デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
1節 外遊
4款 第四回米国行
■綱文

第33巻 p.155-166(DK330008k) ページ画像

大正10年9月14日(1921年)

是年十一月、アメリカ合衆国ワシントンニ於テ軍縮会議ノ開催セラルルヲ機トシ、栄一国民ノ一員トシテソノ実況ヲ視察シ、且ツハ日米親善ニ尽サン為メ渡米ノ意アリ。仍ツテ是日、東京銀行集会所ニ日米関係委員会ノ会員中数名ノ集会ヲ請ヒ、之ヲ諮ル。右ニヨリ栄一ノ他ニ同会代表者三・四名ノ渡米ヲ要望シ、二十一日代表者トシテ添田寿一・頭本元貞・堀越善重郎ノ三名ノ推薦発表サル。


■資料

竜門雑誌 第四〇二号・第三六―四六頁 大正一〇年一一月 ○青淵先生渡米紀行(一) 随行員増田明六(DK330008k-0001)
第33巻 p.155-162 ページ画像

竜門雑誌 第四〇二号・第三六―四六頁 大正一〇年一一月
    ○青淵先生渡米紀行(一)
                  随行員 増田明六
      青淵先生渡米の目的(同先生談話)
 今回私が老躯を提げて渡米を決心するに至つたのは、一には多年憂慮せる加州の排日問題が昨年の国民一般投票以来益々不良に傾きたるに付き、之を緩和せんが為め、又一には昨年東京へ来訪せられし桑港及紐育の諸名士への答礼を兼ねて、向後夫等の人々と日米の問題に付て、提携協議する事の打合はせを為さんが為であるが、恰も来る十一月には太平洋会議が、華盛頓に於て開かれるので、此機会に於て国民の一員として其実況の視察を兼ねて、此十月を以て渡米する次第である。素より老体であるから諫止せんとする者もある。その厚情に対しては深く感謝するのであるが、併し万一のことがあるとすれば、それは海外旅行中に限つたものでなく、日本にゐても亦同じである。故に決して御止め下さるなと私は知人に語つてゐる。先憂後楽の語を引いて私を御褒め下さる方もある。之は敢て当らぬのであるが、志だけは世人に先つて憂ふるのであつて、今回の渡米も亦微志爰に存するのである。
 回顧すれば、日米間の国交は日露戦争頃迄は親善を極め、相互の情誼も敦かつたのであるが、同戦争中より排日熱漸く高まり、明治三十八九年頃に学童問題起り、所謂紳士協約が締結されて、移民の渡航を制限するに至つたが、排日の気勢は毫も弛まなかつた。明治四十二年の秋、私は実業団の一行五十余名と共に米国に遊んだ。其起りは同四十一年に米国太平洋沿岸の商業会議所代表者が渡来した際、日本の実業家と懇親を結んだ関係から、更に其交誼を温めたいとの旨意で、右の八会議所が発起となり、全米国各地の会議所に賛同を求めた結果、各所の米国民一致して日本の有力なる商工業者の一団を招待することになつたのである。私は多年東京商業会議所の会頭であつた関係から米国実業団の渡来した時の歓迎に主人役の一人となつた縁故で、この
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渡米実業団に加はつたのである。私の此の渡米には一つの重要なる意味を含んでゐた。それは日米間の関係が上述する如く、不良に傾くので、之を一転して相互の情誼を敦からしめたいと云ふ点であつた。米国と日本とは太平洋を隔てゝ相対する国柄であつて、常に同一方面に向つて其の商工業の手を伸ばさねばならぬ立場にあり、勢ひ商工業上競争の状態に入るを免れぬ。これは止むを得ないことであるが、之が為に誤解を生じ感情を傷け、相互の情誼を破壊するやうなことがあつては遺憾千万である。而して之を免れるには、常に意志の疏通を図り互に誠意赤心を披瀝し、和協の途を講ずるより外はない。私はこう信じてゐるので、此渡米によりこの精神を彼等に伝へてその誤解を釈明すると共に、彼等の真相を我国民に伝へてその感情を融和せしめんとしたのである。
 渡米実業団の三ケ月間の旅行は、到る処に於て非常なる歓迎を受け日米両国人の感情を融和するに与つて力あつたのであるが、併し其後も排日を政争の目的とする加州の野心政治家は、依然として排日法案を提議し、一張一弛の有様であつた。其間に国務卿ノツクス氏の南満鉄道の中立運動があつたが、之は日露両国の反対によりて成立するに至らなかつた、然し排日運動は独り加州の移民問題ばかりでなく、東部地方に於ても政治的意味を以て唱へらるゝに至つたのである。
