デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
2款 財団法人協調会
■綱文

第31巻 p.516-524(DK310082k) ページ画像

大正9年9月(1920年)

是月当会機関雑誌「社会政策時報」発刊セラル。栄一創刊号ニ「労働問題解決ノ根本義」ナル論説ヲ発表シ、十一月ニ公表セラレシ「協調会宣言」ト共ニ長ク当会ノ根本主義トナル。


■資料

最近の社会運動 協調会編 第九九三頁 昭和四年一二月刊(DK310082k-0001)
第31巻 p.516-517 ページ画像

最近の社会運動 協調会編  第九九三頁 昭和四年一二月刊
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 ○第一編 第二十一章 労資協調機関
    第一節 協調会の成立及び其の方針
○上略
 大正九年九月同会は機関雑誌「社会政策時報」を発行して、その徹底社会政策主義ともいふべき立場を以て社会に訴へた。同誌創刊号の巻頭にある渋沢副会長の論説「労働問題解決の根本義」は同会活動の動機を明瞭に示してゐる。
○下略


社会政策時報 創刊号・第一―五頁 大正九年九月 労働問題解決の根本義(男爵 渋沢栄一)(DK310082k-0002)
第31巻 p.517-520 ページ画像

社会政策時報  創刊号・第一―五頁 大正九年九月
    労働問題解決の根本義 (男爵 渋沢栄一)
 昨年十二月我が協調会が多大の抱負と期望とを懐いて社会に出生してから早くも半歳余の時日を経過した。顧れば種々の困難や障害に堪へて、曲りなりにも克く発育したものだとも考へられるが、然しまだ是れといふ際立つた仕事もせず、社会に貢献するところ甚だ薄きの憾みがないでも無い。立場次第では色々の感想も批評も生ずるであらうが、直接事に当つて居る人の苦心努力も諒恕して貰ひたいのである。
 労働問題に対する私の意見は終始不変である。惟ふに社会政策の要義は王道履行の一語に尽きる。七八年前に私は社会政策学会の或る講演会の席上で次のやうな説を述べた事がある。其れは、昔は社会政策の必要が無かつたと思ふのは大変な間違ひである。時代の文野、民衆の智愚に拘はらず治世の要は常に社会政策の実行に在る。語を換へて言へば万人をして各々其処を得せしむるに在る、此事たるや、今日の学問上から説けば種々の理論や法則に分解されるであらうが、畢竟すれば王道を行ふの意に外ならぬ。地位権力の有無、貧富・賢不肖の差別に拘はらず、均しく是れ人間として互に敬愛忠恕の心を以て相接すべきであつて、此道を隅々まで行届かせるやうに施設するのが即ち王道であり、取りも直さず社会政策である。斯ういふ意味にて一場の演説をしたことがあつたが、此考は今猶ほ毫も変らない。
 然しながら今日になつて見ると、社会政策の目的物が非常に具体化して来た、つまり社会問題中の最も緊切なる最も急迫なるものが、労働問題といふ明確な形を以て現れて来た。労働問題と言へば広義の工業に於ける資本家・労働者の関係と、地主・小作人の関係とを含んで居るが、此の地主対小作人の問題に就ては、先日も郷里の地主達に対して私は斯う言ふた、従来は小作の歩引割合を地主のみにて決定したけれども、もう是れからは小作米の数量や品質の適否に就ても、今迄通りの遣り方で決めるのは宜しくあるまい、やはり小作人の中からも総代を出させて、其れと協議するのが穏当であらうと。而して此精神は、工業方面に於ては一層痛切な必要を見るのである。
