デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.100-105(DK340013k) ページ画像

大正12年10月29日(1923年)

是ヨリ先二十六日、栄一、帝国ホテル内アメリカ大使館ニサイラス・イー・ウッズ大使ヲ訪ヒ、是日当委員会主催ニテ同氏送別会、東京銀行倶楽部ニ催サル。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一二年(DK340013k-0001)
第34巻 p.100 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年      (渋沢子爵家所蔵)
十月廿六日 金 午前十一時 米国大使ヲ御訪問ノ約(帝国ホテル内同大使館)


日米関係委員会往復書類(一)(DK340013k-0002)
第34巻 p.100 ページ画像

日米関係委員会往復書類(一)      (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下益御清適奉賀候、然ハ米国大使ウツヅ氏来月一日横浜出帆のクレブランド号にて帰国致候に付てハ、送別の為来る十月二十九日零時半東京銀行倶楽部に於て午餐会相催度と存候間、御繰合はせ御来会被成下度候、此段御案内申上候 敬具
  大正十二年十月二十六日
               日米関係委員会
                常務委員 渋沢栄一
                同    藤山雷太
  追て同大使は来る二十九日の外都合相付兼候由にて、本文の通相定め候義に付、何卒万障御繰合はせ御出席被下候様特に願上候乍御手数御諾否別紙端書又は左記電話にて御回付被下度候
    牛込四五五五番
    同 四五五六番 古河合名会社内渋沢事務所
    同 三八一〇番


日米関係委員会集会ニ関スル控(DK340013k-0003)
第34巻 p.100-101 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控    (日米関係委員会所蔵)
大正十二年十月廿九日零時半於東京銀行倶楽部
 米国大使ウツヅ氏送別午餐会
              (太丸・太字ハ朱書)
                 ○ ウッヅ大使
                 ○ ケッフリー参事官
                 ○ バァーネット大佐
                 ○ 伊東米治郎
                 欠 井上準之助
                 欠 一宮鈴太郎
                 ○ 服部金太郎
                 欠 原富太郎
                 欠 大倉喜八郎
                 欠 大谷嘉兵衛
                 欠 小野英二郎
                 欠 和田豊治
                 欠 金子堅太郎
 - 第34巻 p.101 -ページ画像 
                 ○ 梶原仲治
                 ○ 団琢磨
                 欠 高田釜吉
                 欠 添田寿一
                 ○ 頭本元貞
                 欠 瓜生外吉
                 ○ 串田万蔵
                 ○ 山田三良
                 ○ 山科礼蔵
                 ○ 古河虎之助
                 欠 藤山雷太
                 ○ 江口定条
                 欠 姉崎正治
                 欠 浅野総一郎
                 ○ 阪谷芳郎
                 欠 目賀田種太郎
                 ○ 渋沢栄一
                 欠 島田三郎
                 ○ 森村開作

                 ○ 服部文四郎
                 ○ 増田明六
                 ○ 小畑久五郎


日米関係委員会集会記事摘要(DK340013k-0004)
第34巻 p.101 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要       (渋沢子爵家所蔵)
 日米関係委員会大正十二年十月廿九日零時半於東京銀行倶楽部
 米国大使ウツヅ氏送別午餐会
  出席者
  渋沢子爵、伊東米治郎氏、服部金太郎氏、梶原仲治氏、団琢磨氏
  頭本元貞氏、串田万蔵氏、山田三良氏、山科礼蔵氏、古河男爵、
  江口定条氏、姉崎正治氏、阪谷男爵、森村男爵
  (幹事)服部文四郎氏、増田明六氏、小畑久五郎氏
  (賓客)シー・デイー・ウツヅ大使、ジヤツフアーソン・ケツフアリー参事官、チヤールス・バーネツト大佐
    記事
渋沢子爵 子爵は食事後左の如くウツヅ大使に挨拶せらる ○挨拶後掲ニツキ略ス
ウツヅ大使 ○挨拶後掲ニツキ略ス
  二時半散会
  ○本款大正十三年六月二日ノ条参照。


(増田明六)日誌 大正一二年(DK340013k-0005)
第34巻 p.101-102 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一二年     (増田正純氏所蔵)
十月廿九日 月 晴
出勤
零時半米国大使ウツヅ氏の為に、東京銀行倶楽部に於て日米関係委員
 - 第34巻 p.102 -ページ画像 
会主催の送別会あり、会員の来会者二十名、渋沢子爵同会を代表して送別の辞を陳へ、大使の之ニ対する謝辞あり
大使は、去九月一日の大地震大火災の際大使館より焼出され、母堂は胸部ニ負傷せられ、非常の困難にも不屈、直ニ長文の電報を本国に送りて、急速罹災者救済の方法を取り、為之其恩恵に浴したる窮民の喜悦ハ勿論、我官民一同の感謝ハ、殆と同大使の一身ニ集まれりと云ふも過言ニあらさるなり、子爵は其送別の辞ニ於て、国民として感謝の意を述へたるハ勿論なるが、大使今回の帰国は、母堂の震災の際受けたる負傷の治療にありしを以て、其孝心の厚きを賞揚し、如此友誼ニ厚く孝心の友人は再度得る事能ハざるべし、大使は一日も早く母堂の治療ニ尽され、速ニ全快して、任ニ我邦ニ帰還せらるゝ様と希望せられたり
○下略


