デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.8.27

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
5節 災害救恤
1款 東京水災善後会
■綱文

第31巻 p.217-245(DK310045k) ページ画像

明治43年8月20日(1910年)

東京府下ニ於ケル水災後ノ一般衛生施設並ニ疾病者施療等ヲ目的トシ是日当会組織セラレ、栄一之ガ常務委員長トナリ、種々尽力ス。


■資料

東京水災善後会報告 同会編 第一―六頁 明治四四年八月刊(DK310045k-0001)
第31巻 p.217-218 ページ画像

東京水災善後会報告 同会編  第一―六頁 明治四四年八月刊
  一 創立
    一 本会ノ創立
 明治四十三年七月末ヨリ八月初旬ニ亘リ天候陰鬱、其ノ間大雨連リニ臻リ、東海道方面ヨリ関東・東北ノ各地ニ跨カリ、河川氾濫、洪水横溢、人家・田圃・山林等ノ浸水流失スル者甚タ少ナカラサリシカ、殊ニ八月初旬ニ於ケル東京府下ノ洪水ハ前代未聞ノ珍事ニシテ、人家ノ浸水スルモノ実ニ十八万余戸ノ多キニ及ヒ、罹災民ノ夥シキ亦タ数フルニ遑アラス、而シテ其ノ惨状窮態ニ至ツテハ殆ント名状スヘカラサルモノアリタリ、玆ニ於テカ東京府・東京市・警視庁等ノ各当局ハ勿論、一般ノ篤志慈善家ハ奮ツテ罹災窮民ノ応急救助ニ努力シ、或ハ収容所ヲ設ケ、或ハ被服・食物等ヲ施与シ、以テ漸ク一時窮民ノ災厄ヲ救済スルヲ得タルハ、誠ニ喜フヘキ次第ナリ、然レトモ此際ニ当リテ氾濫セル洪水ハ、容易ニ減退ノ模様ナキノミナラス、塵芥汚物ハ濁水ト共ニ沈澱シテ到ル処不浄不潔ヲ極メ、汚穢悪臭殆ント近ツク能ハサルノ状況ヲ呈セリ、蓋シ前述ノ如ク罹災窮民ノ多数ハ、当局及ヒ慈善家ノ為メニ応急的救助ノ恵ニ浴シツツアルモ、軈テ洪水減退シテ各各其旧居ニ復帰セサルヘカラサル場合ニ到レハ、果シテ何等カノ施設計画アリタリヤト云フニ、世人皆ナ眼前ノ急ヲ救フニ汲々トシテ、災害後ニ於ケル諸般ノ善後施設ニ対シテ全ク之ヲ顧ミルノ暇ナキノ状況ナリシ、然カモ此如キ大水害ニ処スルノ策トシテハ、罹災窮民ノ応急救助ヲ必要トスルノ外、災害後ニ於ケル諸般ノ善後施設ヲ計画スルハ最モ重大ニシテ、且ツ必要欠クヘカラサルコトニ属ス、而シテ其ノ善後施設ニ関スル事業ハ又一ニシテ足ラス、故ニ深ク各般ノ事情ヲ調査講究シ、以テ必須有益ナル事業ヲ選択シ、之ヲ施設シ、万一ニモ其ノ遺算ナキヲ期セサルヘカラス、蓋シ従来往々其ノ方法ヲ誤リタルノ結果、却ツテ種々ノ弊害ヲ生シタルノ例甚タ少ナカラサレハナリ、渋沢男爵・中野武営・豊川良平ノ三氏ハ深ク如上ノ事情ヲ察シ、此際水災ノ善後ヲ策スルノ最モ必要ナルヲ認メ、八月十八日ヲ以テ日本橋区兜町第一銀行ニ集会シ、種々協議ヲ重ネ、有力者ノ賛助ヲ得テ一団体ヲ組織シ、以テ適当ナル善後策ヲ講スルノ議ヲ決シ、同日ヲ以テ左ノ諸氏ニ対シ夫々通知状ヲ発送シタリ
 拝啓、益々御清適抃賀之至ニ候、然者今般当府下ノ水害ハ実ニ非常ノ惨事ニ有之、目下応急ノ処置ニ就テハ府市及各慈善家ニテ種々施
 - 第31巻 p.218 -ページ画像 
設モ有之候様子ニ候得共、尚ホ将来ノ善後策ニ付、例ヘバ衛生法・施療法ノ如キ必須ノ事務モ可有之ト存候、就テハ右等ニ関シ篤ト御相談申上度存候間、明十九日午後四時東京商業会議所迄御光来被下度、此段得貴意度、如此ニ御座候 拝具
   明治四十三年八月十八日
                      渋沢栄一
                      中野武営
                      豊川良平
    (通知先)
    男爵 松尾臣善 ○外五〇名氏名略ス
 前記ノ如ク通知ヲ為シ、翌十九日集会ヲ催シタルニ、多数ノ出席ヲ得タルヲ以テ、渋沢男爵ヨリ水害善後策ヲ講スルノ必要ヲ述ヘ、此際有力者ノ賛同ヲ得テ一ツノ慈善団体ヲ組織シ、善後策中、殊ニ罹災地区ニ対スル衛生的施設、及ヒ罹災民中疾患ニ罹カルモノノ為メニ施療所ヲ設ケ、以テ水害後ニ発生スル悪疫ノ流行ヲ防止スルハ最モ適切ナル事業ナリト信ス、蓋シ水害後ニ於テ若シ衛生的施設ヲ等閑ニ附シ悪疫ノ発生流行ヲ来タスカ如キコトアラハ、其ノ惨害ハ実ニ水害ニ依リテ蒙リタルモノヨリ更ニ一層甚大ナルモノアルヘシ、故ニ吾人ハ玆ニ団体ノ力ヲ藉リテ此方面ニ尽力セントスルモノナリトノ趣意ヲ述ヘ、中野・豊川ノ両氏ヨリモ之ニ附加シテ出席者ノ賛同ヲ求メタルニ、何レモ賛成ノ意ヲ表セラレタルニ依リ、引続キ協議会ヲ開キ、左ノ決議ヲ為シタリ
 一、本会ヲ東京水災善後会ト名ツクルコト
 二、常務委員ヲ選定シテ、趣意書・規約ノ起草ヲ托スルコト
 三、常務委員ニ渋沢男爵・中野武営・豊川良平・朝吹英二・大橋新太郎・柿沼谷蔵・星野錫ノ七氏ヲ推薦スルコト
 四、本会々務進行上必要ナル処置ヲ常務委員ニ一任スルコト
 而シテ常務委員ハ、直ニ趣意書・規約等ノ起草ヲ了シ、八月二十日帝国「ホテル」ニ、時事・東京朝日・万朝報・東京日々・二六・日本・読売・国民・都・やまと・毎日電報・報知・中外商業・中央等ノ社長又ハ主幹ノ集会ヲ請ヒ、本会組織ノ趣旨目的ヲ縷述シ、各社ノ同情ニ依リ本会ノ為メニ充分ノ援助ヲ与ヘラレンコトヲ希望シタルニ、何レモ賛成ノ意ヲ表セラレタルヲ以テ、玆ニ本会ノ創立ヲ確定シ、同日ヲ以テ設立趣意書及規約ヲ世間ニ発表シタリ


東京水災善後会報告 同会編 第一二―二三頁 明治四四年八月刊(DK310045k-0002)
第31巻 p.218-220 ページ画像

東京水災善後会報告 同会編  第一二―二三頁 明治四四年八月刊
  二 職員及諸会議
    一 常務委員長・常務委員
本会ハ創立当初ノ会合ニ於テ常務委員七名ヲ選定シ、其ノ互選ヲ以テ委員長ヲ選定シタリ
  常務委員長 男爵 渋沢栄一
本会ノ常務委員ハ当初七名ナリシモ、事務進行ノ必要上、常務委員会ノ決議ヲ以テ、更ニ八名ヲ増加シ十五名ト為リタリ、其ノ氏名ハ左ノ如シ
 - 第31巻 p.219 -ページ画像 
   男爵 渋沢栄一    中野武営   豊川良平
      朝吹英二   大橋新太郎   柿沼谷蔵
       星野錫  森村市左衛門   馬越恭平
   日比谷平左衛門    福原有信  佐竹作太郎
     大倉喜八郎    池田謙三  前川太兵衛
○中略
    三 諸会議及議件
本会創立後、解散ニ至ルマテノ諸集会・会議及協議シタル重ナル事項ハ左ノ如シ
 一 八月十八日、渋沢男爵・中野武営・豊川良平ノ三氏本会設立ノ協議ヲ為ス
 一 八月十九日前記三氏ノ名ヲ以テ、松尾男爵外五拾名ノ集会ヲ請ヒ、本会設立ニ対シ賛同ヲ求ム
 一 八月二十日府下十四新聞社々長又ハ主幹ノ集会ヲ請ヒ、本会設立ノ趣旨規約ヲ発表シ、其ノ賛成ヲ求ム
 一 八月二十二日常務委員会ヲ開キ、全国臨時水害救済会ヨリ申込マレタル合同ノ件ヲ協議シ、目的・救済範囲等ヲ異ニスルヲ以テ、之ヲ謝絶スルコトヲ決定ス
 一 八月二十三日日本銀行総裁外会社・個人等五拾八箇所代表者ノ集会ヲ請ヒ、本会ニ対シ相当ノ寄附ヲ懇請ス
○中略
 一 八月二十四日東京商業会議所議員協議会ヲ開キ、本会ノ趣旨ニ賛同ヲ求ム
○中略
 一 八月二十五日常務委員会開会、左ノ件ヲ議決ス
   一、東京市ノ要求ニ係ル市内浸水家屋ニ対シ殺菌消毒薬ヲ撒布スルニ要スル薬品代及撒布費合計弐万七千円ヲ支出寄贈スルコト
   一、本会ヨリ各方面ノ事業ニ向ケ寄贈スル金員ハ、総テ東京府知事ヲ経由スルコト
○中略
 一 九月一日常務委員会開会、左ノ件ヲ議決ス
   一、東京府ノ要求ニ係ル郡部浸水家屋ニ対スル殺菌消毒薬及ヒ撒布費合計金九千九百円ヲ支出寄贈スルコト
 一 九月二日常務委員会開会、左ノ関係当局ノ集会ヲ請ヒ、水災後ニ於ケル衛生的施設ニ関シ、其ノ意見・希望等ヲ聴取シ、本会会務ノ参考ニ供シタリ
     内務省衛生局長  窪田静太郎君
     同技師      野田忠広君
     東京府内務部長  鈴木隆君
     同庶務課長    高橋徳太郎君
     東京市助役    宮川鉄次郎君
     警視庁第一部長  太田政弘君
     同第三部長    栗本庸勝君
 - 第31巻 p.220 -ページ画像 
     東京市養育院幹事 安達憲忠君
○中略
 一 九月十三日常務委員会開会、左ノ件ヲ協議々決ス
   一、寄附金ヲ成ルヘク速ニ取纏メ締切ト為スコト
   一、東京市・東京府・警視庁ノ要求ニ係ル左ノ件ヲ承認スルコト
     (イ)東京府郡部個人家屋ニ対スル清潔法費金弐千八百円ヲ支出寄贈スルコト
     (ロ)東京府郡部小学校清潔法費壱万千四拾円ヲ支出寄贈スルコト
     (ハ)東京府郡部健康診断費金参千参百円ヲ支出寄贈スルコト
          (以上東京府)
     (ニ)東京市内浸水地ニ増設スル共同水道栓敷設費金九千四百八拾円ヲ支出寄贈スルコト
          (以上警視庁・東京市)
     (ホ)東京市養育院ニ施療患者収容所ヲ建築スル費用金壱万四千参百円ヲ支出寄贈スルコト
          (以上東京市)
 一 九月二十日常務委員会開会、野田内務省衛生局技師・原田東京市助役・高橋東京府庶務課長・警視庁第三部員等参会シ、本会ノ支出寄贈ニ依リ経営シツヽアル各事業ハ、何レモ時宜ニ適シ且ツ良好ナル成績ヲ現シツヽ進行シ居ル旨ヲ述ヘラレ、本会ノ計画ハ水害善後策トシテ実ニ有益ナルコトヲ感謝セラレタリ、次テ委員会ハ左ノ件ヲ議決ス
   一、東京市郡部罹災窮民疾病者施療所費金壱万五千四百九拾参円六拾銭《(マヽ)》ヲ支出寄贈スルコト
   一、同愛社々長高松凌雲氏ヨリ申出テタル同社施療費中ニ金参千円ヲ支出寄贈スルコト
   一、東京市養育院施療所費金弐万参千弐百八拾七円ヲ支出寄贈スルコト
 一 十一月八日常務委員会開会、左ノ件ヲ議決ス
   一、東京府郡部健康診断ハ成績良好ナリト認メタルニ、更ニ第二回ヲ続行スルタメ、該費金五千八百四拾壱円九拾参銭ヲ支出寄贈スルコト
   一、東京市内消毒殺菌薬搬布費精算ノ結果金壱千百六円五拾銭五厘ノ過剰ヲ生シタルニ付、右金額ヲ市内汚物掃除費ニ流用スルコト
   一、事務嘱托員ニ慰労手当ヲ支出スルコト
○中略
 一 十二月二十六日金弐百円以上ノ寄附者及評議員ノ集会ヲ為シ、渋沢男爵ヨリ、本会創立以後ノ経過、事業ノ成績ヲ述ヘ、過剰金ヲ養育院ニ指定寄附ト為スノ件ヲ諮リタルニ、大柴四郎氏ハ委員ノ尽力ヲ謝シ、異議ナキ旨ヲ述ヘラレタリ
 - 第31巻 p.221 -ページ画像 


