デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 7. 三井家
■綱文

第29巻 p.361-374(DK290108k) ページ画像

 --


■資料

(芝崎確次郎) 公事提要(DK290108k-0001)
第29巻 p.361-364 ページ画像

(芝崎確次郎) 公事提要        (芝崎猪根吉氏所蔵)
    記
 - 第29巻 p.362 -ページ画像 
我等家政向先祖之掟ヲ相守、連綿相続致候得共、古格ニ泥ミ当今之時勢後れ、終ニハ相続方差響可申与深致心痛候、依之今般同苗一流申合セ、家政向者勿論、総手代進退迄悉皆其方江委任申付候見込之通取計当家万代不易之方法相考、諸事不都合無之様指揮可被致候、仍委任状如件
  明治六年四月
 本文三井三郎助、同苗次郎右衛門、十一日早朝持参、猶左ニ改革相成候

不肖之私是迄厚御眷顧を蒙り、三井組家事処分之際ニ於テ、百事御配慮ヲ奉労候処、今般不図も別紙之通り一切事務惣轄之委任を受候義ハ尤以戦競之至ニ御座候、就而ハ向後私委任中之事務ハ細大となく高案を乞ひ、偏ニ御配算ニ御依頼申上候間、此段御領掌被下度、奉懇願候也
  明治六年                三野村利左衛門
     月 日
    渋沢栄一殿

    本文答書
三井総轄之委托を被受候ニ付、向後之処務毎事拙案ニ御依頼被成候趣了承いたし候、敢而其器ニ当らすといへとも、再来之情状も有之候ニ付、尚一層注意御助力可致候、御答書旁此段御契約およひ候也
                      渋沢栄一
    三野村利左衛門殿
私共家事経営之方法ニ於テハ、再来不容易御配慮ヲ蒙り、毎事至当適切之御忠告に頼りて自家之幸福ヲ増し候ハ、私共一同感載仕候義《(戴)》ニて向後細大之事務施行之際ニ於ても、尚厚ク高諭を奉仰事々高旨ニ御依頼申上候義ハ、私共一同之懇願にして永く銘肝仕候義ニ御座候
就而今般将来之都合ヲ審案之上、家政向一切之事務を三野村利左衛門江委任致し、別紙委任状ヲ相渡候ニ付而此末同人之処務万般を監視督令しテ、真実之更張を得候様相成候義も、偏ニ高蔭を奉仰候外無之候間、私共一同今日之懇願此事ニ御座候、何卒此辺之情状御汲量被成下既往之如く将来ヲ御配算被下度、此段伏而御依頼仕候也




    渋沢栄一殿

右之答
御家政向将来ヲ御審案之上、此度毎事三野村利左衛門ヘ御委任被成候ニ付而ハ、向後同人之処務監視之義、拙生ヘ御依頼之趣、御心事推察いたし候、唯拙生其才能ヲ有せず、敢而高嘱ニ応し兼可申候得共爾来
 - 第29巻 p.363 -ページ画像 
之情状も有之候ニ付、尚一層注意御補助可致候、御答書旁此段御契約およひ候也
                      渋沢栄一
    四人ヘ

