デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
5節 災害救恤
2款 臨時水害救済会
■綱文

第31巻 p.251-265(DK310047k) ページ画像

明治43年9月5日(1910年)

是日栄一、当会副総裁トシテ東京ヲ発シ、大阪・神戸・京都及ビ名古屋ニ赴キ、当会ノ寄附金募集ニ勉メ、十一日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK310047k-0001)
第31巻 p.251-253 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年     (渋沢子爵家所蔵)
九月二日 晴 暑
○上略 銀行集会所ニ抵リテ午飧シ、後水害寄附金ノ事ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
九月五日 晴 暑
午前六時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後旅装ヲ理シ来人ニ接ス、午前八時十分新橋発ノ汽車ニ搭シテ大阪ニ向テ発程ス、水害救済会ノ為ニ寄附金募集ノ要務ヲ以テナリ、松方総裁・長谷場副総裁及会員諸氏来リテ行ヲ送ル、急行列車途中滞ル事ナク西京停車場ニテ中川氏来リ迎フ、夜八時半大阪着、西園寺支店長・熊谷辰太郎・岩下清周・土居・山辺其他十数名来リ迎フ、伝法屋ニ投宿ス、岡崎氏・西園寺氏等来会シテ当地勧募ニ関スル手続ヲ協議ス、夜十一時就寝ス
九月六日 半晴 暑
午前八時起床、数多ノ来人アリ、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後西園寺氏ト共ニ高崎知事・植村市長、其他当地ニ於ル重立タル銀行諸会社ヲ訪問ス、又朝日・毎日等ノ新聞社ヲ訪問ス、十一時過第一銀行支店ニ抵リテ、東京・名古屋等ヘノ書状ヲ発ス、十二時銀行集会所ニ抵リテ午飧ス、畢テ再ヒ銀行ニ抵リテ書状ヲ裁ス、午後四時ヨリ銀行集会所ニ於テ寄附金勧募ノ会ヲ開ク、来会者五・六十人計リ、演説畢リ@灘万楼ニ抵リ、土居通夫氏ヨリノ招宴ニ出席ス、来会者十二名許リナリ、宴畢テ夜十時過伝法屋ニ帰宿ス
九月七日 曇夕雷雨 暑
 - 第31巻 p.252 -ページ画像 
午前七時半起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、朝来高崎知事其他大坂人士多ク来訪ス、西園寺氏等ト寄附金勧募ノ事ヲ協議シ、午飧後一時発ノ汽車ニテ神戸ニ抵ル、大阪ノ諸士来リテ送別ス、二時神戸ニ着ス、岸崎昌氏来リ迎フ、先ツ第一銀行支店ニ抵リ、夫ヨリ岸崎・岡崎氏ト共ニ服部知事ヲ訪ヒ、更ニ市長ノ家ヲ訪ヒ、湊川ニ抵リ、川崎・松方二氏ヲ訪フ、又市役所ニテ鹿島市長ト寄附金勧募ノ事ヲ談ス、四時過商業会議所ニ抵リ、此日来会セル神戸人ニ水害救済会寄附金勧募ノ次第ヲ演説ス、畢テ知事ヨリ尚ホ助力ヲ請フ旨ヲ述ヘラレ、午後六時半ヨリ兵庫常盤花壇ニテ松方氏ヨリ招宴アリ、此夜雨強ク、神戸近傍川々水増シテ氾濫ノ警報アリタリ、此夜常盤花壇ニ止宿ス
九月八日 曇夕雨 暑
午前六時起床、昨夜ヨリ少シク風邪気アルニヨリ入浴ヲ廃シ、七時朝飧ヲ食ス、岸崎氏来ル、岡崎藤吉氏来訪ス、七時四十分神戸発ノ汽車ニ搭ス、停車場ニ送別ノ人多ク来会ス、大阪ニ抵リ、川島・松井・山口ノ諸氏来リ迎フ、九時半西京ニ達ス、中井三郎兵衛・中川知一・大野助役其他数人来リ迎フ、中井氏ノ案内ニテ東山ヲ跋渉ス、先ツ長楽寺ヨリ将軍墳・大日堂、又ハ大坂平・稚児ケ淵・清水寺等ヲ巡覧ス、此日午前稍晴レテ山上ノ眺望佳絶ナリ、午後一時玉川楼ニ着ス、午飧後田中源太郎・奥繁三郎・岡崎邦輔氏等前後来訪セラル、大阪ヨリ西園寺氏来ル、皆水害救済ノ寄附金勧募ノ事ニ係ル、夜ニ入リテ来客悉ク散ス
九月九日 雨 冷
午前七時起床、日記ヲ編成ス、八時朝飧ヲ食シ来人ニ接ス、午前十時岡崎氏・中川氏等ト共ニ西本願寺ニ抵リ、水害救済会寄附金ノ事ヲ依頼ス、門主ノ連枝迎テ接待ス、後東本願寺ニ抵リテ同シク依頼ヲ為ス阿部慧水氏面接ス、東西共ニ木村代議士紹介ノ労ヲ取レリ、畢テ田中源太郎・内貴甚三郎二氏ヲ訪ヒ、更ニ京都市役所ニテ市長ニ面会シ、午後集会ノ手続ヲ談ス、午後一時旅宿ニテ午飧ス、午後五時再ヒ市役所ニ抵リ、寄附金勧募ノ事ニ付テ来会ノ諸氏ニ演説ヲ為ス、畢テ委員等ト向後取扱ノ手続ヲ協議シ、六時旅宿ニ帰リテ夜飧ス、中井三郎兵衛・中川知一氏等来話ス
九月十日 晴 暑
午前六時起床、風邪気ニテ入浴ヲ廃ス、朝来中川・井上・岡崎氏等ノ訪問ヲ受ク、八時旅装ヲ理シ藤田伝三郎氏ノ別荘ヲ訪ヘ、寄附金ノ事ヲ依頼ス、午前九時二十分京都発ノ汽車ニテ名古屋ニ赴ク、停車場ニ送別スル者頗ル多シ、午後一時頃名古屋着、下車シテ旅宿丸文ニ抵ル停車場ニ来リ迎フ者多シ、直ニ午飧ヲ食シ、来人ニ接シ、後名古屋市長・県知事・伊藤・岡谷・神野ノ諸氏ヲ訪問ス、午後三時旅宿ニテ大阪・神戸支店長ヘ書状ヲ送ル、五時名古屋銀行集会所ニ抵リ夜飧ス、組合銀行ヨリノ再三請求アルニヨレルナリ、食後一時ノ経済演説ヲ為ス、六時半当地商業会議所ニ開カレタル寄附金勧募ノ会合ニ出席シ、一場ノ勧誘演説ヲ為シ、畢テ別席ニ委員会ヲ開キ将来ノ手続ヲ協議ス十時帰宿、奥田氏来話ス、十二時就寝ス
九月十一日 晴 暑
 - 第31巻 p.253 -ページ画像 
午前六時起床、風邪気ニテ入浴スルヲ得ス、直ニ朝飧ヲ食ス、七時西条・伊藤・井上氏来ル、七時半名古屋発ノ汽車ニ搭シテ出発ス、停車場ニ送別スル人多シ、車中他人ナクシテ頗ル読書ニ便ナリ、終日新聞紙又ハ紀料等ヲ覧閲ス、十二時過、静岡ニテ午飧シ、午後六時新橋着停車場ニハ松方侯爵・長谷場議長及救済会ノ諸氏、其他親戚故旧多ク来リ迎フ、武・正・秀ノ三児ト共ニ自働車ニテ王子ニ帰宿ス、夜食後来書ヲ一覧シ又ハ種々ノ書類ヲ撿点ス
九月十二日 曇 冷
○上略 午後二時衆議院図書室ニ抵リ、水害救済会ニ出席シテ、大阪・神戸・京都・名古屋ノ地方巡回勧誘ノ情況ヲ陳ス、松方総裁・長谷場副総裁、其他会同ス ○下略
   ○中略。
九月十七日 曇 冷
○上略
戸田宇八氏来リ、救済会寄附金ノ事ヲ談シ ○下略
   ○中略。
九月十九日 晴 冷
○上略 衆議院図書室ニ抵リ、救済会委員会ニ出席ス ○下略
九月二十日 曇 冷
○上略 水害救済会ニ関シ、大阪其他ニ書状ヲ発ス、西園寺大阪・岸崎神戸・中川京都・西条名古屋、及各地知事・市長及有力者数名ヘ詳細ニ発状セリ
   ○中略。
九月二十四日 晴 冷
○上略
夜救済会ノ事ニ関シテ、大阪派出ノ事務員管野久氏ニ添書ヲ交付シ、出張ノ事務ニ付種々ノ訓示ヲ為ス


