デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
2款 社会事業協会 = 財団法人中央社会事業協会
■綱文

第30巻 p.607-619(DK300079k) ページ画像

昭和4年6月4日(1929年)

是日栄一、内務省社会局ニ於ケル当協会主催ウインフレツド・マザー夫人招待茶話会ニ出席ス。


■資料

集会日時通知表 昭和四年(DK300079k-0001)
第30巻 p.607 ページ画像

集会日時通知表  昭和四年     (渋沢子爵家所蔵)
六月四日 午後三時 中央社会事業協会催
          ミセス、マザー招待茶話会(社会局)
六月十日 午後一時 ボールス氏来約(事務所)


社会事業 第一三巻第四号・社会事業彙報第六頁 昭和四年七月 消息欄 協会六月中の行事(DK300079k-0002)
第30巻 p.607 ページ画像

社会事業  第一三巻第四号・社会事業彙報第六頁 昭和四年七月
 ○消息欄
    協会六月中の行事
六月四日 午後三時より社会局小会議室に於て、マザー夫人歓迎懇談会を開く。夫人は永く紐育市に於て盲人福祉増進並失明防止運動に多大の貢献をなしたる人なり。出席者マザー夫妻をはじめ、社会局・衛生局並東京府市の関係官吏、斯業実務関係者及協会理事等約六十名
     この結果、中央盲人福祉協会設立の議決せり


社会事業 第一三巻第五号・第九八―一〇四頁 昭和四年八月 盲人福祉及失明防止に関するウインフレツド・マザー夫人の講演内容(岩橋武夫訳)(DK300079k-0003)
第30巻 p.607-613 ページ画像

