デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
1節 外遊
1款 渡米実業団
■綱文

第32巻 p.83-95(DK320005k) ページ画像

明治42年9月1日(1909年)

是日、渡米実業団一行シアトルニ上陸ス。船中ニテ歓迎式行ハレ、栄一団長トシテ声明書ヲ発表ス。

三日シアトル商業会議所ノ主催ニテ渡米実業団歓迎晩餐会開カレ、席上栄一、歓迎ノ辞ニ対シテ答辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK320005k-0001)
第32巻 p.83-84 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四二年 (渋沢子爵家所蔵)
九月一日 晴冷
午前六時起床、入浴シ、畢フ甲板上ニ抵リ、四方ノ山光水容ヲ眺望ス水野・田中及米国側ノ人々ニ会話ス、八時半朝飧ス、後本船シヤトル湾内ニ入ル、港口今日ノ歓迎ノ準備頗ル盛況ヲ極ム、本船埠頭ニ着スルヤ、州知事ノ代理者市長ミラー及シヤトル商業会議所会頭ローマン其他多数ノ歓迎員来リ迎フ、知事・市長・会頭ヨリ各歓迎ノ詞ヲ朗読セラル、依テ一々之ヲ《(ニ)》答辞ヲ述ヘ、式畢テ相共ニ万歳ヲ唱ヘ、船中歓声湧カ如シ、十一時自働車ニテ上陸シ、旅館ワシントンニ投宿ス、一行ノ各室定マリテ後、水野氏ト共ニ午飧ス、畢テ此地滞在中ノ事務処理ノ方法ニ関シ、水野・田中・中野・頭本・堀越ノ諸氏ト種々協議ヲ為ス、夕五時此地ニ開設セラルヽ博覧会場ニ抵リ、台湾館ニテ日本食ノ晩飧ヲ饗セラル、但シ織田一氏博覧会掛トシテ滞在セラレ、一行ヲ慰労ノ為メナリ、食後会場ノ夜景ヲ一覧シ、一ノパノラマ式、南北戦争ノ際実地ニ演シタル海軍闘争ノ模様ヲ写真シタルモノヲ見ル、夜十一時帰館就寝ス
九月二日 半晴 冷
午前七時起床、入浴シ、畢テ旅館ノ集会室ニ赴キ、本日取扱フヘキ公務及招待ニ関スル事ヲ処理ス、此地到着以来諸方ヨリ報知アリシ祝電ノ事、及当地諸向ヨリノ案内状ニ対シ回答書ヲ発スル事ヲ頭本・堀越諸氏ト談ス
幹部ノ事務不整頓ニ付、水野総領事ノ注意ニヨリ中野氏ト協議シ、事務員二名ヲ雇傭ス、其一ハ外国人ナリ、午前八時朝飧ヲ食ス、午後一時昼飧シ、後防火ノ手配ヲ一覧セシムルトテ、ローマン、ブレーン、バークノ諸氏ヨリ一行ヲ案内セラレ、自働車ニテ其元営ニ抵ル、消防隊長ヨリ詳細ノ説明アリ、後実地ノ演習ヲ見ル、其迅速ニシテ水力ノ強盛ナル、実ニ一覧ノ価値アリト云フヘシ、二十三ケ所ニテ其経費年額五十万弗ニ近シト云フ、一覧畢リテ一行自働車ニテ田中領事ノ宅ヲ訪問ス、其庭中ニテ茶菓ノ饗アリ、五時過旅館ニ帰リ庶務ヲ弁理ス、
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七時ブレン氏ノ案内ニテ旅館ニテ晩飧ス、水野総領事同伴ス、八時当地ノ商業会議所ニ抵リ米国側ノ人々ト会同シテ、通商ニ関スル打合ヲ為ス、米国側ノ人々ヨリ種々ノ意見ヲ述ヘラル、最後ニ一場ノ意見ヲ演説シテ、将来調査ノ方法ヲ定ム、夜十一時帰館就寝ス
 (欄外)
 此日午前市役所ニ抵リ、市長ミラー氏ニ会見シテ昨日ノ謝詞ヲ述フ又商業会議所ニ抵リ事務員ニ会見ス、又領事館ヲ訪問ス、但ローマン氏、田中領事同伴、中野氏ト同行ナリ、十二時頃帰館ス
九月三日 曇 冷
午前六時起床、先ツ入浴シ、畢テ日記ヲ編成ス、八時朝飧ス、九時一行自働車ニテ市外ノ一工場ニ抵リ麦酒醸造ノ工事ヲ見ル、更ニ自働車ニテケントト称スル一村ニ抵リ、牛酪製造工場ヲ一覧シ、午飧ヲ饗セラル、主人ヨリ一行ニ対スル挨拶アリタルニヨリ、速ニ答辞ヲ述フ、帰路ブレーン、松方氏等トシヤトル市内児童遊息ノ小公園ヲ見ル、四時過旅宿ニ帰ル、夜七時当地商業会議所ノ催ニ係ル大宴会アリ、一行悉ク出席ス、饗応頗ル丁寧ナリキ、食卓上主人側ヲ代表シテ会頭ローマン氏ニ代リヂヨジボルク氏歓迎ノ詞ヲ述フ、余ハ一行ノ代表者トシテ之レニ答ヘ、更ニ中野・松方二氏ノ演説アリ、夜十一時散会帰宿ス


竜門雑誌 第二六三号・第六〇―六七頁明治四三年四月 ○青淵先生米国紀行 随行員増田明六記(DK320005k-0002)
第32巻 p.84-87 ページ画像

竜門雑誌 第二六三号・第六〇―六七頁明治四三年四月
    ○青淵先生米国紀行
                  随行員 増田明六記
○上略
九月一日 水曜日 晴
朝来霽れ渡りて天に一点の雲翳なし
一行五十余名の運命、否日米両国親善の契点たるべき平和の使節を無事輸送したる汽船ミネソタ号は、予定より一日早く八月三十一日ポート.タウンセントに到着し、同所に一泊の上、本日午前十時半スミスコープ埠頭に到着するに到れり
船上より見渡せば、長さ数丁に達する埠頭は、全部日米国旗を以て飾せられ、其中央に鳥居形の歓迎門を設け、其他一切の装飾皆赤と白との組合のみなるが、之れは日本の装飾も赤白両色に限りたる由にて、斯る些々たる事にまで其心を尽されたる米国人の心情、実に謝するに余りありと感せられたり
