デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 東京市養育院其他
1款 東京市養育院
■綱文

第30巻 p.253-262(DK300027k) ページ画像

昭和2年9月13日(1927年)

是日栄一、当院巣鴨分院ニ於テ開催セラレタル院外委託児童藪入会ニ臨ミ、一場ノ訓話ヲナス。爾後昭和三年九月十三日・同四年九月十三日・同五年九月十三日・同六年四月十三日ノ同藪入会ニモ臨席ス。


■資料

竜門雑誌 第四六九号・第一〇一頁 昭和二年一〇月 青淵先生動静大要(DK300027k-0001)
第30巻 p.253 ページ画像

竜門雑誌  第四六九号・第一〇一頁 昭和二年一〇月
    青淵先生動静大要
      九月中
十三日 東京市養育院に出向。 ○下略


東京市養育院月報 第三一四号・第一四頁 昭和二年九月 ○巣鴨分院だより(DK300027k-0002)
第30巻 p.253 ページ画像

東京市養育院月報  第三一四号・第一四頁 昭和二年九月
    ○巣鴨分院だより
△委託児童の藪入 当巣鴨分院にては院外委託児及出院者の為め、九月十三日午前十時より秋季藪入会を開催せり、定刻会場に充てたる講堂に於て、小長谷主務の挨拶の下に会を開き、次で直に梅の家歌笑一座の余興数番あり、正午渋沢院長・田中幹事来院、院長より委託児童並に在院児童一同に対し懇篤なる訓話ありて後、記念撮影をなせり、斯くて来院の委託児及出院者一同には食堂に於て保姆の手になれる特別献立の昼食を饗し、午後は尚引続き歌笑一座の余興に移り、一同の興趣尽きず、同五時盛会裡に閉会せり、因に当日来院の青少年は男四十四名・女二十八名、合計七十二名を算せり


東京市養育院月報 第三一五号・第一―三頁 昭和二年一〇月 ○院外委託児藪入会に於ける訓話(昭和二年九月十三日於巣鴨分院)(養育院長子爵渋沢栄一)(DK300027k-0003)
第30巻 p.253-255 ページ画像

