デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

8章 住宅
■綱文

第29巻 p.622-624(DK290199k) ページ画像

明治39年4月2日(1906年)

是日栄一、篤二ノ新居トシテ三田綱町ノ子爵仁礼景助ノ土地家屋購入ヲ決ス。次イデ四十二年六月深川邸ノ家屋ノ一部移建ヲ加ヘテ新築竣功ス。

当邸ハ専ラ篤二ノ居住セシ所ナルモ、栄一ノ本拠トナス。


■資料

(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK290199k-0001)
第29巻 p.622-623 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三八年   (八十島親義氏所蔵)
六月二日 晴
○上略 深川区内ペスト猖獗ノ兆アリ、渋沢若主人氏ハ不取敢本邸ヲ立退
 - 第29巻 p.623 -ページ画像 
キ、本日ヲ以テ三田小山町ノ上田氏控宅ヲ借受ケ移転セラルヽニ付、朝一寸立寄リテ視察ヲナシ、夫ヨリ出勤、午后四時放課後小山ニ再立寄リ、多少ノ手伝ヲ為ス ○下略


(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK290199k-0002)
第29巻 p.623 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三九年   (八十島親義氏所蔵)
三月九日 快晴
快晴暖和ノ好天気、朝小山町渋沢家ニ至リ、仁礼子爵邸撿分ニ同伴ス同邸ハ綱町ニシテ南及西南南ニ向ヒ、眺望宜敷、庭平タク陽気ナヨキ邸也、尾高氏モ同伴ニ付同道、昼兜町ヘ出勤 ○下略
   ○中略。
四月二日 快晴
○上略
若主人ノ邸宅諸方詮索ノ末、愈三田綱町仁礼子爵邸四千坪ヲ家共十三万円ニ買受クル事ニ定マル
○下略
   ○中略。
四月十二日 曇
朝小山町邸ニ立寄リ、此頃買入ノ仮約成立セル綱町仁礼子爵邸ノ留存地域トノ境界杭付ニ若主人ニ随行立会フ ○下略
   ○中略。
八月十二日 晴 涼 日曜
○上略
午後綱町ノ渋沢新買入邸ニ至リ、若主人御夫婦ニ案内セラレ、境工事等見ル ○下略
   ○中略。
九月九日 日曜 曇朝夕雨
○上略 十時過ヨリ綱町渋沢新邸ニ至ル、今日ハ男爵モ見エ、若主人御夫婦・清水釘吉・一雄・原・岡本・尾高氏等集リ、男爵ノ修正意見モアリ、結局改築方針決定ス、若主人モ此方針確定ニハ大ニ肩ノ荷ヲ卸ロシ安心サレシナラン、昼飯ノ馳走ニナリ、四時帰ル ○下略
   ○是日ノ栄一ノ日記ヲ欠ク。
   ○中略。
十月七日 晴但風強ク砂煙甚シ 日曜
○上略
深川渋沢邸愈取払ニ付、御名残リノ為一族小供園遊会《(子)》ヲ被催、招ニ応シチカ子ヲ連レ十一時同邸ニ至ル、男爵御夫婦・阪谷大臣・ホツミ夫人等モ来臨アリ、池ノ魚ノ網打、手品等ノ余興、支那料理ノ弁当等、来会者数十人、中々ノ思付キ也、先代以来ノ本邸廃止ニ対シ若主人ノカク迄思入ノ段落的取構ヲセラルヽハ中々用意ノ事ト云フベシ、予ハ昼飯後中坐
○下略


(八十島親徳) 日録 明治四二年(DK290199k-0003)
第29巻 p.623-624 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四二年   (八十島親義氏所蔵)
六月二十六日 雨
 - 第29巻 p.624 -ページ画像 
○上略 六時綱町邸ニ至ル、新築落成、本日目出度移転セラル、立派ニ工合ヨク出来、見ハラシ、日アタリ、風通シ等スベテ宜シキハ勿論、住居勝手モ余程便利ラシヽ、予ノ進呈セシ高橋勝三ノ房州夏景色ノ画絵額《(油カ)》ハ書斎ノ壁間ニ掲ケラル、食堂ニテ弁当ヲ出サレ、尾高・増田・高橋等ト同席祝盃ヲ挙ク


竜門雑誌 第二五四号・第五六頁 明治四二年七月 ○渋沢本社長の転居(DK290199k-0004)
第29巻 p.624 ページ画像

竜門雑誌  第二五四号・第五六頁 明治四二年七月
○渋沢本社長の転居 渋沢本社長は去る三十九年六月芝区三田綱町十番地仁礼子爵の旧邸を購ひ、爾来新築中なりしが、本年六月竣工を告げたるを以て、六月二十七日の吉辰を卜し綱町十番地の仮邸より新邸に移転せられたり、新邸には深川福住町の旧邸の一部を其結構の中に加へて、旧を偲ばんよすがに供しぬるよし
   ○社長トハ渋沢篤二ヲサス。


渋沢倉庫六十年史 同史編纂委員会編 巻頭 昭和三四年八月刊(DK290199k-0005)
第29巻 p.624 ページ画像

渋沢倉庫六十年史 同史編纂委員会編  巻頭 昭和三四年八月刊
    はしがき(渋沢敬三)
 深川区福住町四番地(今の永代町)は私の生れた所で、祖父青淵が明治二年静岡から東京に出てから、神田猿楽町や小川町に居を転々とし、遂に九年この大島川沿いの近江屋喜左衛門の寮を譲り受け改築し本拠とした所です。二十年の終り頃兜町に移り、更に王子に引越しても、これらは何れも別荘と称し、この深川はもとより明治三十八年三田に移つても祖父の本拠は私共の住まいで表札が出してありました。大島川からは潮入りの池が庭にあり、新築した表座敷は後年三田に移築しましたが、今は政府の第一公邸の一部として会議其他に盛んに役立つて居ります。
○下略
   ○右資料ハ刊行ニ際シ追補セルモノナリ。