デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
2款 日米同志会
■綱文

第33巻 p.424-431(DK330025k) ページ画像

大正2年5月8日(1913年)

是日当会、渡米スル添田寿一及ビ神谷忠雄両氏ノタメ、東京商業会議所ニ懇話会ヲ兼ネタル送別会ヲ開ク。栄一出席シテ意見ヲ述ブ。十日二氏出発ス。カリフォルニア州外国人土地所有法ハ十九日同州知事ノ署名ヲ得、州法トナル。


■資料

東京日日新聞 第一三一〇一号 大正二年五月九日 ○添田博士送別会(DK330025k-0001)
第33巻 p.424-425 ページ画像

東京日日新聞 第一三一〇一号 大正二年五月九日
    ○添田博士送別会
日米同志会にては、八日午後一時より東京商業会議所に於て、今回加州在住同胞慰問の為め渡米する添田博士及び神谷両氏のため、懇話会を兼ねて送別会を開けり、会長渋沢男は同会の作戦計画及び之が成行の大要を述べたるに対し、添田博士は簡単なる挨拶をなし、次に島田三郎氏は
 加州排日問題に対する作戦計画としては、此際成るべく問題を加州の一部分に局限し、加州以外の米国市民をして日本人の立場に同情を寄せしめ、加州民の排日的行動を嫌悪せしむるに在り
とて、飽迄も日本国民の穏健なる態度に出でんことを望み、更に一転して深く排日問題の根底を吟味すれば、取りも直さず人種問題にして将来排日熱は南米各地にも感染すべしとて、一々之が実例及び東西文明並に黄白人種の優劣を比較し、それより
 若し日本国民にして国家的発達を成さんとせば、勢ひ陸海軍の力に依るの外なけれども、十七・八世紀ならばイザ知らず、各国勢力範囲の確定せられたる今日は不可能なり、不利益なり、排日の一大原
 - 第33巻 p.425 -ページ画像 
因は米人は日本人を以て多く米化するものにあらずと思惟するに在り、依つて日本人にして真に帰化権の獲得を欲せば、米化するの必要あるべし
とて、従来帰化に対する邦人の股膏薬なるを説き、此際これに対して政府国民共に明確なる態度を採らんことを以てせり、氏の外伴新三郎氏其他二・三会員の有益なる談話あり、別室に於て一同晩餐を共にし五時散会せり


東京日日新聞 第一三一〇三号 大正二年五月一一日 ○欣然として発途 商業会議所代表者添田寿一氏の渡米(DK330025k-0002)
第33巻 p.425 ページ画像

東京日日新聞 第一三一〇三号 大正二年五月一一日
    ○欣然として発途
      商業会議所代表者添田寿一氏の渡米
予記の如く、全国聯合商業会議所代表者として在加州同胞慰問と米国商業会議所の排日問題に尽せし好意を謝する為め、添田寿一氏は、昨日午前十一時五十五分新橋発の列車にて渡米の途に就いた、十一時過ぎより添田氏は薄鼠色の背広に山高帽子と云ふ身軽な扮装《いでたち》にて、見送人に一々挨拶して居る、阪谷市長・杉原栄三郎・中野武営氏等を初め実業家連の顔がズラリト其の後に見える、軈て大橋新太郎氏等に擁されて三番の昇降場に出ると、後藤男爵が大勢と一緒に待構へて居る、代議士連の中では、何時も斯る見送り中に欠けた事のない盲目の高木代議士が、一少年に扶けられて挨拶をする、鈴木梅四郎氏が最後に握手をして、既に発車の電鈴が響き渡つた時、後れ走せに来た渋沢男爵が群衆の中から高く帽子を上げて『御機嫌よう』を音頭に万口一斉に『御機嫌よう』と叫んだ、添田氏は車窓から病後の人とも見えぬ様に欣然として出発した


