デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

5章 学術及ビ其他ノ文化事業
3節 編纂事業
3款 開国五十年史
■綱文

第27巻 p.487-493(DK270133k) ページ画像

明治40年11月18日(1907年)

是ヨリ先栄一、大隈重信ノ企劃編纂ニ係ル「開国五十年史」ノウチ銀行・会社ニ関スル部分ヲ担当執筆ス。是日、大隈重信ハソノ完成披露園遊会ヲ早稲田ノ自邸ニ開催ス。栄一之ニ臨席シ編纂ニ対スル感謝ノ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK270133k-0001)
第27巻 p.487 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
十二月三十日 曇 寒
○上略 大隈伯使者来リ、五十年史編纂ノ事ヲ談ス


竜門雑誌 第二三三号・第四一頁 明治四〇年一〇月 開国五十年史と青淵先生(DK270133k-0002)
第27巻 p.487 ページ画像

竜門雑誌  第二三三号・第四一頁 明治四〇年一〇月
○開国五十年史と青淵先生 先年来大隈伯総裁の下に編纂中なりし開国五十年史は、此程に至りて編纂を終り、目下印刷中なるが、右の内銀行及会社の部は、青淵先生の述作に係れり


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK270133k-0003)
第27巻 p.487 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
八月十四日 晴 暑             起床六時
○上略 乗竹孝太郎氏来ル、五十年史ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略
八月二十二日 雨 冷            起床六時三十分
○上略
終日雨降リテ客舎無聊ナリ、銀行発達史ノ修正ニ尽力シ、午後児童ニ読書セシム
○下略
八月二十三日 雨 冷            起床七時
○上略
銀行発達史ヲ修正シ畢リテ書状ヲ添ヘテ乗竹氏ニ送付ス
○下略


東京経済雑誌 第五六巻第一四一五号・第九五九頁 明治四〇年一一月二三日 ○大隈伯五十年史披露園遊会(DK270133k-0004)
第27巻 p.487-488 ページ画像

東京経済雑誌  第五六巻第一四一五号・第九五九頁 明治四〇年一一月二三日
    ○大隈伯五十年史披露園遊会
大隈伯の熱心なる監督の下に撰述せられたる開国五十年史は、四年の功を積みて大成したるを以て、大隈伯は披露の為めに去る十八日午後二時より早稲田邸に於て、五十年史の編纂に関係ある朝野の名士を招き、園遊会を開かる、来賓は徳川公・鍋島侯・渋沢男・前島男・石黒男等を首め百余名にして、一同秋深き庭園の幽趣を賞し、殊に菊花は淡白深紅互に鮮妍を闘はし、今を盛りと咲競ひければ、人をして徘徊去る能はざらしめぬ、主人伯は廊下側の一室にありて一々来客を迎接
 - 第27巻 p.488 -ページ画像 
せられ、頓がて坐を温室の中央に移さるゝや、衆客之を囲みて談笑尽きざりしが、三時半一同を大広間に導き、玆にて立食の饗応あり、宴半にして大隈伯は起て五十年史編纂の来歴並に之に対する伯の抱懐を述べ、外交の圧迫に端を発して我国運か此の半世紀間に比類なき発展を遂げたる次第を説き、五十年史に載する諸家の論説は、何れも客観的に沿革を叙したるものなれば、余は五十年間の歴史を基礎とし、更に将来に演繹して、全体に対する結論を起草せんと欲し、目下考案中なりとて、挨拶を兼ね壮快なる演説を試みられ、之に対し徳川公は謝辞を述べ、且盃を挙て伯の健康を祝し、渋沢男は五十年史の編纂に対して感謝を表するの演説を為し、大隈伯再び起て徳川前将軍の健康を祝し、其れより懇談に時を移して五時頃散会したり、因に云ふ、邦文開国五十年史は上下両巻にして、上巻は来月中旬、下巻は来年二月に発行せられ、又英文の分は倫敦「タイムス」新聞社に於て其の印刷発売を引受け、来春には発行せらるべく、支那文の分も凡そ同時頃に発行せらるゝ由なれば、世界各国の人士は此の書に依りて大に我国の真相を解するを得べし