社会事業  第一三巻第五号・第九八―一〇四頁 昭和四年八月
    盲人福祉及失明防止に関するウイン
    フレツド・マザー夫人の講演内容  (岩橋武夫訳)
 今盲人の問題に就いて皆様の御傾聴を煩す機会を得ました事は、私の深く光栄に感ずると共に又色々な意味から喜びたいと思ふのであります。なんとならば、かうした私の拙話が皆様に対して何等かの価値と意義を持ち、それが動機となつて、貴国に於ても、新らしい運動を御始めになる御参考の一端にもならばと思ふ希望を持つて居るからであります。私の今申し上げようと思ふことは、少くとも私の体験せる問題か、或は既に実行して相当の結果を収めた事業か、さなくば動かし得ぬ信念を以て今実現せんとして居る運動などであります。
 さて早速本論に入りたいと思ひますが、盲人の問題は之を分つて二つとなす事が出来ます。その一は失明防止に関する事項で、その二は盲人の生活改善・教育一般と言つた福祉に関する事項であります。前者はあらゆる科学的施設と法律の適用と言つた人為的努力の一切を尽して、失明と言ふ悲惨な事実をこの世界より消滅せしめんとする事実であります。さりながら、如何なる前記の手段方法を講ずるとも、尚ほ或る場合に於ては避け難き事実として存在する事も疑ひ得ぬ以上、之に対して同様重大なる注意を要するも当然の事であります。こゝに於て後者、即ち盲人に対するあらゆる積極的援助や正当なる理解が社会及び国家にとつて、必要となつて来るのであります。失明防止に関しましては、主人が私より専門家であると考へますが、今大体その問題の重要点を申し上げて見れば次の如くなると思ひます。
 失明原因――失明原因には大体六種の差別を認める事が出来るよう
 - 第30巻 p.608 -ページ画像 
であります。
 (イ) 嬰児膿漏眼(オプサルミヤ・ネオナトラム)「即ち嬰児が出産に際し、助産婦或は医師等の不注意により眼の清浄を怠り、病原菌の侵入によりて失明せる者。
 (ロ) トラホーム・麻疹・天然痘の原因により失明せる者。
 (ハ) 機械工場・化学試験所、其他之に類する場所に於て、危険なる機具及び薬品により、或は小児の場合にあつては、刃物其の他の危険なる玩具等より突発的の外傷により失明せる者。
 (ニ) 花柳病の病毒により失明せる者。
 (ホ) 度の調節を誤れる眼鏡、光線の不充分なる室内に於ける事務或は強度の電灯、其に対する写影設備の不完全等により、眼筋の不当なる筋張にもとずく過労により失明せる者。
 (ヘ) 栄養不良及び老衰等により失明せる者。
などがあります。
 予防方法――次に此等の失明原因を科学的に吟味し其に対して適当なる予防法を予め講じなければならない事は、私が改めて力説するまでもありません。それは当然国家のなすべき法的義務であり、人道的責任であらねばなりません。然るに事実其が往々看過せられ、軽視されてゐる事を見るのは、甚だ遺憾であります。今から二十五年以前には、アメリカに於て盲人に関する人口調査並に失明原因・生活状況等に関する統計が全く欠けて居りました。此の点に着眼して、私は妹や友人に助けられて先づ第一として社会運動を起したのであります。当時政府は纔の補助金しか与へてくれませんでした。しかし我々の同志は実に熱心に働きました。二十九人の調査係(内七人までが盲人で、而も最も優れた働を見せたのでしたが)が其家々を戸毎に訪問して、先づニユーヨークに於ける盲人統計を完成したのでありました。時は一九〇五年で、今から回顧しますと、それは盲人問題の新らしいヱポツクであつたと申さずには居られません。私と妹とが中心となつてゐた為に、私の家はこの戸籍調査の中央事務所となりました。かうした民間事業の成功がおいおい政府の組織的参加を余儀なくさしたのであります。我々が今此に失明防止を満足に遂行せんとすれば、先づ失明に関する統計材料を完全に具へなければなりません、其が出発です。さうしてそこからのみ大きな結果を予期する事が出来ると信じます。かういふ調子で我々は、アメリカに於て失明防止協会は私と夫が主催してゐるものでありますが、かのロツクフエラー氏は名誉総裁としてヘレンケラー女史は副総裁として事業の発展を助け、米国代々の大統領は後ほど述べんとする盲人福祉の中央機関たるライトハウスと共にこの協会の基金募集の為、多大の援助を御与へ下さつてゐるのであります。
 そこで医学及び法律の立場から申しますれば、前記六点に関する失明防止の対策はかくの如くあらねばならないと考へます。
 (イ) 嬰児膿漏眼(オプサルミヤ・ネオナトラム)に対しては、産児の眼を清浄にし硝酸銀2パーセントの溶液を点眼するにあります。かく医学的手当は極めて簡単ですが、之を厳守する必要があるのであ
 - 第30巻 p.609 -ページ画像 
ります。聴けば、貴国に於ても助産婦・産科医の間に大いなる注意を以て、この問題が取扱はれつゝある由でありますが、ただ其等専門家の間に於ける規定のみにては不充分であります。即ち国家が法律を以てその実行を命じ、若し之を怠る場合には法的制裁に訴へ、罰金・営業停止・体刑等を要求する所まで行かねばならないのであります。それと同時に政府は各府県・地方衛生局をして、前記硝酸銀溶液を厳密な方法に於て、適量だけ適当な器物中に保存し、之を必要に応じ無料に配布し得る準備を完成せなければなりません。之に対する国庫負担は、一回の点眼用として僅五銭余に過ぎないと言ふ事を記憶せねばなりません。同時に此等の手続を通して、幼児の眼に対する処置が完全に遂行されたか否かを知る為、最寄の地方官権へ一定形式に従ひ登録をなさしめる事を忽せにしてはなりません。即ち登録用紙としての端書一枚あれば充分なので、其に嬰児と産婦との住所氏名・年月日、及び出産に預れる助産婦、若しくは医師の住所・氏名、而して最後に硝酸銀の適量が点眼されしか否やに関する証明の記入をなせば足りるのであります。若し此等の点が厳格に実行される時には、幼児膿漏眼による失明を絶対に防止し得る事は疑を挟む余地なき所であります。現に今アメリカの或る州、例へば、マサチユーセットに於ては、完全な防止振を見せて居ります。或る州に於ては、此の法令が実施された年には七十余人の助産婦が警察の処罰を受けたのでありますが、其の法令の精神が徹底した翌年には一人の処罰者も出さなかつたと言ふ結果を示して居ります。
