デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
5節 災害救恤
4款 東京風水害救済会
■綱文

第31巻 p.307-327(DK310052k) ページ画像

大正6年10月4日(1917年)

是月一日暴風雨ノタメ東京府下ノ被害甚シ。是日栄一等相謀リテ、当会ヲ設立シ、栄一之ガ会長トナリ、会務ニ尽力ス。


■資料

渋沢栄一書翰 増田明六宛 (大正六年)一〇月九日(DK310052k-0001)
第31巻 p.307 ページ画像

渋沢栄一書翰  増田明六宛 (大正六年)一〇月九日   (増田正純氏所蔵)
○上略
風水害救済会ヘ寄附金ハ、一昨日、東京国民新聞紙之報する処ニよれハ、三井・岩崎両家各三万円、大倉・古河・森村氏等各壱万円と記載有之候、果して事実ニ候ハヽ、当家も五千円寄附候方と存候、阪谷氏ニ御打合之上申込御取計可被下候、八十島とも相談いたし、或ハ貴方より電報ニても可有之哉と存候も、未タ貴方之申越無之ニ付、此一書ニて申進候義ニ御坐候
○中略
  十月九日新潟篠田旅館ニ於て
                      渋沢栄一
    増田明六様
           梧下


竜門雑誌 第三五四号・第一六〇頁 大正六年一一月 十月重要日記(DK310052k-0002)
第31巻 p.307 ページ画像

竜門雑誌  第三五四号・第一六〇頁 大正六年一一月
    十月重要日記
  一日
 暴風雨襲来 今暁本邦中部地方一体、稀有の大暴風雨に襲はれ、且海嘯起り、交通断たれて、東京地方の被害、就中甚大を極め、人畜家屋の死傷崩壊言語に絶す。この日東京に於ける午前三時の最大風速四三米突。最大風速の方向南、又午前三時三十分の最低気圧七一四粍六分、本所・深川附近一円の地、海嘯及風水害の惨状人をして思はず目を蔽はしむ。 ○中略
  五日《(四日)》
 東京風水害救済会創立 急遽、青淵先生等によりて主唱せられ、義捐金申込額六十余万円に達せり。


竜門雑誌 第三五四号・第一五七―一五八頁 大正六年一一月 ○東京風水害救済会(DK310052k-0003)
第31巻 p.307-308 ページ画像

竜門雑誌  第三五四号・第一五七―一五八頁 大正六年一一月
○東京風水害救済会 青淵先生・三井・三菱、其他富豪諸氏の発起せられたる東京風水害救済会は、十月六日帝国ホテルに於て協議決定の結果、左の如き規約を発表せられたり。
 △名称は東京風水害救済会△事務所は東京商業会議所内△目的は東京府下罹災者の救済及之に関する必要施設を為す△但し府附近に及ぼすを得△有志の寄附を受く△会長・副会長各一名、常務委員・評議員若干名を置く△議事は出席員過半数を以て決す△目的成就の後解散す。
 - 第31巻 p.308 -ページ画像 
 斯くて発起者諸氏は、明治四十三年風水害の際醵集し得たる義捐金十六万円を標準とし、今回は約二十万円位ならんと予想したるに、意外にも六十四万九千余円の巨額に達し、其口数亦実に二千口を超ゆるの盛況を呈せり、因つて同会にては取敢えず東京府・市へ二十万円づつを交付し、尚ほ千葉県へ二万円、茨城・神奈川両県へ各一万円、残額十九万円は十月二十六日午前十時より同会事務所に於て常任委員会を開き、青淵先生以下各委員出席協議の上、千葉県へ二万円、茨城・福島両県へ各五千円、其他は東京府・市罹災民救助の資に充つることとして、夫々分配せられたりと云ふ、因に青淵先生には五千円を寄附せられたり。


竜門雑誌 第三五五号・第九二頁 大正六年一二月 ○水害救済会常任委員会(DK310052k-0004)
第31巻 p.308 ページ画像

竜門雑誌  第三五五号・第九二頁 大正六年一二月
○水害救済会常任委員会 東京風水害救済会にては、十一月二十六日午前十時より東京商業会議所に於て常任委員会を開きたり。出席者は青淵先生・中野・藤山・門野・久原・高橋の各委員諸氏にて、最近の経過報告あり、夫より残金の処理に就て協議する所あり、正午散会せる由。


竜門雑誌 第三五六号・第七一頁 大正七年一月 ○東京風水害救済会解散(DK310052k-0005)
第31巻 p.308 ページ画像

竜門雑誌  第三五六号・第七一頁 大正七年一月
○東京風水害救済会解散 十二月十四日東京風水害救済会にては常務委員会を開き、同会を今後存続すべきや否や、及び寄附金残額の処分等に就き協議する所あり、結句同会を解散すること、又寄附残金は青淵先生・大倉男・井上府知事・高橋市長代理・中野武営・藤山雷太の諸氏に於て保管することゝし、今後府市に於て救済事件発生したる際は、之が費用に充つることに協議一決して散会したる由。


