デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
5節 災害救恤
8款 災害救恤関係諸資料 3. 青森市火災
■綱文

第31巻 p.415(DK310062k) ページ画像

明治43年5月(1910年)

是月、青森市ニ火災発生ス。栄一、罹災者ニ対シ金弐百円ヲ賑恤ス。大正二年一月右ニツキ、賞勲局総裁ヨリ木杯一組下賜サル。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK310062k-0001)
第31巻 p.415 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    賞典
大正二年一月二十七日 明治四十三年五月青森市火災ノ際、罹災窮民ヘ金弐百円賑恤候段、奇特ニ付為其賞木杯壱組下賜候事            賞勲局総裁



〔参考〕新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一四巻・第二四九頁 昭和一一年六月刊(DK310062k-0002)
第31巻 p.415 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第一四巻・第二四九頁 昭和一一年六月刊
    青森市大火=約一万戸焼失
〔五・六 ○明治四三年東朝〕 近年稀なる青森市の大火は、昨紙所報の如くなるが、左に其の続報を記すべし。
△焼死者と救護 焼死者中悲惨を極めしは、大町時計商福司仙之丞にて、其の子及び店員二名と共に、倉庫中に在りて悉く枕を並べて焼死せり。此の他尻無川に逃げ込みしも猛火に追ひ詰められて無惨の焼死を遂げし者二名ありたり。歩兵第五聯隊及び弘前の各隊よりも救護隊を派遣し消防及び救護に努め、尚第五聯隊にては非常用の鑵詰などを運び出して罹災者に給与せり。死傷者は軍隊の救護班にて捜索収容に努めつゝあり。赤十字支部・巡査教習所・度量衡検定所も焼失せり。又東奥日報は工場の焼失を免れたれば、五日より新聞を発行すべし。
△遊廓再燃 柳原遊廓にて、北越楼の外、海岸に沿ひたるもの七戸は幸ひに類焼を免れたるより、娼妓一同を此処に収容したる処、一同襦袢或は着物に、火の着き居れるを知らずして、其の儘蔵ひ置きたる為め、四日朝三時頃発火し、残り七戸皆焼失したり。熟睡中の事とて、騒擾一方ならず、されど幸ひに死傷者は無かりし。〔中略〕
△全焼九千戸 電話加入者四百七十六中、焼失せしもの三百五十六あり、而して電信局員は十中の九まで類焼に遭ひしも、皆熱心に執務し居れり。目下の処一般の全焼九千戸と号し居れり。〔下略〕