デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
2節 融和事業
1款 帝国公道会
■綱文

第31巻 p.663-677(DK310103k) ページ画像

大正2年10月9日(1913年)

是日「帝国公道会」首唱者協議会、東京商業会議所ニ開催セラル。栄一出席シ、座長席ニ就キ議事ヲ宰ス。


■資料

中外商業新報 第九八六四号 大正二年一〇月一〇日 ○公道会発起人会(DK310103k-0001)
第31巻 p.663 ページ画像

中外商業新報  第九八六四号 大正二年一〇月一〇日
○公道会発起人会 帝国公道会発起人会は九日午後一時より東京商業会議所に開かれ、大木伯・五島子・渋沢男・郷男・益田・朝吹・中野浅野・大橋・室田・大江・岡本の諸氏三十四名出席す、渋沢男座長席に就き、協議を開始したるが、中野氏が特殊部落に属する百五十万の民を救済せんとする本会の如き、他の一般団体と趣を全く異にするものなれば、各員共慎重の研究と、熱心の努力とを必要とすとせるを始め、各自意見を交換する所あり、結局三十名の役員中二十名を現在の発起賛成人より、追つて選挙することに決定して、同二時半散会せり


竜門雑誌 第三〇六号・第五五―五六頁 大正二年一一月 ○帝国公道会の設立(DK310103k-0002)
第31巻 p.663-664 ページ画像

竜門雑誌  第三〇六号・第五五―五六頁 大正二年一一月
○帝国公道会の設立 一部人民に対し新平民なる名称を付し、侮蔑擯斥を加ふるを慨し、此弊を改め之を善導誘掖するを目的とせる本会は去十月九日午後東京商業会議所に於て、東京首唱者協議会を開きたるが、青淵先生・中野武営・高木男爵・大江卓氏等三十余名の出席あり青淵先生会長席に就き、大江氏より今日迄の経過を報告し、後中野氏の発議に依り取敢へず調査委員二十名を会長より指名し、今後尚十名の委員を選ぶ事に決定したり、因に同会趣意書及会則は左の如し。
    帝国公道会趣意書
 世運発達、文明日新の今日に方り、人道の上に最も甚き汚点を留むる者は、蓋し人種的偏見に過ぐるはなし、彼の欧洲大陸国民の猶太人に於る、白色人の黄色人に於るが如き皆然り矣、而して顧みて我国内に於る社会の状態を察する時は、古来何等の明白なる理由の史上に徴す可き者なきに拘らず、尚依然として一部人民に対し侮蔑擯斥を加ふるの事実あるは、吾人の信に遺憾に堪へざる所とす。
 我至聖至仁なる 先帝御即位の後、夙に此れ等陋習を一掃するの大令を煥発せられ、爾来全国人民各自の一身上に於る権利と奉公の義務とは、尽く同等にして毫も差別することなし、而も同胞中今日猶ほ頑冥固陋、日常相互の交際に於て聖旨の在る所を忘失し、人道上の大義を無視して恬然其恥づべきを知らざる者尠しとせず、是れ実に我社会の一部に未だ全く蛮風を脱却せざる者あることを表明するものにして、吾人は国家の為めに決して袖手傍観するを得べき所にあらさるなり、夫れ人を正さんと欲せば須らく己を正すべし、彼の
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白人をして人種的偏見を悔悟せしめ、以て同胞が世界到る処に平等の幸福を享有するに至らむことを望むの我国にして、豈一日も之を等閑に附す可けんや、而も況や人類天賦の権義を闡明し、上下一心盛んに経綸を行ふは、即ち国家の向上を図り世界の文明を進むる所以の道たるに於てをや、吾人が本会を設立するの主旨は実に 先帝の聖意を奉戴して此の目的を貫徹せんと欲するに外ならざるなり、仰ぎ願くは大方の君子賛襄の栄を賜はらんことを。

    会則
 第一条  本会は帝国公道会と称し、本部を東京市に置く
 第二条  本会は維新御誓文の聖旨を奉戴し、陋習を除き、公道を行ふを以て目的とす
 第三条  本会は前条の目的を同うするものを以て会員とす
 第四条  本会に左の役員を置く
  会長      一名
  副会長     一名
  幹事      若干名
  評議員     若干名
 第五条  会長及副会長は総会に於て選挙し、其他の役員は会長之を指名す
 第六条  役員の任期は満二箇年とし、再選することを得
 第七条  会長は会務を総理し、副会長は会長を輔佐し之れが代理を為す
 第八条  幹事は会長の指揮を受けて会務を処理し、其中より会計主任を互選す
  幹事は有給事務員を雇用することを得
 第九条  評議員は会長の諮問に応答し、会務を評決す
 第十条  本会の会議は左の二種とす
  一評議員会 毎年一回以上臨時必要の場合に之を開く
  二会員総会 毎年四月定期総会を開く、但必要を生じたる場合は臨時之を開くことあるべし
 第十一条 本会は会費及寄附金を以て其経費に充つ
  会費は毎年一円二十銭を以て一口とし、会員は一口以上の会費を負担するものとす
  寄附金は会員又は会員外の有志者より之を募入す
 第十二条 本会は必要に応じ各地方に支部を設立するを得
 第十三条 本会は随時会報を発行することあるべし
 第十四条 会員にして会則に背き又は本会の体面に関する行為あるものは之を除名す
 第十五条 会則は必要の場合に会員総会の決議を以て修正加除することを得