(八十島親徳) 日録 明治四三年(DK310047k-0002)
第31巻 p.253 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四三年   (八十島親義氏所蔵)
九月五日 晴 強南風
渋沢男爵ハ今朝八時十分発ノ汽車ニテ大坂ニ被赴ニ付、新橋ニ至リ見送ヲ為ス、臨時水害救済会副総裁トシテ大坂・神戸・京都・名古屋ノ各地ニ於テ寄付金ノ勧誘ヲ為サルヽ為也、実ニ身体強健、元気ノ旺盛ナル、予ノ知ル限リ現代無比、寧可驚也 ○下略
九月十日《(十一日)》 曇 日曜
○上略 渋沢男爵去五日以来水害救済会遊説ノ為、関西地方旅行中ノ処、今夕五時四十五分新橋ヘ帰着セラル ○下略


竜門雑誌 第二六八号・第五〇―五二頁〔第五〇―五一頁〕 明治四三年九月 ○臨時水害救済会(DK310047k-0003)
第31巻 p.253-254 ページ画像

竜門雑誌  第二六八号・第五〇―五二頁 明治四三年九月
    ○臨時水害救済会
○上略
△副会長 ○臨時水害救済会たる青淵先生は、九月二日午後四時より銀行集会所に市内の重立ちたる紳士紳商を招き、水災救済について懇談する所あり、先生は先般洪水の際は折柄信州地方旅行中にて、親しく水災
 - 第31巻 p.254 -ページ画像 
の実状を目撃したることゝて、其の惨憺たる光景につき詳細に述べたる後、救済会の事業に移り、東京市の発起に係る救済会を今回本会に合併したるについては、更に大阪市の救済会とも共同し、進んで大に範囲を拡張し、此稀有の水災を救済したしとの希望を諄々として述ぶる所あり、満場直に此議に賛し、終に高崎知事・植村市長並に大阪朝日・大阪新報・大阪毎日の発起に係る水災救済会に、会長松方正義伯・副会長渋沢栄一男等の名をも加へ、此に二者相合して更に大に義捐金を募集し、救済事業に尽すことに決したる結果、青淵先生は其勧誘を為さん為め、関西地方に赴くことゝなり、九月五日午前八時半新橋発《(マヽ)》の汽車にて大阪に向け出発せらる