爾来我等家事経営之際ニ於テハ、其方共各其職掌ニ応し一同勉励被致候ハ、深く満悦之至ニ候、然処方今倩御政態之運歩ヲ奉恐察候ニ、毎事駸々日進之勢ニ相赴候得者、我等一家私事之如キも、益更張之意念ヲ以テ其進歩ヲ勉メサレバ、決而守成維持難致筈にて、実ニ緊要之時ニ有之、故ニ是迄追々諸規則ヲも釐正いたし、稍其端緒ニ就クといヘとも、何分故陋之宿弊多く、新規整理之地に至らず、動もスレハ却テ之ヲ厭忌しテ、一日之偸安ヲ唱ふるもの有之、尤以不本意之事ニ候、畢竟此輩ニ於テも其忌意ニ至りテハ、我等家事顛覆之患ナカラシメンとの忠実ニ出るナルヘケレドモ、既ニ其目的を誤り、其方向を失ひし上ハ、却テ家事ノ進歩ヲ妨ケ、一般之要旨に反スレハ、我等に於テ之ヲ不忠之甚キモノセルヲ得《(ト脱)》ヘからず、是れ実ニ我等ノ日夜焦思苦慮スル処ニシテ、之ヲ要スルニ家事ノ裁制能く統一に期しテ、主権確立スルノ根楨ヲ定メサルヨリ、各自ノ趣向相参差スルコトナレハ、其罪実ニ我等に在リテ、今其責ヲ逭れさる処なり、是に於テ我等深ク既往将来ヲ審量し、主権一に期し、処事其序を得せしめん為メ、改テ別紙委任状を以テ、家政細大之事一切三野村利左衛門ヘ専任いたし候条、一同我等之意ヲ体し、能其指令ヲ遵奉しテ益勉励いたすヘし、併乍人者其胸臆に蓄念あれハ、敢テ之ヲ奪ふベカラサルモノナレハ、自然我等ノ処置ニ於テ甘心せさる者アレハ、今我等眼前ニ其趣旨開陳スヘシもし又我等之此委任を善とセず、其指令に服従するを欲セされハ、速ニ其事ヲ陳述しテ、其身を退くヘし、然るヲ今此際ニ面従して、他日之ヲ私議傍論する等ノものあレハ、我等之ヲ奸邪偏曲ノ極として、直ニ其事由ヲ糺正しテ、相当之譴責ヲ加ふベケレハ、一同能玆ニ留念しテ敢テ遺失悖戻アルヘカラス、畢竟我等此委任之事ヲ行ふも、偏ニ方今之御政態ヲ仰望シ、永く自家営業之昌盛ヲ期し、祖先之余沢に酬ひんとの意念より出る者ナレハ、我等之委托に任スルものも、必此心ヲ心トシテ、其主権確立之際ニ於テハ、勿論相当之改革ヲモ行ふヘケレハ一同厚ク今日之覚悟ヲ要スヘし、我等此喋々之示諭ニ及ふ所以之ものハ、唯今日と向来トニ於テ各自ノ迷途ナカラシメン為ナレハ、一同我等ノ深意ヲ了承せしに於テハ、其趣を自記しテ三日間ニ我等ニ差出スヘし、仍而今玆ニ我等之要旨ヲ掲示シテ、一同に広告スルモノ也
                      三井八郎右衛門
  明治六年

                    三野村利左衛門

今般家政向万般之事務一切委任せしめ候ニ付而ハ、向後其方義ハ三井組総轄与改称いたし、従来之役名ニ於テモ夫々改革ヲ加ヘ、都テ即今之御政体に奉対候而も不都合無之様、向々之権限明瞭に分界相立候様可取計候事
 - 第29巻 p.364 -ページ画像 

御委任状之趣旨、恭承御深慮之次第感佩仕候、不肖ノ私敢テ高旨ニ適応難仕義にハ候得共、斯迄之御決意ニ奉対、謹而御委任ヲ領受仕候、就而ハ向後更ニ駑力を尽し、偏ニ報効相立候様奮励従事可仕候、仍而御受書如何
                      三の村利左衛門
御直書御示諭之趣拝読、御深慮之次第、逐次敬承仕、毎件甚敬服仕候間、向後常々高旨ヲ服膺しテ、聊以悖戻之所為仕間敷候、仍而誓詞如件
  明治六年


    委任状
我等家政向之義ハ、旧来祖先之古格に依り連綿相続致し候得共、御一新以降事物振興之際ニ会し、徒に旧習ヲ株守難致ニ付、爾後其方共之勉力に頼りて漸陋風ヲ釐革し、進歩之楷機を得候ハ満足之至ニ候、然りといへとも向後時勢更に相進み、事務随而多端ニ赴候ニ付而ハ、能ク注目之方向ヲ明にし、殊ニ宿弊ヲ矯正し、着手之順序其宜ヲ得サレハ、決而主旨相貫申間敷、而シテ其提要ハ主宰一に出てゝ責任専帰あるを以て、第一要件といたし候ニ付、今般同苗共一同厚く討議之上、自家本分之営業筋ハ勿論、同苗共及総手代共之進退黙渉より、内事細務に至るまて、一切其方へ委任候条、聊忌憚遅疑之事なく、都而所見に任セ取計候様可致候、仍而委任状如件
  明治六年
                    三井八郎右衛門印
    月 日
    三野村利左衛門殿
本文之下案之儘写字ス、誤字之患折角御注覧可被下候