船の埠頭に近付くや、花火先づ霹靂として中空に響き、勇ましき楽隊盛に吹奏せられ、海に将た陸に、岩の如く山の如くに集まれる歓迎人は帽を上げ手巾を振り、歓呼の声海波を圧せん計りなり、船益々埠頭に着するや、米人の楽隊は君が代を奏し国語学校の日本人生徒数十名之に唱和す、やがて桟橋は架せられ、シヤトル商業会議所会頭ローマン氏を先頭に、華盛頓州知事ヘイ氏代理トレード氏、シヤトル市長ミーラー氏等を始めとし、主人側なる商業会議所の代表者、外に博覧会当事者及同胞の代表者等百数十名は直に船に上り、互に挨拶を終れば玆に船内の食堂に於て歓迎式は挙行せられたり、先づローマン氏簡単に開会の辞を述べ、次ぎにトレード氏知事代理として歓迎の辞あり、之に対し青淵先生答辞を述べ、次に市長ミーラー氏歓迎の辞を述べ、
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青淵先生亦答辞を述べ、終りに会頭ローマン氏は商業会議所を代表して又歓迎の辞を述ぶ、青淵先生三度之に対して答辞を述べられたり、頭本元貞氏之を英訳す、之にて式を終る、於是一行は青淵先生を先頭として続々上陸を始むるや、国語学校の生徒は君が代を唱歌し、幾千の群集は日米両国旗を手にして歓呼の声を発し、音楽隊は爽快なる歓迎の楽を奏し、骨動き肉震ふ如き感ありたり
斯くて一行上陸を終り、歓呼の内を徐々として彼の鳥居を通過し、待ち設けられたる自動車に分乗して一行の旅館と定められたるワシントン・ホテルに向ひたるが、歓迎委員及日本官民有力者一同自動車を連ねて随伴したれは、幾十の自動車一列となりて疾走したる様、到底日本にては見る事を得ざる盛況なり、瞬時にして同ホテルに着し、ホツト一息
ミネソタ船中に開かれたる歓迎式に於ける祝辞、及び其答辞の要旨は左の如し
△知事代理の歓迎祝辞
 我が太平洋沿岸各地商業会議所の聯合招待に応じ渡米せられたる日本実業家代表者諸君は、我がワシントン州の珍客として、吾人の衷心より誠意を以て歓迎せんとする所なり、而して特に吾人の諸君に望む処は、我がワシントン州が如何に諸君の来遊を重大視しつゝあるかを親しく観取せられん事なりとす
 吾人は亦米国民として、歴史的親交を有する大日本帝国と、如何なる機会を利用しても更に友情を密接ならしめん事を喜ぶものなり
 我が米国は、今や英国に次いで最も多額の物品を日本より供給せられつゝあるも、是を尚一層盛大ならしむるは吾人の常に熱望し居る所なるが、吾人は今回諸君の来遊により、心から斯の如き希望を実現せしむるに至るべきを信ずるものなり
△右に対し青淵先生の答辞
 華盛頓州知事閣下、予は日本実業団員一同に代りて、閣下が華盛頓州の知事として唯今予等に与へられたる歓迎の辞に対し、満腔の感謝を表するものなり、予等一行が先づ貴国の海岸に到着するに当り閣下の如き地位と名望を有せらるゝ人によりて親しく歓迎を受くるは、予等の深く光栄とする所なりとす、惟ふに貴国と我国と其国交を益々親密ならしむる者は実に貿易の発展に在りとす、閣下が今両国の通商に重きを置かれたる所以のものは、予等も亦其感を同ふする処にして、而して余等亦閣下と等しく、已に業に盛大の域に入れる両国の貿易の更に隆盛に赴かんことを祈ると共に、是に依りて両国親交の愈々深くして、且厚からんことを希ひて已まざる処なり、然り而して受くる熱誠なる歓迎及び今後各所にて受けんとする優待と、将又予等一行が研究せんとする貴国の経済商業教育等に就きて貴国の諸物が将来予等に与ふる便宜とは、相結んで両国の通商と親善とを増進するに於て探き動機となりて、鞏固なる基礎を作為するものなりと確信して疑はざる所なり
△市長の歓迎祝辞
 日本実業家代表者諸君、余はシヤトル市民を代表して、玆に諸君を
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歓迎すると共に、諸君を我がシヤトル市の珍客として歓迎するを得たることを最も光栄とする者なり
 シヤトル市は、我が対日本貿易の門戸なれば、吾人は両国の商業的関係が将来益々密接ならん事を望むものなるのみならず、両国の通商が、貨物を満載せる両国の汽船により、更に一層緊切ならんことを熱望して止まざるなり
△右に対する青淵先生の答辞
 余は日本実業団の代表者として、此繁盛なる大市シヤトル市より、如斯盛大なる歓迎を受くるの光栄に対し、深く感謝の意を表せんとす、殊に両国通商の重要なる門戸として、他に比類なき位置を占めたる本港の市長に依りて、かくも真摯なる歓迎を受くる事は、余等一行の非常に愉快を感ずる所なりとす、況んや本港には、多数我同胞の安全にして幸福なる住居を占むるものあるに於てをや、余等一同は今既に両国間に存在する親善なる関係が、尚一層その歩を進め又永く幾十百世も其関係の継続せんことを希望するに於て、敢てシヤトル市民諸氏の後に落ちざらんことを言明するに憚からざるものなり
