デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

7章 軍事関係事業
4節 其他
1款 愛国婦人会
■綱文

第28巻 p.513-518(DK280085k) ページ画像

明治34年8月(1901年)

是月栄一、愛国婦人会相談役ニ就任シ、其後同年十月当会会計監督、同三十八年四月当会顧問ニ各歴任シ、同四十二年七月辞任ス。


■資料

青淵先生関係事業調 雨夜譚会編 昭和三年七月廿日(DK280085k-0001)
第28巻 p.513 ページ画像

青淵先生関係事業調 雨夜譚会編  昭和三年七月廿日
                    (渋沢子爵家所蔵)
     愛国婦人会

図表を画像で表示愛国婦人会

  一、創   立     明治卅四年二月              明治卅八年三月二日財団法人認可さる  一、総   裁     明治卅六年三月閑院宮載仁親王妃智恵子殿下を始めて総裁に奉戴す、大正十三年四月老齢の故を以て御辞退遊されたので、同月東伏見宮仁依王妃周子殿下の御就任を願ひ引続いて今日に至る  一、創立主唱者     奥村五百子  一、発 起 人     下田歌子・鳩山春子等  一、青淵先生との関係  創立に尽力、創立後会計帳簿一切の様式を定む              明治卅四年八月 相談役就任              同年十月    会計監督就任              同卅八年四月  顧問就任              同四十二年七月 辞任              兼子夫人は明治卅四年九月より現在迄評議員たり 




愛国婦人会史 三井光三郎著 年表・第五頁 大正元年一二月刊(DK280085k-0002)
第28巻 p.513 ページ画像

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新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一一巻・第二一七頁 昭和一一年三月刊(DK280085k-0003)
第28巻 p.513-514 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第一一巻・第二一七頁 昭和一一年三月刊
    愛国婦人会創立さる
〔三・一 ○明治三四年時事〕 愛国婦人会の設立 ○華族其他の夫人三十九名発起となり、広く会員及び金員を募集し、戦死者の遺族救護に充つる目的にて、今回同会を設立し、明二日午後一時半より九段偕行社に於
 - 第28巻 p.514 -ページ画像 
て創立会を開くよし。


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK280085k-0004)
第28巻 p.514 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
三月三十日 風
○上略 午後一時兼子ト共ニ愛国婦人会総会ニ出席スル為メ九段偕行社ニ抵ル ○下略


愛国婦人会史 三井光三郎著 第四一―五三頁 大正元年一二月刊(DK280085k-0005)
第28巻 p.514-515 ページ画像

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渋沢栄一 日記 明治三六年(DK280085k-0006)
第28巻 p.515 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
三月廿二日 晴
○上略 午後一時愛国婦人会ニ出席シ一場ノ演説ヲ為ス、午後五時散会 ○下略
   ○中略。
十一月四日 曇
○上略 愛国婦人会事務所ヲ訪ヒ会計整理ノ事ヲ談ス ○下略


竜門雑誌 第一七九号・第四六頁 明治三六年四月 ○愛国婦人会に於ける青淵先生(DK280085k-0007)
第28巻 p.515 ページ画像

竜門雑誌  第一七九号・第四六頁 明治三六年四月
○愛国婦人会に於ける青淵先生 青淵先生には去三月二十二日九段偕行社に於て開かれたる愛国婦人会第二回大会に出席せられ、同会の精神及目的等に就て演説せられたり
   ○演説筆記ヲ欠ク。


(八十島親徳) 日録 明治三六年(DK280085k-0008)
第28巻 p.515 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三六年   (八十島親義氏所蔵)
十一月十一日 晴
九時出勤ス、午前男爵ノ命ニ依リ愛国婦人会ニ至リ、事務担任者朝倉小池二氏ニ面会、帳簿閲覧ノ上、記帳整理方法ヲ立案ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK280085k-0009)
第28巻 p.515 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
四月二日 曇 軽暖
○上略
午後一時前九段偕行社ニ抵リ、愛国婦人会ノ総会ニ出席ス
皇后陛下行啓アリ、会員群集セリ、三時過キ式畢リ ○下略


愛国婦人会史 三井光三郎著 第一四七―一五二頁 大正元年一二月刊(DK280085k-0010)
第28巻 p.515-516 ページ画像

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(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK280085k-0011)
第28巻 p.516 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三八年   (八十島親義氏所蔵)
五月二十四日 晴午後一時雷雨
例刻出勤ノ後、主用ニテ九段下愛国婦人会ニ至リ ○下略
   ○中略。
十一月六日 晴
例刻出勤、午後一時主人ノ嘱ニ依リ愛国婦人会ニ至ル ○下略