三井文庫所蔵文書(DK290108k-0002)
第29巻 p.364-365 ページ画像

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渋沢栄一書翰 井上馨宛 (明治二四年)一月九日(DK290108k-0003)
第29巻 p.365-366 ページ画像

渋沢栄一書翰  井上馨宛 (明治二四年)一月九日     (三井文庫所蔵)
新禧慶賀、爾来閣下益御清穆御坐可被成奉賀候、小生無異是又御省念可被下候、客臘三十日附之尊書拝読、来示敬承仕候、実ハ御在京中之尊示ニ従ひ、三井主人一同及西村・三野村等へ高橋之事内談いたし、漸く同意之回答を得候ニ付、十二月初旬小生より高橋へ懇々相談致候処、同人も実業社会へ尽力之企望之由ニて、其相談相整、客月之末ニ小生高橋を同道ニて三井銀行へ罷越、西村其外一同へも紹介し、俸給勤務等迄夫々手筈打合、本年一月より専心三井銀行ニ服務と申事ニ相成候
又三井家法之事ハ、其前益田と申談、穂積陳重ニ依頼いたし、是又三井主人一同集会ニて穂積へ詳細ニ相托し、即今其法案起草中ニ御坐候而して三井家営業ニ属する組織ニ付而も、穂積と申談候上、其根本ハ民事上之組合法ニ組織し、三井銀行又ハ物産会社、又ハ鉱山部等之事ハ、其根本より分派して、或ハ合名又ハ合資会社ニ組織せしめ候見込ニ取調候筈ニ御坐候、且此法案調査ニ付、尊示ニハ高橋ニ専任との事ニ候得共、穂積之考案ニてハ、右等会社定款等之調査ハ、矢張法律専門家ニ起草為致、而後高橋氏ニ於て修正いたし候方、所謂餅ハ餅屋之古諺ニ適ひ可申との説も有之、多分他之法律家ニ下タ調相托し候都合ニ御坐候、乍去高橋も既ニ本年より専務三井之為相働候都合ニ付、其
 - 第29巻 p.366 -ページ画像 
執務ニ付而ハ、第一小生・益田両人ハ相談役之資格ニて、三井之現務ニ参与いたし候筈ニ付、其辺ニ於て高橋ニ托し、種々取調度事共も有之候ニ付、高案之如く、内政参与ニ於てハ、同様之力を以て関係いたし候筈ニ候
又旧貸付金中滞貨と相成候口々処分之義者、昨年来相談役之職制中ニも記載いたし置候義ニ付、其後小生ハ三野村へ再三打合、目下同人ニ於て調査ニ取掛、略見込相立候上、小生・益田両人ヘも相談いたし候都合ニ御坐候
右様之順序ニ付、前陳家法及会社組織ニ関する定款等之草案ハ、可成二月中位ニ脱稿、主人始重立候者共之協議を尽し置、閣下御出京之節相伺、取極可申見込ニ御坐候、又旧貸処分之事も、略同辺之手順ニ致度と打合中ニ御坐候
高橋之事に付而ハ、疾く小生よりも前陳之事情申上候筈之処、延引ニ打過き、却而尊書を得候ハ、等閑之至御海恕可被下候
政事社会之事ハ、小生申上候迄も無之、新聞又ハ他之報道ニて御聞取と奉存候得共、商業上之実況も昨年ハ随分困難多き年柄ニて、就中工業会社ハ尤以苦境ニ沈倫罷在候、右ニ付而も追々賢慮相伺度候得共、其中拝眉と奉存候ニ付、先以差扣申候、右奉復旁可奉得芳意、如此御坐候 匆々敬白
  一月九日夕
                      渋沢栄一
    世外老閣
  尚々京浜ハ例之流行感冒猖獗之姿ニて、戸々臥褥罷在候、拙宅抔も荊妻ハ殊ニ強く相感し、即今肺炎と相成、家族ともニも数多感染し困却仕候、貴方如何、折角御調護専一ニ奉祈候也


