デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
3款 財団法人東京府慈善協会 = 財団法人東京府社会事業協会
■綱文

第30巻 p.674-681(DK300088k) ページ画像

昭和2年6月12日(1927年)

是日、日本青年館ニ於テ当協会創立十週年記念会開催セラル。栄一之ニ出席シ一場ノ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第四六六号・第一〇一頁 昭和二年七月 青淵先生動静大要(DK300088k-0001)
第30巻 p.674 ページ画像

竜門雑誌  第四六六号・第一〇一頁 昭和二年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
十二日 東京府社会事業協会創立十周年記念会(日本青年会館)


東京府社会事業協会報 第三二号・第四五―四九頁 昭和二年七月 記念式に列して (中央社会事業協会長子爵渋沢栄一)(DK300088k-0002)
第30巻 p.674-677 ページ画像

東京府社会事業協会報  第三二号・第四五―四九頁 昭和二年七月
    記念式に列して (中央社会事業協会長子爵 渋沢栄一)
 此意義ある記念式に参列しまして、一言御祝ひを申述べることを得ましたのは洵に光栄と存じます。所が時を誤つて祝辞を申上げる時間を失つたやうでありますから、私は此処に此記念会に因の多い故井上君に対する感想を一言申述べたうございます。
 私と井上君との関係は、一つ家で事を共にしたとまでは申されませぬが、恰度十年以前、東京府社会事業協会成立と共に、私も中央社会事業協会から推されて其会の世話を致しました。左様な事業の関係から、井上君とは色々お親しみを篤うしましたけれども、更に尚特に同君と意見を一つにして頻りに論じ合ふたことがございます。それは同君が寛政の頃の幕府の執政たる白河楽翁に就て種々調査をなされたことがあります。それは唯だ単に楽翁公に対する履歴を調査するのみならず、海外に於ける楽翁公に親しい人をも調べられた、それは独逸のスタインと云ふ人で、此スタインと楽翁公の二人を比較論議した一つの書物を作られた。是は其頃或は書肆に於ても販売されたか知れませぬが、私は特に他の関係から之を一冊手に入れまして、後ち一覧しましたが、頗る正鵠を得たものゝやうに思ひました。蓋し井上君が楽翁
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公に私淑され、又スタインに大いに見る所があつて、比較されたものと思ひますが、此二人は、恰度時代を同ふし、又人柄を同ふし、其懐抱する所の学説、若くは政治上の働きに頗る相似寄つた所があるのを見て、特に感じて「楽翁とスタイン」と云ふ表題で一冊の書籍が出来たのであります。如何に井上君が斯る事に忠実で、且つ御熱心であつたかを証するに足るのであります。スタインに付ては、私は甚だ欧羅巴の事に浅学で何等知る事を得ませぬが、楽翁公の事に就ては多少調べて居りました。
 只今あります東京市の養育院、あれは白河楽翁公が作られたとは敢て申しませぬが、頗る関係の深いお方であるのであります。寛政度に田沼意次と云ふ人が時の勢ひに乗じ、将軍の寵を恃んで、今から申せば悪政を頻りに逞ふした。其結果幕府の制度は頗る紊乱し、賄賂公行醜弊瀰漫と云ふ有様であつた、其時御三家である水公の後に文公となられた治憲と云ふ方が、此疲弊せる幕政の改革に就ては、非常に優れたる人材を用ふるより他ないと云ふ主張の下に、遂に楽翁公は三十歳の頃であつたが、幕府の為めに起たれた、それは天明七年であります翌年正月本所の吉祥院と云ふ寺にある所の不動に向つて、少し古風な方法ではありますが、幕政改革の祈願の為め誓文を入れて祈られた。如何にそれが熱烈なものであつたかと云ふことが察知せられるのであります。此誓志本懐せざれば死すとも止ぬと云ふやうな熱心さで、平生至つて質素にして、至つて謙遜内輪の方には不釣合な、強い勇気を以て赴任されたのであります。さうして寛政五年、恰度政を執つた間は七年で、全部の改革をしたとは申されますまいが、従来の田沼の悪政を大部分改革されたのであります。元来の田沼は華美な風を尚び、所謂文化的に、何も彼も豊富に、即ち綺羅を飾ると云ふ趣向であつた之に反して楽翁公は極く質素倹約の方針であつた。そこで東京市に縁故の生じた所以は、寛政元年でありましたが、其頃の江戸市中の各町内に命じて、従来の経費を大いにつめて、其つめた金が一町内が千円余つたとすれば、其内百円だけを取集めた人に褒美として与へ、又其残りの二百円は金を払込んだ人々に返し、後の七百円を町内の経費とした、之を名付けて七分金と言ひます。蓋し三分を割いた残りが七分だから言つたのでせう、それが大分溜つて、恰度維新の時に東京市の共有金となつて出て来たのであります。其共有金が東京市の養育院を作る時の資金になつたのであります。故に東京市の養育院は、楽翁公に依つて建てられたやうなものであります。而して楽翁公の倹約は其精神とせられた所ではありますが、其施設の実績を見ますと、決して唯だ単に倹約ばかりを始終した人ではないのであります。私は井上君とは違つて、スタインの事を知らず、唯だ楽翁公だけを賞讚するは、少し井上君から言へば片手落と言ふか知れませぬが、不幸にして存じませぬから、楽翁公の事だけを少しお話申上げた次第であります。
