公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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明治33年7月2日(1900年)
是ヨリ先六月十八日、築港調査委員議シテ築港準備調査事項ヲ定メ、是曰、之ヲ各委員ニ分担セシム。栄一、市内商工業ノ現状ニ及ボス影響ノ調査海苔業者・漁業者其他特種ノ営業者ニ関スル調査港税徴収ニ関スル調査・築港費ニ対スル財源ノ調査・国庫補助ノ方法ニ関スル調査ヲ担任ス。
東京市史稿 東京市役所編 港湾篇第四・第八五九―八六四頁 大正一五年一二月刊(DK280033k-0001)
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東京市史稿 東京市役所編 港湾篇第四・第八五九―八六四頁 大正一五年一二月刊
○第二章 第二節 本記 帝都時代ノ港湾(二)
築港調査著手
十八日 ○明治卅三年(紀元二五六〇年)六月。築港調査委員議シテ築港準備調査事項ヲ定メ七月二日 ○明治卅三年(紀元二五六〇年)。之ヲ各委員ニ分担セシム。○東京築港調査委員会日記《(原註)》。東京築港ニ関スル書類。築港調査。
築港調査著手 東京築港調査委員会日記ニ拠レバ、東京築港調査委員ハ、明治卅三年六月十八日ノ会議ニ於テ、築港準備調査事項十八項ヲ議定ス。一ニ曰ク、東京市貨物輸出入額調査、二ニ曰ク、東京出入船舶ノ種類噸数調査、三ニ曰ク、港税徴収ニ関スル調査、四ニ曰ク、市内商工業ノ現状ニ及ボス影響ノ稠査、五ニ曰ク、海苔業者及漁業者ニ関スル調査、六ニ曰ク、市ノ区域変更ニ関スル調査、七ニ曰ク、官有地ニ関スル調査、八ニ曰ク、築港費ニ対スル財源調査九ニ曰ク、国庫補助ノ方法ニ関スル調査、十ニ曰ク、水面埋立ニ関スル調査、十一ニ曰ク、陸上設備ニ関スル調査、十二ニ曰ク、造船所及修船所ニ関スル調査、十三ニ曰ク、石材其他築港用材料供給方法ニ関スル調査、十四ニ曰ク、築港用機械器具等ニ関スル調査、十五ニ曰ク、平面測量、十六ニ曰ク、深浅測量、十七ニ曰ク、海底地質調査、十八ニ曰ク、験潮及潮流調査是也。七月二日更ニ気象観測
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調査及海苔漁業者ノ下ニ「其他特種ノ営業者ニ及ボス調査」ノ十四字ヲ加ヘ、各員ノ分担ヲ定ム。
築発四五(明治卅三年七月四日送達)
築港委員協議委員報告ノ件
本月二日東京築港調査委員会ニ於テ、別紙之通築港準備調査事項担任別決定相成候条、為念及御通知候也。
月 日 東京築港調査事務所 印
築港調査委員。同協議委員。
中山秀三郎殿。井上禧之助殿。(各通)
築港準備調査事項担任別
○中略
一、市内商工業ノ現状ニ及ボス影響ノ調査。一、海苔業者・漁業者其他特種ノ営業者ニ関スル調査。
(利光鶴松君・江崎礼二君・木村荘平君・渋沢栄一君)担任
○中略
一、港税徴収ニ関スル調査。一、築港費ニ対スル財源ノ調査。
一、国庫補助ノ方法ニ関スル調査。
(大谷靖君・横山富次郎君・中島又五郎君・阪谷芳郎君・渋沢栄一君)担任
○中略
東京築港調査事務所
――築港調査
明治三十三年六月十八日午前十時開会
○中略
一、委員長ハ、左記ノ七名ヲ築港調査協議委員ニ撰定シタルコトヲ報告セリ。
商業会議所会頭 渋沢栄一 商業会議所会員 加藤正義
海軍少将 陸軍少将
肝付兼行 石本新六
水路部長 築城本部長
陸軍少将
田村怡与造 逓信次官 古市公威
参謀本部総長
大蔵省理財局長 阪谷芳郎
一、築港準備調査事項ヲ議題トシ、調査ヲ要スル左記十八項ヲ決議シ、正午十二時散会セリ。
(一)東京市貨物輸出入額調査 ○前掲ニ付、以下(十八)マデ略ス
一、委員長ハ更ニ左記ノ三名ヲ築港調査協議委員ニ撰定シタリ。
大谷靖 南部光臣 阪本釤之助
七月二日
築港委員会開設当日ハ協議委員モ出席セラレシガ、渋沢君事故アリテ欠席セラレタリ。
午後第三時三十分開会、各委員著席スルヤ、