竜門雑誌 〔第二六八号・第五一―五二頁 明治四三年九月 ○関西における青淵先生の消息〕(DK310047k-0004)
第31巻 p.254-255 ページ画像

    ○関西に於ける青淵先生の消息
別項記載の如く、臨時水害救済会の要務を帯びて、大阪・神戸・京都名古屋に赴かれたる青淵先生の動静に関し、同地方各新聞の報道する所を摘載すれば、概略左の如し
△九月六日 水害救済会の用務を帯びて来阪せる渋沢男は、岡崎邦輔氏と共に、六日午後四時より高崎知事・植村市長、其他市内の有力者約五十名を銀行集会所に招き、東京府下及び各県下における今回の水害の実況を述べ、これが救済方法について、種々縷述する処あり、当市にては既に知事・市長・朝日・毎日及び本社の発起に係る義捐金募集団体ありて着々募集中なるが、この際これを水害救済会と合併し、新に松方侯・渋沢男・長谷場純孝氏等同会幹部の三氏の氏名を加へて一層募集に尽すべきことゝなりて散会したるが、八日更に府庁において委員会を開催し、募集方法について凝議する筈
                       (大阪新報)
 越えて八日午前十時高崎府知事・植村市長は、府庁に市内の重なる銀行・会社重役・実業家及び各新聞社長等を招き、水害救済義金募集に関し協議したるが、出席者は土居・小山・片岡・梶原・本山・上野・加藤・島村・西園寺・広海・阿部諸氏等、三十余名にして、協議の結果左の如く決定せり
  一、目下大阪に於て義捐金募集中なる知事・市長及び大阪朝日・大阪新報・大阪毎日三新聞社の団体に、臨時水害救済会総裁松方侯、副総裁長谷場・渋沢両氏及び専任委員十名を発起人として加ふること
  二、義捐金勧誘書を各方面に発送すること
  三、義捐金は従来府庁にて取扱ひたるも、尚府庁の外市内十銀行本支店においても取扱ふこと(大阪朝日)
△九月七日 渋沢男は七日午前神戸に赴き、午後四時より神戸商業会議所に同市内の有力者を招待し、関東水害地義捐金募集に就いて懇談するところありたり(大阪毎日)
 ○水害中の水害講話 七日午後五時半より神戸商業会議所に於て渋沢男爵の関東水害義捐勧誘講話会開かる、男爵は関東に於ける天明(百二十六年前)以後の大洪水惨況を詳述して壇を下るや、服部知事代りて登壇し、委員増加と委員会開会の議に就き、松方幸次郎氏
 - 第31巻 p.255 -ページ画像 
等と協議し、六時半閉会せり、此の日不思議にも講話の最中満天墨を流すが如く、猛雨沛然として到り、会場の広庭は水深六・七寸に及び、階下立食の饗応中降雨最も烈しかりき、斯て男爵は雨を衝き同夜の歓迎会場たる兵庫常磐花壇に向ひ、男は能く能く水に縁ある人よと呼はれたり(大阪朝日)
△九月八日 渋沢男入洛(京都八日発) 渋沢男今朝来京、木屋町玉川楼に投宿、明日午後三時より京都議事堂に市内重なる者一千余名を会し、水害救済に関する説明をなす筈(大阪毎日)
△九月十日の渋沢男(名古屋) 渋沢男は臨時関東水災救済会の用務を帯び、十日正午名古屋に来着、丸文旅館に投宿、同午後六時三十分より商業会議所に於いて市内の紳士紳商四百余名を招き、水害救済に関する懇談を為す筈にて、代議士細野次郎氏先発として九日来着せり、因に水災救済会の事業は主として関東地方水害救済の目的なりしも、其後に於て発生したる岐阜県初め関西地方水害に就ても同様救護する筈にて、目下之が調査中なりと(大阪朝日)


渋沢栄一書翰 中川知一宛 (明治四三年)八月三一日(DK310047k-0005)
第31巻 p.255-256 ページ画像

渋沢栄一書翰  中川知一宛 (明治四三年)八月三一日   (中川欽作氏所蔵)
益御清適奉賀候、然者当地之新聞紙ニて御一覧も可被成歟今般之水災救恤之為貴衆両院之人々と実業家と打交り、水害救済会と申一団体組織せられ、貴地・大坂・神戸・名古屋等之有力家多き地方ヘハ、寄附金之勧募も致候筈ニて、近日老生本会之代表者として、先つ大坂に罷越し、引続き貴地へも参上いたし、平生御懇親相願居候田中・内貴・西村之諸君ニ相願ヘ、京都府下ニ於る資産家ニ就て応分之御寄附相願可申と存候間、貴兄ニ於て前以右三君ニ御願被下、何とか御助力被下候様御取扱被下度候
有力者一般ニ対する勧進方法ハ如何いたし候而可然哉、其手段ニ付而ハ御注文も申上兼候得共、所謂非常之事ニ付、特別之御高配相願度と切ニ翹望仕候義ニ御座候
老生ハ九月五日ニ大坂着、其模様ニより翌日神戸、其翌々日貴地と順序ニ参上仕度と存候得共、もしも一両日之遅引ハ各地之事務取運方之模様ニよりて有之候歟とも存候、但し本会委員之一人岡崎邦輔と申衆議院議員、老生より先ニ大坂ヘ罷越、引続き貴方へも参上いたし、老生罷出候際夫々之手続相立候筈ニ有之候間、岡崎氏ハ貴地着之上ハ貴兄ニも面会可相望ニ付、百事御聞合之上御相談可被下候、右之段一書可得貴意如此御座候 匆々拝具
  八月三十一日
                      渋沢栄一
    中川知一様
           梧下
  尚々田中・内貴・西村之三君及もし御逢之都合も有之候ハヽ、知事・市長等之各位ヘ宜敷御伝声願上候、知事と市長とヘハ特ニ松方侯爵総裁ニ御立被下候間、同侯爵より書通有之候義ニ御坐候、為念申上候也

 - 第31巻 p.256 -ページ画像 
「都市烏丸通リ三条角一銀行支店」
            「東京兜町」
    中川知一様     渋沢栄一
          親展要件


