デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.6-11(DK340002k) ページ画像

大正12年2月10日(1923年)

是日、当委員会主催アメリカ合衆国ニュー・ヨーク米日関係委員会幹事兼アメリカ基督教会聯合会代表シドニー・エル・ギューリック博士招待晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。次イデ二十四日、日本工業倶楽部ハ当日ノ会員定例午餐会ニ同博士ヲ招請シテ講演ヲ聞ク。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正一二年(DK340002k-0001)
第34巻 p.6 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
二月十日 土 午前十時 ギユウリツク博士来約(兜町)
       午後四時 日米関係委員会ギユウリツク博士送別会《(歓迎)》
           (銀行クラブ)
             御顔出シノミ
二月廿四日 土 正午 日本工業クラブ常例午餐会催ギユウリツク博士招待会(同クラブ)


(増田明六)日誌 大正一二年(DK340002k-0002)
第34巻 p.6 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一二年      (増田正純氏所蔵)
十日○二月 土 晴
○上略 午後四時東京銀行集会処に於けるギユリツク博士歓迎会(日米関係委員会司催)に出席す
博士は日本及日本人を理解する米国ニ於ける第一人なり、多年日本ニ在りて日米両国の親交に尽し、尚米国ニ帰りたる後ニ於ても、多年一日の如く其増進ニ努力し、演説ニ論説ニ、アラユル方法ニ因りて之が実現ニ勤めて居る、今度米国より東洋視察の命を受けて渡来せられたるを機とし、本夕本会を催うしたる次第である。
来会者は阪谷男・添田・内田・串田・団・頭本・姉崎・山田・一宮・増田・小畑・服部の十二氏にして、博士歓迎会として甚た冷淡ニ感セられ、誠ニ遺憾の至りながら、会見各位の熱心之程度が測量セらるゝ次第である。
博士の熱心の両国親善ニ関する意見の陳述が話題となり、各員が遠慮無き意見を陳へたのハ、近来誠ニ愉快なる会合の一である。


竜門雑誌 第四一七号・第七五―七六頁大正一二年二月 ○日米関係委員会歓迎晩餐会(DK340002k-0003)
第34巻 p.6-7 ページ画像

竜門雑誌  第四一七号・第七五―七六頁 大正一二年二月
○日米関係委員会歓迎晩餐会 多年日米親善の為めに努力しつゝある米国基督教会聯合会幹事ギユーリツク博士、今般同会代表者として渡
 - 第34巻 p.7 -ページ画像 
来せるを機とし、日米関係委員会にては二月十日東京銀行倶楽部に於て同博士を招待し、青淵先生・一宮鈴太郎・団琢磨・添田寿一・頭本元貞・内田嘉吉・串田万蔵・山田三良・姉崎正治・阪谷男爵・土方久徴及び服部文四郎・増田明六・小畑久五郎諸氏列席の上、午後四時より同博士と共に日米・日支問題に付きて隔意なき懇談会を催し、更に午後六時より歓迎晩餐会を開きて其労を犒ひたりと云ふ。


渋沢栄一 日記 大正一二年(DK340002k-0004)
第34巻 p.7 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一二年        (渋沢子爵家所蔵)
二月二十四日 雪 寒甚
○上略 正午工業倶楽部ニ抵リ、午餐会ニ出席シ、米人ギユリツク氏日米関係ニ付テ一場ノ演説アリタルニ対シ、答詞的演説ヲ為ス ○下略
  ○中略
二月二十七日 半晴 寒
○上略 五時外務省ニ抵リ、内田外相ニ会見シテ○中略 日米関係委員会ノ要務ヲ談話ス○下略