東京風水害救済会報告 同会編 第一―九頁 大正七年二月刊(DK310052k-0006)
第31巻 p.308-310 ページ画像

東京風水害救済会報告 同会編  第一―九頁 大正七年二月刊
  (一) 創立
    一、本会ノ創立
 大正六年十月一日ノ暴風雨ハ、近来未曾有ノ猛威ヲ逞ウシ、其範囲関西ヨリ北海道ニ及ヒ、被害実ニ激甚ヲ極メタリ、而シテ其惨害ノ最モ甚シカリシハ東京府及其附近ニシテ、就中暴風雨ニ伴フ海嘯ノ襲来ハ、幾多ノ人命ヲ奪ヒ惨鼻ノ状言語ニ絶セリ、東京府下ニ於ケル今回ノ死者五百五十五名・行衛不明三十一名中多クハ沿海地方ノ住民ニシテ、怒濤ノ浸水ニ遭ヒ避難ノ途ヲ失ヒタルモノニシテ、亦以テ当時ノ惨害ヲ想像スルニ足ラン、此他家屋ノ全潰三千六百七棟、同半潰五千二百六十一棟、浸水家屋中床上浸水十三万四千九百四十五棟、同床下浸水五万一千八百五十九棟ノ多キニ及ヘリ、又樹木ノ倒壊、橋梁ノ流失、道路ノ崩壊等、数フルニ遑アラス、玆ニ於テカ東京府・市及ヒ警視庁当局者等ハ勿論、一般ノ有志者・慈善家等ハ、収容所ヲ設ケ、或ハ被服・飲食等ヲ給与シ、鋭意応急救済ノ方法ヲ講シタルヲ以テ、幾分当面ノ惨禍ヲ緩ウスルコトヲ得タリト雖モ、被害ノ程度甚タシク、尚幾多応急救済並ニ復旧的施設ヲ為スノ頗ル緊切ナルモノアリ、殊ニ水災後ノ衛生等ニ到リテハ、罹災者ノ応急的救助ト相俟ツテ充分善後
 - 第31巻 p.309 -ページ画像 
ノ施設ヲナスニアラスンハ、悪疫ノ発生流行ヲ招キ、災後ノ惨禍測ルヘカラサルモノアリ、是ヲ以テ渋沢男・中野武営・藤山雷太ノ三氏ハ三日日本橋区兜町渋沢事務所ニ集合、協議ノ結果、此際至急一ノ救済財団ヲ組織シ、遍ク同志ヲ募リ、多数ノ寄附金ヲ得テ、罹災民ノ救助其他之ニ関スル一般施設ニ遺憾ナカラシメントノ議ヲ決シ、井上東京府知事ノ同意ヲ得テ三日右四氏ノ名ヲ以テ左ノ書状ヲ発送セリ
 拝啓、時下益御清穆奉慶賀候、然者今般当府下ノ水害ハ実ニ稀有ノ惨事ニ有之、之レカ救済方法ハ緊急ヲ要スル義ト存候、就テハ明四日午後正三時東京商業会議所ニ於テ御相談申上度候ニ付、乍御迷惑同時刻御来車被成下度、此段得貴意候 敬具
  大正六年十月三日
                  法学博士 井上友一
                    男爵 渋沢栄一
                       中野武営
                       藤山雷太
  追テ当日御差閊ノ節ハ、御代理ノ方ニテモ不苦候ニ付、御繰合御出席ノ義希望仕候
    (通知先) ○中略
    計九十二名(○印ハ本人又ハ代理出席)
 前記ノ通知ヲ発シ、翌四日集会ヲ催シタルニ多数ノ出席者アリ、渋沢男爵ヨリ、這回ノ風水害ハ意外ニ激甚ナルヲ以テ、此際一ノ救済団ヲ組織シ多数ノ同情ヲ得テ罹災民ノ救護其他災後ノ緊急施設ニ充分ノ力ヲ注キタシト述ヘラレ、満場一致ヲ以テ救済団体ヲ成立セシムルコトトナリ、当日ノ参会者一同ニ発起人タルノ承諾ヲ求メ、本会ヲ「東京風水害救済会」ト名クルコトト定ム、尚井上東京府知事・宮川東京市助役ノ両氏ヨリ、市郡ニ亘ル被害ノ状況報告アリ、最後ニ渋沢男爵ハ、会務ノ進行ヲ計ル為メ之ニ必要ナル委員ヲ設クルノ要アリト述ヘラレ、是ニ同意ヲ得テ別室ニ於テ創立委員会ヲ開キ、左ノ決議ヲナシタリ
 一、趣意書及規約ノ起草ヲ為スコト
 一、創立委員トシテ井上東京府知事・渋沢男・中野武営・藤山雷太ノ四氏ノ外、三井男・岩崎男・大倉男・森村男・古河男・東京市長代理高橋要治郎ノ六氏ヲ加フルコト
 一、本会々務進行上必要ナル処置ヲ常務委員ニ一任スルコト
而シテ常務委員ハ直ニ趣意書規約等ノ起草ヲ了シ、十月六日帝国「ホテル」ニ、時事・東京朝日・東京日々・中外商業・報知・万朝・国民読売・中央・やまと・東京毎日・都・世界・東京毎夕、以上十四新聞社ノ社長又ハ主幹ノ集会ヲ請ヒ、本会組織ノ目的趣旨ヲ陳述シ、各社ノ同情ニヨリ充分ノ援助ヲ与ヘラレンコトヲ希望セリ、而シテ同日ヲ以テ設立趣意書及規約ヲ世上ニ公表セリ
    二、設立趣意書及規約
本会ノ設立趣意書及規約左ノ如シ
     設立趣意書
 東京府下ニ於ケル這般ノ暴風雨災害ハ、其及フ処広且大ニシテ、惨
 - 第31巻 p.310 -ページ画像 
状窮態実ニ名状スヘカラス、或ハ一家全滅シ、或ハ父母妻子ニ離レ或ハ家産ヲ失ヒ、飢餓ニ瀕スル等、悲痛惨憺酸鼻ノ極ニ達スルモノ今ヤ府民十余万ノ多キヲ数フルニ至ル、是レ吾人ノ痛嘆ニ堪ヘサル所、幸ニ府市其他公共団体ノ時宜ヲ得タル手段ニ依リ、一時ノ惨禍ヲ緩ウシタリト雖モ、此際是レカ応急救済ノ策ヲ講スルハ、更ニ刻下ノ急務ナリト信ス、殊ニ災後ニ於ケル衛生的施設ハ最モ喫緊事ニシテ、苟クモ之ヲ等閑ニ附シ、或ハ機宜ヲ失スルカ如キコトアランカ、忽チ悪疫ノ発生流行ヲ招キ、其惨禍測ルヘカラサルモノアリ、一旦斯ル惨害出現センカ、独リ東京府下ノ不幸タルノミナラス、其影響スル所、容易ニ知ルヘカラス、是レ亦吾人ノ大ニ憂慮スル所タリ、此ニ於テカ有志相謀リ、風水害救済会ヲ設立シテ、広ク社会ノ同情ヲ求メ、遍ク同志ヲ募リ、大ニ救済資金ヲ蒐集シ、進ンテ当局者ト協力シ、以テ罹災救護ノ実ヲ挙ケ、併セテ衛生的設備ヲ済サムコトヲ期ス、冀クハ各位本会ノ目的遂行ニ援助セラレンコトヲ
  大正六年十月五日
                        発起人
     東京風水害救済会規約
第一条 本会ハ東京風水害救済会ト称ス
第二条 本会ノ事務所ヲ東京商業会議所内ニ置ク
第三条 本会ハ東京府下ニ於ケル風水害罹災者ノ救済及ヒ之ニ関スル必要ノ施設ヲナスヲ以テ目的トス
    但シ事情ニヨリ其範囲ヲ東京府附近ニ及ホスコトヲ得
第四条 本会ハ有志者ノ寄附ヲ受ク
第五条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
     会長     一名
     副会長    一名
     常務委員   若干名
     評議員    若干名
第六条 本会ノ役員ハ創立委員ニ於テ之ヲ推挙ス
第七条 会長ハ本会一切ノ事務ヲ統轄シ、常務委員会及評議員会ノ議長トナリ、本会ヲ代表ス
    副会長ハ会長ヲ補佐シ会長ノ代理ヲナス
    常務委員ハ本会ノ常務ヲ処理ス
    評議員ハ会長ノ諮問ニ応シ重要事項ノ協議ニ参与ス
第八条 本会ノ議事ハ出席員ノ過半数ヲ以テ決ス
第九条 本会ノ経費ハ寄附金及雑収入ヲ以テ之ニ充ツ
第十条 会務ノ経過及収支決算ハ新聞紙上ヲ以テ報告ス
第十一条 本会ハ所期ノ目的ヲ達シタル後之ヲ解散ス
第十二条 本規約施行ニ関シ必要ナル事項ハ常務委員会ノ議決ヲ経テ会長之ヲ定ム


東京日日新聞 第一四七一一号 大正六年一〇月五日 府市罹災民の救済会(DK310052k-0007)
第31巻 p.310-311 ページ画像

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東京日日新聞 第一四七一二号 大正六年一〇月六日 東京風水害救済会成る(DK310052k-0008)
第31巻 p.311 ページ画像

東京日日新聞  第一四七一二号 大正六年一〇月六日
    東京風水害救済会成る
富豪・実業家主唱の下に成れる廿万円の救護資金を集むる為の風水害救済会の創立委員、渋沢男・三井男(代有賀長文氏)・山崎男(代荘清次郎)・大倉男・古河男・中野武営・高橋市助役・井上府知事(代東園内務部長)・藤山雷太氏(森村男欠)の諸氏は、昨日午後三時より商業会議所に於て協議を遂げ、趣意書及規約を定め、廿名の常任委員を挙げ、直に事務を開始して寄附募集に着手することとせり
 ◇金の分配や救助の方法は可及的早く仕度い
                   委員 藤山雷太氏の談
○下略