 一体労働問題を今日のやうに急速に発現させたに就ては謂はゞ私にも大に其責任があるので、之が解決には人一倍心力を尽さねばならないやうに感ずるのである。私は明治の初年に於て、産業の発達には金融機関の整備を図るのが何よりも急務だといふ見地から身を銀行界に投じたが、さて実際に銀行を経営して見ると、英国銀行界の権威たる
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ギルバート氏の言つたやうに、銀行業は全く他の発展と相影響するものである、各種事業が勃興しなければ銀行は用が無い、銀行の繁昌には工業の進歩が何よりも肝腎だといふことを痛切に感じた。元来産業の発達を資くる為の銀行ではあるが、銀行の為にも産業の隆昌が必要である。斯様に相聯絡した理由から、私は随分産業の発達、殊に工業の進歩に尽瘁したが、詰り工業は従前の家内式では到底欧米に伍して行く事ができない、糸車で紡績機械に対抗する訳に行く筈がないといふので、機械工業の促進に全力を注がねばならぬ事になつた。斯様にして新式の工業はズンズン勃興して来たが、其れに伴れて労力の需要が激増したのは当然である。そこで地方から農家の二男三男が盛んに飛び出して来て都市に集まる、丁度保元・平治以降に兵農が分れた時のやうな状態で、工業労働者と農民との分界が出来た。謂はば之れが今日の複雑なる労働問題の俑をなしたのである。であるから我国に於て工業労働者といふ一団が出現したのは極めて近年の事である、現に今生きて居る私が其の発祥の歴史を語ることが出来る位だから、欧米各国の其れのやうな長い沿革と深い根蔕とを持つて居る訳では無い。
 然しながら其の進行に伴れて意外な方向に走るのは、何事に就ても免れないもので、我国の労働問題も其進歩に随つて紛糾錯雑することあるべきは予想するに難くなかつたのである。そこで之を未雨に綢繆せんが為には、第一に資本家の自覚を促さねばならぬと考へた。とかく資本家の陥り易い偏見は、賃金を与へれば主人であり、之を受ければ家来であると言ふやうな封建的の観念である。曾て私が経営して居た銀行業に就ても、当初は此謬見が附纏うて居つた、其れといふのも昔は営業的貸借が少なかつた為、貸金には幾分の恩恵観念が伴つて居た、其れが銀行取引にまで及んで、貸す者は貴く借る者は卑しいといふ考が抜けなかつたのである。そこで私は此旧い思想を打破することを最先の務としなければならない有様であつた。世間には今でも斯様な間違つた風習が浸潤して居る。ちよつとした店先の買物にしても、とかく買手は、傲然として売手を見下す傾きがある。資本あつての事業、事業あつての労働であると同時に、労働あつての事業、事業あつての資本である。資本と労働との共同活動が即ち産業である。賃金を与へる者貴くば労働を与へる者も同じく貴い。否、其の孰れも与へるのでは無い、資本と労働との持寄りに外ならないのである。更に適切に言へば、資本家と労働者との人格的共働が即ち産業である。労働者の癖に怠けるとか、使用人の癖に反抗するとか、つまり此「癖に」といふのが根本の誤りである。此陋習の打破、即ち資本家の自覚が第一だと私は考へたのである。
 第二は労働者の自覚である。此れは資本の作用に就ても同様であるが、労働の根本意義は社会奉仕である。社会の必要とする物資を生産して社会に貢献する、之をなすには資本と労働と協力しなければならぬ、労働者が資本家に対して僻んだ考を持ち、徒らに人を敵視するか又は自己の便益のみを謀つて資本家を敬愛することなければ、即ち社会奉仕に悖るものであつて、其極自ら卑めるものである。此の正当なる思想から十分の節制と訓練とによりて労働組合を組織して、誠実な