 大正二年の排日土地法案は、在米同胞の発展に痛撃を与ふるものであるので、私は同志と共に東京に日米同志会を組織し、添田寿一・神谷忠雄の両氏を代表として渡米せしめ、此排日法案緩和の為に運動させたのであるが、法案は終に州議会を通過し、日本人の土地所有権と三年以上の借地権とを禁止さるゝに至つた。
 大正四年巴奈馬運河の開通を記念する世界博覧会が桑港に開かれた際、私は同年秋冬の交に渡米した、然るにこの年は欧洲大戦突発し、欧洲各国は其生産品を出陳する余裕がなかつたに拘らず、日本は日米の親善を目的とし、熱心なる友情を披瀝して出品した、この誠意は加州人も能く理解し、加州の排日熱は一時緩和し、形勢頗る良好であつたが、乍遺憾東部地方の排日熱は漸く高まりつゝあつた、蓋し欧洲大戦の為めに、欧洲各国は物資の供給を米国に仰ぎ、米国の富力が躍進したので、彼等は東洋に向つて其力を伸さんとし大に施設に努め、勢ひ極東に於て我国と競争せざるを得なくなつた。殊に日支間に交渉せられた所謂二十一ケ条協約は、欧洲各国の力を東洋に用ひられぬ時機に乗じた日本の得手勝手の所為であるとなし、非難の声が高かつた。私は当時前大統領ローズヴエルト及びエリオツト等の諸名士と会談して我国民の意図を述べ、又其際ナシヨナル・バンクの頭取たりしヴアンダリツプ氏とも会見し、支那に於ける日米の共同を提議したのであつた。
 戦時中は加州の排日熱も稍鎮静してゐたが、戦後は又も排日熱が高潮し、前年の土地法では未だ以て日本人の発展を妨ぐるに足らぬとし更に厳酷なる土地法の制定を運動し始めた。私は加州の排日熱が高潮すれば、遂に日米の国交に累するに至らんことを虞れ、昨年三・四月の交、東京の日米関係委員会が主催者となつて、桑港商業会議所会頭
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アレキサンダー氏以下七・八名の有力者を東京に招待し、互に誠意を披瀝して、主として加州問題の解決策を協議し、七・八ケ条の成案を得、続て又米国東部方面との諒解を得る為めに、東部のヴアンダリツプ氏等一行を招待し、商議を重ねた上種々の決議を得た。当時政府の内意を叩きたるに、私共日米関係委員が互に協議決定した案は私案に過ぎぬのであるが、若し米国側にして承認すれば、日本も必らずしも反対するものでないと云ふのであつた。
 然るに其後加州に於ける排日の形勢は益々悪化し、昨年十一月のレフレンダムは多数を以て排日土地法を決定し、日本人は農地を借地することゝ、米国生れの日本子女の後見人となることをも禁ぜられ、農業上に於ける発展を全く阻害せらるゝことゝなつた。之が為に昨年冬私に対して、渡米して在米同胞の状態を視察し、排日緩和に努力すべきを説かれたる者もあつたが、私は思ふ所あつて応じなかつたのである。
 排日土地法の通過した後、幣原大使と駐日米大使モーリス氏との間に華盛頓で日米移民問題に関して幾多の協議が重ねられたるも、成案を見るに至らない間に、大統領は更迭し、爾来ハーヂング氏の内閣は殆んど移民問題を閑却せるかの如くである。
 これは日本人として善後策を講ずべきことであると共に、此の排日土地法に対しては、私は我同胞の発展に対して痛烈なる打撃となるべきを懸念してゐたのであるが、其頃米国より帰朝せる人々の所見によると、土地法制定の精神は大に憂ふべきであるが、その結果は大したことはあるまいといふものもありて、私とは所見の一致せぬ点があつた。蓋し米国より帰朝した人と云ふも、視察した地方によりて自ら異る所がありて、失礼の批評であるが、群盲の象を探る感なき能はずで私は親しく渡米して実状を見聞し、又米国の識者とも胸襟を披いて相談し、誤解の一掃に努力する必要を感じたのである。殊に最近に至りては、土地法の励行と農産物の価格低落とは、大に我移民の困難を来たし、合同一致を欠くの傾あるを伝ふる者がある。想ふに排日烈しく生活困難となれば、動もすれば自暴自棄に陥り易く、乱暴と乱暴とが衝突する、其結果を想像すれば寒心せざるを得ないのである。現に同じく米国人でありながら、白人と黒人とが人種的衝突の為に、到る所に悲惨なる争闘を演出したことがある。同じ米国人の間には或は調和することありとするも、日米国人間に斯る不祥の問題が起るとせば、事態決して軽しとせぬのである、先頃加州ターロツクに起れる邦人追放事件の如き、犯人が暴徒であり、米人亦その不法を認めた為に、大なる問題となるに至らなかつたのであるが、若し日米の暴徒相争ふやうなことがあれば、如何なる結果を来たすかも測られぬのである。かく考へ来れば、国を憂ふ者は我在米農民の現在及び将来に対し、深き考慮を加へざるを得ないのである。従つて私は今回の渡米に際し此等の事情に付き研究し、出来得る限り適当なる方法を講じたいと思ふ。
