒業生総代第一期卒業生男爵夫人津軽理喜子・生徒総代沢木伴子の祝辞ありて、廿週年の唱歌を合奏し、之にて式を閉ぢ、更に余興として唱歌・英語対話・洋琴連弾等数番あり、孰れも拍手の裡に終了し、四時半散会せり。


竜門雑誌 第二四七号・第一五―二一頁 明治四一年一二月 ○東京女学館二十年紀念祝典に於ける演説(十月三十日)(青淵先生)(DK260150k-0003)
第26巻 p.868-873 ページ画像

竜門雑誌  第二四七号・第一五―二一頁 明治四一年一二月
  ○東京女学館二十年紀念祝典に於ける演説 (十月三十日)
                     (青淵先生)
館長閣下、並に臨場の諸君、学生諸子、今日の当館二十年紀念祝典に
 - 第26巻 p.869 -ページ画像 
当つて、玆に皆様と会見するの光栄を荷ひましたのは、洵に私の歓喜に堪えぬ次第でございます、本学校の今日に立至つた沿革は、唯今館長閣下から御述になりましたので、最早重複を要しませぬ、併し館長閣下は無論高年で居らつしやるが、私もさほど若い人間ではないので即ち明治十九年頃から同じく驥尾に附いて尽力し来りましたから、或る点に於ては閣下よりも尚余計に心配した場合なきにしもあらずと申上げたいのでございます、故に御申漏の廉々が若しあるとすれば之を敷衍するも敢て蛇足を添へるでもなからうかと思ふのでございます。世の中のことは兎角一歩進んで又立戻りがして、又それから再び進むといふやうに、起伏がある、起伏といふ言葉は少し穏当でないか知らぬが、波の動くやうに、即ち波動状を為すものである、丁度今館長の御話のございました明治十九年、女子教育奨励会を造り、同時に女学館を設けて、華の如き貴女達を大勢集めて、学問の修養をおさせ申すといふことに至りましたのは、二ツの意味から成立つたのである、第一には、日本の従来の習慣といふものが、男は外、女は内、此内といふ言葉が内政を取扱ふといふ意味ばかりでなくて、内に引込で縮んで居れといふ意味であつた、故に女といふものは、殆んど有つても無きが如く、先づ日本の人口が五千万のものならば、二千五百万としか数へられぬといふ訳であつた、今は皆様一人前になつて居らつしやるから御安心なさいまし(笑)、而して其待遇はどうかといふと、ちよつとしても女子と小人とは養ひ難しといふて居た(笑)、もう貴女方は大抵御承知でございませう、貴女方は小人と同格の位置にお立ちなされねばならなかつたのです、これも今はさうでないから御安心なすつて宜いが、昔はさういふ有様で、殆んど国民の半数は有れども無きが如き姿であつた、又女子は世間の交際にも世間の経済にも携はらぬといふことは、他の国々にはない話である、殊に欧羅巴・亜米利加などは、男女同権どころではない、殆んど女尊男卑といふ有様である、段々学問・風俗の海外より移入される所からして、総て海外諸国と対等なる有様に進んで行かねばならぬ、精神的にあれ、物質的にあれ、同時に社交上も左様なければならぬといふことが、明治十八・九年頃の一般の風潮で、遂に此男は外、女は内といふでなしに、男女とも外も内もある、斯ういふ風に改良して、社交上婦人の位地を追々に進めて行かうといふのが一の目的であつた、此婦人の位置を社交上に進めて行かうといふには亜米利加は何れの方角だか、経緯度は如何であるのだか第一世界に邦国が幾つあるのか、五大洲か六大洲か判らぬ、或は又動物と植物とは如何に相違するか、菊の花は何であるか、梅の木は何であるか解らぬといふやうな有様では困る、天文地理、或は経済なり法律なり、相当な道理は婦人にも解るやうにせねばならぬ、如何となれば相当の知識ある外国の婦人は、それだけのことは皆解つて居る、解つて居る西洋婦人に解らぬ日本婦人で交るといふことになると、不体裁になる、矢張元の通り女は内に居なければならぬから、是非とも学ぶといふことが必要である、さて学ぶといふに就ては、もう五十・六十になる婦人が来て学ぶといふ訳にはならぬから、若い人に学ばせる外はない、玆に於て女子教育奨励会といふ社交上の教育と、もう一ツ
