デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.235-244(DK340027k) ページ画像

大正13年5月2日(1924年)

是日栄一、外務省ニ外務大臣松井慶四郎ヲ訪レ、日米高等委員会設置案ニツキ再考ヲ促ス。


■資料

中外商業新報 第一三七〇五号 大正一三年五月三日 渋沢子外相を促す 日米委員会案(DK340027k-0001)
第34巻 p.235 ページ画像

中外商業新報 第一三七〇五号 大正一三年五月三日
    渋沢子外相を促す
      日米委員会案
渋沢栄一子は二日午前九時二十分外務省に松井外相を訪問し、前日首相官邸において力説した日米高等委員会設置につき再考を促し、かつ他の閣僚の意向聴取方をも依頼して同四十分退出した


中外商業新報 第一三七〇七号大正一三年五月五日 排日法が通過すれば直に対策を執る 日米高等委員会は設置せず 日本だけの調査委員会を外務省が立案起草(DK340027k-0002)
第34巻 p.235-236 ページ画像

中外商業新報 第一三七〇七号大正一三年五月五日
  排日法が通過すれば直に対策を執る
    日米高等委員会は設置せず
      日本だけの調査委員会を外務省が立案起草
日米高等委員会設置の議論が最近に至つて民間の或一部から忽然として提起され、政府もこれがために少からず悩まされて居るが、元来日米高等委員会の主唱者は渋沢栄一子であつて、同子及び金子堅太郎子などがしばしば提唱して居た処今回の問題惹起して、米国は
 真正面 から日本人を排斥せんとする態度を示した、渋沢子等がその主唱する高等委員会さへ設置して置けばこんな不始末を見ないであつたろうと過般の首相官邸の会合以来政府当局に建言するところあり政府の熟考を促したのが今日までの事情である、然るに政府はかつて高等委員会説のあつたとき米国政府の
 - 第34巻 p.236 -ページ画像 
 内意を 質したところ、米国政府側は議会その他の関係を顧慮するときは、日本の提言を容るゝことは出来ない事情がある旨回答して来たので、そのまゝ立消えとなつたのだが、既に一度米国政府の拒絶に会つた案を両国関係が今の状態となつてから再び提言しても、到底米国政府の同意を得ることは困難であるから、政府としては
 この際 米国政府に対し日米高等委員会設置方を勧説する意志は全くない模様である、唯排日移民法案が実施さるゝことゝなつた場合、米国政府に対して新に条約上の抗議を続け、何等か適当な新案を編出すためには今日より相当な研究を要するので、その種の調査機関を新設するらしい、最も移民問題の結末を
 根本的 に付けるには幣原男・内田伯等に腹案があるからこれを精細に研究しかつ民間方面の意向をも質す必要があるから、寧ろ日米高等委員会とはせず日本側だけの調査委員会を設けることにならうとのことである、しかして外務省筋では既に排日移民法は米国政界の形勢から見ても、大統領は議会の決定を無視することなく
 明瞭に 実施に賛成するだらうとの悲観的観測を下し、その場合には日本は外交的権利と民族的立場を確保するために急速に実行すべき対抗策を講ずべく、その具体案の作製に着手したといふ


読売新聞 第一六九二六号大正一三年五月三日 渋沢子が外相を訪ふ(DK340027k-0003)
第34巻 p.236 ページ画像

読売新聞 第一六九二六号大正一三年五月三日
    渋沢子が外相を訪ふ
渋沢栄一子は二日午前九時半頃外務省に松井外相を訪問し、日米問題解決の為め懇談約三十分に亘りて辞去した、会談の内容は渋沢子が日米関係委員長《(常務委員)》として米国朝野の名士と交渉せる電文を外相に提示し、且つ外相より外務省に到着し居る情報を聴取したのみで、将来の対策等については触るゝところがなかつたとのことである


読売新聞 第一六九二六号 大正一三年五月三日 無能を隠すため苦情をつけた外務省 金子子の渡米に反対しながら今頃泣き面はおそい(DK340027k-0004)
第34巻 p.236-237 ページ画像