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK310045k-0003)
第31巻 p.221-222 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年    (渋沢子爵家所蔵)
八月十七日 曇 冷
○上略 十時巣鴨養育院分院ニ抵リ ○中略 畢テ大塚本院ニ抵リ ○中略 橋本医長来リ、安達幹事ト共ニ市内水災後貧民施療ノ事ヲ談ス ○中略 午飧後市役所ニ抵リ、原田助役ト市内水災後貧民施療ノ事ヲ談ス ○下略
八月十八日 曇 冷
○上略 午後二時桂首相ヲ三田私邸ニ訪ヘ、豊川氏ト共ニ水害救恤ノ方法ヲ内議ス ○中略 四時半第一銀行ニ抵リ ○中略 中野・豊川二氏来リテ、水災救恤ノ事ヲ談シ、明日会同ノ事ヲ協議ス ○下略
八月十九日 曇 冷
○上略 午後四時ヨリ商業会議所ニ抵リ、各銀行・各会社等ヨリ来会セル人々ト水災救恤ノ事ヲ協議シ、水災善後会開設ノ議ヲ決ス ○下略
八月二十日 曇 冷
○上略 午後五時帝国ホテルニ抵リ、水災善後会設立ニ関シ各新聞記者ヲ会シテ、其趣旨ヲ述ヘテ賛同ヲ求ム、来会者ハ、都テ同意ノ旨ヲ明答ス、中野・豊川・朝吹氏等来会ス、依テ趣意書及規約等ノ修正ヲ協議ス ○下略
八月二十一日 晴 暑
○上略 十時ヨリ松尾臣善氏ヲ訪ヘ、寄附金ノ事ヲ依頼ス、又三井八郎右衛門氏ヲ訪ヘ、更ニ近藤廉平氏ヲ訪問ス、岩崎久弥氏・豊川良平氏等来会ス、水災善後会ニ岩崎家ヨリノ寄附金ノ事ヲ依頼ス ○中略 午後五時長谷場議長・根津嘉一郎二氏来リテ、水災救済ニ関シ一会設立ノ意アルニ付、善後会ト協同ノ事ヲ依頼セラル、依テ明日評議ノ上回答スヘキ旨ヲ以テ之ヲ謝ス
○下略
八月二十二日 曇 暑
○上略 午前十時三井同族会ニ抵リ、有賀長文氏ニ面会シテ、善後会ニ三井家ヨリノ寄附金ノ事ヲ依頼ス、十一時商業会議所ニ抵リ、中野・豊川・大橋三氏ト、昨日長谷場衆議院議長ヨリ協議ノ事ヲ談ス、衆議、分離ヲ是トスルニ付、其趣旨ヲ以テ午後回答スルモノトス、夫ヨリ一同午飧ヲ共ニシ、一時南満鉄道ニ抵リ、清野氏ニ面会シテ寄附金ノ事ヲ依頼ス、後永田町ニ桂首相ヲ訪ヒ、長谷場氏トノ談話ヲ告ケ、後衆議院ニ抵リテ長谷場・根津・岡崎其他ノ諸氏ト、昨日来ノ事ヲ談ス、畢テ再ヒ会議所ニ抵リ其顛末ヲ中野氏等ニ報告ス ○下略
八月二十三日 晴 暑
○上略 午後四時東京商業会議所ニ抵リ、水災善後会ヲ開キ会員ニ向テ爾来事務進行ノ概況ヲ報告シ、且水害救済会ナル者議会ノ人士ニ依リテ設立セラレタル次第ヲモ報告ス、後寄附金ノ打合ヲ為シ ○下略
八月二十四日 晴 暑
○上略 南満鉄道会社清野氏ヨリ電話ニテ水災善後会ニ寄附金ノ事ヲ協議ス ○中略 十二時、銀行集会所ニ於テ午飧シ、後善後会寄附金ノ事ヲ協議ス、午後三時商業会議所ニ抵、聯合会ニ出席シテ水災善後会ノ事ヲ演説ス ○下略
 - 第31巻 p.222 -ページ画像 
八月二十五日 曇 暑
○上略 四時東京商業会議所ニ抵リ、水災善後会委員会ヲ開ク、畢テ六時半帰宿ス ○下略
八月二十六日 晴 暑
午前七時半起床、昨夜腹部悪シク ○中略 水災善後会モ会合ノ通知アルモ同シク謝絶セリ ○下略
   ○中略。
九月一日 晴 暑
○上略 午前九時東京商業会議所ニ抵リ、水災善後会ノ事ヲ談話ス ○中略 十一時再ヒ会議所ニ於テ善後会ノ事ヲ談ス、十一時事務所ニ抵リ、養育院ニ於テ施行スル水災地施療ノ事ニ関シ、橋本医長・安達幹事ト談話ス ○下略
九月二日 晴 暑
○上略 午前十時東京商業会議所ニ抵リ、府・市及警視庁ヨリ来会セル当局ノ人々ト、水災善後ノ事ヲ協議ス、畢テ銀行集会所ニ抵リテ、午飧シ、後水害寄附金ノ事ヲ協議ス、午後三時ヨリ、深川・本所・浅草・下谷四区ニ開設セル施療所ヲ一覧ス、各区水後ノ惨状一見悽然タリ、午後六時過一覧畢リテ王子ニ帰宿ス
   ○中略。
九月十三日 曇 冷
○上略 午後一時東京商業会議所ニ抵リ、水災善後会委員会ヲ開キ、寄附金募集ノ概況ヲ調査シ、東京府市及警視庁等ヨリ申請セラルヽ衛生及施療ニ関シテ施設スル特殊ノ費途ニ対シテ、分配金ノ事ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
九月十七日 曇 冷
○上略 白石書記長来リ善後会ノ事ヲ談ス
   ○中略。
九月二十日 曇 冷
○上略 一時商業会議所ニ抵リ、水災善後会委員会ヲ開キ、東京府・市・警視庁ノ諸吏員ヲ会シテ、衛生施療ニ関スル方法及右ニ付必要ノ経費ヲ質問シテ、本会ヨリ支出補足ノ事ヲ議決ス ○下略
   ○中略。
十一月八日 晴 軽寒
○上略 午前十時商業会議所ニ抵リ、水災善後会委員会ニ出席シ、寄附金分配ノ方法ヲ議定ス ○下略


(八十島親徳) 日録 明治四三年(DK310045k-0004)
第31巻 p.222-223 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四三年    (八十島親義氏所蔵)
八月卅一日 晴
○上略 午後五時ヨリ同族会、今回ノ水害ニツキテハ男爵ハ東京水災善後会・臨時水害救済会ノ為ニ奔走尽力サルヽハ勿論ナルガ(此残暑甚シキ際、来ル五日ヨリ京坂神地方ヘ勧募ニ赴カルヽ由)偖義捐トシテ善後会ヘ弐千円、救済会ヘ弐千円、八基村民ヘ壱千円、同村公共事業ヘ弐千円ノ寄付ヲ決定セラル、晩年ニ臨ミ自ラ奉スル事倍々薄ク、人ニ施スコト愈々盛大ニ傾ケリ、之レ即先生ノ先生タル所也 ○下略
 - 第31巻 p.223 -ページ画像 
   ○中略。
十二月卅一日 朝曇霰降午後晴
○上略 天災トシテハ、先以テ八月中全国ニ亘ル大洪水ヲ挙ケサルヘカラス、殊ニ東京附近甚シク、荒川・利根川氾濫シ、向島・亀井戸等浸水二週日以上ニ及ブ、蓋シ近代未聞ノ災害ナリ ○下略


竜門雑誌 第二六八号・第六―七頁 明治四三年九月 ○今後の財界 附大水害に対する善後策(青淵先生)(DK310045k-0005)
第31巻 p.223 ページ画像

竜門雑誌  第二六八号・第六―七頁 明治四三年九月
    ○今後の財界
      附大水害に対する善後策 (青淵先生)
     △憂ふべきは早冷也
今回の惨害は洵に未曾有の事にして、其光景の惨澹たる想像の外にあり、而して此等罹災民に対する当面の急務としては、先づ其救護に努力せざる可からざるは言ふまでもなき事にして、既に政府及び市区当局は勿論、民間有志者も或は金品を以て或は焚出しをなして夫々救護に従事しつゝあり、余の関係せる養育院に於ても、出水後に於ける疾病者の為めに施療所設立の議を一両日来市当局者と協議中にて、近く実行の運びに至る筈なるが、之れとて極めて咄嗟の事なれば同院基金の一部を之に流用してなり、応急の措置を採る考へなり、尚此等救護事業は啻に東京一市に限られたる事にあらず、被害各県全体に渉る事なれば、各地方庁及び各地方有志者の奮励を要するや論なし。
次には政府当局者に於ては此際一は景気挽回の一手段として、一は罹災民救済の意味に於て、今回の被害田畑及び堤防、河川の復旧・改修等、土木事業を成可く迅速に遂行し、尚ほ民間有志及び諸会社に於ても必要の土工事業は成る可く遠慮する事なく、此際着手する如きも極て災民救済の上に有効ならんと信ず。
扠此の水害の為めに我財界及び金融界は如何なる影響を被るやと云へば、其見る目聞く処の惨状が如何にも深大なるものあるも、範囲は自づから限られあり、全体より見て差したる影響なかるべし、無論斯る惨害の後に於て景気の振興する如き事はあらざる可きも、さりとて著しく金利騰貴し事業界沈衰す可しとは思はれず。
寧ろ我が財界の為めに憂慮に耐へざるは、水害の影響より昨今に於ける天候の不順と早冷の点なり、若し天候にして今後速に回復順気に趣かざるに於ては、此気候の支配を受くる地方一帯の米作は如何ある可きか、万一関東及び東北一帯の米作が甚たしく不良なる如き事あらんか、一方米価の騰貴による細民の困窮と、外米輸入による貿易の不均衡とにより、我事業界の被る影響は決して少々ならざる可く、為めに惹ては我公債市価及び株式市場の上に多大なる悪影響を及ぼすに至るやも、亦知る可からざる也。(中外商業新報掲載)