 - 第26巻 p.870 -ページ画像 
は皆様の如き若い方々を一の学館を造つて教育をして、追々に交際場裡に御出掛になるやうにしたいといふのが目的であつたのです、果して其目的は今日略ぼ達した訳ではありますが、併し此学館の其間の苦辛といふものは、是は皆様方には御話しても効能はないやうなものではあるが、前に述べた如き一張一弛の世体から、ナカナカ其間に従事するものゝ困難が多かつたといふことを、少し己れの労を斯る機会に皆様に御吹聴するは、祝辞として穏当ならぬ様でありますけれども、常に教場に出て此様な講釈も出来ませぬから、斯る時に御話して、斯く吾々は骨を折つたから、皆様方は十分に学問をして、どうぞ世の中に功を立つるやうにして下さいましといふのは、敢て無理な望みではなからうと思ふのでございます。
其困難といふのはどうかといふと、明治十八・九年頃は前にも申しました如く、一時陽春の雨後に草木の萌ひ出る如き風潮で進んで行つたが、さて二十一・二年頃に至つては、殆んど又冬枯の姿になつて来たのです、何等の理由かそれは解りませぬ、是は世の中の進歩する上に於て、さういふ変化のあることは免れぬので、例へば明治三十七・八年頃の戦争に対して、金融困難であらうと思つて居つたら、思ひの外金融は緩であつた、戦争が止んで金融が閑になるだらうと思つたら、商売は不景気だが金は忙しい、全く反対の有様を生じたるが如く、世間のことゝいふものは、想像以外に来ることが多いもので、それと同じ訳で、時の総理大臣伊藤伯爵、今は公爵であるが、吾々を集めて国家の為に必要だから斯様々々にせよと勧誘された、吾々はそれを尤もと思ふて、さて力を入れて見ると、世の中は二・三年の中に大に様子が違つて来たのみならず、最初に主唱した御人々も、何か奥の方に閉塞するといふやうな有様で、学校を開いて見ても入学生は甚だ少ない随て集めた基金も最初の目的通には寄らなんだ、而して学校の収支は償はぬといふやうな有様になつたのです、斯る席に斯くまで申すは、余程無遠慮のやうでありますけれども、併し有体に申すと事実右やうであつた、玆に於て館長始め吾々共は種々なる苦心をして、さうして維持する中に、幸に此専任幹事西田氏が、三十二年に此処に任じられ同氏の洵に勤勉に一意専心事務を執らるゝこと、又学生諸子に対しても切実なる情愛を以て待遇されることは、教員の方々も定めて此幹事の扱ひ振には御不満足はなからうと私は思ひます、是等も此学校をして大に進歩せしむるの助けであつたが、最も是よりも大なるのは前任の各館長閣下が代り代りの末に、矢張三十二年であります、現閣下が御任じになつて、是亦専心一意に学務を御取扱ひなされた、併しながら内に左様なことがあつても、世間の学問の企望が十分に生じて来ねば、決して学校が発達するものではないのです、所が丁度三十一年頃からして、大に世間の気風が二十二・三年頃と変つて参つた、即ち其波動の伏が起になつたので、波の動きが大分三十二・三年頃から進んで参つた、即ち機運の進んで参る時勢に、之を受くる内の処置が宜くなつた、のみならず其前からして段々卒業された方々が、追々に社会に出て良妻となり、賢母となられるといふやうなことでありましたから、随て学校の名声も高くなつて、唯今館長の仰せられたやうに、初
 - 第26巻 p.871 -ページ画像 