中外商業新報 第七八〇六号 明治四〇年一一月一九日 ○開国史完成披露会(DK270133k-0005)
第27巻 p.488 ページ画像

中外商業新報  第七八〇六号 明治四〇年一一月一九日
○開国史完成披露会 予て編纂中なりし大隈伯選開国五十年史完成せしかば、月の十八日午後二時より、伯爵邸に於て披露祝賀会を開きたり、折柄小春日和の空暖く、庭面に咲く菊花は今を盛りと其艶を競ひ招待を受けし賓客己がじゞ三径の間を逍遥して、談笑の興尽くる期を知らざりき、軈て大広間の宴席に移り、宴半にして伯は起て例の長広舌を揮ひ、編纂の事由及び経過を述べられ、右に対し徳川慶喜公は来賓に代り謝辞を述べ、続て渋沢男の愛嬌たつぷりなる感謝演説ありて一同公爵及び伯に対して万歳の寿杯を上げ、菊の薫りの之にも似て幾千代かけて本書の余香を止めかしと祝ひ、主客十二分の歓を尽し五時半散会せり、当日の主なる来賓は徳川公・鍋島侯を始め、長岡・小笠原二子、石黒・前島・渋沢の三男、大浦男・近藤廉平氏・高橋義雄氏坪内・大槻両博士、其他各方面に渉る知名の士無慮百余名なりき


竜門雑誌 第二三四号・第二八頁 明治四〇年一一月 開国五十年史編成披露会(DK270133k-0006)
第27巻 p.488 ページ画像

竜門雑誌  第二三四号・第二八頁 明治四〇年一一月
○開国五十年史編成披露会 前号に記せる如く、開国五十年史編成に付、同史編纂監督大隈伯爵は、本月十九日午後二時《(十八日)》より右披露の為め朝野の紳士百余名を招待し、温室並に後苑の菊花を観覧に供したる後三時半頃大広間に於て立食の饗応あり、当日青淵先生は其席に於て簡単に所感を述べられたり


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK270133k-0007)
第27巻 p.488 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
十一月十八日 曇 寒            起床七時 就蓐十一時
○上略
午後三時大隈伯邸ニ抵リ、開国五十年史編纂ニ関スル集会ニ列ス、立食場ニ於テ一場ノ謝詞ヲ述へ畢テ午後五時王子ニ帰宿ス
○下略
 - 第27巻 p.489 -ページ画像 


伯爵大隈重信撰 開国五十年史 副島八十六編 下巻・目次第一―一七頁 明治四一年二月刊 【下巻目次 [抜粋]】(DK270133k-0008)
第27巻 p.489-491 ページ画像

