公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第28巻 p.494-498(DK280075k) ページ画像
明治39年2月16日(1906年)
是日栄一、日比谷公園ニ於ケル第二回東京凱旋軍歓迎会ニ出席シ、理事総代トシテ歓迎ノ辞ヲ朗読ス。
東京凱旋軍歓迎会誌 同会編 第一六二―二一〇頁 明治三九年一二月刊(DK280075k-0001)
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東京凱旋軍歓迎会誌 同会編 第一六二―二一〇頁 明治三九年一二月刊
第二回歓迎会
歓迎手続
本会ニ於テ挙行セル満洲軍総司令部・第一軍司令部及近衛師団等ノ歓迎会ハ、非常ノ盛況ヲ以テ其式ヲ終リシニ、其後野津・奥・乃木・川村各軍司令官及飯田第一師団長以下相尋テ凱旋セラレタルヲ以テ、本会ハ理事会ノ議定ヲ経テ、第二回ノ歓迎ヲ挙行スルコトニ決シ、其歓迎手続ヲ左ノ通定メタリ
歓迎会第二回ハ二月十六日日比谷公園ニ於テ挙行スルモノトシ、其方法順序等略ホ第一回ニ做ヒ左ノ通リ定ム
○中略
挙式
明治三十九年二月十六日第二回歓迎会ヲ日比谷公園ニ挙行ス、此日天気清朗、空ニ一点ノ雲翳ヲ見ス、予定ノ時刻ヲ以テ第一師団長載仁親王殿下及久邇宮・梨本宮二殿下ヲ始メ奉リ、野津・奥・乃木・川村ノ各大将、及前第一師団長タリシ飯田中将以下各将校ハ、上野公園ニ於ケル軍隊集合地ヨリ到着セラレタルヲ以テ、理事ハ之ヲ式場ニ導キ、之ト同時ニ内閣大臣以下ノ陪賓一同参列シ、又当日大行軍ニ参加セル
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高崎・佐倉・習志野・下志津・鴻ノ台ノ各軍隊代表者総員三千五百余名ハ、式場ノ前面予定ノ場所ニ位置シ、一般公衆モ亦其後面ニ参列セリ、於是理事総代男爵渋沢栄一ハ一揖シテ壇ニ進ミ、歓迎ノ辞トシテ左ノ感謝状ヲ朗読セリ
日露戦役ニ出征セラレタル各司令官閣下及将士各位ノ臨場ヲ仰キ、本日玆ニ第二回ノ東京凱旋軍歓迎会ヲ開ク、回顧スレハ閣下及各位ハ出征以来万難ヲ排シテ満洲ノ野ニ馳駆シ、奮勇忠誠、敵軍ヲ撃攘シ、嶮要ヲ陥レ、曠古無前ノ大捷ヲ収メテ大ニ我武威ヲ顕揚シ、国光ヲ赫灼タラシメタリ、是レ閣下及各位ノ忠誠義烈ナル身ヲ以テ国ニ許スニアラスンハ、焉ソ能ク斯クノ如キヲ得ンヤ、今ヤ平和克復シテ凱ヲ輦下ニ奏セラルルニ際シ、本会員ハ欣喜自ラ禁スル能ハス乃チ玆ニ歓迎式ヲ挙ケ、以テ熱誠ナル感謝ノ意ヲ表ス
明治三十九年二月十六日
東京凱旋軍歓迎会理事総代
理事 尾崎行雄
同 男爵 渋沢栄一
同 男爵 千家尊福
次ニ野津元帥ハ、将卒全体ヲ代表シテ左ノ答辞ヲ朗読セラレタリ
先般来凱旋セシ各部団体ノ為ニ、第二回東京凱旋軍歓迎会ハ開催セラレ、熱誠ナル歓待ヲ辱フシ、感謝ノ至ニ堪ヘス、玆ニ将卒一同ニ代リ、謹テ満腔ノ謝意ヲ表ス
元帥陸軍大将 伯爵 野津道貫
右了テ君か代ノ奏楽ニ次テ、千家理事ノ発声ヲ以テ天皇陛下万歳及陸軍万歳ヲ三唱シ、玆ニ全ク当日ノ式ヲ了リ、其レヨリ各理事ノ先導ニテ来賓一同ハ園遊会場ニ赴ケリ
○下略
渋沢栄一 日記 明治三九年(DK280075k-0002)
第28巻 p.495-496 ページ画像
渋沢栄一 日記 明治三九年 (渋沢子爵家所蔵)
一月二十二日 晴 寒甚シ 起床七時三十分 就蓐十二時