松田市長 協議委員ニ対シ今回推選セシ理由ヨリ早速承諾ヲ得タルノ謝意ヲ表シ、而シテ築港事業ノ沿革ヲ述ベ、併而将来著手ノ順序ヨリ各位熱心努力セラレンコトヲ乞ヒテ終結セラレタリキ。
委員長 一統ニ挨拶ヲナシ、築港事業ニ就キ大体ノ方針ヲ相談セラレ、古市博士ヲシテ設計ノ大略ヲ説明セシム。
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古市博士 説明書別編冊ノモノアリ略ス。
委員長 築港調査事項ヲ各委員諸氏ニ分担シテ調査セラルレバ大ニ便利ナルベシ、依テ別紙事項ニ付各位分担ノ協議セラレヨトテ原案ヲ渡ス。
肝付君ノ意見ニテ左ノ一項ヲ加フ。
気象観測調査(満場一致ニテ賛同)
利光君ノ意見ニテ海苔漁業者ノ下ニ(其他特種ノ営業者ニ及ボス調査)ノ十四字ヲ加フ。(満場一致ニテ賛同)
右協議ノ結果別紙ノ如ク分担ヲ定ム。
別紙略ス。
午後第六時三十分閉会セラレタリ。
――東京市築港調査常設委員会日記
〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三三年(DK280033k-0002)
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渋沢栄一 日記 明治三三年 (渋沢子爵家所蔵)
六月十八日 晴
此日風邪気ナルヲ以テ外出スル能ハス ○下略
〔参考〕東京市区改正事業誌 東京市区改正委員会編 第二四二―二五三頁 大正八年二月刊(DK280033k-0003)
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東京市区改正事業誌 東京市区改正委員会編
第二四二―二五三頁 大正八年二月刊
○第四章 第二節 事業ノ成績
第十項 築港
東京港築造ノ議ハ、明治十三年ヲ以テ起ル、東京府市区取調局ヲ置キ府官若干名ヲ委員トシ、兼テ赤松則良其他ニ委員ヲ嘱託シテ、凝議スル所有リ、市区ノ規模ハ港湾ヲ基礎トシテ定メサル可カラストノ説出テ十四年東京府ニ於テ調査ノ結果、隅田川ニ流水港ヲ設クルノ案ヲ出セリ、内務省雇工師ムルドル嘱ニ応シテ設計シ、海港策ヲ取リ、隅田川東派即チ上総澪口ニ導キ、西派即チ本澪口ヲ塞断シ、石川島ヨリ第三砲台ニ達シ、更ニ南ノ方干潮下二十三尺ノ深処ニ至ル突堤、及北品川海岸砲台ヨリ第四・第一砲台ヲ経テ、南々東ニ向ヒ、深処ニ至ル突堤ヲ築キ、砲台以西ニ一大池ヲ造リ、砲台以南ノ航路ハ漏斗状ヲ為サシメ、又佃島続キニ五百間ノ海面ヲ埋立テ、之ニ船渠ヲ設ケ、高橋以南鉄砲洲・築地海岸等ノ護岸ヲ改修シ、之ニ船舶ヲ繋留スルヲ得セシムルノ計画ヲ建ツ、其規模大船三十艘ヲ容ルル者トシ、其費格ハ壱千弐百余万円ヲ要スト云フ
明治十八年二月五日ニ至リ、芳川東京府知事ノ築港建議ヲ為ス、実ニ此ノムルドル案ヲ採用ス、市区改正審査会委員ヲ設ケテ之ヲ調査セシムルニ及ヒ、其規模ノ過小ナルト、隅田川本流ヲ遮断スルノ不便ナルトニ異議ヲ挿ミ、隅田川筋ヲ利用シテ流水港ヲ造ルヲ得策ナリトシ、隅田川ノ東派即チ上総澪口ヲ塞断シ、全流ヲ西派ニ導キ、永代橋下ノ川幅ヲ百間トシ、次第ニ之ヲ広メテ品川砲台ノ南ニ至リ百五十間ト為シ、佃島南端ヨリ澪筋ノ両側ニ麁朶工導流柵ヲ設ケ、新大橋以下ヲ低水二十四尺ニ疏鑿シ、永代橋下石川島・佃島二聯続シテ埋地ヲ作リ、其左岸ニ九個、対岸箱崎町・霊岸島・鉄砲洲明石町・小田原町等ニ十二個ノ船渠ヲ築造スルコトヽシ、船渠内外船舶ヲ繋留ス可キ岸面ノ全
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長ヲ一万六千間、以テ大船二百余隻ヲ繋クニ足ラシメントス、審査会乃チ委員ノ調査案ヲ採用シ、之ヲ復命スルト同時ニ、知事建議ノ海港計画、亦之ヲ存シテ参考ニ資シタリ