東京市養育院月報  第三一五号・第一―三頁 昭和二年一〇月
    ○院外委託児藪入会に於ける訓話(昭和二年九月十三日於巣鴨分院)
                 (養育院長 子爵 渋沢栄一)
 皆さんも承知して居る通り、今日は私が此の分院に来る例日であります、皆さんの藪入は毎年二回しかないが、私は毎月一回で、年に十二回此巣鴨分院に藪入をして居ますから、皆さんよりも余程藪入りの回数が多いのである、幸ひに今日は私の藪入りと、皆さんの藪入とが一緒になつて、院外へ委託に出て居る人々にも此所で久振りに会ふことが出来たのを、皆んなも喜んで下さるだらうが、私も大変に喜びます、然かも今日藪入に来た人数が七十名以上に達して居ると云ふことを幹事さんから聞いて、一層満足に思ふのである
 偖て度々申すことではありますが私は今年八十八歳になつた、最早や老年のことであるから、大抵の世の中の仕事は辞することが出来るし、辞しても非難される筈はない、然かし日本国民といふことを辞する訳けには行かないのである、人は役人としての仕事を辞することは出来る、実業家としての仕事も辞することが出来る、其他大抵の仕事
 - 第30巻 p.254 -ページ画像 
は辞して辞せないことはないが、然かし其等の仕事は仮令辞したにしても、国民として尽くすべき仕事は尚ほ残つて居るのであつて、之れを辞することは決して出来ません、私は皆さんと共に日本国民である此の日本国民である事はどうしても辞することは出来ないのである、之れは我々の権利でもあり、又た義務でもある、此の意味で私は養育院の出来た当時から院長になり、今日此の如き老人となつても其の職を辞さないのであります、尤も院の総ての事務は田中幹事にお頼みしてありますが、然かも尚ほ院長を辞さないで、常に心配をして居るのは、蓋し此仕事を国民として尽くすべき大切な仕事なりと信じて居るからである
 偖て皆さんは、今日の藪入を楽しみにして来られたのであると思ふが、面白い余興を見たり、旧友と歓話したり、御馳走を喰べたりする前に、私は余まり面白い話ではないかも知れないが、皆さんの為めに一場の話をしやうと思ふ、仮令面白くなくとも、聞いて置けば何時かは不知不識の間に身の為めになることは確かであるから、よく聴き取つて置いて貰ひたい
 抑も人が世に立つにはいろいろ大切な事もあるが、最も大切な事の一つは、時間を空費しないと云ふことである、西洋の諺に『時は金なり《タイム、イズ、マネー》』といふ言葉がある、之れは強がち時は金銭なりといふだけの意味ではなく、時は金銭よりも貴きものとして取扱ふべきものであり、時を空費するは金銭を浪費するよりも一層大なる損害であると云ふことを誡めたものであります、私は今朝も七時少し前に起き、風呂に這入つてから食事を済ませると直ぐに訪問者に接し、雑誌『実業の日本』の記者や、其他五・六組の人達に面会した、御客は尚ほ続々と後とから来るのであるが、然かし今日は午前十時頃に板橋の本院へ行かなければならないので、接客を切り上げて本院へ行きました、其間には新聞の拾ひ読みもし、雑誌も見、又本院では田中幹事から院内の様子を聞き、次に幹事と共に此の分院に来ました、斯様に私のやうな老人でも出来るだけ時間を空費しない様にと常に工夫をして居るのである、わけて皆さんの様な青年達は、決して時を空費しないやうに朝夕熱心に心掛け、短かき人の一生に於て成るべく多くの勉強と仕事とを為し遂げるやうに努めなければならない、古人も一日再び晨たり難しと申したが、怠惰の裡に過ごしたる一日は、永久に失はれたる一日であり仇に過ごしたる一年は、一生取り返しの出来ぬ一年であります、青年諸子豈に自から警めざるべけんやである
 昔徳川幕府の時代に御三家・御三卿なるものがあつた、其御三家の一つであつた紀州侯の祖、徳川頼宣が大阪夏の陣の時に年十四歳で、其の兄義直と一緒に従軍し自分は後軍となつて大阪城に攻め寄せた、其時のことであるが、徳川勢は非常の勢で城を攻め、後軍の未だ到らざる内に勝を占めて、城を陥れ、大阪城の天主閣には既に火の手が挙つたので、頼宣は戦を交へずして茶臼山の陣営に帰へることになりました、茶臼山の陣営には総大将の家康が控へてゐたので、諸将は家康の御前に伺候して、交はるばる戦勝のおよろこびを申上げました、此の時頼宣は徳川家に取つては極めて目出度い勝ち軍にも拘はらず、泣
 - 第30巻 p.255 -ページ画像 
く泣く家康に向つて『父上が私を後軍にお廻しになつたから、私が戦争を致さない内に、味方は勝つて仕舞ひました、夫れ故私は花々しく働くことが出来ませんでした』と、如何にも無念さうな面持ちで物語ると、側に居た侍臣の一人が之れを慰めて『若様はまだ十四歳の御年少でありますから、前途は実に悠遠で、まだこれから幾度も花々しい武勲をお建てになる時節が到来いたしますから、そんなに御無念に思ぼされなくともよろしう御座います』と云つた、すると頼宣は大に気色を損じ『だまれ、此の頼宣の十四歳の時が二度と再び来ると思ふか』と云つてひどく残念がられたと云ふことであるが、誠に其の通りで、盛年重ねて来たらず、時間は決して空費すべきものではなく、機会は決して失するものではない、頼宣の此話の如きも、皆さんが能く参考として聴き置くべきことであります
 右の外時を徒らに過ごすなといふ言葉は、古人の誡めの中にも沢山あります、時を空しくしないと云ふことは、働く時にも又た遊ぶ時にも之れを守もるべきであつて、漠然と時を過さず、精神を集注して勉むる時にはよく勉め、遊ぶ時にはよく遊ぶと云ふことが最も大切であります、今日はこれ丈けのことを申すに止めて置きますが、皆さんもよく此の事に留意して貰ひたい