渋沢栄一 日記 明治三九年(DK280085k-0012)
第28巻 p.516 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十七日 晴 風ナシ            起床八時 就蓐十一時
○上略 畢テ九段偕行社ニ抵リ愛国婦人会ノ新年宴会ニ出席ス、写真等ノ事アリ ○下略
   ○中略。
一月二十二日 晴 寒甚シ           起床七時三十分 就蓐十二時
○上略 午餐後愛国婦人会ニ抵リ、顧問会議ニ列シ要務ニ参与ス ○下略
   ○中略。
三月七日 晴 風寒シ             起床八時 就蓐十二時
○上略 午前十一時愛国婦人会事務所ニ抵リ、佐藤正氏ト談話ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK280085k-0013)
第28巻 p.516-517 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十八日 曇 風寒             起床七時三十分 就蓐十二時
○上略 午餐後愛国婦人ニ抵《(会脱)》リ、広告塔其他ノ事ヲ議決ス、伊東・清浦・佐藤諸氏来会ス ○下略
   ○中略。
三月十五日 雪 寒              起床七時三十分 就蓐十一時三十分
○上略 午後四時上野博物館ニ抵リ、股野館長ニ面会シテ愛国婦人会広告塔ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
 - 第28巻 p.517 -ページ画像 
三月二十六日 曇 軽暖            起床七時 就蓐十一時三十分
○上略 畢テ愛国婦人会ニ抵リ要務ヲ議決ス ○下略
   ○中略。
六月九日 晴 暑               起床七時 就蓐十二時
○上略
午後一時華族会館ニ抵リ、愛国婦人会ノ事ヲ議ス ○下略
   ○中略。
十月十六日 曇 冷              起床七時 就蓐十二時三十分
○上略 午後二時愛国婦人会ニ出席シ要務ヲ議決ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK280085k-0014)
第28巻 p.517 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
六月十八日 曇又雨 暑
○上略 午後三時半愛国婦人会ニ出席シ議事ニ参与ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK280085k-0015)
第28巻 p.517 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
五月二十四日 晴 薄暑
○上略 一時愛国婦人会ニ抵リ顧問会ニ出席ス ○下略


愛国婦人会要覧 同会編 第三五頁 昭和八年七月刊(DK280085k-0016)
第28巻 p.517 ページ画像

愛国婦人会要覧 同会編  第三五頁 昭和八年七月刊
 ○年表
    明治四十二年(紀元二、五六九年)
○上略
七、… ○中略 顧問 ○中略 渋沢栄一ヲ解嘱ス。
○下略



〔参考〕愛国婦人会要覧 同会編 第一―二頁 昭和八年七月刊(DK280085k-0017)
第28巻 p.517-518 ページ画像

愛国婦人会要覧 同会編  第一―二頁 昭和八年七月刊
    趣意書
○上略
本会の主唱者、奥村五百子女史が、明治三十三年、北清事変に際し、皇軍の労苦を具さに視察して帰朝し、次いで、戦死者遺族及び傷痍軍人救護の急務を絶叫して、遂に明治三十四年二月本会を創立されましたのも、亦畢竟、此の中外に誇るべき我が国婦人伝統的祖国愛の精神の発露に外なりませぬ。
 女史は、平生、婦人報国の大志を抱き、国家の隆昌は、婦人の力に俟つところ、最も大なることを深く信じ、之を強調して、躬行に努力し、其の生涯を徹頭徹尾、之れが信念の体現に捧げられたのであります。
 我愛国婦人会が卒先、軍事救護の実を挙ぐることにより、皇国軍人をして、後顧の憂なからしめんとするの趣旨も亦、此の婦人報国の大本に基くものであります。
 けれども、又一面、時代の推移と、変遷とは、到底本会の事業が長く、単り、軍事救護事業のみに限局せらるゝことを許しませぬ。されば大正六年、本会は、定款の改正を行ひ、本部及支部は共に、時代必然の要求に基づく社会的諸施設を行ひ得るの途を開き、尚現時に於て
 - 第28巻 p.518 -ページ画像 
は、市・区・町・村(朝鮮・台湾其他に於ては各々之に準ずる地区)を単位として、会員相互の修養・研究・娯楽・奉仕等、其の他何にても婦人に必要な、又婦人の力に相応はしき事柄は之をとり行ひ、之に依つて、弥々会員各自の向上を図ると共に、婦人報国の実を挙ぐる事の出来るやうな組織になつて居ります。
○下略