 二重国籍の問題も亦、解決せねばならぬことである。米国の法律では、米国に出生した子女は其親の国籍如何を問はず米国人として登録する。然るに我国の法律では、日本人の子女はその出生地の如何を問
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はず、依然として日本人である。従つて在米同胞の子女は一面には米人であり、一面には日本人であると云ふ奇観を呈してゐる。これは日米法律の相違より来る結果であるが、米国にて生れ米国の法律に支配せらるゝ者は米国を我国土とし、米人を我同胞と思ひ、米人の為に忠誠を尽すことが自然である。然るに在米同胞の子女は土地の所有権を得る為には米国人となるが、他の点に於ては、依然として日本人である。これでは米人の日本人を好まぬのも無理からぬことであらう。仮りに地位を替へて、日本人が米人の立場にありとしても亦同じであらう。果して然らば、己の欲せざる所を人に施す勿れである。故に二重国籍に付ては深く考へねばならぬのである。
 在米邦人の子女教育に付ても、亦同じ理由によりて研究せねばならぬと思ふ。
 婚姻に付ては、前年写真結婚を禁止せられて以来、在米同胞は結婚の機会を得ることが難くなつた。写真結婚が不当であるとすれば止むを得ないが、併し嫁を迎へやうとしても、人種の差の為めに出来ぬとすれば、これは人道上の問題である。この問題も亦注意して解決を要することである。
 要するに私の渡米の目的の一半は、此等移民の問題を研究して、一面排日緩和の案を求め、一面日本移民の困難を緩和し、以て出来得る限り移民による日米間の不安を除くに努力したいのである。
 米国の私の友人は、何れも日米国交の情誼を敦からしむる事に努力し、而して之が為には日米両国ともに道理によりて行動せねばならぬと主張してゐる。彼等は直に両国の平和的発展を切望してゐるものである。故に私は今回の渡米により此等の人々と会見し、将来日米の関係を如何にすべきかも相談したいと思つてゐる。彼等の間には、私に対し渡米する様にと今春勧誘して来つたものもあつたので、私は今回の太平洋会議の開かるゝを機会として出発するに決したのである。軍備縮小又は制限に付ては、私は未だ充分に研究した者ではないが、無論熱望の一人である。
 この問題が、昨年来日米関係委員の間に協議した事項中の一であるから、太平洋会議の模様を見聞し、尚将来の事なども打合せたいと思ふ。
 私は何等日本政府の公務に関係はないが、国民の一員として軍備縮小の事が恰好に各国間に協定せられ、又太平洋会議によりて従来日米間に紛糾する問題が総決算となることを衷心から切望する者であるから、微力老衰をも顧みず此旅行を決心したのである。
      先生と同行者の決定
 先生は、前項の決意を以て、九月十四日夕東京銀行集会所に日米関係委員会々員中の重なる人々に集会を請ふて右の意見を発表し、忌憚なき示教を求められたり。来会の諸氏は孰れも太平洋会議の開催せられんとする機会に於て、米国に多数有力なる親友を有する先生の渡米せらるゝことは、真に国家の為め感謝惜く能はざる処なり、但先生が仮に単独に旅行せらるるも、米国人は必ず何等かの使命を有せらるものと解釈すべければ、寧ろ日米関係委員会の代表者となりて、米国に
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於ける先生の立場を明かにせらるゝ方御便宜なるべきに付き、抂て代表者たることの承諾を乞ふことに衆議一決し、先生に於ても承諾せられたり。次で同会よりも先生の外二・三の代表者を選出することゝなり、先生之亦承諾せられしかば、於玆先生及藤山雷太・井上準之助の両氏銓衡委員となりて種々協議の上、法学博士添田寿一・同山田三良頭本元貞・堀越善重郎の四氏を選定し、夫々其同意を求めしが、内山田三良博士は、大学教授たる関係上同行する事能はざる由にて辞退せられたるに付、之を除き他の三氏の承諾を得て、玆に一行の決定を見たり、其氏名即左の如し。
             日米関係委員会代表者