読売新聞 第一六九二六号 大正一三年五月三日
  無能を隠すため苦情をつけた外務省
    金子子の渡米に反対しながら
      今頃泣き面はおそい
渋沢・金子両子等の日米関係委員が、日米問題解決について最も妥当なる方法は両国政府の諒解ある日米高等委員会を設ける事だと政府当局に提議したが、此事は今日始まつた事でなく、大正九年我が関係委員会の決議として米国委員に提議したところ、当時委員長であつたアレキサンダー氏は政府の意向如何を顧慮し賛成しなかつた、超えて十一年に至り米国の関係委員から我が関係委員に対し
 お互に 両国政府に建□《(策)》して其設置を促進せしめては如何との提議があつたので、我関係委員は直に之に賛成し政府に建策したが、時の外相内田伯や幣原次官等《(埴原次官)》は米国政府が賛成すれば設置してもよいといふ極めて冷淡な態度であつた為め、米国としても自ら率先して之れを作るの誠意を示さず今日に至つた訳である、而して今回排日傾向甚だしく濃厚となるや、渋沢子等は単に外務当局の正面交渉のみならず
 政府の 諒解ある使節として金子子を派遣し、民間有力者の間に排
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日緩和の依頼をなさしむることも有力なる方法であるとて屡当局に建策し、松井外相も一時は之に賛成した程であつたが、金子子がかつてポーツマス条約の時民間使節として米国に雄飛し偉大の功績を挙げた事実を知つて居る外務当局は、金子子の腕を振ふことを欲せず、金子子が成功すれば当局の無能を笑はれ、失敗すれば責任を負担せねばならぬとの理由によつて
 外務省 内から猛烈な反対が起つた為め立ち消えとなつたのである斯かる歴史と感情の縺れを有する限り、高等委員会の設置に対し我当局が賛成するだらうとは信ぜられないが、一日首相招待会の席上に於て金子・渋沢両子等の激烈なる追撃を受け、松井外相は、高等委員の設置は我政府のみの意志によつて出来るものではないから致し方はないが、何かこれに代るべき機関を設けてはどうかとは思つて居るとてその腹案を発表したので
 渋沢子 等も喜んで賛成したとのことである、果して政府に設置の意志を有するものか又は其場脱れの逃げ言葉であるかは、後日に徴せねばなるまいと某関係者は語つた


読売新聞 第一六九二六号大正一三年五月三日 日米問題を背負つて渋沢子の忙しさ おちついて食事するひまもない(DK340027k-0005)
第34巻 p.237-238 ページ画像

読売新聞 第一六九二六号大正一三年五月三日
    日米問題を背負つて渋沢子の忙しさ
      おちついて食事するひまもない
 渋沢子爵と共に日米問題には一方ならぬ骨を折つて、渋沢子爵同様首相の相談相手に呼ばれた日米協会の金子堅太郎子は、問題以来ずゐぶん忙しく立ち廻つてゐるが、葉山に引籠つて用事の度に出て来るから余計な客にわづらはされぬだけでも余程よい。此頃は毎日のやうに一番で上京して終列車で帰るが、麹町永田町の邸にも殆んど立寄らず自働車を飛ばしつゞけてゐる。
それでなくても乗用のウヱズレー自働車がまる二年はどう修繕して見ても保たないといふ、忙しい
 渋沢子爵 は最近は又降りかぶさつた日米問題を背負ひ立つて自邸では落着いて食事する暇もないといふ。昨日も朝六時に起床するともう四・五人お客が詰掛けてゐて、それが何れも日米問題に関係ある人達だつたものだから、毎朝起き抜けにゆつくりと入つてその日の予定を樹てるといふ風呂へ入ることさへ出来ず、すぐに面会をつゞけ、八時頃にいつもの通りオートミルとハムエツグス、牛乳で少しばかりの朝食を済まし
 この食事 をしながら秘書を呼んで事務の事を一つ一つ命じ、九時にはもう松平次官と逢ふために外務省の玄関に例の七七号の自働車をつけてゐた、次官の処ではこれまで永い間子爵が日米関係委員会長《(常務委員)》としてでばかりでなく、公私共に尽した日米関係を一々事実に当つて説明したが、この話がすむとすぐ大蔵省へ行つて両国の数字的関係などを調べ、この外七ケ所を廻つて約二十名の人とあひ、午後三時に漸く兜町の事務所へ顔を出した
 それから 引続いて事務を見たり面会したりして、午後六時からまた約束の会があつて出かけるといふありさま。前後約七・八十名の客
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に接しこれ程飛んで歩いて、それでも『今日は割合に暇だつた』といふのだから押して知るべしである、米国との問題が起きてから毎夜一時すぎでなくては床へ入られない、大切な書状も私的なものは朝来てゐても夜、新聞も夜、下僚の事業の意見なども夜更けてから聞くのである


東京日日新聞 第一七一〇八号大正一三年五月三日 解決しても一時的だ、根本は之れから 官民一致が必要 渋沢子、外相を訪ふ(DK340027k-0006)
第34巻 p.238 ページ画像

