デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
2款 親族
■綱文

第29巻 p.90-93(DK290027k) ページ画像

明治39年4月14日(1906年)

是日、栄一甥渋沢元治、外孫穂積孝子ト結婚式ヲ挙グ五月六日。上野精養軒ニ於テ披露ヲナス。栄
 - 第29巻 p.91 -ページ画像 
一出席シテ祝詞ヲ述ブ。

   ○栄一トノ関係。

   〔中ノ家〕  なか

          栄一

          てい

              元治

          市郎

   ○市郎ハ須永伝左衛門二男、初メ才三郎ト称ス。入夫、中ノ家ヲ継グ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK290027k-0001)
第29巻 p.91 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十四日 晴 軽暖            起床七時 就蓐十二時
○上略 午後二時兼子・愛子ト共ニ深川宅ニ抵リ、元治結婚ノ式ニ参列ス午後十一時頃総テ結了シテ王子ニ帰宿ス
   ○中略。
五月六日 晴 暖              起床七時 就蓐一時
○上略 二時ヨリ上野精養軒ニ抵リ、元治・孝子結婚披露会ニ出席ス、来会者三百名許リ、食卓上一場ノ挨拶ヲ為シ、食事畢テ午後六時王子別荘ニ帰宿ス
   ○栄一ノ演説筆記ヲ欠ク。


竜門雑誌 第二一五号・第四三頁 明治三九年四月 ○渋沢元治君の結婚(DK290027k-0002)
第29巻 p.91 ページ画像

竜門雑誌  第二一五号・第四三頁 明治三九年四月
○渋沢元治君の結婚 本社の特別社員にして去る一月末欧米留学を終へ帰朝せられたる工学士渋沢元治君には、今般本社名誉社員たる法学博士阪谷芳郎君の媒妁にて、同名誉社員法学博士穂積陳重君の長女孝子嬢と結婚の約整ひ、去る十四日の佳辰を以て深川区福住町なる渋沢家本邸に於て目出度華燭の典を挙げられたり、尚同君の新居は牛込区市ケ谷仲ノ町五十七番地に卜せられたる由