 楽翁公の政治の執り方は、全く田沼の経営とは趣きを異にして居ります。さうして京都禁裡に対しても、浮華なる勢ひを以てすると云ふのでなくして、非常に熱心に臣分を尽されたやうに拝見します。殊に禁裡御修繕の事などに就ては、楽翁公自身で専ら力を尽されて、関東
 - 第30巻 p.676 -ページ画像 
が禁裡の御造営に就て大いに力を入れたと云ふのは、蓋し松平越中守に於て然りと申したが宜いと思ひます。
 尚ほ楽翁公執政中の事件として、尊号問題より中山大納言等との間に容易ならざる大問題を惹起し、是が解決も極めて困難であつた。是は光格天皇の御生父様を太上天皇と尊称しやうと云ふ京都側の主張であつた、又幕府に於ても十一代将軍家斉の父治済を大御所として西丸に入れやうと云ふ企てもあつた。是等両方の主張は楽翁公としては正義を紊乱し、道を私するものなりと考へ、恰度時の関白鷹司公と種々打合せをして、之を取止めたのであります。是等に関する書類は今も尚ほ松平家に遺つて居ります。是等の点を見ても洵に正義を重んじられた事が分るのであります。結局此問題に関しては中山大納言と正親町大納言の二人を関東へ呼んで、譴責をしたのが最終の処分であつたのであります。更に楽翁公は内治ばかりでなく、海外の関係なども余程注意されて居るやうに見受けます。どの辺まで考が行届いて居つたかと云ふことは、今玆で申上げる程深くは存じませぬが、例へば花月草紙に「いくさの道」と云ふ小品文があります、是等に依つて見ても未来の戦争は必ず鉄砲の軍さになると云ふことを看破しておゐでなさるやうであります。又蝦夷に対する露西亜の関係に就ても頻りに心配をされて居る。林子平をあのやうに罰せられたけれども、あれは唯だ林子平を罰すると云ふ狭隘な考でなかつた、林子平の行動は時の幕府より見れば少し事を好んだ仕方でありましたから、余儀なく罰したに過ぎぬ、海外関係に就ては以上の如く能く知つて居られた。
 斯様に財政の窮乏を救ひ、政治の改革をするには倹約をする外はない、又京都関東の問題も今申上げた通りであります。各方面に亘つて内治外政に行届いた知識を有つて居られたが、更に文学方面に就ても特殊の技能を有つて居られたやうに拝見されます。此間も松平家にある所の書物を拝見しましたが、正徹と申す歌人は足利時代の歌人で大層立派な人でありまして、歌集もあります。其正徹か住吉神社へ百首納めて居る、それを楽翁公が見て面白い、恰度詩の和韻の様な体裁と同じ体に依つて、御自身が作られた住吉神社奉納百首、是等の歌を拝見しますと、私は歌の学問は存じませぬが、唯だ風景を詠むばかりでなく、或は皇室尊信、又国を守る事、若くば更に進んでは海外発展と云ふ方迄言尽されて居つた。之程の識見を有つて居られたかと思ふばかりであります。
 それで井上君が楽翁公の事を一冊の冊子として著はされたことは、私深く協賛するものでありますが、不幸にして其書物を私が得たのは同君が故人になられた後であつたかと思ひます。此事に就て詳しく井上君と話合ふ機会を得なかつたことを、洵に残念に思ふものであります。
 話は楽翁公に飛んで、主たる井上君の話が甚だ附たりになつた次第でありますが、実は私は現在も中央社会事業協会に其職をなして居りますが、どうしても社会事業と云ふものは、未来に於て益々完全に行ふて、貧富の間に隔絶の無いやうに宜しく調和して、唯だ単に法令の精神にばかり依らないで、互に相協調して行くことが甚だ必要であら
 - 第30巻 p.677 -ページ画像 
う。此点に付きまして、私は故井上君と全く同一の考であつたやうに思ふのであります。思ひ返せばもう七・八年になりませう、偶然にも井上君は何かの会合で帝国ホテルに相会して、其宴席で俄かの御病気私は其前の卓に居つて、其時の驚きは今も尚ほ記憶して居ります。それが同君の致命であつて、再び同君を見るを得ずと云ふ悲惨な事に相成つたのであります。内務省若くば東京府に於ける社会事業が今日の進歩をなせるは、全く同君に負ふ所が多いのでありまして、同君が遂に世に完全な働きを為し得られぬ間に終はられたと云ふことは、如何にも名残惜しいことであります。今日此の記念の日に方つて、故人を思ふて感想の一端を申上げることは、洵に涙たらざるを得ぬのであります。お集りの皆様方も故人と御親しみある方は、今私の申上げた事に御同感下さると思ひます。玆に一場の感想談を申上げた次第であります。(拍手)


東京府社会事業協会報 第三二号・第二〇―二四頁 昭和二年七月 創立十年記念会(DK300088k-0003)
第30巻 p.677-681 ページ画像

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