デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 保健団体及ビ医療施設
8款 救世軍療養所
■綱文

第31巻 p.124-126(DK310020k) ページ画像

大正7年9月24日(1918年)

是日、東京府下堀之内ニ、当療養所病棟増築落成式行ハレ、栄一之ニ出席シテ演説ス。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK310020k-0001)
第31巻 p.124 ページ画像

集会日時通知表  大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
九月廿四日(火) 午後三時 救世軍療養所第三・四病室落成式


竜門雑誌 第三六五号・第七八頁 大正七年一〇月 ○救世軍療養所増築落成式(DK310020k-0002)
第31巻 p.124 ページ画像

竜門雑誌  第三六五号・第七八頁 大正七年一〇月
○救世軍療養所増築落成式 府下堀之内なる救世軍肺結核療養所にては、九月二十四日午後二時より別館増築落成式を挙行したるが、参会者二百余名、山室大佐司会の下に、寺内首相、後藤・水野各大臣の祝辞朗読(代理)等あり、次で青淵先生には立つて一場の演説を試みられ、午後五時閉会を告げたる由。
   ○右演説ハ次掲ノモノト思ハル。


十目の視る所 救世軍本営編 第二三―二四頁 大正一一年四月刊(DK310020k-0003)
第31巻 p.124-125 ページ画像

十目の視る所 救世軍本営編  第二三―二四頁 大正一一年四月刊
    救世軍に対する感想(子爵 渋沢栄一)
救世軍の日本に軍制を布かれてから、既に二十有余年に相成りまするが、私は其の初救世軍の如何なるものであるかを存じませず、以前娼妓廃業等の運動を伝へ聞いた時には、救済には同情致しますれど、元来銀行家の事故、自然経済の方面から異様に感じたこともあります。然るに其の後山室君と会見し、段々日本に於ける救世軍経営の様を拝聴しますると、兼て風評に聞いて居たのとは、大に趣を異に致し、其の方法は甚だ着実なることを知る様になりました。
 - 第31巻 p.125 -ページ画像 
既に数年を経過しまするが、ブース大将の日本に来朝せられたのは、明治四十年のことで、其の節、私はしばしば大将にお目にかゝりました。又大将を東京養育院に御案内しましたが、大将が養育院の収容者を集めてお話をなされた様子は、如何にも同情に溢れたもので、承りつゝ感じ入つたのであります。「希望をもて、希望をもて」と、繰返し繰返し懇切に、わかり易く話されました。大将は又日本のみならず、外国の貧民及びそれらに対する事業の状態をお話になりましたが、之によつて救世軍が各方面に、最も大規模の感化救済を行ふて尽力せらるゝことを知り、深く感じたのであります。大将は帰国に臨んで、日本の友人に宛て、日本の救世軍に対して同情して呉れる様にといふ、依頼の手紙をのこされたのが、八・九名あつたと記憶します。私も其の御依頼を受けた一人でありました。既に山室君と御懇親になり、又大将に面会して、救世軍の経営の大なること、又其の抱容力の広き有様を拝見し、兼て多少ながら、東京養育院に就いて心を労して居りました故、特に感ずる所深く、救世軍の事業にも力を尽したいと思ふたのであります。
私は近頃の所謂成金になりそこなふた者故、自分の力だけでは足りませんで、他人に求めて慈善救済の費用を作つて居ります。そのため、「復渋沢が、斯様なことを申して来た」といふ様に思はれまするが、自分に及ぶだけの事をなしつゝ、更に他人に助力を仰いで、お互に善事を為さうといふのは、決して悪い事ではないと信じて居ります。
慈恵救済の事に就いては、種々やり方もありませうが、其の根本は衷心の至情より出でねばならぬと思ひます。交換的、売買的の慈善は宜しくない。惻隠の心から出た慈善でなくば、真実のことは、出来ませぬ。しかし乍ら唯それのみでは可けない。路上の乞食に、惻隠の心から施与をするのは結構なことの様だが、其の結果は働くよりも施与を受ける方が可いといふ、考へを起させる恐れがあります。即ち慈善救済の志は善くても、結果が之に伴はぬことになります。それ故唯志だけで、行が副はねば役に立たず。又勘定づくでのみ行ふては、衷情の発露を失ふことになります。即ちどちらに偏するも宜しくないのであります。
それらの事に就いては、毎々山室君とお話をしたこともありまして、世界の全体に其の通り行届いて居るか否かは知りませんが、少くとも日本の救世軍に於ては、此の点が頗るよくいつて居る様に心得ます。此の療養所の如きも然うであらうと思ひまするが。これまで当処と、其の他の事業部とに、数回伺ふて御説明を得た処では、何れも時の宜しきに適したお働きであると信じ、及ばず乍ら、微力を添へて居るやうな次第であります。今日此の療養所第三・第四病棟の新築落成式を挙げらるゝに際し、平生の所感を述べて、之をお祝ひ申上げます。


救世軍療養所一斑 岩佐倫著 第三九―四〇頁 昭和九年五月刊(DK310020k-0004)
第31巻 p.125-126 ページ画像

救世軍療養所一斑 岩佐倫著  第三九―四〇頁 昭和九年五月刊
    ○追録
○上略
      ○感謝
 - 第31巻 p.126 -ページ画像 
 療養所の中央部に在ります記念会堂は、日本救世軍司令官山室軍平中将の夫人故機恵子女史が、生前当所設立の為め自ら進んで非常に苦闘致されたことを偲び、友人津田梅子女史、其他知名婦人の発起に依り大正六年に献堂されましたもの。次に既に申上げました恩賜・慶福両病棟の外、第三病棟は主として国庫の御補助に依り、第一雨潤・第二両雨潤と所長住宅(コロニー宿舎に用ひ)には財団法人雨潤会よりの御助成に依り、夫々建設致されました。其他官公署より屡々御助成を拝受し、又個人と致しましても渋沢栄一子、森村市左衛門男、服部金太郎・小林富次郎・山本徳尚・山本唯三郎等諸氏、外各位より多大なる御援助を蒙り、以て今日に至りましたことを寔に有難く存じ、玆に録し更めて感謝の意を表する次第で御座います。