伯爵大隈重信撰
開国五十年史 副島八十六編  下巻・目次第一―一七頁 明治四一年二月刊
    下巻目次
神道と君道 (一―三〇)           久米邦武
○中略
儒教 (三一―六二)        文学博士 井上哲次郎
○中略
仏教 (六三―八六)        文学博士 高楠順次郎
○中略
                       本多庸一
基督教 (八七―一三二)
                       山路弥吉
○中略
哲学的思想 (一三三―一六〇)   文学博士 三宅雄二郎
○中略
                  法学博士
泰西思想の影響 (一六一―一九八)      新渡戸稲造
                  農学博士
○中略
新日本智識上の革新 (一九九―二一〇)    横井時雄
○中略
明治文学 (二一一―二五〇)    文学博士 芳賀矢一
○中略
美術小史 (二五一―二九四)         正木直彦
○中略
音楽小史 (二九五―三二二)         東儀季治
○中略
国劇小史 (三二三―三四四)    文学博士 坪内雄蔵
○中略
政論界に於ける新聞紙 (三四五―三六八)   福地源一郎
○中略
新聞紙雑誌及び出版事業 (三六九―四一四)  鳥谷部銑太郎
○中略
農政及び林政 (四一五―四六六)  農学博士 酒匂常明
○中略
水産業 (四六七―四八四)          村田保
○中略
鉱業誌 (四八五―五一八)          古河潤吉
○中略
                       手島精一校
工業誌 (五一九―五四四)     工学博士 真野文二校
                       鈴木純一郎稿
○中略
織物誌 (五四五―五六八)          川島甚兵衛
○中略
染織誌 (五六九―五八〇)          高橋義雄
○中略
銀行誌 (五八一―六七六)       男爵 渋沢栄一
 明治維新……当局者の措置……明治初年の幣政……財政整理……維新前の金融機関……政府の苦心……為替会社……金券準備金……為
 - 第27巻 p.490 -ページ画像 
替会社の不成功……国立銀行……為替会社の遺恵……政府紙幣……紙幣交換……国立銀行設立理由……銀行条例制定由来……条例の要点……資本の制限……銀行紙幣の権能……事務の規定……銀行成規……当初の諸国立銀行……第一国立銀行……銀行紙幣の信用……紙幣増発の結果……紙幣下落の状況……金融界の動揺……救治策……幣制……銀行の困難……政府の救済……銀行条例の改正……改正の要点……改正の動機……国立銀行の勃興……預金・貸付金……資本金……条例の改正……応急の紙幣増発……物価と貨幣……紙幣下落の影響……救治法……松方大蔵卿の努力……経済界の反動……金融界の影響……兌換制度の実行……横浜正金銀行……一盛一衰……私立銀行の勃興……統計表……金融界の不統一……銀行制度の改革……日本銀行の設立……政府の保護……日本銀行の組織……営業範囲……発達の状況……銀行紙幣銷却法……銷却事務……国立銀行処分法案……国立銀行処分結了……国立銀行の効果……兌換銀行券条例……条例の改正……条例の再改正……貨幣法の制定……日本銀行特権拡張……旧紙幣の廃止……兌換券の発行高……銀行条例……貯蓄銀行条例……商海の波瀾……銀行増減表……日清役の影響……経済界の重大事件……経済界の反動……商工の不振……市場の恢復……戦後の銀行増設表……銀行営業進歩表……銀行制度の発達……勧業銀行・農工銀行……台湾銀行……北海道拓殖銀行……日本興業銀行……特権銀行発達表……銀行集会所……手形交換所……手形交換高累年表……銀行発達の四期……日露戦役後の銀行……今昔の感
会社誌 (六七七―七一六)      男爵 渋沢栄一
 維新以前の会社……明治維新……政府の奨励……諸会社の設立……東京鉄道会社……民智……民間事業の必要……政府の啓発……会社設立の困難……諸会社の勃興……商界の不振……諸事業の興隆……反動……日清戦役……戦勝の影響……会社統計……商法制定の影響……商業会議所の貢献……地勢……蒸汽船会社……三菱会社……共同運輸会社……日本郵船会社……大阪商船会社……東洋汽船会社…本邦船舶数……造船事業……日本鉄道会社……鉄道法令……鉄道の発達……鉄道国有……電気鉄道……海上保険会社……諸保険業の興隆……諸会社の発達……最初の紡績事業……大阪紡績会社……紡績会社の勃興……棉花運賃の低落……輸出の盛況……織布事業の発達……株式取引所……米穀取引所……洋銀取引所……取引所法……日露戦役……戦後の事業勃興……反動……結辞
外国貿易 (七一七―七七〇)         益田孝
○中略
北海道誌 (七七一―八〇六)    農学博士 佐藤昌介
○中略
台湾誌 (八〇七―八三八)       男爵 後藤新平
○中略
慈善事業 (八三九―八六四)         三好退蔵
○中略
赤十字事業 (八六五―八八二)     男爵 石黒忠悳
 - 第27巻 p.491 -ページ画像 
○中略
都府の発達 (八八三―九三〇)        尾崎行雄
○中略
風俗の変遷 (九三一―九五四)   文学博士 藤岡作太郎
○中略
社会主義小史 (九五五―九八二)       安部磯雄
○中略
日本人の体格 (九八三―九九六) ドクトル エルウヰンベルツ
○中略
国語略史 (九九七―一〇三二)        藤岡勝二
○中略
開国五十年史結論 (一〇三三―一〇五八)伯爵 大隈重信
○下略