市区改正委員会ニ於テハ、明治二十一年十一月二日ノ会議ニ於テ築港ノ計画ニ関スル建議ヲ為スコトニ決シ、建議案起草委員ヲ設ケ、二十六日建議案ヲ議定シ、同時ニ築港調査ヲ委員古市公威ニ嘱託ス、古市委員偶内務大臣ノ洋行ニ随行スルヲ以テ、欧洲大家ニ質議スル所有ラシメントスル也、二十二年二月十九日審査会調査ノ品海築港案ヲ付議シ攻究スル所有リ、大川ノ地質調査ヲ地質局ニ依頼シ、同時ニ、委員肝付兼行ニ嘱シテ、之カ調査条項ヲ調査セシム、三月五日委員肝付兼行・沖野忠雄、東京築港設計用材料集輯乎続書ヲ呈出ス、而シテ大川地質調査ハ、農商務技師鈴木敏ノ手ニ成リテ報告スル所有リ、古市委員ハ仏国技師ルノーニ質シテ、東京本港ヲ、市街ニ近ク鉄道ノ便ヲ有シ、市内ノ運河及隅田川ノ水利ヲ利用シ得、兼テ港ノ周囲ニ将来広キ埋立地ヲ設ケ、倉庫ヲ建築スルニ足ルノ地ニ択フコトヽシ、港門及前港ヲ羽根田沖ニ設ケ、運河ヲ以テ本港ニ通スルノ意見ヲ報道ス
二十二年十二月二日委員田口卯吉・角田真平・銀林綱男・古市公威・益田孝・渋沢栄一・肝付兼行ヲ東京湾築港調査委員ニ選定ス、六月二十五日築港調査費増額ヲ議定ス
而モ一方ニ上水改良ノ実施等ニ依リ、築港問題ハ姑ク閑却セラレタルノ姿ナキ能ハサリキ、`二十八年八月二十四日ニ至リ、委員渋沢栄一建議シテ、市区改正委員会ニ築港調査委員ヲ設ク、選ニ当ル者七名、曰ク須藤時一郎、曰ク古川宣誉、曰ク佐藤秀顕、曰ク古市公威、曰ク佐久間貞一、曰ク渋沢栄一、曰ク肝付兼行
二十九年八月二十六日ノ市区改正委員会亦委員稲田政吉ノ意見有リ、三十年二月十九日ノ同会ニハ、委員石垣元七ノ質問、五月十四日ノ同会ニハ、委員横山富次郎ノ意見有リ、三十二年五月九日ノ同会ニ至リ東京湾港築設計費ノ支出ヲ議定ス
三十三年六月八日東京市会東京湾築港ヲ議決シ、同二十七日市区改正委員会之ヲ是認ス、而モ終ニ実行ヲ見ル能ハサリシコト、既記ノ如シ是時採用シタル築港計画ハ、是年一月工学博士古市公威・工学博士中山秀三郎ノ調査報告シタル所ニ係リ、東京港築造ノ大方針ハ略玆ニ定マレルヲ見ル
東京築港計画報告書ノ要領
第一章 総論
品川湾ハ、全体ニ水浅ク、海底ノ傾斜甚緩ニシテ、砲台ヲ距ル三海里以上ニ至ラサレハ、五尋ノ線ニ達セス、然ルニ既ニ一万噸以上ノ商船ヲ横浜ニ見ルニ至リタル今日ニアリテハ、東京ノ港ハ少クモ其一部ニ三十尺以上ノ水深ヲ保タサルヘカラス、故ニ東京ノ港ハ、之ヲ何レノ方面ニ設クルモ、結局一大掘鑿ヲ免レサルハ明ナリ
掘鑿ニ依ル築港ノ計画ニ於テハ、成ルヘク狭小ノ水面ニ成ルヘク多数ノ船舶ヲ繋留シ得ヘキ考案ヲ採用セサルヘカラス、且掘鑿ヨリ生スル土砂ハ、成ルヘク之ヲ有益ナル土地ノ埋築ニ利用スルヲ要ス、故ニ東京築港ノ計画ニ就テ、経済上適当ト認ムヘキ考案ハ、現在ノ
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海面ヲ掘鑿シ、其附近ヲ埋築シテ岸接繋船所ヲ設クルコト是ナリ、繋船所ハ鉄道ノ聯絡容易ニシテ、且市街ト水陸ノ交通至便ナルヲ要ス、品川湾ニ於テ右ノ条件ヲ具備スル海面ハ、芝浦ヲ以テ第一トス而シテ芝離宮ヨリ第五砲台ヲ経テ、品川砲台ニ至ル一線以内ノ海面ハ其形状及面積恰当ナルヲ以テ、之ヲ繋船所設置ノ地域ト定ム
次ニ港門ノ位置ヲ定メサルヘカラス、品川湾ハ、前段述ル如キ地勢ナルヲ以テ、仮リニ湾内ニ港門ヲ置クトセハ、繋船所ニ達スル航路ヲ保護スル為ニ、其両岸ニ長数千間ノ堤ヲ築カサルヘカラス、其工費ノ巨額ニ騰ルハ暫ク措テ問ハストスルモ、突堤ノ外面ニ土砂ノ堆積ヲ来シ遂ニ港門ヲ埋ムルニ至ルハ、期シテ俟ツヘシ、而シテ湾内ノ潮流ハ、其方向区々ニシテ到底土砂ヲ掃除スル力ナキヲ以テ、港門ノ水深ヲ維持スルハ、突堤ノ延長ト浚渫トニ依ルノ外ナシ、此ノ如キ累ヲ将来ニ遺スハ策ノ得タルモノニアラス
転シテ品川湾ノ南端タル羽根田灯台附近ノ地勢ヲ見ルニ、一尋線ト五尋線トノ距離僅ニ百四・五十間ニ過キス、海底ノ傾斜此ノ如ク急ナルハ、潮流ノ作用ニ因ルモノニシテ、品川湾ニ出入スル潮流ハ、常ニ此突出点ニ触レテ、一定ノ方向ヲ取リ、其速度モ一秒時二尺以上ナルモノアリ、港門ヲ此地ニ置キ、潮流ヲシテ門前ヲ不断掃除セシムルハ、永ク港門ノ水深ヲ維持シ得ヘキコト疑ヲ容レス、而シテ港門ノ左右ニ設クヘキ突堤ニシテ風濤ノ衝ニ当ルヘキモノハ、其長数百間ニ過キス、又航路保護ノ為ニ要スル防波堤ハ長大ナレトモ、一線ニテ足ルヘク、且其構造ノ簡易ナルハ、突堤ノ比ニアラス、故ニ工費ヲ要スルコトモ比較的ニ少キハ明ナリ、依テ港門位置ハ之ヲ羽根田ニ定ム