竜門雑誌 第三〇一号・第六二頁 大正二年六月 ○日米同志会の経過(DK330025k-0003)
第33巻 p.425 ページ画像

竜門雑誌 第三〇一号・第六二頁 大正二年六月
    ○日米同志会の経過
△遣米員の出発 日米同志会遣米員添田法学博士・神谷忠雄両氏は、五月十日午前十一時五十五分新橋発汽車にて出発せり、同停車場に見送れる重なるは同会々頭青淵先生・同副会頭中野武営、松田法相・木越陸相・高橋蔵相各代理、三島・井上・酒井各子爵、岩崎・近藤・阪谷各男爵、山本達雄諸氏なりき
△添田博士一行着米 添田博士及神谷忠雄氏は、五月二十六日無事桑港着の由日米同志会へ宛て入電ありたり、之れと同時に牛島日本人会長より青淵先生に宛て、右両氏無事桑港着の電報を発せられたり


青淵先生関係事業調 雨夜譚会編(DK330025k-0004)
第33巻 p.425-426 ページ画像

青淵先生関係事業調 雨夜譚会編     (渋沢子爵家所蔵)
    日米同志会
                  添田寿一氏談
○上略
大正二年五月十日私等二人は横浜を出発して、同月廿六日桑港に到着致しましたが、船中に於て禁止法案が裁可公布に相成つた事を耳に致して、大に遺憾に耐へなかつたのであります。此上は法を防ぎ止める事は不可能となつたのてあります。然し私等の使命が尽きたのてはな
 - 第33巻 p.426 -ページ画像 
い、米国の行政並に立法の府に於て日本に不当なる差別的取扱をしない様に奔走するのは決して不必要てないと思つて、法の成立にも不拘進んて行くことに致しました。彼の地に着いて五月末から六月一杯は在留同胞の慰問及実地巡察に費しましたが、邦人は人心恟々、財産を片附け、貯金を引出して帰国せんと思ひ立つて居ると云ふ次第て、全く生命の保証をも失つたかの如き、恐怖心を抱いてゐるのてありました。私は其杞憂に過ない事を述べ、若し生命を脅すが如き事があれば日本に於て黙視する事はない、両国間に干戈相見ゆるに至るのて、加州政府に於ても左様な無暴の挙に出るものてないと同胞に安堵を促しそれよりも進んて法の許す範囲に於て、土地を借るなり、其他の事業に進み、事業と離れない事に勉めるが肝要てあると説いたのであります。尚ほ大統領・国務卿にも会見するから我が同胞の意のある処を述べ、其反省を求める意向であると話したのてありますが、同胞の中には感泣する者もありました。我国からは外に江原素六・服部等の有力な方々も彼の地に在つて、到る処邦人に説き又邦人の為めに説きました、且つ邦人経営の新聞も私等と協力して同胞慰撫に勉めた結果、人心も漸く平静に帰した次第であります、尚ほ内地に於ては朝野の人々専心同胞の為めを図り、日米同志会の渋沢子爵等の御尽力の程を伝へましたのて、全く不安も除かれました。此間数百ケ所に於て演説を試み、日米同志会の目的も所謂慰問使の点に於ては其の一斑を達成し得た次第てあります。
亜いて東方を尋ねて、先づ紐育に参り、子爵の友人に懇談しましたが何れも日本同胞の為め遺憾な事と申されました。華盛頓に於ては大統領ウイルソン・国務卿ブライアンと会見して、渡米の目的を説き、其反省を促すに勉めました処、是亦遺憾に思ふと謝意を述べ、唯々州の立法に依つて決議したる法律に対して、中央政府は如何とも為し得ない事を説き聞かされましたから、私は加州の問題たるにせよ、事国交に累を及ぼすものてある上は、此上中央政府として、御配慮を煩し度い旨を願ひましたら、先方ても之を諒とされました。加州に於ては加州知事にも此旨申述べ、尚ほ中央政府の諒解も求めましたのて、少くとも使命の半は竭して、同年八月廿四日帰朝致したのであります。帰朝の上は早速子爵・中野の御両人初め、会へも委細報告致して置きました。加之外務省に対しては報告書を提出旁々、意見書を子爵・中野さん及私の三人連署の上差出しました。当時牧野伸顕さんか外務大臣てありました。意見書には善後策として排日運動を未前に防ぐ手段を講じ、民間より資金を出し、之に政府から補助金を提供して恒久的の一機関を組織するの案てあります。渡米する同胞は先づ以て此所に於て予備智織を得、万端の準備を為す事、及彼の地に於ける悪宣伝に対しては其誤れる事を質し、必要に応じては先方政府に対して我が主張を徹底せんとするのてあります。
此計画は不幸にして外務省の承諾を得ず、不成立に終つたのてありますが、若し其実現を得て居つたならば、其後の排日問題に対して、我国の為に功献する処決して少くなかつたと思ふ次第であります。
 - 第33巻 p.427 -ページ画像 