竜門雑誌 第四二三号・第五六―六一頁 大正一二年一二月 ○米国ウツヅ大使送別午餐会(DK340013k-0006)
第34巻 p.102-105 ページ画像

竜門雑誌  第四二三号・第五六―六一頁 大正一二年一二月
○米国ウツヅ大使送別午餐会 日米関係委員会は十月二十九日零時半より東京銀行倶楽部に於て米国大使サイラス・イー・ウツヅ氏の送別午餐会を開催し、席上青淵先生の挨拶、ウツヅ大使の謝辞ありて満堂慇懃に送別の誠意を尽せる由、当日の出席者は左の如し。
 (主賓)ウツヅ大使
 (陪賓)ケツフリー参事官  バーネツト中佐
 (主人側)青淵先生     伊東米治郎氏
      服部金太郎氏   梶原仲治氏
      団琢磨氏     頭本元貞氏
      串田万蔵氏    山田三良民
      山科礼蔵氏    古河虎之助氏
      江口定条氏    阪谷芳郎氏
      森村開作氏
      服部文四郎氏   増田明六氏
      小畑久五郎氏
尚ほ青淵先生の挨拶並ウツヅ大使の謝辞要旨は次の如くなりしと。
   青淵先生の挨拶
閣下並に諸君
ウツヅ大使閣下が御赴任以来日尚浅きにも拘らず俄に御帰国なさるることゝなりましたので、御多忙の所御繰合せを願ふて此午餐会に御尊来を忝ふしたるは、吾々委員一同の光栄とする所で御座います大使が今回俄に御帰省なさるゝに就ては深く御同情申上げねばならぬ理由が御座います、即ち今次の大震災に際して御母堂が胸部に打撲傷を受けさせられし為め、本国の専門医より手術を御受けになるといふ真に御気の毒な理由が存するので御座います、御母堂は平素御強健の質と承つて居りまするが、八十歳の御高齢に居らせらるゝとのこと故一層御痛はしく思はるゝので御座います、御母堂の御遭難は天災によれるもので、私共の如何ともなし難き出来事では御座いましたが、我邦に於て斯る御災厄に罹らせられたに就きましては
 - 第34巻 p.103 -ページ画像 
私共にも亦責任あるかの如く感ぜられまして、心痛に堪へぬものが御座います、此上は一日も早く御快癒を願ふ次第で御座います、而して大使閣下に於かせられても可成早く御帰任なさるゝことを切望致す次第で御座います。
此機会に於て私は二・三申上げ度う存じます。
(一)今回米国の官民が挙国一致を以て深厚なる同情と莫大なる金品を寄送せられたことに就いては、我国民は衷心より感謝の意を表する次第であります、此点に就ては貴国の政治家・学者・実業家其他凡有方面の人々に私共の謝意を十分に御伝達下さることを希望致しますると同時に、貴国が斯る敏捷の行動に出でられたのも、全く大使閣下の御高配に基くものなることゝ存じまして、厚く御礼を申上ぐる次第で御座います。
(二)由来人と申すものは、非常なる場合に非常なる援助を受くる時は、其印象の強き、終生忘るゝことの出来ないもので御座います而して艱苦を共にする処より生ずる友誼は容易に破るゝものでは御座いません、此意味に於て今回の天災は日米両国の親交を一層深うしたることゝ信じ、歓喜に堪へぬ次第で御座います、然し爰に大使閣下に特別に御諒解を御願ひ致して置き度いことは、表情に関して日米人の間に大なる相違の存するといふ事で御座います、我が国民は他人の好意に接する時、深く感銘して謝恩の情に厚いことは何れの国民にも劣らぬことゝ思ひますけれども、其志を発表する点に於て甚だ下手で御座います、従つて親切をお尽し下された方々の眼より御覧になると、喜んで居るのか或は一向無頓着なのか解りませぬ為に、日本人は親切を親切と思はぬ国民であると誤解さるゝ嫌が御座います、然し之は長い間の習慣によつて伝へられた国民性の一部であつて、喜怒哀楽の情を容易く色に顕はさないのが、紳士の様に考へられて居る処より生じたものと思ひますから、此点を能く貴国の方々に御説明を願ふ次第で御座います。
(三)吾が日米関係委員会設立の目的は日米親善の増進に外ならぬので御座います、私は個人と致しましては殆んど二十年来両国間の親善問題に腐心して参りましたが、本委員会が組織されまして約八年を経過致しました様な訳で、此間敢て誇るべき事業も致して居りませんが、然し多少貢献する所があつたと申しても過言ではないと思います、日米両国の関係も追々と親善を増進して参り、特にワシントン会議の結果、日米の空を覆ふ疑惑の暗雲が一掃せられまして従来の親交が恢復された様に思はれますのは洵に欣快に堪へぬ次第で御座いますが、然し未だ全く安心といふ境地には達して居らぬかと思はれます、其れは何故かと申すと、加州に於ける日本人問題が未だ根本的に解決せられて居らぬからで御座います、就きましては是等の問題が訴訟の如き方法によらずして、関係者相互の諒解によりて永久に解決致したいと希望する次第で御座います、若し大使閣下が御帰省中、此問題の解決に資するが如き道を御開き下さることが出来ますれば、此上もなき幸福と存じます。