 (ロ) トラホーム・麻疹・天然痘の原因による失明防止の対策中、天然痘の場合にあつては、今や種痘による防止方法が完全に施行されてゐる関係上、此の方面よりの失明は極めて稀れであると言ふ事が出来ます。麻疹の場合にあつては医師の適当なる処置によつて、之を防止する事が至難ではありませんが、トラホームの場合は最も簡単であるにかゝわらず、動々もすると危険なる結果を伴ふのであります。トラホームにあつては、医師の手当も肝要でありますが、特に一般衛生の見地から此の種の眼病の恐ろしい伝染性と、其に対する予防の手段とを、公衆によく徹底理解せしむる事が重要なのであります。就中、各寄宿舎・工場・学校等、人々の集中する場所に於ける、手拭・洗面器具其他に関する取扱を極めて厳格に注意しなければなりません。其が幼稚園や小学校等の場合には、更に教員・係医師等の重大な監督を必要とする事は論を待たぬ所であります。
 (ハ) 工場及び化学試験所等に於ける外傷にもとづく失明防止の対策は、再び法律の背景を必要とするのであります。近代世界を通じて主張されつゝある工場法其他各種の労働法の参加を待つて、危険なる機械や薬品に対する適当の予防設備を施し、不祥事の突発を未然に防がねばなりません。尚同じく小児の外傷にもとづく失明防止の対策は父兄や監督者等が危険なる玩具例へば飛矢・花火・刃物等に対する監視の眼を一層厳にして過の無き様注意すべきであります。此等の点に関して、一般公衆に宣伝の必要が多々ある事を認めないでは居られません。
 - 第30巻 p.610 -ページ画像 
 (ニ) 花柳病の病毒にもとづく失明防止の問題は、勿論罹病者の適当なる治療を必要と致しますが、更に効果ある対策は此等罹病者の皮膚や手に触れたる器物・衣類・金銭等に対する厳密な警戒を必要とする点であつて、之を怠る時、罹病者は勿論、其以外の者にまで、不慮の災難が襲ひ来る理で、此の点に関する注意を喚起する為一般公衆を教育する必要のある事はトラホームの場合と同様であります。
 (ホ) 眼鏡の度を不注意に取扱ひ、或は光線の塩梅を無視する等の原因により、眼筋を強度に緊張過労せしめて失明を招く場合が多くありますが、此は突発的に起つて来ないだけ人々の注意も怠られ勝なので、随つて危険性を多く伴つてゐるのであります。眼鏡の度を厳密に専門家によつて調節してもらふ事と、学校・工場・事務所等に於て、窓・電気其他光線の設備に深い考慮を必要と致します。此等の諸点も私の贅言を全く必要としない程に世人の熟知する所でありますが、事実如何と調査して見ます時に、驚くべき不注意と不節制とを見出す事多きが故に、此処に重ねて力説する次第であります。
 (ヘ) 営養不良により失明する者は主に下層階級の人々に多く、随つて、国家並に社会が相当の責任を以て、何等かの営養補給の方法を講じ、之を防止しなければなりません。今日此種による失明は医学的に防止する途、極めて明瞭でありますが故に、唯単に物資の潤沢を経済問題として解決すれば善いので、此の点に於て社会問題たるの価値は充分である事を見逃す理にはまいりません。老衰による失明は、その多くは年齢の問題より来て居りますが故に、或る部分は之を、より多き営養供給により幾分減少せしむる事は勿論可能でありましようが大体に於て、此の方面の失明防止は甚だ困難なる事を考へねばなりません。以上略述し来つた所から見るも、略々明らかである如く、各種原因により失明防止に対しては、(一)統計の完備、(二)法的取締の厳守或は新法令の発布、(三)適切なる医療機関の完備、(四)一般民衆に失明防止の知識を普及する為各種の宣伝をなす事、等を数へ挙げて最も重要な実行法となす事が出来ましよう。特に最後の公衆に向つてのプロパガンダが最も好結果をもたらす物としてあらゆる努力を為さねばならないと思ひます。其の為に、図解を用ひたパンフレツトの発行や、活動写真を利用した講演会或は失明防止デーを全国的に試みる等色々手段や工夫を必要とするのであります。最後に私はアメリカに於ける失明防止協会の今日収め得た成功の大部分も、かうした国民的理解の上に建設されてゐる事を申し添へ度く考へます。
 初めに述べた如く、盲人の問題は失明防止と福祉運動との二つに大別しなければならないとすれば、残された問題は後者の盲人福祉運動に就てであります。凡そ何が謬見であると云つても、盲人を一種特別な人種、即ち全く一般社会から隔け離れた一社会一階級であると云ふ考へ方より甚だしきはありません。事実盲人は左様に考へられる程宿命的な不自由な拘束を余儀なくされてゐるのでしようか。私は簡単にしかも確信を以て否と答へたいのです。少しく入念に且つ公平な眼を以て観察する時、吾々は盲人とて色々な性格や趣味や心理や空想や希望を持つてゐる点に於て、普通一般正眼者と何等変りの無いことを見