東京市養育院月報 第三二六号・第一二頁 昭和三年九月 △院外委託児童藪入会(DK300027k-0004)
第30巻 p.255 ページ画像

東京市養育院月報  第三二六号・第一二頁 昭和三年九月
△院外委託児童藪入会 当巣鴨分院に於ては、特に院長の例月出勤日たる九月十三日を選び、院外委託児童の為め秋季藪入会を挙行せり、当日は早朝より喜色を満面に湛へ三々五々打連れて来院し、予定の午前十時には既に四十名を数ふ、依て松下主任司会者となり、開会の辞を述べ、直ちに予定通り余興に移り落語終れる頃、渋沢院長並田中幹事来院せらる、斯くて温顔に微笑を湛へられたる院長は登壇せられ来会者及び分院児童一同に対し懇篤なる一場の訓話を与へられ、夫れより暫時余興を観覧せらる、やがて午前の余興を終へ直に記念写真の撮影を事務所前庭に於て行ひ、院長には正午過ぎ退庁せられたり、又委託児童等には、食堂を開きて昼餐を饗し、更に午後一時より余興に移る、中にも支那人の曲芸には一同胆を寒からしめ、精神一到何事か成らざらんの感をいだかしめたり、斯くして午後三時四十分予定の『プログラム』を終へ、一同歓を極め和気靄々の裡に閉会を告げ、夫れ夫れ帰途に就きたり、因に当日来会したるもの男五十四名・女三十八名合計九十二名にして、余興としては落語・万歳・舞踊・浪花節・曲芸喜劇等を観覧せしめたり


東京市養育院月報 第三二六号・第一―四頁 昭和三年九月 ○院児秋季藪入会に於ける訓話(昭和三年九月十三日於巣鴨分院)(養育院長子爵渋沢栄一)(DK300027k-0005)
第30巻 p.255-256 ページ画像