終りに臨み重ねて御母堂の御平癒を祷り、併て閣下の御再来を切望
 - 第34巻 p.104 -ページ画像 
致します。
   ウツヅ大使の答辞
閣下並に紳士諸君
本日日米関係委員会が私の為に斯る鄭重なる送別午餐会を御開催下さいましたことを衷心より感謝いたします、私は本年七月を以て赴任いたしたので御座いますが、貴国に数年間滞在して居つた様な感じがいたします、元来人の生命の長いとか短いとかいふことは、暦によりて決定せらるべきものでなく経験によりて定めらるべきものであります、赴任以来雑多の経験に遭遇いたした為めに、私は大辺長く日本に居つた様な気がいたすので御座います。
日米両国の間には最も密接な関係が成立して居りまするから、誤解の余地が御座いません、私が本年七月赴任早々、日米協会が私の為めに歓迎会を開いて下さいましたが、当夜の光景は私の記憶に鮮で御座います、当夜参列せられたる諸君と今日御列席の諸君の如き有力者が指導の地位に立たるゝ間は、日米の関係は益々親密を極めることゝ存じます、私は一外交官として諸君に御挨拶を申上げて居るのでは御座いません、一米国市民として何等腹蔵なく俗に言ふ「手を見せて」心情を吐露して居るので御座います。
私は大使として派遣せられたのでは御座いません、自ら選んで貴国へ参つたので御座います、而して此辺の消息は本日私と共に御招待に預りました参事官ケツフアリー氏が能く承知致して居るので御座います、然らば私は何の為に参つたかと御尋ねが御座いませうが、私は唯一つの目的即ち日米親善増進の為めに貴国へ参つたので御座います、而して私は世界に於て私の最も有効に活動し得べき舞台は我が国家及社会に貢献するに最も適当なる現職の外他にないと考へて居るので御座います、ワシントン会議は日米の間に横はる誤解を一掃して、東洋の平和に大なる貢献を致しましたが、此の会議によつて端緒を開かれたる日米親善は、両国民の個人的関係によつて一層実際的のものとせらるゝ必要があると考へます、私は赴任以来各方面の人々と会見致しましたが、到る所に好意を以て迎へられました、之は一個のウツヅとしてではなく、米国の代表者たるの故を以てゞあると感謝致して居りますが、兎に角相互の接触に基ける親善である事は疑なき事実で御座います。
今回の震災に関して一言申上げますが、私は此経験によつて貴国に二十年間も滞在して居つた様な心地が致します、私は斯る大災厄に襲はれたる貴国人を見て最も敬服に堪へない事は、貴国民の勇敢性で御座います、之は決して諸君の如き抜群の方々に見る勇気でなく労働者・子守・乳母其他新聞売子等に見る勇気で御座います、私は思ふ、日本をして今日あらしむるに至つたものは、此国民性であると、之れから推して考へますると、復興事業は一層偉大で堅牢で、且善良であると考へます、斯く申上ぐると私は外交官の常習手段なる御世辞に知らず識らず陥つて居るとの疑を受くるかも知れませんが、私は最も冷静なる実務家として所感を陳述して居るので御座います。
 - 第34巻 p.105 -ページ画像 
渋沢子爵は日本人が衷情を披瀝することに甚だ拙劣である故、恩恵を受けても其れに対して思ふ存分の謝意を表し得ない嫌があると仰せられましたが、私は此点に関して、子爵閣下と意見を異に致します、日本人は吾が米国人より遥に丁寧に繊巧に感恩の情を発表致します、日本人の礼譲に厚いことは世界無比であると存じます、今回の震災に於て私共家族の経験しましたことが此事実を証明して居ります、母と妻と私とが震災突発当日我大使館を焼失して避難して居る時に、見ず知らずの人が母と妻との為に畳を備へて下すつたこと又一人の閨秀画家が、私共に同情して御自身の手に成れる絵画と、一着の被服とを呈せられた如きは、何たる美はしい好意で御座いませう。
米国の同情及物質的寄附は実に自発的・自然的で御座いまして、或る少数の金満家が余財を投じたのではなく、店の番頭や電話の交換手や其他凡有方面の市民が誰言ふとなく進んで赤十字社へ寄附を申込んだので御座います、然し私の考では若し地位を替へて米国が今回の如き大災難に遭遇しましたならば、貴国民も必ずや同様の挙に出でられた事であらうと思ひます、何等報酬を求むるが如き考なく全く無慾の同情心より出でたものと思ひます。
此際に成立したる両国の好情を永久に持続せしむることが私共今後の任務と存じます、而して其れには両国間の商工業及財政関係を密接ならしむる必要があると思います、天災は悲むべきものなるも必ずしも禍とのみ考ふべきものではないと思はれます、重ねて諸君に御好意を拝謝致します。