竜門雑誌 第四二五号・第二一―二五頁大正一三年二月 ○ギユーリツク博士の招待会に於て 青淵先生(DK340002k-0005)
第34巻 p.7-9 ページ画像

竜門雑誌  第四二五号・第二一―二五頁 大正一三年二月
    ○ギユーリツク博士の招待会に於て
                      青淵先生
  本篇は昨年二月二十四日日本工業倶楽部に於けるギユーリツク博士招待の席上、青淵先生の演説せられたるものゝ由にて、同倶楽部発行の会報第八号に掲載せるものなり。(編者識)
 満場の諸君。本倶楽部に於て斯る御催しをなされますことは、洵に結構な事であると、私も会員として深く喜びます。今日此所に参上致して、只今「ギユーリツク」博士の有益なる御演説を拝聴して、諸君と共に深く感ずるのでございます。同君の御演説は洵に詳細に渉つて或は憲法に、或は州法に、或は一帯の感情に渉つて説き及ぼされたことは、如何にも尤もな御説のやうに拝聴致しました。私は法律上の事は暗うございますけれども、従来多少の関係を持つて居りますから、お説き下された事柄が如何にも左様であらう、成程将来は斯く成るであらうと云うやうに感じたのでございます。例へば小沢某の帰化権問題に対する大審院の判決などに就ては、御同様我が新聞などでも多少の懸念を以て論じて居ります為に、何か特に近頃あゝ云ふ問題でも起つた如き誤解を持つのであります。是は今博士の丁寧な御説明で、決してさう云ふ事柄ではないと云ふことが明瞭に成つたやうでございます。又更に亜米利加に於て生れた日本人の子供の権利に就て、只今加州方面の人々が之を褫奪しようと云ふ様な考へを以て色々運動して居るけれども、斯の如きことは到底出来るものでなからうと云ふ博士の御解釈も洵に御尤もと思ひます。又其親を後見たらしめねば《(てはカ)》ならぬと云ふ法律も無理であると云ふことが、裁判の結果大に分つて来たやうでございます。是等の件々に就て洵に丁寧な御示しがございました。只今の帰化権の問題に就ては、如何にも博士の御解釈の通りでございますが、併しあれのみで亜米利加の総ての方が満足だと仰有れど、私共は少し物足らぬ様に感ずるのでございます。如何となれば、正義を
 - 第34巻 p.8 -ページ画像 
重んじ人道に依る亜米利加のお国が、如何に国の安寧を保つ為めとは云へ、人種の差別を以て徹頭徹尾通すと云ふことはどうあらうか、何れ此憲法には人道的改正が必ず生ずるであらうと云ふことを、私共は予想して居るのでございます。如何となれば、人種平等と云ふことを特に宗教家などが仰有つて居るにも拘らず、尚今の通りの主義を飽迄も持続することは如何であらうか、遂には憲法其物に人道的改正を加へるやうになりはせぬかと云ふ、私共希望と疑を持つて居つたのでございますが、只今博士の御演説は、どうしても将来はさう云ふ問題を起すであらう、又それが成就するであらうと想像する如き御言葉のやうに伺はれました。是は洵にさもあるべきことで、既に博士にして斯様な考へを持つて居られるならば、吾々は将来の曙光を認めたと申しても宜いやうに考へるのでございます。蓋し此等の事柄に就ては、殊に加州方面に於ける我が同胞の多数が、将来如何成行くであらうかと云ふことは、吾々共大勢寄れば勿論のこと、少人数集つても常に此事が話題となつて、両国の国交上からも、又同胞を愛する観念からも、始終心配しつゝあるのでございます。殊に、私共用事が無いものですから、多少此事に力を入れ、是等の事を聞く毎に心配を致し、亜米利加に於ける同志の方々とも色々お打合せを致して居るのであります。現に今加州方面に於ける移民問題に就ても、是非根本的政策を定めて貰ひたいと云ふことを、吾々其事に関係して居る者共が心配して居るのでございます。併し其事は、未だ何等解決の緒に就いては居りませぬのでございますが、只今帰化問題に就き、若くは他の憲法改正の問題に就て、一般の形勢を公平に緻密に、日本の言葉を以て斯く迄能く吾々に了解するやうにお話下されたことは、真に吾々は異郷の同胞と申上げても宜いと感するのであります。諸君と共に、厚く感謝を致します。
