デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

6章 政治・自治行政
2節 自治行政
2款 東京市区改正及ビ東京湾築港 2. 東京市区改正審査会
■綱文

第28巻 p.41-46(DK280004k) ページ画像

明治18年12月11日(1885年)

是ヨリ先、東京市区改正審査会会議終了ニ付、会長芳川顕正其議決ノ案件ヲ内務卿伯爵山県有朋ニ復申シ、且ツ別ニ東京市区改正局ヲ置カンコトヲ建議ス。是日栄一、審査委員ヲ免セラル。


■資料

東京市区改正品海築港審査顛末(DK280004k-0001)
第28巻 p.41-44 ページ画像

東京市区改正品海築港審査顛末           (東京府庁所蔵)
○東京市区改正審査会長ハ同年 ○明治一八年十月八日市区改正並品海築港ノ議ニ付其委員会議決ノ次第ヲ上申シ、附スルニ修正案・同解説書・修正諸表附遊園其他面積費用概算表・修正意見書・品海築港費用概算書及ヒ市区改正局ヲ置クノ建議ヲ以テス、其文左ノ如シ
    東京市区改正並品海築港審査会議決上申
 曩ニ東京府知事ノ東京市区改正ノ議ヲ上リシヤ、廟議其意見ヲ嘉納シ、特ニ之カ審査ノ会ヲ設ケラレ、尋テ又品川湾築港ノ議アリシヤ亦之ヲ本会ニ付セラル、而シテ本会ハ此等ノ重大ナル事業ヲ審査スルノ栄ヲ荷ヒ、乃チ其建議ニ就キ之ヲ討議講究スルニ、市区ノ改正及ヒ築港ノ事タル、寔ニ東京府下永遠ノ繁盛ヲ企図スルモノニシテ苟モ我 皇国ノ邦畿タリ中外互市場タルニ愧サラシメンニハ、宜シク其旧貫ヲ改タメ、規摸ヲ宏大ニシ、陸ニハ則チ街衢井整、道途砥平、物貨輻輳、車馬遝合シ、水ニハ則チ河港深濶、船渠櫛比、桅檣互ニ接シ、舳艫相啣ミ、以テ軍備ニ商業ニ衛生ニ防災ニ其効ヲ収メ而シテ宏壮偉麗東洋ノ一大都府タラシムヘシ、此レ市区改正及築港ノ挙ナカル可ラサル所以ナリ、東京府知事ノ進ンテ之ヲ唱フルハ、蓋シ此ニ之レ由ルノミ、故ニ此美挙ニ於テハ本会更ニ間然スル所ナシト雖、唯其規摸及ヒ施工ノ如何ニ至テハ間々意見ナキ事能ハス、是ニ於テ会員互ニ相討論シ、遠ク欧米ノ例ヲ繹ネ、近ク内国ノ形勢ヲ考ヘ、其利害得喪ノ在ル所ヲ探究審案シ、原議ニ加フルニ修正ヲ以テシ、猶且更ニ意見ヲ添ヘ、謹テ別冊四本図面二幀ヲ進呈ス、其取捨ノ如キハ固ヨリ裁定スル所ニ在ラン 謹言
             東京市区改正審査会長
  明治十八年十月八日      内務大輔 芳川顕正
    内務卿 伯爵 山県有朋殿
   ○修正案・同解説書・修正諸表附遊園其他面積概算表略ス。
  意見書
    市区改正
市区改正ノ方法ヲ審査スルニ、府内ノ全局ヲ一新スルノ方法ニ之レ由ラス、先ツ戸口ニ応シ其区劃ヲ定メ、尋テ商況繁盛ノ地ヲ以テ中心トシ、漸次改良ヲ加フルノ目途ニ出テ、其考案甚タ適実ナルニヨリ、本会更ニ異言アル事ナシ、然リト雖道路幅員ノ如キ、当初ニ於テ其規摸狭小ナルトキハ、遂ニ再ヒ之ヲ広濶ニナス事容易ナラズトス、故ニ第一等道路ハ其幅員二十間以上ト十五間以上ノ二類トシ、第二等道路ハ