集会日時通知表 大正七年(DK310103k-0003)
第31巻 p.664 ページ画像

集会日時通知表  大正七年       (渋沢子爵家所蔵)
七月廿七日(土) 午后三時 大江天也氏兜町ニ来約
 - 第31巻 p.665 -ページ画像 


竜門雑誌 第三七〇号・第七五―七六頁 大正八年三月 ○特種部落同情融和大会(DK310103k-0004)
第31巻 p.665 ページ画像

竜門雑誌  第三七〇号・第七五―七六頁 大正八年三月
○特種部落同情融和大会 世界の公議に愬へ、人種差別撤廃を絶叫しつゝある我国に於て、百二十万の人口と五千四百個の村落を有する所謂特種部落なるものあり、些少なる種族感より今尚ほ彼等に対して其差別を撤廃する事能はざるは、首尾徹底せざるやの感なきを得ず。大正元年右の解決に資せんが為め、帝国公道会なるもの組織せられ、大木伯を会長に、大江卓氏を副会長に、板垣伯を顧問として着々其効果を収めつゝありしが、同会は更に其効果を顕著ならしむべく、同情融和会なるものを設け、是等部落の全国代表者を招待して大会を開催する事となり、青淵先生を始め、徳川頼倫侯・大隈侯・柳原伯・津軽伯三井・三菱両家、服部金太郎氏等貴族上流階級の人士四百余名これが発起人となり、二月二十三日午前、築地本願寺に於て大会を催したるが、この日来り会するもの、静岡・長崎・熊本・岡山其他各府県部落の代表者及び篤志家数十名あり、発起人側には大木伯・大江氏始め、柳原・小笠原両伯、犬養毅・杉田定一・早川千吉郎・楠瀬中将・山室軍平等諸氏数十名出席し、犬養氏を座長に、大木伯発起人を代表して一場の演説を試み、大谷瑩照・添田地方局長・楠瀬・犬養・柳原・山室其他の諸氏等亦交々立つて同情ある演説を述べて、一般人の偏見を駁し、特種部落の代表者京都の明石民蔵氏、これに対して感謝の辞を述べ、右終つて宣言書並に決議文を朗読して、座長指名の実行委員二十五名を選びて散会したる由なるが、当日青淵先生は差支ありて欠席せられたるも、徳川頼倫侯・柳原義光伯等と共に右実行委員に推挙せられたる趣、諸新聞は報ぜり。


諸会報告書(四) 【(印刷物) 拝啓、時下益々御清祥奉賀候 本会多年提唱の融和問題は…】(DK310103k-0005)
第31巻 p.665 ページ画像

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青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 (竜門社編) 竜門雑誌第五一九号・別刷第一六頁 昭和六年一二月(DK310103k-0006)
第31巻 p.665-666 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調  (竜門社編)
               竜門雑誌第五一九号・別刷第一六頁 昭和六年一二月
 - 第31巻 p.666 -ページ画像 
    大正年代
 年 月
 元 八 ―帝国公道会創立委員長―大、三、六、―名誉会員―昭二・八、(中央融和事業協会ニ合併)。