竜門雑誌 第二六八号・第四六―四九頁 明治四三年九月 ○東京水災善後会(DK310045k-0006)
第31巻 p.223-227 ページ画像

竜門雑誌  第二六八号・第四六―四九頁 明治四三年九月
    ○東京水災善後会
東京銀行集会所委員長たる青淵先生、東京商業会議所会頭中野武営、東京手形交換所委員長豊川良平の三氏は、水災善後策に関し、十八日 ○八月夜檄を飛ばして重なる実業家の集会を求めたり、其結果、青淵先
 - 第31巻 p.224 -ページ画像 
生・中野・豊川・朝吹・山本・佐竹・千家・大橋・日比谷・近藤(代理)・大倉・高田(代理)・浅野・古河(代理)・柿沼・三井(代理)・池田・前川・松方・福原・佃・星野・森村・村井・服部の諸氏は、十九日午後四時より商業会議所に会合し協議する所あり、結局一般に関する救護に就ては、際限なきのみか或る場合には却て諸種の弊害を生ずる故見合せ、差当り水害後に於る衛生及び施療の如何に依りては、都下に伝染病拡大し、交通遮断せられ、商取引は中止せらるゝの経済的悲境に陥るやも計られず、故に此際当局者の衛生施療に関する方針と予算とを聞き、之が後援として、応分の寄附金を募集する事に決定せり、之が実行方法としてこの会合を東京水災善後会と命名して、左の七十七名を評議員に挙げ、其内より青淵先生・中野氏・豊川氏外四名を常任委員となし、廿日中に趣旨書及び規則書を作製して義金募集に着手する筈なるが、募集事務は、銀行集会所と商業会議所に於て取扱ひ、各種の協議一切は商業会議所に於て行ふ筈なりと
 松尾臣善・高橋是清・朝吹英二・山本達雄・添田寿一・佐竹作太郎高松豊吉・千家尊福・大橋新太郎・日比谷平左衛門・近藤廉平・加藤正義・大倉喜八郎・高田慎蔵・浅野総一郎・古河虎之助・岩崎久弥・柿沼谷蔵・三井八郎右衛門・鶴原定吉・安田善次郎・池田謙三和田豊次・菊地長四郎・前川太兵衛・杉原栄三郎・中沢彦吉・園田孝吉・松方巌・馬越恭平・原六郎・益田孝・阿部泰蔵・福原有信・武井守正・浜口吉右衛門・荘田平五郎・根津嘉一郎・志村源太郎・佃一予・早川千吉郎・星野錫・今村繁三・森村市左衛門・川崎金三郎・村井貞之助・服部金太郎・安田善三郎・久米良作・郷誠之助・田村利七・日比翁助・杉村甚兵衛・前川太郎兵衛・渡辺治右衛門・藤山雷太・野沢源次郎・渋沢栄一・中野武営・豊川良平・田中長兵衛・千葉松兵衛・福島浪衛・神田鐳蔵・小池国三・渡辺対三・佐々木慎思郎・佐々木勇之助・山中隣之助・中井新右門・井上角五郎・雨宮敬次郎・室田義文・植村澄三郎・木村清四郎・梅浦精一・伊藤幹一
△翌二十日帝国ホテルに常務委員会を開き、尚ほ都下各新聞・通信社長の賛成を求めて、二十一日左の趣意書及寄附募集規約を発表せり
     趣意書
 東京府下に於ける此回の洪水は前代未聞の事にして、其の災害の及ぶ処広且つ大、其の惨状窮態実に名状すべからず、父母に別れ妻子に離れ、産を失ひ、飢餓に瀕する等、悲惨・痛傷其の極に達するもの、今や府民幾万の多を数ふ、是れ吾人の痛歎に堪へざる所、而して其の応急救済の策に就ては当局者及江湖の慈善家に於て既に之を諾するありと雖も、此際是れか善後を策するは更に一層重要のことたるを信す、殊に水害後の衛生的施設は最も急要事にして、苟も之を等閑に附し或は機宜を失するか如きことあらんか、忽ち悪疫の発生流行を招き、其の結果更に水害以上の惨禍を来たしたるの事例乏しからず、吾東京府下の如き人口稠密の都市に於て、一旦斯かる惨禍を出現せんか、是れ独り東京府下の不幸たるのみならず、其影響する所容易に測知すべからず、是れ吾人の深く憂慮する所なり、是
 - 第31巻 p.225 -ページ画像 
に於てか有志相謀り、水災善後会を設立して、広く社会の同情を求め、遍く同志を募り、大に資金を蒐集し、進んで当局者と協力し、以て衛生的設備の完整を期し、水災後に於ける恐るべき惨禍の襲来を予防するに努めんとす、冀くは各位本会の目的を助け、以て有終の実あらしめんことを
      東京水災善後会規約
 第一条 本会は東京水災善後会と称す
 第二条 本会の事務所を東京商業会議所内に置く
 第三条 本会は東京府下に於ける水災後の一般衛生の施設、疾病者施療等を以て目的とす
 第四条 本会は広く有志者の寄附金を受く
  但寄附金額は五円以上とす
 第五条 前条の寄附金は新聞紙上を以て之れを広告す
 第六条 本会に左の役員を置く
  常務委員七名 評議員若干名 理事若干名
 第七条 常務委員は評議員会に於て之を選挙す
  評議員は発起人全部を以て之に充つ
  理事は常務委員之を任用す
 第八条 常務委員は本会を代表す
  但常務委員は互選を以て委員長一名を置く
  評議員は常務委員の諮問に応じ重要事項の協議に参与す
  理事は常務委員の指揮を受けて会務を処理す
 第九条 本会の議事は総て出席者の過半数を以て之を決す
 第十条 本会の経費は会員の醵出金及寄附金・雑収入を以て之に充つ
 第十一条 会務の経過状況及収支決算は新聞紙を以て報告す
 第十二条 本会は所期の目的を達したる後之を解散す
 第十三条 本規約施行に関し必要なる事項は常務委員之を定む
  (備考)寄附金は左の箇所に於て八月二十二日より取扱ひ候
        麹町区丸之内馬場先門前
                  東京商業会議所
        日本橋区坂本町坂本公園隣
                  東京銀行集会所
△右の趣意を賛し直に寄附を申出でたる同情者は左の如し
 一金二万円         日本銀行
 一金二万円         岩崎男爵一家
 一金二千円         青淵先生
 一金一千円         朝吹英二
 一金一千円         中野武営
 一金三百円         順天堂医院
 一金八十八円        順天堂医院医員一同
 一金三十五円        同看護婦一同
 一金二百円         浅田正文
 一金一百円         滝沢吉三郎
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 一金三十円         室尾慎作
 一金五円          松本治郎兵衛
 一金一千円         佐竹作太郎
 一金二百五十円       クロウト・エム・ヤクドナルド
 一金一千円         千葉松兵衛
 一金五円          磯長得三
 一金二十円         医海時報社々主田中義一
 一金二百円      侯爵 井上馨
 一金五千五百〇五円五十銭  東京書籍商組合
      内訳
 △金一千円 大橋新太郎 △金五百円 国定教科書共同販売所
 △金二百円宛 日本書籍株式会社・東京書籍株式会社・大橋省吾・亀井忠一・大日本図書株式会社・丸善株式会社・金港堂書籍株式会社
 △金百五十円宛 増田義一・明治図書株式会社
 △金百円宛 西野虎吉・大葉久吉・大倉保五郎・小立鉦四郎・阪本嘉治馬・水野慶次郎・三樹一平・森山章之丞
 △金五十円宛 林平次郎・川合晋・河出静一郎・鹿島長次郎・塚本岩三郎・上前才一郎・松村孫吉・福岡元治郎・小林又七・江草重忠・目黒甚七
 △金三十円宛 岩崎鉄次郎・大柴四郎・辻木末吉・山田九郎・福永文之助・青木恒三郎
 △金二十五円宛 啓成社・榊原友吉
 △金二十円宛 六盟館・大川錠吉・前川一郎・三浦理・柴田源左衛門・滝木博尚
 △金十五円 穴山篤太郎
 △金十円宛 石井清・石川正作・石川栄司・葉多野太兵衛・細川芳之助・隆文館・布川甲三・大野富士松・渡辺為蔵・和田静子・金原一郎・金勅源次・芳野兵作・高岡安太郎・田中慶太郎・田山宗尭・中野義房・内田浅・文学社・阪上忠之介・宮城伊兵衛・三里半七・七条愷・杉本七百丸・鈴木種次郎
 △金五円宛 伊藤岩次郎・波多野重太郎・長谷川好太郎・堀野与七富田熊次・東京印刷株式会社・東京経済雑誌社・大倉広三郎・小川一真・小川寅松・岡村庄兵衛・大谷仁兵衛・葛西虎次郎・樫村喜久太郎・加島虎吉・立田義元・辻本卯蔵・内藤如我・中井真三前川又三郎・福田金太郎・小池保吉・小島棟吉・江島伊兵衛・相沢富蔵・浅見文吉・斎藤権右衛門・酒井久三郎・共益商社書店・木田吉太郎・岸野英一・湯浅久米策・三井新次郎・宮下松太郎・春陽堂店員・平本正次・森江佐七・籾山仁三郎・関宇三郎・周防初次郎
 △金三円宛 伊東芳次郎・池地鶴吉・林甲子太郎・西村寅次郎・高岡寅次郎・多田房之輔・生沼大造・神谷竹之助・中村惣次郎・谷沢光吉・町田浜雄・福田滋次郎・近藤音次郎・青野友三郎・荒川亀次郎・貞金近松・共同出版株式会社・樋口政次
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 △金二円宛 磯野太郎兵衛・磯部辰次郎・今村延雄・早矢仕民治・西田安三郎・滝川民次郎・直江外次郎・中川信・野口竹次郎・栗本長七・山崎暁三郎・山岸美喜寿郎・松崎善太郎・小室松太郎・近藤圭造・寺本安之助・浅井幸之助・朝野文三郎・真田為治・桜井幸次郎・宮子音吉・樋川晴造・日高藤兵衛・森友吉・森江英二
 △金一円宛 井口松之助・芳賀太三郎・大戸作逸・奥村金次郎・河合富吉・亀井商店出版部・吉田正太郎・高橋儀市・武田音作・武田元吉・鶴岡五郎・中島卯三郎・村橋圭二・村瀬兼太郎・魚住嘉三郎・野村銀次郎・野口安治・久保田長吉・山岸鏡次郎・丸山常蔵・松本明徳・菅谷与吉・隅田巳三郎・鈴木絹一・鈴木貞吉・鈴木豹
 △金五十銭宛 米山周次・島宮米次郎・仙石衣枝
  小計五万二千七百三十八円五十銭
△尚ほ委員諸氏は九月一日東京商業会議所に参集し、募集金に関する打合せをなし、三十一日までに集りたる寄附金を以て、第一着手として衛生及施療に関する設備に取掛ることに決し、其方法に就ては警視庁及東京市及府の当局者の意見を聴くの要あるを以て、二日午前十時より会議所に於て総会を開き当局者の臨場を要請することゝし、同十一時散会せり


竜門雑誌 第二七二号・第六二―六三頁 明治四四年一月 ○東京水災善後会(DK310045k-0007)
第31巻 p.227 ページ画像

竜門雑誌  第二七二号・第六二―六三頁 明治四四年一月
○東京水災善後会 東京水災善後会は、旧臘十二月二十六日午後二時より東京商業会議所に於て事業報告会を開き、委員長青淵先生は同会事業の経過を報告し、之れに対し柴四朗氏は水害後に於ける水災善後会が衛生上に関し偉大の好結果を奏せしは委員諸氏の功労なりとて、感謝の挨拶を述べたり、同会の収支決算如左
    収入の部
 現金寄附             一七六、三八六・三〇
 広告にて寄附             一、二六七・〇八
 現金利子収入               五三三・七〇
  合計              一七八、一八七・〇八
    支出の部
 事業費(十二口合計)       一四三、五五六・一三
 使用人其他慰労手当            五〇〇・〇〇
 印刷・郵税其他諸費            二八五・一三
  合計              一四五、七一三・一九
 差引残金三万二千四百七十三円八十九銭は、寄附金者に配布すべき報告書費を差引たる者
今後不測の災害に際し応急の基金として東京市養育院に指定寄附となし、而して右基金より生ずる利息は之れを同院経常費に使用するを得せしむる旨を青淵先生より満場に諮りし所、一同異議なく賛成し、之れを委員に委任する事となり、同会は之れにて事業の一段落を告げ、同三時散会せり

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青淵先生公私履歴台帳(DK310045k-0008)
第31巻 p.228 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    賞典
大正元年八月卅日 明治四十三年八月東京府水害救済費トシテ金弐千円寄附候段、奇特ニ付、為其賞銀杯壱組下賜候事             賞勲局総裁