港門ヨリ繋船所ニ至ルハ、湾内ヲ掘鑿シテ設クヘキ運河ノ如キ航路ニ依ラサル可カラス、故ニ船舶ノ輻輳スルニ方リ、其他風濤潮位等ノ関係ニ由リ、羽根田ニ於テ出入ノ船舶一時停船スル場合アリ、乃羽根田ニ船溜ヲ設クルヲ必要トス
右述ル所ニ依リ、東京ノ港ハ、(一)羽根田船溜即前港(二)運河(三)芝浦繋船所、即本港ノ三部ヲ以テ成ル、玆ニ各部ノ計画ヲ説明スルニ先タチ、東京ノ築港ニ関スル他ノ考案ニ就テ一言セントス
繋舶所ヲ市街ノ中心ニ近クルノ目的ヲ以テ、之ヲ隅田川両岸若クハ築地・石川島等ニ設クルノ考案アリ、隅田川ヲ川港トシテ大船ノ用ニ供セントスルハ、一ノ空想ニ過キスシテ、決テ実行シ得ヘキモノニ非ス、隅田川ノ西澪ヲ築地・石川島ノ間ニ於テ遮断シ、其全流ヲ東澪ニ注キ、築地以下ニ築港スルノ案ハ、一考ノ価値アル如シ、然レトモ此案タル東澪ノ浚渫ニ莫大ノ工費ヲ要スルノミナラス、芝浦ニ計画スル如キ規模ヲ以テ築港セントセハ、築地附近即市街ニ近キ地域ニ設クヘキ繋船所ハ、其一小部分ニ過キスシテ、其大部分ハ市街ニ遠サカルヘシ、否ラサレハ現在ノ市街地ニ広大ナル潰地ヲ生シ其費用ハ驚クヘキ巨額トナルヘシ、加フルニ工事ノ難易ニ就テモ亦芝浦ニ比シテ大ニ不利ナル点アリ、到底得失相償ハサル考案ト断定セサルヘカラス、但現在ノ澪筋及隅田川ハ将来港トシテ不用ニ帰スルニ非ス、次章ニ述フル如ク、芝浦ノ繋船所ハ之ヲ大船ノ用ニ供シ
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小船ハ総テ従来ノ如ク、隅田川ヲ港トシテ利用スヘシ、而シテ現今ノ統計ニ依レハ、小船ニ依ル輸出入ノ数量ハ、大船ニ依ルモノニ比シテ却テ多額ナル如シ、果シテ然ラハ川港ノ効用ハ将来ニ於テモ必ス鴻大ナルヲ信ス
第二章 各部ノ計画
第一、前港
港門ハ、羽根田灯台ヲ距ル北ノ方凡六百間ニシテ、水深凡六尋ヲ有スル点ニ之ヲ置キ、曝露距離ノ最短ナル即対岸ノ最近ナル正東ノ方位ニ之ヲ向ケタリ、大風ノ方向ハ南南東若クハ北北西ニシテ、多数ノ風向モ夏期ハ南南東、冬期ハ北北西ナリ、故ニ風濤ノ防禦及船舶ノ出入ニ対シテハ、港門ヲ東北東ニ向クルニ利アリト雖モ、港外ノ航路著シク迂回スルヲ以テ之ヲ採ラス
港門ノ幅員ハ、突堤ノ頭部ノ中心ニ於テ之ヲ測リ、百八十間ト定メタリ、普通見ル所ニ比シテ少シク広キモ妨ケナシト認ム
前港ノ形状ハ平面図ニ載スル如クニシテ、南北ニ突堤ヲ築キ之ヲ保護ス、其長ハ各四百間ナリ、南堤ハ羽根田地先ノ埋築地ヨリ発シ、北堤ハ運河ノ防波堤ニ接続ス、港内ノ水面積ハ凡三十万坪ニシテ、内凡二十万坪即平面図ニ於ケル藍線以内ヲ浚渫シ干潮ニ三十尺ノ水深ヲ保タシメ、其余ハ将来必要ニ応シテ浚渫スヘシ、即アムステルダムノ前港ト略其規模ヲ等フス、地質ハ概シテ泥砂ナルヲ以テ、浚渫ニ困難ヲ感セス
浚渫ヨリ生スル土砂ヲ以テ羽根田ノ地先ヲ埋築ス、其面積凡六十万坪ヲ得ヘシ、市街地及製造所敷地トナスニ適ス、埋築地ノ東隅ニ幅三十間長百二十間ノ狭窄部ヲ設ケタルハ、特ニ物揚場ノ用ニ供セントスルモノナリ、或ハ必要ニ応シ一・二ノ桟橋ヲ之ニ加フルコトアルヘシ
第二、運河
運河ハ其長凡五千間ニシテ、干潮ニ二十八尺ノ水深ヲ保タシメ、敷幅二十二間、左右二割法ニ掘鑿シ、大船ノ往復ニ支障ナカラシム、或ハ浚渫ヲ簡約スルノ目的ヲ以テ、運河ノ幅員ヲ十五・六間ニ減シ中間ニ二・三ノ待避所ヲ設クル考案ナキニ非ス、然レトモ東京ノ港ニ於テハ、竣功後数年ヲ出テスシテ船舶ノ出入頻繁トナルヘキヲ以テ、寧当初ヨリ断然往復航路トナスヲ要ス
運河ノ静穏ヲ維持スル為メ、及其埋没ヲ防遏スル為メニ其外部ニ図ニ載スル如キ防波堤ヲ設クル必要アリ、運河ノ中心ヲ距ル凡四十間ニシテ、之ニ平行シ前港ノ北堤ヨリ発シテ本港ニ達ス、長五千間余ナリ、其中間二・三ケ所ヲ切断シテ小船ノ出入ニ便ニス、運河ノ西側ニモ亦其中心ヨリ四十間ヲ距リ、之ニ平行シテ簡単ナル内堤ヲ設ケ、土砂ノ運河ニ流入スルヲ防止ス
