デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
1款 中央慈善協会
■綱文

第30巻 p.504-519(DK300059k) ページ画像

大正6年11月3日(1917年)

是日ヨリ同月五日迄、九段ノ偕行社ニ於テ当協会主催第四回全国救済事業大会開催セラル。栄一、当協会会長トシテ之ニ与ル。


■資料

竜門雑誌 第三五四号・第一五七頁 大正六年一一月 ○第四回全国救済事業大会(DK300059k-0001)
第30巻 p.504 ページ画像

竜門雑誌  第三五四号・第一五七頁 大正六年一一月
○第四回全国救済事業大会 第四回全国救済事業大会は、十一月三日午後一時より九段坂の偕行社に於て開かれたり。先づ中央慈善協会長たる青淵先生の開会の辞あり。次で後藤内相・岡田文相(代読)・松室法相・波多野宮相等の祝辞ありて後松方侯の「孤児救済の懐旧談」阪谷男の「慈善の意味」建部博士の「家制と救済」と題する講演あり。翌四日午前九時開会、協議委員長報告及議事、各部長の議決及報告ありて議決し、青淵先生の閉会の辞ありて散会せりと云ふ。
○新宿御苑の拝観 第四回全国救済事業大会出席者六百余名の諸氏は十月五日午後一時《(一脱)》より特に新宿御苑の拝観を許され 皇后陛下より御菓子の御下賜あらせられ、済生会総裁伏見宮殿下・赤十字総裁閑院宮殿下・愛国婦人会総裁閑院宮妃殿下よりも御茶菓の御下賜あらせられ定刻拝観者一同設けの席に着くや、中央慈善協会長青淵先生の拝謝の辞あり、次いて波多野宮内大臣の訓辞、済生会長徳川公等の挨拶、青淵先生の答礼の辞あり、夫より一同御苑を拝観し、午後四時頃退散せりと云ふ


財団法人中央社会事業協会三十年史 同会編 第三五―三七頁 昭和一〇年一〇月刊(DK300059k-0002)
第30巻 p.504-506 ページ画像

財団法人中央社会事業協会三十年史 同会編
                     第三五―三七頁 昭和一〇年一〇月刊
 ○第一部 第三章 全国社会事業大会
    三 第四回大会
 第四回の大会は其の称呼が変つて全国救済事業大会となつた。開催
 - 第30巻 p.505 -ページ画像 
されたのは大正六年の十一月である。翌七年は即ち米騒動の勃発した年であつて、我が国の社会情勢が不穏不安の大渦流に捲き込れた時であり、社会法制の上からいへば、其の前年の大正六年に軍事救護法が発布され、社会行政の上からいへば救護課が府県課から独立し、社会事業の上からいへば国立感化院の創設や地方感化院長協議会が行はれた年である。当時の「社会と救済」第三号の巻頭言に「世界の大戦開けて玆に三星霜、歳月愈々進みて戦雲益々混沌たり、戦を停むる道を講ずるは列国為政家の大に努力せざるべからざることなれども、其の影響を受けて起りつゝある、或は将に発生せんとする各種の社会問題に関して、吾人社会政策実行の任に当るものは須らく之を解決し、是が準備をなすの覚悟なかるべからず、吾人は益々此の大任を自覚して一層の奮励努力をなさゞるべからざるなり」とあるが、第四回の全国救済事業大会はかゝる社会情勢の動きに伴つて、救済事業家としての任務を愆らない為めに斯業従事者の全国的な会合を図つたものである先づ当日の順序から掲載しよう。
      第四回全国救済事業大会
                会場 東京市九段坂上偕行社
 第一日 開会式及講演会
   一、開会の挨拶               会長 男爵 渋沢栄一
   一、祝辞              内閣総理大臣 伯爵 寺内正毅
   一、祝辞                宮内大臣 子爵 波多野敬直
   一、祝辞                   文部大臣 岡田良平
   一、祝辞                   司法大臣 松室致
   一、祝辞               東京市長代理助役 高橋要治郎
   一、祝辞              東京商業会議所会頭 藤山雷太
        講演
   一、家制と救済    東京帝国大学文科大学教授文学博士 建部遯吾
   一、慈善の意義        貴族院議員法学博士 男爵 阪谷芳郎
      附設
        大会出席者懇親会
   一、挨拶                    副会長 水野錬太郎
        協議会 (第二日及第三日午前)
         協議総会並部会
   閉会の挨拶                 会長 男爵 渋沢栄一
   謝辞                    三保学園長 池田忠一
 大会が大会らしい形を備へ、部会・総会・講演会・懇話会の四部に分れ、各其の担任を分ち、大会所期の目的を遂行したのは実に本大会を以て始めとする。大会開催の事が宮廷に聞し、皇后陛下から御菓子を賜はるのみならず、恩賜財団済生会総裁伏見宮殿下・日本赤十字社総裁閑院宮殿下・愛国婦人会総裁閑院宮妃殿下より特に新宿御苑に召されて茶菓を賜はるの光栄を拝し、斯業の従事者をして感激に堪えざらしめたのも亦第四次の本大会を以て始めとするのである。斯の大会第二日は生憎天気に恵れず、篠を束ねて横さまに面を払ふ如き暴風雨も毫も来会者の出足を阻まず、五百有余の出席者を見たのは会衆一同
 - 第30巻 p.506 -ページ画像 
の意気大に昂る状を想ふに足るのである。
○下略


社会と救済 第一巻第二号・第一三九―一六一頁 大正六年一一月 第四回全国救済事業大会(DK300059k-0003)
第30巻 p.506-519 ページ画像

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