大江天也伝記 雑賀博愛著 第六八八―六九八頁 大正一五年一月刊(DK310103k-0007)
第31巻 p.666-670 ページ画像

大江天也伝記 雑賀博愛著  第六八八―六九八頁 大正一五年一月刊
    帝国公道会の設立
 大江晩年の事業に対する遠因は、以上の如くであるが、又た自から近因のあつて存するものがなくてはならぬ。その近因の第一は、大江が明治四十五年、後に大正元年となつた年の秋、奈良県同志会の発会式に望んで、その顧問となつたことにあつた。
 然るに同大正元年六月十八日、岡山県の幡司為次郎・岡本道寿の両氏が協議の結果『公道会』を起すの発議となつた。岡本道寿は山口県六連島西教寺の住職で本派本願寺の僧侶であつた。
 岡本は主として『特種部落の改良融和』といふことを主張して広く同志を募り、大正二年二月二十日、公道会の趣意書を発表して二十余名の同志者を得るに至つたのである。同年の五月岡本は大江を訪ひ、その事業の大志を語つて入会を求め、且つ尽力せんことを勧めて止まなかつた。然るに大江は、曩に奈良県同志会の顧問となり、同志と共に特殊部落の改善を謀ると同時に、社会との融和を努めようとの約束があつたので、直に岡本・幡司両氏の公道会に入会する訳にゆかなかつたので、一応奈良県同志会の諒解を得て志を共にすることにしたのであつた。
 且つ同志会の方針と此公道会の方針との上には、何等の相違をも見なかつたが、実行方法の上においては、多少の相違点がないでもなかつた。それは大江の考へた同志会の方針は、先づ各地方に同志会を作り、その同志会が各地に完成したところで、之を中央で聯絡する為に『大日本同志会』といふものを設立する考へで、先づ奈良県同志会の人々と協議し、追々に実行する予定であつた。然るに岡本・幡司の公道会は、先づ中央に一つの総合的な中央公道会を起して、その力を以つて全国の部落民を救助し、向上せしむるやうにしようとするの案であつたので、大江等の考へとは、順序において少しく相違するものがあつた。
 そこで大江は一応同志会の諒解を得、公道会に入つて力を尽すことになつた。岡本は公道会の主役者として最も適任者を得たのを悦びその事業の一切を挙げて大江に托することになつた。そこで大江は従来の組織の方法や趣意書等にも多少の改正を加へ、渋沢栄一男を初め既に会員となつてゐた二十余名の承諾を経て遂に会員四百数十名に達するに至つたので、こゝに大正三年六月七日午後一時を以つて東京商業会議所に於て『帝国公道会』の創立総会を開くに至つたのである。
 当時座長に推された大江は、右の如き公道会成立の来歴を述べ、且つ次の如き感想を陳述してゐる。
 『私は此の事業たるや一大事業であるために、自分は凡ての事を抛擲して、身を公道会の犠牲に供せんければ、到底成就することは出
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来ぬであらう。是非とも一身を捧げて尽さんければならぬといふ決心を致したのであります。抑も此の公道会なる名称は、岡本氏の附した所の名称であつて、其の名称は少しも変更致しません。併しながら其趣意書に、或は銀行を興すとか、学校を起すとかいふやうのことのあつたのを少々改正して、唯今皆様のお手許にある趣意書と大同小異の趣意書に改良を致しましたけれども、尚ほその後多少の改正を加へ、会則等も改正いたしました。つまり明治三年以来、当該部落向上の事に微力を尽しました因縁があつて、此度帝国公道会といふ名称の下に、私が働きを致しますることになつたので、岡本氏等の誘導によつて本会に加盟いたしたのであります。昨年(大正二年)十月九日を以つて当会議所で首唱者の総会を開きました。其の総会の席に於て、渋沢男爵を初め、二十名の委員を選ばれたのであります。その時の座長は渋沢男爵でありまして、その指名によつて二十名の委員が選ばれ、さうして男爵が委員長になられたのでございます。又同月三十日に渋沢君と志村源太郎君を会計監督に選定を致し、且つ二十名の委員中においては、本田男爵・大木伯爵・小野金六・中野武営・日下義雄・朝吹英二、並に私が常務委員に選定せられました。さうして此の委員の出来るまでは、大正二年五月より、芝区琴平町二番地に仮に集会所を設け、六月二十九日芝区源助町十八番地に創立事務所を設けたのであります。其後委員の決議により、有楽町一丁目三番地に創立事務所を移して、今日に至つたのであります。又大正二年十月、即ち委員選定の当時、趣意書並に会則に多少の改正を加へ、委員の名義を以て首唱者及び会員の募集の為め配布いたし、同年十一月二十一日の委員会の決議に基き、私は十二月十一日東京を発し、地方の会員若くは首唱者の勧誘をする為めに出張をいたしました。その地方は愛知・三重・岐阜・滋賀の四県、及び京都府でありました。其の時は十二月の末に押しづまりました為めに、僅かに二週間ばかりの巡回にて帰京いたし、本年(大正三年)三月八日出発して更らに私は、奈良・和歌山・大阪・兵庫岡山・広島・福岡の一府六県を巡回いたし、又岡本氏は愛知・岐阜滋賀・京都・大阪・兵庫・岡山・奈良・和歌山・三重の二府八県の勧誘をいたしました。その結果府県の知事、又は市長その他多少有力者が会員又は首唱者となられ、又た地方において首唱者若くは会員となつたものが、少なからぬ人員に上りました。処が今日に至り復た会員の申込みがあり、只今も申込書封入の郵書が到達しつゝある有様です。今日総会を開きまするに当つて、四百五十余名に通知状を発しました。これが今日までの経過であります。私が関係をいたしましてから、満一年を経過いたしましたのに、充分の基礎を作ることは出来ませんでしたけれども、この辺で総会を開き会の成立を見た上で、追々に力を尽した方が効力があらうとの委員会の意見に従ひまして今日総会を開いた次第であります。』
 此の日の総会を以つて『帝国公道会』はいよいよ成立し、会長に伯爵板垣退助、副会長に伯爵大木遠吉・男爵本田親済を推し、左の通り役員を選定した。
 - 第31巻 p.668 -ページ画像 
  評議員
    今井鉄城    林包明
    本田晋     富田俊次郎
    渡辺享     高橋伸次
    高木兼寛    中田敬義
    中島久万吉   長松篤棐
    室田義文    柳沢保恵
    矢野恒太    松岡康毅
    森下岩楠
  幹事
    大江天也    岡本喜太郎
    尾崎麟太郎   福井正義
    江口駒之助
 後に大木遠吉伯を以つて会長に推し、大江は副会長に推されて、終始一貫、冥目に至る迄、細民部落の救済に尽力した。
 創立総会は非常なる盛会を極めたが、当日は、文学博士黒板勝美の講演があり、潮参事官の演説もあつた。当日の板垣伯の演説及び大隈伯・石川素童師の祝辞を左に掲げる。
      板垣伯の演説