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態度を以て漸次に之を発達せしめて資本家の信用を得、此の機関に依つて資本家との協調を保つて行くやうに努めねばならぬ。私は斯く希望したので、曾て友愛会に対しても其の穏健摯実なる発展を切望して已まなかつた次第であつた。
 其頃私の実業界の知友中には私に忠告を与へてくれた人もあつた、其趣意は労働組合の援助は今日の政策としては結構であるが、果して其組合の健全なる進歩を期待することが出来るか何うか、若し組合が強大となつた結果、思ふところ成らざるはなしの勢に乗つて、驕慢横暴の態を示すやうになつたならば、却つて社会特に工業界の禍を招来するものではないかと。然し私は断乎として初志を翻さずして之に答へて言ふたのは、左様な危惧の念を以て相共に僻み合ひ探り合ふのは宜しくない。いつまでも探り合ひをして居れば双方とも胸襟を開く機会が無く、疑心暗鬼を生じて遂には階級闘争の修羅場を現出するやうになる。感情は感情を生み、行掛りは行掛りを累ねて、僻みと猜みと相対し、好景気には労働者が驕り不景気には資本家が威張るといふやうな不道理なる意気張りを続けて行けば、其極工業界の破滅となつて社会の不幸此上もなきことである。故に吾も人も今日は寛大なる心を以て相接し、当然発達すべきものは之を助長し善導せねばならぬと。私は斯様な考を以て資本家・労働者双方の覚醒を促すことに努力を続け、大正五年に事業界を隠退すると共に、今後の生涯の一部を此方面に捧げる積りであつた。
 時恰も床次内務大臣の主唱にて、朝野同憂の諸名士及工業倶楽部の諸君も其相談に与かつて、協調会創立の議が持上つた。資本・労働双方の覚醒を促して切に両者階級闘争の謬見を正し、其間の協同調和を保つて行くには、両者の孰れにも偏せずして公正不偏の立場にある機関を組織して、其の誠実なる活動に俟つのは最も適切な方策である、のみならず天下は資本家と労働者のみの天下では無い、社会構成の中心分子は大多数の公衆である、資本も社会の為に存し、労働も社会の為に存する、社会共同の福祉を離れては資本も労働も其用を成さぬ、此立場からして両者の専恣を戒め、其の当に趨くべきところを指示さねばならぬ、斯ういふ主義を以て本会創立の議が起つたので、私も満腔の同感を禁じ得なかつた。そこで一身を此事業に投じた次第であつて、而して此精神は曩に労働組合を援助した時と寸毫も異ならないのである。世間やゝもすれば協調会は温情主義だといふ、蓋し温情も語義の上から見れば洵に結構である、けれども若し其中に強者が一歩を譲つて、弱者に恩恵を施すといふ気分を含んでゐるならば、我協調会の趣意とは全然相違する、私をして言はしむれば、協調会の趣意は交温主義であつて、資本家も労働者も互に敬愛忠恕の心を以て交を温め合ふのである。斯くして相共に社会の福祉の為に同心戮力せんとするものである。
 過去半歳余の間に於ける協調会の成績は、洵に貧弱の感に堪へないので、社会の与へた深大なる同情に対し忸怩たらざるを得ないものがある。さりながら、敢て弁解する訳では無いが、生れると直ぐに立つて歩けるものでは無い、発育の途上には多少の障害もある、とにかく
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爰まで漕ぎ付けるには人知れぬ憂苦も辛酸もあつたのである。素より今日を以て満足する気は夢にも無い、将来の事業に就ては一所懸命に努力経営して居るのであるから、社会も亦此の緊切重大なる施設に対し、今後も同情を吝まれないやう切望して已まぬのである。社会政策時報の発刊に際し、聊か事の沿革を述べ、平生の所懐を吐露した次第である。