日本救療事業史料同愛社五十年史 同愛社編 第三三九―三四四頁 昭和三年一〇月刊(DK310045k-0009)
第31巻 p.228-229 ページ画像

日本救療事業史料同愛社五十年史 同愛社編  第三三九―三四四頁 昭和三年一〇月刊
 ○第二編 第二章 第二期維持期
    明治四十三年
○上略
八月二十日 渋沢男爵始メ五十余名ヲ以テ水災善後会ヲ画策シ、衛生上ニ関シ協議ヲ為シ、全国ニ寄附ヲ募リ、而シテ救療機関ヘ補助ヲ与ヘントスルノ挙アリ。高松社長 本社事業ノ活動ニ対シ補助ヲ得ンカ為メ、第一着手トシテ渋沢男爵ヲ訪ヒ、続テ高松豊吉・福島甲子三・日比清左衛門《(マヽ)》・大橋新太郎・福原有信氏ヲ手ヲ分チ訪ヒ、賛成尽力ヲ求ムルコトニ決ス。
○中略
八月二十八日 東京水災善後会長渋沢男爵・衆議院議長長谷場純孝・東京府知事阿部浩・同市長尾崎行雄諸氏ヘ宛、本社事業ニ賛助ヲ求ムル書ヲ呈出ス、其書左ノ通リ。
 謹呈、益御清栄ニ被為渉候段奉大賀候、然レバ今回ハ稀有ノ大洪水ニテ、被害ノ惨憺タル名状スベカラザルモノアリ、此時ニ当リ閣下等非常ノ慈恵ヲ以テ、一般衛生ノ施設疾病者ノ施療ニ付御計画既ニ成候趣承知仕候。
 吾カ同愛社ノ救療事業モ、多年ノ実歴ト平素ノ設備トニ依リ、此惨害ニ当リ十一日ヲ以テ率先シテ傷病者ノ救療ヲ画シ、各警察署ニ、区役所ニ、其病者発見次第診療ヲ求メラレンコトヲ以テシ、為メニ当夜以来各救療所ニ救療ヲ要求シ来ルモノ続々トシテ不絶、其時々之ニ応ズルヤ深夜濁流ヲ跋渉シ、或ハ舟車ニヨリテ、其収容所ナル学校又ハ寺院各方ニ就キ応急治療ヲ施シ、或ハ難産ノ分娩ヲ完ウセシメタル等、急遽ノ場合其数ヲ詳カニスルヲ不得ト雖モ、其数六・七百名ニ及ベリ、又持続的往診ニ在テハ、一人以テ数ケ所ノ収容所ヲ受持、幾多ノ回診ヲ為シタル等、各熱心以テ献身的活動ヲ為シタルハ隠ナキ事実ニ有之候。
 而シテ其十五・六日以降ニ在テハ、赤十字社又ハ各医会等ノ救療部ノ設置トナリ、本社ノ救療ハ漸ク閑却ヲ告ゲルヲ得ルニ至レリ。
 夫レ如此率先以テ救療ノ目的ノ一端ヲ達シ候モ、退水後ニ於テ各種ノ救療所ハ漸ク閉鎖セラレ、以テ救療ノ便ナキニ至レリ、従テ今後病者ノ救療ニ応スルノ便宜ハ独本社アル而已、本社ハ更ニ此際大ニ救療ニ努力センコトヲ期シ、既ニ下谷・浅草・本所・深川・小石川牛込ノ六区ニ対シ、従来ノ救療所弐拾六ケ所ニ新ニ拾六ケ所ヲ増設シ、多数患者ノ治療ニ従事シツヽ有之候。
 前陳ノ如ク、既ニ水災民救療ノ第一期タルノ効ヲ収メ得タル所ナリ
 - 第31巻 p.229 -ページ画像 
ト雖モ、今ヤ第三期タル最後ノ救療ニ大活動ヲ為シ居リ候時ニ付、何卒御救済御企図ニ係ル一般衛生ノ疾病者施療ノ一助トシテ、御賛同被成下、御補助之儀偏ニ懇願仕候 敬具。
○中略
九月十四日 水災病者救療ノ開始ヨリ本月五日ニ至ル状況・患者数ヲ東京水災善後会及東京府知事・同市長・警視総監ヘ呈出ス。
○中略
九月二十八日 東京水災善後会ヨリ左ノ書翰ヲ以テ申越レタリ。
 拝啓、貴会事業御補助トシテ今回金参千円也本会資金中ヨリ御交付可申上様相成候ニ付、右御事業ニ対スル委細承知致度候間、明廿八日午後一時当所迄御来駕被下度此段得貴意候 拝具。
  明治四十三年九月二十七日
             東京商業会議所内 東京水災善後会
    同愛社長 高松凌雲殿
○中略
十二月十日 本社水災傷病者救療ノ終了報告ヲ差出ス、左ノ通リ。
 本社水災罹病者救療ニ就テハ、去十一月九日附ヲ以テ、開始以来十月五日迄ノ詳報ハ既ニ呈シ置候通ニテ、其後十月六日ヨリ終了ニ至ル迄ノ状況ハ別表ノ如ク、患者数ハ漸次減退ノ傾向ニ候モ著シカラズ、依テ尚引続キ救療ヲ行ヒ居リシガ、前期ヨリ後期ト愈減退ヲ告ゲ、且、水害方面ノ状況ヲ察スルニ、最早殆ト回復ニ近キタルヲ以テ、十一月三十日ヲ限リ臨時救療ヲ閉鎖スル事ニ決シ、臨時救療所十六ケ所ノ中存続シテ常設救療所ニ加ヘタルモノハ、左ノ六ケ所ニテ、其次キニ記セル十ケ所ヲ廃セリ。
 其廃止ニ係ル救療所ノ未治患者ハ、最寄本社救療所ニ移シ、其他水災患者トモ本年十二月末日マデ無制限ニ(救療患者制限ハ救療所一ケ所ニ付十名、延人員三百人也)常時救療患者トシテ継続診療ヲ与フル事トシ、当時水害地救療社員ハ勿論、区役所・警察署及分署ヘ通報致シ、総テ予期ノ如ク十一月三十日限リ臨時救療所ノ閉鎖ヲ了シ候、其開始以来閉鎖ニ至ルノ間、月ヲ閲スル四ケ月、日ヲ経ルコト百十日、患者ヲ往診スルコト九百五十八回、患者総数弐万壱千六百拾五人也、即チ別表之通ニ御座候間、此段御報告申上候也。
  明治四十三年十二月十日
            下谷区上野桜木町一番地
              社団法人同愛社々長 高松凌雲
    東京府知事阿部浩殿(内務省衛生局長小橋一太殿 同地方局留岡幸助殿 東京水災善後会長男爵渋沢栄一殿)
○下略



〔参考〕東京市史稿 東京市役所編 変災篇第三・第四五五―五三五頁 大正五年三月刊(DK310045k-0010)
第31巻 p.229-245 ページ画像

東京市史稿 東京市役所編  変災篇第三・第四五五―五三五頁 大正五年三月刊
 ○第二節 本記 帝都時代ノ風水災
    明治四十三年大水災
四十三年 ○明治○紀元二五七〇年《(原注ヽ以下同ジ)》。八月初旬、東京ヲ始トシテ関東諸州強風屡臻リ、十日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。十一日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ及ヒ、市内ノ諸
 - 第31巻 p.230 -ページ画像 
川汎濫シ、就中荒川・利根川ノ出水甚シク、堤防ヲ壊決シ、市中ニ浸水シ、下谷 ○市内。・浅草 ○市内。・本所 ○市内。・深川 ○市内。ノ四区、被害最モ大ニ、牛込 ○市内。・小石川 ○市内。・本郷 ○市内。三区ノ低地之ニ次ギ、平地面出水ノ深サ一丈一尺ニ及ブ所有リ。其他ノ各区亦多少ノ出水ヲ見サルハ莫ク、東京府調査ニ拠レバ、全市ノ浸水建物棟数十二万二千三百六十五棟、戸数十四万二千二百七十一戸ニ達シ、潰破建物五十八棟、死傷廿七人、行方不明三人ヲ算ス。即チ麹町区 ○市内。ノ浸水建物八十棟、神田区 ○市内。三百五十八棟、日本橋区 ○市内。三百十八棟、芝区 ○市内。八百卅五棟、麻布区 ○市内。七百十一棟、赤坂区 ○市内。六百卅棟、四谷区 ○市内。一千三百廿六棟、牛込区 ○市内。三千六百五十三棟、小石川区 ○市内。九千三百六十九棟、本郷区 ○市内。五百一棟、下谷区 ○市内。二万四千六百九十棟、浅草区 ○市内。三万一千八百四十三棟、本所区○市内。二万九千二百四十八棟、深川区 ○市内。一万八千八百三棟ニシテ、潰破建物、麹町区○市内。五棟、四谷区 ○市内。三棟、牛込区 ○市内。二棟、小石川区 ○市内。六棟、下谷区 ○市内。廿九棟、浅草区 ○市内。一棟、本所区 ○市内。四棟也。而シテ麹町区 ○市内。死者男女各一人・傷者男女各二人、四谷区 ○市内。死者男女各一人、牛込区 ○市内。傷者男一人、小石川区 ○市内。死者男三人・傷者女三人、下谷区 ○市内。死者男一人・行方不明男一人、浅草区 ○市内。死者男一人、本所区 ○市内。死者男七人女二人・行方不明男二人・傷者男一人有リ。其他堤防・道路・橋梁・船舶等ノ被害亦尠カラズ。当時市ニ於テハ下谷・浅草・本所・深川 ○以上市内。四区ノ、各小学校・寺院及国技館 ○市内本所区。等ニ罹災民ヲ収容ス。又水難救援ノ為軍隊ノ出動ヲ見タリ。廿五日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニハ、皇室ヨリ救恤金ノ下賜有リ、皇族及外国皇室ヲ始トシ、都下ノ華族・実業家其他救済ノ資ヲ贈ル者亦多シ。 ○官報。東京府水害統計。警視庁東京府公報。東京市水害誌。東京水災善後会報告。水災雑考。洪水損害価格調。中央気象台報告。気象要覧。
      明治四十三年大水災事蹟
 明治四十三年大水災 明治四十三年 ○紀元二五七〇年。大水災ノ状況ヲ詳記スレバ左ノ如シ。
 一、天候 中央気象台観測表ニ拠レハ

 八月八日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。大雨(○五日○粍三。六日○粍四。七日一粍六。) 卅七粍一。
  八月九日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。大雨 卅五粍八。
  八月十日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。大雨 百四十六粍六。
  八月十一日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。 大雨 六十二粍八。
                         大雨 廿九粍三。
  八月十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。
                         気圧 七百四十三粍。
                         暴風 南東 十米突五。
  八月十四日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。 雨     廿粍九。
                         気圧    七百四十二粍七。