中外商業新報 第一一三一七号 大正六年一〇月六日 ○救済会着々進行す 会長は渋沢男(DK310052k-0009)
第31巻 p.311-312 ページ画像

中外商業新報  第一一三一七号 大正六年一〇月六日
    ○救済会着々進行す
      会長は渋沢男
東京風水害救済会の創立委員会は、五日午後三時商業会議所に於て、渋沢男を始め中野・藤山氏等十名臨席の上、設立趣意書並に風水害救済会規約を設けたるが、会長に渋沢男爵、副会長に中野武営氏を推し又常務委員二十名は左の諸氏を選定せり
 服部金太郎・豊川良平・大橋新太郎・和田豊治・門野重九郎・柿沼谷蔵・団琢磨・高橋要次郎・中島久万吉男・村井吉兵衛・安田善三郎・山科礼蔵・福原有信・藤山雷太・郷誠之助男・東園基光・森村開作・荘清次郎・末延道成・杉原栄三郎
 - 第31巻 p.312 -ページ画像 
然して救済事業は成るべく急速に実行するの要あれば、六日正午帝国ホテルに都下各新聞社長を招き、会の趣意並に目的其他を説明して好意を求むる筈なるが、既に帝国ホテル滞在の露国人某は金百円の寄附方を申出でし由、猶常務委員は六日午後会議所に会合、寄附金額を決定すべし、因に救済範囲は東京府下に限らず、場合によりては附近町村にも及ぼすべしと


中外商業新報 第一一三一八号 大正六年一〇月七日 広告(DK310052k-0010)
第31巻 p.312-313 ページ画像

中外商業新報  第一一三一八号 大正六年一〇月七日
    広告
東京風水害救済会事務所は麹町区有楽町東京商業会議所内に設置仕り候間、同会御寄附の儀は同所へ御申込相成度、此段広告候也
  大正六年十月七日
                      東京商業会議所内
                        東京風水害救済会
東京風水害救済会本日の寄附申込左の如し

図表を画像で表示--

 一金参万円   男爵   三井八郎右衛門 一金参万円   男爵   岩崎小弥太 一金弐万円        日本銀行 一金壱万円   男爵   大倉喜八郎 一金壱万円   男爵   古河虎之助 一金壱万円   男爵   森村市左衛門 一金壱万円        村井吉兵衛 一金壱万円        服部金太郎 一金壱万円        日本郵船株式会社 一金壱万円        山下亀三郎 一金参千円        末延道成 一金弐千円        東京朝日新聞社 一金千円         田中平八 一金千円         田中銀之助 一金千円         中沢彦吉 一金千円         和田豊治 一金千円         藤山雷太 一金五百円        中野武営 一金五百円        杉原栄三郎 一金五百円        山科礼蔵 一金五百円        大塚栄吉 一金五百円        牧田清之助              牧田清左衛門 一金百円   露国人   ニコラス オロビヨツフ 一金百円         多崎由太郎 一金五十円        多田啓助 一金五円         相良留太郎 一金五円         影山信次郎 



  小計金拾六万弐千七百六拾円也
  大正六年十月六日
 - 第31巻 p.313 -ページ画像 
                     東京風水害救済会


東京日日新聞 第一四七一四号 大正六年一〇月八日 広告(DK310052k-0011)
第31巻 p.313 ページ画像

東京日日新聞  第一四七一四号 大正六年一〇月八日
    広告
本会寄附金取扱銀行左記の通り相定め候間、便宜御申込被下度、此段広告候也
  大正六年十月八日
                     東京風水害救済会
   日本橋区兜町 株式会社第一銀行
   京橋区木挽町七丁目
          株式会社十五銀行
   日本橋区青物町
          株式会社第百銀行
   麹町区八重洲町一丁目
          三菱合資会社銀行部
   日本橋区駿河町
          株式会社三井銀行
   日本橋区小舟町三丁目
          株式会社安田銀行


中外商業新報 第一一三一九号 大正六年一〇月八日 風水害善後策 応急策と根本策(DK310052k-0012)
第31巻 p.313-314 ページ画像

中外商業新報  第一一三一九号 大正六年一〇月八日
    風水害善後策
      応急策と根本策
今回の暴風雨は誠に近年稀有の事にして、其被害の範囲も広く、災厄の程度も激甚也。余輩は、今回の災害の激甚なるに驚かざるを得ざるも、暴風雨襲来の前に当り、既に中央気象台に於ては一大低気圧の起り来るべきを警告したるが故に、若し世人にして中央気象台の警告とに留意し、自ら警戒する所ありしならんには、幾分か此災害の程度を予防し得たるべきを想ふて、更に一層遺憾とせざる能はず、然れども平常中央気象台の報告なるものが、往々にして信用を措く能はざることあるが故に、今回の暴風雨襲来の警告も、不幸にして世人の軽々に看過する所と成りし也。思ふに、世人は今回の災厄に遇ひ、中央気象台の権威を深く認むるに至れるならん。今回の災厄は個人災厄の激甚なると同時に、国家の損害亦多大にして、之が善後策は応急たるを要し、又根本的たるを要す。既に内務・農商務・陸軍・鉄道院及東京府市当局の罹災民救済に尽瘁するあり、又婦人団体・宗教家等の応急援助に努力する所あり。此等の尽瘁努力が応急的善後策に多大の効果を奏すべきは、今更呶々を要せざるが、殊に東京市の富豪及有力なる実業家の発起に係る風水害救済会創立の挙の如きは、機宜に適したるものなり。固より今回の災厄善後策を講ずるは、国家及自治団体の任務なるも、罹災民の救助の如きは、多大なる物資の供給を要するを以て世人の喜捨に待たざる可らざるが故に、余輩は風水害救済会の創立を賛すると共に、世人に向つて此挙に賛同せんことを望まんと欲す。更に此際望むべきは、恩賜財団済生会の活動なりとす。同会は畏くも先
 - 第31巻 p.314 -ページ画像 
帝陛下の天の如き仁慈を奉体し、全国富豪の喜捨義捐を以て成り、主として窮民の疾病治療を目的とするものなるが故に、暴風雨に際し不慮の疾病に罹り、又近日の降雨に依り更に疾病を醸す者多かるべし、況んや被害地に於ては医師の家屋流出し、投薬の道すら無き所少からざる状態なるを以て、同会の活動は正に刻下の急務に非ずや。斯く記し了れる時、済生会が南葛罹災地に出動せるの報を耳にし、其機敏の行動を喜ぶと共に、今後益々活動せんことを望む。
罹災民救助に関する応急策の必要なるは勿論、交通・通信・点灯、其の他学芸に関する工業機関の復旧、橋梁堤防等の修理の急を要すると共に、更に根本的の善後策を講究せざる可らず。即ち従来世人より閑却せられ居たる中央気象台の如き其の設備を完備し、同所の報告をして真に権威あらしめ、平生に於て能く世人が同所の報告に留意せしむるは、将来の災厄を防ぐべき根本策たるを失はす。又今回の災厄は一大颶風の為め海嘯を起したるに基因し、之を完全に防禦するは殆ど不可抗力に属するが如きも、防波工事の完備を図るは、確に根本的善後策たる也。猶ほ東京市に於ては、之を機として、下水工事の完成を促進するは、将来に於ける河水の氾濫に依る災害を予防する所以ならずんば非ず