最近の社会運動 協調会編 第九九四―九九五頁 昭和四年一二月刊(DK310082k-0003)
第31巻 p.520-521 ページ画像

最近の社会運動 協調会編  第九九四―九九五頁 昭和四年一二月刊
 ○第一編 第二十一章 労資協調機関
    第一節 協調会の成立及び其の方針
○上略
 同年 ○大正九年十一月、常務理事の更迭があつて、添田敬一郎・永井亨田沢義鋪の三氏が就任した。当時労働界に於けるサンディカリズム的傾向は、協調会の如き合法的・漸進的立場に対して慊らず、世上また往々にして誤解があつたので、十一月八日「協調会宣言」を発表してその立場を明かにし、謂はゆる協調主義を以て社会に問ふに至つた。
    宣言
 協調会の主義綱領は其設立趣意書に明であるが、世間には種々の解釈を以て之を迎ふるものがあり、今に至つて尚協調の本義透徹せざるの憾みがある。
 協調主義は、社会に於ける各階級特に労資両者が平等なる人格の基礎の上に立つて、自他の正当なる権利を尊重すると共に、社会の秩序の為に公正合理なる自制互譲を為し、以て相共に力を協せ、産業の発展・文化の進歩・国家社会の安寧福祉を、最も有効に促進すべきことを主張するものである。責任の自覚は協調の出発点であり、正義と人道とは協調の基本で無ければならぬ。然るに今日世に謂ふ温情主義には、往々にして優者が劣者を懐柔するの意が浸染して居るやうに見える。斯くの如きは、協調主義と遠く相距るものと言はねばならぬ。知識や境遇の差異が、人格の平等を累するものに非ざることは、今更言ふ迄も無いところである。何人と雖も、他人を自己の手段とすることを許されない。人間は常に最終の目的でなければならぬ。人格の尊重、此れが協調主義の根蔕である。
 協調主義は、社会に闘争の跡を絶たしむることを空想するものでは無い。唯闘争に依るに非ざれば到底労務者の地位の向上を期し得べからずとする観念、闘争の為の闘争といふ主義、即ち現時の社会には協調の余地なしとする絶望的思想は、本会の明に否認するところである。彼の私利を追ふに急にして、社会に於ける責務を顧みざる者、並に偏見に囚はれて社会の秩序を破壊せんとする者の如きは、其資本家たると労務者たるとを問はず、本会の飽く迄覚醒せしめんことを期するところである。
 協調主義の精神は、階級闘争を否認すると同時に、階級の調和融合を図らんとするに在る。而し之が為には、一方に於て資本家の謙抑自省を促すと共に、他方に於て労務者の地位の向上、福利の増進を図ることが、今の時に於て最も緊切なる事項である。
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 本会は此目的を達するが為には、最善の努力を吝まざると同時に、労務者自ら同様の目的を以て、労働組合其他の団体を組織し、之を健全に発達普及せしむることを希望するものである。唯団結を濫用して、殊更に其階級を孤立せしめ、徒に社会の秩序を脅威せんとするものに至つては、本会の与する能はざるところである。
 本会は上述の主張を実現する為に、左の方針に依つて進まんことを期して居る。其の一は協調主義の宣伝普及である。素より本会は労働紛議の発生したる場合に於て、必要に応じ自ら調停の労を執ることを辞するものでないが、寧ろ本会の主眼とするところは、予め紛争の生ぜざるやうに努力することである。其の二は社会政策の徹底的実行を期することである、之が為には本会自ら適切なる施設を為すこと勿論であるが、進んで産業教育、其他各般の方面に亘つて、合法的手段に依り、組織制度の改造を促すの必要あることをも認むるものである。其の三は労資両者の意思の疏通を図ることである。乃ち本会は労資双方の個人又は団体と親しく接触して、其の間の誤解や偏見を除去せんことに努むるものである。
 斯くの如くにして、本会は協調主義の実現の為に極力自ら施為すると共に、大に輿論を喚起せんことを期し、同時に社会各方面の人々に対し、此主義の為に充分に本会を利用せられんことを希望するものである。
 即ち之によつて協調会は、一切の非合法主義・直接行動主義を否認すると同時に、家長主義・恩情主義、その他一切の封建的思想、及び無条件妥協主義をも排除し、社会政策の徹底と、労働者団結権の保障とを主張する旨を明かにしたのである。
 社会政策時報第五号には、新常務理事添田氏の就任の辞ともいふべき「労働問題の帰結」がある。これは右の宣言及び上掲渋沢氏の論説と共に、謂はゆる協調主義の何であるかを説明する有権的文書と目すべきものである ○下略