〔参考〕大隈侯八十五年史 同史編纂会編 第二巻・第六四九―六五三頁 大正一五年一二月刊(DK270133k-0009)
第27巻 p.491-492 ページ画像

大隈侯八十五年史 同史編纂会編  第二巻・第六四九―六五三頁 大正一五年一二月刊
 ○第八篇 第六章 文化運動としての講演旅行及び著述(下)
    (九)『開国五十年史』の編著とその苦心
 さて君の著述については、明治四十年十一月、公刊した『開国五十年史』のことを記さねばならぬ。それは菊版上・下二巻から成る大冊である。君がこの監輯を思ひ立つたのは、明治三十六年秋、巌本善治等が、最初英文で『英米両国の文明が日本に及せる影響』(“AngloAmerican influense upon Japanese Civilization”)と題した本を書く事にして、君にその総裁たらん事を懇請したに起因する。君の意嚮は『早稲田学報』や早大校友会で再応述べたところに徴するとわかる。君はそれらに於て「安政元年の米使来航以後、半世紀間に於けるわが帝国の進歩並に現状を記述せんがために、一昨年来(明治三十七年)編纂に従事せる『開国五十年史』は、政治・法律・宗教・文学・学芸教育・陸海軍・財政・経済・産業・貿易・交通等社会百般の現象を悉く網羅した考であるが、尚遺漏を免れない。蓋し一人の著述者があつて、その人独自の考案で、全部の編纂を企つるならば、心をあらゆる方面に使ふことが出来て、遺憾なく材料の蒐集を為すことが出来るけれども、もともとこの『開国五十年史』編纂の目的は、わが日本が二百年間に於ける暖き鎖国の夢を破つて、初めて文明の新空気に触れたその当時の人々を成るべく多く集め、その人々が主動者となつた事業を、その人自身に説述著作することを希望したのである」と述べた。君はそれらに特殊深甚の興味を感じて、「わが輩が十五歳の子供の時に、日本と云ふ国が始めて世界に現れた。日本は旧国なりと雖も、世界に現れたのは僅この間のことである。それで『開国五十年史』なるものは、余程興味のある、面白いものであらうと思ふ」と云つた。元来、君が一種の歴史学者たる資があり、且古今東西の歴史に深い興味を感じてゐたので、日露戦争が起つて、戦勝が続いた頃、思を日本勃興の由来に馳せて、玆に修史の希望を起したのは当然のことである。維新元勲中、漢詩に興味を有し、或は憲法を専攻したものなどがあつて、伊藤博文には『憲法義解』の著があるけれども、著述に深い喜と
 - 第27巻 p.492 -ページ画像 
研究の楽しみを感じたものは余りない。恐らくこの喜、この楽しみを体得したのは、君のみではなからうか。
 君が総裁となつて『開国五十年史』を編纂した方針は、文化事業の生きた史料を鳥瞰図的に集むるにあつた。或る一つの重要な仕事を担当したその人自らの告白・体験をパノラマ式に配列・按排するにあつた。幸にそれらの局に当つた各方面の有力者が多く現存して、君の主眼とするところは実現に難くはなかつた。稀に世を去つたものがあるが、それについては少壮学者に執筆せしめて補充した。
 君の快挙について、すべての人々が喜んで執筆を承諾した。殊に興趣を添へたのは、徳川慶喜が自ら幕末の状勢を書いたことである。最初、慶喜は謙遜して、再三執筆を辞した。ところが、君が熱心に懇望したので、到頭承諾した。それに伊藤・山県・井上・松方・副島・井上(勝)・前島(密)・渋沢(栄一)・山本(権兵衛)・石黒(忠悳)その他、学界・商工界の有力者が顔を揃へて執筆を担当した。
 勿論、君自ら云つたやうに「各方面の人々から記事を蒐集したのであるから、不統一を免れない点はあつた。が、さうした不統一のうちに、統一を得たやうなところがないではなかつた。それに君は序論・結論の二つで、全体を統一するやうにした。結論では、日本国民の欠点を指摘して、(一)法律思想の欠乏、(二)学界に於ける創見独自の風に乏しい事、(三)商業道徳の幼稚及び産業組織の不進歩、(四)風俗の乱雑などを挙げ、国民の反省を促した。唯紙数を制限したので、全体の記事が粗枝大葉に流れた。また記事が、表面的となつて、デリケエトな方面に触れなかつたのも、この種の編纂に免れ難かつた。それらは誰がこの種のものを作つても、十年・二十年の歳月を費さない限、免れ難い弱味である。最初君の企画は僅に一個年内に全部を纏めるつもりであつたが、自然の必要から、二箇年半を費した。それにしてもこの大冊としては割合に早く纏つたと云はねばならぬ。そして君が全体の記事を悉く通読した後、版に上したので、君の総裁・監修についての努力も容易でなかつた。君がこの書の補として『開国大勢史』を書かうと決心したことは、『大隈伯百話』中の『修史の希望』に説いてゐる。
 君が本書の記事について如何に意を致したかは、君が時に寄稿者と会談して、互に論難し合ひ、稿本の上に改刪を加へ、或は口述筆記の校閲を必ず求めた一事でわかる。或る時、久米邦武・北畠治房の二人が、編輯室で君と書中の一問題について、熱烈に論じ合ひ、甲論じて乙駁するといふ風で、互にその主張を執つて動かなかつたことがあつた。編輯総裁と云ふと、大抵空名でその実がないものばかりだが、ひとり『開国五十年史』にこの弊がなかつた。また君は挿入の図版などにも深い注意を払つた。それに君はこの書の編纂中、日毎に編輯室へ顔を出して、編纂を督した。時によると一日詰め切つて、その意見を述べたり、経験談を試みたりした。そして最初からこの書の刊行に力を致したものが二百余名に上つたと云ふことも亦、その力の入れ方が深かつたことを想見せしめる。
 - 第27巻 p.493 -ページ画像 