                    青淵先生
               法学博士 添田寿一
                    頭本元貞
                    堀越善重郎
 続て青淵先生は、自己の随行員として左記の諸氏を同行する事を報告して同会の承諾を得られたり。
                    増田明六
                    小畑久五郎
               医学博士 穂坂与明
               同行者  矢板玄蕃
      出発前の準備
   第一回代表者の会合
 大正十年九月廿三日兜町渋沢事務所に於て会合、出席者左の如し。
 青淵先生・添田寿一・頭本元貞・堀越善重郎の四氏、並に増田明六小畑久五郎
決議事項左の如し。
第一 一行の旅行日程を左の如く定むること
 一 大正十年十月十三日午前九時十五分東京駅発臨時列車に搭乗の事
 一 同日正午横浜解纜の春洋丸にて出発の事
 一 同月二十二日ホノルヽ市到着、同地日米人の有力者と会見して帰途同地滞留の際に於ける協議事項等に付き予め打合はせをなす事
 一 同月二十三日ホノルヽ発航の事
 一 同月二十九日桑港着、二泊、同地日米の有力者と会見して意見の交換を為し、且帰途同地方滞在の際に於けるプログラム等に付き協議を為す事
 一 同三十一日午後一時同地発ユニオン・パシフイツク線に依り東行の事
 一 十一月三日午後四時シカゴ市着、一泊の事
 一 同四日午後零時四十分ニユーヨーク・セントラル線に依り東行の事
 一 同五日午前九時四十分紐育に到着、ホテル・プラザに投宿の事
 紐育の旅程予想 紐育に於ては先づ昨春我邦に来遊のヴァンダリツ
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プ、タフト、キングスレー等の諸氏、並ヂャツジ・ゲーリー氏等に面会、又同地日米関係委員会の幹部と会談の後、主要都市ボストンフヰラデルフヰア、ピツツバーグ、セントルイス等の各地有力者を歴訪の後、十一月末華府に赴き、十二月二十日頃まで滞留、夫れより南方の鉄道に依りて、太平洋沿岸に出て桑港に於ける日米関係委員会の諸氏と会談を為し、且邦人在留の重なる地方を巡回して、一月中旬桑港を発し、帰途布哇に寄港し、同月下旬又は遅くも二月上旬帰朝のことゝなるべし。
第二 一般の方略
 一 一行は各地に於て盛に宴会に招待せらるべければ、其多数集会の場合を利用して大に意思の発表を行ふべきは勿論なるも、尚更に必要なるは各地の有力なる思想家・実業家等と意見の交換をなすにあるを以て、勉めて如此人々と接触を為す機会を作る事
 二 一行の任務は公会の場所に於ける人気取りよりは、寧ろ個人的接触にあるを以て、他の団体、例へは訪英米実業団の如きとは可成行動を別にすること緊要なる事
 三 便宜上一行中別個の運動を取る場合あるべき事
 四 東方各地訪問の際、加州移民問題は特殊の場合の外可成論及せず、専ら太平洋問題・支那問題・世界平和問題・軍備縮小問題等に関し、誤解を除去して日本国民の真意を諒解せしむるに努むる事
第三 一行渡米のステートメントを頭本元貞氏に於て立案し、次回の会合に於て協議する事
第四 日本政府と大体の方針及行動に付、予め打合はす事、尚政府より、幣原駐米大使一行渡米《(へ脱)》に付き、相当便宜を与ふる様訓示を請ふ事
第五 左記諸氏へ一行渡米の趣旨を通知する事
  ホノルヽ市
   アサートン、ルイス、商業会議所会頭、総領事矢田長之助、原田助、奥村多喜衛
  桑港
   総領事矢田七太郎、牛島謹爾、姉崎正治、アレキサンダー、ジヨルダン博士
  東部地方
   熊崎総領事、一宮鈴太郎、ヴァンダリツプ、ゲーリー、タフトキングスレー、ストリート、ギユリツク、其他必要なる先々
第六 一行の書記任務は頭本氏に嘱託する事、但増田・小畑両氏に於て補佐する事
第七 一行の報告は東京商業会議所宛に発送する事、電信はベントレーの電信略号を使用する事
第八 十月十四日以後の日本新聞は、紐育堀越商会支店へ送付する事
第九 以上各項以外の準備事項、仮令携帯参考書類・外国旅券手続・船室、米国各地に於ける旅館、汽車、其他細目の事項取扱は、増
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田氏に一任する事
   第二回代表者の会合