東京市養育院月報  第三二六号・第一―四頁 昭和三年九月
    ○院児秋季藪入会に於ける訓話(昭和三年九月十三日於巣鴨分院)
                 (養育院長 子爵 渋沢栄一)
 毎月十三日は楽翁公の御命日で、私の出勤日として居るので、其日には此巣鴨分院へも必ず来ることにして居るのは、皆さんの能く承知して居るところである、それで今日は十三日であるから、今ま幹事さんと一緒に此所へ来たのである、来て見ると今日は予定の通り秋季藪
 - 第30巻 p.256 -ページ画像 
入会で、職業見習等の為めに院外に出て居る小供達が多勢楽しさうに集つて居るので、私は大変嬉れしく思ひました、今日は朝から好天気で、藪入りには実に申分ない日で、皆さんも久し振りで先生や友達に会ひ、定めし愉快なことであらうと思ふ、又た余興もあつて楽しく一日を過ごされることゝ思ひます
 先月は十三日から伊香保へ静養に行くことゝなつたので、十二日に私は此所へ来て、人は何でも不平の心を持たぬ様に修養の工夫をし、さうして自分に与へられたる夫れ夫れの仕事を愉快に為すべきものである、又焦心らず迷はず、常に前途の望を固く持たなくてはならぬと云ふこと、さうして例として、徳川家康の遺訓の話をした様に記憶して居ます、其時に次回は何か一層為めになるよい話をして上げやうと云つて置きましたが、旅行や其他彼れ此れの用件の為に、話の材料を集めて置く事が出来なかつたので、今日は別に筋を立てた御話はしませんが先月も少年時代は修養の時期であると云ふことに就て、私自身の現在までの生立ちや経歴のことを簡単に話しました通り、私は埼玉県の百姓の子であつたけれども、少年の時から志を立て学問を励み、常に前途に希望を抱き、不平を去り、愉快に仕事をつゞけて現在に到つたのであります、人には誰も此の不平を去り、愉快に仕事を為し、将来に希望を抱くことがなければ、一生涯何事も出来るものではありません、自分が一度やらうとしたことは万難を排して何処までも努力して行けば、其目的の全部とまでは行かずとも、幾部分かは必ず達せられるものであります、故に志を立てた以上は決して迷ふことなく、焦心ることなく、忍耐を以て此の世に処して行くことが大切であります、且つ其上に活溌にして乱暴ならず、従順にして卑屈ならざる様に二者を程よく調和して行く様に、常に細心の注意をしなければなりません、是等の事に就ては院児一同、特に目下院外に委託されて業務見習をして居る生徒達は、能く心に銘して居て貰ひたいものであります今日は前申した通り旧友が一堂に会して、互に歓談に時を過ごす楽しい藪入りの日であり、又た面白い余興も沢山あるのでありますから、簡単ながら私の話はこれ丈で御仕舞にして置きます
 又た皆さんが心配して呉れた私の病気も、八月以来順調に恢復して来て、今日では全く心配が無くなつた模様でありますから、どうぞ皆んな安心して貰ひたい、尚今日藪入りに来た人々は身体の健康に気をつけることは勿論、平素真面目に勤め、愉快に働き、修養を怠らずして、将来の望を立て、著々と立派な人になつて貰ひたい、院内の小供も矢張り身体を大事にして、一心に勉強をする様に心掛なければなりません、此事を繰返へして玆に申して置きます


東京市養育院月報 第三三八号・第一二―一三頁 昭和四年九月 △院外委託児童及出身者藪入会(DK300027k-0006)
第30巻 p.256-257 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

東京市養育院月報 第三三八号・第一―四頁 昭和四年九月 ○院外委託児藪入会に於ける訓話(昭和四年九月十三日於巣鴨分院)(養育院長子爵渋沢栄一)(DK300027k-0007)
第30巻 p.257-259 ページ画像