めは何やら華族の綺羅を飾る所といふやうな誤解がありましたが、其誤解も追々に取除けられて、総ての方面から入学生が増すやうになつて、今日は此通り広い此一堂が皆様方で充満されて居るといふ程の盛況に至つたのでございます、是は内外相応じて来つたのである、からして此既往二十年を回顧しまするといふと、洵に隔世の如き有様を為して、其間に波の動きが色々になるので、現在之を見る私抔は、成程或る場合には長生はしたくないものだと思つたり、又或る場合には長生をしたればこそ、斯様な嬉しいことも見られると思ひ、或は憂ひ或は喜びます、一喜一憂、これは人間の免るべからざる所である、所が吾々未だ此学校に就て安心して居られぬ事があります、是も学生の御方々に余り内幕を御披露するも、学校の維持者としては頗る恥入つた話であるけれども、此家屋は立派ではあるが自分の物ではないのです貴女方は借家人です(笑)、併し家主さんは帝室であるから、其様に肩身の狭いことではないけれども、学校其ものゝ家ではないのです、どうしても未来に此学校に対して、相当なる校舎を造つて、さうして皆様が是れは己れの学校だと、肩身広くして居らるゝやうにまでせねばならぬと、吾々はさういふ責任を持つて居るのです、此責任は独り館長とか吾々委員とかいふやうな者ばかりの責任と思ふては戴きたくないので、即ち此学校に学んだ御方も等しく、此学校をして未来に継続せしめて、追々に好い校風に好い習慣を重ねて、此学校から出た人は社会に出て最上なる働きを為すといふやうに進めて行きたいと思ふて下さらねばならぬのであります、何れ校舎建築の時機は其中に来りませう、併し今私が貴女方に向つて其広告をする訳でも何でもありませぬ、唯左様な責任を吾々は持つて居るといふことを御話するのであります。
館長の今御述になつたことに就て、敷衍して申上げまする談は先づ其辺に止めて置きまして、是から此学生の御方々に対して、斯る機会に私は一言、訓戒と申すと失礼である、教育は教師から御受けなさるであらうけれども、婦人の道としてお心得置きなされねばならぬといふことをば、申述べて見たいと思ふのでございます、蓋し此祝典に左様な、訓戒めいたことを申すは、趣旨に違ふではないかと仰しやられると、誠に面目次第もないが、是も私の持前で、所謂婆心でございますから、暫く御静聴を願ひます、想ふに御芽出度といふは、其御芽出度といふ記念になる時に言はれたことは、必ず忘却するものではないと思ひますから、唯御芽出度とばかりいふのが祝辞だと御思ひなさるのは、それは少し御考が違ふので、正月の元日から小言ばかり言つて居るのは、御父さんや御母さんが尤もではないけれども、併し貴女方がお嫁に行くといふ時には、斯うしろあゝしろと言はれるでせう(笑)、それと同じ訳ですから、どうぞ悪く思はないで御聴取を願ひたい。
昔の女に対する教育といふものは、余程卑近なものであつたのです、御覧なさい、其読物は貝原益軒の女大学、又は女今川・庭訓往来・都路往来といふやうなものであつた、今の御方は余り読んだことはないでありませう、又昔は女子は、算盤などは知らぬでも宜い位のものであつた、即ち無学文盲であつて、女が卑めらるゝのは無理もなかつた
 - 第26巻 p.872 -ページ画像 
所が今日は文学・地理・歴史は勿論、算術も事に依つたら幾何・代数までも遣らなければならぬかも知れぬ、外国語も相当に御学びなすつて居るのだから、私抔も相当の学問――相当の学問とまでは申せぬが多少は学問を致した積りであるが、吾々の学問よりずつと以上の学科に貴女方は這入て居られるのである、併し悪くすると此の学問といふものは、真正に利用されぬといふと、寧ろ害になる、丁度食事と同じやうなもので、滋養物が能く咀嚼されて、身体に十分吸収されぬといふと、却て之が害用物となつて、或は腹を下したり、胃に停滞したり種々なる身体の害を為す、丁度学問も其通である、からして学問をすればする程咀嚼を能くし、消化を十分にせねば、其害は却てせぬに勝るといふことを覚悟