 九月二十六日正午兜町渋沢事務所に於て会合、出席者青淵先生・添田寿一・頭本元貞・堀越善重郎の四氏、並に増田明六・小畑久五郎
決議事項左の如し。
第一 青淵先生より、今回の渡米に付きては一行各自の意見を予め一致し置く必要あるべし、依て先づ自己の意見を開陳して諸氏の意見を承るべしとて、別項所載の渡米の目的を摘要報告せられたるに、一同孰れも異議なく、即先生の意見を以て一行の一致したる意見と決す
第二 渡米の目的は前項の如く決したるも、一行の華府会議に関する方針を決定し置くこと必要なるを以て、青淵先生に於て原総理大臣より該会議の内容に付聴取し置かるゝ事
第三 米国宗教家方面にモツト、ブラオン、ワナメーカー、マシユウスの如き人々に、一行渡米の目的を予め通知する事
第四 布哇に於ける排日的問題に付ては、同地に於て十月十日開催せらるゝ世界新聞記者大会に出席する頭本氏に依頼して、予め同地日米人の有力者の意見を聴取せしむる事
第五 頭本氏起草の一行ステートメントを、別項掲載の通決定する事
第六 山田三良博士一行に加入不可能に付、必要の場合には東京帝国大学ヘボン氏講座より米国出張中の法学士高木八尺氏を、該地に於て嘱託する事
      宣言
                   子爵渋沢栄一
 余は我が日本国民の平和を希望する熱情と隣邦を敬愛する至誠とを齎らして、玆に第四回目の旅行を企て、驚嘆に堪へざる進歩成効を為したる米国を訪問すに決したり。
 添田博士及頭本・堀越二氏は余と共に東京日米関係委員会の会員なり、而して此日米関係委員会なるものは、日本に於ける重なる政事家学者及実業家三十余名より成る団体にして、設立後既に六年を経過し我国民中に於て思慮あり勢力ある人士の意嚮を示すに足るものにして其主眼とする所は日米両国の親善諒解を増進するに在り、余が此三氏と共に此の有力なる団体を代表して、其姉妹機関とも謂ふべき米国桑港に於ける米日関係委員会並に紐育市に新設せられたる日米関係委員会に向て敬意を表し、且将来を祝福するの任務を託せられたり。
 桑港委員会の数氏及紐育委員会の若干名は、他の友人と倶に昨年春東京に開催せる協議会に臨席せられ、各一週間余の開会中種々の討論を重ね、互に胸襟を披きて意見を交換したるは余等の記憶に鮮かなる所にして、我が委員会が来会諸君に負ふ所少なからざるを以て、聊か答礼の誠意を表することも、亦余等の渡米するに至れる所以なり。
 我が日米関係委員会より託されたる余等の使命は上記の如し、余等は此旅行を機として、米国各主要都市を歴訪し、各地に有する多数の名士を訪問して、久闊の情を温めんと欲す。
 各地訪問の後は、太平洋沿岸及布哇に在る同胞移民の現状を視察し
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在留人と米国人との親交上の障害物を一掃する方法手段に就き、出来得る丈け攻究する所あらんとす、斯く云へばとて、余等は決して国際的問題を喚起せんとする者にあらず、期する所は移民個々の自発的努力により、如何にせば米国の習慣と理想とに融合し得る哉を、発見せんとするに他ならず。
 余等今回の旅行は、時恰も全世界の視線が集中せられ、而して一新時代を劃成すべき華盛頓会議の開催に際会せり、仍て平和を熱望する日本国民が、此大会議に関して如何なる感想を抱けるかを一言するは無用の弁たらざるを信ず、蓋し余等は日本国民が此華盛頓会議の、単に太平洋の平和と進歩とに与りて力あるのみならず、広く全世界に貢献することの偉大なるを確信するに躊躇せざるなり、日本国民は、日本将来の進歩は全然商工業の発展如何に依て決するものと思惟するが故に、又経済的進歩は平和の賜なるを以て、平和を熱望する上に於て他邦の人民に一歩も譲る者にあらず、而して過重なる軍事費の負担より免るゝことを渇望する上に於ても、亦他国民と異なる所なし、故に米国現大統領が華盛頓会議の召集状を発せらるゝ時に於て、懐抱せられたる国際親善に関する崇高なる理想に向て、余等は勿論、我が日本国民は衷心より感を同じくせりと謂つて可なり。
 日本国民は、常に親交を期待する米国より今回の勧誘状の発せられたることを特に欣幸とせり、随て此会議の大成功を奏する事を祈ると共に、如何なる暴戻非理なる障碍にも打勝ち得るに足るべき、強大なる基礎の上に、世界の平和が安置せらるゝに至らんことを切望して止まざるなり。(大正十年十月二十二日春洋丸に於て)