東京市養育院月報  第三三八号・第一―四頁 昭和四年九月
    ○院外委託児藪入会に於ける訓話(昭和四年九月十三日於巣鴨分院)
                 (養育院長 子爵 渋沢栄一)
 今日は丁度十三日で私の毎月養育院へ出勤する定日であり、幸にも当分院には本日委託児童及出身者の秋季藪入会が挙行されるので、成る丈け其の時刻に来て貰ひたいと先日田中幹事から話がありました、先月は旅行中であつたので欠席しましたが、可成差支へない限り努めて出勤致すやうにして居ります、然かし近年歳をとり、自然病気等の為め出勤の出来ぬことがあります、尤も此頃は幸に丈夫で、然かも本日は前々から幹事さんからの話もあり、当分院から世間に出て働らいて居る青年の男女、即ち私から云へば大切な子供であるところの諸君が百人以上も藪入りに来る日で、甚だよい機会であるから是非皆んなに会つて、一同の元気な様子を見たり、又私の無事な顔も見せたりして、親しい情愛を交はすことは、何より愉快なことであると、大いに楽みにして参つたのであります
 偖て古人の言に、『歳月は流水の如し』と申しますが、年の経つのは
 - 第30巻 p.258 -ページ画像 
誠に早いもので、諸君がグングン成長するやうに、私も次第に年をとり、本年九十歳と相成つたのでありますが、然かし私は九十歳にして尚世間の為めに働らき、本日の如きも見らるゝ通り、此壇上に立つて元気に諸君の為めに話をすることの出来るのは、此上もない喜びであります
 社会は歳月と共に進歩し、又進歩させなければならぬ、而して進歩することは自然の勢であるが、進歩させると云ふことになると、之れは人の努力に拠るものであつて、我日本の進歩はお互が努めなくてはならぬのであります、現に院に在つて教育を受けて居る年少者は、丁度基礎事業を行つて居るやうなものであるが、既に本院の教育を了へ世間に出て働らいて居る諸君は、仮令微力なりと雖も、私共と一緒に力を合せて国運の進展に努めねばならぬのであります
 私は自分の過去、即ち九十年の生涯を回顧するに、其間には種々の変化があつたのであります、勿論九十年の総てを悉く記憶しては居らぬが、十五・六歳以後のことはよく覚えて居るので、其間には退歩したこともあれば進歩の跡もあります、更に之れを社会に就て申しますれば、我日本は開国以来僅かに六・七十年を経過したに過ぎませぬが欧米先進国の文化を取入れ長足の進歩を致したので、誠に喜ぶべき次第であるが、一方昨今一部識者の間に於て憂慮せられつゝある点は、我国民の精神方面であります、即ち近来一般に人情は浮薄となり、所謂質実剛健の気風が廃れたことであつて、識者は深く之れを憂ひ、朝野協力して、近かく教化的大運動を起こさうとして居られる程で、此事に就ては文部大臣から、此程私にまでも種々御相談があつた位であります、特に憂ふべきは、青年の気風が一般に軽佻浮薄になり行くと云ふことで、平たく申せば上辷べりの風になつて来たと云ふことである、若し斯かる状態で今後推移するならば、我帝国の将来は果たして如何に成り行くであらうか、真に寒心に堪へぬ次第であります
 更に我国の世界に於ける地位は如何であるかと申すに、先づ武力に於ては世界の強国に比肩すべき程度であることは、諸君も新聞紙上に於て承知して居ることゝ思ふ、殊に東洋問題では常に我国が牛耳を執つて居るのであります、而し翻つて国内の現状を見まするに、其富力に於ては甚だ貧弱で、憂ふべき点が多々あるのであります、即ち一・二の例を申せば国が狭小であり且つ天然の富源極めて乏しいのに、人口が甚だ多いと云ふ様なことであります、然かしながら各方面の人々の努力に依り、兎に角今日の状勢を保ち得ることは真に喜ばねばならぬ次第で、諸君は帝国の臣民として、国家の進運には重大なる責任を持つて居るのであるから、充分に以上の事柄を弁まへ、確かりした覚悟を持つて居なければならぬ、斯様なことを云ふと、折角諸君が楽みにして来た本日の藪入会に於て叱言を云ふやうで甚だ相済まぬ訳であるが、軽佻浮薄に惑溺して居る世間の現状を見ては誠に傷心に堪へぬので、斯くは諸君に注意を促がすのであるから、諸君も大いに戒心して質実剛健なる気風を養ひ、以つて世に処するやう努めなくてはならぬ、斯くしたならば必ず世間では諸君を歓迎して、大いなる信用を払ふであらう
 - 第30巻 p.259 -ページ画像 
 次に今の世の中では、兎角権利は主張するが義務の遂行には無関心な人々が多いやうである、之れは現在の教育の仕方が寧ろ権利のみを教へ、義務には余り力を入れぬ傾向のあることも一つの原因を為して居るのではあるまいか、然かし権利と義務とは恰も糾へる縄の如きもので、充分に義務を尽した人には権利は自ら生ずるのであります、而して西洋に於ても同様権利に重きを置くやうであるが、独り孔孟の教へのみは義務を第一とすべきやう説いて居る、即ち論語に於て孔子は『吾道一以貫之』と云はれたのに対し、曾子は只『ハイ』と答へた、そこで門人どもが曾子に向つて、唯今の孔子の御言葉は如何なる意味の御言葉でありますかと問ふと、曾子は『夫子之道忠恕而已矣』と答へました、此忠恕と云ふことを一口に説明すれば、真心を以て尽す、思やりをなすと云ふことで、之れが完全に行はれゝば、君には忠、親には孝、夫婦相和し、朋友に信を尽す等、所謂五倫五常の道の総てを総括りにすることが出来る、即ち私の唯今申した義務を尽すと云ふことは、此忠恕の道に外ならぬのであります、極めて卑近な例で申せば道を歩くにしても、先づ他人に譲ると云ふ心がなくてはならぬ、若しお互に譲らなければ正面衝突をせねばならぬと同様で、又今日は十三日であるから藪入に来た諸君も、院児諸君も、私が必ず此分院に見へることゝ心待ちに待つて居るであらうと思つたから、私も用事を繰合せて急いで来たので、之れは私が諸君に義務を尽した訳である、そこで諸君は私の話を熱心に聞くと云ふ、之れが即ち諸君の私に対する義務である、斯様に双方で義務を尽し合ふことに依つて世の協調安全は保たれるので、それに反し互に自己の権利のみを主張して居たならば社会の秩序は破壊されて仕舞ふのであります、故に総ての人は先づ義務を尽さねばならぬ、然らば権利は自ら生じて来る、故に私は常に此心を以つて世に処して居るのであります
 以上私は主として本日藪入りの為め来院した人々の為めにお話しをしたのであるが、どうか諸君は私の話の主旨をよく記憶して、質実剛健なる気風を養ひ、真面目なる活動に従事して貰ひたい、さうすれば自然世間にも其風は弘ろまり、帝国の前途に光明を与へることが出来るのであります、折角楽しみにして来た藪入会に大変難かしい話をしたが、どうかよく私の意のあるところを汲むで貰ひたい、在院中の年少な小供には充分分らなかつたかも知れぬが、君達も亦た常に元気で活溌に動作しなくてはならぬ、決して年寄りや病人のやうに、引込思案で愚図々々して居てはならぬ、然かし先生や保姆さんの言ひ付けはよく守らねばならぬことは申す迄もないのである、藪入りに来た諸君は折角楽みにして来たのに、大変長い話を聞かせて仕舞つて済まなかつたが、私の話は諸君の将来に必らず有益なる結果を齎らすであらうと思ふから、よく記憶して居て貰ひたいものであります