 - 第28巻 p.42 -ページ画像 
十二間以上、第三等道路ハ十間以上、第四等道路ハ八間以上、第五等道路ハ六間以上ニ定メ、其 皇城ヲ環リ或ハ中央停車場ニ達シ或ハ港湾四街道公園ニ通スル如キ大脈絡ハ、皆ナ之レヲ十五間乃至二十間以上ノ幅員トシ、其間相連絡スルモノヽ如キ率ネ十二間以上トシ、以下其宜キヲ斟酌シ、以テ幅員ヲ定メ、専ラ運輸ノ便ヲ陸路ニ藉ルノ計画トス、故ニ河川ノ如キハ其開鑿ヲ廃スルモノ往々之レアリ、而シテ其修正ヲ加ヘタル詳細ハ之ヲ別冊ニ掲クト雖、第四等・第五等道路ノ如キハ傍街小巷ヲ弥縫スルモノニ係リ、一々之ヲ枚挙セス、其梗概ヲ示スニ止ム
東京府知事ノ原案ニ拠リ、本会ニ於テ修正ヲ加ヘタルノ趣意ハ、上ニ述ルカ如シト雖、亦其意ヲ拡メ、特ニ調査委員ヲ選ミ、更ニ計画ヲ立ツルモノ四アリ、其一遊園ヲ設クル事、其二商法会議所及共同取引所ヲ設クル事、其三魚鳥蔬菜市場及屠畜場ヲ改良スル事、其四演劇及歌舞音曲場ヲ設立スル事是ナリ、之レ等ノ事項ハ総テ市区改正ト倶ニ挙行スヘシトス
其遊園ヲ設ル所以ノモノハ、戸口稠密ノ場所ニ在テハ有害ノ気散漫シテ、為ニ大気ヲ汚敗シ、人身病夭ノ媒ヲナスニヨリ、適宜ノ場所ニ園林或ハ空地ヲ設クルノ準備ナカル可ラス、欧米開明ノ都府ニ在テハ其戸口ノ比例ニ随テ公園ノ設アラサルハナシ、我東京ニ於テハ二・三既設ノモノナキニ非ザレトモ、未ダ衛生ノ上ノ目的ニ達セサル事遠キヲ以テ、戸口ノ稠稀ニ応シ、更ニ大小数十箇所ノ遊園ヲ設ケン事ヲ要ス且之ヲ設クルノ益ハ特リ衛生ノミニアラス、災変ノ際ニ廻避ノ所ヲ得セシメ、車馬雑遝ノ地ニ開通ノ道ヲ与フル等、其洪益ヲ得ヘシトスルニ在リ
其商法会議所及共同取引所ヲ要スル所以ノモノハ、凡ソ商業ノ盛衰ヲ卜知スルノ標準ハ、商賈ノ往来頻繁ナル所ニアリ、故ニ商法会議所及共同取引所ノ如キハ、其位置中央最モ便宜ノ地ニシテ極メテ人ノ注視ヲ惹キ易キ所ニ於テ宏壮ノ建築ヲナシ、以テ一ハ商業ノ旺盛ヲ計リ、一ハ首府ノ装飾ト做スヘキニアリ
其魚鳥蔬菜市場及ヒ屠畜場ノ改良ヲ要スル所以ノモノハ、現時府下魚市場ト称フルモノ都下中央ノ地ニアリテ、車馬ノ通路ヲ妨害シ、加フルニ魚介ノ汚物土地ニ浸染シ、悪臭蒸騰シテ大気ヲ不潔ナラシメ、衛生ニ害アル事勝テ数フヘカラストス、欧州大都府ノ制ヲ案スルニ、市場ハ空気ノ流通最好キ高崇ノ建家ヲ設ケ、汚水ノ排泄最モ速カナル溝渠ヲ造リ、清潔ノ法能ク整頓セルモノナリ、我カ府ニ於テモ今ヤ市区改正ノ挙ニ際シ、宜シク之ヲ他ニ移転セシメ、以テ改良ヲ計リ共同魚鳥獣肉市場ヲ設ケ、又蔬菜市場ハ魚鳥ノ如ク其不潔甚シカラスト雖モ猶ホ不便ノ憾ミナキ能ハス、依テ共ニ之レカ改良ヲ計リ、以テ都府ノ体面ヲ備ヘシムヘシトスルニアリ、猶ホ又魚鳥蔬菜ノ市場ト共ニ改良ヲ着手スヘキモノハ屠畜場是レナリ、此レ亦大気ヲ汚黷スルノ害アルノミナラス、日常生畜ヲ屠殺スルハ固ヨリ人ノ感想ニ不快ヲ与フルモノニシテ、屠畜場ハ実ニ都府ノ庖厨タリ、宜シク之ヲ市区ノ辺隅ニ遠クヘシトスルニアリ