渋沢栄一書翰 西条峰三郎宛 (明治四三年)八月三一日(DK310047k-0006)
第31巻 p.256 ページ画像

渋沢栄一書翰  西条峰三郎宛 (明治四三年)八月三一日  (西条峰三郎氏所蔵)
○上略 当地新聞紙ニて御聞知之如く、東京府下及各近県之大洪水ニて非常之水害地方相生し、其救済方法ニ付而も種々施設有之候得共、貴衆両院議員と実業家との共同ニて成立致候水害救済会ハ、可成多額之寄附金を得て有効ニ罹災地方之救済方法相講し度と、頻ニ勧財罷在、近日大坂・西京・神戸及貴地へも勧募之為代表者派出と申事ニ相成、老生其代表者と指定せられ候ニ付、来月五日頃出立、先つ大阪ニ罷越、夫より帰途貴地へも罷出候積ニ御座候、右ニ付而ハ松方総裁より県知事・市長及奥田・神野・伊藤・岡谷等之諸氏へも書通之筈ニ有之、又其中手筈打合之為め委員岡崎邦輔氏先発、貴方へ罷出候都合ニ候間、前以右等之人々ニも御相談被下、何卒充分之寄附金出来候様御高配可被下候、尚明日ニも奥田・上遠野又ハ伊藤・斎藤之諸氏へも一書差出可申と存候得共、貴兄よりも宜敷御伝声可被下候、右取込中一書可得貴意匆々如此御座候 不宣
  八月三十一日              渋沢栄一
    西条峰三郎様
           梧下
「名古屋市伝馬町第一銀行支店」
            「東京日本橋区」
    西条峰三郎様    渋沢栄一
          親展
八月三十一日


渋沢栄一書翰 西条峰三郎宛 (明治四三年)九月六日(DK310047k-0007)
第31巻 p.256-257 ページ画像

渋沢栄一書翰  西条峰三郎宛 (明治四三年)九月六日   (西条峰三郎氏所蔵)
拝啓、然者此程申上候如く水害救済之為昨日大坂ニ罷越、今日午後四時より地方之人ニ会同之筈ニ候、明日ハ神戸ニ参り同様会同を請ひ、寄附金依頼之演説を為し、九日ニハ西京ニて同しく会合を催し、十日ニ貴地ヘ立越候都合ニ御座候、就而ハ貴方之会同ハ是非十日午後ニ相願、夫ニて此度之用向相済し、十一日帰京仕度と存候、尤も同行者岡崎邦輔氏老生ニ先し貴方ヘ罷越可申とハ存候得共、会同之場合案内すヘき人名、其外奥田・上遠野又ハ県知事・市長之諸君と御打合被下、前以夫々御取運被成下度候、詰り一日之演説のミニて寄附金悉く決定ハ仕間敷ニ付、其後之取扱方も手筈相立御願申上度候得共、特ニ懇願するハ地方之有力者、即伊藤・岡谷等之諸君又ハ有力之銀行・諸会社ニ於て奮発無之ニ於てハ金高相纏り申間敷ニ付、其辺之勧誘ハ老生到着之上余り立入り相願候も如何ニ付、前以知事とか市長とか、奥田君
 - 第31巻 p.257 -ページ画像 
抔ニ於て御心配相成候様、企望之至ニ御座候、右等も御含之上或ハ貴兄より屹度なく御申述被成候も可然歟と存候、右各地会同之摸様御知らせ申度、及貴地之御手配相願候旁、匆々一書得貴意候 不宣
  九月六日
                      渋沢栄一
    西条峰三郎様
           至急
「名古屋市伝馬町第一銀行支店内」
    西条峰三郎様    渋沢栄一
          至急親展
九月六日


渋沢栄一書翰 西条峰三郎宛 (明治四三年)九月七日(DK310047k-0008)
第31巻 p.257 ページ画像

渋沢栄一書翰  西条峰三郎宛 (明治四三年)九月七日   (西条峰三郎氏所蔵)
拝啓、然者水害救済会ニ於て名古屋地方寄附金勧募之事ハ、来ル十日午後ニ貴地適当之場処ニ於て開会相成候様、斡旋方之義を今日書状ニて貴地奥田・鈴木両氏ヘも詳細ニ申通候得共、只今西園寺氏より承及候処ニてハ、貴店ニハ目下代理人無之、貴兄右等之用向ニ御奔走被下候ニも、所謂一人一役ニて手廻り兼候趣ニ付、一時之便宜を謀り伊藤与七氏ニ申談し、右等貴兄之補助として今日貴地ヘ出張為致候間、当地取扱之手筈等も同氏ヘ申含候ニ付御聞取被下、早速奥田・鈴木・上遠野又ハ伊藤・岡谷之諸氏ニ御頼談被成、一方ニハ県知事・市長ヘも既ニ本会より松方総裁、又ハ桂総理ニも私状ニて御誘導被下候筈ニ有之、旁以一般応募者と可相成向ヘ案内状発送之手続等、前陳諸氏ニ於て取極り候ハヽ、早々発状之取計、其他之俗事ハ貴兄等委員ニて心配相成度義ニ御座候、尚委細伊藤氏ニ打合候ニ付、御聞合之上可然御取計可被下候、いつれ十日ニハ無相違貴地ヘ罷出、御面話可致と存候、右申上度匆々如此御座候 不宣
  九月七日
                      渋沢栄一
    西条峰三郎様
           至急
西条峰三郎様    渋沢栄一
               親展
九月七日

 - 第31巻 p.258 -ページ画像 

渋沢栄一書翰 中川知一宛(明治四三年)九月二〇日(DK310047k-0009)
第31巻 p.258 ページ画像

渋沢栄一書翰  中川知一宛 (明治四三年)九月二〇日   (中川欽作氏所蔵)
益御清適抃賀之至ニ候、然者過日貴地ヘ罷出御心配相願候寄附金之事ニ付而ハ、兼而御承知之如く本月中ニて締切候筈ニも有之候旁、可成御取急き夫々取極候様被成下度候、就而尚西郷市長及田中・内貴両君ヘも一書差出候ニ付、早々御協議被下、両本願寺之分ハ是非市長ニ於て御引合被下度、又市内有力之向々ヘハ単ニ書通のミにてハ回答も延引可致ニ付、特ニ代理人ニても御遣しニて御催促も被成下度候、而して右等ニ付経費を要し候ハヽ、早々当方より附替差上候様可仕候、要するに前書三君抔之御考ニよりて如何様之取扱ニ相成候とも、可成丈多額之募金出来候様御工夫之程切ニ拝願仕候、東京之方も昨日まてニて概略弐拾三・四万円ニハ相成可申候も、尚折角勧誘中ニ御坐候、右ハ特ニ一人派出と申説も有之候得共、市長其他之諸君ニて格別ニ御心配被下候義を、更ニ彼是申上候も如何と差扣候義ニ御坐候、何卒今一段之御尽力偏ニ御頼申上候 匆々不備
  九月廿日
                      渋沢栄一
    中川知一様
           梧下