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出すのであります。成程失明と言ふ大きな肉体上の欠陥によつて、彼等の生活が非常に脅かされてゐる事は事実でありますが、さらばと言つて、彼等を特別な人間扱ひする事は大きな誤であります。要するに盲人とは暗黒界に住む正眼者であります。元来彼等が正眼者でありとすれば、我等の務は彼等の住んでゐる其の暗黒界を照らしてやる事、即ち彼等の持つてゐる失明と言ふ負担を出来る丈け合理的に軽減してやる様努力するにあります。若し盲人が暗黒界に住む正眼者であるならば、之を訓練し、教育し、均等の機会を与へて、其技能に随ひ、あらゆる社会的地位を与へねばならない事は当然の帰結と申さねばなりません――統計によりますと、幼児の失明者は全盲人の約四分の一にしか相当せず――而して一般に盲教育と考へられてゐる部分は、此種の幼年失明者を第一の対象としてゐるのであります。勿論是も重大でありますが、夫のみにて盲教育や盲人事業が完成したと考へる事は、甚だしい速断であります。何とならば、盲人中には残された四分の三の大多数が在るからであります。其等は就学時代、若しくは其以後の実務時代に於て各種の後天的原因により失明したもので、其等に対する教育や社会施設が又重要なのであります。即ちあらゆる種類の盲人に対し、其の技能・経歴に応じて、最良なる教育を与へ、優秀なる器具機械を提供する事によつて、失明の不便に打ち勝たしめねばならないのであります。此の意味に於て、あらゆる科学上の発明発見や、輓近の進歩せる学術などが盲人の味方として、其有力なる助けの手を貸し与へねばならないのであります。最も精巧なタイプライターを利用することに因つて、盲人が立派なステノグラフアーとして活動する事が出来ます。今私が懐中に持つてゐる此の手紙はニユーヨークに於ける盲人の中央機関たるライト・ハウスに働いてゐる盲人ステノグラファーがタイプで打つた手紙であります。正眼者が御覧になつても、如何に其が規則整然と書き上げられ、サインまでが場所に叶つてゐる事を見る時、無言の中に「暗の征服」が為されてゐる事を肯定しない訳には行かないでせう。同じく私のライト・ハウスに属してゐる一人の盲女生が、コロンビアの大学を抜群の成績にて卒業し、幾多の正眼者を凌駕し、音楽に於て国際奨学金の烈しい試験に通過して光栄ある月桂冠を得、単身フランスに渡つて、今音楽家として最高の技術を修めつゝあると云ふ事の如きも、又盲人の持つ不思議な力の実証と云はねばなりません。御国に於ても、偉大な盲人のあつた事を通訳者(岩橋氏)から昨夜も聞かされました。あの「群書類従」と云ふ尨大な著作を完成した塙保己一の偉大は、世界の文学に不滅の偉作を残した盲詩人ホーマーやミルトンに比すべきものがあると思ひます。パリに建てた私のライト・ハウスに属する一失明軍人は、先頃彫刻を完成してアカデミーから名誉の賞牌を受けました。ニユーヨークのライト・ハウスにも盲人によつて画かれた画が二つありますが、是等は各国より来訪される盲人関係者の驚異の的となつてゐます。私は穴勝どんな盲人でも画が画けると云ふ様な突飛な意見を提供するのではありませんが余りに盲人を宿命的に劃一的に取扱ひ、教育しようとする人によつて広い自由な地平線を望んで戴きたいと思ふ切なる要求を持つてゐるか
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らであります。盲人を職業に強ゐるのではなくて、職業を盲人に隷属せしめねばなりません。即ち盲人の人格・学芸・技能が延び行くに連れて、其赴くがまゝに職業の形式をとらしめる様、あらゆる教育と後援の施設を工夫しなければなりません。夫には社会一般が大なる理解と興味を持つて、此の運動に参加し来る必要があります。只盲人を可愛想だと云ふ単なる憐憫の対象としてゞはなく、彼等の社会問題・人生問題の解決は、是人類の義務であり国家の責任であるといふ社会正義の念より之を為さねばならないのであります。皆さんがクリスマスにプンゼントを郵送される場合があるならば、其時に此の郵便小包制度は英国の盲逓信大臣ヘンリー・フオセットによつて発明された事を忘れてはなりません。又郵便貯金や電信等の諸制度を通じて幾多の利益を経験される時、夫がケンブリツチ大学の盲経済学教授だつた前記ヘンリー・フオセットによつて同じく発案された事を忘れてはならないと思ひます。ニユートンの時代にケンブリッチ大学の数学教授だつたニコラス・サンダーソンも、世界に於ける有名な盲人の一人であります。ロンドンの王立盲人高等師範学校を創設したキャンベル博士の如きは、盲人にして稀に見る登山家でありました。彼がフランス最高の峰に攀じ登つた時、多くの里人は『盲人の癖に山登りをして何を見るつもりだらう』と、其の暴挙を冷笑した積でありましたが、扠最高峰に立つた時、密雲深く閉して眼界定かならず、十人の正眼同行者は全く無為に終つたに反し、キャンベルは其等肉眼の正界には無頓着に心眼を以て、彼所に横はる渓谷、其処を流るゝ秀麗の水、此処に点在する深林や村落と云つた風に自由自在な想像の世界を展開して、心ゆく迄浩然の気を養つたと云ふ実話もあります。盲人を人格的に活かしてゆく時彼等は決して社会の重い負担でもなく、却て善良なる市民としてあらゆる職業に活動し得る人々である斗りでなく、時としては偉人として、烈婦として出現し、一般世人の尊敬と思慕の的と為り、人間文化の発展に大きな貢献を為す人々となるのであります。私はもう可なり長く話して来ました。最後に臨んで、盲人とは暗黒界に住めるたゞの正眼者である事を力説し、其の天賦の技能を発揮せしむべく、全力を挙げて盲人の前に横りつゝある暗を、即ち其不必要なる負担をハンデイキヤツプを除去する様、我等は協力一致いたしたいものであります。此の為に私は今迄自分の一生を捧げて参りました。今ニユーヨークを中心として世界各地に設立された十個のライト・ハウスは、かうした盲人運動の社会的中心であります。此度私が夫と共に御国を訪れた事が何かの縁となつて、若し盲人教育家・社会事業家及国家の要職に在る方々の注意と関心を呼び覚し、此の東京に第十一番目のライト・ハウスが出現する日もあらば、吾々は国際友誼の立場から全力を挙げてお助け申し上げたいと希望する次第であります。どうぞ御国に於ける盲界の水平線が高められ深められて、光栄に輝く未来を造られんことを。
ヘレンケラーは申しました「失明とは人生の光明面の発見である」と実にそうです。此の心持を以て、私は御国にある気高い富士の高嶺を眺めました。そして其秀麗の面影が日本の盲界を導く理想の象徴とし
 - 第30巻 p.613 -ページ画像 
て永遠に闇を照す光であらん事をお祈りする次第であります。(完)