△商業会議所会頭の歓迎の辞
 日本の実業家及教育家代表者を太平洋沿岸各地商業会議所を代表して、玆に歓迎するを得るは予の欣喜に堪ヘざる処なり、諸君の来遊は実に両国貿易史に一時期を画せるものにして、其の為め両国間の貿易関係が将来益々密接となるに至る可きは、吾人の断じて疑はざる処なり
 善隣及好意の思想より発せる今回の諸君の来遊は、太平洋沿岸至る所に了解されたるのみならず、諸君か遠く東部大西洋地方に赴くも亦同じく地方人士より了解さるゝや必せり
 諸君の来遊は、両国間の商業関係を密接ならしむるは勿論、更に又商業界の大使として齎らせる其平和・好意・善隣の思想は、延いて世界平和の上に資する事、亦決して前に挙げたる者に劣る事あらざる可し
△青淵先生の答辞
 玆に米国太平洋沿岸聯合商業会議所の懇篤なる提議に対し、日本実業団の代表者として、満腔の熱誠を以て謝辞を述ぶるは余の頗る光栄とする処なると同時に、貴下が親しく吾々を歓迎せられたるの厚意に対して深く満足する者なり、特に余に在りては今回貴国に到着の始に於て、日浅くとも益友なる貴下の歓迎を受くるは、真に欣喜に堪へざる処なり、同一の海水に依りて洗はるゝ対岸の商業会議所の客となり、斯く鄭重なる諸君の優遇を受くるは、吾々の真に愉快を感ずる処にして、余は本団体を代表して厚く之を感謝するものなり、両国を隔つる処の海洋は日々縮少せられつゝあるに当り、更に相互の商業其他の関係に於て両国の親善と通商とを増進して、更に此の隔離したる海洋を接近せしむる事は、実に両国民の目的とすべき処にして、即ち貴下の我々を招待せられたる懇篤なる厚意は、蓋し此目的を遂げられん為なるべく、吾々の此招待に応じて玆に来り
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しも、亦此目的を達せんとするに外ならざるなり
又青淵先生が、新聞記者及其他に向て声明せられたる意見は如左
   ○意見書ハ後掲ニツキ略ス。
ワシントン・ホテルは此市第一の大ホテルにして、室内の装飾も手の届く限り尽したるらしく、階下の大広間の正面には鳥居形の歓迎門を作り、紅白の電灯まばゆき許りに据付けられ、又日米の両国旗は、右歓迎門は勿論、窓といふ窓に掲げられたり
団員のルーム五十幾個、何れもバツス、トイレツトを有す、特に一行の為めに種々繰合せ用意せられたるものには、青淵先生・同令夫人の為めには事務室・応接室・ベツトルーム・化粧室合せて四室を充てられたり、室内に於ける設備は誠に申分無く、如何に当地商業会議所の周到なる注意を払はれたかゞ分ると共に、一行を如何に熱誠の意思を以て歓迎したるかゞ明かなり、午食の後団員総会を催し、青淵先生議長となり、沿道旅行中に於ける種々の打合を為したり
夜七時より台湾喫茶店に於て、織田事務官長の催しに係る招待会に、青淵先生・同令夫人を始め、一同出席したり、是れ先頭第一の饗応なり、先六時半ホテル前に差廻されたる特別電車に乗して会場に至り、思ひ思ひに設けられたる卓を囲みて着席すれば、吸物・さしみ・漬物味噌汁等が運ばれ、之に日本酒を添へ、牛肉すき焼・米飯等も次いて運ばれ、美人に依りて斡旋せられたれば、一同十二分の歓を尽したり終りてベーストリークに下りて海戦パノラマを見物し、特別電車に乗して午後十一時半帰宿す


竜門雑誌 第二六四号・第四一―四六頁明治四三年五月 ○青淵先生米国紀行 随行員増田明六(DK320005k-0003)
第32巻 p.87-89 ページ画像

竜門雑誌 第二六四号・第四一―四六頁明治四三年五月
    ○青淵先生米国紀行
                  随行員 増田明六
九月二日 木曜日(シヤトル市第二日)
青淵先生には渡米実業団を引率して、昨一日スミスコープ埠頭に到着し、歓迎式を始め米人との応待、又は団員会議等にて終日殆ど忙殺され、息を付かるゝ暇もなく、夜七時よりは予て待設けられたる織田事務官主催の日本晩餐会に列席せられたるが、同令夫人も同様其夜は一行の夫人及水野・田中両領事夫人と共に織田氏の招待にて華州日本人会長高橋轍夫氏邸に至り、純日本式料理の饗を受けられ、斯くして上陸後の第一日を終りて玆に第二日とはなれり
此日は天気快晴にして炎暑甚し、午前中は一行の休憩時間に当てられたるも、青淵先生は米人並に在留邦人の来訪、又は一行向後の旅行に関する打合会等にて、殆ど休憩の遑もなかりし
午後二時先生始め一行は、ワシントン・ホテル前面に廻はされたる十二台の自働車に分乗して、北第四街の第四消防分署に到り、判事バークス氏の紹介に分署長は一行を階上に案内し、消防夫寝室・休憩処等を詳細に説明し、更に階下に導きて馬匹・蒸汽喞筒・消防用梯子等の説明を為したり、後一行は向側なる人道に併列して消防夫の出師準備を観る、突然半鐘の乱打さるゝや今迄階上寝室に横はりたる消防夫は武装して径二寸程の真鍮の棒を伝はりて階上より下れば、馬は既に自