渋沢栄一書翰 井上馨宛 明治二四年五月二三日(DK290108k-0004)
第29巻 p.366-367 ページ画像

渋沢栄一書翰  井上馨宛 明治二四年五月二三日     (三井文庫所蔵)
  明治二十四年五月廿三日           於東京
爾来益御清穆御坐可被成奉賀候、偖此度露国皇太子殿下御遭難之一事ハ、実ニ恐縮之次第ニて、老閣ニも定而種々御心痛御配意被遊候義と奉存候
又先般来山県伯御辞職、引続き昨今道路之風説ニてハ、青木・山田・芳川之諸君ニも御退身云々申伝ひ、真ニ廟上寧日なしと申有様ニて、只々苦心罷在候、老閣ハ勿論、伊藤・山県之諸公ハ何故ニ斯く高踏勇退ニ御競争被成候哉、一方ハ其身ニ其才能と嘱望無之をも顧ミす、侵奪を試候偽政事家有之候今日ニ於て、経験も名望も又信用も厚き方々ハ前陳之如く単ニ一身を保護し、社会之事ニ御注意無之様ニてハ、最早日本之政事ハ今日限りと申程ニ杞憂仕居候、何卒少々御反省被下度奉存候
三井家政改革之事も、先月中別而御高配被下、家憲之大旨略相定候ニ付、穂積へ度々其草案之脱稿を促し、本月十日頃漸く出来候ニ付、不取敢西村より一本奉呈仕候由ニ候、然処其際例之兇変ニて、老閣ニも西京御越相成、引続き山口へ御廻之由拝承仕候ニ付、玆ニ尚写一冊送呈仕候
 - 第29巻 p.367 -ページ画像 
昨夜も益田と共ニ三井銀行へ会し、色々相談之上、別冊も一読仕候、先日客月御垂示之要点ハ、大概認入候様相見へ候得共、再考致候処ニてハ、少々文字上ニも穏当ならさる処有之、其上三井組定款、又ハ三井各商店定款制定之際、尚修正せされハ、不相成と存候件々も相見へ候得共、右等ハ今一応之評議といたし、先此大体に就而主人達一同之意向如何を充分推問中ニ御坐候、昨夜ハ高朗ハ欠席ニ得候共、其他ハ一同参席いたし、いつれも是非此際速ニ確定を企望致候旨、熱心ニ申居候
又前陳定款取調之事も、穂積・岡山之間ニ少々其説を異ニし、為メニ高橋より種々聞合候処、穂積之説稍適当と被存候間、岡山ニ再応其主意ニ拠り調成候様、申談居候義ニ候
依而此草案も十日間以内ニ出来可致、又主人達之内評議も(家憲逐条ニ付)五七日ニ相済可申、然時ハ夫々速ニ実施之運ニ取掛申度之処、生憎老閣東京御見棄と相成候ハ、第一之差支と相成候次第ニ候、就而ハ内々相伺候義ハ、右等書類其外取纏候上ハ、如何之手配可仕哉、幸ニ近々内々ニも御出京被下候御都合なる哉、又ハ両三人貴方ヘ罷出候様可為致哉、心得之為拝承仕度候
貸付金整理之事ニ付而も、昨夜西村杯へ切ニ申談し、此際別局相立、主人之中一名及高橋を其副とし、実地之整理方ニ着手候方と申談置候是ハ近日三野村帰京次第取極可申と評議仕候、小生・益田抔、右様百事せり立候も、兼而御承知被下候通、主人達ハ一同優柔不断、西村ハ情実拘泥之弊多く、折角其緒ニ就候家憲も、事務改正も、只空論ニ相成、雲散霧消之恐有之候ニ付、不得已外部より鼓舞相加候義ニ御坐候右等要件奉得芳意度 匆々頓首
                     渋沢栄一(印)
    世外老閣
  尚々時令折角御自愛専一ニ奉祈候也
(別筆)
井上伯爵閣下
           御親拆
五月廿三日 封 渋沢栄一
                  (・六二×・二二)