竜門雑誌 第四〇〇号・第七七頁 大正一〇年九月 ○青淵先生渡米理由(DK330008k-0002)
第33巻 p.162 ページ画像

竜門雑誌 第四〇〇号・第七七頁 大正一〇年九月
○青淵先生渡米理由 青淵先生が今般渡米せらるゝに就ては、追て其理由書を発表せらるゝ筈なるが、右は昨春青淵先生常務委員たる日米関係委員会の招請に依り、日米両国の間に蟠る諸問題、主として排日問題の解決に資すべく、桑港アレキサンダー氏一行及びヴアンダーリツプ氏一行の来遊を見、各十数日に亘りて協議を凝したる事は当時本誌に於て報道せる所なるが、其際右両氏及一行の諸氏より青淵先生其他の諸氏に対し切に渡米を希望し、又両氏帰国後も屡々書面を以て渡米方を勧誘し来れるより、青淵先生に於ても其意を諒とし、一行来訪の答礼を兼ね、渡米の上、加州方面殊に太平洋沿岸に於ける十万の在留同胞の慰問をなし、彼我両国の間に横はれる誤解を融和すると同時に、益々日米親善の実を挙ぐる意向を有せられしが、折柄米国大統領の主催にかゝる軍備制限問題及び太平洋並に極東問題附議の会合も来る十一月十一日より華盛頓に於て開催の事に決定したるを機会とし、来る十月十三日横浜解纜の春洋丸にて渡米せらるゝ事に決せる由。