〔参考〕大隈伯百話 江森泰吉編 第四〇五―四一〇頁 明治四二年六月刊(DK270133k-0010)
第27巻 p.493 ページ画像

大隈伯百話 江森泰吉編  第四〇五―四一〇頁 明治四二年六月刊
 ○第六十一 桜痴居士
    半成の稿本今や遺物となる
福地君とは、明治十五年から三十八年まで、二十三年間も会はなかつたが、恰度我輩が開国五十年史を編纂するに就て、三十七年の夏頃、徳川慶喜公から、幕末の話を聞いて君に書かせることになり、続で板垣伯の政党史、渋沢男の銀行会社、山県公の陸軍なども書いて貰ふことになつて、屡々会ふこととなつた、君も度々我輩の宅に来られた、当時君の身体は大部衰へて居つたが、精神は未だ未だ確かなもので、筆を取れば大文字立ろに成り、其原稿の如きも、昔日の桜痴居士の面影を存して、実に綺麗なもの、決して塗抹した箇所などは無かつた、ソコデ我輩は君に向つて、君は未だ容易に死ぬやうな人ではないといふた処が、君も大層得意で、未だなかなか死切れないと云ふて、頗る元気であつた、然るに兎角する内病気となつて、開国五十年史の編纂物も、半途で筆を採ることが出来難くなる、而して竟に果敢なくも逝去された、君が半成の原稿は、今や遺物となつた始末である。
開国五十年史も、引続きて君の筆力を借れば、もう疾うに出来上つて居る筈であるが、元来づぼらな人で、筆を執り出せば早いが、執るまでが遅いので、遂に遅れ勝ちになるやうな次第である。