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK290108k-0005)
第29巻 p.367-368 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
六月廿六日 曇
午前 ○中略 三井高保氏来リ、三井家家憲ノ草案ヲ示サル ○中略 午後 ○中略 益
田孝氏ニ面話ス ○下略
   ○中略。
六月廿九日 曇
○上略
此日三井高保氏ヘ家憲ノ草案ヲ送付シテ、異見ナキ事ヲ申告ス
   ○中略。
 - 第29巻 p.368 -ページ画像 
十二月二十七日 晴
○上略 午後五時有楽町三井集会所ニ於テ催ス処ノ三井同族会ノ忘年会ニ列ス、夜十時兜町宅ニ帰宿ス


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK290108k-0006)
第29巻 p.368 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
六月廿七日 晴
○上略 三時 ○午後有楽町三井倶楽部ニ抵リ、三井家家憲挙行ノ協議ニ参列ス、井上伯来リテ同族一同へ家憲制定ノ要旨ヲ演説ス、午後六時兜町ニ帰宿ス
   ○中略。
七月一日 曇
午前九時三井集会所ニ抵リ、三井家家憲発布ノ式典ニ列ス、午後二時帰宿ス ○下略
   ○中略。
七月二十九日 曇
午前十時番町三井高保氏ヲ訪ヒ、転シテ同姓八郎右衛門氏ヲ訪フ、十一時過王子別荘ニ抵ル ○下略


竜門雑誌 第一四六号・第五一―五二頁 明治三三年七月 ○三井家々憲奉告祭(DK290108k-0007)
第29巻 p.368 ページ画像

竜門雑誌  第一四六号・第五一―五二頁 明治三三年七月
    ○三井家々憲奉告祭
三井家に於ては、予ねて井上伯顧問となり家憲制定中なりしが、愈々此程完成したるを以て、本月一日より実行するに付、同日午前九時有楽町三井集会所に於て家憲実施奉告祭を施行せり、参集者は三井各家の主人・夫妻、及井上伯・青淵先生等にして、祖先宗寿居士の霊前に於て家憲を朗読し、正午頃式を終り一同退散せり、又当日は三井家に功労ありし故三野村利左衛門始め、従来功労者の遺族に対し、夫々祭粢料として金円を贈与し、尚紀念として金三万円東京市、金二万円京都市、金三千円松阪町の各教育費中へ寄附のことに決定せりとぞ、因みに記す、同家々憲法は全編十章百余条より成り、第一同族の範囲、第二同族の義務、第三同族会事務局、第四婚姻・縁組・分家、第五後見・禁治産、第六相続、第七重役、第八財産、第九制裁、第十補則等なりと


中外商業新報 号外 明治三三年七月一日 三井家憲実施式(DK290108k-0008)
第29巻 p.368-369 ページ画像

中外商業新報  号外 明治三三年七月一日
    三井家憲実施式
三井家憲は愈本年七月一日より実施するに決し、即ち今一日午前九時より麹町楽町三井集会所に於て家憲実施奉告祭を執行したるが、参集者は宗家三井八郎右衛門男・同夫人を始め一門
 三井元之助   三井源右衛門  三井高保
 三井八郎次郎  三井三郎助   三井復太郎
 三井守之助   三井武之助   三井養之助
 三井得右衛門
等十一家の当主及夫人、推定相続人夫妻及隠居等にして、尚ほ家憲制定に尽力せし井上伯・渋沢男を始め、穂積陳重・都築馨之の諸氏列席
 - 第29巻 p.369 -ページ画像 
し、更に一家各部の重役
           専務理事  中上川彦次郎
  合名会社三井銀行
           理事    波多野承五郎
           専務理事  益田孝
  三井物産合名会社
           理事    上田安三郎
  三井鉱山合名会社 専務理事  団琢磨
           専務理事  朝吹英二
  三井呉服店 
           理事    高橋義雄
参坐し、祖先宗寿居士の霊前に於て家憲を朗読し、正午式を終り一同退散したる由。


