デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

5章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
6款 穂積奨学財団(附)穂積博士就職満廿五年祝賀会
■綱文

第27巻 p.364-368(DK270108k) ページ画像

明治39年11月15日(1906年)

是日栄一、上野精養軒ニ於テ開催セラレタル穂積博士就職満二十五年祝賀会ニ出席ス。


■資料

竜門雑誌 第二二三号・第四九頁 明治三九年一二月 ○穂積博士就職満二十五年祝賀会(DK270108k-0001)
第27巻 p.364-365 ページ画像

竜門雑誌 第二二三号・第四九頁 明治三九年一二月
 - 第27巻 p.365 -ページ画像 
○穂積博士就職満二十五年祝賀会 別項記載の如く財団法人穂積奨学財団の設立を見るに至りしかば、去十一月十五日午後五時より上野精養軒に於て博士就職満二十五年祝賀会を開きたり、当日の出席者は青淵先生・菊池男爵、菊池・元田・奥田・都築・栗塚・岸本・青山・桜井・藤沢等の博士・学士其の他東京法科大学教授・助教授及京都法科大学教授高根・仁井田・勝本三博士を始めとし百四十名に上りたるが大多数は皆親しく博士の薫陶を受けたる者にして、或は行政官・司法官として官海に雄飛し、或は代議士・弁護士若くは実業家として民間に活動せる知名の士のみなれば、恰も法科大学に縁故ある総ての社会を代表して、異彩を放てる一大会合なりき、開会前穂積博士の所望に因り来会者一同一大絖地に署名することゝなり、宛然筆蹟競進会の観を呈せり、軈て午後六時頃牧野・阪谷両大臣、石渡書記官長等横須賀より帰京臨席せらるゝや、委員長土方博士は開会の辞として穂積奨学財団設立の来歴を報告せられ、且今夕の宴会は極めて質素にして来賓を饗応するに足らざること、及び其準備の行届かざりしことを謝せられたり、右終りて主客一同楼上の宴席に移り、和気洋々たる裡に互に歓酌し、斯くて宴将に終らんとするや、会衆一同の総代として富井博士先づ起ちて最も慎重なる祝賀の式辞を述べられ、穂積博士之に対して最も慇懃なる謝辞を述べらる(演説筆記別欄にあり)、次で牧野文部大臣・浜尾大学総長交々起ちて博士の功労と勲績とを称揚せられ、次で岡野博士は加藤博士の祝辞及び仁保博士、喜多村・井坂・飯島・松浦・高橋(在京城)等諸学士の祝電を朗読せらる、是に於て浜尾総長の発声にて一同挙盃、博士の万歳を三唱せしに、博士は之に対して再び謝辞を述べられ、散会に先ち紀念の為め此光景を撮影せりと云ふ


(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK270108k-0002)
第27巻 p.365 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三九年   (八十島親義氏所蔵)
十一月十五日 曇夜雨
○上略 上野精養軒ニ於ケル穂積陳重博士就職満二十五年紀念奨学財団設立披露式兼同博士招待祝宴ニ臨席ス、主トシテ法科教授ニ依リテ主唱セラレ、法科大学ニ縁故アル人、其他ノ人々ヨリ、醵金一万一千余円(内弐千円渋沢、千円三井、十円八十島)ヲ集メ、先生ノ子弟薫陶及斯学ノ研究ニ功績アルヲ永久ニ表彰スル為此紀念トセラレタルモノニテ、予モ飛ビ入リ加入セル也、土方博士披露、食事終リテ富井博士ノ趣旨陳述、穂積博士ノトヽノヒタル弁説ニテノ謝辞、牧野文相ノ演説浜尾新氏ノ同上、岡野博士ノ加藤弘之男祝詞ノ代読アリ、中々ノ盛会ニシテ、来会者百四十余名、渋沢男・阪谷蔵相モアリ、今日ノ会ノ如キハ空前ノ事ニシテ、穂積博士ノ為ニハ一大名誉ノ事トイウベシ