  今日は帝国公道会の創立総会を御結了になりまして、之よりは大いに活動をせらるゝ訳であらうと存じまするが、先刻御報告を承つて見ると、発起人と云ふは他にござりまするやうで、私は耳が聞えませんから分りませんが、其のやうに承知致しました。然るに今日に於ては大江天也師の最も御尽力になつて居るやうに承つて居りますが、抑々大江師の此の精神は今日に初つたことではございませず明治三年に  非人・煙亡等の称を廃せられんことを建白せられたるに基因して、政府は同四年に平民籍に編入せられました。又明治五年大江君が神奈川県令で居られた頃、南米の奴隷船が入港を致しまして、夫よりその奴隷を捕へて、奴隷を開放された。さうすると内国に若し之れに類似のものがあつては、甚だ不都合であらうと云ふので、芸妓娼妓を開放をすると云ふことに、尽力せられました。つまり明治の政治と云ふものが全く平等主義であつて、四民平等の制を建てらるゝ事に相成つたのであります。大江君はその精神を以て徹頭徹尾一貫して行かうと云ふ為めに、今日又公道会のために身を犠牲に供せられたので、政治家たるものゝ当然の経路でござります。明治の政治は平等主義であつて、即ち平等は平和である。不平等は乱である。明治政府は全く平和主義であります。楽を同じうせぬ者は憂を共にする事は出来んので、遂に国民の一致を欠き、国の根底を破壊する様な訳でありまして、今日の公道会を立つるの必要之れ等より生じたものであらうと思ひます。それに就いて此の前途に於ては世界の歴史に徴し、又境遇に察してさうしてやらなければなりますまいが、欧羅巴列国の歴史を見ましても、どうであるかと云へば、彼の平等博愛の主義を以てしたのであります。彼は曰く、『天、人の上に人を作らず』と。斯う云ふ精神を以て活動を致し、
 - 第31巻 p.669 -ページ画像 
所謂階級政治を破壊したので、階級の敗北、平等の勝利、貴族の敗北、平民の勝利と云ふことに帰着したやうに思ひまする。然るに今日の有様を見ますると、彼自ら優等人種と自称して亜細亜人種を圧迫して居る。国に在つて貴族と云ふものは敗北し尚敗北しつゝあるに拘らず、彼等は世界の貴族となつて吾々を圧迫するのでありまするが、之が果して為し得らるものでありませうか。亜細亜の各所に於て正当防衛の戦を初めると云ふことになりました時に、彼等がよく之を圧迫し、亜細亜人種を地球上から駆逐すると云ふことが出来得らるゝものでありませうか。恐らくは禍は彼が蕭牆の内に起りはせんかと思ふのであります。既に彼等は生活難を叫びつゝあり、又労働神聖と云ふことを叫んで居る。さうして平和の手段としては罷工同盟があり、其の後は擾乱を起すと云ふの有様で、又其の極端の無政府党の如きになりますれば『我々は兵隊あるを欲せざるなり。兵隊なる者は吾兄弟を殺戮すればなり。我々は政府あるを欲せざるなり。政府なるものは我が財産を掠奪すればなり。吾々は宗旨なるものを欲せざるなり。宗旨なるものは我が兄弟を愚にすればなり。』と、斯く極端の言辞を弄して居る。之は吾々の賛同の出来んことではありますが、併し其の要領は慥に捉へて居るやうに思ふ。斯の如く自覚あり、斯く理想ある所の彼が、かの『一将功成り万骨枯る』と云ふの功名心に駆らるゝ戦を起してよく其の長きに堪へて、亜細亜人種を地球上から駆逐すると云ふことが出来やうか。恐くは出来まいと思ふ。既に一国に於て貴族と云ふものゝ運命が短いならば、世界に於ける貴族の運命も亦長くない事は明かである。さうして兎角彼等の圧迫を受けた亜細亜人は、船を同うして風に逢うて居る今日であらうと思ひまする。さうして亜細亜人はどうであらうかと云へば、其の中心となるべき日本・支那の有様はどうであるか。日支は互に睨み合つて居るのではないか。又支那には南北相争うて居るではないか。日本は藩閥勢力を争つて居るではないか。我が同胞は亜米利加で排斥せられながら、朝鮮・台湾の土着人民を軽蔑して居る。則ち右に悪む所を左に施すといふが如き浅間しき有様である。私は斯の如き場合では決してあるまいと思ふ。然るに甚しきに至つては此の賤民部落の如きものである。之れを要するに文野の分ちは人を尊ぶと尊ばざるとにあつて、半開の国に在つては人爵を重んじ人を尊ばず。文明の国は人を尊ぶのである。決して親の功を子孫に相続すべきものではない。それと同時に、親の罪も亦た子孫が相続すべきものではないと思ふのでありまする。それが解つたなれば、此の賤民部落を何が故に卑しむか、人は汎く独立のものであつて、其智愚・強弱といふものは致方が無いとしても、教育さへ同じくすれば立派な人間となれるのである。道理は終局の勝利であると云ふことを、諸君と共に信じたいと思ひます。
      祝辞
 人類平等の大義は天地の公道にして、又実に明治天皇の聖旨の存する所、文明の徳化、一に是が大義に基づくべきは、固より言を憚らざるなり。
 - 第31巻 p.670 -ページ画像 
 惟に我大和民族は其歴史に於て、或は種々の要素を包有すべしと雖も、立国の根本は全く君臣一系の体制を成し、普天率土悉く我皇の臣子ならざる無し。此間断じて区々種族的階級の思想を容るさざるなり。曩に 明治天皇の宸断、旧慣を打破して下民一様の聖沢を布かせ給ひたるに係はらず、維新四十余年の文化、未だ一社会に於ける旧思想の全然除却されざるものあるは、寔に 先帝の聖旨に鑑み更に大正の治世に察して、特に遺憾無きを得ず。
 帝国公道会新に起りて、是が大義を宣明し、以て大に聖世に貢献せんとす。真に人道の美挙と謂ふ可し。発会に際して一言祝辞を述べ併せて諸子の奮励を望む。
   大正三年六月          伯爵 大隈重信
      祝辞
 聖天子の億兆に君臨し給ふや、一視同仁にして、仏世尊の群生を済度せらるゝや、慈悲平等なり。四海五湖斉しく是同胞にして、仏法海中豈に差別あらんや。然も器世間に在りては、或は優劣となり、或は勝敗となり、自ら遂に強弱相制し尊卑相隔つるに至る。方今、人文日に就り月に将み、東西相倚り彼此相済し、以て其福利を共にする時に際し、猶ほ依然として、一部の同胞に対し侮蔑擯斥を加ふる者あるが如きは、畢竟未開の陋習にして、実に是れ人道の大義を害ふのみならず、至尊の聖旨に背き、仏陀の本誓に違ふや、又大なり。
 大江天也上座夙に之れを憂ひ、慨然として人生の栄誉を抛ち、仏門に帰命し、弘誓の大願を発して、人類天賦の権義を闡明し、国家進運の経綸を践行せんことを期し、玆に帝国公道会を組織し、天下に訴へて以て目的とす。寔に菩提道心の行持と云ふべきなり。老衲深く之れに随喜し、私に大誓願の成就を祈り、更に精進勇猛の努力を嘱すや切なり。玆に本日を以て発会の盛典を挙げらる。老衲偶ま地方に巡化し、親しく其席に臨み、法悦の菲懐を陳ぶるを得ず。頗る遺憾とする所なり。依つて遠山長水の外、遥に祝辞を寄せ、兼て本会の発展を望む。至祷々々。
   大正三年六月七日
           曹洞宗大本山総持寺貫主
            勅特賜大円去致禅師 石川素童
○下略