渋沢栄一書翰 西条峰三郎宛 (明治四三年)九月二〇日(DK310047k-0010)
第31巻 p.258 ページ画像

渋沢栄一書翰  西条峰三郎宛 (明治四三年)九月二〇日  (西条峰三郎氏所蔵)
拝啓、益御清適抃賀之至ニ候、過日ハ罷出色々御厄介ニ相成拝謝仕候其節相願救済会寄附金之事ニ付而ハ、引続き御心配被下忝存候、東京之方も帰京後尽力中ニ候得共、追々時日も切迫候ニ付、可成早く片付申度、就而貴地之分ハ加藤市長・奥田会頭等ヘ篤と御願申上、此処今一段之御骨折被成下度候、詰り有力之向ニハ更ニ会同之上出金額決定候歟、又ハ特ニ代人差出し精々催促いたし候等之事と存候、依而加藤市長ヘ一書相添候ニ付、早々御相談被下何とか御取運被下度候、右之段拝願如此御座候 不宣
  九月廿日
                      渋沢栄一
    西条峰三郎様
  尚々奥田・鈴木・上遠野氏等ヘも何卒御伝声被下、御助力相成候様懇祈之至ニ候
西条峰三郎様    渋沢栄一
               親展
九月廿日


渋沢栄一書翰 中川知一宛 (明治四三年)一〇月六日(DK310047k-0011)
第31巻 p.258-259 ページ画像

渋沢栄一書翰  中川知一宛 (明治四三年)一〇月六日   (中川欽作氏所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然者水害救済会寄附金勧募ニ付而ハ、引続き
 - 第31巻 p.259 -ページ画像 
御高配被下拝謝之至ニ候、右ニ付而ハ本部ニ於ても特ニ長谷場副総裁ニハ常ニ其局ニ当られ、日々事務担当致居候ニ付、別而貴方之御尽力を熟知し、呉々陳謝致候旨毎々被申聞候ニ付、玆ニ老生より態と申上候事ニ候、御領意可被下候
締切時日手心ニて少々延引之義、及両本願寺ヘハ今一応打入而頼入申度、又既ニ書通せし向ヘも有力之人ヘハ態と人を派して催促致度等之事ハ、既ニ先状ニ夫々申上置候、定而御取計と存候、而して期日ニ相成候上ハ、最早猶予せず集金等も御注意被下、集合せし金額を東京ヘ廻金之事ハ早々本部ヘ御問合被下度候、本部ニも会計専任者有之候ニ付、早々取扱向御答可申上と存候、右等大体ニ於てハ御了解之事と存候得共、為念一書申上候 匆々不宣
  十月六日
                      渋沢栄一
    中川知一様
           梧下
「京都市烏丸通第一銀行支店」
            「東京日本橋区」
    中川知一様     渋沢栄一
          親展


渋沢栄一書翰 西条峰三郎宛 (明治四三年)一〇月六日(DK310047k-0012)
第31巻 p.259 ページ画像

渋沢栄一書翰  西条峰三郎宛 (明治四三年)一〇月六日   (西条峰三郎氏所蔵)
拝読、益御清適奉賀候、然者救済会寄附金募集之義ニ付而ハ、其後引続き御尽力被下、万謝之至ニ候、貴方ハ大銀行抔も申訳的之出金ニて金額相進不申候由致方無之候、併右等ニ拘はらす先般来貴台之御高配ハ、本部ニ於ても一同満足いたし、特ニ副総裁長谷場氏ニハ当局として本部ニ於て百事担任せられ候旁、貴地之状況も時々心配いたし、貴台等之御骨折深く感謝致居候ニ付、其段老生より呉々申上候、御領意可被下候、締切時日を手心を以て少々延引せし事ハ既ニ先状ニて御打合済ニ候、何卒其期日まてニハ精々御取纏被下、其送金方ハ本部ニ会計監督も相設置候義ニ付、東京廻金都合を書状又ハ電信ニて御聞合被下候上、可然御取扱可被下候、右拝謝と共に来示ニ対する御答如此御座候 不宣
  十月六日
                      渋沢栄一
    西条峰三郎様
           貴答


渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛 明治四三年一〇月三日(DK310047k-0013)
第31巻 p.259-260 ページ画像

渋沢栄一書翰  大橋半七郎宛 明治四三年一〇月三日   (大橋半七郎氏所蔵)
華翰拝読、再来益御清適御坐可被成抃賀之至ニ候、来示ニよれば貴地も米作も平年以上ニ有之、殊ニ昨今田面黄金色ニ満たされ、各村落ともニ豊年を祝し居、其上関東之水害ニて米価騰上し、農家皆喜色ある之有様ニ候由、一段之事ニ候、之ニ反し東京府下及近傍各県之景状ハ真ニ惨憺を極申候、既ニ八月中之未曾有之洪水ニ苦ミ候上、爾後天候不順ニて充分之秋熟も無之歟と存候、右ニ付老生抔ハ客月来水害救済
 - 第31巻 p.260 -ページ画像 
之為東西奔走いたし候得共、是以思ふ様之成績も無之義ニ御坐候
○中略
  十月三日
                      渋沢栄一
    大橋半七郎様
           拝復
「高岡市定塚」
         大橋半七郎様    渋沢栄一
               拝復親展
「明治四十三年」
          十月三日