○上略 午前十時東京市役所ニ抵リ、尾崎市長及河田助役ト陸軍歓迎ノ事 ○中略 ヲ協議ス ○下略
○中略。
一月二十六日 晴 風ナシ午後ヨリ風寒シ 起床八時 就蓐十二時
○上略 午後二時海上保険会社ニ抵リ重役会ヲ開ク、市助役河田烋氏来リ陸軍歓迎会ノ事ヲ協議ス ○下略
○中略。
二月七日 晴 風ナシ 起床七時 就蓐十二時
○上略 午前十時半東京市役所ニ抵リ、陸軍凱旋歓迎会ノ理事会ニ出席シ諸般ノ事ヲ議決ス ○下略
○中略。
二月十日 晴 風ナシ 起床七時三十分 就蓐十二時三十分
○上略 十時小日向ニ奥大将ヲ訪問ス、更ニ麹町金生館ニ飯田中将ヲ訪問シ、来ル十六日ノ歓迎会ニ臨場セラレン事ヲ請フ
○下略
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二月十一日 曇 風ナシ 起床七時 就蓐十一時
○上略 乃木大将ヲ訪ヒ、十六日歓迎会ニ臨場ノ事ヲ乞フ、更ニ野津・川村両大将ヲ訪問シ、同シク執事ニ口演シテ去ル ○下略
○中略。
二月十五日 晴 風ナシ 起床七時 就蓐一時三十分
○上略 午前十一時東京市役所ニ抵リ、明日陸軍凱旋ノ歓迎ニ関スル準備ヲ検シ、種々ノ協議ヲ為ス
○下略
二月十六日 晴 風ナシ 起床七時十五分 就蓐十二時
○上略 十二時第一銀行ニ抵リテ午飧シ、直ニ日比谷公園ニ抵リ陸軍歓迎会ニ出席ス、此日天気朗晴ニシテ来会者頗ル多シ、□三殿下及野津乃木《(欠字)》・奥・川村四大将其ノ他各将校来会セラル、午後四時式場《(マヽ)》ニ於テ歓迎文ヲ朗読ス、野津元帥答辞ヲ朗読ス、畢テ万歳ヲ祝シ、夫ヨリ余興場ニ来賓ヲ誘引シ相撲ヲ御一覧アリシモ、群集ノ混雑ヲ恐レテ更ニ各摸擬店ヲ御案内致シ、午後三時頃食堂ニ抵リ立食ノ宴ヲ開ク、午後四時頃更ニ相撲場ニ抵リ、夕方ヨリ追々散会セラレ ○下略
竜門雑誌 第二一三号・第三三―三四頁 明治三九年二月 ○第二回陸軍凱旋歓迎会(DK280075k-0003)
第28巻 p.496-497 ページ画像
竜門雑誌 第二一三号・第三三―三四頁 明治三九年二月
○第二回陸軍凱旋歓迎会 青淵先生・千家知事・尾崎市長専務理事として尽力せられつゝある凱旋軍歓迎会に於ては、各軍の幹部も悉く凱旋せるを以て、二月五日午前十時市役所に青淵先生・千家知事・尾崎市長相会して理事会を開きて、開会期日・会場位置・歓迎会の順序等を議し、爾後其準備を為されつゝありしが、同会に於ては愈々二月十六日日比谷公園に於て歓迎会を開けり、当日の主賓なる凱旋行軍々隊は梨本宮・野津元帥・奥大将の馬車及び乃木大将の乗馬に続き、第一師団長載仁親王殿下御指揮の下に乗馬騎兵半小隊を先頭として、第一師団司令部・歩兵第一旅団司令部・歩兵第一聯隊・歩兵第三旅団司令部・歩兵第三聯隊・工兵第一大隊・野戦砲兵第一聯隊・騎兵第一聯隊(半小隊欠)・輜重兵第一大隊(総員大凡そ五千人)の各隊午前十一時十五分軍装にて隊伍整々集合地点なる不忍池畔を発し、上野広小路より順路万世橋・日本橋・京橋を経て新橋を渡り、折れて二葉町に出で幸橋を渡りて、正午十二時其先頭部隊は殿軍の漸く上野を出発し終りたる頃式場に到着したり、先頭部隊の将に日比谷正門を入らんとするや、連発せる煙火は天空高く轟き渡り、今日の盛会を参観せんとて同所に雲集し来りたる満都市民が熱狂せんばかりなる万歳の歓声は、迅雷の響くが如く一時に地に湧き起れり、斯る間に行軍々隊は歩武整々式場前なる軍隊参列所に整列せり、軈て午後一時三十分となりければ理事総代たる青淵先生は、野津元帥・奥大将・乃木大将・川村大将・閑院師団長宮・梨本少佐宮を式壇に導き(奏楽)、元帥は正面より向つて左側に直立し、青淵先生は理事総代として元帥に対し一揖して左の歓迎文を朗読せられたり