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ら闥を排して附属車轅の己れの位置に在りて命を待つ、即急遽準備は整ひられて、各車四頭乃至六頭の馬に鞭ちて疾駆し出づ、此間僅かに一分時、軈て二分時を過ぎて帰来したるが、之を原形に復するに要したる時刻又一分、其動作の敏活なる看る者只呆然たるのみ、彼の馬の如何に克く馴致せられ居る哉に至ては、実に驚感の至にて、成程日本の馬が馬に似たる猛獣と評せらるゝも止むを得ざる事なりと感ぜられたり、一行は玆処を辞して、再び自働車に分乗してワシントン・ホテル前面に一列を作る、間も無く消防隊長の率ゆる消防の一隊ガランガランと車上に響く警鐘を鳴らしつゝ、十数台の蒸汽喞筒・梯子等前後左右より疾走し来り同ホテルを火元と仮定して消防演習を為す、見る間に梯子は高く十階の窓口に架せられ、水管は口を揃ひて高く中空に水を迸出す、其間に処する消防夫の手練動作は敏活軽速にして殆ど筆舌に尽す処にあらす、三時半此演習全く終りたれは、一行は更に自動車に乗りてシヤトル領事田中都吉氏の私邸に設けられたるレセプシヨンに赴く、後庭木立の芝生にて主人の心込めたる和洋折衷の料理に、一同歓を尽して散会したるは五時頃、直にホテルに帰還す
午後七時より、一行の内青淵先生令夫人を始め夫人一同は、トリート夫人の招待にて同氏邸に於て晩餐の饗を受けられたり、青淵先生は一行の委員と共にシヤトル商業会議所に到り、明日より開始せらるゝ当地の正式歓迎に就き米国側委員と打合会を開かれたり
此夜一行の接伴役として、米国国務省を代表したる哈爾賓駐在領事ロージヤー・グリーン氏華盛頓政府より到着したり、同氏は日本贔負にて有名なる東京在住のグリーン氏の令息にて、日本に在る同国領事館に書記官として数年在勤し、日本語を克く解したれば、一行は少からぬ利益を蒙りたり
一行の内中橋徳五郎氏(一行に先ちて渡米したる)は昨日より、又紫藤章氏(一行より一便船後れたる)は本日より一行に参加したれは、是にて一行の編成完備せり
九月三日 金曜日(シヤトル市第三日)
九月一日及二日は云はば歓迎会応接等の下稽古位のものに過ぎざりしが、本日よりは愈正式の歓迎を受くるなり
午前九時半、青淵先生を先頭にしたる自動車数十台はホテルを出発して、先づ郊外に於けるケントのパシフイツク・コースト・コンデンスミルク製造会社に赴く途中レニア麦酒製造会社に立寄り、社長アンドリー・ヘムリツク氏の案内にて場内隈なく見物を了す(醸造高一年一万五千石なりと聞く)夫れよりミルク会社に向ひ、十一時到着して社長スチユワート氏の案内にて、生乳より順次コンデンス・ミルク鑵入迄残る処なく説明を聞きつゝ見物を為し、終りて午餐の饗を受く、此会社の製造力は一日にミルク十五万斤なりと云ふ、特色は他のミルクの如く砂糖を混入せずして、天然のまゝに煮詰めるに在りと云ふ、此処を辞したる一行は帰路各欲する処に何て(製靴・製材・造船・製索の諸会社等)視察を遂げられたるが、青淵先生にはシヤトル市街・公園地、並に水力に依りて高地を崩壊したる土を以て低地を埋立つる状態を視察せられたり
 - 第32巻 p.89 -ページ画像 
 因に此水力は、蒸気式喞筒に依りてユニオン湖水を吸収して高地に注ぎて崩壊し、其濁水を木管に依りて低地に送れば、水は土を沈澱して流出する仕掛の文明的の方法なるが、其水力の猛烈なる事、実に驚く計りなり
青淵先生外一同、午後七時レニア倶楽部に於てシヤトル商業会議所の催にかゝる正式歓迎会に臨まれたり、会頭ローマン氏司会者と為り、ジヤツジ・バーク氏歓迎の辞を述べたるに対し、先生は団を代表して答辞を述べ、頭本元貞之を英訳し、又ワシントン州選出上院議員パイル氏は日本帝国と題して歓迎演説を為す、堀越氏之を和訳したるが、中野武営氏之に対して答辞を述べ、又ブレーン氏は日本の賓客と題する演説を為し、松方幸次郎氏英語の答辞を述べ、最後に加州商業会議所を代表せるダラー氏が、加州を代表して日本実業団を歓迎すと題する演説を試み、拍手堂を動かさん計りなりし、午後十二時散会
先生令夫人は、一行の夫人と共にブレーン氏夫人の招待にて午後四時より其邸に赴き、又八時よりはメーソン・バツカス氏夫人の案内にてマゼスチツク座の芝居見物に赴かれたり
○下略


渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第八七―九七頁明治四三年一〇月刊(DK320005k-0004)
第32巻 p.89-91 ページ画像

渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第八七―九七頁明治四三年一〇月刊
 ○第一編 第三章 回覧日誌 西部の一
    第一節 シヤトル市
九月一日(水)晴