竜門雑誌 第二二三号・第二―六頁 明治三九年一二月 ○上野精養軒に於ける穂積博士の演説(DK270108k-0003)
第27巻 p.365-368 ページ画像

竜門雑誌  第二二三号・第二―六頁 明治三九年一二月
    ○上野精養軒に於ける穂積博士の演説
 本編は去十一月十五日午後五時より上野精養軒に於て開かれたる穂積博士就職満二十五年祝賀会席上に於て、博士の演述せられたる謝辞の速記なり(雑報欄参照)
謹んで本席に御参列の有無に係はらず、紀念財団設立者及び賛成者御
 - 第27巻 p.366 -ページ画像 
一同に申上げます
諸君、不肖陳重が東京大学に就職致しましたのは明治十四年の八月で未だ昨日の如き感が致しまするに四半世紀は忽ちに経過し、本年は既に在職満二十五年に相当することゝなりましたのは、自ら顧みて或は愧ぢ或は喜び、坐ろに感慨の深きを覚ゆる所でございます、然るに此度学友諸君多数の御発企と多数の御賛成とに依つて多額の金員を御出捐に相成り、又た法人設立の前後を問はず、同学以外の諸先輩を始めとし平素知遇を辱ふしたる方々、其他学校・学会等より熱心なる御賛成ありて、穂積の姓を冠したる奨学財団を設立せられ、又た学友諸君の内には其新著書を寄与せられて、御友情と祝意とを表せらるゝに至りましては、誠に予期せざる所の光栄でありまして、碌々たる過去二十五年の今更に回顧せられ、慚愧の念と感謝の念と交々胸に溢るゝ次第でございます
本日玆に財団法人設立披露の式に当り、土方博士より其経過を諸君に報告せられ、富井博士より諸君を代表して之を陳重に通告せられ、且つ在職中の勤務及び学問上の経歴に就て過当の褒辞を賜はりましたのは、陳重一身の面目、一家の光栄之に過ぐるものなき儀でありまして其敢て当らざるを自覚して深く恐縮致しますると同時に、諸君の御厚誼に対する感謝の念愈々其深きを加へ、適当に之を云ひ表はすべき言葉なきに苦しむ所でございます、唯々心の底より諸君の御親切に対して御礼を申上げます
凡そ学問に従事する者の理想とする所は、能ふべくんば真理の発見、若し能はずとするも少くとも真理の説明に一歩を進むることであります、教職に在る者の栄誉とする所は、門下幾多の英才を出すことであります、前者は己れ一身の才能と勉強とに依ることで、謂はゞ単独行為でありますが、後者に至つては師弟間の双方行為を待つて始めて成立し得べきものであります、殊に学生其人の資性及び勉強は、其最大要素をなすものと云はねばなりません、而して一枝の教鞭に生涯を委ぬる者に取つては、嘗て教へたる人々が豪い者になるのを見る程嬉しく又快いことは無いのであります、陳重在職二十五年の其間に、教へたと申すと僣越でありますが、兎も角も教室に出入せられたる人々は大学の内外を問はず頗る多数であります、然るに今や其人々は或は昔日の師をして翻つて教を乞はしむべき学問上の長者となり、或は名判決・名弁論に令名嘖々たる判検事・弁護士となり、官吏としては台閣に列せらるゝ人は云ふも更なり、内外共に国家の要路に当り、実業家として国家経済の中軸に立つて商工業の枢機に与るの類、数へ来つて其多きに驚くのであります、其他新進・壮年の人々に至つては、各々其所を得て其志を行ひ、駸々として立身出世の途に進まれつゝあるのである、之を見之を聞く陳重の喜び果して如何計りでありませうか、三公にも替へ難しとは、人を教ゆるの楽みを言ひ表はすに適当なる語であると思ひます、実に此二十五年間に於ける諸君の御成功は、二十五年間に於ける陳重の些少なる勤労に対する過分なる御褒美であつて陳重敢て他に多きを求めなかつたのであります
然るに此過分なる御褒美さへあるに、諸君の深き友情は溢れ溢れて、
 - 第27巻 p.367 -ページ画像 