中外商業新報 第一一三二〇号 大正六年一〇月九日 ○救済会の寄附金処分 府市へ各十万円(DK310052k-0013)
第31巻 p.314 ページ画像

中外商業新報  第一一三二〇号 大正六年一〇月九日
    ○救済会の寄附金処分
      府市へ各十万円
東京風水害救済会にては、寄附金累計二十一万五千四百五十八円七十銭の額に達したるを以て、此際拙速を貴び早速罹災地に支出する方然るべしとあつて、八日午後一時より東京商業会議所に中野氏を始め常議会員集合して協議の結果、取敢ず金十万円宛を東京府及東京市に寄附することに決し、更に府及市より今九日其処分案を提出する筈なれば、同日再び委員会を開き該案に対する承認をなすべしと


中外商業新報 第一一三二一号 大正六年一〇月一〇日 ○十万円の配頒方法決定(DK310052k-0014)
第31巻 p.314-315 ページ画像

中外商業新報  第一一三二一号 大正六年一〇月一〇日
    ○十万円の配頒方法決定
風水害救済会に於ける各有志家の寄附金は既に三十三万円に達し、近く四十万円にも達する見込にして、東京府及び東京市に各十万円を寄付せしが、更に規約に基き千葉県に二万円、神奈川・埼玉の両県に各一万円づゝを寄贈する事とし、九日その手続を了れり、而して東京市は十万円に従来保管の四万円を合して十四万円とし、其使用方法に就き九日午後二時東京市参事会を開きし結果、大体左の如く決定し、即日之を齎して救済会の承認を経たりと
 △浸水全部の各戸に対し清潔法を施行し、消毒剤を配附撒布する事
 △浸水地全部に渡り医員を巡回せしめ、衛生健康診断を為し救済する事
 △罹災細民に白米を廉価に供給すること
 △罹災細民の学童に対し教科書・学用品・被服を供給する事
 △罹災細民一戸に対し毛布一枚宛及蓆五枚宛、家具費補助金一円宛
 - 第31巻 p.315 -ページ画像 
を配附する事
 △罹災死亡者遺族及重傷者に見舞金を贈る事
 △罹災地細民家屋の下掃除を施行すること


中外商業新報 第一一三二二号 大正六年一〇月一一日 ○御下賜金伝達式 府庁に集る各市郡長の感泣(DK310052k-0015)
第31巻 p.315 ページ画像

中外商業新報  第一一三二二号 大正六年一〇月一一日
    ○御下賜金伝達式
      府庁に集る各市郡長の感泣
  ▽……市郡の配分額定まる
十日午前十時半、東京府庁にて厳かなる御下賜金伝達式が行はれた。岡田警視総監・東園内務部長以下各課長
△参列の上 井上知事は先つ高橋東京市長代理に対し金二万円を、玉井南葛・正木北足立・久鬼南足立・川越西多摩・大野北豊島・内山田南多摩・柴田八王子市長代理の各郡市長に対して、全三万円の下賜金目録を伝達し、終つて知事は一同に対し「罹災民の救助と被害地復旧の善後策とは勉めて急速公平を旨とし、御下賜金の分配に際しては能く聖旨の徹底するやう、徒らに消費する事無く、何等か
△之を記念 するの心掛あらしむるを要す、又死者に対しては能く其霊を慰むるの処置を執られん事を希望す」云々との訓示を与へた、之より各郡長は別室に引下り、御下賜金の分配方法に就て協議し左の如く決定した
 金二万円           東京市
 金一万六千八百七十円     南葛飾郡
 金六千六百五十円       荏原郡
 金三千二百円         北豊島郡
 金千百八十円         豊多摩郡
 金千七十円          南足立郡
 金二百八十円         南多摩郡
 金百九十円          北多摩郡
 金二十円           西多摩郡
 金四十円           八王子市
 金五百円           伊豆七島
  ▽死者は拾円
    井上知事談
御下賜金の分配標準は死者・行方不明者は一人十円、重傷者一人五円で、重傷者に対してはよく調査して、一日の暴風当日に負傷したものに限る事にした、そして家屋全潰半潰は市と郡とに依つて其金額に差違があるかも知れぬが、兎に角御下賜金を分配する事に相違はない、又床上浸水は市郡を通じて九万八千余戸であるが、其一割五分に当る貧窮の浸水者に対してのみ之を分与することにした


中外商業新報 第一一三二四号 大正六年一〇月一三日 ○五十万円以上に達せん 風水害救済金(DK310052k-0016)
第31巻 p.315-316 ページ画像

中外商業新報  第一一三二四号 大正六年一〇月一三日
    ○五十万円以上に達せん
      風水害救済金
東京風水害救済会の寄附金は十二日迄に合計四十八万円となり、結局
 - 第31巻 p.316 -ページ画像 
五十万円以上に達す可き模様なるが、既に此内より支出決定したる金額は、東京府と市とに各十万円宛と、千葉県に二万円、神奈川・茨城の両県に各一万円、及特に寄附地を指定したる金額約一万円弱ありて都合約二十五万円となる、即ち寄附金の約半額を支出する事となりたる次第なるが、残額の支出に対しては十二日午後三時東京府の東園内務部長、東京市の高橋助役、及警視庁の栗本部長の三氏を救済会事務所の常務委員会に招致し、報告をも聞き且つ今後の救済方に就き協議し、此際成る可く急速に成る可く有効に共同的に使用すべき事を打合せたりと


中外商業新報 第一一三二九号 大正六年一〇月一八日 ○婦人慈善演劇会(DK310052k-0017)
第31巻 p.316 ページ画像

中外商業新報  第一一三二九号 大正六年一〇月一八日
    ○婦人慈善演劇会
英・仏・伊の各国大使夫人、瑞西・支那・墨・智利の各国公使夫人、米・葡両国代理大公使夫人、並に毛利公爵母堂、鍋島・前田両侯爵夫人、戸田・小笠原両伯爵夫人、波多野・本野外相・三島三子爵夫人、後藤内相・浜尾・渋沢・三井・岩崎・大倉・古河七男爵夫人等の発企にて、来廿四・五両日帝国劇場に水害罹災者救済婦人慈善演劇会を催す筈なるが、演劇は同劇場当月興行を其儘に普く慈善家へ観劇券を配布賛同を希望する由、事務所は麹町区霞ケ関外務大臣官舎内に設けたりと


中外商業新報 第一一三四二号 大正六年一〇月三一日 ○慈善演劇好成績(DK310052k-0018)
第31巻 p.316 ページ画像

中外商業新報  第一一三四二号 大正六年一〇月三一日
    ○慈善演劇好成績
寺内首相夫人・本野外相夫人、其他上流貴婦人が発起せる水害罹災救済婦人慈善演劇会は、頗る好成績を得、三十日其純益金三千円を高橋東京市長代理に託し、罹災者へ配布を乞ひたりと


中外商業新報 第一一三三四号 大正六年一〇月二三日 ○府の寄附金処分に就て 井上府知事談(DK310052k-0019)
第31巻 p.316 ページ画像

中外商業新報  第一一三三四号 大正六年一〇月二三日
    ○府の寄附金処分に就て
      井上府知事談
廿日に締切た風水害救済会の寄附金は六十五万円の巨額に上つたが、其内各宮殿下の御下賜金並に官吏の俸給中より寄附された二万円は、特に学童の教科書並に学用品買入の費用に充て、其他の残余は第一に罹災者の被服費、第二に家屋の建築・橋梁の復旧・公設避難所の増設第三に衛生設備・上下水道改修、第四に産業の復旧に充てる予定で、此等が最も急務だと信じて居る、尚之等の費途に充てゝ剰余があれば防波堤の完備・防風林の設備・公設長屋並に公設浴場の設備費等に充て度いと思ひ、目下之が調査に努めて居る云々


