デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
7款 大日本海外教育会・京城学堂
■綱文

第27巻 p.83-86(DK270024k) ページ画像

明治33年11月9日(1900年)

是日栄一、韓国旅行ノ途次当学堂ヲ視察シ、一場ノ演説ヲナシ、尚引続キ当会ノ為メ尽力頗ル努ム。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK270024k-0001)
第27巻 p.83 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
十一月九日 晴
○上略 午後二時京城学堂ニ抵リ、渡瀬・宇津木両氏ノ案内ニテ生徒修学ノ概況ヲ視ル、畢テ生徒ニ対シテ一場ノ演説ヲ為シ、更ニ一同ト共ニ撮影シテ午後四時帰宿ス ○下略


(八十島親徳) 韓国旅行日誌 明治三三年(DK270024k-0002)
第27巻 p.83 ページ画像

(八十島親徳) 韓国旅行日誌  明治三三年
                   (八十島親義氏所蔵)
十一月十七日 快晴
○上略
午前九時安城ニ入リ、福地辰蔵ノ安城学校ニ立寄リ生徒ヲ集メテ元治氏之ヲ撮影ス、十五才ノ生徒金七星ト称スルモノ(一ニ安村星七ヲ和称ス)最モ日本語ヲ好クス、近刊ノ太陽等フリガナニ就テ之ヲ読メリ生徒十数名君が代ヲ唱ヘテ予等一行ヲ迎フモ殊勝ナリ、軈テ予等ノ此処ヲ辞セントスルヤ、彼等一同ハ福地辰蔵ノ先導ニ依リ、列ヲ為シテ予等ノ行ヲ送ル事半里余、此間四百余州ノ唱歌ヲ歌ヒ、又殊ニ鶏ノ林ニ風立チテノ歌ヲ唱スルニ至リテハ、何トナク不愍ノ感ヲナセリ、兎モ角外国ニ来リ而カモ僻陬ノ地ニ於テ日語学校アリ、組織ノ不完全ニシテ我往昔ノ寺小屋ニモ及バサルハ勿論ナレトモ、此ク日本人タル吾吾ヲ款待スルニ逢フ、心気愉々ノ至ナリ
○下略


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK270024k-0003)
第27巻 p.83 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年     (渋沢子爵家所蔵)
六月廿四日 曇
○上略 午後四時ヨリ帝国ホテルニ於テ海外教育会ノ評議員会ヲ開キタリシモ、歯痛ニヨリテ其出席ヲ謝絶セリ
   ○中略。
九月十七日 晴
○上略 夕方大隈伯ヲ佐土原町邸ニ訪フテ、海外教育会ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
九月二十二日 晴
○上略 海外教育会ノ事ニ関シ、押川方義・渡辺常吉《(渡瀬常吉)》・片岡某来話ス、大阪ヘノ添書数通ヲ裁シ、且京城学堂ノ経常費及臨時費ノ事ヲ談ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK270024k-0004)
第27巻 p.83-84 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
八月廿八日 晴
○上略 十一時兜町事務所ニ出勤ス ○中略 押川方義来リ京城学堂ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
九月三十日 曇
 - 第27巻 p.84 -ページ画像 
○上略 午後三時早稲田大隈伯邸ヲ訪フテ海外教育会委員会ニ出席ス、畢テ夜飧ヲ饗セラル ○下略
   ○中略。
十月十日 曇
○上略 外務省ニ抵リ ○午前山座氏ニ面会シテ ○中略 京城学堂補助金ノ事ヲ依頼ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK270024k-0005)
第27巻 p.84 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
九月十八日 雨 秋冷
○上略 四時兜町事務所ニ抵リ、押川方義氏ノ来訪ニ接シ京城学堂ノ事ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
九月二十五日 晴 秋冷
○上略 三時大隈伯邸ニ抵リ、海外教育会ニ於テ開設シアル京城学堂存廃ノ事ヲ評議員会ニ附ス、岡部・鳩山・尾崎三良外両三名来会ス、大隈伯・押川方義モ出席ス、終ニ小村大臣ニ承合ノ上決定スヘキ事ト一決ス ○下略
   ○中略。
九月二十九日 曇 秋冷
○上略 三時再ヒ事務所ニ抵リ、書状ヲ裁シテ韓国清水氏ヘ京城学堂ノ事ヲ答ヘ遣ス ○下略


韓国総覧 徳永勲美著 第三一一―三一二頁 明治四〇年八月刊(DK270024k-0006)
第27巻 p.84 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕大日本海外教育会関係書簡集 六 明治三十四年自一月至八月(DK270024k-0007)
第27巻 p.84-86 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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