他日運河ノ幅員ヲ増加スルノ必要ヲ感スルニ至リテハ、防波堤ト内堤トノ間ヲ適宜掘鑿シテ之ニ応スヘシ、今日ニアツテハ、単ニ其干潮ニ三尺ノ水深ヲ有セサル部分ノミヲ浚渫シテ、運河ノ両側ニ対シ崩潰ヲ予防スルニ止ム
運河ノ方向ヲ前港ヨリ本港マテ一直線トナスハ、航海者ノ希望スル
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所ニシテ、且ツ幾分カ掘鑿ノ土量ヲ節約スヘシト雖モ、防波堤ノ構造ヲ重大ナラシムルノ不利アリ、之ニ反シテ現在ノ海岸ニ沿フテ運河ヲ設ケンカ、航路屈曲シテ運航ノ困難ナキ能ハス、故ニ適当ノ線路ハ両者ノ中間ニ在リ、乃前港ヨリ北々西ニ向ヒ直線ニ三千二百間ヲ進ミ、方向ヲ北ニ転シテ、又直線ニ二千間ヲ進ミ、本港ニ達ス、航路ハ灯台及浮標ヲ以テ之ヲ表示シ、其方向ヲ転スル点ニ於テハ幅員ヲ倍ス
運河ノ線路ニ当ル所ノ地質モ亦概シテ泥砂ナリ、品川附近ニ於テ土丹岩ヲ発見スレトモ、其掘鑿スヘキ積量ハ甚大ナラサル如シ、故ニ運河ノ掘鑿モ亦大ナル困難ナカルヘシ、掘鑿ヨリ生スル土砂ハ、築港ニ之ヲ使用シ、其残余ハ羽根田及品川ノ埋築ニ使用ス、品川地先ノ埋築地ハ其面積凡五十万坪ヲ有シ、製造所ヲ設クルニ最適当ナル地域ナリ、外ニ大森ノ地先ニ凡二百万坪ヲ埋築スヘキ余地アレトモ其実行ハ之ヲ他年ニ譲ル
第三、本港
東京ニ出入スル船舶ヲ総テ本港ニ繋カントスルハ、其規模ヲ徒ニ大ナラシムルノ不利アリ、且運河モ甚シキ輻輳ヲ見ルニ至ルヘシ、故ニ吃水ノ小ナル船舶ハ、現在ノ澪ニ依リ隅田川ニ入ラシメ、本港ハ大船ノ用ニ供スルモノトシテ計画スルヲ穏当トス
港内ノ水面積ハ五十八万余坪ニシテ、其干潮ニ於ケル水深ハ三十尺二十七尺・二十四尺ノ三等ニ分チ、船舶ノ大小ニ由リ、船渠ヲ区別ス、岸壁ノ総長ハ七千七百九十間ニシテ、其有効長ハ六千二百二十五間ナリ、即岸壁ノ有効長一間ニ付水面積凡九十三坪ニ当ル、蓋東洋ノ港ニ於テハ相当ノ比例ナルヘシ
運河ニ依ルヲ要セサル小船ノ搭載スル貨物ニシテ鉄道ノ聯絡ヲ必要トスルモノハ、現在ノ澪筋ニ沿フテ設ケタル長千間ノ物揚場ニ於テ其揚下ヲ為スヘシ、又石油其他ノ危険物ヲ搭載スル船舶ハ、第一及第五砲台以外ニ設ケタル特別船渠ニ入ラシム、特別船渠ハ東西ニ入口ヲ設ケ石油ノ流出ヲ防止スルノ装置ヲ為ス、其面積ハ凡六万坪ニシテ其一部ヲ掘鑿シ干潮ニ二十四尺ノ水深ヲ保タシム、危険物置場ハ第一及第五砲台並ニ之ヲ接続スル埋築地凡三万坪ヲ以テ之ニ充ツ但埋築地ノ港内ニ面スル区域ハ石材其他不燃質物ノ置場トス
貯水所ハ仮リニ芝離宮附近ノ海面ヲ以テ之ニ充テタリ、将来必要アラハ巨費ヲ要セスシテ他ニ之ヲ設クルヲ得ヘシ
大港ニ欠クヘカラサル造船工場敷地ハ、第四砲台ヨリ品川地先ニ至ル埋築地凡七万七千坪ヲ以テ之ニ充ツ、修繕船渠数個、船架数台ヲ設置スルヲ得ヘシ、外部ニ三角形ノ海面凡十万坪ヲ存シ、之ヲ適度ニ浚渫シテ造船所ノ用ニ供シ、併セテ小船ノ繋留所ニ充ツ
繋船所周囲ノ埋築地ハ、面積凡五十万ヲ有シ、其一部ハ繋船所附属地トシテ、道路敷・鉄道敷・上屋倉庫敷等ニ充テ、其余ハ普通ノ市街地ニ編入スルヲ得ヘシ、仮リニ繋船所附属地ヲ二十五万坪トセハ岸壁ノ有効長一間ニ付四十坪ヲ得、蓋適度ナリ
繋船所ハ、右ノ如ク埋築地ヲ以テ囲繞セラレ僅ニ三ケ所ノ通路ニ依リ港外ニ出ルヲ得、即第一及第四砲台ノ間ニ於テ運河ニ、第五砲台
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ノ北側ニ於テ現在ノ澪筋ニ、繋船所ノ北隅ニ於テ市内ノ運河ニ通スル水路アルノミ、故ニ右ノ三通路ヲ遮断シ、目黒川ノ流ヲ変シテ之ヲ港外ニ注キ、而シテ港内排水ノ設備ヲ為サハ、繋船所ノ掘鑿岸壁ノ築造等総テ陸上ノ工事トナルヘシ、是レ東京ノ如キ大規模ノ築港工事ニ於テ得難キ利益ナリ
右計画スル所ノ本港工事落成セハ、東京ノ港ハアントベルプ、マルセイユ、ハンブルグ等ト共ニ、世界ノ一等港ニ列シテ恥ル所ナキヲ信ス、然レトモ今日直ニ計画ノ全部ヲ実施スルノ必要アリヤ否、是考究スヘキ問題ナリ