其演劇及歌舞音曲場ヲ設立スル所以ノモノハ、凡ソ都府ノ如キ人々日
 - 第28巻 p.43 -ページ画像 
常ノ業務忽忙ノ地ニアリテハ、其耳目ヲ娯シマシメ心神ヲ慰シ且ツ其思想ヲ高尚ニシ身体ヲ爽快ナラシムルノ具ナカルヘカラス、是ヲ以テ欧米文明国ノ如キニ於テハ、演劇及ヒ歌舞音曲場ヲ奨励シテ止マス、以テ公衆ノ歓楽ニ供ス、目下我カ府下ニ於テ遊戯ノ高尚ナルモノヲ求ムルニ一モ存スル事ナク、概ネ矮陋野鄙ノ誚ヲ免カレス、是レ首府ノ一欠典ト謂フヘキナリ、故ニ文明諸国ノ為ニ傚ヒ、演劇歌舞ヲ矯正シ中央適宜ノ地ヲ選ミ、首府ノ演劇又ハ歌舞音曲場ト誇称スルニ堪ルモノヲ建築セシメ、以テ帝都ノ美観ヲ完フセシムルニアリ
以上掲クル所議ヲ閲シ図ヲ案シ以テ議定スト雖、市街ノ広キ河川ノ多キ、或ハ着手ノ場合ニ臨ミ実地ニ支吾スル所ナキヲ保シ難シ、其闕ヲ塡メ其短ヲ補フ如キ、当局其人ニ一任スヘキナリ
    品海築港
東京府知事ノ原案ニ拠レハ、品川湾築港ノ方法タル所謂深港策ニシテ霊岸島ト石川島トノ間ニ於テ隅田川ノ西派ヲ遮断シ、其全流ヲ東派ニ注キ更ニ突堤ヲ築キ、以テ第四・第一砲台ニ至リ、而シテ砲台以西ニ一大死水港ヲ作リ、砲台以南ノ航路ハ海ニ向テ漏斗ノ状ヲナシ、又佃島ニ続キ海面ヲ埋立テ、之ニ船渠ヲ設ケ、高橋以南築地ニ至ル海岸ニ船舶繋留所ヲ造ルノ計画ニシテ、蓋シ大船凡三十艘ヲ容ルヽニ過キサルヘシ、故ニ本会ニ於テハ其規摸ノ猶未タ大ナラサルノ憾アルト、隅田川本流ヲ塞断スルノ不便ヲ感スルトニヨリ、特ニ之カ調査委員ヲ選ミ、水勢ノ注ク所ヲ量リ、風力ノ傾ク所ヲ慮リ、利害便否ノ在ル所ヲ審案シ、更ニ一ノ方法ヲ計画ス
抑モ品海築港ノ挙タル、其利害ノ被フ所海ノ内外ニ亘リ実ニ至要至重ノ事業タルハ必シモ贅弁ヲ竢タサルナリ、其計画ヲナスニ方リ最モ慎重ヲ加ヘサルヘカラス、仮令学術経験ニ富メル工業家ノ説ト雖、一人一己ノ所見ニ因リ軽々断定スヘキニアラス、必スヤ善ク実地ノ情況ヲ調査シ、又内外諸港ノ実蹟ニ徴シ、然ル後ニ之ヲ定ムヘキナリ、苟モ一朝一夕ノ考慮ヲ以テ之カ計画ヲ定ムルハ寔ニ至難ノ事タリ、此レ本会ノ大ニ苦シミ深ク懼ルヽ所ナリ
今ヤ本会ニ於テ東京湾築港ノ計画ヲナスニ方リ、最モ重要ナル事件ハ隅田川筋ヲ利用シテ流水港ヲ造リ得ラルヘキヤ否ノ問題ヲ講究スルニ在リ、曾テ説ヲナス者アリ、曰ク、本流及支川ノ水ニ含有スル泥沙ノ量夥多ナルヲ以テ、数々浚渫ノ工ヲ施スモ、終ニ所要ノ深サヲ保チ難カルヘシト、又一説ヲナス者アリ、隅田川ハ江戸川・中川等ニ比スレハ泥沙ヲ流下スル事甚タ少シ、仮令多少ノ汚物ヲ含有スルモ、川幅ヲ制治シ全流ヲ束ヌレハ、流勢大ニ増加スルヲ以テ、澪筋ニ泥沙ヲ沈澱セシムルノ虞ナシト、孰レカ其当ヲ得タルヤハ未タ知ルヘカラスト雖果シテ後者ノ説ノ如ク容易ニ川筋ノ深サヲ保チ得ラルヘキモノトセハ石川島ニ於テ本流ヲ塞断スルノ便否ハ多言ヲ須スシテ知ルヘキノミ、故ニ本会ニ於テハ姑ク後者ノ説ヲ採リ、流水港ノ計画ヲ適当ナリト認メ其方法ヲ略陳スル事左ノ如シ