〔参考〕大江天也伝記 雑賀博愛著 第七〇四―七三二頁 大正一五年一月刊(DK310103k-0008)
第31巻 p.670-677 ページ画像

大江天也伝記 雑賀博愛著  第七〇四―七三二頁 大正一五年一月刊
    公道会の事業
 斯くして公道会の成立すると同時に、大江は同四年十二月十一日を以つて、第一回全国巡回の途に上り、愛知県名古屋において、公道会成立後の第一回講演を行つたのを手始めとして、三重県より京都・滋賀各地を歴巡して一先づ帰東し、翌大正四年、更らに第二回の全国巡回を試み、かくして大正十年に至るまでに、全国殆んど大江の足跡を印せざるはなきまでに至つた。
 会長大木遠吉伯は、維新の功臣大木喬任伯の嗣子で、喬任伯が大江
 - 第31巻 p.671 -ページ画像 
の建議時代《(マヽ)》の民部卿であつた関係から、帝国公道会の会長に推したのであつたが、かゝる関係よりせずとも、伯は夙に階級観念を脱し、豪放磊落、天空海闊の度量と大志とを有する点において、公道会の事業には、充分の理解があり、自から進んで各地の部落に臨み、寝食を共にして、彼等の為めに善導の道を講ずることに怠らなかつたことは、部落民の向上の為めに、非常なる功果を齎らすものであつた。
 公道会の事業は、実に言ふべくして行ふに難きものであつた。然しながら既に一生を捨てゝ之れに託した天也と、大木伯との精神的努力とは、此の難事業をして著々その緒に就かしめた。大江は政府部内とも大に協議し、内務省及び地方官との聯絡を計つて、部落の改善に尽すところがあつた。
 欧洲大戦の後、世界に勃興した社会主義的思想が我国にも波及し、大正八年の米騒動あり、続いて労資の問題が、社会を震はしめた時には、大江は公道会をして、之に対する対策をも案じ、部落民の北海道移住にも極力尽瘁するところがあつた。当時大江が発表した公道会の実行方針及び事業に関する文書に、此の間の消息が窺はれる。
      公道会ノ実行スベキ方針及事業
  我ガ帝国公道会ハ、我ガ国現代ノ社会ガ、猶ホ上下ノ階級ヲ存シ強テ貴賤相隔テ、貧富ノ別ヲ劃テ相親マズ、優者ト劣者ト軋轢ヲ生ジ、遂ニ一大危機ヲ醸成スベキ虞アルニ鑑ミ、之ガ調節融和ヲ謀ランガ為メ 明治天皇陛下御誓文ノ第四項ニ、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ。トノ聖旨ヲ奉ジ、穏健ナル社会政策ヲ実行セント欲スル目的ヲ以テ、大正二年ニ創立セリ。其趣旨ヲ細説セバ、商工業主ト店員若クハ職工、地主ト借地人、家主ト借家人、鉱山主ト鉱夫、債権者ト債務者、親分ト子分、雇主ト被雇人、所謂特殊部落民ト一般社会民、芸娼妓若クハ酌婦ト抱主、其他何等ノ名目ニ拘ラズ、師弟苟クハ主従関係ヲ為スガ如キ、優者ト劣者トノ間ニ、起リ又ハ起キントスル破綻葛藤ヲ調停弥縫シ、猶ホ進ンデ婦女僧侶ニ対スル法律上ノ一部ノ奪権ヲ掃去シ、社会ノ安寧秩序ヲ保タントスルニ在リ。
  適々這般米価ノ暴騰ヲ導火線トシテ、各地ニ蜂起シタル騒擾ノ如キ、実ニ聖世ノ瑕瑾タルハ謂ハズ、最モ社会ノ秩序ヲ紊乱シ、拾余万ノ兵ヲ数十ケ所ニ動カシ、僅カニ鎮定ヲナシタリト雖モ、既ニ暴民トシテ起訴セラレタルモノ六千八百十八人ノ多キニ至ル。是レ実ニ空前ノ出来事ト云フベク、亦貧富懸隔ノ極決シテ絶後ノ者トハ称スル能ハズ。社会人心ニ甚シキ不安ノ念ヲ生ゼシメ、一時無政府ノ感ヲ懐カシムルニ至リシハ、実ニ慨嘆ニ堪ヘザルナリ。
  従来社会政策ヲ標榜セル会団ナキニアラズト雖モ、其多クハ強ヲ挫キ弱ヲ拯ハント称シ、輙モスレバ仮令ヒ資本家ニ損害ヲ加ヘ資金ヲ減耗スルモ、寧ロ職工ヲ庇護スルヲ以テ目的手段トス、如斯ハ徒ニ美名ノ下ニ、自己ノ勢力ヲ扶殖シ、其慾望ヲ逞クセントスルモノニ外ナラズ、我帝国公道会ノ提唱スル所ハ全ク之ニ異リ、資本ハ主ニシテ本ナリ、労力ハ従ニシテ末ナリ。然リ而シテ能ク資本ト労力ヲ調和シ、資本即強者ニ拠テ、従末即チ弱者立チ、所謂隻手ヲ鳴ラ
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ス、手ハ手ヲ洗フノ妙諦ニ到達セシメント欲スルモノナリ。
  今日我ガ国工業ノ隆盛モ、若シ良ク之ヲ利導スルニアラザレバ、却テ他日ノ恐慌ヲ醸生スベキ凶兆ナルハ、智者ヲ俟ツテ後ニ知ルベキニアラズ、且ツ夫レ欧洲戦乱平定後ニ於テハ、必ズヤ亜細亜洲中ニ於テ、商業上ノ一大競争アルハ、万人ノ見テ疑ハザル所ニシテ、斯ノ場合ニ当リテ我国ハ其競争者ノ一ニ加ハラザルヲ得ズ、而シテ其競争ノ結果トシテ、各国ハ互ニ物価ノ低廉ヲ以テ勝ヲ制セザルヲ得ザル形勢トナルベキハ見易キノ理ナリ。
  而シテ欧米ニ於ケル資金ハ低利ニシテ、我邦ニ於ケル資金ハ其利率高ク、之ニ反シテ我ガ国ノ労働賃銀ハ、今ヤ稍々騰貴セリト雖モ欧米ニ於ケル其レニ比スレバ猶ホ低廉ナリ。又欧米ニ於ケル労働賃銀ハ、極メテ高価ナルガ故ニ、彼ハ我ニ向テ争フニ資本ノ低廉ヲ以テ利器トシ、我ハ彼ニ向テ争フニ労働賃銀ノ低廉ヲ以テ利器トスベキハ、蓋シ自然ノ趨勢ナリトス。