海路ニ於ケル東京ノ輸出入貨物ハ、之ヲ大別シテ二種トス、一ハ横浜若クハ品川ニ繋泊スル大船ニ依ルモノニシテ、其数量ハ三十一年ニ於テ百六・七十万噸ニ達シタル如シ、一ハ近海航路ヲ目的トシ隅田川ニ入テ繋泊スル小船ニ依ルモノナリ、其数量ハ未タ精確ナル統計ヲ得スト雖、一年凡二百万噸ナルヘシ、築港落成ノ後ハ、大船ニ依ル貨物ハ概シテ本港ニ出入シ、小船ニ依ル貨物ハ依然隅田川ニ出入スヘシ、或ハ今日隅田川ニ出入スル貨物ニシテ、将来大船ニ依ルモノアルヘシト雖モ、之ト同時ニ今日横浜ニ本船ヲ繋キ艀船ニ依テ出入スル貨物ノ一部ニシテ、将来尚ホ同一ノ方法ニ依ルモノアルヘキヲ以テ、数量ノ比例ハ変更セサルモノト仮定シテ可ナリ
築港落成ノ当時、本港ニ出入スル貨物ノ数量ハ予想シ難シト雖、蓋二百万噸ヲ下ラサルヘシ、即岸壁一間ニ対スル揚下貨物ノ高ヲ一年五百噸トスレハ、右二百万噸ニ対シテ長四千間ノ岸壁ヲ要ス、然レトモ一間五百噸ノ計算ハ、陸上ノ設備完全ナラサル場合ニ適用スヘキモノニシテ、倉庫・鉄道・起重機等ノ完備シタル岸壁ニ於テ其使用ニ熟練セハ、一間千噸ノ比例ヲ得ルハ決シテ難事ニアラス、現ニマルセイユニ於テハ一間二千噸ニ達スルモノアリト云フ、果シテ然ラハ四千間ノ岸壁ハ四百万噸以上ノ輸出入ニ応スルヲ得ヘシ
依テ案スルニ、築港落成ノ当時ニ必要ナル岸壁ノ長ハ凡四千間ニシテ、落成後数年間ハ四千間以上ノ岸壁ヲ要セサルヘシ、故ニ本港ノ計画ハ、今日直ニ其全部ヲ実施スルノ必要ヲ認メス、第一期ノ工事トシテハ、岸壁総長四千七百余間、有効長三千九百五十間、其他澪沿物揚場・危険物揚場等ヲ築設シ、点線ヲ以テ示シタル東岸ノ岸壁三千間及ヒ之ニ伴フ掘鑿埋築ハ、第二期ノ工事トシテ之ヲ後年ニ譲ルヘキモノト認ム
第三章 工事ノ設計
第一、突堤
突堤ノ構造ハ、上下両部ニ別チ、下部ハ大小ノ捨石ヲ以テ組成シ、上部ハ混凝土塊ノ纍層ヨリ成ル、但中央部及ヒ上端ニ於テハ場所詰混凝土ヲ使用ス
下部ノ構造ニ用ヰル捨石、別ツテ三種トス、即第一種ハ一才以下トシ、第二種ハ一才以上五才以下平均三才トシ、第三種ハ五才以上十五才以下平均十才トス、而シテ各種捨石ノ配置ハ、第一種捨石ヲ中心トシ、其内外両側ヲ第二・第三両種ノ捨石ヲ以テ被覆シ、更ニ約十噸ノ混凝土塊ヲ用ヰ、干潮面以下二十尺ニ達スルマテ外側ノ捨石
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ヲ掩護ス
下部ノ捨石ハ、干潮面以下三尺ニ達シテ止マルヲ以テ、上部ノ基礎タル混凝土塊ハ、捨石ノ上ニ特別ノ注意ヲ以テ配列シ、更ニ内外両側ニ二段ノ混凝土塊ヲ重畳ス、次ニ場所詰混凝土ヲ以テ中央ノ空虚ヲ塡充シ、併セテ上層ノ胸壁ヲ築キ、以テ能ク上部ノ構造ヲ一体ニ緊着シ強固ナル組織ヲ成ス、外側ハ更ニ場所詰混凝土ノ一層ヲ置キ鉄路ヲ布設シ、外側掩護ノ混凝土塊ヲ運搬スルニ便ナラシム
頭部ノ構造モ亦略同一ナレトモ、更ニ幾層ノ堅牢ヲ要スルヲ以テ、上部ノ構造ニ於テハ其幅及高ヲ増加シ、且運航上必要ナル港灯ヲ設ク、下部ノ構造モ之ニ準シテ大ナラシム
突堤ノ施工順序ハ先第一種捨石ヲ中央ヨリ沈下シ、漸次第二・第三両種捨石ノ沈下ニ及ホシ、終リニ上層ノ捨石ヲ為ス、而シテ其最上層ニ至ルモ尚ホ小潮ノ満潮面以下六尺余ニ位スルヲ以テ、捨石ハ大半底開キ石運船ヲ用ヰテ沈下セシムルヲ得ヘシ、上部ノ施工ニ関シテハ下層ノ捨石及地盤ノ沈下十分ナルヲ待テ着手スルヲ安全トナスカ故ニ、下部ノ竣工後少クモ一年間波濤ノ転動ニ委ネテ沈下ノ十分ナルヲ確メ、然ル後最下層ノ混凝土塊ヲ整理シ、次ニ上層二段ノ混凝土塊及其中詰混凝土工ヲ施設ス、玆ニ至リテ既ニ満潮面以上三尺ノ防波堤ヲ構成スルカ故ニ、最上層ノ混凝土工及胸壁ハ必スシモ速成ヲ要セス
混凝土塊ノ据付ハ、一部ハ浮動起重器ヲ用ヰ、一部ハ陸用移動起重器ヲ用ユ、場所詰混凝土ハ既設混凝土塊ノ上部ニ「ドコービル」ヲ仮設シテ之ヲ運搬ス
第二、各種護岸
埋立地ノ護岸ハ、是ヲ甲乙丙丁ノ四種ニ区別ス
甲種ノ護岸ハ、南突堤ニ接続シ埋築地ノ狭窄部ヲ保護ス、其構造ハ第四図ノ一ニ示ス如ク、干潮面以下約六尺ニ根掘ヲ為シ、捨石ヲ基礎トシテ干潮面ニ達シ、突堤工ニ使用シタルモノト同寸法ノ混凝土塊ヲ用ヰテ、第一層ハ横手ニ上層二段ハ表手ニ配列ス、各段ノ高四尺ナルヲ以テ、三段ニシテ埋築地ノ高即チ干潮面以下十二尺ニ達スヘシ、更ニ場所詰混凝土ヲ以テ上幅二尺高四尺ノ胸壁ヲ設ケ、破砕セラレタル波濤ノ超越ヲ防ク