○中略
 ニシテ、実ニ西武蔵・西上野・西下野ニ於テ特ニ多量ノ降雨有リ。従テ利根川ハ、西上野ノ支源烏川・碓氷川・神流川、及吾妻川・鎬川等ニ於テ、殊ニ多大ノ出水ヲ見、西下野ノ支源渡良瀬川・思川等ニ於テモ、亦同シク多大ノ出水ヲ見タル者ノ如ク、荒川・多摩川ハ言フマテモナク、取分ケ西武蔵ノ大雨ニ依リテ大出水ヲ見タル者ノ
 - 第31巻 p.231 -ページ画像 
如シ、洪水報告ハ、此時ノ大雨ヲ明治四十年 ○紀元二五六七年。ノ大雨ニ比シ、利根川流域ニ於テハ遥ニ多大ノ雨量有リタレハ、氾濫ノ広大ナルモ固ヨリ其所ナル可シト為スト共ニ、荒川水源地方ノ降雨量ハ、其実四十年度 ○紀元二五六七年。ニ及バザルニ拘ラス、出水量ノ意外ニ多大ナリシハ、広区域ノ降雨ニ由リタル者ナル可シトシ、之カ平均石数ヲ求メテ、四十年 ○紀元二五六七年。ノ一平方里約三千六十八万五千六百五十一石(一坪内六石五斗七升七合ニ当ル。)ナルニ対シ、四十三年 ○紀元二五七〇年。ハ約三千八百三十六万九千八百九十四石(一坪内八石二斗二升四合ニ当ル。)ナリシヲ見出シタリ。且言フ「往年 ○明治四十年(紀元二五六七年)。ハ降雨ノ始終日々ノ雨量ニ差迄格段ノ多少ナク、其中間ニ於テ稍多量ナリシノミナレハ、氾濫ノ状態比較的緩慢ナリシガ、本年 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。ハ之ト趣ヲ異ニシ、其始小雨ナリシガ、逐日其量ヲ増シ、最後ノ十日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ至リ、覆盆ノ大雨トナリ、前来飽和セル土地及河身ハ急激ニ之カ雨水ヲ受クルノ已ムナキニ至リタルモ、亦以テ氾濫ノ烈シカリシ一因ナルベシ。」ト。
 二、出水 此災ニ於ケル出水ハ、市内ノ諸川・溝渠皆出水シ、就中神田川ノ上流江戸川、小石川及藍染川ノ如キ殊ニ其甚シキヲ見、為ニ牛込区・小石川区・本郷区 ○市内。ノ浸水ヲ致セリ。而モ其最モ劇甚ナリシハ荒川・利根川ニシテ、洪水報告ニ拠ルニ、荒川ハ、武蔵国入間郡古谷村大字古谷上ニ於テ、最高水位二十八尺二寸 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月十日午後十二時ヨリ十一日午前一時ニ至ル間。ニ達シ、利根川ハ、武蔵国北葛飾郡栗橋町大字栗橋ニ於テ、二十一尺五寸九分、権現堂川ハ、武蔵国北葛飾郡権現堂川村大字権現堂ニ於テ廿三尺二分、江戸川ハ、武蔵国北葛飾郡宝珠花村大字西宝珠花ニ於テ廿一尺七寸五分ニ達シタリト云フ。是ニ於テ処々ノ堤防決潰シテ、荒川通ハ、比企郡入間郡 ○武蔵国。ノ東部、北足立郡○武蔵国。ノ西部ヲ浸シ、一面大里郡大麻生村 ○武蔵国。ノ堤防ヲ破リタル荒川ノ水ハ、北埼玉郡 ○武蔵国。ニ侵入シ、利根川通児玉郡旭村・仁手村 ○武蔵国。・大里郡八基村・新会村・男沼村・妻沼村・秦村 ○武蔵国。等ノ堤防ヲ破壊シ来リタル利根ノ大水ニ合シテ、大里郡中条村 ○武蔵国。ノ水越堤塘ヲ突破シ、遂ニ北埼玉郡 ○武蔵国。ノ幾ト全部、北足立郡○武蔵国。ノ東部、南埼玉郡 ○武蔵国。ノ幾ト全部、北葛飾郡 ○武蔵国。ノ六・七分ヲ押シ、綾瀬川筋ヲ下リテ荒川ニ合シ、玆ニ一大氾濫ヲ為シタリ。南足立郡 ○武蔵国。ニ於テ綾瀬川ノ破堤シタル者十三箇所、南葛飾郡 ○武蔵国。ニ於テ一箇所、市内ニ於テ隅田川ノ破堤シタル者一箇所ニシテ、為ニ南足立郡 ○武蔵国。ノ全部、北豊島郡ノ北半、南葛飾郡ノ西半ヲ浸シ、市内ニ於テハ、本所区・深川区及浅草区・下谷区ノ北部ヲ浸セリ。此余利根川左岸ニ大溢水有リテ其水勢ヲ緩和シタル為メ、幸ニ権現堂 ○武蔵国北葛飾郡。其他ノ破堤ニ至ラズ、幾分カ市内ノ水災ヲ軽減シ得タル者ノ如シ。 ○洪水報告。明治四十三年東京府水害統計。
  八月八日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。以来豪雨瞬時モ歇マズ、各地出水ノ報頻々トシテ臻リ、東海沿線ノ諸川相次テ氾濫ヲ伝フ。果然月ノ十日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。六郷川 ○武蔵国荏原郡。先ツ決潰シテ、大森・羽田・大師河原・川崎及其附近一帯ハ全ク濁流ノ襲フ処トナリ、夜ニ入リテハ市内処々ノ塹崖崩壊シテ死傷者ヲ出シ、神田上水ノ下戸塚
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村豊橋 ○武蔵国豊多摩郡。附近ニ於ケル決潰ト共ニ、江戸川氾濫シテ其両岸ヲ浸シ、小石川区 ○市内。ニ於テハ千川溢水シ、本郷区 ○市内。ニ於テハ根津谷中ノ間ヲ貫流スル藍染川横溢シテ、何レモ濁水床上ニ達シ、帝都ノ人心恟々トシテ其堵ニ安ンスルヲ得サル折柄、十一日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ至リ険悪ナル天候ハ好晴ヲ告ケタルモ、利根川ノ増水ハ落チテ荒川・隅田川・綾瀬川ノ氾濫決潰トナリ、王子・岩淵・日暮里・南千住 ○武蔵国北豊島郡。・北千住 ○武蔵国南足立郡。ハ更ナリ、下谷・浅草・本所・深川 ○市内。ノ大部分及向島 ○一部市内。以東亀戸 ○武蔵国南葛飾郡。一帯ノ地ハ渺茫タル泥海ニ変シ、然カモ時々刻々水量ヲ増加シ、床上ニ及ヒタルモノ尚軽ク、遂ニハ軒ヲ浸シ、棟ヲ没スルニ至リ、老幼男女周章狼狽唯号泣シテ溺没ト饑渇トヲ俟ツノ外ナカリキ。
  是ヨリ先汽車・電車ハ勿論、電信・電話ノ交通頓ニ杜絶シ、瓦斯電灯亦滅シテ、東京市ハ濁水中ニ孤立セル暗黒界ニ変シ、悽愴ノ気自ラ天地ニ充満セリ。事態此ノ如クナルヲ以テ、浸水地各区長ハ直チニ吏員ヲ督シテ収容所ヲ設ケ、炊出ヲ命ジテ救護ヲ開始シタルニ、罹災者陸続集リ、食ヲ求ムルコト頗ル切ナリト雖モ、更ニ急ナルモノハ食絶エ、水尽キ、衣濡レ、天井ヲ穿チ屋根ヲ破リテ危急ヲ脱レタル所謂屋上避難者ノ救助ト、老幼病者ノ救護ナルカ故ニ、警察吏員ト協力シ、舟筏ヲ艤シテ或ハ之ヲ収容シ、或ハ之ニ食ヲ与ヘ、又或ハ飲水ヲ給スル等、其混雑実ニ名状スヘカラズ。而シテ十二日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ハ前日ノ好晴ヲ持続シテ暑熱漸ク加ハリ、天候回復ノ徴ヲ呈シ、牛込・小石川・本郷区等山ノ手方面ハ減水シタルモ、下谷・浅草・本所・深川 ○市内。方面ハ却テ増水ノ傾キアリ。此ノ日道途頻リニ権現堂 ○武蔵国。堤防決潰セリトノ急報ヲ伝フ。古来同堤防ノ安危ガ東京ノ死命ヲ制スト称セラルヽ所以ハ、東京カ其正南方ニ位スルヲ以テ、一朝決潰センカ、滔々タル濁水ハ中川ノ細流、之ヲ呑吐スルコトヲ得サルノミナラズ、水勢ノ関係上、同川ヲ横断越水シテ一直線ニ市ノ中心ニ驀進スルカ故ニシテ、災民ハ此飛報ニ接シ、今ニモ大水ノ襲来ヲ思到シ、大ナル恐怖ヲ抱キ、愴惶トシテ難ヲ避クルモノ上野公園 ○市内下谷区。等ノ高地ニ蝟集セリ。然ルニ大利根ノ上流埼玉県北埼玉郡北河原村及中条村堤防決潰シタル為メ、却テ権現堂堤防ハ危機ヲ免カレ、徒ラニ人心ヲ騒擾セシメタルニ止マレリ。而カモ濁流ハ尚勢ヲ逞クシテ隅田ノ沿岸ニ漲リ、千住大橋ハ益危殆ニ陥リ、吾妻橋・厩橋・両国橋 ○市内。ハ橋上マテ僅カニ数尺ヲ余スノミ、殊ニ新大橋 ○市内。ハ木橋ニシテ架換ノ期ニ迫マレルカ故ニ、其危険更ニ多ク、漂流物ノ橋台ニ衝突スルヲ防キ、交通ヲ制限シ、徹宵水量ヲ測リテ警戒ニ努メ幸ニ事無キヲ得タリシモ、向島 ○一部市内。ノ水防ハ一刻モ緩ウスヘカラサルヲ以テ、東京府知事ハ東京衛戍総督ニ応援ヲ求メシカハ、午前二時 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月十二日。赤羽工兵大隊ヨリ一個中隊ヲ差遣セラレ、多数ノ人夫ヲ督シテ言問附近決潰堤防ノ応急工事ニ著手セリ。然レトモ最モ懸念ニ堪ヘサリシハ、罹災者ノ救助ニシテ、第一ニ必要ナル舟筏ナクンハ、殆ント手ヲ下ス
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ニ術ナク、何処ニ之ヲ需ムルヤニ付腐心シタルモ、広闊ナル浸水地域ニ対シテ、遺憾ナク救護ヲ周到セシムルニハ、軍隊ノ出動ヲ要請シ、之レカ援助ニ頼ルノ捷径ニシテ、且機宜ノ処置ナルヲ覚リ、再ヒ衛戍総督ニ助力ヲ求メ、爰ニ救援隊・炊爨隊・救護隊ノ派遣ヲ見ルニ至レリ。之ト共ニ日本赤十字社東京支部・水難救済会、其他公私ノ団体ノ熱誠ナル助勢アリ。又陸軍省ヨリハ糒五十石・牛肉鑵詰二十四箱、三菱合資会社ヨリハ白米一千俵、三井同族会ヨリハ浸水地ニ於ケル炊出一切ヲ担当セラレ、十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニハ諸般ノ秩序漸ク整ヒタリ。此ノ日朝来(午前七時五十分)又々降雨トナリ、一時日光ヲ見タルモ、午後ニ至リテ雨脚益繁ク、夜ニ入リテハ八月ノ盛夏モ冷気肌ヲ侵シ、罹災者ハ此等ニ対スル準備ナカリシカ故ニ、搬出シタル家財ハ、雨曝トナリ、周章困憊ノ状筆舌ノ尽ス所ニアラサリキ。幸ニ社会ノ深厚ナル同情翕然トシテ集リ、旬日ニ亘リテ克ク救護ヲ継続スルコトヲ得、廿五日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。国技館ノ閉鎖ヲ最後トシテ、全ク其終了ヲ告ケタリ。
     出水河川
  市内ノ水害ニ関係アル河川ヲ挙クレハ、神田川・荒川・江戸川・中川・神田上水・千川上水・綾瀬川・古川・源森川・北十間川・大横川・竪川・小名木川・二十間川・十間川・藍染川ノ諸川ニシテ、増水ノ最モ高カリシヲ荒川トシ、北豊島郡岩淵村 ○武蔵国。及同 ○武蔵国北豊島郡。志村ニ沿フ所ハ二丈七尺ニ達セリ、又平地面出水ノ最モ深キハ、市ニ在テハ牛込区 ○市内。ノ一丈一尺、下谷及本所両区 ○市内。ノ各一丈、郡部ニ在テハ、北豊島郡志村 ○武蔵国。ノ一丈六尺、赤塚村 ○武蔵国北豊島郡。ノ一丈五尺トス。    ――東京市水害誌
○中略
  〔参考〕東京府水害統計所収浸水建物統計左ノ如シ。

図表を画像で表示〔参考〕東京府水害統計所収浸水建物統計左ノ如シ。

 東京市       浸水建物(棟数)                                        救助ヲ受ケタルモノ       床上           床下          計                      戸数     人員                   同上延人員       住家    不住家    住家    不住家    住家      不住家   計              男      女      計      男       女       計 麹町区       八     ―     六九     三      七七     三      八〇      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ― 神田区       四     ―    三五四     ―     三五八     ―     三五八      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ― 日本橋区      ―     ―    三一八     ―     三一八     ―     三一八      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ― 京橋区       ―     ―      ―     ―       ―     ―       ―      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ― 芝区        ―     ―    八三五     ―     八三五     ―     八三五      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ― 麻布区     二七四     六    四三一     ―     七〇五     六     七一一      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ―  以下p.234 ページ画像  赤坂区      一二    一〇    五九八    一〇     六一〇    二〇     六三〇      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ― 四谷区     一三五     ―  一、一七七    一四   一、三一二    一四   一、三二六      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ― 牛込区   一、七五〇   一二五  一、六六二   一一六   三、四一二   二四一   三、六五三      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ― 小石川区  七、五七五   三〇一  一、三五八   一三五   八、九三三   四三六   九、三六九      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ― 本郷区     二七五     ―    二二五     一     五〇〇     一     五〇一      ―      ―      ―      ―       ―       ―       ― 下谷区  一五、八五二 一、一四〇  七、五二七   一七一  二三、三七九 一、三一一  二四、六九〇  四、〇五三  六、九四八  六、〇五五 一三、〇〇三  四〇、八六三  三五、九三六  七六、七九九 浅草区  二六、五二一   六三三  四、五六九   一二〇  三一、〇九〇   七五三  三一、八四三  二、七三七  五、五八三  五、三六四 一〇、九四七  五五、〇三六  五二、八七八 一〇七、九一四 本所区  二四、六四二 一、一八二  二、七二八   六九六  二七、三七〇 一、八七八  二九、一四八  四、一二一  六、八三九  八、四七六 一五、三一五  五八、四〇四  七二、五二〇 一三〇、九二四 深川区   七、六五〇   三九九 一〇、四四九   三〇五  一八、〇九九   七〇四  一八、八〇三  一、一三八  一、五五八  二、六二七  四、一八五  一一、七三六  一九、三三五  三一、〇七一 計    八四、六九八 三、七九六 三二、三〇〇 一、五七一 一一六、九九八 五、三六七 一二二、三六五 一二、〇四九 二〇、九二八 二二、五二二 四三、四五〇 一六六、〇三九 一八〇、六六九 三四六、七〇八 



 若夫警視庁公文類纂所載出水被害調査、以上記スル所ニ同カラサル者少ナカラス。姑ク掲ケテ参考ニ供ス。
    出水被害調査表ノ一 (市部)

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              人               建物 署名   死       傷       行衛不明    全潰        半潰        破損       流失      男   女   男   女   男   女   住屋   不住屋  住屋  不住屋   住屋   不住屋 住屋   不住屋 麹町   一   一   二   二   ―   ―    一   ―     一   三     四    ―   ―     ― 神田   ―   ―   ―   ―   ―   ―    三   三     一   ―     五    六   ―     ― 日本橋  ―   ―   ―   ―   ―   ―    ―   ―     ―   ―     ―    一   ―     ― 京橋   ―   ―   ―   ―   ―   ―    ―   ―     ―   ―     ―    三   ―     ― 芝    ―   ―   ―   ―   ―   ―   一四   ―     八   ―    一一    ―   ―     ― 麻布   ―   ―   ―   ―   ―   ―    四   一     四   二     三    ―   一     ― 赤坂   ―   ―   ―   ―   ―   ―    ―   ―     ―   ―     一    二   ―     ― 四谷   一   一   ―   ―   ―   ―    二   二    一二   ―     五    一   ―     ― 牛込   ―   ―   一   ―   ―   ―    ―   ―     ―   一     七    五   ―     ― 小石川  ―   ―   ―   三   ―   ―    三   ―     九   二     ―    ―   ―     ―  以下p.235 ページ画像  本郷   ―   ―   ―   ―   ―   ―    一   ―     一   ―     二    ―   ―     ― 下谷   一   ―   ―   ―   一   ―    ―   ―     五   ―     ―    ―   ―     ― 浅草   一   ―  一〇   五   ―   ―    一   ―     ―   ―     三    二   ―     ― 本所   四   二  二二   六   一   ―    ―   ―     四   ―     ―    ―   ―     ― 深川   ―   ―   ―   ―   ―   ―    ―   ―     ―   ―     ―    ―   ―     ― 水上   四   ―   一   ―   ―   一    ―   ―     ―   ―     ―    ―   ―     ― 市部計 一二   四  三六  一七   二   一   二九   六    四五   八    四一   二〇   一     ― 