臨時水害救済会報告書 同会編 第二六―二八頁 明治四四年六月刊(DK310047k-0014)
第31巻 p.260-261 ページ画像

臨時水害救済会報告書 同会編  第二六―二八頁 明治四四年六月刊
    二、本会事業ノ経過
○上略
      三、関西其他地方と本会の聯絡
 義捐金勧誘の為に人を各府県に派遣するの議あり、然れども寄附の締切(九月三十日)までには本会の創立(八月二十三日)より僅々四十日に満たざれば、到底実行する能はず。左ればせめては重なる地方即ち大阪・京都・神戸・名古屋の如き都会だけになりとも支部を設くべしとの説成立したり。当時大阪にては府知事・市長・新聞社等聯合して水害義捐金募集の計画ありし事なれば、之れと聯絡を通ずるは最も必要の事なりしなり、玆に於て、八月卅日に開かれし常務委員会には、松方総裁、渋沢・長谷場両副総裁を初め、益田孝・豊川良平・佐竹作太郎・根津嘉一郎・林田亀太郎・岡崎邦輔・岩下清周・高橋光威吉植庄一郎・細野次郎・三浦逸平・岡田泰蔵等の十五氏出席、協議の末松方総裁より渋沢男及岡崎氏に対し至急関西に出張されん事を懇請ありしかば、二氏は万障を排して承諾し、岡崎氏は九月一日を以て、渋沢男は同五日を以て出発さるゝ事に決せり。
 渋沢男及岡崎氏は先づ大阪に至り、高崎大阪府知事・植村市長を初め重なる実業家及び有力者と会して凝議の結果、大阪に於ける従前の計画を改め、松方侯・渋沢男・長谷場三氏も、高崎親章・植村俊平両氏、大阪朝日新聞・大阪毎日新聞・大阪新報社と共に大阪地方に於ける発起者となり、実際上大阪に本会支部を組織することゝなれり。
 次いで渋沢男等は神戸に赴き、服部兵庫県知事・鹿島神戸市長を初め、有力なる実業家と会して神戸にも亦本会支部を組織する運となれり。それより男爵等は京都に赴き、大森京都府知事・西郷市長を初め有力者を会して京都支部を設け、最後に名古屋に於ては、後より特派せられたる細野次郎氏と共に、加藤名古屋市長を初め実業家の重なる人々と協議の結果、名古屋支部を造る事となり、渋沢男一行は九月十一日を以て帰京せり。
 - 第31巻 p.261 -ページ画像 
 以上四市に於ては爾後多数の委員を挙げ、一方には所在新聞社の力を仮り、他方には個人・団体・銀行・会社等に就き、或は直接に或は書翰を以て熱心なる勧誘を試みしが、其結果左の如き好成蹟を挙げたり。是れ偏に各地有力者の尽力に負ふ処にして、本会の感謝に堪えざる処なりとす。
  大阪市  八万二千二百八十五円十四銭五厘
  京都市  壱万七千百四十四円九銭五厘
  神戸市  壱万〇五百五十二円九十八銭
  名古屋市 八千五百二十三円十二銭
○下略


臨時水害救済会報告書 同会編 第三六―三七頁 明治四四年六月刊(DK310047k-0015)
第31巻 p.261 ページ画像

臨時水害救済会報告書 同会編  第三六―三七頁 明治四四年六月刊
    三、役員総会
 本会募集金は九月卅日を以て締切の予定なりしも、事情已むを得ざるものありて、順次延期して十月下旬に及べり。同月廿七日常務委員会を開く。出席者は松方総裁、長谷場・渋沢両副総裁、常務委員豊川良平・林田亀太郎、会計監督佐竹作太郎・根津嘉一郎、委員高橋光威吉植庄一郎の諸氏にして、同月卅日を以て役員総会を開くに決す。蓋し本会の本務は十月卅一日を以て終局とし爾後は之を残務委員に一任する事とし ○下略


臨時水害救済会報告書 同会編 第一五八―一六〇頁 明治四四年六月刊(DK310047k-0016)
第31巻 p.261-262 ページ画像

臨時水害救済会報告書 同会編  第一五八―一六〇頁 明治四四年六月刊
    九、本会の収支決算
 本会の収支決算下の如し
      収入ノ部
一金壱万円                宮内省御下賜金
一金五拾五万九千四百拾円九拾五銭参厘   一般寄附金
一金弐万七千八百六拾円参拾参銭      新聞社広告料寄付金
一金弐千弐百拾七円弐拾弐銭        預金利子
  計 金五拾九万九千四百八拾八円五拾銭参厘
      支出ノ部
一金六千九百五拾七円弐拾弐銭       東京本部取扱諸経費
一金四百弐拾円五拾壱銭五厘        大阪市取扱諸経費
一金七百八拾四円六拾銭          京都市取扱諸経費
一金八百参拾弐円五拾参銭         各地方取扱諸経費
一金弐万七千八百六拾円参拾参銭      新聞紙広告料
一金弐千七百参拾九円八拾壱銭五厘 報告書編纂印刷費及雑費手当金
  計 金参万九千五百九拾五円壱銭
 差引
  金五拾五万九千八百九拾参円四拾九銭参厘 内務省ヘ現金寄送高
右之通ニ候也
  明治四十四年四月三十一日
           東京日比谷衆議院図書館内
             臨時水害救済会
 - 第31巻 p.262 -ページ画像 
               総裁  侯爵 松方正義
               副総裁    長谷場純孝
               副総裁 男爵 渋沢栄一
               会計監督   佐竹作太郎
               会計監督   根津嘉一郎