○中略
次で奏楽君ケ代を三唱し、夫より理事総代千家尊福男の発声にて 天皇陛下の万歳を三唱し、衆又之れに和し、次で陸軍の万歳を三唱し、
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衆又之れに和し、其声天地を撼動せしめたり
次て桜田濠に近き芝生の丘陵一帯の地に園遊会を催され、余興には相撲・楽隊・手品・手踊などあり、午後四時の合図と共に食堂は開かれ万歳の声は又も幔幕を動かして響き渡り、主客十分の歓を尽し、予定の如く午後五時散会せり
新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一三巻・第四八―四九頁 昭和一一年五月刊(DK280075k-0004)
第28巻 p.497-498 ページ画像
新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一三巻・第四八―四九頁 昭和一一年五月刊
第二回陸軍大歓迎会挙行
〔二・一七 ○明治三九年東朝〕 東京市の第二回陸軍凱旋大歓迎会は、昨日を以て開会せられたり、此歓迎会は前に挙行したる歓迎会後に凱旋したる野津・奥・乃木・川村各軍司官、其幕僚、第一師団司令部員及其各軍隊に対して催したるものにして、其順序は各軍司令官を始め、各軍隊皆上野公園に集合し、同所より凱旋大行軍を以て大通りを日比谷公園に繰込み、此処にて歓迎会を挙行する仕組にて、此予定は一の遺憾だになく実行せられしは、東京市民の最も満足する処なり。
扨て平和の曙光の間に明けたる昨日の天気は、此頃になき好天気、朝の程稍強かりし風も、時の移るに従ひそよとも吹かずなり、籬辺猶雪を存するも春色自ら湧きて、誠に誂へ向きとなりしは、此上もなき幸福なりき、斯くて東京全市の装飾は、物の見事に成り、道路は隅より隅まで清められ、東京市を南北に通ずる目抜の大通の軒頭の美麗は宛ら百花爛熳の様、よくも斯くまでにと感じ合ふ外何と言ふすべもなし〔中略〕
凱旋大行軍
(乃木大将のみ乗馬)
午前十一時といふに、師団司令部より合図あり、進軍の喇叭は各軍隊の間より起り、四隣の気配今しも一入の勇ましさを増すよと見る間に、凱旋大行軍は開始され、全軍堂々隊を為して、観月亭の前より進発したり、其序列は騎馬警官先駆、次が騎兵六騎、之に続いたる馬車は第四軍司令官野津大将、第二の馬車は第二軍司令官奥大将、続いて梨本少佐宮殿下、同じく馬車、次が矢張り馬車にて鴨緑江軍司令官川村大将、次が上原・大迫両軍参謀長同乗の馬車、其他各軍参謀副長も馬車にて之に従へり、馬車は凡て無蓋にして、服装は何れも武装、野津・川村両司令官は黒の戦時服、奥司令官のみはカーキー服なり、馬車に次で第二・第四・鴨緑江軍の各幕僚、何れも参謀肩章の姿勢勇ましく馬を駆つて来りしも、乃木大将のみは見へぬに、如何せしかと人人怪しみしも道理、乃木将軍は以上の幕僚の後に尾して、三司令官の例には做はず、馬にて来れり、栗毛の色に四足白の駿馬、あれがステツセルの贈りたるものかと囁きたるものありたり。乃木将軍に続きたる一隊の乗馬将校は、即ち同将軍統率の第三軍幕僚なり、是にて一段列の行列は終れり。