 (○郡部省)本表ノ外、市部ニ於テ畜牛十四頭・馬一頭(○中略)溺死シ、又、市郡川々沿岸ニ於テ、船舶流失二百十艘、沈没二十九艘、破損二百二十三艘トス。
    出水被害調査表ノ二

図表を画像で表示出水被害調査表ノ二

 署名   浸水建物      住屋            不住屋        田        畑        宅地        山林及原野     雑種地      床上     床下     床上   床下  埋没及流失 浸水  埋没及流失 浸水 埋没及流失 浸水   埋没及流失  浸水 埋没及流失 浸水 麹町      一八    二二〇     ―     ― ―      ― ―      ― ―        ― ―      ― ―       ― 神田       三    三六三     ―    二一 ―      ― ―      ― ―        ― ―      ― ―       ― 日本橋      四    一四七     ―     ― ―      ― ―      ― ―        ― ―      ― ―       ― 京橋       ―      五     ―     ― ―      ― ―      ― ―        ― ―      ― ―       ― 芝        一  一、二九八     ―    一〇 ―      ― ―      ― ―        ― ―      ― ―       ― 麻布     三一七    三七〇     九     八 ―      ― ―      ― ―   二丁九反七畝 ―      ― ―       ― 赤坂      一二    二一四    一四    一六 ―      ― ―      ― ―        ― ―      ― ―       ― 四谷     一八四    五三二    一九    一七 ―      ― ―      ― ―     一反三畝 ―      ― ―       ― 牛込   一、九二三  一、五〇一    六六     六 ―     七反 ―     三反 ―  一五丁五反三畝 ―      ― ―  一丁五反七畝 小石川  五、〇七八  二、二六一    七一   一一三 ―     四反 ―      ― ―    五四丁三反 ―      ― ―       ― 本郷     七六五  二、七八七    四三     ― ―   二丁五反 ―   四丁七反 ―   一丁一反二畝 ―      ― ―      八反 下谷  一四、五二一  六、六三二   六一八   二〇〇 ―   四丁八反 ―   六反九畝 ―  九六丁九反七畝 ― 一丁一反九畝 ―  二丁六反一畝  以下p.236 ページ画像  浅草  二六、二三七  三、三九二   六二九   一二〇 ― 八丁九反六畝 ―   一反八畝 ― 一〇八丁八反九畝 ―      ― ―   一二丁六反 本所  三一、八七五  七、四三八 一、五二二   八三五 ―    一七丁 ―     一丁 ―    六三丁五反 ―      ― ―       ― 深川  一〇、三六〇  九、一一五     ―     ― ―      ― ―      ― ―   二五三丁三反 ―      ― ―       ― 水上       ―      ―     ―     ― ―      ― ―      ― ―        ― ―      ― ―       ― 市部計 九一、二九八 三六、二七五 二、九九一 一、三四六 ― 三四三反六畝 ― 六丁八反七畝 ― 五九六丁七反一畝 ― 一丁一反九畝 ― 一七丁五反八畝 



 (○郡部略)
    出水被害調査表ノ三


図表を画像で表示出水被害調査表ノ三

      堤防                                   道路                   橋梁      決潰       破壊    岸及港湾波止場ノ破損  崖崩壊 石垣崩壊  流失及埋没     破損         流失  破損 署名   箇所  延長   箇所  延長                      箇所   延長   箇所     延長 麹町   ―    ―   ―    ―   ―        三一    ―   ―     ―    ―      ―   ―   ― 神田   ―    ―   ―    ―   一         五    一   ―     ―    一      六   ―   ― 日本橋  ―    ―   ―    ―   ―         ―    ―   ―     ―    ―      ―   ―   ― 京橋   ―    ―   ―    ―   ―         ―    ―   ―     ―    一      四   ―   ― 芝    ―    ―   三   二一   ―        一三    三   ―     ―    ―      ―   ―   ― 麻布   ―    ―   ―    ―   ―        一五   一〇   ―     ―   一一     一九   二   ― 赤坂   ―    ―   ―    ―   ―         一    三   ―     ―    三      三   ―   ― 四谷   ―    ―   ―    ―   六        二〇   一二   ―     ―    四      八   ―   ― 牛込   ―    ―   ―    ―   ―         六    八   ―     ―   一一    一四六   ―   九 小石川  ―    ―   ―    ―   二        一四    五   ―     ―    八     五六   四   一 本郷   ―    ―   ―    ―   ―        一一    五   一     二    七     三八   ―   ― 下谷   ―    ―   ―    ―   ―         ―    一   ―     ―    ―      ―   ―   ― 浅草   ―    ―   ―    ―   ―         ―    ―   ―     ―    三      五   ―   六 本所   二   二五   ―    ―   ―         ―    ―   ―     ―   一〇  一、一二五   ―   五 深川   ―    ―   ―    ―   ―         ―    ―   ―     ―    ―      ―   ―   ―  以下p.237 ページ画像  水上   ―    ―   ―    ―   ―         二   一七   ―     ―    ―      ―   ―   ―      間    間   間    間                                        間 市部計  二   二五   三   二一   九       一一八   六五   一     二   五九  一、四一〇   六  二一 