東京市養育院月報 第三五〇号・第一五頁 昭和五年九月 △院外委託児童並出身者秋季藪入会(DK300027k-0008)
第30巻 p.259-260 ページ画像

東京市養育院月報  第三五〇号・第一五頁 昭和五年九月
△院外委託児童並出身者秋季藪入会 院長登庁日なる九月十三日を選び、当分院に於ては院外委託児童並出身者の秋季藪入会を挙行せり、会場に当てたる講堂及食堂は、職員一同の手により前日迄に美しく装
 - 第30巻 p.260 -ページ画像 
飾せられたり、当日は夜来の豪雨全く霽れ渡り、絶好の藪入日和とな
り、早朝より喜色を満面に湛へつゝ三々五々打連れ来り、開会定刻の午前十時には既に数十名に達したり、即ち司会者早川主務開会の辞を述べ、併せて時勢に鑑み一層質実剛健の気象を養ひ、平素困苦窮乏に耐へ、以て各自職業に精励するやう激励する処あり、夫れより直ちに予定の通り余興に移り、太神楽及浪花節を演じ、正午渋沢院長・田中幹事臨席あり、直ちに田中幹事来会者一同に対して一場の訓辞を与へ次いで院長登壇、温容に微笑を湛へられつゝ、諄々処世の要諦につき訓辞を与へられ、終つて校庭にて記念撮影をなし、食堂に於ては保姆の手になる特別献立の昼餐を饗し、午後再び余興を開き、支那人の曲技及日本人の奇術、高級万歳・喜劇等数番あり、斯くて津々たる興趣は来会者に遺憾なき慰安を与へ、午後四時三十分盛会裡に散会したり当日の来会者は男五十四名・女三十四名、計八十八名なりき