隅田川ノ東派即チ上総澪口ヲ塞断シ、全流ヲ西派ニ導キ、永代橋下ニ於テ川幅ヲ凡ソ百間トシ、漸次之ヲ広メテ品川砲台ノ南ニ至リ凡ソ百五十間ニ制治シ、佃島ノ南埋地ノ尽所ヨリ澪筋ノ両側ニ麁朶工導流柵
 - 第28巻 p.44 -ページ画像 
ヲ設ケテ波浪ノ為ニ流送スル所ノ土砂ヲ防遏スルニ供ス、其疏鑿ハ新大橋以下深サ低水下二十四尺ニ至リ、又永代橋下石川島及ヒ佃島ニ連接シテ埋地ヲ作リ、其西岸ニ大小九箇所ノ船渠ヲ櫛状ニ設ケ、其対岸箱崎町・霊岸島・鉄砲洲・築地明石町・小田原町等ノ東岸ニモ亦同状ノ船渠十二箇所ヲ開設スヘキモノトス
箱崎町東岸ノ船渠ハ其最モ小ナル者ニシテ、永代橋下ヲ通過シ得ヘキ小形ナル船舶ヲ容ルヽノ用ニ供シ、下流小田原町並対岸ニ設クル所ノ二大渠ハ其閘門ヲ開鎖シ、干潮ノ時ニ在テモ常ニ満潮ノ水面ヲ保ツヲ得ルノ装置アルヲ以テ、吃水三十尺ニ及フ大船ヲ容ルヽノ用ニ供スル目的ナリ、此二十一箇所ノ船渠内外船舶ヲ繋留スヘキ岸面ノ全長ハ一万六千間余ニシテ、弐百余隻ノ大船ヲ繋クニ足ルヘシ、又船松町ヨリ佃島ニ渉ル新橋ヲ架設シ、其橋ノ中央ニハ廻転ノ装置ヲ付シ、桅檣ヲ樹立セル船舶ノ通過ニ便ナラシム
澪筋ヲ制治シ全流ヲ束ヌルニ於テハ、水流速度ヲ増スカ為ニ、日本形小船ハ之ニ溯リ易カラス、且大船ノ通過頻繁ニシテ楫艫ノ便ヲ失フヘキニヨリ、深川汐見橋ヨリ越中島ノ南ニ輻三十間深低水下六尺ノ新澪ヲ開設シ、房総地方等ヨリ東京ニ来ル小船ハ此澪筋ヨリ汐見橋ニ至リ夫ヨリ便宜ノ川筋ヲ経テ、日本橋近傍ノ地又ハ市区改正ノ計画ニ係ル浜町河岸魚市場其他ヘ達スルノ便ニ供ス
隅田川東派ヨリ佃島続キヘ埋立地ヲナスニ要スル土砂ハ、河底並ニ澪筋ヲ浚鑿セシモノヲ用ウルモ尚ホ余贏アルヲ以テ、之ヲ越中島続キノ海面ニ運搬シ、凡一百万坪ノ埋地ヲ作ラントス
本会ノ意見前ニ述ル所ノ如シト雖、隅田川水流ニシテ果シテ泥沙ヲ含有スル事ナキヤ否ハ断定ヲナセシモノニアラス、必スヤ其水源ニ溯リ土質ヲ点検シ、多年ヲ期シテ之ヲ測定スルニアラサレハ之ヲ保シ難ク又前陳外国諸港ノ実蹟ニ徴スル等、飽マテ講究シタル後ニ非サレハ猶未タ揣測ノ説タルヲ免カレス、故ニ其実施セラルヽ機ニ臨ミ、尚ホ海外諸国ニ著名ナル工師ニ就キ、善ク其利弊如何ヲ諮詢セラレ、以テ万差誤ナカラシメン事ヲ望ム
本会ニ於テ計画セル流水港ヲ以テ、東京府知事ノ建議ニ比較スレハ、大ニ其面目ヲ異ニスル所アリト雖、敢テ彼ヲ非トシテ此ヲ是トスルニ非ス、乃チ両説並ヒ存シテ以テ参考ノ資ニ供ス
   ○品海築港費用概算書略ス。