中外商業新報 第一一三三六号 大正六年一〇月二五日 ○風水害救済会残金の処分(DK310052k-0020)
第31巻 p.316-317 ページ画像

中外商業新報  第一一三三六号 大正六年一〇月二五日
    ○風水害救済会残金の処分
東京風水害救済会の寄附金は合計六十四万九千余円に達し、其内四十四万五千余円は既に処分し、又処分するの方途決定したれど、残りの約二十万四千余円は未だ処分する所なかりしが、老躯を提げて東北地
 - 第31巻 p.317 -ページ画像 
方巡遊中なりし渋沢男も帰京せられたれば、愈々二十六日午前九時常務委員会を開き、未済処分金の処分方を協議すべしと


中外商業新報 第一一三三八号 大正六年一〇月二七日 ○風水害救済会事務終了(DK310052k-0021)
第31巻 p.317 ページ画像

中外商業新報  第一一三三八号 大正六年一〇月二七日
    ○風水害救済会事務終了
東京風水害救済会は、廿六日午前九時常務委員会を開き、寄附金の処分残金約廿万四千円の分配方法及寄附物品の配付方に就き協議したるが、結局千葉県へ二万円(前回二万円)、茨城県(前回一万円)へ五千円福島県へ五千円を寄附し、残余の寄附金を以て東京府市の区並に町村吏員を始め警察官吏及遺族へ贈る事となり、物品は廿七日府市へ引渡し、適宜分配を図るべしと


東京風水害救済会報告 同会編 第一五六―一六二頁 大正七年二月刊(DK310052k-0022)
第31巻 p.317-318 ページ画像

東京風水害救済会報告 同会編  第一五六―一六二頁 大正七年二月刊
    (五) 会計
      一 収支勘定
○金員之部
     収入
 一金六拾四万九千弐百円七拾四銭六厘 一般寄附金
 一金壱千九百円也          新聞社広告料寄附金
 一金壱千九百参拾四円九拾六銭    預金利子
  計 金六拾五万参千参拾五円七拾銭六厘
     支出
 一金四拾八万弐千七百四拾円也    諸事業費(内訳別項)
 一金壱万壱千百六拾九円参拾壱銭五厘 広告費
 一金弐千弐百六拾七円六拾五銭壱厘  報告書其他印刷費
 一金弐百弐拾五円拾銭五厘      報告書配達其他通信費
 一金壱千八百四円八拾八銭五厘    事務費其他雑費
  計 金四拾九万八千弐百六円九拾五銭六厘
差引残
 金拾五万四千八百弐拾八円七拾五銭  今後ノ東京府下風水害救済資金トシテ、東京府知事・東京市長及東京商業会議所会頭ニ保管ヲ托ス
  大正七年一月十八日
○物品之部 ○略ス
      二 事業費内容
 一金弐拾万円也                  風水害救済資金トシテ東京府ヘ寄附
 一金弐拾万円也                  同東京市ヘ寄附
 一金四万円(塚本合名会社ノ指定寄附金五百円ヲ含ム)同千葉県ヘ寄附
 一金壱万五千円也                 同茨城県ヘ寄附
 一金壱万円也                   同神奈川県ヘ寄附
 一金五千円也                   同福島県ヘ寄附
○中略
    (六) 会務ノ終了
前記ノ如ク、本会ハ設立趣旨ニ基キ、諸般ノ事務ヲ行ヒ、必要程度ノ救済事業ヲ遂行シ得タルモ、寄附金殊ノ外多額ニ亘リ、金拾五万四千
 - 第31巻 p.318 -ページ画像 
八百弐拾八円七拾五銭ノ剰余ヲ生シタルヲ以テ、之カ処分ニ関シ、十二月十四日東京商業会議所ニ於テ常務委員会開会協議ノ結果、残余金ハ之ヲ将来東京府下ニ於ケル臨時災害救済資金トシテ保留シ、之カ保管ヲ東京府知事、東京市長及東京商業会議所会頭ニ寄托シ、別ニ五名ノ相談役ヲ挙ケ、其収支ニ関シテハ総テ合議ノ上決定スルコトトシ、玆ニ本会々務ノ終了ヲ告ケタリ
     相談役氏名左ノ如シ
  渋沢男・三井八郎右衛門男・岩崎小弥太男・大倉男・中野武営氏



〔参考〕中外商業新報 第一一三一三号 大正六年一〇月二日 ○世界稀有の颱風襲来 惨の極!! 交通杜絶、家屋倒壊、死者無数(DK310052k-0023)
第31巻 p.318-324 ページ画像