〔参考〕東京商業会議所報告 第三巻第九号・第三二―三五頁 明治四三年九月(DK310047k-0017)
第31巻 p.262-265 ページ画像

東京商業会議所報告  第三巻第九号・第三二―三五頁 明治四三年九月
追テ物品ノ寄送数件アリ、之カ分配方ヲ内務省及農商務省ヘ嘱託セリ
尚決算調製後、外国為替換算ノ為メ金六十銭ノ増加ヲ見シモ、右ハ別ニ雑費中ニ之ヲ加算スル事トセリ
    ○各地出水被害 (廿九日正午内務省調査)


図表を画像で表示各地出水被害 (廿九日正午内務省調査)

     人            畜死  家屋(住家)                           堤防決潰 土地流失埋没   浸水面積 地方  死   傷  行衛不明      全潰   半潰    流失    床上浸水    床下浸水 東京   四一 四二〇   七  四二    八八   二五九    八二 一三七、七一〇  四四、七五七   一九〇      ―  三〇、七八〇 神奈川  三七  二五   二   二    四五    九四    七五   五、四九三   九、一〇八   四四七  一、〇二二  一三、四七五 埼玉  二九二  三六  三九 五七一   六一〇   五〇一   九九八  六〇、〇一五  一五、五八四   二八〇      ― 一一四、九〇〇 群馬  二八三  二四  二七  六三   四二三   四五六   八二六  一五、六三六  一〇、四七一   三四〇      ―  一九、五七五 千葉   七九  四六   ―  二一   二九二   四〇〇    九六   九、一六〇   四、二二三   一六四    七五二  二一、六〇九 茨城   二五  四三   ―   ―   五〇五   四三五   五六八  二〇、四五〇  一〇、一七一   三九六    二八三  五九、九九四 栃木    二  一六   三   六   一五八   一八二   一五一   四、四五一  一二、八三七   九八七  一、二七九  二三、三四九 三重    ―   ―   ―   ―     一     二     ―       五      三四     三      ―      七七 静岡   六七  四六   ―   二   二〇七   四三一   一七五  一六、五〇九  二八、二六三 一、七二七    四二六  二六、二六一 山形    六   二   ―   一     二    一四    二一   一、一六七   一、三八〇   二二五      ―  一一、四九一 山梨   二四  二四   ―   四    八九   二四八   二四三     五五一   四、九〇三   三七九  三、〇三一   四、六五二 宮城  三二〇   四  四〇 一一〇   一九七   一二四   三五七   二、六六四   一、六一八   三八九  六、五九一  六七、四〇九 福島   一九  二一   三   二    四五    五七    五六   二、九二二   九、五八三   四二二  一、二五八  二九、六六四 岩手   一三  一〇   一  一〇    四三    七〇    八六   三、四九四   二、〇〇六   二四九  一、六一九  一〇、七九七  以下p.263 ページ画像  秋田   二一   ―   二  一四     三    四三    九一   三、〇二一   二、二六九   二〇〇    八四四   六、六一四 長野   一九  二二   六   ―    六三    八一   一一九   八、九八四   四、八一八   六〇八  二、四三四   二、三三七 新潟    九   ―   ―   ―     ―     ―     一       六     二三九    二五      ―   一、九〇三 愛知    二   ―   ―   ―     ―     ―     ―      三五   一、一四一    三一      ―   一、九六〇 鳥取    五   ―   ―   ―    二八     四     ―       一      三〇     一      ―       ― 計 一、五六四 七三九 一三〇 八四七 二、七九九 三、四〇一 三、九四五 二九二、二七四 一六三、四三三 七、〇六三 一九、五三九 四四六、八四七 



   一、新潟・鳥取の浸水家屋数は床上・床下の区別分明せざるを以て該別の計には差入せず
   一、浸水面積中には田畑のみの浸水反別を掲けたるものあり宅地其他を含むものありて一定せず
而て廿六日調査田畑反別被害は左の如くなりと云ふ
              田                    畑

        浸水反別     損害見積        浸水反別     損害見積
            町          円         町          円
 茨城    三七、六三三  四、八九二、二九〇    一七、二七七  一、〇三六、六二〇
 栃木    一一、一九九  一、〇九五、九〇九     七、三九九    五八〇、九四九
 群馬     六、四七一    五八八、八六一    一三、一四〇    七八八、四〇〇
 静岡    二一、五九九  二、二四六、二九六     五、九一四    一七七、四二〇
 愛知     一、一五五     六〇、〇六〇     三、三九八     六七、九六〇
 東京    一七、一七五  三、二五二、一三二    四二、四一三  六、七六三、五〇〇
 神奈川    七、〇〇〇    七二八、〇〇〇     三、〇〇〇     九〇、〇〇〇
 千葉    一七、〇〇一  四、四二〇、〇〇〇     一、八八九     九四、四五〇
 埼玉    五五、〇〇〇 一〇、七二五、〇〇〇    六〇、〇〇〇  三、六〇〇、〇〇〇
 三重        五五      二、八六〇         ―          ―
 山梨     四、七〇〇    五九三、四二四     二、二〇〇    一五八、七四〇
 長野     二、八〇〇    二九一、二〇〇     一、五二六     四五、七八〇
 新潟     三、八四一    三三八、五四六     一、九一二     七六、四八〇
 福島    一七、五三五  一、〇一七、九二六    一一、八一五    三五四、四五〇
 宮城    四六、三〇〇  七、八二四、七〇〇    一六、八〇〇    五〇四、〇〇〇
 岩手     四、四二七    二三〇、二〇四     五、六三六    一一二、七二〇
 山形     二、四〇〇    一一四、八〇〇     三、二〇〇     六四、〇〇〇
 秋田     四、五二八    二三五、四五六     二、七五七     五五、一四〇
 青森     一、〇三七     五三、九二四     四、四四二      八、八八四
  合計  二六一、八五六 三八、七二一、五八八 二、〇〇七、二〇二 一四、五七九、四九三