乙種ノ護岸ハ、甲種ニ接続シテ羽根田ノ東南角ニ達ス、中形間知石ヲ以テ一割法ニ築成シ、厚三尺以上ノ割栗ヲ用ヰテ裏込トシ、其裏面ニ更ニ厚三尺以上ノ粘土ヲ添充ス、基礎ハ海底以下約六尺ニ根掘ヲ為シ、之ニ捨石ヲ塡充シ、根石ヲ装置シ、更ニ其前面ニ捨石防禦ヲ施ス
丙種ノ護岸ハ、埋築地狭窄部ノ内面ニ施行ス、干潮面以下十二尺迄根掘ヲ為シ、基礎ノ捨石ハ、干潮面以下六尺ニ止メ、長六尺幅四尺厚三尺ノ混凝土塊ヲ置クコト、下層二個上層一個ニシテ、干潮面ニ至ル、其以上ハ三分法ノ中形間知石積トシ、干潮面以上十二尺ニ達シ上面ニ折返シテ巾約六尺ノ張石ヲ為ス、裏込ニハ二尺乃至三尺厚ノ場所詰混凝土ヲ使用ス
丁種ノ護岸ハ、羽根田地先及品川地先ニ於ケル埋築地ノ要部ニ之ヲ
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用ユ、根掘ヲ干潮面以下六尺ニ達セシメ、捨石ノ基礎ヲ作リ、干潮面ニ根石ヲ据付ケ、並形間知石ヲ用ヰテ一割法ニ積ミ上ケ、埋築地面ニ達ス、裏込ハ割栗厚約二尺五寸粘土約三尺トス
第三、運河沿堤塘
防波堤ハ、干潮面以上十五尺ノ高ニ之ヲ築ク、馬踏幅十間ニシテ外法一割五分内法二割トシ、内外両側ニ護岸工ヲ施シ、干潮面以下ニ捨石ノ根固ヲ為ス、外側ノ防禦工ハ海水深キ所ハ直ニ捨石ヲ為シ浅キ所ハ干潮面以下六尺ニ根掘ヲ為シテ捨石ヲ施シ、以テ干潮面以下一尺五寸ニ至リ、長六尺幅四尺厚三尺混凝土塊ヲ駢列シテ根石トナシ、更ニ其前部ニ適度ノ捨石防禦ヲ為ス、上部ノ間知石積ハ大形ノ石材ヲ用ヰテ一割五分法トシ干潮面以上十五尺ニ至リ更ニ高三尺ノ胸壁ヲ構成ス、裏込ハ割栗石厚三尺粘土三尺ヲ用ヰ堅固ニ築造ス
内側ノ護岸工ハ、干潮面以下ヲ捨石トナシ、之ヲ基礎トシ、普通ノ間知石積ヲ以テ干潮面以上九尺ニ至リ其以上ハ普通ノ張芝ヲ用ユ
堤上ニハ並木ヲ四列ニ配置シ、中央ニ幅員三間ノ道路ヲ設ク
内堤ハ、其頂点ヲ干潮面以上三尺ニ止メタル上幅六尺ノ簡単ナル石堤ニシテ、基礎ノ沈床ヲ用ユ
第四、岸壁
岸壁ハ、水深ニ依リ三種ニ区別スルモ、構造ハ同一ニシテ、只各部ノ寸法ニ大小ノ差アルノミ、先基礎ノ混凝土厚六尺乃至四尺ヲ場所詰トシ、其以上埋築地面即チ干潮面以上十二尺ニ至ルマテ、外面ハ切石積トシ、背後ハ凡テ場所詰混凝土ヲ以テ築造ス、基礎ハ概シテ土丹盤ノ上ニ之ヲ築クコトヲ得ヘシ、但東岸ノ一部及北隅ノ岸壁ハ或ハ簡易ナル杭地形ヲ要スルコトアルヘシ
第五、危険物楊揚場
危険物揚場ノ隔壁ハ干潮面以下ヲ普通ノ捨石トシ、其以上ハ、内外共ニ普通ノ間知石積ニシテ、内部ハ、砂利及割栗石ヲ以テ塡充ス、法ハ左右共ニ三分ノ一ニシテ、干潮面以上九尺ニ達ス、上幅六尺間知石ヲ以テ之ヲ覆フ
同所外部ノ堤防ハ、運河ノ外堤ト同一ノ構造ナリ
同所埋築地ノ護岸ハ干潮面以下六尺ニ達スルマテ、表面一割法ニ大石ヲ組合セタル捨石ヲ為シ、其以上ハ混凝土塊二段ヲ重積シテ干潮面ニ至リ、更ニ三分ノ一法ノ間知石積ヲ以テ、埋築地面ニ達ス、裏込ハ、混凝土ヲ用ユ
第六、澪沿物揚場
澪沿物揚場ノ護岸ハ、根掘ヲ干潮面以下十二尺ニ達セシメ、干潮面以下六尺マテ捨石ヲ為シ、之ニ加フルニ長四間余末口一尺ノ杭ヲ一列ニ密接シテ打立テ、杭ニ接シテ、二段ノ混凝土塊ヲ重積シ、干潮面ニ至ル、其上部ハ中形ノ間知石ヲ三分一ノ法ニ積ミ上ケ、裏込ニハ混凝土ヲ用ヰ高サ干潮面以上九尺ニ達シ、更ニ上面ヘ幅四間八割法ノ張石ヲ為シテ、荷役ノ便ニ供ス
第四章 工費予算
工費計画ノ全部ヲ実施スルモノトセハ、総計金四千百万円ヲ要ス、然レトモ第二章ニ述ル如ク、岸壁ノ一部及之ニ伴フ掘鑿埋築ヲ後年
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ニ譲ラハ、岸壁工費ノ目ニ於テ、五百七十五万円、浚渫埋築工費ノ目ニ於テ七十五万円、予備費ノ目ニ於テ五十万円、計金七百万円ヲ減スルヲ以テ、工費ノ総計ハ金三千四百万円ナリ、而シテ其年度割額ハ、次章ノ施行順序ニ依リ、左ノ通決定スヘシ