○中略
 四、救恤 変災ノ救助ハ、明治卅二年 ○紀元二五五九年。十月四日東京府訓令罹災救助事務取扱規程有リテ、郡区長ニ委任ス。是ヲ以テ罹災各区ハ、八月十日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。若クハ十一日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。頃ヨリ、何レモ避難所ヲ設ケテ救助ニ著手シ、警視庁・東京府・東京市ハ勿論、陸海軍・東京逓信管理局・赤十字社・水災善後会ヲ始トシテ、官民朝野力ヲ戮セテ罹災者ヲ救恤シタリ。其状況ハ救済史之ヲ記スヲ以テ、玆ニハ単ニ概況ヲ叙シ、以テ災害被及ノ程度ヲ推測スルニ便セムトス。
 (一) 救難措置ノ大要 ハ、八月十七日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。ノ東京市会ニ於テ、市長代理助役原田十衛ノ報告シタル所、略大体ノ経過ヲ悉セリ。
  此度ノ水害ニ関シマシテ、私共理事者ニ於キマシテ臨機処置イタシマシタ概要ノ御報告ヲ致シテ置キタイト考ヘマス。連日ノ降雨ノ為メニ、去ル十日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月ニ至リマシテ、各地方面ヨリ、河川漸次増水シツヽアル趣ノ報告ニ接シタノデアリマス。此増水ノ報告ニ接シマシテ、先ヅ第一ニ警戒ヲ加ヘマシタノハ、本所 ○市内。ノ病院、羽村 ○武蔵国北多摩郡。ノ水道口、ソレカラ多摩川ノ砂利採掘地、之ニ向ツテ十日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ日カラ警戒ヲ加ヘタノデアリマス。而シテ羽村 ○武蔵国北多摩郡。ノ水道口ハ、幸ニシテ今日マデ無事デアリマシタ。ソレカラ多摩川ノ砂利採掘地モ、幸ニシテ先ツ無事ト申シテ宜シウゴザイマス。百四十三艘ノ中……一艘破壊イタシマシテ、二艘ハ砂利ニ埋メラレタノデアリマスガ、此二艘ハ、多分回復スル見込デアリマスカラ、一艘ヲ失ツタ丈ケデアリマシテ、是ハ誠ニ仕合ヲ致シタノデアリマス。ソレカラ十一日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニナリマシテ、愈々劇シクナリ、又十一日○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ午前ニ至リマシテ、芝貯水所 ○市内。ノ崕ガ崩壊シタト云フコトノ報告ニ接シマシテ、直チニ応急ノ手当ヲ致シマシタガ、続イテ牛込・小石川 ○市内。各方面ノ河川ガ氾濫スルコトニナリマシタ。又引続キマシテ隅田川等ノ水モ、非常ニ増水スルト云フ警報ニ接シマシタノデアリマスカラ、十一日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ臨時参事会ヲ開キマシテ、増水ニ対シ、予メ臨機ノ処分ヲ為ス為メニ、市参事会ニ於キマシテ、特ニ福田 ○又一。・安藤 ○兼吉。・溝淵 ○正気。三君ヲ委員ニ選定イタシマシテ、臨機ニ御相談スルコトノ順序ニ致シタノデアリマス。然ルニ十一日○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ午後八時頃デゴザイマシタラウカ、浅草区長ノ方カラ、第一ニ報告ノアリマシタノハ、浸水漸ク甚シクナリマシテ、日本堤 ○市内浅草区。ノ間モ将ニ危イト云フ報告ニ接シタノデアリマス。ソレ故、取敢ズ田川助役 ○大吉郎。ト協議ヲ致シマシテ、三味線堀 ○市内浅草区。ノ出張所ニ急報致シマシテ、先ヅ此堤防ノ防禦ニ従事イタシタノデアリ
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マスガ、何分急遽ノ際デアリマシテ、工夫其他モ揃ヒ兼ネマシタノデ、遂ニ充分ノ手当モ届カヌデアツタ。其中ニ言問 ○市内本所区。ノ方ノ堤防ガ決潰シテ、日本堤 ○市内浅草区。ノ方ハ約一尺程減水シテ安全ダト云フコトデアリマシタカラ、直チニ向島 ○市内本所区。方面ノ堤防ノ防禦ノコトニ着手セムトシタノデアリマスケレドモ、モウ其報告ニ接シテ現状ニ就テ見マシタ時分ハ非常ナ勢デアリマシテ、幅十間以上モ決潰シテ居ル、到底少数ノ市ノ技術家ノ力ニ依リマシテハ、防禦シ得ザル勢デアリマス。
  同時ニ又府 ○東京府。ノ方カラモ出張セラレテ、現状ヲ目撃セラレタノデアリマス。ソコデ府 ○東京府。ノ方トモ相談シマシテ、直チニ工兵隊ノ出張ヲ求ムルト云フコトニ致シ、府ヲ経テ工兵隊ノ出張ヲ要求シ、其承諾ヲ得タノデアリマス。是ガサウナツタノハ殆ドモウ深更デアリマシテ、サウシテ工兵隊ハ十二日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ午前ニ出張スルコトニナリマシタ。而シテ浅草・下谷 ○市内。方面ノ洪水ト同時ニ、本所・深川 ○市内。方面ノ水勢ガ、愈々増加スルト云フコトモ察セラレマスルノデ、田川助役 ○大吉郎。ト相談ノ上、田川助役 ○大吉郎。ハ浅草・下谷 ○市内。ノ方面ニ参ラレ、私 ○原田十衛。ハ本所・深川 ○市内。ノ方ヘ参リマシテ、此急場ノ各区ニ於ケル救護実況ヲ視察イタシマシタ。又気ノ附クダ@ノ注意ヲ与ヘマシタ。サウ致シマシテ十一日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ヲ過ギマシテ、十二日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ午前ニハ、前申シマシタ所ノ参事会ノ特別委員諸君ノ御参集ヲ仰ギマシテ、種々御相談ヲ致シマシテ、取敢ズ此三君モ実地御視察ニナリマスル。其序ヲ以チマシテ、各区ニ対シマシテハ此急遽ノ場合デアリマスルガ故ニ、此救助規則ニ依ル所ノ窮屈ナル範囲ニ拘泥セズ、区長ニ於テ適宜ナ処置ヲ為シテ宜シカラウ、斯様ナコトヲ委員諸君ノ方カラ御伝ヘニナツタノデアリマス。コチラカラモ電話ヲ以テ其趣ヲ伝ヘタノデアリマス。又是ヨリ先キ十一日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。カラ十二日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ掛ケマシテ、本所方面 ○市内。・深川方面 ○市内。ノ水勢ガ愈々増加イタシマスル為メニ、本所 ○市内。ノ病院ノ防禦ト云フコトガ、ナカナカ困難デアツタノデアリマス、是ニハ衛生課 ○東京市。ノ連中モ全力ヲ注イダノデアリマスルガ、水勢ハ唯増加スル一方デアリマシテ、終ニ寝台ノ上マデ浸スト云フ形勢デアリマシタカラ、勢ヒ是ハ収容シテ居ル所ノ五十余名ノ患者ヲ他ニ移サヾルヲ得ヌガ、モウ他ニ移転イタシマスルコトモナカナカ容易ナコトデナカツタノデアリマス。故ニ非常ナ衛生課 ○東京市。ノ尽力ニ依リマシテ、十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ夜半カラ、辛フジテ之ヲ駒込病院○市内本郷区。ニ移転スルコトヲ得タノデアリマス。サウシテ此移転イタシマシタ結果モ、余程心配イタシマシタケレドモ、幸ニ移転ノ以後ノ病者ノ状態ハ、極メテ良好ニ経過シテ居ルノデアリマス。此点ハ御安心ヲ願ツテ置キタイノデアリマス。然ルニ此救護ノ事務ニ付キマシテハ、御承知ノ通リ罹災救助事務取扱規程ト云フモノガゴザイマシテ、此規則ニ基キマシテ東京府知事ハ、予テ其事務ヲ郡区長ニ委任シテアルノデアリマスカラ、区長ハ此災害ニ際シマシテハ、東京市ノ
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指揮ヲ俟タズ直チニ救護事務所ヲ開始シタノデアリマス。デアリマスルカラ、十一日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。カラ水ガ出始リマシテ、先ツ浅草・下谷 ○市内。ヲ侵シ、而シテ本所・深川 ○市内。ニ及ンダノデアリマスルガ、此水害ノ至ルト共ニ、区長ハソレソレ応急ノ設備ヲ致シテ居ツタノデアリマス。私共夜半ニ視察イタシマスルトキ、ソレソレ収容ノ順序ハ立ツテ居ツタノデアリマス。デアリマスルカラ、此場合市ト致シマシテ、此救護ノ事務ニ付テ如何ナル方針ヲ執ルカト云フコトニ至リマスレバ、既ニ此機関ガアリマスル上ハ、市ハ此救護規則ニ基ク所ノ区長ノ救護事務ヲ援助シ、且ツ督励スルト云フコトガ最モ必要デアルト考ヘ、又参事会モ即チ此方針ヲ執リマシテ、爾来此方針ニ依ツテ各区ニ於ケル所ノ救護事務ニ向ツテ、市ハ全力ヲ注イデ援助シ、且ツ督励シツヽアルノデアリマス。而シテ此救護事務ニ付キマシテ、最初最モ不便ヲ感ジマシタノハ船ノ集メ方デアリマス。収容所ノ方ハ、収容人員ガ刻々ニ増加イタシマスル、増加シマスル中ニ、一面ニ焚出シト云フコトノ必要ガ起ツテ来マスル。焚出シヲシマスルニハ、収容所ハ水ノ中ニ浸ツテ居ルノデ交通ガ自由デナイ。之ガ為メニ一番必要デアルノハ船デアリマス。此船ヲ集メマスルノガ、一番困難デアツテ、何レモ同様ノ場合デアリマスカラ、区長ハ区長デ有ラム限リノ手段ヲ以テ集メマスル。警視庁・東京府及ヒ東京市ハ勿論、其他各個人モ船ヲ集メニ掛ルノデアリマシテ、船ハ各区カラ頻々トシテ徴収シテ参ルノデアルケレドモ、ドウシテモ需要ヲ充タスコトガ出来ヌ。之ガ為メニ非常ナ苦心ヲ致シタノデアリマス。差当リマシテ市ト致シテハ、先ツ近イ所ノ塵芥掃除船ノ有ラム限リヲ送リ、其他水難救済会ト交渉シ、或ハ個人ニ就キマシテ出来ルダケノ手配ヲ致シマシテ、各区ニソレソレノ船ヲ送ツタノデアリマス。
  ケレドモ此ノ如ク致シマシテ、尚ホ船ノ供給ハ充分デアリマセヌカラ、衛戍総督部ノ方ニ相談ヲ致シテ、衛戍総督部ノ方カラ工兵隊ヲ派遣シテ貰ヒタイト云フコトヲ請求イタシマシタ。所ガ直チニ快諾ヲシテ、サウシテ二中隊ノ工兵隊ト、五十隻ノ鉄骨船ヲ持タシメテ、サウシテ派遣ニナツタノデアリマス。ソレニ依リマシテ飲料水及ビ食料ヲ各収容所ニ配ルノミナラズ、飯ヤ水ニ困ツテ居ル人々ニモ配リ得ル所ノ手順ガ立ツタノデアリマス。又一面本所 ○市内。方面ノ罹災者ニ限リマセズ、浅草 ○市内。モ非常ニ増加イタシマシテ、浅草 ○市内。モ最極度ニハ、殆ド一万人ニ達シタノデアリマス。其外本所 ○市内。方面ハ十二日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。カラ十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ掛ケマシテ、最モ水嵩ガ多カツタノデアリマスカラ、此水勢ノ増シマスルト共ニ、本所 ○市内。方面ノ罹災者ハ、益々増加イタシマシテ、十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ハ概数一万七千ト云フコトノ報告ニ接シタノデアリマス。一面ニハ収容シ、一面ニハ食物ヲ供給セントスルノデアリマスケレドモ、何分増加ニ増加ヲ加ヘルノデアリマスカラ、誠ニ充分ニ行届カヌノデアル。ソレ故是モ亦輜重大隊ニ交渉ヲ致シマシテ、衛戍総督部ヲ経テ輜重大隊
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ノ出張ヲ求メタノデアリマスガ、是レ亦快諾ヲシテ、直チニ一万人分ノ焚出シヲ担任セラルヽコトニナリマシタ。ソレト同時ニ下谷・浅草・深川ノ三区○市内。ニ於キマシテ、三井同族会カラ焚出シヲ寄附サレタノデアリマス。区ノ焚出シト三菱ノ供給ノ米、是等ニ依リマシテ、先ヅ下谷・浅草・深川ノ三区 ○市内。ハ、食糧ヲ供給シ得ルノ途ガ稍ヤ具ツタノデアリマス。本所方面 ○市内。ハ前申ス所ノ輜重兵ノ指導ニ依リマシテ、十四日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ朝カラ輜重兵デ焚イテ呉レルコトニナリマシタ。ソレデアリマスカラ、本所 ○市内。ノ方面ハ、十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ午後位マデハ稍ヤ不充分デアリマシタガ、十四日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニナリマスレバ、本所 ○市内。方面モ食糧ハ充分ニナツタノデアリマス。其外、下谷・浅草・深川 ○市内。ノ方ハ、十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。カラ致シマシテ、三井ノ焚出シト、ソレカラ三菱ノ米ノ供給、ソレカラ区自身焚出シテ居ルノハ勿論デアリマス、是等ヲ合セマシテ、此三区ハ食糧モ稍ヤ充分ニ行渡ルコトニナツテ居ツタノテアリマス。尚ホ外ニモ寄贈品ガゴザイマシテ、十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ午後ニ至リマシテハ、食糧品ノ供給モ配附モ稍ヤ遺憾ナク行届クヤウニナツタノデアリマス。前ニ申落シマシタガ、此船ヲ以テ活動セラレタ所ノ工兵隊ハ、此収容所ニ於ケル所ノ人ニ食物ヲ配ルノミナラズ、此船ニ依リマシテ水ニ浸ツテ居ル所ノ人家ニモ、出来ルダケハ飲料水ト食料トヲ配ツテヤルト云フコトガ、請求シタ条件ノ一ツデアリマスカラ、是モ大変ニ勉強シテ居リマスルガ故ニ、此力ニ依リマシテ、便宜ガ甚ダ多イノデアリマス。食物供給ノコトハ此ノ如クシテ、殆ド行渡ツタノデアリマス。是ガ十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノコトデアリマス。十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ午後力ラ十四日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ至ツテ、此四区ノ全体ニ亘ツテ食料ハ余ル程ニナツタノデアリマスガ、唯之ニ従事スル所ノ区ノ吏員ガ、連日ノ働デ非常ニ困憊ヲ致シテ居リマスルガ故ニ、或ハ分配ニ遺憾ナキヲ保シ難イノデアリマスカラ、市及ビ此水害ニ関係ナキ所ノ区ノ吏員ヲ招集イタシマシテ、約五十名バカリヲ応援ニ出シタノデアリマス。其時偶々又横須賀 ○相模国。ノ海兵団カラモ、水兵一中隊ヲ海軍大臣ノ命令デアツタカラ、府 ○東京府。及ビ市 ○東京市。ニ向ツテ応援ニ送ルト云フコトノ通知ニ接シマシタ。サウシテ之ニ向ツテモ適当ノ任務ヲ与ヘテ呉レヨト云フコトデアリマシテ、是ハ府 ○東京府。ト相談ヲ致シマシテ、府 ○東京府。ノ方デハ百名ノ水兵ニ働イテ貰ウト云フコトニナリマシタカラ、五十名ヲ市 ○東京市。ノ為メニ働イテ貰フコトニ致シマシテ、此五十名ハ本所 ○市内。ト深川 ○市内。ニ於テ、目下尚ホ働イテ貰ツテ居ルノデアリマス。殊ニ此水兵ノ本所 ○市内。デ働カレテ居リマスル中ニ於キマシテ、国技館 ○市内本所区。ノ如キハ、御承知ノ通リ七千人収容シテ居ルノデアリマスカラ、食物ハ山ノヤウニ積マレテアリマシテモ、之ヲ各人ニ配当スルコトガ行届カヌ点モアルノデアリマス。又配付スル所ノ人間ハ角力取ナドガ来テ加勢シテ居リマスケレドモ、連日連夜デアリマスルガ故ニ、非常ニ疲レテ居ル為メニ、矢張リ不充分ナ点モアツ
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タ。之ニ向ツテモ、此水兵ガ加勢セラレタノデアリマスカラ、是ニ依ツテ又国技館 ○市内本所区。内ノ食物ノ配付モ、遺憾ナク行届クコトニナリマシタ。ソレカラ次イデ起ル所ノ問題ハ、衛生上ノ問題デアリマス。是レ亦一日モ棄テ置クコトノ出来ナイ急要ノ問題デアリマスガ、前申ス所ノ人命ノ救護、及ビ食物供給ノ方ハ、十四日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ至リマシテ、略ホ順序ガ付タト申シテモ宜シカラウト思ヒマスルガ故ニ、十五日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ至リマシテハ、衛生ノ設備ニ専ラ力ヲ注グコトニ致シマシタ。而シテ十五日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニハ市 ○東京市。及ビ各区ノ吏員ヲ集メマシテ、十五箇所ニ救護所ヲ設ケ、其一箇所ノ救護所ニハ、医師四名・看護手二名宛ヲ置キマシテ、疾病者ノ応急手当ヲスルコトニ致シマシタ。而モ尚ホ疾病者ノ数ハ日子ヲ経ルニ従ツテ益々増加スルノデアリマスカラ、此少数ノ救護所デハ間ニ合ハヌノデアリマス。ソレ故更ニ赤十字社カラ大規模ノ救護班ヲ出シテ貰フコトニ致シマシテ、其救護班ハ本日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月十七日。ヨリ働イテ居ルノデアリマス。而シテ其救護班ノ力ノ足リナイ所ハ、市ノ救護班ト協力シテ今猶働キツヽアルノデアリマスガ、本日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月十七日。ニ至リマシテ、更ニ又陸軍省カラ非常ナ大規模ノ救護班ヲ出サレタノデアリマス。是ハ、市カラ要求イタシタノデアリマセヌ。是ハ府 ○東京府。ノ方カラ小松川 ○武蔵国南葛飾郡。方面ノ衛生上ノ手当ガ不行届デアルト云フノデ、小松川 ○武蔵国南葛飾郡。方面ニ出シテ貰フ為メ府 ○東京府。カラ要求イタシタノデアリマス。所ガ其要求ノ手続ニ何カ行違ヒガアツタト云フコトデアリマス。其結果ト致シマシテ小松川 ○武蔵国南葛飾郡。方面ニ於ケルダケノ衛生隊デナクテ、市 ○東京市。及ビ郡部ニマデ手ノ及ブ所ノ、非常ナル大規模ノ衛生隊ヲ組織シテ派遣サレタノデアリマス。其衛生隊ガ、今日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月十七日。ハ午後カラ各区ニ救護所ヲ設ケテ衛生事務ニ当ツテ居リマス。是ニ依リマシテ、今日デハ救護及ビ食糧ノ供給、衛生ニ付キマシテテ、私共ガ必要ト認メマシタ事ダケハ先ツ一通リ整ヒマシテ、今日デハ各収容所モ、衛生ノ方面ニ至リマスルマデ殆ンド遺憾ナク行届イタ積リデアリマス。ソレカラ尚ホ御報告ニ附加ヘテ置キマスルノハ、此水害ガ始マリマシテカラ十三日及ビ十四日・十五日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。此三日ニ於キマシテ、陸軍大臣若クハ師団長・衛戍総督・憲兵司令官、是等ノ人ガ、各々其副官ヲ市役所ニ差遣セラレテ、懇篤ナル見舞ヲ申述ベラレ、併セテ若シ軍隊ニ於テ援助スベキ道ガアルナラバ何事モ援助スルデアラウカラ、遠慮ナク申出ラレタイ、斯ウ云フコトノ伝言ガアリマシタ。是ハ誠ニ陸軍ノ好意感謝スベキコトデアルガ故ニ、是モ併セテ御報告イタシテ置キマス。尚ホ最後ニ申上ゲテ置キタイノハ、昨今新聞ニ依リマスルト、誤解ガアリハセヌカト思フコトガアリマス。ソレハ十五日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ノ正午少シ以前テアリマシタ、東京府カラ事務官ガ参ラレテ、陸軍省ノ糧秣廠カラ糒五十石、ソレカラ鑵詰ヲ二十四箱、市 ○東京市。ノ方ニ分ツテ宜シイガ、市 ○東京市。ノ方デ入用ハナイカト云フコトデアリマシタ。勿論、此場合デアリマスルカ
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ラ、不用ナ訳ハアリマセヌノデ、ソレハ御貰ヒ致サウト云フコトデ貰ツタノデアリマス。併ナガラ此貰ヒマシタ意味ハ、前申上ゲマスル通リ、十三日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。及ビ十四日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ掛ケマシテ以来ハ、食糧ガ最早潤沢ヲ致シマシテ、寧ロ余ルト云フ程デアリマス。中ニハ大分棄テタ所モアル。斯様ナ状態デアリマスカラ、此十五日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。ニ至リマシテ、糒デ直チニ被害民ニ配リマスル必要モナイノデアリマスカラ、是ハ貰ツテ置キマシテ、サウシテ、此水害モ昨今ノ天候イツ水ガ引クカ分ラズ、又其中ニ米ノ供給ノ不足スル場合ニハ、之ヲ以テ補充スルコトモ便宜デアラウ、又罹災民トシテモ米ノ供給ノ充分ナル場合ニ於テ、糒ヲ食ヘルヨリモ当リ前ノ米ヲ食ツタ方ガ宜シカラウト考ヘマシタカラ、是ハ予備ニ取リテ置ク積リデ府カラ貰ヒ受ケタノデアリマス。中ニハ之ヲ直@ニ区ニ送ラナカツタノハ、非常ニ不親切デアツタヤウニ伝ヘラレテ居ツタノデアリマスガ、前申スヤウニ各区ニ於ケル所ノ収容所ニハ、既ニ食糧ハ潤沢イタシテ居ル際デアリマスカラ、決シテ之ヲ急イデ区ニ分配スル必要ハ無カツタノデアリマス。又是ハ区ニ分ツベキ条件附デ呉レタノデナク、市 ○東京市。ニ用ガナイカト云フコトデアルカラ受取ツテ、市 ○東京市。ハ必要ガアルト認メヒバ分配スレバ宜シイノデアリマスカラ市 ○東京市。ハ之ヲ適当ノ場合ニ分配スル考デ受取ツテ置イタノデアリマス。此間ニハ何カ間違ヒガアルヤウナ、或ハ世間ニ誤解ガアルヤウデアリマスカラ、是モ併セテ御報告ヲ致シテ置キマス。又勿論是ハサウ云フ意味デ受取ツタノデアリマスルガ、世間ノ誤解ニ対シ、彼是レ弁解シテ之ヲ留メ置ク必要モアリマセン、結局各区ニ分配スル品物デアリマスカラ、之ヲ適当ニ区ニハ分配シマシタ。分ケマシタケレドモ、各区ニ於テモ食糧ハ現下充分デアリマスカラ、矢張リ各区デハ、貰ヒマシタ儘、区役所ニ積ミ重ネテアルノデアリマス。
(二) 救護 左ニ一・二ヲ挙ケテ、類推ニ便ス。
○中略
  救恤金品寄贈 皇族及外国皇室、邦人並ニ在外邦人、外国人等ヨリ、罹災者救恤ノ為メ金品ヲ寄贈シタル者甚タ多シ。内市役所ノ直接ニ収受シタル者、三井同族会ノ下谷・浅草・本所三区 ○市内。ニ於ケル炊出シ、男爵岩崎久弥ノ白米一千俵寄贈ヲ始トシ其額亦少カラス。市役所ニ於テハ被害ノ大小、生活ノ程度等ヲ調査シ、之ヲ各罹災者ニ配与シタリ。精シキハ救済史ニ記スヲ以テ、玆ニハ単ニ九月十九日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。調査ノ寄附金品調、九月七日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。調査寄贈物品一覧表ヲ挙ケテ一斑ヲ推スルニ便ス。
    寄附金品(九月十九日調)