〔参考〕社会政策時報 第五号・第一―五頁 大正一〇年一月 労働問題の帰結(添田敬一郎)(DK310082k-0004)
第31巻 p.521-524 ページ画像

社会政策時報  第五号・第一―五頁 大正一〇年一月
    労働問題の帰結 (添田敬一郎)
     一
 労働問題が世界を通じて最も重大な最も困難な問題となつて居る今日、此の問題の解決を主要なる任務の一とする協調会に、責任ある理事者の一人として身を投じた以上は、微力の有らん限りを尽して、社会国家の為に貢献するところがなければならぬと、私は深く覚悟して居る次第である。其れに就けても先づ第一に考へられるのは、協調の意義如何といふことである。之に関し聊か所見を述べて、此労働問題に対する自分の立場を明にして置きたいと思ふ。
 協調とは其の字義の示す如く、社会に於ける各人が協同調和して全体の為に働き、共に福祉を享受するの状態である。斯う言つてしまへば事甚だ簡単であるが、此の状態を齎らすところの要素は時代に依り又人心の趨向に依り、自ら異ならざるを得ないのであつて、此標語を掲げて労働問題の解決に当らうとするには、現在に於ける右の要素が
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果して何であるかを、周密正確に考覈して見ねばならぬと思ふ。
 協調と言ふことから往々聯想せられるのは、所謂温情主義である。温情は字義の上から見て決して悪いことではない、寧ろ当然のことである。人間同志は常に温かな心を以て相接しなければならぬ、互に同情し合はなければならぬ、此れは歴史あつて以来不変なる道徳の基調である。然るに此れが今日のやうに嫌はれるのは何故であるか。其の第一は、企業家が自己の為に労働者を働かせる手段として、温情の仮面を冠るからである。手段たる温情が却て人に不快の感を与へるのは今更のことでは無い。第二は本心から出て居るのではあるが、相手を自分より劣れる者低き者として之を上から撫で慈むといふ気分が見えるからである。人格の自覚が未だ十分でなかつた時代には、此の意味の温情は以て協調の基礎となすに足つたのであるが、今や世界を風靡し尽したるデモクラシーの思想は、人が人としての関係に於て相対する場合に、其間に優劣高下ありとは考へしめない。爰に至つて所謂温情主義は、もはや協調の事に参ずるの資格を喪失したものと謂はねばならぬ。即ち対等なる人格の相互尊重は協調の第一要素である。
     二
 人格は既に対等である。然し此れは往々にして単なる言語であり理想であるに留まる場合がある。実際に於て人は屡々利己心の為に相手の人格を無視するのであつて、力に於て余りに優劣の差があるときは特に優者をして此の誘惑に陥らしむることが多いのである。而して現在の資本家と労働者との間には、其の知識に於て、其の経済的境遇に於て、又其の産業上の地位に於て、即ち約言すれば其の社会的の力に於て、著しき差異のあることは疑ふべからざる事実である。此点は出来得る限り匡正しなければならぬ。貧窮と無教育とは其人自身の不幸であるのみならず、実に社会の疾病である。しかのみならず社会的境遇の著しき差異は階級の対立を発生せしめ、階級間の敵愾心を誘起し其の極まるところ階級闘争の思想をして今日の労働運動の一つの哲学とさへなさしむるに至つた。闘争と協調とが相容れざるものであることは言ふまでもない。而して闘争思想を緩解し、闘争の機会を尠からしむる最上の途は、実に社会政策の徹底的実施に在る。此事にして適時に行はれないとすれば、其れは同胞の不幸を傍観するものであると同時に、亦社会に災禍を齎らすことを顧みぬものと謂はねばならぬ。即ち社会政策の促進は協調の第二の要素である。
     三
 闘争は其事自体として禍害である。然しながら若し社会的の力に於て優勝なる者が、其の劣弱なる者の人格を蹂躙したならば、時あつて闘争の生ずるも亦余儀ないことゝ謂はねばならぬ。斯かる場合、当事者以外の一般公衆の態度は常に公正でなければならぬ。苟も偏するところあり、苟も阿ねる所あれば、共に協調を説くに足らない。協調は圧迫と屈従との存在を許さないのである。即ち公正不偏は協調の第三の要素である。
 然しながら闘争は如何なる場合に於ても目的であつてはならない。闘争は相手が協調を打破つた場合に、之を覚醒せしめて協調を回復す
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ることを目的とするとき始めて容認し得べきものとなるのである。社会生活の本体を以て闘争に在りとなすが如きは、人性を無視し文化を侮蔑するものである。即ち主義としての闘争の否認は協調の第三要素《(マヽ)》である。
     四
 公衆は公正不偏でなければならぬことは既に述べた。此れに附帯して考ふべきは、公衆は決して労働問題に対する局外者では無いといふことである。生産は畢竟するに消費の為に存する。資本の価値も労働の価値も、要するに其の社会全体に対して供与するところの便益に依つて定まるのである。此の価値を公平に判断し得るの地位に在るものは即ち公衆であつて、公衆の向背が労働運動の成否に最後の決定を与へるものであることは、最近英米に於ける実例が之を示して居る。即ち公衆の利益の尊重は協調の第四の要素である。