神谷忠雄談話筆記(DK330025k-0005)
第33巻 p.427 ページ画像

神谷忠雄談話筆記             (財団法人竜門社所蔵)
            昭和十一年六月二十三日、於東京海上ビルデング内東邦電力株式会社、編纂員山本勇聴取
    日米同志会に就て
○上略
      (5)遣米使節の為した仕事
 吾々両人が桑港に着きますと、予め電報が打つてあつたので、在米日本人からは勿論、米国側からも盛大な歓迎を受けました。また両方からの歓迎会も催されました。
 然し前述の通り加州の土地法案は既に成立してゐましたので、吾々の最初目的とした土地法案成立の阻止は最早致方がなかつた。そこで吾々二人は加州各地を廻つて、在留日本人側に対しては慰問をすると同時に、善後策としては自重して軽挙を戒むるやう警告し、米国側に対しても演説会を開いて日本側の事情を訴へて、土地法の幾分でも緩和されるやうに陳情しました。
 吾々が演説会を開くに就ては、加州の日本人会長牛島氏や桑港の日米新聞社長安孫子久太郎氏が世話され、又米国人に演説する場合には米国人も世話をして呉れました。
 さうした演説会をして加州を一巡した後「折角此処まで来たのだから、ワシントンまで行つて大統領にも逢つて行つたらどうだらう」といふ事になつて、私共二人と牛島日本人会長と安孫子久太郎氏の四人で、ワシントンに参りました。当時の大統領ウイルソン氏に面会の時は珍田大使の紹介でしたが、何う云ふ訳か、私共二人だけ来いといふ事でした。私共二人がウイルソン大統領に面会して陳情しますと、ウ氏は「各州が勝手な法律を作つてやる事は自分も困つてゐる。然し、各州には夫々の理由があることゝ思ふからして、よく調査した上で考慮しよう」と云つた曖昧な回答でした。
 それから又テアドル・ルーズヴエルト前大統領にも、アウト・ルツク社のメービー氏(日本に来朝した事がある人で青淵先生と親交があり、私も知合つてゐた)の斡旋でアウト・ルツク社で面会しました。
 又ウイリアム・タフト前大統領(当時はエール大学の総長でした)にも面会、陳情しました。ニユーヨーク商業会議所の日本に理解ある人々にも会つて同じく陳情しましたが、何れも具体的な解決法を示してくれる人はありませんでした。
○中略
 又、加州ではサンフランシスコ新聞の応援を得て "A survey of the Japanese question in California" といふ英文のパンフレツトを作成して配布しました。この和文は日本でも各方面へ配布しました。
○下略