財団法人中央社会事業協会書類(四) 【昭和四年六月十一日午後一時川本宇之介氏並…】(DK300079k-0004)
第30巻 p.613 ページ画像

財団法人中央社会事業協会書類(四)      (渋沢子爵家所蔵)
    昭和四年六月十一日午後一時川本宇之介氏並《(別筆)》ギルバート・ボールス氏子爵を事務所に訪問、子爵は原文(英文)二通に御署名遊ばされたり
 我々はルファス、グレブス、マザア氏夫妻の来朝を機として、同夫妻がアメリカをはじめ世界各地に於てなせる失明防止及び盲人福祉運動の成果を審らかにするを得、大に感動せしめられ感謝にたへない。けだし同夫妻の運動は、我等が永年我が日本に於て実現せんと希願したところのものであつた。さればこそこの機会を記念せんがために我等同志はこゝに立ち、国民の名に於て我が国盲人のため大略左の如き条項に関し為すあらんことを宣言するものである。
 一、盲人に関する戸籍調査及び其他一般統計の完備。
 二、失明防止に関する智識の普及、法規の制定、科学的施設の促進
 三、盲人の生活改善及盲人に対する公衆一般の意識を向上せんが為め適当なる中央機関の設立。
西暦一九二九年昭和四年六月六日東京市中央社会事業協会に於て開催せられたる第一回日本盲人福祉運動促進委員会(仮名)に於て右決議す


東京朝日新聞 第一五四七三号 昭和四年六月四日 盲人たちの母マ夫人の来朝 日本にもライトハウスを建設する運動に(DK300079k-0005)
第30巻 p.613 ページ画像