     五
 労働問題に於て最も危険なる方面は非国家的思想の発現である。欧洲大戦は一方に於て各国に於ける国民的結束の意外に強きものあるを覚らしめたと同時に、他方に於ては却つて国家に対する信頼の念を薄からしむるの影響をも与へた。大戦の齎した有らゆる禍害の中で、此れほど不幸なものは恐らく他には無かつたであらう。一方に於て列強各々自国の維持発展に汲々たる今日、他方に於て国家を否定する如き思想が一部国民の間に瀰漫しつゝあるとすれば、其の結果は唯混乱の外は無いのである。国際対抗の状態は其事自体として或は禍害であるかも知れない、而も其れは避くべからざる事実である、此間に処して苟も国民的結束を緩めたならば、其国民の運命は問はずして知るべきである。況して我国民の如き、一度海を渡れば超え難き人種の差が到る処に之を排斥して居るでは無いか、然しながら国家に対する不満の念を懐かせるのは、一つは禍心を懐く輩の巧妙にして執拗なる宣伝誘惑に依るのであるが、一つは国家の制度其物の中に時代に適合せざる部分が存するに依るのである。此の点に関する調査研究は一日も怠るべからざる事柄であつて、其の結果漸を追うて改むべきは之を改め、新たに施設すべきは大に之を施設しなければならぬ。即ち制度の改善は協調の第五の要素である。
     六
 上述の諸点にして悉く解決されるとしても、今一つのものが欠けたならば人類は決して幸福ではない。其れは即ち絶間なき生産の発達である。其の質の向上と量の増加とである。人類の歴史は一面から見れば実に生産発達の過程である。
 マルクスは生産の窒息を説いた。然しながら最近の露独革命は、却て生産の空乏に依つて起つたのであることは、欧洲に於ける最も極端なる社会主義者と雖も明かに之を認めて居る。生産の減少は言ふまでも無く、生産の現状維持でも人類をして非常な不幸に陥らしむるものであることは、苟も人類欲望の法則を知る者の否む能はざる所であらう。然るに生産の現状維持にさへも絶間なき資本の増加と堪能なる企業者の存在とを要する。労働者のみの手に依る産業の支配が、果して
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生産の発達を企図し得るかは少くとも今のところ大なる疑問である。所有の本能強き者をして社会の為に資本を作らしめよ、企業の材幹ある者をして社会の為に生産を管理せしめよ、労働の技能ある者をして社会の為に労働せしめよ、此れは人間の自然的分業である。要は其の生産物の分配を公正ならしむるに在る。即ち生産の発達を企図することも亦協調の一要素でなければならぬ
     七
 既に資本と経営と労働とが人類の福祉の為に欠くべからざるものであるとすれば、此三者即ち普通に謂ふところの労資両者が協同調和を以て本体とすべきものであることは、今更言ふまでもないであらう。要するに協調の精神は社会連帯の観念にある、互助共存の思想にある互敬相愛の情操にある、此の精神に反したならば資本と謂はず、労働と謂はず一切のもの悉く存在の意味を失ふ。
 思想は時弊に触れて常に変遷する。国家の干渉度に過ぎて、産業の発達を阻害するの弊に堪へなかつた時代に、自由主義・個人主義の経済思想が生れて之を匡救した。自由主義・個人主義の極まるところ貧富の著しき懸隔を生じ、此れが弊に堪へずして社会主義が生れた。社会主義は一方に於て社会政策を刺戟して多くの福祉を人類に寄与したけれども、他方に於て自ら極端に走り唯闘争を能とするに至つて、遂に生産を破壊し社会を覆滅せんとするの虞あるに至つた。今や此の時弊を匡救すべき新らしき思想は実に此の協調の精神でなければならぬと信ずるのである。



〔参考〕協調会事業一斑 協調会編 第六九―七〇頁 大正一二年六月刊(DK310082k-0005)
第31巻 p.524 ページ画像

協調会事業一斑 協調会編  第六九―七〇頁 大正一二年六月刊
    七、施設経営
(一)雑誌及資料の刊行
 (イ)社会政策時報
 本誌は本会の機関雑誌であり、主として社会問題・労働問題に関する内外の正確なる事実を記載し、本会調査の結果を公表し、加ふるに内外諸家の権威ある意見を紹介するの趣旨を以て、大正九年九月創刊し今日に至つてゐる。
 本誌は智識階級の閲読を主としたものであるから、労働事情・労働立法・国際労働・内外思潮・社会事情等の欄を設け、又英文欄をも特設してゐる。幸にして創刊以来江湖の好評を博し、今日我国に於ける唯一の社会政策雑誌として学界及び一般社会に認められてゐる。現在毎月五千部前後を発行し、其内幾部は関係諸官署・会社・工場等に参考として寄贈し、爾余は書肆に特約して低廉の価格で販売してゐる。現在に於ける分布の範囲は内地は遠近各府県に亘り、又遠く海外にまで達してゐる。
○下略