(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK290027k-0003)
第29巻 p.91-92 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三九年    (八十島親義氏所蔵)
三月十日 晴 暖
○上略 午後七時ヨリ兜町楼上ニテ竜門社月次会ヲ開ク、来会者ハ青淵先生始メ、植村澄三郎・桜田助作・井上公二・戸田宇八等数十名、渋沢元治氏ノ欧米視察ノ結果トシテ「電気ト実業」ニ関スル講話アリ、十時散会、中々ノ盛会ナリキ
   ○中略。
三月十八日 快晴 暖 日曜
午前牛込穂積氏ニ至リ博士ニ面会 ○中略
穂積孝子嬢ト渋沢元治氏ト縁約確定ニ付、媒妁人決定・結納日取・結婚日取等相談ノ為、丁度渋沢若主人来邸ノ処ナリキ ○下略
   ○中略。
三月廿五日 曇 日曜
○上略
午後ヨリ兜町ニ至ル、今日ハ夕刻ヨリ同族会議アリ、渋沢市郎氏夫婦元治氏等モ来会、晩餐ハ一同共ニセラル、会議後元治氏身上ニ就テモ凝議ノ上、古河礦山ハ電気専門家ノ腕ヲ振フヘキ余地ナキニ付、此処ニ就任スルヲ見合ハセ、当分ハ逓信省電気試験所ノ技師トナリ、遂《(逐)》テ
 - 第29巻 p.92 -ページ画像 
機ヲ見テ民間ノ事業ニ就ク事ニ決定、男爵ハ容易ニ賛同ナク、今日ニ至リ漸ク同意セラレタル次第ナリ、渋沢元治氏ト穂積令嬢孝子氏トノ縁約定マリ、昨日結納済ミシ由、尚此度孫女初メテノ結婚ニ際シ、男爵ハ其孫ノ中同族ノ戸主トナルベキモノ以外(素ヨリ戸主トナルベキモノハ今ハ皆男子ナリ)ノモノヽ内、男ヲ除キ女子ニハ婚嫁ノ当時相当ノ持参金、少クモ壱万円位ハ之ヲ給スル事至当ナルベク、各家ニ於テ之ヲ為スヘキ貯ナキ以上ハ、共同積立金ナドヨリ之ヲ支出スルノ方法ヲ研究シタキモノナリトノ発言アリ、各夫人方頗随喜ノ涙ヲ催サレタル如ク見ユ、男爵ハ何事ニモ公平ニヨク行キ届キタル方ナリトイウベシ
   ○中略。
四月十四日 晴
○上略 今日ハ渋沢元治氏ニ於テ穂積孝子嬢ヲ嫁ル姻婚式ヲ深川邸ニ於テ執行、予モ渋沢家ノ重役即親族ニ準スルモノトシテ、式後色直シノ祝宴ニ招カレ、席末ニ列ス、夫婦カタメノ盃以下順次凡テ目出度結了、媒妁ハ阪谷氏夫妻、儀式係ハ尾高氏、酌人ハ尾高綾子、斎藤愛子、又本日挙式ノ総支配ハ渋沢若主人也、新郎新婦ハ午後八時過箱馬車ニ同乗、牛込市ケ谷仲ノ丁ノ新居ニ帰ラル ○下略
   ○中略。
四月廿八日 曇夜雨
朝渋沢元治氏新婚披露園遊会ノ人名、方法等協議ノタメ、穂積博士・元治氏、若主人等ト兜町ニ集合ヲ為ス ○下略
四月三十日 快晴
○上略 今日ハ同族会議アリ、列席、終テ元治氏結婚披露ノ招待状発送ノ世話ナドヲナシ、七時半帰宅
   ○中略。
五月四日 快晴
○上略 兜町ニ至リ、折柄来所中ノ穂積博士・渋沢若主人・元治氏等ト共ニ、元治氏披露宴準備ノ事ニツキ議シ ○下略
   ○中略。
五月六日 日曜 晴
○上略 昼食ヲ兜町ニテ為シ夫ヨリ上野精養軒ニ至ル、今日午後二時半ヨリ元治氏結婚披露会アリ、予ハ専ラ之レガ総務ノ嘱托ヲ受ケタルニ依ル、徳子・チカ子モ招カル、両家親戚・大学関係者・元治氏関係者・孝子嬢関係者等総計二百三四十名、庭ニハビール店ト紅茶店位、又余興ハ市中音楽ト狂言、四時半立食、之レ亦甚質素ナリ、阪谷氏ヨリ満場ヘ披露アリ、男爵モ一場ノ挨拶アリ、終テ浜尾新氏ノ祝辞祝盃等アリテ、凡ヘテ好順序ニスミ、予等ハ後片付ヲ了ヘ夜ニ入帰宅ス
   ○中略。
五月十日 曇
例刻兜町ヘ出勤、諸事輻湊多忙ヲ極ム、五時ヨリ小石川原町阪谷邸ニ至ル、今夕ハ阪谷氏及若主人ガ共同シテ主人トナリ、渋沢元治夫婦・穂積家以下、織田尾田等《(織田国子カ)》ヲ招カルヽニツキ、招カレタル也、常磐家ノ出前料理、小三ノ落語、柳橋ノ手踊等アリ、盛会ナリシ、十二時半帰
 - 第29巻 p.93 -ページ画像 



〔参考〕(八十島親徳) 日録 明治三四年(DK290027k-0004)
第29巻 p.93 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三四年   (八十島親義氏所蔵)
五月十二日 日曜 雨
○上略 深川邸ニ若主人ヲ訪問ス、渋沢元治氏ニ出会ス、氏ハ此頃ハ二等卒ニナレリト、已ニ入営後半年ヲ経過セル也、午後二時深川ヲ辞シ、王子別荘ニ至リ主人及令夫人ニ面会ス、一昨日目出度移転ノ祝詞申述ノ為也、午後六時辞 ○下略