今玆に紀念財団設立の盛儀を見るに至りました、是れ実に身に余る面目でありまして、只管恐縮の外なき次第であります、長寿は人の欲する所、人の賀する所でありますが、何仕出したることもなき無益の長命は恥づべきの限りであります、在職とても其れと同じく、唯其久しきのみを以て賀すべきものではありますまい、能く其務を尽し其職を完くしてこそ、甫めて真に祝ふべき理由をも生ずるのであります、陳重我身を顧みますれば敢て自から怠ることにはなけれども、学浅く才拙く、教授法の極めて不完全なることは常に遺憾とする所でありまして、毎年少しづゝなりとも鈍才の及ぶ限りの改良に苦心しつゝあることであります、況んや学者の理想たる真理の発見、真理の説明に関しては、生来の不敏は研究の進歩を極めて遅々たらしめ、五十歳を過ぎて未だ見るべき成績を挙ぐるに至らぬ事は、実に面目もなき次第でありまして、今回の御企に対しては猶更慚愧の念を深くする所であります、実に数年前ほのかに御企の趣を洩れ承り、或は駭き或は愧ぢ、是非共其時期までには研究の一端を公にして諸君の御芳志に酬ひ、且つ諸君の教を乞ひ度いと思ひ立ちまして、取急ぎ修補の事に従つて居りましたが、一昨年セント・ルイに於ける万国学芸会議の招待を受け、其際にも右の理由を申立て再三固辞致しましたが、或事情の為に竟に渡米することゝなりました、為に前後六箇月間著作中断の已むなきに至り、其結果今日までに脱稿の予期に反して尚ほ少なくも半箇年の後を期せざるを得ざることゝなり、不本意此上も無き次第、諸君の御厚志に対しても誠に汗顔の至りでござります
要するに、主として学生の資性と勉強とに依る双方行為なる育英事業は、誠に立派なる結果に誇る事を得ますが、学者の理想たる真理探究の事に至りては誠に至難の大業であつて、未だ観るべき結果を得ることの出来ぬのは、実に慚愧の至に堪へぬ次第であります、況んや浅学微才の身を以て、過去二十五年覚束なき隻手を揮つて敢て此大業に当らんと欲したのは、或は諸君の愍笑を招いたかも知れません、然るに廿五年の今日に至つては陳重は決して孤立でないのであります、倶に事を為すべき有力なる伴侶、事業を永遠に継続すべき多望なる後継者を得たのであります、即ち発企人諸君の御厚意と委員諸君の御尽力と寄附者諸君の御同情とによつて編まれたる揺籃の中に、今月今日呱々の声を上げたる財団法人は、陳重が養子となり穂積の姓を襲ひ、今や後見人たる理事諸君、後見監督人たる評議員諸君の懇切なる指導誘掖の下に、活動発展の途に就かんとして居るのであります、陳重は此法人に対しては、実子に対すると同じく無限の愛情を有するのであります、諸君より授けられたる愛児財団法人は追々健全なる発達を為し、或は有益なる講演を開いて父の研究の足らざるを補ひ、或は諸種の奨学法を設けて父が志有つて力及ばざりし所を行ひ、而も「法人は死せず」の法諺の如く、永遠に育英と真理探究との大事業に当り、以て父母を顕はすの孝子たらんことは、陳重の固く信じて疑はざる所であります、即ち諸君が今回の寄附行為は、啻に陳重が在職の長きを御祝ひ下さるのみならず、過去の足らざるを補ひ将来の及ばざるを見継ぐと云ふ、誠に残る隈なき御芳志であります、陳重不敏と雖も、願くは此
 - 第27巻 p.368 -ページ画像 
の御芳志を頭に戴いて倍々奮励事に当り、愛児財団法人をして穂積の名を冠するを恥ぢざらしめるだけの事は努めて見たいと思ひます、斯くもしなければ、御芳志の万分一をも酬いることが出来ぬ次第と覚悟致して居ります
又玆に一言申添へたきは、諸君が財団法人を設立して祝意を表せられたことであります、民法財団法人の規定は陳重が嘗て富井・梅両博士の教を受けつゝ執筆起草致したる部分でありますが、今諸君が此規定に依りて紀念財団を設けられ、陳重の在職を御祝ひ下さるゝのは実に喜ばしきの限りであります、古へ秦の商鞅が捕吏に追はれ、逃れて客舎に投ぜんとするに当り、己の為りたる法に依りて宿泊を拒まれ「嗟乎為法之敝、一至此哉」と嘆じたると、喜悲相反し、転た諸君の御心入れの深きを感謝する次第であります
終に臨んで再び寄附者御一同の御厚情並に発企人諸君が過去に於ける御尽力と、理事諸君・評議員諸君が将来に於ける御骨折とに対して満腔の謝意を捧げ、穂積財団法人の健全なる発達と永遠なる存在と共に御一同の御清福の無限ならん事を祈るのであります、且つ諸君の御芳名は永く記録に止どめ、家宝として之を子々孫々に伝へ、子孫後裔と感謝の念を倶に致したいと思ひます、諸君の御厚志に対して感慨交々至りて言ふ所を知らず、何卒謝意を言外に御酌取りあつて之れを御受納あらんことを冀ひます