デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

7章 軍事関係事業
3節 日露戦役
6款 東京凱旋軍歓迎会
■綱文

第28巻 p.499-501(DK280076k) ページ画像

明治39年5月5日(1906年)

是日栄一、第三回東京凱旋軍歓迎会ニ出席シ、理事総代トシテ歓迎ノ辞ヲ朗読ス。


■資料

東京凱旋軍歓迎会誌 同会編 第二三八―三七三頁 明治三九年一二月刊(DK280076k-0001)
第28巻 p.499-500 ページ画像

東京凱旋軍歓迎会誌 同会編  第二三八―三七三頁 明治三九年一二月刊
    第三回歓迎会
      歓迎手続
本会ニ於テ凱旋軍ヲ歓迎スルコト已ニ二回ニ及ヒ、毎回非常ノ盛況ヲ極メ、本会ノ目的ヤヽ其一半ヲ遂クルヲ得タリ、然トモ軍隊ノ凱旋ニ前後アルヲ以テ、凱旋ノ将校ヲ同時ニ一場ノ内ニ招待スル能ハサリシハ、聊カ本会ノ慊焉タル所ナリキ、然ルニ本年四月三十日ヲ以テ
大元帥陛下青山練兵場ニ行幸アラセラレ、親シク凱旋軍ヲ閲シ、空前ノ大典ヲ以テ曠古ノ大捷ヲ飾ラセ給フ、於是満洲歴戦ノ我カ常勝軍ハ各部隊尽ク代表者ヲ以テ之ニ参列スルノ栄ヲ得タリ
本会又此機ヲ以テ、此ノ観兵式ニ参列セル各将校ヲ招待シテ、最終ノ歓迎会挙行ノ事ヲ議決シ、其手続ヲ左ノ如ク定メタリ
  東京凱旋軍歓迎会第三回挙行手続
歓迎会第三回ハ五月五日日比谷公園ニ於テ挙行スルモノトス、其方法順序等略ホ前回ニ倣ヒ左ノ通リ定ム
○中略
      挙式
明治三十九年五月五日第三回歓迎会ヲ日比谷公園ニ於テ挙行ス、此日亦天気清朗薫風嫋々トシテ、天意亦本会ニ幸スルモノヽ如シ、定刻ニ前後シテ伏見宮・閑院宮・久邇宮・梨本宮・北白川宮各殿下ヲ始メ奉リ、大山・野津両元帥、奥・西・児玉・小川・川村・大島ノ各大将、大島・大迫・立見・井上・大久保・上田・土屋・沖原・原口・鮫島・塚本・浅田・西島・木越・石本・安東・真鍋ノ各中将以下ノ来場アルヤ、開式ノ号鈴ト共ニ理事総代ハ各宮殿下ヲ式場ニ御案内申上、重モナル将校亦式場ニ参列セラル、於是理事総代ノ一人ナル渋沢男爵ハ式場ノ中央ニ進出テ、左ノ歓迎ノ辞ヲ朗読セリ
 本会曩ニ凱旋軍ノ為メ歓迎ノ式ヲ挙クルコト二回、以テ聊カ感謝ノ意ヲ表シタリ、今ヤ
 大元帥陛下親シク観兵式ヲ行ハセラレ、戦役参加ノ陸軍将校各位
 輦下ニ参集セラルヽニ当リ、玆ニ第三回歓迎会ヲ開キ、各位ヲ招請スルノ機会ヲ得タルハ深ク本会ノ光栄トスル所ナリ、冀クハ各位一日ノ歓ヲ罄サレンコトヲ、敢テ一言ヲ陳シテ歓迎ノ辞トス
  明治三十九年五月五日
               東京凱旋軍歓迎会理事総代
                 理事   尾崎行雄
                 同 男爵 渋沢栄一
                 同 男爵 千家尊福
次ニ大島大将ハ、来賓将軍将校一同ニ代リ、左ノ答辞ヲ述ヘラレタリ
 一言御礼ヲ申上ケマス、本日ハ斯ル盛大ナル歓迎ヲ蒙リマシテ感謝
 - 第28巻 p.500 -ページ画像 
ニ堪ヘマセン、又未曾有ノ光栄トスルトコロテアリマス、其上ナラス懇篤ナル歓待ノ御言葉ヲ頂マシテ難有存シマス、爰ニ一同ニ代リテ御礼ヲ申上マス、終リニ東京市ノ隆盛ヲ祈リ、併セテ諸君ノ健康ヲ祈リマス
此時君か代ノ奏楽起リ、理事総代尾崎市長ノ発声ニテ 天皇陛下ノ万歳ヲ三唱シ、続テ陸軍ノ万歳ヲ三唱シ、是ニテ当日ノ式ヲ終リ、各宮殿下ヲ始メ奉リ、来賓一同ハ理事総代ノ御先導ニテ式場ヲ退カレ、園遊会場ニ赴カレタリ
○下略


(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK280076k-0002)
第28巻 p.500 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三九年   (八十島親義氏所蔵)
五月五日 曇
例刻出勤、今日ハ午後一時ヨリ日比谷公園ニ於テ、東京凱旋軍歓迎会ノ第三回陸軍将校歓迎会アリ、男爵ハ千家知事・尾崎市長ト共ニ理事総代タリ、予等ハ其補助員トシテ接待ノタメ参場ス ○中略 音楽堂ヲ式場トシ、宮様方ヲ始メ元帥及将校堂上ニ上ラレ、他ハ附近ヘ参集、渋沢男爵歓迎辞朗読、尾崎市長ノ発声ニテ天皇陛下及陸軍ノ万歳三唱、余興ハ相撲・芝居及玉乗ニシテ玉乗最喝采ヲ博セリ、其他御殿女中行列お伽噺行列等ノ趣向アリ、又摸擬店ハビール・団子・汁粉・水菓子・正宗・粟餅・ソバ等色々アリ、東京中ノ芸妓惣出赤ダスキニテ接待、軍人連中大恐悦ヲ極ム、四時ヨリ立食場開カレ、洋食ノ立食、宴酣ニシテ天皇陛下ノ万歳三唱アリ、終テ随意退散、誠ニ好順序ニ結了セリ
○下略