  前述セル如ク、工場激増シ製品夥多ヲ告グルノ結果、供給ハ需用ニ超過シテ物価ノ低廉トナルハ見易キノ道理ニシテ、且ツ欧米ノ競争者ハ我ト利ヲ争フガ故ニ、其勢ハ薪ニ油スルノ状ヲ呈スルハ火ヲ見ルヨリモ明ナリ。是即チ戦後我ガ商工業界ニ一大恐慌ヲ来スノ時ナリ。而シテ斯ノ如キ場合ニ至リテハ、第一ニ工場主、即チ資本家ナルモノハ、勢ヒ労働賃銀ヲ低減シ、以テ欧米ノ工業者ニ当リ、其工場ノ維持ニ努メザルベカラズ。而シテ今日ノ如ク、賃銀ガ騰貴シテ、労働者ノ生計ニ余裕ヲ生ジ、其経済ノ膨脹セル場合ニ於テ、苟シ俄ニ其賃銀ヲ低減センカ、忽チ労働者一家ノ生計ニ大変化ヲ来スガ故ニ、其苦痛ヲ感ズルノ度ハ、却テ尋常ノ場合ニ於ケルヨリ大ナリト云ハザルベカラズ。即チ一方ニ於テ工場主ハ工賃ヲ低廉ナラシメントシ、労働者ハ其苦痛ニ堪ヘズシテ之ニ抗スルノ結果、遂ニ同盟罷工ノ如キ不祥事ヲ見ルニ至ルハ勢ノ然ラシムル所ナリ。然モ同盟罷工ニヨリテ操業ヲ休止シ、工場ヲ閉鎖スルニ至レバ
  第一 ニ直接損害ヲ受クルモノハ、労働者ソレ自身ナリ。何ントナレハ彼等ハ其日ヨリ食ヲ失フヲ以テナリ。
  第二 ニ直接損害ヲ蒙ルモノハ資本家ナリ。何トナレバ資本ニ対スル利息ヲ得ルコト能ハザルヲ以テナリ。
  第三 ニ国家モ亦タ間接ニ、且ツ永久ニ其損害ヲ受ケザルベカラズ。何トナレバ、工場ノ休止ハ直ニ輸出額ノ減少ヲ来シ、国富ヲ減却スレバナリ。
  前三項ノ場合ニ於テ、我ガ国ノ従来開拓セシ市場ハ、之ガタメ他国人ノ侵略ヲ受ケテ、多大ノ販路ヲ失ヒ、他日資本家ト労働者トノ間ヲ調和シテ、工業ヲ回復スルニ至ルモ、ソノ既ニ奪ハレタル市場ヲ恢復スルハ、実ニ至難ノ事ニシテ更ニ長キ年月ヲ費サヾルベカラズ。即チ之ガタメニ国家ノ失フ利益マタ実ニ尠少ニアラザルナリ。是故ニ現時欧洲戦乱ノ外ニアリテハ春風裡ニ座セル我ガ国ノ工業界ハ、他日秋風蕭殺ノ一大恐慌時代ニ遭遇スベキヲ覚悟シ、其来タラザルヲ恃ムナク、以テ待ツアルヲ恃ミ、未雨ノ綢繆ヲ施サヾルベカラズ。即チ今日ニ於テ之ニ備フル所ノ積極的方法ヲ講ズルノ必要ア
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リ。換言スレバ資本ト労働トノ衝突ヲ緩和シ、其関係ヲ円滑ナラシムルノ必要アルナリ。蓋シ両者ヲ調和スルノ必要ヲ論ズルハ天下其人少カラズト雖モ、未ダ一人ノ一般ニ亘レル具体的方法ヲ設ケテ、之ガ予防ニ着手スルモノアルヲ聞カズ。今ヤ吾人ハ自ラ揣ラズソノ予防方法ヲ設ケテ事ニ従ハントス。亦タ隗ヨリ始ムルノ微意ノミ。
  夫レ資本ト労働トハ、決シテ仇敵ニアラズ。資本家ガ巨万ノ富ヲ擁シテ未ダ事業ニ投資セザルニ方ツテハ、全然労働者ト没交渉ニシテ、資本家ノ権能ハ何等他人ノ掣肘ヲ受ケザルモノヽ如シト雖モ、一度工業ヲ起スニ至リテハ、資本ト労働トハ常ニ相離ルベカラザル関係ヲ有シ、其功程ヲ挙グルハ、一ニ之ヲ労働者ノ力ニ俟タザル可カラズ。而シテ労働者ハ資本主ニ対シテ同盟罷工ナル利器ヲ有シ、活殺ノ偉力ヲ掌握スルガ如シト雖モ、若シ工場ニシテ閉鎖セバ、活殺ノ偉力モ用フルニ所ナキヲ如何セン。是故ニ両者ハ密接ノ関係アリテ、其離ルベカラザルコト毫モ疑ヲ容ルヽノ余地ナシ。蓋シ資本ト労働ハ、前述ノ如ク一朝恐慌ノ襲来スルニ際シテハ、同舟相救フノ誼ニ基キ、互ニ其方面ヲ分チ競争者ノ襲撃ヲ防遏シ、其工場ノ維持ヲ図ラザルベカラズ。然ラバ即チ場合ニヨリテハ労働賃ヲ低廉ナラシムルモ亦止ムベカラザル自然ノ理数ニシテ、資本家ガ不当ノ利得ヲ主張セザル限リハ労働者モ之ヲ甘受セザルヲ得ズ。何ントナレバ、若シ労働者工場主ト争ヒ、工賃ノ低減ヲ諾セザル時ハ其工場ハ閉鎖ノ止ムナキニ至ルノ虞アルヲ以テナリ。若シ工場ニシテ閉鎖セバ、労働者ハ技術ヲ何レノ地ニ用ヒ其工賃ヲ何レノ地ニ求メントスルカ、之ヲ用フルニ所ナク、之ヲ得ルニ主ナキノ悲境ニ陥ラザルヲ得ズ。是故ニ労働者ハ賃銀ヲ得ベキ所属ノ工場ヲ保存シ、益々之ヲ盛大ナラシムルヲ以テ唯一ノ目的トセザル可カラズ。即チ資本家ト労働者トノ間ニ於ケル利益ノ分配ハ、先ヅ第一ニ工場主即チ資本家ノ資本ニ対スル一定制限ノ金利(仮令バ通常配当ヲ一割トスルガ如シ)ヲ控除シタル上ニテ、更ニ相当ノ利益アル場合ニ於テ労働者ニモ其賃銀ノ外ニ、多少ノ慰労若クハ賞与金ヲ付与セザルベカラズ。如斯ニシテ初メテ工場ノ安固ヲ保チ、労働者モ永久ニ安全ニ労働シ得ルノ地ヲ得ベシ。即チ労働者ト資本家トハ、互ニ独生孤立スル能ハザルモノニシテ、彼ノ『ハツクスレー』ガ資本家ト労働者トノ関係ヲ論ジテ
   初生児ガ始メテ空気ヲ呼吸シ、四肢ヲ動カシテヨリ、遂ニ生長シテ行動ヲナスニ至レルハ、畢竟玆ニ母アリテ健全ナル児ノ体躯ヲ生ミシ結果ナリ。
 ト説キ、是ノ事実ヲ敷衍シテ、資本ハ即チ労働ノ母ナリト断ジ、資本ハ決シテ単独ナル労働ノ作ル所ニアラズシテ、其ノ存在ハ寧ロ労働ノ前ニアリ、資本ハ労働ニ対シテ原料ヲ供スルモノナルガ故ニ、両者ハ相俟ツテ其用ヲ為サヽルベカラズト切論セルモノ、豈ニ之レガ為メナル無カランヤ。
  吾人ハ、上来ノ趣旨ニ基キ、我ガ国今日ノ最大急務タル労働者問題、即チ資本ト労働トノ危虞ヲ未萌ニ防遏シ、和衷協同ノ精神ヲ以テ之ヲ処理シ、両者ノ利益ト権利ヲ擁護スルト共ニ、無職業者ニ職
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業ヲ与ヘ、或ハ一方ニ過剰セル労働者ヲ其欠乏セル地方ニ転ジ、以テ労働ノ調節ヲ図リ、兼テ精神ノ慰安ト智徳ノ涵養ニヨリテ、一般弱者ノ地位境遇ヲ向上セシメ、其他相互扶助ニヨリテ其生活ヲ安固ナラシメンガ為メニ、全国ノ労働者ヲ糾合シ、之ガ一大聯合団ヲ設立セントス。而シテ吾人ガ之ニ対シテ為スベキ方策多々アリト雖モ約シテ之ヲ云バ次ノ五項ノ外ニ出デザラントス。
  一、強者ト弱者トノ仲裁 農商務大臣ハ資本家・労働者ノ代表者工場監督官・法律家・工学者・経世家・医学者・教育家・貴衆両院議員・商業会議員等、名誉アル人々ヨリ常設委員ヲ選任シ、強者ト弱者トノ間ニ生ズル葛藤ニ就テ、之ガ仲裁調停ヲナシ、兼テ平常両者間ノ監督ヲナスヲ要ス。