東京朝日新聞  第一五四七三号 昭和四年六月四日
    盲人たちの母マ夫人の来朝
    日本にもライトハウスを建設する運動に
世界の盲人達の間に「われ等の母」として知られてゐる米国ニユーヨークのマーザー夫人は、この程夫君と来朝して帝国ホテルに滞在してゐるが、夫人の処女名ホールト嬢の名を知らぬ盲人がない程に有名なのは、夫人が過去三十年間失明の防止と盲人の指導救済に献げた努力のなみなみならぬものがあつたからである。
 マーザー夫人(当時ホールト嬢)が失明の人達の悲惨な運命に打たれてその救済を生がい事業にと思ひ立つた。三十余年前にはニユーヨークにすら盲人に関する何等の統計もなかつた。そこで夫人は医者・科学者の間に説いてまづ盲人の統計を作り、次いで科学的に失明の防止に努むる事に着し、一九〇五年にニユーヨークに盲人達に光りの道しるべを与へるといふ意味で「ライト・ハウス」(灯台)を建て、そこに運動の本拠を置く事にし、以来年々このライト・ハウス・ムーブメントは盛になつて今やニユーヨークの第一号館をはじめ、シカゴ・パリ・カイロ・ワルソー・アテネ・広東等世界に既に十の「灯台」を算するに至つた。
今回の来朝は日本にもその一つを新設する運動を起さうといふが目的であるとの事である。夫人は年々この十個の「灯台」《ライトハウス》を巡回して指導と激励に努めてゐるが
 また夫君マーザー氏もイタリー古典学者、七年前夫人の事業に共鳴して結婚し、以来夫婦して世界の盲人のために奉仕の努力をつゞけてゐる。
 - 第30巻 p.614 -ページ画像 


(ウイニフレッドホルト・マザー)書翰 渋沢栄一宛 一九二九年六月二〇日(DK300079k-0006)
第30巻 p.614-615 ページ画像

(ウイニフレッドホルト・マザー)書翰  渋沢栄一宛 一九二九年六月二〇日
                   (渋沢子爵家所蔵)
                   June 20,1929
 Dear Viscount Shibusawa:
  It was a great disappointment to my Husband and me not to see you again before we lift Japan. But we shall always esteem it among the great privileges of our life to have known you and, through your leadership, to have been permitted to serve, however, humbly your glorious country.
  I am much flattered to hear that you asked for my picture and my Husband and I hope to have one taken for you as soon as possible. Japan is deep in our heart and we cherish a small ivory tiger who wishes to send his respectfuel salutation to your Nikko cat, which I had the honor to present to you at the first official meeting to inaugurate the battle of which you are the marshal to find light through work for the blind. Should you find any task in which we might help you in this good fight I need hardly tell you that forth my Husband and I would be very happy to serve under your banner. With all kind wishes to you from us forth and wishing you a hundred years of health and joy, as the Italians say, I am.
                   Sincerely yours
                 Winifred Holt Mather
 Our permanent Address is
 The Lamp Room
 Light House No.1
 111 East 59th Street
 New York
(右訳文)
          四年七月二十七日一覧《(栄一鉛筆)》、先頃社会局之会堂ニ於て開催せし盲人救護ニ関する会議之際マサー夫人は懇篤なる意見発表ありしニ付老生も充分賛成して将来之努力を明答したるは今尚記憶致候旨回答致度候事
 東京市                   (七月八日入手)
  渋沢子爵閣下
            船中にて
  一九二九年六月廿日    ダブルユー・ホルト・マザー妻
拝啓益御清適奉賀候、然ば再び拝光の栄を得る暇なく貴国を去り候は私共夫婦の最も遺憾とする処に有之候得共、今回閣下の知遇を忝うし且つ御指導の下に光栄に満てる貴国のために聊かなりとも尽すことを
 - 第30巻 p.615 -ページ画像 
得たりしは私共の生涯に於ける一大特権と存候
閣下には私共夫婦の写真御懇望被下候由承り望外の光栄に存候、可成至急撮影の上拝呈仕度期念罷在候、日本に対する私共の印象は真に鞏固に有之候、私共の珍重する象牙製の小さき虎より閣下が総司令官たる盲人救済戦争開始の第一公式会議に於て閣下に拝呈仕候日光猫に対し深厚なる敬意を表し候、此義戦に於て私共の御後援申上ぐる仕事有之候はゞ、何なりとも閣下の麾下に奉仕するは私共夫婦の喜びと致す処なるは申上ぐる迄も無之候
閣下には益御健勝にて、伊太利人の所謂百歳の健康と歓楽とを御享楽被遊候様奉祈上候
 右得貴意度如此御座候 敬具
           定住所  紐育市東五十九番街百十一番
                光の家、第一ランプ室