中外商業新報  第一一三一三号 大正六年一〇月二日
    ○世界稀有の颱風襲来
      惨の極‼ 交通杜絶、家屋倒壊、死者無数
颱風来る、颱風来たる、琉球方面に発生したる大低気圧は、海を走り陸を横ぎりて三十日夜遂に東京に襲来せり、颷々たる魔風は猛雨を交へて吹き荒み、凄絶愴絶の暴威を逞くする事約五時間、一日午前五時頃に至りて歇む、朔日の陽赫として照る下に街樹根を断ち、塀墻形を乱し、屋瓦途に委し、全市を挙げて荒涼の景ならざるなし
  △月島海岸惨状
    海嘯に襲はれて死者続々
午前二時頃京橋区月島に海嘯起り、佃島町より月島二号地迄の東海岸は何れも床上四・五尺の浸水を見、全部破壊又は流失して其惨状見るに忍びず、猶暴風雨中第二号地日本鋼管会社より出火し、全焼三戸を出し混雑一層なりき、死者は多数の見込なるが、発見せるは左の十七名なり
 月島東河岸通リ七ノ二航海学校々長香高朝治(四〇)妻たつ(三六)女中秋山よし(二一)女中舟山ぬい(三四)△同町九ノ八阿川嘉助(二九)妻きん(二九)老母名不詳△同町十一ノ四水上署巡査長沢倉治(二九)妻きよ(二五)△同町一ノ八金森徳六女とめ(六)△新佃島東町二ノ四久保田鎌次郎(年不詳)長男良三(一五)△同番地小谷部一家母親子供二人△同番地三代川主人△同町二丁目京橋区教育会水泳部内堂本某妻
  ◇焚出し二万人
    軍隊出動警戒
隅田川上流及洲崎方より月島海岸に漂着する屍体十九、流失家屋二百廿二あり、月島署にては神楽坂・外神田各署の応援を求め、警戒に当り、水上署際には第一師団第二中隊を安藤大尉が引卒して警戒する一方、二万人分の焚出をなせり、又月島第一・第二小学校・救世軍及中沢倉庫に救護所を設け、罹災民を収容せり、尚月島の渡船は続々沈没したるを以て、同所へは単に深川方面よりする外交通の便なし
  ◇相生橋大破 深川越中島より月島へ通ずる相生橋は東詰橋脚より全部橋板流失し、目下東京市より人夫数十名出張修繕中なるが、花房橋梁課長は曰く「一刻も早く開通せしめ度い考へで、目下工事を急いで居る、今夜中には車馬の通行も出来る様にする、損害は約二万円で、此外尚市内の橋梁三十二橋も夫々損害を受け修理中である」云々
 - 第31巻 p.319 -ページ画像 
  ◇飲料水皆無 午前零時半京橋区月島の水道鉄管破裂したる為、同島全部は断水となり、飲料の欠乏を来せしより、中には態々小舟を泛べ対岸なる築地よりバケツにて搬ぶなど、惨状言語に絶せり
  ◇夜の月島
    惨憺たる光景
破壊した相生橋には、流木や鉄道の腕木で仮修理を加へ僅かに連絡をして居る、一歩月島に入ると宛として戦場を行くが如く、何の家も電灯がつかないから僅かに提灯を点けて居る処へ、十六日夜の月が憎しげに照して居る、月島警察署では芝方面から応援巡査を求めて署員一同無休で活動してゐるが、未だ纏まつた整理も出来ない、第二救護所では焚出しが来ず、水はなし、餓死させるのかと憤慨して騒ぎ立てる始末、第一救護所は第一月島小学校内にあつて、午前中は相当避難者があつたが、夜に入つてから続々引揚げて、八時頃には二十名程になつてゐた、其傍に赤十字の救護班が負傷者の手当をなして居るが、もう百名以上の手当をしたと云ふ、被害の最も激甚であつたのは東海岸と二号地方面で、此方面では家屋の如きは全く痕形もない様に浚はれて居る、渡しの内では僅かに明石町の渡しだけが安全なので、食料や飲料水を求むる者は皆此処へ襲来して押合つてゐる、月は中天に澄んで光景は一層惨憺たるものである
  △死屍累々
    深川と本所と
本所区内は惨憺たる光景を呈し、相生署管内にては横網町一の二〇林洋食店、同松井町一の七清水倉三方等、何れも倒潰し、午前八時迄に判明せる死者は八名を算し、其他亀沢・相生・林各町は床上浸水三尺に及べり、又深川西平野署管内に在りては、全部床上二尺余の浸水を見、東大工町三六市川滝松外二百余戸は全潰又は半潰し、深川区松村町三二松本喜太郎、同西六間堀町四八小池次郎吉外三名圧死し、猶深川区西平井町一三七宮崎金五郎(二九)同人方野村作太郎(三〇)長男文吉(七さい)同区古石場町二四石島金太郎方同居高谷つたの(七〇)三名は溺死し、負傷者は三十余名に上る見込なり
  △救護情況 本所深川両区にては
 中和・本所・柳島・横川・江東・二葉・茅場・緑・本横・外手各小学校(以上本所)、明治・東川・東陽・六間堀・扇橋・臨海・元加賀・数矢・八名川各小学校(以上深川)
の各所に救護所を設け、罹災民を収容し盛に焚出をなし、又市会議員太田信次郎は軍用麺麭廿万個を寄附したり
  △取引所地下室へ浸水
株式取引所にては、例の継続紀念祭とて一日朝其祝品を各仲買人に配付し、賑かなる十月発会立会をせんとしてゐたが、夜来の大暴風雨に雨水取引所地下室を浸し、金庫内に預り居たる株券を濡らし、各仲買店も朝来浸水を見、大騒ぎとなり、又蠣殻町各仲買店にも浸水したるより一日は休業せり
  △化工博大荒
    本館以外全潰す
 - 第31巻 p.320 -ページ画像 
不忍地畔化学工業博覧会は、教育会館・参考館・別館の三館を全壊され、本館各所の被害甚大也、回復迄には一週間を要すべし、前記三館出品の重なる者は
 島津製作所△東京衛生試験所△東京博物館△海軍省△大阪工業研究所△千住製絨所△水産講習所△陸軍被服廠△高田商会△芝浦製作所△逓信省△高工△農商務省
  △大颱風の経過
    =大平洋を超へて遠く北亜米利加を襲はむ=
廿四日南洋パラウ群島附近に起り、北西の方向を執つて進行して居た颱風は、廿七日の朝呂宋の東北海上で方向を転じ、本邦の方向に向つて北東に進み、廿八日の朝沖縄の南方海上
▽僅々一二浬 の処に席捲して暴風雨を起し、卅日午後六時には紀州潮岬三十里の海上に迫り、静岡附近を散々悩まし同夜上陸、富士山麓大官辺を荒して、一日払暁三時半頃愈々京浜に殺到した、此時の颱風中心示度は横浜に於て七百十五粍、東京に於ては実に七百十四粍と云ふ近年稀有の大低気圧を示し、中心は東京の稍北部にあつた、但し此颱風の先駈が襲来したのは一時頃で、三時半頃に達したのであつた
▽斯くの如き 大颱風は気象台創立以来(明治八年)始めての実験で、東京に於ける午前三時半の深度は世界にも稀に見る現象であつた、従来の最高記録は明治三十五年九月廿八日に七百二十粍と云ふのがあるが、今回のは夫れ以上であつた、各地の報告は電報が切断したのか午前六時以後は何処からも報告が着さない。
六時迄の分は

 地方  深度   時間     風速 風向
 高知 七三九  午後九時    一三 北西
 八木 七三九  同十時     一四 北々西
 彦根 七三八  同十一時    一三 北
 岐阜 七三四  夜半      一四 北西
 浜松 七三六  卅日午後十時  三三 南々西
 横浜 七一五  一日午前三時  四三 南
 東京 七一四  同三時半    ―  ―
 福島 七三九  同三時     一三 東北東

▽猶ほ東京 に於ける卅日午後十時から一日午前八時迄の気圧の変化と風速と雨量とを示せば

 時刻      気圧   風速        雨量
 三十日午後十時 七四六  六・一       一・二
 同十一時    七四四    三       一・六
 夜半      七四〇    六       一・八
 一日午前一時  七三六 一三・九       一・九
 二時      七二九 二六・二      観測不能
 三時      七二一 観測不能       同
 三時三十分   七一四  四・三《(ママ)》  同
 四時      七二一  不能        同
 五時      七三二  同         同
 - 第31巻 p.321 -ページ画像 
 七時      七三九  同         同
 八時      七四一  同         同