東京市養育院月報 第三五一号・第一―三頁 昭和五年一〇月 ○秋季藪入会来会者に対する訓話(昭和五年九月十三日於巣鴨分院)(養育院長子爵渋沢栄一)(DK300027k-0009)
第30巻 p.260-261 ページ画像

東京市養育院月報  第三五一号・第一―三頁 昭和五年一〇月
   ○秋季藪入会来会者に対する訓話(昭和五年九月十三日於巣鴨分院)
                 (養育院長 子爵 渋沢栄一)
 今日の藪入会に臨席することの出来たのは、私の大に嬉れしく思ふところであります、今ま田中幹事から何にか皆んなの為めになる話を願ひたいと頼まれましたが、斯かる折に話をするのも院長としての私の責務の一端を尽くす次第であるから、今から少し皆さんに御話をしませう
 偖て明治の初年までは、我国に官尊民卑の風習が漲ぎつて居りました、此の風習は我国ばかりではなく、支那にも、亦た西洋諸国にもあつたので、我国では彼の武家政治時代には殊に此の風習が盛んで、士農工商と申して武士を最も尊んだもので、官職の如きも其の家柄に依つて世襲されたものであります、例へば幕府の役人の中でも大老の様な大官になると、其の役に起く人は立派な家柄の人に極まつてゐた、江州彦根の城主井伊掃部守直弼が幕末の大老であつた如きは其の一例であります、此の官尊民卑の陋習も明治維新以後、聖代の下に四民平等の取扱を受けるやうになつたのであるが、然かし今日も尚ほ幾分か其の名残を留めて居るやうである、之れは間違であります、尤も官は政を掌どるところであるから、人民が之れに対して心服しなくては善政は行へない、即ち官民一致して始めて善政が行はれるのである、されば政治は官民協同一致の作業であります、官と民との立場は恰度権利と義務との立場と似て居るので、若し現在に於て多少とも官尊民卑の風習があるとすれば、夫れは武家政治時代の余弊で甚だよくないことであります、要するに社会の進歩は個々の人々が智を磨くことによつて得られるもので、如何に官から智を磨けと叫ばれても、人民が主とならなければ決して進歩するものではない、故に官尊民卑を捨つべきは理の当然であります、私も以前暫く官途に就いて居たことがあるが、其在官時代には、一に民の幸福を考へて仕事をしたものであります、三年前私が八十八歳即ち米寿の祝ひの時には、役人も人民も一緒になつて共々祝つて呉れました、そこに官尊民卑などは一寸も見受け
 - 第30巻 p.261 -ページ画像 
られず、心から私は感謝したのです、此の養育院では度々話をするから、或は重複するかも分らぬが、人間は権利と義務とを持つてゐるものです、此の権利と義務とは恰も綯へる縄の如きもので、義務を尽す裏面に権利が生じ、又権利を行使すれば、必ず義務が生ずるのであつて、権利と義務とは錯綜して行くので、義務を尽さずに権利のみを維持することは出来ないのである、故に権利と義務との意味を理解して巧妙に之を運用したならば、社会は平穏に、人々は相和し、大にしては国家、小にしては一郷一家の治安を得て、富を増加して来るのであります、例へば教へる者は其の義務として教へる事柄を能く調べ丁寧に教へ、又習ふ者の立場としては教へられる事を真面目に習ふ義務があるので、斯くしてそこに権利も生じて来るのである、之れから私が此所で話をするのも之れも社会に尽す私の義務であります、院内で修学して居る皆さんには、さして権利義務の関係が必要の様でもないが世間に出ると必要が多くなるのであります、智識を進めると云ふことは物を知ると云ふことで、人には最も大切なことである、人はあらゆる学問をしやうとしても、其れは到底出来るものではない、故に政治法律・農・商・工等と分かれてお互に研究し、相互に助け合つて社会が成り立つて行くのである、そこで権利義務が生ずるのであります、ところが世間には往々にして権利のみを主張して義務を尽くさぬ人がある、かゝる人を感心な人だと尊敬する者は絶対にない、智識を拡めて権利のみを得やうとするのは、人格の無い者で、智識を磨くと云ふことはそんなものではないのであります、物を買ふ時品物は取るが代価は払はないと云ふことが出来やうか、権利は行使するが義務は遂行したくないと云ふのは、品物を取つて代金を払はないと云ふのと同じである、四書の内の孟子といふ書物の中に、孟子と梁の恵王との問答が述べてあります、夫れは『王曰、叟不遠千里而来、亦将有以利吾国乎。孟子対曰、王何必曰利、亦有仁義而已矣。王曰何以利吾国、大夫曰何以利吾家、士庶人曰何以利吾身、上下交征利而国危矣。万乗之国、弑其君者、必千乗之家。千乗之国、弑其君者、必百乗之家。万取千焉、千取百焉、不為不多矣。苟為後義而先利、不奪不饜』と云ふので、つまり権利義務のことを教へてあるのである、権利を主張して義務を後廻しにすると云ふことは、円満を欠く原因となるのである、皆さんは十分玆に注意しなくてはなりません、先日文部大臣より社会教化改善にはどうしたらよいかと云ふことを問はれ、私は之れに対して今ま皆さんに話したやうな権利と義務との話をして置きましたが、人は先づ自分の義務を完全に尽すと云ふことを寸時も忘れてはならない