東京市区改正品海築港審査顛末(DK280004k-0002)
第28巻 p.44-46 ページ画像

東京市区改正品海築港審査顛末       (東京府庁所蔵)
○東京市区改正局ヲ置クノ議
 東京市区改正審査会ハ既ニ議事結了ヲ告クルヲ以テ、玆ニ其結果ヲ具状スルニ該リ、尚改正事業ノ実行上ニ就キ本会ノ切望ニ堪ヘサルモノアルヲ以テ、併テ之ヲ上陳セントス
 惟ルニ我国首府ノ宏壮ヲ計リ商業ノ旺盛ヲ永遠ニ期図スルノ基ハ、則市区改正及品海築港ノ挙ヲ措テ佗ニアル事ナシ、而シテ東京ハ政府ノ座所タリ、百般文物ノ中心タルヲ以テ、佗ノ府県ニ影響スル事決シテ浅少ニ非サルナリ、是ヲ以テ本会ハ其計画ニ就キ審議討論シ以テ利害得失ノ係ル所ヲ明ニセリト雖トモ、要スルニ其大体ヲ定ム
 - 第28巻 p.45 -ページ画像 
ルニ過キス、然リ而シテ他ノ細節目ニ至テモ均シク緊要的ニ属セリト雖トモ、其事頗ル煩砕ニ亘リ、僅ニ数人数日ノ労能ク其審査ヲ完了ス可キニ非サルヲ以テ、之ヲ実施者ニ一任シテ便宜左右斟酌セシムルニ若カストシテ敢テ之ヲ論究セサリキ、例ヘハ道路ノ審査ヲ三等迄ニ止メ、而シテ四等・五等ハ措テ論セサルカ如キ是ナリ
 夫レ市区改正ハ我邦ノ一大事業ニシテ、数十年ノ久ヲ経ルニ非ラスンハ其成功ヲ期スヘカラサルハ論ナキノミ、然ルニ之ヲ単ニ一地方ノ政務トシテ東京府庁ヲシテ専ラ管理施行セシムルトキハ、独リ地方ノ常務ト混雑ヲ生スル恐アルノミナラス、又タ物変リ星移ルニ随ヒ知ラス識ラス当初ノ目的ヲ誤リ、遂ニ予期セサルノ結果ヲ呈センモ亦知ルヘカラス、是レ本会ノ切ニ憂慮スル所ナリ、是ヲ以テ東京府庁ヲシテ該事業ヲ実施セシムルニ臨ミ、特ニ内務省中ニ東京市区改正局ヲ置キ、而テ其着手ノ順序方法ヲ審按シ、又当初ノ計画ヲ変更セサルヲ得サルノ場合ニ際会スルトキハ、更ニ之ヲ討議審明シ、併セテ該経費ノ支出ヲ監督セシメハ、則チ当初ノ計画ヲ錯ル事ナク完全ノ結果ヲ得ン事期シテ待ツヘキナリ、其組織ノ如キハ別紙ニ具ス、願クハ篤ク廟議ヲ尽サレ速ニ允可セラレン事ヲ 謹白
             東京市区改正審査会長
  明治十八年十月八日      内務大輔 芳川顕正
    内務卿 伯爵 山県有朋殿
 東京市区改正局
 総裁     内務輔官ヲ以テ之ニ充ツ      一人
 幹事     警視総監東京府知事ヲ以テ之ニ充ツ 二人
 委員     市区改正ニ関スル省庁ノ吏員及工師 若干員
 書記                      同