 午前十時半シヤトル港スミスコーブ大北汽船会社船渠に着す。時に桟橋は日米の国旗を以つて飾られ、歓迎の鳥居を立て、花火を打ち揚げ、楽隊は君が代を奏し、歓迎の日米人、堵の如し。就中沙市日本居留地国語学校生徒数十名、手に手に日章旗を打ち振りつゝ、歓迎の唱歌を唱ひしは、殊に一行の感動を惹けり。出迎の諸氏続々船中に入り、十一時食堂に於て歓迎式を開かる。先づ前判事バァークス氏司会の下に、ワシントン州知事代理トリート氏歓迎の辞を朗読す。
   ○歓迎ノ辞前掲ニツキ略ス。
 渋沢団長之に対して左の答辞を述ぶ。
   ○答辞前掲ニツキ略ス。
 次に沙市々長ミラアー氏の歓迎の辞あり。
   ○歓迎ノ辞前掲ニツキ略ス。
 之に対する渋沢団長答辞左の如し。
   ○答辞前掲ニツキ略ス。
 最後に米国側実業団の一員として、昨年我邦に渡来せし、太平洋沿岸聯合商業会議所会頭ローマン氏は、起て左の歓迎辞を朗読す。
   ○歓迎ノ辞前掲ニツキ略ス。
 渋沢団長之に対して左の答辞を述ぶ。
   ○答辞前掲ニツキ略ス。
 而して団長の答辞は、頭本氏一々之を通訳し満場の喝采を博せり。
 右終りて甲板に一同撮影をなし、各接伴員の案内にて上陸し、出迎
 - 第32巻 p.90 -ページ画像 
の自動車にてワシントン・ホテルに投ず。此日安着を祝して電報の来れるもの、華府大使館埴原書記官・桑港永井領事・桑港ドルマン氏其他頻々たり。
 中食後、総会を特設事務室に開き、紐育滞在一週間延期希望の事を決議し、田中領事を経て、此事を米国接伴委員に申込むことを依頼す。午後六時半、織田事務官長の招待にて、阿雄博覧会場内台湾喫茶店に、日本料理の饗応を受く。刺身・鋤焼など頗る一行の舌鼓を打たしめ、歓語放談涌くが如し、宴後場内の夜景を賞し、独立戦争海戦劇を見物し、更に特別電車に送られて帰宿す。
 此日渋沢団長の名を以て、今回渡米に対する意見書を、当市の各新聞紙上に発表せり。(本文別記)
九月二日(木)晴
 先発の中橋徳五郎・村田省蔵二氏此日より団に加はり、全団玆に完成す。午後二時消防分署に赴きて消防の機動演習を見、更にホテル前に防火演習を見る。其間約十五分間、全く交通を停止せるは、少からぬ好意と云ふべし。後一同田中領事邸の小園遊会に招かる。此日午後四時大谷・巌谷二氏は、当地在留日本人青年会の依頼に応じ救世軍会館に演説を為す。
 午後七時より、商業会議所に於て、我が団員並に米国接伴員との間に打合会あり。太平洋沿岸聯合商業会議所会頭ゼー・デー・ローマン氏座長席に着き、打合会の主旨を述べ、団長渋沢男は一応の謝辞挨拶を為し、神田男起て『我が団の日本出発前に当り、太平洋沿岸聯合商業会議所よりの希望に依り、我が団に属する各種専門家は各自攻究する業務、即ち銀行・金融・交通機関・教育・株式取引所・貿易・新聞経営、其他商工農に関する各種調査をなすに便宜なる様其部署を分ち、我が一行の東道主人たる、貴国商業会議所代表者、及び特に米国政府より派遣せられたる諸氏等の教導の下に、充分視察研究を為して、貴国訪問の実益を上げん事』の希望を述べ、各地商業会議所代表者、並に政府よりの派遣員は、ローマン座長の紹介により、順次起立簡単なる挨拶をなし、研究の項目に就ては、別に既定の成案なきも、一行の各所属商業会議所域内に来る時は、他の関係者と共力して東道の主人となり、出来得る限りの便宜と満足を与へんことを述べ、後各自懇談をなし、十一時散会す。
 婦人の部 午後七時半トリート夫人邸に於ける晩餐会に招かる。
九月三日(金)晴
 主隊はローマン、ブレーン両氏等の案内にて、午前九時より各自働車に分乗し、市を去る四哩、ジヨジタウンに在るレーニヤー麦酒醸造所、及更に十四哩を隔てたるケントなる煉乳製造所を観、同所に於て昼餐を饗せられ、更に辞してアルバース兄弟製粉会社、及びモラン鉄工会社の工場を視、途次市内を見物せり。
 教育家側の神田男・南博士・熊谷学士、及巌谷氏は、ワシントン大学総長ケーン氏の招待にて、博覧会場内紐育館に於ける午餐会に招かる。
 午後七時半、団長以下一同此地商業会議所主催に係る、レニヤー倶
 - 第32巻 p.91 -ページ画像 
楽部の晩餐会に招かる。場内の装飾善美を尽し、美麗なる楓葉を以て飾り、殊に正面の偏額に花電灯を以て、1854,1909の字を現はせるは大に意を用ゐたる処とす、蓋し此の会は今回の公式招待の第一回にして、頗る盛大なりき。席上先年博覧会委員として本邦に来遊せし、判事トーマス・バーク氏座長として歓迎辞を述べ、渋沢団長之れに答へ(頭本氏通訳)次にワシントン州選出上院議員バール氏「日本帝国」なる演説を為し(堀越氏通訳)中野氏之に答へ(高辻氏通訳)接伴委員ブレイン氏「日本よりの珍客」なる演説を為し(高石氏通訳)松方氏英語にて之に答へ、何れも異曲同工、熱心に商業的平和の関係に依れる、日米の親交を鼓吹して、拍手廔々堂を揺かす。終りにバーク氏の発声にて天皇陛下の万歳を祝し、渋沢団長の発声にて、米国大統領の健康を唱へ、十二時頃散会せり。