(ウイニフレッドホルト・マザー)書翰 渋沢栄一宛 一九二九年一一月二七日(DK300079k-0007)
第30巻 p.615-617 ページ画像

(ウイニフレッドホルト・マザー)書翰  渋沢栄一宛 一九二九年一一月二七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
         LIGHT HOUSE NO.1
     111 EAST 59TH STREET, NEW YORK
                November 27,1929
 Dear Viscount Shibusawa-
  It was a privilege deeply appreciated by my Husband and me to receive your kind letter with its assurances that the seed which we sowed in Japan will bring forth abundant fruits for the prevention of blindness and for a new horizon of light for the blind.
  It was a great pleasure to see your photograph in the "Literary Digest" and to read the spontaneous testimony of my compatriots to your great personality and achievements. It is our earnest hope that under your high leadership the faithful efforts of Mr. Hara and the two valiant blind workers Miss Crawfiled and Mr. Iwahashi before long will bring about a successful consummation of what they speak of as the Lighthouse Movement.
  Since leaving Japan you may care to know that it has been our high privilege to take the census of the blind of the Archipelago of Hawaii and to aid in the establishment there of a committee for the prevention of blindness and to help the blind which was established under the chairmanship of Ex-Governor Wallace Farrington. They are hoping they may soon have Lighthouse No.10 in Honolulu.
  On return to our own country the Governor of Vermont became chairman of a committee in his State where after my Husband's and my talks it was also decided to follow Japan's great example in an effort to revolutionize the
 - 第30巻 p.616 -ページ画像 
conditions of the blind and to create a Lighthouse.
  It occurs to me that the enclosed clippings may be of interest to you and under separate cover I have requested them to send you the report of this pioneer Lighthouse No.1
  We have not forgotten your kind wish to have our photographs and have several times had our pictures taken with such discouraging results that we have been unwilling to send them to you. As soon however as we can obtain proper likenesses we will fulfil our promise of sending them to you.
  My Husband joins me in high appreciation-thanks for your great courtesy to strangers in a strange land,the prayer that you may be a great light to the blind, and in every kind wish forever.
        Sincerely yours,
           (Signed) Winifred Holt Mather
 Viscount Shibusawa,
 Tokyo,Japan.
(右訳文)              要回答
                   五月六日御一覧済《(別筆)》
 東京市                  (十二月廿六日入手)
  渋沢子爵閣下    紐育市
             光の家第一号
  一九二九年十一月廿七日 ウイニフレッド、ホルト、マザア
拝啓益御清適奉賀候、陳者日本に於て私共夫婦の播ける種子が十分に実を結び盲目防止及び盲人救済事業に貢献する所多かるべしとの御確信を齎らせる御懇書に接し、感謝措く能はざる次第に御座候
「リテラリ・ダイゼスト」(文学雑誌)上に掲載の御写真拝見仕り、又閣下の偉大なる御人格と御事業とに対する我国人の自発的なる讚辞を読み大いに歓喜仕候、閣下の賢明なる御指導の下に原氏及び二人の勇敢なる盲人救済事業者クローフィールド女史と岩橋氏との忠実なる努力が遠からず所謂「光の家運動」に効果あらしめらるゝ様熱望仕候
日本より帰米の途上私共は布哇群島の盲人統計を取り且つ同地に於て前知事ウオーラス・ハーリントン氏会長の下に創立せられたる盲目防止及び盲人救済委員会設立を援助するの大いなる光栄を担ひ候義を御報告申上候、同委員会はホノルヽに「光の家」第十号を急速に建設せんことを希望致居候
帰米後ヴァモント州知事は同地の委員会の会長と相成申候、同地にては私共夫婦の演説後日本の善例に倣ひ、盲人の情態改善のため、及び「光の家」設立のため努力することゝ相成候
同封の新聞切抜は閣下の御感興を催さるゝことゝ存候、猶別封にて此最初の「光の家」第壱号の報告書を御送附申上ぐる様係員に申付候
閣下が御懇切に私共の写真御所望被下候事は忘却仕らず、数度撮影仕
 - 第30巻 p.617 -ページ画像 
候得共生憎何れも不出来にて拝呈致兼候に付ては、何れ適当なる写真撮影次第御送付申上げ御約束を履行可仕候
異郷に於ける初対面の私共に対する閣下の御高誼に対し深く感銘罷在候次第に御座候、閣下が盲人に対し大いなる光明とならんことを奉祈願候
右謹んで得貴意候 敬具


ボストン・グローブ (切抜) 一九二九年一一月二五日 FOUNDER OF ""LIGHTHOUSES"" FOR BLIND VISITS BOSTON(DK300079k-0008)
第30巻 p.617-618 ページ画像