 私は「ギユーリツク」君とは余程各方面に於てお親みを厚うして居ります。其始めは同志社にお出でゞございましたから、教育家として同君に接触致したのでございます。今も尚存して居ります、基督教会を起す時分にも、教育家として夫々御相談下さつたのであります。即ち其時から「ギユーリツク」君と吾々は接触致したのでございます。それから確か大正二年に一度亜米利加へお越しになりまして、再び四年と覚えて居りますが、此時は宗教家としてお出でになつたのであります。宗教家として私共日本で歓迎を致し御相談も致した。爾来「ギユーリツク」君は宗教家とし、又教育家とし、更に進んで世界の平和を希望すると云ふ大なる使命を帯びて御運動になつて居ります。吾々は「ギユーリツク」君の如き学問も無ければ宗教心も無い似て非なる者ではあるけれ共、世界の平和を希望する点に於ては、敢て「ギユーリツク」君に譲らぬ積りで居りますので、是非相共に力を尽さうではないかと云うて心配して居る一人である。此方面から今日は「ギユーリツク」君とお交りを厚くして居ります。殊に今最も接触の近いのは亜米利加と日本との関係に就て、日米関係委員会と云ふものが成立して居ります。是は多く東京・横浜方面の方々で、三十二人に依つて成立して居ります。今日の団理事長も、お隣りに御座る浅野君・服部君
 - 第34巻 p.9 -ページ画像 
なども其会員であります。此日米関係委員会の沿革を申すと、明治四十年頃から企てゝ、大正四年に成立して、今日に至る迄余り世間には喋々致しませぬが、内証で多少功能が分つたらうと―少し手前味噌は塩辛いと申しますから、私が申上げることを其儘お信じ下さらぬでも宜しいが、今日迄多少日米の関係に於て努めて居る。此日米関係委員会は単り日本に有るばかりでなく、亜米利加にも二つ有ります。桑港に一つ、紐育に一つある。其桑港の日米関係委員会のお世話を為さる方は「アレキサンダー」と云ふお方で、此方は人数が二十三人で組立てられて居る。それから、更に紐育に有りますのは、此所に御座る「ギユーリツク」君が其幹事として最も御尽力になつて居る。此方は会員が十八人ばかりであります。又後見の位置に立つて御尽力下さつて居る実業家若くは政治家・教育家は約四十人も有つたと思ひます。
斯る大きな団体が矢張日米関係委員として、殊に「ギユーリツク」君は其幹事として、種々御心配になつて居ります。一昨年私が参りまして、紐育に於てお打合せを致して参りましたが、此委員会は単り日本の事ばかりでなく、東洋の問題、殊に日米の接触に就ては非常に御心配下さいまして、何か間違つた新聞でもありますと、委員の諸君が御注意下すつてそれを直す。華盛頓会議の際など、殆んどさう云ふものを絶滅せしめたと申しても宜い程でありませう。併しまだ加州方面の事は完全に落着して居りませぬから、今日「ギユーリツク」君と私共とは大に心配をして居るのであります。其お考から今日諸君に向つて特に加州方面の事に就て、斯う云う事実であると云ふ細かい御演説が有つたものと私は察します。「ギユーリツク」君の御演説其者が、如何に両国の間に此問題が重大視せられて居るかと云ふことを証拠立てて居るのでございます。私共は従来此問題に就て多少の苦心を払つて居ります為に、今夕の御演説を伺つて深く喜びます。又斯の如き機会をお作り下されたことに就ては、倶楽部全体の会員又特に倶楽部の理事長に向つて厚く御礼を申上げるのであります。其上に別して喜しく感じましたのは、兎角外国のお方と御一緒になると言葉が通ぜぬ為に非常に面倒が起る、然るに今日「ギユーリツク」君は日本語の演説に於て日本人以上の弁舌を持つてお出でになり、吾々一同に斯く迄明瞭に了解し得るやう御話し下されたことを別して愉快に感ずるのであります。一言御礼を申上げます。(一二・一二・二七)


