デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
16款 其他 18. 青南尋常小学校
■綱文

第27巻 p.247-248(DK270091k) ページ画像

明治42年5月9日(1909年)

是日栄一、当校ニ於テ開催セラレタル父兄懇話会ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK270091k-0001)
第27巻 p.247 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
五月九日 晴 暖
○上略 午前十時青山ニ抵リ ○中略 同地小学校ニ於テ教育ニ関スル一場ノ演説ヲ為ス、蓋シ同校生徒ノ父兄懇談会ノ依頼ニ応シタルナリ ○下略


竜門雑誌 第二五三号・第四四―四六頁 明治四二年六月 ○青南小学校父兄懇話会(DK270091k-0002)
第27巻 p.247-248 ページ画像

竜門雑誌  第二五三号・第四四―四六頁 明治四二年六月
○青南小学校父兄懇話会 青淵先生には赤坂区青山、青南小学校長大作棟治郎氏の懇請を容れられ、去五月九日同校に於て催ふされたる同校父兄懇話会に臨席の上、一場の演説を為られたり、玆に本月一日発行の雑誌「教育の実際」より之を転載すれば左の如し
一、日本が四十年間にかく長足の進歩を成し盛大となつたのは、種々の原因もあろうが、私は一に教育の御蔭であると、常に之を尊崇し又この教育に従事する諸君に敬意を表するので有りますが、今日の教育制度は殆んど完全に近づきましたが、其昔私共の受けし教育は殆んど今日の教育と比較にならず、凡て簡単にして細民一般の教育状態は、漸く自己の姓名を珠算の初歩位のものを習得した位のもので、一歩進んで儒学に至らば研究の余地は有りしも実用の学問にあらずして、孟子とか、論語とか、史記とか、唐宋八大家文とかで、教育をなして居たから学びし学問は茶の湯生花的で多く士太夫以上の慰み物的視せられた、無論儒学の中にも、孝悌忠信など日常の行為の模範心得などはあつても、細民の間には衣食足つて礼節を知ると云ふが如く、衣食に忙殺せられてかゝることに時間を費す暇などはなし、従て多くは数年にして学を廃して実業に従事したものである。今日の教育制度は夫れと異り、就学当時より既に日用に適する様教育し、高尚に進むに従ひ益専門となつて有為の人を養成するのであるが、其の大中小と各学校のある中で、何時が尤も教育上大切の時であると言ふと小学時代で有る、然るに世には子供の時は慰み的に子守的に、小学校を軽視するもの少からず、何卒此点にっいては教育に従事する人も父兄の人も能く留意して、小学校をして慰み的ならぬ様余程の御注意を願ひます、然らば私はどうかと言ふに、私は之れは実行し能はざりしも、自分の身について深く感じ居れり自分は廿二歳頃迄は教育を受けしが、子供のときに学びし事は深く印象せり、廿五歳以後の学問も悉く忘れたるにあらず、世を益し自己を益したることも、成年以後習得せし学問によることも多きも、多分は幼時の事が根原と成りて居ります、故に皆さんに於ても小学教育を軽く見ず、然しながら無理に圧迫を加ふるは考へものなれども、大学・中学時代よりも小学時代を大事にせよと、私は玆に繰返して御願ひ申します。
 二、学問の進歩すると共に、勢免れぬ中によい事と悪い事がありま
 - 第27巻 p.248 -ページ画像 
す、それは私の子供の時分は教師も少なく子弟も少なかりしによるも教師は只学問のみの教授にあらずして、併せて其人物の養成・品性の陶冶にも大に力を尽せり、然るに今日の教育者の状態は如何、職人のそれの如く転任甚しくして、職人の昨日来りて今日去ると云ふ有様、徳育については我れ関せず焉と云ふ有様なり、西洋諸国の教育の状態は知らざれども、英国は此点について多大の注意を払ふやに聞けり、今日の如き有様にて請取仕事の如く教育者が品性陶冶に冷淡にして、修身の時に義太夫的に泣く真似をしたとて何等の感化がありましよう。今少しく両者関係について益あらしむる様御注意を願ひたいので。これは甚だ教育者に対し失言かも知れぬ、又それは一二私の見聞せし所感にして、一般の教育者が皆然りとは申しませんが、教育者たる方に今少しく自重を願ふのである。
三、次に此席で言ふのは、殆んど無用の言にあらざるなきかと感ずるも、日本の学生は其修養時代と活動時代との権衡が取れて居らぬ様である。私共は稍一人前の仕事をなし、其間百姓やら商業やらをなし、廿二歳のとき一人前となり、廿四歳の時家を出で或は浪人或は役人となり、明治六年に今の実業界に身を投じてより三十五六年、それから明治六年前に十ケ年活動して居るから今年私は七十歳であるから殆んど五十年間活動せり。今の大学生では卒業が余程都合の能いもので廿五六歳、それで直に実用に適せず従て三十歳以後となりて、私などより活動時機が十年後れる事となる、尤も三十年以後より活動しても大事業をなす人なきにあらねど、一般の人士又国家の上から大に損である。故に今日の学問制度を改正して、猶早く活動する事の出来る様にせねばならぬ。是は文部大臣に言ふ事で、急には行かぬが多数の声とならば又実行が出来ぬでもない、殊に日本人の健康状態は、大隈伯の百廿歳説の如きは一般に適用し難いので先づ七十歳とならば老衰するものと見做す場合には、愈此学問の時機を早くすると言ふことに尽力せねばならぬ、前に述べし事と共に日本人一般の通弊は、如何なるものも学問をして最上級の学校迄進まんとする傾がある。人として向上を望むは尤なれど、其人の性質と事情によつて、其身分に安んじて早く世務に従事する方が得策にあらざるなきか。人の本分は只自己一身の便利利益の為めに生れたるものにあらず、互に相助けて行くことが必用で、猶其本分を尽す時機はなるべく長くあらんことを望むのである、然して其本分を尽すには各其階級があるから其階級に応じたる学問をなさしめ、強て無理に最上等の学校を望ましめざる様に、父兄に御注意を願ふのであります。
○中略
 右申述べし事は今始めての所感にもあらず、人も談じ世も云ひ、所謂陳腐の事にあれども、自分が深く信じかくありたいと始終思つて居るのであるから、皆さんに御静聴を願ひました次第であります。
   ○本校ハ赤坂区青山南町六ノ一七一ニ在リ、明治四十一年四月ノ創立ニカカル。(「東京府史」行政篇第五巻第一二三頁)