竜門雑誌 第四〇〇号・第一四―一五頁 大正一〇年九月 ○青淵先生時事百話 渡米の趣旨(DK330008k-0003)
第33巻 p.162-164 ページ画像

竜門雑誌 第四〇〇号・第一四―一五頁 大正一〇年九月
  ○青淵先生 時事百話
    渡米の趣旨
○上略
 - 第33巻 p.163 -ページ画像 
△渋沢の亜米利加旅行 は是れは全く主として別の主義で行くので、従来日米関係に就て始終心配して居る渋沢、デ昨年も加州からして移民の事に就て同志者、即ち亜米利加に於ける日米関係委員の仲間が東京に来て屡々協議会を開いた。其協議会の結末は我々の希望通りには行かぬが、兎も角も移民問題の善後方法を講ずる為に渋沢が亜米利加に来て呉れたが宜からうと云つて、招かれて居る。其時は未だ総選挙最中、デモクラツト政府がレパブリカン政府に代る際だから、其果結が判らなければ自ら政治上の方針も判然せず、随つて移民問題の思案を付け兼ぬる辺もあるからと云つて見合せて居つた。程なく総選挙も済み、夫等の方針も稍々見えるやうになつた。折柄玆に太平洋会議が起つて来た。此会議が開かれる上は、必ず此会議には加州の移民問題が出るであらうと想像される。又昨年バンダーリツプ氏と一週間以上協議会を開いて、支那・西比利亜・満洲等の事柄に就ては種々項目を設けて意見の交換もし将来の方針をも協議したが、夫れは只協議した丈けの事で多くは落着した訳でないから、此等の事も必ず太平洋会議の問題に上るだらう。況や左様に心配して呉れたバンダーリツプ氏其他の人々に対して未だ夫れなりけりに誰もこちらから出て居ない。
△礼儀としても誰か一人 こちらの仲間の者が行つて、謝儀を言はんならぬ義理もあり、或は我々の協議した問題が、太平洋会議に於て落着する場合がないとも謂はれぬ。縦しんば落着しない迄も、兎も角も我々が多年深く希望した事が、玆に政府同志の委員が相集つて協議会を開く訳だから、其協議会の様子を知ることは、我々の等閑にすまじき事のやうに思はれる。昨年亜米利加の同志者と話合つた点は斯うありたい、彼の事は斯くありたいと、横合から口を利かれぬかも知れぬが、道理正しい事なら言はれぬこともなからう。要するに礼儀上から行かんならぬ、加州方面の事も何とか解決せんならぬ、かたがた亜米利加に対する旅行は極く必要だらうと考へて居た折柄、団君の注意があり、既に団君が英吉利の方を引受けて呉れる以上は、私自身としては常に我が関する亜米利加の事を深く思うて、玆に
△老体ながら自己が出掛けやう と云ふ話をした所が、夫れは至極尤な意見である、さう云ふ訳なら団君も行け、渋沢も行け、御苦労ながら我々はドウゾ行つて貰ふことを希望する。――但し其連中が方法を講じて我々を派遣させると云ふ趣意じやない、我々自身の考へから行くのだ――何か夫れに対して力を添ふべき事があれば力を添へたい。人も揃へて遣りたい、其他何なりと便宜を図りたいと、斯う云ふやうな事で相談が極つて、それで愈々十月十三日に春洋丸で出掛ける事になつたのである。
 私の此旅行は、殆どドウモ老後の余計なお世話と或点から物笑ひになるかも知れぬ、又余計な事をすれば、労して功がないかも知らぬが元来私は功なき事に労したい性分で、功ある事なら誰でも遣る。功がなくても労すれば私は大変心持が好い、余りに赫々たる功名を念とするよりは、寧ろ蔭の苦労の方が自分の性分に適して居る。丁度此場合が働き時で、モウ再び行くことも出来まいから、縦令ひ老衰しても、モウ一遍亜米利加の土を踏んで見たい。況や亜米利加の同志の年寄と
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握手したい人もあり、加州の同胞に対しても、悉く逢はぬでも逢つて聴きたい事もあり、かたがた前申す通り所謂縁の下の節季働きかは知らぬが、夫れが寧ろ私の性分に合ふと思うて、此度亜米利加行を決定した次第である。


渋沢栄一書翰 フランク・シー・アサートン宛 一九二一年九月二十日(DK330008k-0004)
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渋沢栄一書翰 フランク・シー・アサートン宛 一九二一年九月二十日
             (フランク・シー・アサートン氏所蔵)
               (COPY)
             VISCOUNT SHIBUSAWA
            2 KABUTOCHO NIHONBASHI
                TOKYO
                     September 20, 1921
Mr. F. C. Atherton,
  Honolulu, Hawaii.
Dear Mr. Atherton:
  It has been some time since I wrote you last. I trust that you are well and happy. I am very well and doing as usual all sorts of works for public good.
  You will be surprised to hear at this time that I am coming to America. The circumstances which led me to take this step are as follows:
  As the coming Pacific Conference will undoubtedly have a great deal to do with the relations between America and Japan, our Japanese-American Relations Committee thought it very important to have an unofficial representation there ready to do anything for good. I felt that this was a fine opportunity for me to make my return calls on the parties of Messrs. Vanderlip and Alexander who were good enough to visit us last year. Then I wanted to study personally the situation both in California and Hawaii of our people. We shall not be able to spend any time in Hawaii on our forward journey and so will forego the pleasure of stopping there, but will make it a point to stop over there on our way back.
  Hoping to see you before long, I beg to remain,
             Very truly yours,
              (SGD) E. SHIBUSAWA.
(Note. A similar letter, addressed to the President of the Honolulu Chamber of Commerce on the same date, stated that Baron Shibusawa would sail from Yokohama by the Shunyo Maru October 13th. )
   ○Note ハフランク・シー・アサートンノ注ナリ。


中外商業新報 第一二七三七号 大正一〇年八月三〇日 渋沢子渡米せん 来十月加州排日緩和の為に(DK330008k-0005)
第33巻 p.164-165 ページ画像

中外商業新報 第一二七三七号 大正一〇年八月三〇日
    渋沢子渡米せん
      来十月加州排日緩和の為に
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米国加州に於ける排日緩和の方策を協議せん為め、先年米国に於てはアレキサンダー氏を中心として二十余名の委員を設け、日本側に於ても渋沢子以下約三十名を以て日米関係委員を常置し、爾来両国委員は日米問題に対し協議しつゝあり、昨春アレキサンダー氏以下一行七名来朝せる折も、彼の一般国民投票問題に付き隔意なき審議を為したるが、今年は米国側より日本側の渡米を慫慂しつゝあるを以て、或は渋沢子代表として渡米するに至るべし、而して愈々確定せば、子は十月初旬出発すべきが、同子にして渡米せば、其形式は如何なるものにせよ、国民外交の見地より相当の効果あるべしと