▽右の通りで 午前三時卅分が絶頂で、次第に衰へて居る、此颱風は東京の北部を過ぎ、福島方面から金華山沖に出で、奥羽に沿ひ北海道の南東に出るので、経過地は無論被害を免れない、そして遠く太平洋の方面に逸去するが、次第に深度を増す場合と減ずる場合があつて、また消失する事もあるが、恐らく此颱風は遠く北米に迄渡つて、彼地も多少の影響は免れまいと思ふ(岡田博士談)
  △洲崎惨状
    死者算なし
家屋倒壊・家財流失及び死屍の漂着等、州崎の惨状は亦言語に絶せるものあり
 弁天町二ノ一五大川うさ方大沼千代(一八)△同二ノ四石川勘十郎妻ふく△古石場町二一紙製造渡辺米次方本間こう△川原てい△小谷とも△森谷蔵△塚原栄吉△石島清太郎△同町二四高崎つた(七〇)△西平井町三七岩崎金二郎△同町一三郵便集配人野村金太郎長男名不詳△洲崎弁天町二ノ十勝太郎長男鈴木清吉(四ツ)△同番地大岡ふさ子供ツヨ(一九)△西平井町一五坂津茂平長女菊代(四)茂平母しな(四八)△弁天町番地不詳鈴木初太郎長男新太郎(四)△古石場町一七内田ツカ(五〇)
 は午後三時に到るも生死不明にて、所轄署にて取調中、越中島派出所には七名の死者あるも氏名不詳なり、洲崎遊廓は暴風雨の酣なる時、病院に収容せる娼妓二百四十余名の万一を慮り警戒中、怒濤襲来、病室・医科室・外科室・検査場等は一瞬に浚はれし騒ぎに、一同を北部の本館に収容して、辛くも事なきを得たり、廓内には非常線を張り出入を禁止し、罹災民の救助其他全力を挙げて活動しつゝあり
  △洗はれた大森・大井・品川
大森・大井・品川 一帯の海岸は、一丈余の巨浪軒迄打ち揚げ、死者三・行方不明一・倒壊家屋品川七十一・大崎卅一・大森四十・馬込四入新井六・蒲田十五・大井卅七・平塚十四・調布四・矢口六にて、流失せるは大森随一の料亭松浅本店を始め、品川廿六・大森十八・入新井三なり、死者中判明せるは、品川猟師町一〇九加藤長二郎長女かよ(一九)妻いつ(五〇)同番地榎本豊長女きよ(一五)
  △汐留駅の貨物流失
    損害数十万円也
東京西部貨物の集散駅たる汐留駅に於ては、昨今貨物の渋滞を来す事非常にして、酒・綿布・綿・羊毛・米・酢・陶磁器・紙類等を主としたる発着貨物約五千噸を載積し居たるが、構内に浸水し、前記貨物の流失したるもの甚だ多く、其一部分は飯田橋迄逆流したり、損害高は目下取調中なるも数十万円に上るべしと
  △名士の別荘倒壊
    ◇鎌倉・逗子・葉山方面の被害
一日午前一時頃より湘南各地は稀有の暴風雨に襲はれ、就中鎌倉に於
 - 第31巻 p.322 -ページ画像 
ては材木座・由井ケ浜・坂之下海岸は数丈の激浪怒濤岸を噛み、滑川稲瀬川は
△十数尺増水 し、材木座海岸にては同所古川要蔵の家屋全部激浪に浚はれ、露国大使館別荘・毛利元昭公別邸、勝田蔵相の別邸を始めとして、数十戸の倒壊浸水を見るに至り、光明寺門前の如き浸水四尺に及び、長さ二間余の海豚が打上げらるゝ等、光景惨憺たり、坂之下海岸にては田所文部次官・児玉内閣翰長・大村純雄子・富岡周蔵、其他十数戸の別荘は倒壊浸水し、葉山にては下山橋・森戸橋流失せる外
△葉山御用邸 有栖川宮御別邸・北白川宮御別邸・東伏見宮御別邸も多少の損害ありたる摸様にて、其他、後藤内相・山本伯・神田鐳蔵、長者園・鍵屋、其他の別荘旅館の損害多大なるも、激浪の為め交通杜絶し、調査出来難し、逗子にては周布公平男・大浦子爵・岸博士・大浜横浜市会議長・野沢卯之助・モリソン(英人)・マクベン(英人)・ラウダー(英人)等の内外人別荘何れも
△多大の損害 養神亭も激浪の襲ふ所となり、百畳敷其他の大小客室は或ひは倒壊し、或ひは浸水する等、名状し難き惨状なり、田越川及び川間川は氾濫して、沿岸の武井男・大西正雄外五・六十氏の別荘は浸水四・五尺に及びたり、江の島も東海岸にては家屋の流失倒壊夥しき摸様なるも、桟橋流失し電信電話亦不通にて詳報を得ず
△藤沢町にて は材木商大沢利七製材所・江之島電車停留所外三十余戸倒壊したる外、同町大鋸旅館西川善六方家屋倒壊し、宿泊中の青木徳太郎外五名重軽傷を負ひたり、又逗子町三九八、菊地新五郎祖母いち(八六)は、倒壊せる家屋の下敷となり頭部に重傷を負ひ、江之島電車は二・三日間開通の見込なし(鎌倉特置員発)
  △船流失
    横浜港内被害
横浜方面は一日午前三時頃には風速一秒卅二米突七に達して、暴威を逞うし、怒濤防波堤を越して岸壁に衝突し石垣を破壊し、海岸通の如きは約一・二尺の浸水あり、第十六号浮標に繋留中の増田合名会社傭汽船広通丸は浅瀬に乗揚げ、第一区に投錨中の京神合資会社汽船摂海丸と、田中省三氏所有汽船英丸の二隻も浅瀬に擱坐し、新港第三号岸壁に繋船中の日本郵船会社八幡丸は、岸壁に吹きつけられ船首を破損し、スタンダード石油会社の送油用船、房州館山町伊東浅六氏所有帆船第一宝永丸(五噸)、同町伴六輔氏所有帆船清雲丸(十五噸)は積荷の儘沈没し、又横須賀水雷学校所属雑役汽艇第一震天丸(二百噸)と同百三十一号汽艇の両汽艇も亦沈没したり、猶新波止場繋留の乗用艀船十五艘、弁天橋下流なる伝馬船三隻、西波止場長桟橋附近にて快走艇一隻沈没し、又西波止場税関監視部前の浮桟橋、港務部の浮桟橋は何れも流失せり(横浜)
  △流失船多し
    水上署の混雑
築地河岸より月島東海岸に連絡せる渡船は渡船流失、全く連絡を断たれしより、水上署にては東京市と協力して、月島救済に努めつゝあるも、傭船なく且つ河底に沈没せる舟多く、航行の危険云ふ可らず、築
 - 第31巻 p.323 -ページ画像 
地河岸には数百人の見舞人何れも炊出し、水等を携へて口々に渡船開始を促し、混雑名状す可らず、中には水上署に押掛け斎藤署長に厳談するあり、同署長は曰く「月島の死者は二十余名にも達し、又管内の船舶にて沈没流失せる数恐らく百数十隻の上にも達せん見込みなり」と、而して同署の艇庫倒壊し、五艘短艇使用に堪へず、又同署の大井町派出所は全部流失せり
  △電車
    大塚車庫潰れ、本所車庫浸水
午前二時四十分大塚車庫倒壊し、八十台の電車之が下敷となり、為めに同午後一時迄厩橋間運転中止、本所亀沢町車庫浸水し、百五十台の電車モーター損傷して当分全部運転の見込立たず、又鬼怒川電線に故障を生じたるを以て、他の諸線も七時二十分頃に至り、漸く運転を開始したるが、時々停電あるを免れず
  △書記官視察
内務省警保局長岡書記官・地方局田子書記官は、実状視察の為、被害最も甚だしかりし月島・本所・深川方面に出張し、警官の活動、救護方法、避難民状況を視察し、大臣に具申する処ありたり
  △荒川危険也
    今朝十時が懸念
荒川は漸く水量を増しつゝあり、午前十一時警視庁に達したる情報によれば、埼玉県北足立郡平方村附近の同川上流は増水二丈一尺に及びたれば、二日午前十時頃にも至れば下流亦二丈余の増水を見る可く、府下豊島・堀の内・尾久・榎等の各村頗る危険に瀕すべしとて、目下之れが防禦法を講じつゝあり
  △全市非常警戒
暴風雨の為、市内各戸は雨戸・板塀、其他破壊個所多く、戸締厳重ならざるより、一日午後十一時より二日午前四時迄全市に亘り大警戒を行へり
  △火事!
午前八時京橋区月島通り九丁目日東製網株式会社より出火、一棟焼失して同卅分鎮火、原因はカーバイドの化学作用△同午前三時越中島東京工業試験より発火、一棟を焼失して同三十分鎮火、原因取調中△午前三時荏原郡大崎町居木橋三九〇人造石製造工場竹内太次郎方より出火、一戸全焼、原因過失△午後三時日本橋白木屋呉服店内に於ける昇降機の鉄材破損せる電灯線と摩擦して火を発し、工事中の足場に燃移り大事に至らんとせしも、辛く消止む
  △危ふかりし巨艦河内
    横須賀軍港の巨濤激浪
      船の沈没殆んど算無し
横須賀軍港碇泊の駆逐艦は、海嘯の如き巨濤に翻弄され危険甚しきより、何れも三保ケ浦に避難し、巡洋戦艦河内の如き巨艦も吾妻山下へ吹付けられんとして、危険極りなきより
△非常汽笛 を鳴して救助を求め危く難を免れ、鎮守府廻送船三隻は港内より港外へ吹荒されたり、此他海兵団のボート十艘、長崎造兵部
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の小蒸汽六艘沈没す、又同市小川町海岸に繋留中の浅野セメント運搬船小倉丸、東京府下千住土肥長之助所有帆船第一・第二長久丸、川井運輸の甲子丸も沈没せり、市内は
△家屋全壊 百戸・半潰百五十五戸・浸水家屋千五百戸、海兵団倉庫七棟及三浦興振会・第四中学生徒控所・海兵団新兵舎倒壊したり、又浦賀港に在りし安房郡富浦村岡田金之助所有五大力船廿艘沈没、岡田は行方不明、土佐国三里村入海源十郎の第七幸福丸も沈没、市中には死者三名・重傷六名を出せり(横須賀)
  △早大学生圧死
    牛込の下宿潰れ
午前三時頃牛込区矢来町二〇所在、四戸建長屋(花商伊藤勘太郎・岡本運送店・硝子商坂本真之助在住、内一戸は空家)は俄然同番地下宿業千代田館事西村ウノヱ方に倒れ蒐りたるより、同館も轟然たる大音響と共に半倒壊せり、同館は間口三間半奥行八間半の二階建家屋にして、家族は前記ウノヱ(四〇)夫政太郎(四五)長女まさ(一二)外下女一名の他、止宿人十二名あり、内四名外泊し、残る八名の下宿人及家族は命辛々逃出せしが、逃遅れたる止宿人和歌山県有田郡岩佐町七九八哲蔵三男早稲田大学生角谷鶴吉(二〇)富山県下庄川溜町沼田村九六九祐兼長男早稲田高等予備科生伊藤祐信(二〇)は圧死し、又同家長女まさ(一二)は前額に打撲傷を負ひたり
△幼児と職工 府下日暮里町元金杉八二一所在の四戸建一棟の長屋倒潰し、内小沢いそ長男太郎(三つ)は棟木に圧されて惨死を遂げ、又南足立郡東淵江村長右衛門新田仁平染物工場の建物(六十坪)も倒潰し、居合せたる職工関口良平(三五)圧死す
△母親と児 午前三時下谷区坂本町一の九大工職吉多鉄次郎方は俄然崩壊し、妻かね(四一)二男哲二郎(二つ)は逃げ損じて無残にも相擁したる儘惨死せり
△一家六名 午前二時深川古石場町二一印刷工場渡辺半次郎方工場全潰し、雇人山崎清蔵(一九)大河原てい(二一)大倉友枝(一九)堀田栄吉(一三)本間こう(四一)堀田国蔵(一四)は、梁の下敷となりて惨死を遂げたり
△芝にも惨死者 午前三時芝区三田四国町三硝子製造工場大田岩次方雇人小木曾新二郎(一七)は煙突倒壊したる為、熔炉にて面部を黒焦となして焼死を遂げ、同町二三木国三郎方建築中家請負人同区三田小山町二岩間鎌吉(五三)は、家屋倒潰の際圧倒されて重傷を受けたり
△巡査の妻子 洲崎署詰の巡査深川区西平井町一三野村礼蔵(四七)は海嘯と聞くより妻いせ(三七)長女とし(七つ)を遺し廓内へ駆付けし留守中、妻子は溺死
△京浜電鉄不通 京浜電鉄会社は全線を通じて百十数本電柱倒れ不通なるも、品川川崎間は二日中に復旧せしむべく、川崎神奈川間は五・六日間を要すべし
△精養軒新館 上野精養軒新館倒壊し、公園の桜樹の如き五分の一は倒れたり