  二、労働者ノ調節 仲裁委員会監督ノ下ニ調節部ヲ置キ、一地方ヲ限リ労働者ノ組合ヲ作リ、更ニ進デ各組合ノ一大聯合団ヲ組織シ、全国ニ於ケル労働者ノ過剰並ニ不足ノ調節ヲ図リ、兼テ、各労働者ノタメニ職業ノ紹介ヲナスヲ要ス。
  三、保険 或ル労働者ノ種類ニ因リ、老傷病ノ保険ヲナサシメ、労働者各自ニ賃銀ノ幾分ヲ割キテ保険料ヲ払ハシメ、猶ホ資本主ヲシテ一定利益ノ外、其収得ノ幾分ヲ削テ保険料ヲ補足セシムルヲ要ス。
  四、積立金 賃銀ヲ得ル労働者ニ於テハ其賃銀ノ千分ノ一ヲ積立金トシ、仲裁委員会監督ノ下ニ之ヲ利殖シ、恐慌ノ場合ニ於ケル家計ノ補足ト為サシムルヲ要ス。
  五、相互扶助 仲裁委員会ノ裁定ニ基キ、或ル一部工業賃銀ノ低減ヲ要スル場合ニ於テハ、積立金幾分ヲ支出シテ之ヲ補助スルヲ要ス。
  又一方夫ノ特殊部落民ニ対シテハ、我ガ帝国公道会ノ特ニ重キヲ置テ、一般社会ニ同化セシメント主張スル所アリト雖モ、一般社会ノ迷盲ヲ破リ、特殊部落千数百年ノ弊風ヲ矯正セントスルハ、実ニ難中ノ難ト謂ハザルベカラズ。然レドモ、若シ之ヲ雲煙過眼視シテ放下セバ、他日露国猶太人ノ行為ヲ再演シテ、社会ニ不測ノ変ヲ生ジ、延テ我ガ国体ニ迄、波動ヲ及ボスノ導火線タルベキ危険ノ虞ナキヲ保スベカラズ。今部落民ノ一方ニ偏シテ試ミニ之ガ救済ノ方策如何ヲ抽象シテ論スレバ、左ノ三法ニ過ギザルガ如シ。
  (イ) 改善ノ実行
   衛生ノ設備、教育ノ奨励、風俗ノ矯正、職業ノ変更等ハ、官公吏即チ市郡区町村長及警吏ノ警告指導ニ依テ強行セザルベカラズ。此等ノ改善事項ヲ実行セント欲セバ、各部落内ニ廿歳以上三十五歳以下ノ壮年会ヲ組織シ、改善ノ実行ニ任ゼシムベシ。
  (ロ) 社交的善導
   経世家・学者・慈善家ノ講演ニ因テ、社交上ノ徳育ヲ進メ、前項実行ノ欠クベカラザルヲ講ズルノ外、特ニ先帝陛下洪大無辺ノ聖恩ニ報効セザルベカラザルコトヲ懇切徹底セシムベシ。
  (ハ) 精神ノ修養
   僧侶ヲシテ、常ニ精神的修養ニ関スル説教ヲナサシメ、単ニ浄
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土ニ往生セシムルコトノミヲ説カズ、現世ニ於ケル徳義善行ヲ教ヘシムベシ。
  以上ノ三法ヲ併行実施セント欲スレバ、之ニ必要ナル費用ヲ要スルコト決シテ鮮少ナラズト雖モ、先帝陛下一視同仁ノ御遺旨ヲ貫徹シ、延テ社会ノ安寧秩序ヲ保持スルガ為メニ、国家ハ之ガ支出ニ吝ナルベカラズ。民間ノ富豪モ、亦、之ガ為メ義捐シテ、其資金ノ補足ヲ惜ムモノアルベカラズ。各地方ニ於テハ、各府県庁ニ貯在セル恩賜ノ救済資金利子ノ幾分ヲ投ジテ、各管内部落改善ノ費途ニ充テ其不足スル所ハ地方税ヲ以テ之ヲ補ヒ、根本的ニ之ガ向上発展ヲ謀リ、社交上些ノ差別ナキニ至ラシメザルベカラズ。
  這般騒擾事件ノ勃発スルヤ、至ル所、所謂特殊部落民ガ主動者タルモノヽ如ク、報道ヲ新聞ニ伝ヘ、朝野ノ人心ヲシテ戦慄セシメタリト雖モ、本会ノ調査シタル実蹟ニ証スレバ、大ニ誤レルモノ少カラズ。京都市ノ柳原町ニ於ケルガ如キ、部落民先ヅ騒擾ノ端ヲ開キタリト云フハ、不実ナリト云フヲ得ズ。然リト雖モ独リ部落民ノミ騒擾シタルニアラズシテ、常ニ同町内ニ雑居セル博徒、浮浪ノ輩、相拉シテ乱行ヲナセシナリ。但同町内ノ部落民ト雖モ、我ガ帝国公道会員ノ如キ、一人ト雖モ之ニ加ハレルモノアルヲ聞カズ。
  所謂特殊部落ノ総人口ハ約百二十万ニシテ、我ガ本島人民総数ノ約五十分ノ一ニ該当ス。況ヤ京都府下ノ人口ニ比例セバ、十五人二分ニ一人トナルガ故ニ、京都府下ノ乱民三万二千人ト仮定セバ、部落民ノ約二千人混入セルハ数ノ以テ免カレザル所トス。然ルニ京都府下ニ於ケル乱民ハ五・六万以上ト称スルニモ拘ハラズ、現ニ検挙セラレ居ル被告人ハ二百七十四人ニ過ギズ、其内部落民ニ属スルモノ幾許アルカヲ知ラズト雖ドモ、其全部ガ皆部落民ナリトハ仮定スベカラズ、若シ之ヲ人口ニ比例シテ仮算セバ、部落民ノ乱暴ヲナセシモノハ、割合ニ少数ナリト云ハザルベカラズ。之ヲシモ這般ノ騒擾ハ、重ニ部落民ガナシタリト云フニ至テハ、之ヲ誣ユルモ亦甚シト謂ハザルベカラズ。
  然レトモ、部落民ハ多年露国ニ於ケル猶太人以上ノ圧迫ヲ受ケ、(小学校ニ於テ校舎ヲ別ニシ、若クハ教室ヲ異ニシ、一般児童ト差等ヲ立テ教育スル所アリ、仮令ヒ学術試験ニ合格スルモ身元調査ノ上ニテ、巡査ニ採用セラレザルコトアリ、士族ニ変籍シタルモノヽ外、士官学校ニ入ルコトヲ許サレス、近衛兵ニ選抜セラルヽコトヲ得ス。入営中幸ニ上等兵トナルコトヲ得シモノハ偶々ナキニアラサルモ、下士官ニハ決シテ採用セラレス、其他社交上ノ圧迫ハ枚挙ニ遑アラス、故ニ玆ニハ記サズ)常ニ復讐ノ念強キガ故、事ニ触レ煽動セラルヽコトアレバ、一朝其身ヲ忘レ附和雷同シ易ク、殊ニ我ガ国民総数ノ五十分ノ一ニ該当スル多数ノ同胞ヲ疏外シ擯斥シ侮蔑スルガ如キハ、上ハ 先帝陛下ノ御遺志ニ戻リ、下ハ同胞ノ徳義ニ違ヒ、社会政策上、黙認スルヲ得ザルノミナラズ、国家多事ノ時ニ当リ、如斯状態ヲ継続シ置ク時ハ、実ニ不測ノ禍害ヲ醸生スルノ虞ナキヲ得ザルベシ。豈恐レザルベケンヤ。
  思ヲ露国革命ノ端緒ヲ開キシ大正六年二月ノ事ニ回ラシ、熟察セ