 婦人の部 午後四時よりブレーン氏宅の接見会に赴き、午後七時バツカス夫人の招待にて、マゼスチツク座の演劇を観、後ち鄭重なる夜食を饗せらる。
○下略


渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第五八三―五九〇頁明治四三年一〇月刊(DK320005k-0005)
第32巻 p.91-94 ページ画像

渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第五八三―五九〇頁明治四三年一〇月刊
 ○第三編報告
    第六章 上陸に際し米国新聞紙に発表したる意見
  民主国たると、言論を尊重すること、他に比類なきとの理由に依り、米国に於ける新聞紙の勢力は、固より極めて優勢なるものあり。殊に今回の如き我が有力なる商工業者の大団体の渡米は、空前のことに属し、其関係ある所、岩倉大使一行の渡米に比すべきものあるを以て、一行上陸前、米国新聞記者も、多大の期待を以て我等を迎ふべきにより、米国の国風に従ひ、此際有力の新聞紙若しくは通信機関を通じて、米国の公衆に対し、吾人の態度を明かにし、希望のある処をも言明し置くこと、極めて必要なりと認め、八月三十一日、ミネソタ号「ポート・タウンセンド」に到着するや、渋沢団長は出迎ひたる、水野総領事・田中領事及び頭本元貞氏と相談の上、左の趣意を以て一の言明書を作成し、之を以て米国新聞社の要求に応ずることとし、尚今後旅行中に於て、或種の事項、若くは土地に関し、特殊の意見を求めらるる場合の外は、此言明書を以て新聞応接の根本となすこととせり。其要左の如し。
 五十年前、ペルリ提督の来航に依り、日米両国間に結ばれたる友誼は、日に親厚を加へつゝあることを言明し得るは、日本実業団長として、余の欣喜に堪へざる所なり。
 三百年来武陵桃源の春を夢みて、東方に幽棲したる日本は、米国の紹介に依りて、世界全国と、友情及び諸種の関係を結ぶことゝなれり。而も米国が爾来常に吾々に対して助力を惜まず、正義人道の精神を以て、過去半世紀間の外交関係を、指導し来れる歴史を顧みれば、吾人が米国に対し、感謝の情甚だ深きものあるは当然にして、此感情は吾邦の上下を通じて、一般普通なることは、昨年米国大西
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洋艦隊の来訪、及び吾商業会議所の招待に応じて渡米したる、米国実業家の訪問に際し、吾国民が表明したる所に依りて諒知せらるべし。
 当時吾日本の国民は、挙つて米国よりの来賓に対し、歓迎の意を表したるは、決して一時的の軽躁なる動作にあらずして、実に凡ての階級と職業とを通じて、国民一般が米国に対して抱ける、極めて自然的にして、且つ普及的なる友情の流露と云ふべし。今回吾実業団が、太平洋沿岸聯合商業会議所の招待に応じ、渡米したることに関しても、吾国民は衷心より之を喜び、一行の本邦出発に際し表されたる、熱誠なる送別の盛意は、実に日本国民が米国に対して、如何に親厚なる「インテレスト」を抱けるやを表したるものなりとす。
 殊に吾等は皆 天皇陛下より、芝離宮に於て午餐を賜るの光栄に浴したるが、斯る光栄は、実に官命を帯びずして海外に渡航するものに対しては、空前のことにして、吾等の感佩措く能はざる所なり。
 其他国務大臣、若くは各種実業団体等は吾行を壮んにせんが為に種種の方法を以て、熱心に送別の意を表し、団員をして応接に遑なからしめたり。
 全国民が斯る熱心なる送別の意を表したるは、実に吾団が、已に日本の益友たり、又今後も我益友たるべき、米国に渡航するが為めに外ならず。若し吾人が他の外国に訪問せんには、斯る一般的の友情の表示を見ることは恐く困難なるべく、米国人に招かれ、米国に渡航するは、吾人の幸運と云ふべし。
 東京商業会議所の設置以来、予は殆んど三十年間其会頭たり。現今は直接の関係を有せずと雖も、尚ほ日本実業家の一団と共に、米国を訪問せんことを求められたるに際し、予は至大なる愉快を以て之を承諾し、現に今貴国に上陸せり。
 今や欧洲の諸国は、互に軍備の拡張を論じ、殊に列国の君主は、艦隊を率ひて互に訪問を交換せる折柄、日本国民が単純なる実業家を選み、之に平和の使命を附して、大商業国たる米国に派遺せる如きは、相対照して極めて趣味ある現象なりとす。予は廔々外国に於て日本は好戦国民なりとの評判あることを聞けり。是れ根本的の誤りなり。全国民が吾団に対し、斯る熱誠且つ大規模なる送別をなせる一事を以て、其国家的の使命、即ち商業の発達及官民一致して、各般の工業を開発増進せざるベからずとの、国民的使命を自覚せることを証すべし。日米商業関係の発達せんことは、吾人の最も希望する処にして、是亦吾団の、貴国を訪問する意を早やめしめたるものなり。