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〔参考〕社会と救済 第一巻第二号・第一二五頁 大正六年一一月 東京府に於ける風水害救済概況(DK310052k-0024)
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社会と救済  第一巻第二号・第一二五頁 大正六年一一月
    ▽東京府に於ける風水害救済概況
 十月一日突如として襲来せる風水害は、実に、近年稀有の惨状を呈し、全国各地に於て多少其損害を蒙りしも、就中東京府は其最たるものにして、千葉・茨城・神奈川の三県是れに次ぎ、尚ほ福島・大阪・埼玉・宮城・新潟・京都・奈良等の諸府県も稍著しき被害あり、畏れ多くも事天聴に達し、罹災者御救恤として東京府へ五万円、千葉県へ二万五千円、茨城県へ二万円、神奈川県へ七千円、福島県へ四千円、大阪府へ千八百円、静岡県へ千円、埼玉県へ九百円、宮城県へ九百円新潟県へ七百円、京都府へ六百五十円、奈良県へ六百円御下賜の恩命に浴するに至れり。東京府附近の風水害は明治四十三年の大洪水に比すれば、各河川の増水量は左迄激甚ならざりしも、暴風雨並海嘯襲来の為め、沿海地方の被害は実に甚しく、其被害の程度は遥かに明治四十三年以上の惨状を呈せり。殊に東京府下に於ける被害最も酸鼻を極め、死者五五五名・行衛不明者三一名、家屋の全潰並流失三、六〇七棟・半潰五、二六一棟・床上浸水家屋一三四、九四五棟にして、公費炊出救助の延人員は実に七二四、五七八名の多きに達せり。又避難所開設数四七箇所、避難所収容人員三七、五三二名、浸水田畑四、四〇〇町歩余、水産業損害高約百万円、其他樹木の倒れしもの無数にして、各戸殆ど其害を蒙らざるものなし。
 這般の災害に対する救済に関しては、一般社会の同情翕然として聚り、篤志士女の或は労力を以て、或は私財を投じて是れが救済慰問に努力せる者挙げて数ふ可からず。就中東京府に於ては、知事を初め官公吏一同殆ど昼夜の別なく献身的に活動し、機敏の処置を執り、罹災者の救助に全力を致せるは、府民の一般に感謝措く能はざる所なり。其他軍隊の応援を始めとし、宗教・慈善・教育等の諸公益団体、学生団・青年会・在郷軍人会・医師会・消防組、並各種婦人会の援助活動は官公衙の足らざる所を補ひて、克く難に赴き、敏活懇切に人命財産の救助に努力せるの効績洵に偉大なるものありき。 ○下略



〔参考〕中外商業新報 第一一三七四号 大正六年一二月二日 ○府の授賞式(DK310052k-0025)
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中外商業新報  第一一三七四号 大正六年一二月二日
  ○府の授賞式
東京府にては、去る十月一日の風水害に際し活動せる各慈善病院・消防組・青年団等に対し、一日午後二時半府議事堂に於て授賞式を行ひしが、賞状を授与されたる重なるものは、慈善病院代表者三井慈善病院、有志総代南葛飾郡罹災者救済会、消防組総代日本橋消防組、在郷軍人総代荏原郡矢口村分会、学生団総代天台宗大学、青年会総代荏原郡蒲田村青年会等にて、葛西村・大森町・芝区本芝三青年団に対しては、特に義勇旗を授与され、午後四時半式を了れり、当日来賓は渋沢男・河合第一師団長・板垣伯夫人等数十名なりき



〔参考〕社会と救済 第一巻第三号・第二六三―二六四頁 大正六年一二月 東京府に於ける風水害救援団体賞状授与式(DK310052k-0026)
第31巻 p.325-327 ページ画像

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