竜門雑誌 第二一六号・第二三―二五頁 明治三九年五月 ○第三回凱旋軍大歓迎会(DK280076k-0003)
第28巻 p.500-501 ページ画像

竜門雑誌  第二一六号・第二三―二五頁 明治三九年五月
○第三回凱旋軍大歓迎会 青淵先生・千家知事及尾崎市長の理事総代として尽力せられつゝありし凱旋軍大歓迎会に於ては、本月五日を以て最終の大会を日比谷公園に於て開かれたり、当日は最終の歓迎会にして、而も従来の歓迎会と異なり大観兵式参列の将校全部を招待せることゝて、其規模の広大なる、参列者の多数なる、空前の盛会にして招待賓客五千余名・会員千四百名、接待役員以下給仕人に至る迄を合すれば八千人に余る多数に上りたれば、さしもに広き公園も猶狭隘を告げ、肩々相摩するの状を呈せり、今其景況を叙すれば左の如し
△場内の設備 日比谷門の大緑門、緑色濃くして露滴らんばかりなるを打過ぎて場に入れば、右なる音楽堂は式場として、後に紅白の幔幕を引まはし、垂帳緩く開きて其荘厳を示し、其傍に奏楽所あり、其前に貴賓休憩処あり、又其左に当りて弘大なる天幕張りの仮屋は来賓休憩所とし、左に進めば玉乗・角力・芝居の三余興場あり、松本楼を事務所とし、其右手芝山下の広場に大食堂を仕繕らひあり、場内優に八千人を容るべし、芝山より躑躅岡に至るまでの通路の両側には、約五十に近き模擬店あり、ビール・日本酒・寿司・おでん、其他くさぐさの品を供す、何れも紅白或ひは黒白の幔幕を引廻し、之に彩旗をあやどりたるものにて、開店以前そゞろに其盛況を想像せしめぬ、其他有ゆる設備も前幾回の歓迎会に鑑みる処ありけん、殆ど遺憾なきものゝ
 - 第28巻 p.501 -ページ画像 
如く、又式場前の広場を初め至る処紅白を彩れる旗竿に日章旗或は其他の大旗を翻へしたるに、幾千万の彩旗を引き連ねたる様、今日のみぞ旗の日比谷と云はまほしかりし、空には轟く煙火の響、下には聞ゆる奏楽の声、春風習々彩旗徐に南に靡き、帷幕参差として美観云ふばかりなし
○中略
右了るや奏楽所に於ける陸軍音楽手は厳粛に君ケ代の曲を吹奏し、諸員脱帽敬礼、次で同じく歓迎会の理事東京市長尾崎行雄氏の発声にて 天皇陛下の万歳を三唱し奉り、又陸軍の万歳を三唱す、約七千の会衆一斉に声を合はして、山呼せし其声さながら場内を撼さんばかりなりき、これにて式を了り、直に摸擬店の開店を報じ、来賓一同は思ひ思ひに己が好める場処に向ひ、阿嬌を相手に陶然たる一酔を買ひ、会は忽ち一転して非常なる快楽の場と化しぬ
△園遊会場 には寿司・おでん・汁粉・団子・菓子・水菓子・日本酒麦酒・緑茶・烏竜茶・蕎麦・ラムネ・きぬかづき・慈姑・うで鶏卵・氷・田楽等十余種の飲食物を用意せる摸擬店、公園の西北方小丘附近より裁判所に相対する小径の沿道数十個所に設けられ、新橋・柳橋・数寄屋町・下谷等全市の芸妓千余名は、鮮紅色の襷を一様に左肩より右肋に懸け流し、同じく鮮紅色の前垂を着け、アツサリとしたる給仕風にて、少きも十数名、多きは数十名宛各摸擬店に排置せられたるが摸擬店は何れも非常の繁昌にして、大概の店は皆売切となれり
△大食堂開始 かくて大食堂は午後四時を以て振鈴の響くと共に開始されたり、場は園の西北隅なる芝山の東南に設けられたるテント張りにして、入口には小緑門を設け、場の柱は悉く紅白の布を巻き、卓上には約一間毎位に花籠を置き、殊に場の北方なる各宮殿下・各大将席等の前には大花瓶を据ゑて、是等の花瓶・花籠には絹布にて作れる小国旗一本づゝを挿み、又上部なる横木には二尺隔て位に傘形の球灯を吊したることゝて、場内の美観云ふべくもあらず、斯て各宮殿下・各大将等より順次着席したるが、何が扠数千人を一堂に会したることゝて僅に自席四周の一座席を望み得るに過ぎざれば、後れ馳せに来りし者の如きは広く他席を望み得ざる為め、既に空席なきに至りしものと速了して立去らんとしたる者も少からざる程なりき、軈て一同夫々着席するや、千家府知事の発声に依り 天皇陛下の万歳を始め奉り、陸軍の万歳を三唱して饗宴に移りたるに、流石に規律正しき将校の事とて毫末の混雑なく、只僅に「コンナ歓迎を受けては去年の今頃の愚痴も出まいね」と語り合ふあり、快談歓語の間に宴を終へて、四時半頃より次第に帰途に就きたり