図表を画像で表示寄附金品(九月十九日調)

 取扱所         金額       摘要 市役所         七九、六四七円  本市カ直接ニ受付シタル金品其大部分ヲ占メ東京府各区及新聞社等ヲ介シテ受付シタルモノ及将来ノ見込額ヲ包含ス。  以下p.243 ページ画像  各被害区       一七〇、三一七   区自ラ受付シタル金品、府市及区役所新聞社等ヲ経テ受ケタルモノ。 東京府         九六、七〇四   取扱金額一六一、一七四円ノ本市配付額ヲ六分ト看做セルモノナリ。 各宮家及外国ヨリ寄贈  三四、二〇〇   東京府ヘ配付額五万七千円ノ内六分ト見積リ計上セリ。 各新聞社       一〇八、三九九   各社ヨリ直接ニ罹災民ニ配付シタル物品ノ価格、及其費用ニシテ国民・やまとノ二社ハ未タ其詳額ヲ知リ難キモ、概算五三、二九七円ヲ計上セリ。 臨時水害救済会     一一、八三〇   総額二三六、六〇〇円ハ、一府十八県ニ分配スヘキモノナルカ故ニ、其二十分ノ一ヲ本市ノ分トシテ計上セリ。 水災善後会       八三、八九三 特殊小学校後援会     二、六七二 三井家          三、〇〇〇   浅草伝法院其他ニ於ケル炊出総価格。 其他ノ特志者       一、八〇八   魚河岸事務所・葭町芸妓組合・浅草馬道権田屋等ガ、炊出ヲ給シタル費用ナリ。 計          五九二、四七〇 




                        ――洪水損害価格調
○中略
 (六) 善後衛生措置 浸水地域ノ清潔法施行ニ関シ、八月十二日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。東京府知事・警視総監ヨリ告諭有リ、市役所ハ之ニ基キテ、同 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。十八日麹町・日本橋・麻布・赤坂・四谷牛込・小石川・本郷各区 ○市内。長ニ対シ左ノ訓令ヲ発ス。
  東京市訓令乙第一八〇号
  其区ヨリ今回報告ニ係ル浸水家屋ニ対シテハ、左記 ○略予算範囲内ノ費用ヲ以テ、最モ急速ニ清潔方法施行方取計フベシ。
                     ――東京市水害誌
 而シテ水害激甚ナル下谷・浅草・本所・深川ノ四区 ○市内。長ニ対シテハ、同 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。廿日、神田・芝両区 ○市内。長ニ対シテハ、同 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)八月。廿四日ヲ以テ、左ノ施行心得ヲ添付発布ス。
     清潔方法施行心得
  一、清潔方法施行標準ハ、警視総監・東京府知事ヨリ一般ニ告諭スル処アリタルヲ以テ、之ニ拠リ所轄警察官署ト協議シ、敏速且完全ニ施行スヘキコト。
  二、邸地及屋内ノ掃除、又ハ器具物件ノ日光消毒等ハ、街路ニ漂着セル塵芥廃棄物ヲ除去シタル後施行セシムルコト。
  三、溝渠浚渫ハ邸地及屋内ノ掃除等終了シタル日ノ翌日着手、施行期間内ニ完成スヘキコト。
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  四、左ニ掲クル事項ハ、全部市費ヲ以テ施行スヘキコト。
  (イ) 井戸及溝渠浚渫。
  (ロ) 街路ニ漂着セル塵芥及廃棄物ノ処分。
  (ハ) 其他施行義務者ニ於テ施為シ得スト認ムル事項。
  五、 汚物及廃棄物処分ハ、掃除請負業者ヲ督励シテ、可成当日中ニ便宜焼却、又ハ其他ノ方法ヲ以テ処置セシムルコト。
  六、容器内ノ塵芥ハ遺漏ナク搬出スヘキコト。
  七、汚物ノ取片附、其他必要人夫等ハ掃除請負業者ヨリ供給セシムルコト、但井戸浚ハ当業者ニ命ズベキコト。
  八、施行期間ハ前以テ報告シ、終了後ハ其成績及精算書ヲ速ニ提出スヘキコト。                          ――東京市水害誌
 即チ八月廿二日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。施行ニ著手シ、九月廿八日 ○明治四十三年(紀元二五七〇年)。之ヲ完了ス。而シテ其実施ニ際シ、東京水災善後会贈ル所ノ金額ヲ以テ消毒薬ヲ施与シ、特ニ掃除隊ヲ編成シテ事ニ当ル。詳シキハ衛生史ヲ参照シテ可也。
  〔参考一〕 警視庁東京府公報ニ、
     警視庁東京府告諭号外
  本年初夏ノ頃ヨリ天候不順ニシテ降雨多ク、河川溝渠等ニ沿ヒタル地域其ノ他ノ低地ニ於テハ、屡浸水ノ厄ヲ被リタリシカ、今又稀有ノ出水ニ会シ、其ノ害ヲ受ケタル家屋実ニ数万ニ上レリ。而シテ其浸水地ニ於テハ、純良ナル飲料水・食用品ヲ得ルニ途ナク已ムヲ得ズシテ不良飲食物ヲ摂取スル者甚タ多シ。加之屎尿其ノ他ノ汚水ハ、濁水ニ混シテ数日床上ニ漂ヒ、或ハ飲用井戸ニ竄入スル等、不衛生ノ状態殆ト名状スヘカラス。此ノ如キ状況ハ、一トシテ伝染病ノ伝播及誘発ノ因タラサルナク、随テ現ニ流行シツツアル腸窒扶私・赤痢ノ如キヲシテ益蔓延セシムルノ虞アルノミナラス、其ノ他尚種々ノ疾病ヲ誘発スルノ憂アルヲ以テ、此際各自専心自衛ニ努メ、食品及飲料水等ヲ精選スルハ勿論、仮令雑用ト雖、食品及飲食用器具等ノ洗滌ニ使用スルモノハ水道水ヲ用ヰ之ヲ得難キ土地ニ在リテハ、完全ナル濾過水又ハ煮沸水ヲ用フルコトニ注意シ、且当該吏員指示ノ下ニ左ノ標準ニ従ヒ、清潔方法ヲ施行スル等、浸水後ニ処スル衛生上ノ措置ヲ愆フサル様特ニ注意スヘシ。
   一、床下ハ汚物及泥土ヲ除去シ、成ルヘク乾砂ヲ撒布シ、床板ノ浸水シタル部分ハ之ヲ取外シ、清水ヲ以テ洗滌シタル上、乾燥セシムルコト。
   二、柱・敷居・板椽等ノ浸水シタル部分ハ、清水ヲ以テ洗滌シタル上、乾燥セシムルコト。
   三、雨戸・襖・障子等ノ建具ハ悉ク取外シ、乾燥セシメ、室内ハ日光ノ射入及空気ノ流通ヲ良クシ乾燥セシムルコト、又場合ニ依テハ焚火・火鉢ノ火力ヲ藉ルヘシ。
   四、衣類・寝具・畳・其ノ他湿気ヲ帯ヒタル物品ハ、充分日光ニ曝シ、乾燥セシムルコト。
   五、箪笥・長持・戸棚・其ノ他ノ什器ハ、一旦屋外ニ搬出シ、
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屋内ノ乾燥スルヲ待テ旧位置ニ復スルコト。
   六、浸水シタル便壷ハ一旦汲ミ干シ、圊房及便壷ノ周辺ヲ丁寧ニ洗滌スルコト。
   七、浸水井戸ハ数回浚渫スヘシ、但シ井水ハ臭味ヲ去ルニ至ルモ、可成当分使用セサルヲ可トス、若已ムヲ得サル場合ハ煮沸又ハ濾過シテ使用スルコト。
   八、邸内ノ残留汚水ハ速ニ疏通セシメ、沈澱シタル汚泥ヲ除去スルコト。
   九、塵芥其ノ他廃棄物ハ速ニ取集メ、焼却又ハ指定ノ場所ニ移スコト。
   十、現ニ伝染病発生ノ地域ニ於テハ前各号ニ依ル外、尚当該吏員ノ指示ニ従ヒ、井戸其ノ他ニ消毒方法ヲ行フコト。
   十一、其ノ他施行上ニ関シテハ、当該吏員ノ指示ニ従フコト。
    明治四十三年(○紀元二五七〇年)八月十二日
                警視総監  亀井英三郎
                東京府知事 阿部浩
○下略