(日本工業倶楽部) 会報 第八号大正一二年一二月 晩餐会並午餐会(DK340002k-0006)
第34巻 p.9-10 ページ画像

(日本工業倶楽部) 会報  第八号 大正一二年一二月
    ○晩餐会並午餐会
 ○大正十二年二月二十四日正午当倶楽部に於て会員定例午餐会を開催し、日米親善の為に多年熱誠を傾注せられ米国人中日本及日本人を諒解せらるゝ第一人者の信望あるギユーリツク博士を招請し、講演を聴聞し、午後二時散会。出席員並に速記録左の如し。
 ○来賓
   ギユーリツク博士 ナイフスナイダー博士《(ライフスナイダー博士)》
 ○名誉会員
   子爵渋沢栄一君
 - 第34巻 p.10 -ページ画像 
 ○会員(いろは順)
   飯田義一君○以下九十二名姓名略ス
      ○団理事長の挨拶○略ス
      ○ギユーリツク博士の演説○略ス
  ○是日同博士ハ、アメリカ合衆国大審院ニ於ケル日本人帰化権否決及ビ日本移民排斥ノ真相、並ニ日系市民ノ市民権褫奪問題ノ、成立スベカラザル理由ニ就テ演説セリ。
      ○子爵渋沢栄一君の演説○前掲ニツキ略ス


AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA, by KYUGORO OBATA. p.298. Nov. 1937(DK340002k-0007)
第34巻 p.10 ページ画像

AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA, by KYUGORO OBATA p. 298. Nov., 1937.
        CHAPTER XIII
    IMPRESSIONS OF FOREIGN FRIENDS

       SIDNEY L. GULICK
               January 2, 1936
               Ashland, Oregon
Dear Mr. Obata :
  ………………
  Throughout the years, until his lamented death, the Viscount was ever among the most earnest advocates and promoters of understanding and goodwill between Japan and the United States. I realized this afresh when I made my second visit to Japan (1922-1923) on behalf of the Federal Council of the Churches, of whose Department of International Justice and Goodwill I was then the Secretary. Again I was the recipient of the Viscount's gracious hospitality and valuable assistance, as I sought to deliver the Message of the American Churches to the Christians of Japan and to assure the people generally that the Federal Council of the Churches was pushing forward its program of education on American-Japanese Relations.
  ………………
           Ever cordially yours,
            (Signed) Sidney L. Gulick



〔参考〕渋沢栄一書翰 大沢佳郎宛(大正一二年)二月二三日(DK340002k-0008)
第34巻 p.10-11 ページ画像

渋沢栄一書翰  大沢佳郎宛(大正一二年)二月二三日  (大沢佳郎氏所蔵)
(別筆)
拝啓時下益御清適奉賀候、然ハ過日ギユリツク博士貴地旅行ニ付き御接待之義書中御願致候処、御快諾被下、貴地有志之方々にも御内談被下候由にて、御申越之趣承知致候、同氏之如きハ真ニ日本及日本人を了解する米国第一人ニ御坐候間、今般之場合ニ於てハ充分便宜を与へ其使命を完全ニ遂行為致候様と切望致居候次第ニ御坐候
御申越ニ従ひ、貴県知事並ニ貴市長ニハ本日同博士紹介を兼ね、厚遇方依頼之書状差出置候間、尚両氏とも御懇談被下、可然御配慮願上候
 - 第34巻 p.11 -ページ画像 
先ハ尊書御受旁申上度、匆々如此御坐候 拝具
  二月廿三日
                      渋沢栄一
    大沢佳郎様
  尚々博士厚遇之義ニ付てハ、貴地関西学院教授神崎驥一氏にも懇談致居候、御面会之折ハ宜敷御伝被下度候
神戸市 第一銀行支店 大沢佳郎様 拝復
事務所印 渋沢栄一