中外商業新報 号外 明治三三年七月一日 三井家憲の概要(DK290108k-0009)
第29巻 p.369-370 ページ画像

中外商業新報  号外 明治三三年七月一日
    三井家憲の概要
今般制定せられたる三井家憲は、十章百余条より成り、其序詞は左の如し
 三井家の祖先は、苦辛百端同族の永続と子孫の繁栄とを謀り、宗竺居士に至り厳正なる家制と犯すへからさる家格とを定め、以て同族の基礎を固めたり、我同族の久しきを経て愈興盛し、以て能く今日あるを致したる所以のものは、全く祖先の余沢に依り、居士の遺箴を確守して同族の家政を統理したるに由らすんはあらす、其至恩子孫たる者之を忘却して可ならむや、而して今や世運一変し遺箴古例のみを以て規矩すへからさるものあり、且此恵福を後裔に貽さむ為め新に条規を設くるの必要を認め、遺箴の趣旨及ひ古例の精神に基き、時勢に鑑み、玆に同族の一致協定に頼り、此家憲を制定す、庶幾は、我同族は倶に祖宗の垂訓を体して、日夜遺るゝことなく、将来小大咸な此家憲の条章を遵守し、以て家門の光栄を無窮に伝へむことを
  明治三十三年六月二十八日
家憲の要領左の如し
 第一章は同族と題し、同族の範囲及旧来の慣例に従ひ其家格及分家の制限を専ら規定す、其同族とは即ち三井八郎右衛門・三井元之助三井源右衛門・三井高保・三井八郎次郎・三井三郎助・三井復太郎三井守之助・三井武之助・三井養之助・三井得右衛門の十一家を総称し、将来分家を為すも此同族の範囲内に入ることを許さゝる等其重なるものなり
 第二章は同族の義務と題し(一)同族は祖宗の遺訓を体し、常に兄弟の情誼を以て相交り、協力一致其家業を隆昌ならしめ、各家の基礎を鞏固ならしむることを勉むること(二)奢侈を禁し節倹の美風を守ること(三)子女学齢に達するときは必ず相当の学校に就学せしむること(四)負債を為し又は債務の保証を為さゝること、其他種々特定の行為は同族会(其組織等は次章に規定せり)の承諾を経ることを要すること、三井各営業店の設立・契約・定款等に従ひ営業に従事し、且同族は各一定の順番を定め、各営業店業務の実況を視察し、報告書を同族会に提出し、各営業店の役員等に於て危険の
 - 第29巻 p.370 -ページ画像 
所業を為し、又企図せんとする者あるとき、其外不都合の点を発見するときは、同族会を開き速に其処分法方を講し、予防矯正に勉へきこと等なり
 第三章は同族及同族会事務局と題し、同族会の組織・権限等を規定せり、同族会は同族各家の戸主を正員とし、同族の隠居者及成年の推定相続人を以て参列員として之を組織し、正員中未成年者又は禁治産者準禁治産者あるときは、法定代理人を以て之を代表せしめ、禁治産を受けたる瘋癲者は、同族会の決議を以て正員中より代表者を撰定す、同族会の議長には総領家(八郎右衛門)の戸主を以て之を任し、正員は平等に票決権を有し、参列員は意見を陳述することを得れども票決の数に加はるゝことを得ず、而して同族会は少くとも毎月一回之を開くこと、其議決す可き事件は概略左の如し
 (一)同族各家の相続・婚姻・養子縁組・離縁・隠居・禁治産・準禁治産等身分に関する件(二)各営業店の利益・分配・積立金・歳費金額の確定又は其支出等のこと(三)万一各営業店解散することある場合に於ける其財産の処分等(四)各営業店定款の変更、事業の伸縮興廃、営業準備積立金の監督、共同財産の増減処分、其他同族各家々計の予算及決算其重なるものなり
 同族会は秘密会とし、其議事は会議録に記載すること
 同族共通の事務を執行する為め同族会事務局を置き、同族会議長監督の下に其事務を執行す
 第四章は婚姻・養子縁組及分家と題し、凡て此等身分上の事は同族会の認許を経へきこと、男子は特別の事情ある揚合の外、成年以上にあらされば結婚を許さゝること、及成年以上に非らされば分家を為さしめさること等
 第五章は後見禁治産及準禁治産と題し、後見人・保佐人は同族中より之を選任し、同族以外の者なるときは、特に監督を為し、其免黜等、及禁治産・準禁治産の請求若くは取消の如きも、成るべく同族会の議決に依ること、同族各家の家族中品行修まらさるか、又財産を浪費するものに関する監督等
 第六章は相続と題し、其規定する処は、隠居を為すには止むを得さる事情あるに非されは之を許さゝること、其他推定相続人の指定又は取消等に関すること
 第七章は重役と題し、其組織権限等を規定し、要は各営業店重要事件を議し、其間互に気脈を通じ不権衡のことなからしむるを以て主なる目的とす
 第八章は財産と題し、営業資産並に共同財産及ひ各家の資産に関して厳重なる制限あること