ボストン・グローブ (切抜)  一九二九年一一月二五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
 THE BOSTON GLOBE NOVEENBER.25,1929
   FOUNDER OF "LIGHTHOUSES"
    FOR BLIND VISITS BOSTON

  Mrs Mather and Husband Who Gives Archeology
        Lecture on Way to South America
  ○写真略ス。
        Mr and Mrs Rufus Graves Mather visit Gov Allen in State House. Mrs Mather is presenting photograph to Gov Allen
  Mr and Mrs Rufus Graves Mather, international workers in the aid of the blind, were in Boston today for a few hours en route to South America, where their mission will be to interest the Latin people in more work to prevent blindness and to study the South-American methods of treating and combatting blindness.
  Mrs Mather(Winifred Holt)is the founder of "lighthouses"for the blind in this country and throughout Europe and the Orient.
  Mr Mather is a noted student of archeology and lectured in Fogg Museum this afternoon on "Documentary Research in the Fine Arts."
  Mr and Mrs Mather paid their respects to Gov Allen at the State House this afternoon.
(右訳文)
     ボストン、グローブ紙切抜
              (千九百廿九年十一月廿五日発行)
 盲人救済
  「光の家」創設者ボストンを訪ふ
 南米行の途上
  マザー女史及び考古学講演者同夫君
  ○写真略ス。
      写真の説明
        ルーフアス・グレーヴス・マザー氏並同夫人市役所にアレン知事を訪ふ。マザー夫人アレン知事に写真を送る。
 - 第30巻 p.618 -ページ画像 
 盲人救済国際運動家なるルーフアス・グレーヴス・マザー氏並同夫人は南米行の途上本日数時間ボストンを訪問した、同夫妻の南米に於ける使命はラティン人の興味を喚起して盲目防止のため一層努力せしむること及び南米の盲人待遇及び盲目防止方法を研究するにある。
 マザー夫人(ウイニフレット・ホルト)は本米国、欧洲及び東洋の盲人救済「光の家」の創始者である。
 マザー氏は有名なる考古学研究家にして本日午後「美術界に於ける記録の研究」に就きホッグ博物館に於て講演した。
 マザー氏夫妻は、本日午後市役所にアレン知事を訪問し敬意を表した。


渋沢栄一書翰 案 ウイニフレッド・ホルト・マザー宛 一九三〇年六月五日(DK300079k-0009)
第30巻 p.618-619 ページ画像

渋沢栄一書翰 案   ウイニフレッド・ホルト・マザー宛 一九三〇年六月五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
    案         昭和五年五月廿六日御承認済《(別筆)》
 紐育市
 光の家第一号
  ウイニフレッド・ホルト・マザア様
    一九三〇年六月五日      東京 渋沢栄一
拝復益御清適奉賀候、然者昨年十一月廿七日附御懇書並に御同封の新聞紙切抜及御写真一葉落手難有拝見仕候、引続き盲人救済盲目防止の為御活動の趣了承欣慰罷在候
先般御来遊の際中央社会事業協会に於て御両所より懇切にして科学的なる御講話を拝聴致し、深き興味を感候義今猶記憶に鮮かに御座候、老生は御承知の頽齢の為十分御期待に副ひ兼遺憾千万に御座候得共、原泰一氏其他同協会の人々と協力して斯業の為出来得る限り努力致度と期居候
乍筆末御良人へ宜敷御致声被下度候
右乍延引拝答申上度如此御座候 敬具
(右訳文)
                           June 5,1930.
 Mrs. Winifred Holt Mather,
 Light House No.1,
 111 East 59th Street,
 New York, N.Y.
 My dear Mrs. Mather.
  Your esteemed letter dated November 27, enclosing a clipping of "The Boston Globe," and the fine photograph of yourself and your husband, duly reached me, for which I thank you very much. It was great pleasure to learn that you are devoting yourselves as usual to the relief work of the blind.
  The sympathetic and scientific lectures given by you and Mr. Mather at the Central Social Works Association during your recent visit to Japan, made upon me so strong
 - 第30巻 p.619 -ページ画像 
impressions that they are still fresh in my memory. As you know, however, I am quite advanced in age and afraid lest I should fall short of your expectation, but I will try to do my level best for this noble work in co-operation with Mr. Taiichi Hara and other members of the said association.
  Please kindly convey my sincere greetings to your good husband.
  Apologizing for the delay and with my best wishes, I remain,
            Yours very truly,
               渋沢栄一(自署)
                  E.Shibusawa.