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バ、其始メハ家婦等ガ『パン』ノ高価ナルニ困ジ、之ガ価ヲ低廉ナラシメヨト叫ビシニ過ギザリシモ、多年我ガ特殊部落民ト殆ント同一ナル(陸軍ニ於テ幸ニ上等兵ニナリ得ルモノアルモ、下士以上ニハ採用セラレザルガ如キ)圧迫ヲ受ケ、不平不満ノ念ニ熱忿セル猶太人『レーニン』ヤ『トロツキ』等(『レーニン』ハ日露戦争ノ時既ニ或ル使嘱ニ因テ社会ヲ煽動セシコトアルハ人ノ能ク知ル所タリ)ガ時至リ機熟セリトシテ之ヲ煽動セルノ結果、古来未曾有ノ状態ニ陥リ、帝室ハ亡ビ、国家ハ統一ヲ欠キ、他国異族ノ救済支配ヲ受ケザルベカラザルニ至レリ、嗚呼我ガ同胞ヨ、思フテ此ニ至ラバ、亦大ニ顧リミザルベカラザルモノアルニアラズヤ。
  従来、特殊部落ニハ、既ニ改善ヲ実行セリト称スルモノ多ク、当該官庁ヨリ表彰セラレタルモノ往々之アリト雖モ、其改善トカ向上発展トカ云ヘル事モ、実際ニ於テハ名実相協ハザルモノ少カラザルハ、我ガ公道会ノ常ニ慨歎シテ措カザル所ナリ。見スヤ曾テ表彰セラレタル部落ニシテ、其後風俗ノ廃頽セルモノアルコトヲ。況ヤ甚シキニ至テハ、人道ヲ無視シテ這般ノ騒擾事件ニ座セルモノナキニアラズ。是ヲ以テ之ヲ顧レバ、先ノ表彰ノ不徹底ヲ証スルニ余リアリト云フベシ。
  前項ニ謂ヘル如ク、一時改善シタルモノガ、又前状ニ回戻スルガ如キハ、其原因、職トシテ恒産ナクシテ恒心ナキモノ多数ヲ占ムルニ由ラズンバアラズ。是ヲ以テ我ガ公道会ハ、夙ニ此ニ着目シ、少数ナガラ先年北海道ニ移住セシメシガ、其内二十八戸ハ既ニ成功シテ十勝国中川郡本別村大与地ニ村居ヲナシ、本年ノ如キハ少カラザル収穫アリ。漸次之ヲ実行セント欲セシモ、如何セン本会ノ資力許サズ、止ヲ得ズ移住ノ実行ヲ中絶シタルハ、実ニ遺憾ニ堪ヘザルナリ。若シ国家ニシテ北海道・樺太・朝鮮・台湾・満洲等ニ一定ノ地区ヲ付与シ、民間有力者ニシテ移住費ヲ貸与セバ、我ガ公道会ハ之ガ指導者トナリ、監督トナリテ、直ニ団体移住ヲ実行スルニ躊躇セザルベシ。
  若シ又国家若クハ民間有力者ニシテ、漸次部落ノ全地域ヲ買収シ其得ル資金ヲ以テ各自北海道・樺太・朝鮮・台湾・満洲等ニ自由移民ヲナサシムルカ、又ハ各町村ニ分住シテ、従前ノ部落町村ヲ存セザラシムレバ、一般社会ノ人モ彼ハ部落民ナリト指摘スル能ハズ、自然ニ融和セシムルコトヲ得ルニ至ラン。是レハ之レ部落民ヲシテ同化セシムルノ最大良法ナリト云フベキナリ。
  然レトモ一時ニ之ヲ実行スルハ容易ノ事ニアラズ、故ニ部落ノ存在スル限リハ、其全般ニ渉リテ、前ニ条列シタル三方法ニ因テ、之ガ改善向上ヲナサシメ、漸次一般社会ヲシテ同情平交セシメ、一方ニ於テ可及的各地ニ移住分居セシムルヲ良策トス。但改善ノ事項多端ニシテ実行ノ効果ヲ見ルコト容易ナラズ。断ジテ短日月ノ間ニ之ガ実蹟ヲ挙ルコト能ハザルモノアラン。
  前ニ条列シタル三方法ヲ実行セント欲セバ、内務省内ニ救済局ヲ設ケ、部落改善委員会ヲ組織シ、之ヲシテ全般ニ渉ル改善ノ順序方程ヲ協定セシメ、各府県ニ訓令スベシ、今其形式ヲ略言セバ、
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  (一) 内務省救済局ノ委員
   救済局長・地方局長・陸海軍将官・学務局長・検事・地方長官学者・貴衆両院議員・実業家・経世家・教育家・宗教家等ヨリ委員ヲ選任シ一年一回之ヲ召集シ改善方法ヲ協定セシムベシ。
  (二) 各府郡ノ委員
   内務省ニ於テ協定シタル改善条項ニ就キ各府県知事ハ之ガ実行上ニ就テ、委員ヲ開キ協定セシム。但委員ハ市長・郡長・警察署長・区長・村長及ビ各部落ノ総代ヨリ、知事之ヲ選任シ、毎年二回召集スベシ。
  (三) 各部落ノ実行委員
   部落ニ於テハ青年会ノ外、常ニ壮年会ヲ組織シ、改善上ニ関スル事項ヲ協定シ、壮年会員ヨリ特ニ実行委員若干ヲ公選シ、当該官公吏ト協力シテ其実跡ヲ挙グベシ。
  右ノ如クニシテ上下一致ハ之ガ改善融和ヲ謀ラバ、他日大ニ見ルベキモノアラントス。試ミニ今後我ガ帝国公道会ノ実行セント欲スル事業ニ要スル経費ヲ予算セバ左ノ如シ。
      支出予算
  一金六万円也     支出総計
        内訳
   一金七千五百円也     諸給
     但拾五名分平均一人一ケ月約四拾円余トス
   一金壱万〇五百円也    旅費
     但七人各工場及各部落ヲ巡回講演スルモノトス、一人一日五円宛十ケ月三百日分トス
   一金六百円也       家賃
   一金六百円也       雑費
   一金参万八千四百六拾円也 事業費
         内訳
    一金参万円也       移住費
     但一ケ年三百戸移住セシメ一戸ニ付弐百円ヲ要ス、其内壱百円ノ補給
    一金壱千弐百円也     部落学校用品不足補給
    一金弐千四百円也     右同上青年会教育児童保育会風俗矯正会等経費不足補給其他補給諸費
    一金参百円也       トラホーム施療薬品代
    一金参千六百円也     労働調節部諸費
    一金九百六拾円也     雑誌費
   一金弐千参百四拾円也   予備費
  而シテ之ガ支出ヲナサントセバ、之ヲ産出スル基本金ナカルベカラズ、是ヲ以テ我ガ公道会ハ、世ノ同情アル富豪ニ向ヒ、基本金ノ喜捨ヲ請テ財団法人トナシ、其利子ヲ以テ使途ニ充テントス。若シ其利子ニシテ支出ノ額ニ届カザルトキハ、国家ノ補助其他特別ノ収入ヲ得テ其事務ニ従ハント欲ス、庶クハ大方ノ君子、強者ト弱者トノ融和ヲ謀リ、将来社会ノ秩序ヲ保持シ、国利民福ヲ増進シ、大和民族ノ光輝ヲ八荒ニ発揚スルノ力ヲ吝ムコト勿レ。