中外商業新報 第一二七五五号 大正一〇年九月一七日 渡米実業団 出発期決定す(DK330008k-0006)
第33巻 p.165 ページ画像

中外商業新報 第一二七五五号 大正一〇年九月一七日
    渡米実業団
      出発期決定す
日米貿易関係委員会米国側委員よりの招請と、昨春ヴアンダーリツプ氏一行来朝に対する応酬の為め、米国を訪問す可き渋沢子爵一行は、来る十月十三日横浜出帆の春洋丸にて出発する事に決したるを以て、渋沢子は十六日午後四時米国大使を訪問して此旨を通知し、且つ種々打合せを為し退出せりと


東京日日新聞 第一六一五三号 大正一〇年九月二〇日 渡米団員決定 便船は春洋丸(DK330008k-0007)
第33巻 p.165 ページ画像

東京日日新聞 第一六一五三号 大正一〇年九月二〇日
    渡米団員決定
      便船は春洋丸
渋沢子を中心とする渡米団員の人選に関しては廿日若くは廿一日頃日米関係委員総会を開き議定する筈だが、確聞する処に依れば、其顔触は学者側よりは帝大教授法学部長法学博士山田三良・東京商業会議所特別議員法学博士添田寿一・元代議士頭本元貞の三氏にして、実業家側よりは今後或は一・二名の増員を見るやも知れざれ共、今日迄の所にては本邦唯一の米国通たる堀越商会主堀越善重郎氏一名で、尚通訳として渋沢事務所より小畑・増田の両氏も同行し、合計七名は既に決定して居る、而して一行は十月十三日横浜出帆の東洋汽船春洋丸に便乗の予定だが同船は或種の事情にて多分二・三日出帆を繰上ぐべしと


中外商業新報 第一二七五八号 大正一〇年九月二〇日 渡米団の人選 関係者明日会合(DK330008k-0008)
第33巻 p.165-166 ページ画像

中外商業新報 第一二七五八号 大正一〇年九月二〇日
    渡米団の人選
      関係者明日会合
二十一日正午より銀行倶楽部に於て、日米関係委員会を開き、渋沢子爵・井上日銀総裁・団琢磨・和田豊治・金子堅太郎子・阪谷芳郎男・浅野総一郎・江口定条・添田寿一・高田釜吉・服部金太郎・土方久徴森村開作男・梶原仲治・藤山雷太の諸氏出席の上、日米関係委員会米国側委員よりの招請と、昨春ヴアンダーリツプ氏一行来朝に対する応酬の為め、渡米す可き代表者を決定する筈也、尤も之が代表者としては渋沢子以外に、井上日銀総裁及藤山雷太氏銓衡委員となり、予め法学博士山田三良・法学博士添田寿一氏の両者、及頭本元貞氏に交渉し居れば、多分前記諸氏を推薦する事に決定す可く、一方実業家側より
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堀越善重郎氏を推薦し承諾を得たり、尚渋沢子個人関係として増田明六・小畑久五郎の両氏随行する事に決定せりと


中外商業新報 第一二七六〇号 大正一〇年九月二二日 代表渡米団員決定 添田・山田・頭本氏(DK330008k-0009)
第33巻 p.166 ページ画像

中外商業新報 第一二七六〇号 大正一〇年九月二二日
    代表渡米団員決定
      添田・山田・頭本氏
既報の如く二十一日正午より銀行倶楽部に於て、日米関係委員会を開き、渋沢子爵・井上日銀総裁・大倉喜八郎・大谷嘉兵衛・藤山雷太・島田三郎・堀越善重郎・和田豊治・伊東米治郎・串田万蔵・土方久徴阪谷芳郎男・瓜生大将・内田嘉吉・添田寿一・頭本元貞の諸氏出席、近く開会せらる可き太平洋会議に関聯する種々の要務を帯び渡米す可き渋沢子を除く代表者銓衡委員たる井上日銀総裁及藤山雷太の両氏より、添田寿一・頭本元貞・山田三良の三氏を本会の代表者として推薦せし旨を報告し、満場異議なく可決したり、然るに山田氏は当日欠席したるを以て、其席上に於て承諾を得る能ざるに依り、更に交渉の上承諾を求むる事として午後二時半散会