〔参考〕排日問題梗概 千葉豊治編 第五三―五五頁 大正二年六月刊(DK330025k-0006)
第33巻 p.427-428 ページ画像

排日問題梗概 千葉豊治編 第五三―五五頁 大正二年六月刊
 ○第二篇 日本人土地所有権禁止問題
    第六章 排日的土地法案の成立
○上略
四、第四十回加州々会閉会と知事の土地案署名 土地案上下両院を通
 - 第33巻 p.428 -ページ画像 
過するや、五月九日珍田大使は合衆国政府に正式の抗議をなせり。ウイルソン大統領は即日臨時閣議を開き、国務卿と熟議を凝して、十一日を以て再度加州知事に訓電を発せり。○中略
国務卿の訓電に接し、知事未だ回答をなさず、土地法に署名をも為さざる間に第四十回加州々会は五月十二日正午の名義にて、事実は五月十三日午後十一時半を以て閉会したるが、其翌十四日知事ジヨンソンは、長文の電報を以て中央政府に最後の回答を発し、土地案には必ず署名すべきを明にせり(知事は其回答文に於て、帰化権なき外国人に対する加州民の排斥運動の沿革を略叙し、進んでウエツブ案が他の州に於ける法律と同様なる事を論じ、最後に之に承認の署名を為すは知事としての義務なりと信ずる旨を叙べたるが、全文は玆に省略す)
斯くて知事ジヨンソンは、日本政府の抗議も、中央政府の反対も、何等顧慮する所なく、五月十九日午前十一時三十分を以て此排日的土地法案に愈々署名したり。(此新土地法は州会閉会後九十日目なる八月十日より実施せらるべし)
○下略



〔参考〕加州問題ニ関スル日米交渉顛末 添付書類・第一七―一九頁 大正九年一〇月再版刊(DK330025k-0007)
第33巻 p.428-429 ページ画像

加州問題ニ関スル日米交渉顛末 添付書類・第一七―一九頁 大正九年一〇月再版刊
(第一号)
    加州外国人土地所有法
第一条 合衆国々法ニ依リ合衆国市民タルヲ得ル総テノ外国人ハ、州法ニ他ノ規定無キ限リ、合衆国市民ト同一ノ方法及範囲ニ於テ、本州内ニ於ケル不動産若ハ不動産上ノ利益ヲ、取得・保有・使用・譲渡・遺贈及相続ヲ為スコトヲ得
第二条 第一条ニ掲クルモノニアラサル外国人ハ、合衆国政府ト当該外国人ノ本国トノ間ニ存在スル現行条約ニ規定セラレタル方法・範囲・目的ニ於テノミ、本州内ニ於ケル不動産若ハ不動産上ノ利益ヲ取得・保有・使用及譲渡スルコトヲ得、又三年ヲ超エサル期間農業用ノ目的ヲ以テ、本州内ニ於ケル土地ヲ賃借スルコトヲ得