    ○蚕桑被害
秋蚕繭の減収及桑園の水害被害反別は左の如し(農商務省調査)
  県名  四十二年秋繭産額 被害の為め減収見込額 四十二年桑園反別     被害反別

             石          石        町        町
 神奈川    一九、四四四      七、七七八   一一、五九七    一、六七〇
 新潟      八、二四一      一、六四八        ―       未詳
 埼玉     五七、二二四     四二、〇〇〇   二八、六五〇   一〇、〇〇〇
 - 第31巻 p.264 -ページ画像 
 群馬     八八、八八一     五〇、〇〇〇   三四、三七四    三、三〇〇
 茨城     四四、五〇八     一〇、〇〇〇   一五、九一八    二、四〇〇
 栃木      九、七六七      五、〇三五    五、八九一    一、五二八
 静岡     二七、八六二      九、〇〇〇   一〇、九〇三    三、〇〇〇
 山梨     三一、六二六      九、四八八        ―       未詳
 長野    一五一、八四〇     三〇、三六八   四一、四五八    三、二三二
 宮城     二〇、四二九     一六、三四三        ―       未詳
 富山      一、七五一        二六三        ―     被害なし
 岩手      一、三九九        四二〇        ―       未詳
  合計   四六二、九七二    一八二、三四三  一四八、七九一   二五、一三一

 東京・千葉は水害ありしも、被害調査未詳、秋蚕繭減収見込額は直接水害の外天候不順のため蒙りし被害をも含む
 秋蚕繭減収見込額は、何割減又は何分作と報告ありしものは何れも四十二年産額に依り数字を差出せり
今回水害及天候不順の為め蒙りし秋蚕被害高合計は十八万二千三百四十三石にして、被害府県前年の秋蚕収繭高の約三割九歩に当り、之れを一石三十九万円換《(ママ)》と見積るときは約六百三十八万余円の損害なり
桑園被害反別は合計二万五千百三十一町歩にして、被害府県の四十二年の桑園反別合計に対し約一割七分に当れり、而して桑園被害は流失又は埋没したるもの或は単に浸水に止りたるものあり、且つ浸水に深浅の別あり期間に長短の差ありて、被害程度自ら一様ならざるも、目下詳細なる区別を立て難しと云ふ

    ○水害と米作の減収
去月廿六日農商務省の調査によれば、農務局視察員の復命資料及地方官よりの報告を基礎とせる農作物の損害見積高、田に於ては浸水総面積二十六万一千八百五十六町歩にして、其農作物の損害見積高は約三千八百七十二万余円、畑の浸水反別は二十万七百二十町歩にして、其農作物損害見積高は約一千四百五十八万円、則ち田畑合計に於て浸水総面積は四十六万二千五百七十六町歩にして、其農作物損害高は約五千三百三十万余円内外なるべしとの事なるが、此程深川渋沢商店の発表せる調査によれば、左表の如くにして

  地方別     浸水田反別     減損米推定石数
              町           石
 埼玉県     五五、〇〇〇     六〇〇、〇〇〇
 宮城県     四六、三〇〇     五〇〇、〇〇〇
 茨城県     三七、六三三     四〇〇、〇〇〇
 千葉県     一七、〇〇一     二五〇、〇〇〇
 東京府     一七、一七五     二〇〇、〇〇〇
 静岡県     二一、五九九     一五〇、〇〇〇
 栃木県     一一、一九九     一〇〇、〇〇〇
 福島県     一七、五三五     一〇〇、〇〇〇
 群馬県      六、四七一      七〇、〇〇〇
 神奈川県     七、〇〇〇      五〇、〇〇〇
 山梨県      四、七〇〇      五〇、〇〇〇
 - 第31巻 p.265 -ページ画像 
 新潟県      三、八四一      五〇、〇〇〇
  計     二四五、四五四   二、五二〇、〇〇〇

 備考一、浸水反別は其筋の調査に依る
   二、減損米推定石数は各方面の報告に基き推定せる者とす
   三、田総反別は明治四十二年の調査(統計年鑑)に、米産額は農商務省の調査に拠る
山形・愛知・秋田・長野・岩手・青森・山形等各県の被害は此外にあることなれば、全部を合すれば頗る多額に上るべく、其損害は決して農商務省調査の、田部農作物損害見積三千八百万円位に止まらざるべく、深川正米問屋山崎繁次郎氏の推算亦関東々北を通じ三百五十万石以上、或は四百万石の減収に達するも謀るべからずとするが如し

    ○紡績の損害
過般の洪水の為め機械・原料・製品等に多大の損害を受けたる府下の紡績会社は、退水後鋭意復旧作業に従事し居るも、約二週間の浸水に機械全部赤錆を生じて掃除に困難を極め居る向少なからざれば、復旧作業は捗々しからざる、其上にカードの如きは一週間以上水に浸せば殆んど使用に耐へさるも、日本内地には在品極て少ければ、外国へ註文するの外なく、英国への註文ならんには電報註文を以てするも、尚ほ且つ三ケ月後ならでは到着せずと云へば、他の機械の運転迄には尚ほ数月を要するが如し、況んやカードのみならず、ローラー等にも損傷少からず、之が修繕錆落し等にも少なからざる日子を要すべければ府下の紡績会社が復旧作業を完成し、機械全部の運転を開始するは来年一月頃なるべく、之れが為め操業五割以上の短縮を余儀なくせられ居る今日、全国の紡績会社が十月以降六ケ月間二割七分五厘の休錘を断行するに於ては、関東側は其間に緩々復旧作業に従事するを得べし尚ほ府下の紡績会社中既に全部の運転を開始したるは東京紡績及び下野紡績の二社のみにして、鐘紡は第三工場全部と第一・第二工場の一部を運転せるに止まり、又日清紡績と富士紡の押上工場は、数日前一部の運転を開始したるも、運転とは名のみにて現実に操業を開始せるには非ず、富士一社の損害のみにても四十余万円に達せりと云ふ