 願くは貴我両国相互の利益の為めに、日米貿易の発展に努力せしめよ、日米両国は大洋に依つて相別るゝと雖も、同時に相連携して、太平洋貿易を建設増進すべき任務を有するものなり。商業は友誼の先駆にして、其精神は両国間に現に既に存在せる良好なる関係を、更に鞏固に、且つ永久ならしむべきものなり。日米両国間の友情は延いて日本及び東洋に於て、米国の産物に対する需用の、日々増加し往く一事に徴しても明なり。
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 予は近年に於ける米国商工業の発達に驚歎し、米国民を慶賀せんとす。而も此ことたる吾人に取りて亦甚だ賀すべきことなり。何となれば両国の関係や、互に相関聯錯雑し居るを以て、一方に影響すべき事件は、延いて他方にも及ぶべきを以て、米国の繁栄は又日本の繁栄なりと云ふべく、米国の不景気は延いて日本の市場を沈鬱ならしむるものなればなり。
 日米両国は、更に東亜に於ける大市場を発展する為めに、互に握手して進まざるべからず。吾人は東洋に国するを以て、東亜の市場に於ては、米国に優り多少の利便を有するは当然のことなれども、大体より云へば、米国民は其莫大なる富源と、廉価なる資本を有するを以て、更に大なる便宜を有するものと云はざるべからず。
 商業組織及機械に関する、労働職工の熟練等に至つては、日本国民は畢竟米国人の徒弟に過ぎず。但し前述の如く、日本は清国及び東亜の他の部分に於て、地理上及び其他種々の理由により、欧米国民よりも優れるの便利を有することは、玆に一言附加するを要す。
 予が望みは、如上の事情を利用し、米国の廉価且つ豊富なる資本と日本の地理的其他の智識及利便と相俟つて、共同的の商業を東亜に開始し、発展し往くことに存す。斯く云へばとて、日米両国相提携して他の商業国を全然除外拒絶するの意味にあらざるは勿論なり。
 聞く所に依れば、米国商業の原則は機会均等・公平無私の二語に存すと。吾邦武士道の本意亦之に外ならず、故に日米両実業家は、此点に於て一致の主義を有するを以て、此主義の上に活動の余地を存し得べきは睹易き道理なりとす。
 此航海中、既に同船の米国人より、又上陸後に於て、貴国の各種の人士より、常に米国に於ける日本人問題に付て予の意見を求めらるるも、予は政治家にあらず、又外交家にもあらざるを以て、現状に付て極めて無智なることを白状せり、唯実業家として、此問題に関し一言を求めらるべくんば、吾実業家は、米国に対する日本移民制限――吾政府の自由意思に依りて行はれつゝある――は、良好なる政策と認めざるを得ず。何となれば、此手段は吾邦の経済上、及工業上の状態が変化したるより生ずる、論理的の結果なればなり。
 一面に於ては、国内に於ける工業の発展、一面に於ては、吾移民が諸外国に渡航するに依り、国内の賃銀は著しく増加するの傾向を生じ、随つて工業上の利害を有する実業家は、甚だ不安の状態に陥りたり。殊に日本は朝鮮の開発に関し責任を有するに至つて、此所にも亦労力の多数を需要するを以て、労力に対する要求は、益々増加の傾向を有す。更に台湾に於て蕃地を征服するに随ひ、吾労力の要求も亦増加し、北海道に在ても、移民の必要は毫も減ぜざるのみならず、益々拓殖上の必要を感ずるに至れり。
 一言以て之を掩へば、日本自国は工業国たるべき運命を有するを以て、実業家としての予は、日本の低廉なる労力が、米国又は何れの外国へも輸出さるゝことは、吾本国の工業の発展上、決して有利なりとは認むる能はずと断言せざるを得ず
  以上言明の主意はシヤトル上陸以後桑港乗船迄大体貫徹して之を
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発表し、為めに米国人をして、吾国の立場及日米関係に於ける日本実業団の態度を会得せしむるに多少の効果ありしと信ぜらる。


渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第五三四―五三七頁明治四三年一〇月刊(DK320005k-0006)
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渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第五三四―五三七頁明治四三年一〇月刊
 ○第三編 報告
    第一章 滞米日数増加の件
我一行の米国滞在期日に付いては幾多の問題を生じ、成る可く多数の都市を訪問せしめんとする先方の希望と、成る可く時日を短縮し、年末経済事情の多忙なる前に本邦に帰着せんとする、本邦側の希望とを調和する為め、幾多の交渉を重ね、結局先方の「プログラム」に随ひ八月十九日ミネソタ号に搭乗して横浜を出帆し、十一月二十三日桑港出発のモンゴリヤ号にて、本邦に向つて出発することに決したり。