第三条 本州又ハ他州若ハ外国ノ法律ニヨリ組織セラレタル会社又ハ団体ニシテ、其社員ノ多数カ第一条ニ特定セラレサル外国人ナルカ又ハ其発行株式ノ過半数カ是等外国人ノ所有ニ係ル場合ハ、合衆国政府ト当該社員又ハ株主ノ本国トノ間ニ存在スル現行条約ニ規定セラレタル方法・範囲・目的ニ於テノミ、本州内ニ於ケル不動産若ハ不動産上ノ利益ヲ、取得・保有・使用及譲渡スルコトヲ得、又三年ヲ超エサル期間農業用ノ目的ヲ以テ、本州内ニ於ケル土地ヲ賃借スルコトヲ得
第四条 管轄裁判所ニ於テ遺産処分又ハ遺言執行ノ手続中当該相続人若ハ受遺者中ニ、本法ノ規定ニヨリ本州内ノ不動産ヲ取得スルヲ得サル者アルトキハ、裁判所ハ該不動産ヲ相続人又ハ受遺者間ニ分配セシメス、不動産遺産処分売払ニ関スル法規ノ定ムル手続ニ依リ売却ヲ命スヘク、其売却代金ハ相続人又ハ受遺者間ニ分配セラルヘシ
第五条 第二条ニ掲クル外国人又ハ第三条ニ掲クル会社若ハ団体ニシテ、将来本法ノ規定ニ反シ不動産ヲ取得シタルトキハ、該不動産ハ
 - 第33巻 p.429 -ページ画像 
没収セラレ州ニ帰属ス、検事総長ハ加州行政法第四百七十四条並ニ民事訴訟法第三篇第八章ノ定ムルトコロニ依リ、当該不動産ニ係ル没収処分ノ判決ニ関シ必要ナル手続ヲ執ルヘシ、当該不動産ノ州ニ帰属スルハ右裁判決定ノ後タルヘシ
 将来外国人又ハ会社若ハ団体ニシテ既ニ設定セラレタル不動産上ノ担保権行使ノ結果、当該不動産若ハ不動産ノ利益ヲ取得シタル場合ハ、右ノ財産カ当該所有者ニ属スル限リ第二条・第三条及本条ハ之ヲ適用セラレサルヘシ
第六条 第二条ニ掲クル外国人又ハ第三条ニ掲クル会社若ハ団体カ、将来本法ノ規定ニ反シ、不動産賃借権若ハ不動産ニ関スル其他ノ権利ヲ取得シタルトキハ、州ニ没収セラルヘシ、検事総長ハ第五条ノ規定ニ従ヒ、没収ノ判決及判決執行ノ処分ニ関シ必要ナル手続ヲ践ムヘシ
 裁判所ハ先ツ当該賃借権又ハ其他ノ権利ノ価額ヲ評定シ、右ノ金額ニ手続ニ要スル費用ヲ加算シタルモノヲ、州ニ交付スルノ判決ヲ下シ、後民事訴訟法第千二百七十一条規定ノ方法ニヨリ、賃借権若ハ其他ノ権利ノ目的タル当該不動産ノ売却ヲ命シ、右売却代金中ヨリ前記州ノ所有ニ属スヘキ金額ヲ州金庫ニ交付シ、残額ハ裁判所之ヲ保管シ、利益ノ順位ニヨリ利害関係人ニ之ヲ分配スヘシ
第七条 本法ノ規定ハ本州内ニ於ケル外国人ノ不動産ノ取得・保有及処分ニ関スル本州ノ法律制定権ニ何等ノ制限ヲ加フルモノニアラス
第八条 本法ノ規定ニ牴触スル法規ハ総テ之ヲ廃止ス



〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第二四四―二四五頁 昭和七年二月刊(DK330025k-0008)
第33巻 p.429-430 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕北米の日本人 末広重雄著 第一―六頁 大正四年二月刊(DK330025k-0009)
第33巻 p.430-431 ページ画像

北米の日本人 末広重雄著 第一―六頁 大正四年二月刊
 ○第一章 第一節 加州の排日
    第一款 在住日本人の経済上の地位
 日本人が移民として初めて渡米したのは、約五十年前のことであるが、明治二十三年頃から段々在住者の数が殖え、日露戦争後には更に激増するやうになつた。在米(布哇を除く)日本人人口増加の大勢を見るに、明治元年には六人、明治二十三年には二千三百人、明治三十七年には五万三千七百六十四人、最も多いのが明治四十一年で十万三千六百八十三人、大正二年が少し下つて九万五千四百八十三人に達して居る(米国に関する統計は、重に日米年鑑第十号に依る)。其の内大正二年加州在住日本人人口は五万九千七百五十五人で、在米日本人の約六割二分五厘に当つて居る。
○中略 日本人の主たる事業は何であるかと云えば農業である。農業に関係のある者は日本人の半数以上を占め、其の生産するところは一ケ年約五千六百万円で、加州農産物総価格の約六分を占め、其の経営する農業地の面積は総計約二十八万英加(一英加は約我が四段)に上つて居る。日本人の経営する農業が最近如何に発展したかを見るに、明治三十三年には農業地(所有地・現金・借地・歩合及請負耕作地を合せて)総面積は僅かに四千六百九十八英加であつたが、明治三十八年には六万一千八百五十八英加となり、大正二年には二十八万千六百八十七英加になつて居る、即ち十三年間に農業地面積が六十四倍になつた訳で、非常なる発展と云はねばならぬ。
○中略
 日本人が耕作する農産物の種類は、北加州では馬鈴薯・アスパラガス・豆・野菜・玉葱・果物、中部加州では葡萄・果物、南加州では野菜・苺・砂糖大根、沿岸地方では苺・砂糖大根等が重なるものである日本人の生産する主要農産物の価格を、一々加州全部の同種農産物の価格と比較して見るに、セロリーは九割、苺は八割五分、雑果物は四割六分、馬鈴薯は四割一分を占めて居るから、此等農産物に関しては日本人は市場に於て大なる勢力を有つて居る訳である。有名なる牛島馬鈴薯王が作る薯は、加州に於て品質第一と称せられ、其の産額は実に非常なものである。氏は米国西部の馬鈴薯市場を左右する勢力であつて、ジヨージ・シマの名は白人の間に喧伝せられて居る。此の如く日本人の農業は中々盛であるけれども、決して楽々と今日の成功を得た訳ではない。皆七顛八倒、苦心惨澹たる径路を経て来て、在住者中苟くも成功者を以て目せらるゝ人々は、何れも立志伝中の人物となるだけの値のある人である。加州に於ける日本人の発展の径路を見るに
 - 第33巻 p.431 -ページ画像 
資本を携へて事業に着手した者は殆ど一人もない、何れも日本を出る時は裸一貫、加州に到着して先づ労働者となり、随分苦戦奮闘したものである。殊にフレスノ地方が未だ発達せぬ時分此の地方で葡萄摘みをした人々の如きは、実に日中は華氏百二十度の炎天の下、焦付くやうに熱い砂地の上に屈んで十数時間働き、夜分は無果樹の下に露営して闘奮したのである。労働して多少の貯蓄が出来ると、一転して請負又は歩合耕作者となり、進んでは現金借地を為し、漸く貯た金を以て土地を買入れて地主となつた次第である。斯かる径路を踏で来たのであるから、日本人が農業上に発展して地主となつたのは僅かに最近十年来のことで、漸く近頃其の所有地の代金を完済した者が少くない。昨年秋加州土地法が実施された当時横浜正金銀行から特別に貸出した三十万円の内で、年賦払で支払中であつた代金を一時に払込む為使つた部分が少くない。此の如く漸く地主が出来た。約二万九千英加の土地が日本人のものとなつた許りで、加州の農業上に於ける日本人の発展は是れからであるところへ、加州土地法が昨年八月十日から実施されて、日本人の農業は一大頓挫を来した。如何にも残念千万である。



〔参考〕米国加州ノ排日ト邦人金融問題 千葉豊治著 第一二頁 大正九年(DK330025k-0010)
第33巻 p.431 ページ画像

米国加州ノ排日ト邦人金融問題 千葉豊治著 第一二頁 大正九年
(謄写版)
    故国ヨリノ金融援助
○上略 千九百十三年加州ノ排日土地法成立ノ際モ、在留邦人中、日米国交ノ将来ヲ悲観シテ、土地ヲ売却シテ彼地ヲ引上ケントスル傾向ヲ呈シタリシカ、当時渋沢男爵等日米同志会ナルモノヲ組織シ、添田寿一博士ヲソノ代表トシテ加州ニ派遣シ、横浜正金銀行ニ交渉シ、邦人ノ既得土地所有権ヲ確実ナラシムル目的ヲ以テ、僅ニ十五万弗ヲ超ヘサル制限ヲ以テ特別貸出ヲ開始シタリシカ、従来在留邦人ニ対シ殆ンド貸出ヲナシタルコトナキ正金銀行カ、邦人ノ土地ニ資金ヲ融通スル位ナラハ、近キ将来ニ日米両国ノ国交ヲ破ルカ如キコト非ルヘシト、人心ノ動揺忽チニシテ安定シ、爾来一層堅実ナル発展ヲ見ル ○下略