第一年 金百万円
自第二年至第四年三年間各 金三百八十万円
自第五年至第九年五年間各 金四百万円
第十年 金百六十万円
計 金三千四百万円
繋船所ノ陸上設備ニ関スル費用ハ、右ノ予算ニ包含セス、造船工場ニ要スル費用モ亦同シ、造船工場ハ、一個人若ハ一会社ニ属スヘキヲ以テ之ヲ別問題トナスコト勿論ナレトモ、繋船所ノ陸上設備モ亦全部市ニ属スヘキヤ、其一部ハ管理者ヲ異ニスヘキヤ未タ知ルヘカラス、且其計画ハ貨物種類出入船舶ノ情況等ニ基キ、精密ノ調査ヲ遂ケタル上ニアラサレハ、之ヲ定ムルヲ得ス
又現在ノ官設鉄道ハ市街ト交通ノ便利上、少クモ品川停車場附近マテ之ヲ高架ニ改築セサルヘカラス、其計画ハ蓋政府之ヲ定メ費用ハ国ノ負担ニ属スヘシ、其他市街路ノ新設改築ノ如キ築港附帯ノ工事ニシテ市ノ負担ニ属スルモノアリ、之ニ要スル費用モ亦築港費ニ算入セス
第五章 施工順序
築港工営所ハ、之ヲ品川及羽根田ノ両所ニ置キ、品川地先ニ於テ二ケ所、羽根田地先ニ於テ一ケ所、合セテ三ケ所ニ起工シ、十年ヲ以テ全工事ノ完成ヲ期ス、施行順序ノ概要ハ左ニ述フル如シ
品川地先ノ第一工区ニ於テハ、初年ニ各種ノ準備ヲ為シ、第一・第五ノ両砲台ヲ以テ工場ニ充テ、第二年ニ澪沿物揚場ノ護岸及其埋築ヲ両端ヨリ起工シ、第四年ノ半ニ至リテ之ヲ完成セシム、第一及第五砲台間ノ仮締切並ニ第四砲台及品川砲台間ノ埋築モ、亦第二年ヨリ着手シ第四年ノ半ニ於テ竣功セシム、此時ニ至リ予メ準備シタル排水用具ノ使用ヲ始メ、第四年ノ後半季ニ内港全部ノ排水ヲ終ヘ、以テ岸壁工ニ着手ス、而シテ岸壁工及内港ノ掘鑿ハ、殆全部ヲ第九年ニ竣工セシムヘキ予定ナリ
品川地先ノ第二工区ニ於テハ、初年ニ器具材料ノ準備ヲ整ヘ、第二年ヨリ運河ノ外堤ニ着手シ、先石油船渠ノ外部ヲ完成シテ工事用各種船舶ノ繋船ニ便ニシ、併セテ仮締切工ヲ掩護ス、此工ヲ逐次延長シテ第八年ニ至リ羽根田地先ヨリ着手シタル分ニ接続シテ竣功ス
浚渫工ハ、第二年ノ半ヨリ中形浚渫船ヲ用ヰ、石油船渠ノ浚渫ニ着手シ、第四年ヨリハ大形浚渫船ト共ニ前港附近、中部、及本港附近ノ三ケ所ニ於テ、運河ノ浚渫ニ従事シ第十年ニ完成セシム、羽根田及品川附近ノ埋築ハ、運河ノ外堤ノ竣工ニ伴ヒ、漸次浚渫ノ土砂ヲ用ヰテ成効セシム
羽根田ノ工営所ニ於テハ、初年ヲ各種ノ準備ニ充テ、第二年ニ於テ突堤ノ根掘及捨石ニ着手シ、陸上ニ在テハ仮工場ヲ設ケテ、混凝土塊ノ製造ニ従事ス、別ニ中形浚渫船ヲ以テ附近ノ浚渫ニ着手スルト
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共ニ、陸ヨリ海ニ向テ埋築及其護岸ヲ起工ス、甲乙両種ノ護岸及其附近ノ埋築ハ、第四年ニ終リ、第五年ヨリ突堤ノ混凝土塊ノ沈下ニ着手ス、突堤工事ノ全部ハ第九年ニ結了スルノ予定ナリ、運河ノ外堤ハ第二年ヨリ起工シ、漸次品川ノ方ニ向テ延長シ、丙種及丁種ノ護岸ハ、突堤ノ運河ノ外堤ノ掩護ヲ得ルニ及テ起工ス、前港ノ浚渫ハ、第三年ニ着手シ、第十年ニ竣ル、運河沿ノ埋築ハ仮土留ヲ設ケ浚渫ノ進行ニ伴ヒ、其土砂ヲ利用シテ之ヲ成功セシム
雑工ハ、目黒川附替ノ如キ速成ヲ要スルモノヽ外ハ、便宜起工シ、全部ノ竣工ト共ニ落成ス、機械工場ハ速ニ其建設ニ着手シ、施工中各種ノ機械器具ノ修理ニ対スル設備ヲ整頓スルニ要ス
爾来東京市ニ築港調査委員ノ設ケ有リ、調査ニ従フコト一日ニ非スト雖、今未タ之カ実行ヲ見ルニ至ラス、明治卅九年之カ基礎事業トモ謂フ可キ隅田川河口改良ノ工ヲ起シ、第一期・第二期両工事ヲ了リ、漸ク将ニ第三期ノ築港工事ヲ起サント欲シテ、姑ク中止ス
〔参考〕
隅田川河川改良工事埋立地
第一期工事
第一号埋立地 越中島地先 四四、〇〇〇坪
第二号埋立地 金杉新浜町前 三六、〇〇〇
第三号埋立地 金杉新浜町地先 六、六〇〇
第四号埋立地 本芝一丁目地先 三五、〇〇〇
計 一二二、〇〇〇
第二期工事
第一号埋立地 四四、三一〇
第二号埋立地 二六、七七五
第三号埋立地 三〇、八三一
第四号埋立地 五九、五八八
第五号埋立地 二七、九五七
計 一八九、四六一