せねばならぬ、昔の食物の極く滋養の少い大根菜葉だけ食べて居る時分は、其害が少い、所が反対に滋養物の多い、程能く咀嚼すれば効能がある代りに、咀嚼せざれば大なる害があるといふことを御承知なさらねばならぬ、そこで、昔は婦人達の余り書を読まぬやうにしたのは、或る場合は咀嚼の悪い消化の悪い例が伝つたから、遂に貝原益軒などゝいふ人が、あの通に女子といふものは、唯箱の上から押付けて圧迫を加へたやうな教育で満足したのである、蓋しそれは宜くなかつたけれども、余り之が俄にパツと伸びて、丁度洗場《ながし》の下の小豆みたやうにボンヤリ伸びてしまふと、ちよつと風が吹くと直ぐ吹倒されるといふ憂があるから、此学問といふものは余程御考へなさらにやならぬのである、それからもう一ツ学問と日常のことゝがどうも別々に心懸ける弊があつてならぬ、是は最も漢学にある弊で、今の西洋の学術には其弊は少いけれども、併し漢学の習慣が殊に我国には遺つて居りますから、学問上は左様である、事実は之れと違ふといふて、事実と学問とを引離して考へる、それは大間違ひ、学問といふのは即ち日常の行ひそれが学問である、支那の教にも何とあるか、有民人焉、有社稷焉、何必読書、然後為学、論語にある語です、日常の事務が即ち学問である、御婦人の学問といふても尚其通であつて、己れは学問したからそんな賤しいことは知らないといふのは、既に其学問不消化の証拠である、私は此間女子大学で斯様なことを申して、御婦人方に大に失礼を致しましたが、貴女方は立派な世界の地理の講釈は知つて居るだらうけれども、甚だしきは御自分の家の地面の坪数は知らぬであらう、些と広い家なら畳敷も承知しないであらう、世界の地図の講釈をしながら、自分の家の畳数を知らぬといふのは実に詰らぬ話ではありませぬか、イヤ化学だとか、理学だとか、理想を実現させるとか、大層な講釈をする、男子も及ばぬ程であるが、味噌はどうして造るのか知らぬであらう(笑)、沢庵はどうして漬けるものか解るまい、小糠を幾ら入れるとか、塩を幾ら入れるとか、そんなことは解らぬ(笑)、理学・化学は何の為めでございますか、それでは本当の学問の修め方ではない、是から先き出る学者……学者ではない御婦人だ、決してさういふヘボ学者にならしつては困るから、どうぞ呉々も御慎みなさいといふことを申上げたが、これは隣りで申したことを、又此処へ持つて来たので、甚だ失礼の言葉でありますけれども、私は真正にさう思ふのですからして、呉々も今申述べましたやうに、学問
 - 第26巻 p.873 -ページ画像 
と事実とは始終一致すべきものである、学問即ち事実である、実務が即ち学問である、斯う御考へなすつて、而して今日此学校に御出なさる間に、直ぐ実務を執るといふ訳にはいかぬが、此学校で学ぶことは即ち貴女方が実務に就くべき準備である、但し其間に例へば化学上の研究を為すつたことが、直さま応用の出来ない場合があるかも知れぬが、併ながら其通になるのだといふ考を持つて、学と務めと必ず別れぬやうに御心懸なされねばならぬ、斯の如くして学問は始めて消化されるのである、故に私は学問と事務と必ず離るべからざるものであるといふことを、深く御理解おさせ申したいと思ふのでございます。
終に臨んで申添へて置きまするのは、前に申しました通、世の進歩を助けたいと思ひます所から、二十年以前の政治家又は実業家が、国家に深い情愛を以て、どうぞ女子に相当なる学問をなさしめたいといふ考より、刻苦経営して玆に到つたのでありますから、幸に此処から出られまする皆様が、能く其心を心として、皆様御自分の為に尽さなければならぬことは、論を待たぬのでありますけれども、さうして学校の名誉を揚げることにも、御心懸あらんことを希望致します、玆に祝辞に替えて一言の婆心を申述べた次第でございます。