○内務卿ハ同年十月十二日東京市区改正及品海築港審査結了ノ儀ニ付太政大臣ニ復命ス、其文左ノ如シ
    東京市区改正及品海築港審査結了ノ儀ニ付伺
 東京市区改正及品海築港審査ノ義ハ、曩ニ御裁令ノ旨ニ随ヒ、会議ヲ開キ審按討議セシメ候処、今般会長内務大輔芳川顕正ヨリ審査結了ノ趣ヲ以テ、別紙目録ノ通差出申候、依テ致熟閲候処、其考按適実ニシテ修正宜キヲ得、其経費ハ之ヲ東京府知事ノ原按ニ比スレハ通計弐千六百六拾余万円ヲ増加セリト雖モ、右ハ修正上避クヘカラサルノ増費ニ有之、殊ニ其市区改正局ヲ置クノ義ノ如キハ、後来実施上ニ於テ緊要ノ義ト存ラレ候間、速ニ御允裁相成度、別冊並図面共相添此段相伺候也
  明治十八年十月十二日    内務卿 伯爵 山県有朋
    太政大臣 公爵 三条実美殿
 追テ本文審査致結了候ニ付テハ、会長並委員共此際解任相成候様致度、副申候也
    追加
同年十二月太政官東京市区改正審査会長以下ヲ解任セラレ、内務省・商工会員ノ市区改正審査委員ヲ解任セラル、其人名左ノ如シ
 - 第28巻 p.46 -ページ画像 
                 内務大輔 芳川顕正
 東京市区改正審査会長被免候事
  明治十八年十二月八日
                      太政官
                 陸軍中将 小沢武雄
                 工部大輔 井上勝
              内務省三等出仕 長与専斎
              内務省三等出仕 三島通庸
               内務大書記官 桜井勉
               内務大書記官 山崎直胤
                 砲兵大佐 黒田久孝
       各通
              農商務大書記官 品川忠道
                一等駅逓官 日下義雄
                 一等警視 佐和正
                工部少技長 原田要
                 二等警視 小野田元煕
              東京府少書記官 渡辺孝
             東京府日本橋区長 伊藤正信
 東京市区改正審査委員被免候事
  明治十八年十二月八日
                      太政官
          海軍大輔海軍中将 子爵 樺山資純
       各通
                海軍少将  柳楢悦
  品海築港方按審査委員被免候事
   明治十八年十二月十一日
                      太政官

                      渋沢栄一
       各通
                      益田孝
 東京市区改正審査委員差免候事
  明治十八年十二月十一日
                      内務省


青淵先生公私履歴台帳(DK280004k-0003)
第28巻 p.46 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    任免叙授
同 ○明治一八年十二月十一日 東京市区改正審査委員差免候事 内務省