東京市養育院月報 第三五七号・第二二―二三頁 昭和六年四月 △院外委託児童並出身者春季藪入会(DK300027k-0010)
第30巻 p.261-262 ページ画像

東京市養育院月報  第三五七号・第二二―二三頁 昭和六年四月
△院外委託児童並出身者春季藪入会 当分院に於ては渋沢院長登庁日たる四月十三日を選び、院外委託児童並出身者の春季藪人会を挙行せり、会場に宛てたる講堂及食堂は、職員の手に依り前日迄に遺憾なく装飾せられたり、当日は朝来晴曇不定の天候にて、春とは云へ名のみにて、尚薄寒きにもかゝはらず、早朝より孰れも満面に喜色を堪へつ
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つ続々来会し、午前十時の開会定刻には既に数十名に達したり、依つて司会者早川主務開会の辞を述べ、夫れより直ちに予定の余興に移り野球漫談・支那曲技を演じ、終るや折柄臨席の田中幹事、来会者一同に対し懇篤なる訓辞を与へ、直ちに校庭広場に於て記念撮影をなし、食堂に於て一同に保姆の手になる特別献立の昼食を饗し、此処にて再び記念の撮影を為し、食後又講堂に於て自転車曲乗・奇術・浪花節・少女万歳・曲芸数番の余興を催ほしたり、此間に本日登庁せられたる渋沢院長には、温顔微笑を含まれて来会者一同に対し、一場の挨拶を与へられ、斯くて盛会の裡に散会したるは午後四時なりき、尚当日の来会者は、男五十八名・女三十名、計八十八名にして、渋沢院長より来会者一同に対し、特に御土産として打菓子百二十五箱の寄贈ありたり
   ○昭和三年五月一日・同四年四月二十五日・同五年四月十三日ノ各回ハ、栄一臨席セズ。



〔参考〕養育院六十年史 東京市養育院編 第四七二頁 昭和八年三月刊(DK300027k-0011)
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養育院六十年史 東京市養育院編  第四七二頁 昭和八年三月刊
 ○第五章 東京市営時代
    第一七節 年中行事
○上略
 一、藪入会 曾て本院に収容されたものにして、里預けとして委託したるものを始め、或は他に就職し、或は養子となり、或は奉公する等、種々の環境にある人々を案内して、慰安会を開くを藪入会と称し毎年一回これを開催し来つた。又巣鴨分院は院外委託児並出身者藪入会として春秋二回これを開催し、井之頭学校亦同様の会を催し、相互の親睦と聯絡を図り、共に情誼を温むる機会を造るものである。
○下略