右の後より約百米を隔てゝ来れる乗馬の一隊は、第一師団司令部なり、先駆は騎兵一小隊、其後をうけて新師団長閑院中将宮殿下、次に前師団長飯田中将、次が星野参謀長にして、中島・山根両参謀、隈部副官以下の司令部員之に従へり。
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以上の両部隊にて、高等司令部の行軍は終りを告げたり。
各軍隊の行軍
軈て馬上悠々進み来るは、鬚髯霜を帯びたる一老将なり、是ぞ第一師団歩兵第一旅団長陸軍少将馬場命英氏にして、本日の凱旋大行軍に参列したる全軍隊の先頭と知られたり、馬場少将の後に従ふは津島・是永両副官なり、之に次で歩兵第一聯隊、聯隊長歩兵中佐生田目新氏之を率ゐて喇叭の声勇ましく歩武堂々たり、二百三高地の激戦に、聯隊の戦闘員僅かに百となりたる際の聯隊旗の、宇島旗手の手にて捧げられ来りたる時こそ人々皆感に打たれたれ、同聯隊の兵員一千八百人なり。
同聯隊の次には、歩兵第二旅団司令部(旅団長中村少将)跟随し、以下歩兵第三聯隊(一千八百人)・工兵第一大隊・野戦砲兵第一聯隊(百三十人砲六門)・戦利砲大隊・騎兵第一聯隊(三百五十人)・輜重兵第一大隊(三百二十人)と云ふ順序にて、一同指揮官の指揮にて行進する様、実に盛大を極めたり、人皆是れ満洲の野に強敵を撃攘したるの勇士、砲は之れ敵の鉄塁を粉砕したる威力に富めるもの、而して各聯隊旗は何れも弾痕歴々として、旗竿と周片を存する名誉の聯隊旗とて上野公園に雲霞と許り集合せる群集は、上野の森も動ぎ出さん許の大歓呼のみにては足らず、偖は帽を振り、旗を振り、あらん限りの歓喜を以て熱心に此名誉ある大行軍を送り、各軍隊は亦けふを晴れと勇みに勇み、前後相駆つて上野公園を出たり。
戦利砲隊
右の行軍中最も人の注目を惹きたるものは、第三軍戦利砲大隊の参加したる事是なり、右は露国サンヂーム砲にして、其数十八門、指揮官は砲兵少佐古賀治人氏なり、此隊は野戦砲兵第一聯隊の後に跟随したり、砲車は白字にて、第三軍戦利砲大隊の八字を書しありしも、人或は見落せしならんか〔中略〕
式場の光景
午下零時半を報ずる頃、千軍万馬の蹄声は日比谷公園に響きぬ、待設けたる市府の接待委員は鄭重に一行を迎へ、野津元帥始め各将校は休憩所に入り、数千の軍隊は予て設けたる地点に整列せり、諸般の準備は重ね重ねの経験に依り、殆んど遺憾なく整頓したるぞ当日快心の第一と評判せらる、午後一時三十分式場を開く、主賓として閑院・久邇・梨本三宮殿下、野津元帥・奥・乃木・河村各大将は、歓迎会理事大鳥・渋沢・曾我・千家・尾崎・井上諸氏の先導にて式場に入る、来賓は前記各司令官及各軍隊将校の外、高崎・佐倉・習志野・下志津・鴻の台等の各軍隊代表者等総計三千五百余名、各大臣(西園寺首相を除く)其他の賓客亦一千余名、一同着席するや、数万の参列者帽を振り手を拍ち万歳の声鳴りも止まざる間に、理事総代渋沢栄一男爵一揖して壇に進み、歓迎の辞として、感謝状を朗読し、野津元帥慇懃に之に対する答辞を叙し、千家知事の音頭にて、両陛下万歳並に凱旋隊万歳を三唱して式玆に終り、暫時休憩、軍隊は帰途に就き、園遊会は直に開園せられ、来賓は当日唯一の余興たる相撲場に案内せらる。
○下略