然るにミネソタ号は予定に先んずること一日、即ち八月三十一日ポート・タウンセンドに入り、翌九月一日シアトルに到着したるに依り、同日直ちに総会を開き、諸般の事務を打合せたる際、団員多数の希望として、紐育滞在僅か二三日に過きざるは、最も商工業の視察上、不便なりと思はるゝを以て、是非右の滞在を一週間延期し、総計十日となし、之を補ふ為め東部及中部に於て訪問すべき、さまで重要ならざる小都市を削除するの議を提出したるも、水野総領事及田中領事より懇々米国内に於ける実情を述べ、比較的著名ならざる小都市は、却つて我一行の訪問によりて、本邦に対する友情を開発すべき所にして、斯る地方こそ我一行が力を尽して親日的勢力を扶植せざるべからさるなり。既に「プログラム」の定められたる今日に於て、是等の都市を削除することは、重大なる任務を尽さゞるものなると同時に、右の削除に依り当該地方に尠からざる不快の感念を与へ、甚だ不利益なる結果を生ずべしとの意見を述べたるに依り、一行は之を諒とし、遂に本国に於ける業務を多少犠牲に供するも、折角渡米したる趣意を貫徹せざるべからずとの議に決し、
 (一)既に訪問すべしと定められたる場処は一も削除せざること
 (二)紐育滞在は十日と改むること
 (三)十一月三十日桑港発地洋丸にて帰航すべきこと
の三点を具して、更に米国側に交渉することに決議し、其交渉を水野田中両領事に嘱託したり。
両氏は其決議に基き、直ちに「ローマン」「ブレイン」の両氏に会見し我団希望のある所を述べ、且つ紐育滞在一週間を増したるは、主として単独的随意の行動を採り、以て既に存在せる取引を鞏固且つ拡張すると同時に、未だ開かれざる取引を開始するの機会を得、又は特殊の項目に就き、商工業上の研究を為さん為めに外ならざるを以て、此一週間の滞在中は米国側に於て何等饗応的の設備を為さず、全然我団の自由に任せんことを希望し、尚帰航を本邦の汽船に取るに至りたるは右の延期より生ずる自然の結果にして、特に日本の汽船を撰まんが為めに、斯る提議を為すにあらざることを含み置かれたしとの趣意を述べ、尚今日に於て斯る提議を為す為めに、帰路四十余日の「プログラム」を変更せしむる必要を生ずれとも、恰も之を一週間延期するが為
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めに、各地とも一週間繰下げとなるを以て、自然想像するほどの困難と迷惑とを来すことなかるべしとの希望を述べたるに、米国側に於ても此意を諒し、早速関係地方の各鉄道会社に交渉を開始すべしとの旨を述べたり。
越へて数日「ローマン」氏は、聯合商業会議所を代表して、右の交渉は夫々関係の向に照会し、何れも異存なき旨の回答を得たれば、当方希望の通り取計ふべき趣を回答したるにより、本団は一方に於て本邦に電報し、他方に於て関係地方に之を通知したり。
後にて想へば、若し此議にして成立せずんば、本団の東部に於ける訪問は、紐育滞在の短き為め、大に其利益を減殺したらんと思はれるのみならず、又偶然にも帰航には、日章旗の下に大平洋を横ぎりたる為めに、日米両国汽船航路の比較を為すの機会を得たる等、極めて有利なる結果を生するに到れり。


東京経済雑誌 第六〇巻第一五〇七号・第五〇二―五〇三頁明治四二年九月一一日 渡米実業団のシヤトル歓迎(DK320005k-0007)
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東京経済雑誌 第六〇巻第一五〇七号・第五〇二―五〇三頁明治四二年九月一一日
    ○渡米実業団のシヤトル歓迎
客月十九日日本を発程したる我渡米実業団は、海上無事、到着期日を一日早めて、九月一日午前日米両国々旗を以て飾られたるシヤトル波止場に上陸し、多数の政治家及び実業家の出迎を受け、華盛頓州知事ヘイ氏、シヤトル市長ミラー氏並に太平洋沿岸八商業会議所代表者ローマン氏、外両三氏の歓迎辞、実業団の答辞あり、終つて自働車に乗じて華盛頓ホテルに入れり、一行は五日間シヤトルに滞在したが、三日シヤトル商業会議所の催に係るレーニヤ倶楽部の晩餐会は公式招待の第一回にして、席長バーク氏、ワシントン州選出上院議員ビレス氏接待委員長ブレン氏等の演説あり、渋沢男・中野氏・松方氏等の答辞あり、主客互に我天皇陛下並に米国大統領閣下の万歳を唱へ、目立ちたる盛会なりし、翌四日は同市に開設せられたるアラスカ・ウーコン太平洋博覧会の「日本日」に相当せるを以て、一行は同会場に赴きて市民の歓迎を受け、更に会場内の歓迎会に臨みたるに、桑港のキヤプテン・ダラー氏及びカリフオルニヤ州各商業会議所の代表者の歓迎文朗読あり、次で同場内に演説会の催ありて、渋沢男爵の演説ありしに聴衆数千人に達し、又同夜は嘗て我国に遊びたる貴女紳士の主催に係る晩餐会あり、是れ亦数百人の来会者あり、会後更に大夜会開き盛会を極めたり、斯くて六日朝一行はシヤトルを辞してタコマに赴きたるが、米国人の熱誠罩めたる歓迎は、一行の予想外とする所にして、大に満足せりとの事なり