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK290108k-0010)
第29巻 p.370 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
四月三十日 晴
○上略 五時過三井集会所ニ抵リ、三井一家ノ催フセル送別会ニ出席ス、金子・末松・藤田・都築ノ諸氏来会ス、賓主種々ノ談話ヲ為シ各歓ヲ尽ス、夜十一時王子別荘ニ帰宿ス
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渋沢栄一 日記 明治三六年(DK290108k-0011)
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渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
一月廿六日 晴
○上略 午後六時三井倶楽部ニ於テ、三井家ヨリノ晩飧饗宴ヲ受ク ○下略


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK290108k-0012)
第29巻 p.371 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
一月二十七日 雨 風ナシ
○上略 三井集会所ニ抵リ、三井八郎右衛門氏ノ催ニ係ル高橋是清氏帰国歓迎ノ宴会ニ出席ス、松方・井上・阪谷・松尾・高橋、其他ノ諸氏来会ス、食後画工ノ絵画ヲ一覧シ、夜十時王子別荘ニ帰宿ス
   ○中略。
四月十三日 雨 風ナシ
○上略
夕六時三井集会所ニ抵リ韓国大使一行ノ饗宴ニ陪席ス、食後能楽数番アリ ○下略
   ○中略。
五月六日 晴 風強シ
○上略 十二時三井集会所ノ招宴ニ出席シ ○下略


渋沢栄一 日記 明治四○年(DK290108k-0013)
第29巻 p.371 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四○年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十一日 晴 寒             起床六時三十分 就蓐十一時三十分
○上略
新橋着ノ後麻布ニ抵リ、三井八郎右衛門ノ病ヲ訪フ


青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第八七五―八七六頁 明治三三年二月刊(DK290108k-0014)
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青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第八七五―八七六頁 明治三三年二月刊
 ○第五十九章 雑事
    第十九節 家政顧問
○上略
一、三野村利左衛門ハ三井家中興ノ支配人ナリ、明治二年先生静岡藩ノ為メ商法会所ヲ創立シ、其用務ヲ以テ東京ニ来リ初テ利左衛門ト相知ル、後チ先生大蔵省ニ出仕スルニ及テ、公用ヲ以テ屡々利左衛門ニ接シ、互ニ其凡人ニアラサルコトヲ知レリ、後チ先生官ヲ罷メテ第一国立銀行ニ入ルヤ、小野組ノ破産ニ遭遇シ、先生ノ敏腕ニ依テ銀行ハ纔ニ倒産ヲ免レ、後チ益々基礎ノ鞏固ヲ致スニ至レリ、而シテ当時三井組モ亦頗ル困難ニ陥ラントセシカ、先生ノ力ニ依テ之ヲ避クルコトヲ得タリ、爾来利左衛門ハ深ク先生ノ人ト為リニ服シ三井組ノ大事ハ多ク先生ニ諮フテ之ヲ決セリ、今日ニ至ルマテ先生ハ三井家ノ顧問ニ与ルコト多ク、三井家ハ常ニ厚ク先生ヲ礼遇セリ



〔参考〕家憲正鑑 北原種忠著 第二一五―二二○頁 昭和三年八月刊(DK290108k-0015)
第29巻 p.371-374 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。