東京日日新聞 第一七一〇八号大正一三年五月三日
  解決しても一時的だ、根本は之れから
    官民一致が必要
      渋沢子、外相を訪ふ
渋沢栄一氏は二日午前九時松井外相を本省に訪問し対米問題に関して懇談する所があつた、要するにこの問題は過般米国の上下両院を通過した排日移民法案が目下両院協議会の議に付せられ、しかして両院協議が大統領の妥協勧告を如何に取り扱ふか、なほ数日を経過するのでなければ該案の運命を知ることが出来ないのであるが、兎も角米国政府としては両院を通過した排日法案をそのまゝにして、法律たるの効力を発せしむる事は絶対に不可とするのかたき意向を有する模様であつて、即ち今回の移民法案中より排日条項を
 ○……削除し 別に日米条約を締結してわが労働者の渡航を禁止するの手段を取るか、若しくは排日条項をそのまゝ存置するも法律たるの実施期日をある程度まで延期して、その間新たなる条約を締結して排日条項の除外例を設けるの方法を取るか、二者何づれかの手段に出でんとする模様であれば、仮りに今回の排日問題は米国政府の公正なる態度により曲がりなりにも解決を告げ得るかも知れないが、しかし斯かる解決は単に一時的の解決であつて、これと
 ○……同時に 日米新条約の締結問題を初め在米邦人の善後措置に関する日米関係の根本問題に対して大いに考慮しなければならず、殊にこの問題はひとり政府間の交渉ばかりでなく、日米問題に関係と理解を有する民間有力者の援助を待ち、両者一致して事にあたらなければならない問題であるため、同日外相と渋沢子との間には右に関して具体的の意見交換が行はれたのである


報知新聞 第一六九七五号 大正一三年五月八日 かうなるのも政府無能の為だ 人の献策も聞かずに空頼みばかりして居て 渋沢栄一子談(DK340027k-0007)
第34巻 p.238-239 ページ画像

報知新聞 第一六九七五号大正一三年五月八日
    かうなるのも政府無能の為だ
      人の献策も聞かずに空頼みばかりして居て
                    渋沢栄一子談
排日法案に関する米国両院協議会は、とうとう七月一日からこれを実施することに決定してしまつた、それだからいはぬことではない、今にどうかなるだらう で
△グヅグヅして ゐるからだ、モ少し何とかシツカリやりさうなものだと思ふけれども、政府のやることでわれわれとしては直接何とも仕様がないのだから困る、なほこの上にも大統領が拒否するかも知れぬとの頼みもあるが、それとてどうなるものやら
△ホンの空頼み かも知れぬ、クーリツヂ氏とて何しろ大統領選挙で
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国民の人気を無視する訳にも行かぬ弱味のあることだ、今度の法案とは別だが、排日に関して米国の憲法改正問題についても自分等は
△切に代表者を 彼国に派遣することの必要を説いたのであるが、これも埴原駐米大使から、この際口太《(日本)》から人を派遣して来ることは、問題をますますふんきゆうせしめるものだから差控ろとの電報が来たといふので、さた止みになつてしまつた、自分等は何も好んで行きたい訳ではない
△そんなら政府 には何かシツカリした確信でもあるのかと聞いてみると、必ずしも心配の要はないといふのであつたが、一体今日の有様は何だ、先達て首相邸に会合したときにもさうだが、法案が両院を通過してしまつてから、どうしたものだらうと相談を受けたのだが
△こんなわから ぬ話しはあるまいと思ふ、自分等の建言は全然顧みないでおいて、さへ《(てカ)》事態が困難になつた場合政府としてとるべき方針態度でも示されることか、今更どうしたものだらうとはよくいへたものだ、この上何か政府に献策でもするかといふのか、考へてもみるがよい
△よほどの馬鹿 でない限り、たれがさう同じことを幾度も幾度もこんな政府に献策などするものか(その後の事情を聞くために、明日にも外務大臣を訪問することになるかも知れぬが)たゞ将来の我対外移民については、政府において
△確然たる方針 を立て移民局とか何とか相当の機関位は設けて、出かける国民にも出かせぎ人根性を持たせないやうシツカリした観念を与へてやることだ、移民といへば何だかそこらに落ちてゐるものでも拾ひに行くものゝやうな考へで、まうけたらすぐに引揚げるといふやうでは駄目だ、排日の原因として邦人の
△不同化性が説 かれてゐるのには無理がないと思ふ、根本の観念が誤つてゐて、われに権利を与へよとか待遇が悪いとかいふのは得手勝手といふものだ
   ○合衆国上下両院ニ於テ移民法通過ノ後、両院協議会ニ於テ両者ノ協議会開カレ、大統領クーリッジノ希望セル右法案実施延期ニ付協議ヲ重ネシモ、五月六日ニ至リ七月一日ヨリ実施ノ事ヲ議決シ、(「日米外交史」第七一八頁)翌七日再ビ延期ノ形勢ヲ来シ、(「日米外交史」第七一九頁)十日ニ至リテ更ニ七月一日実施ノ事ヲ議決セリ。(「日米外交史」第七二四頁)


竜門雑誌 第四二八号・第六二―六三頁 大正一三年五月 ○加州日本移民問題の悪化(DK340027k-0008)
第34巻 p.239-240 ページ画像

竜門雑誌 第四二八号・第六二―六三頁 大正一三年五月
○加州日本移民問題の悪化 青淵先生が多年憂慮せられつゝある加州日本移民問題が最近に到りて俄に悪化し、曩に日米両国の間に成立せる紳士協約を廃棄して代ふるに過酷なる移民法を実施すべく、米国下院は大多数を以て日本人排斥条項を含む移民修正案を通過し、上院も更に大多数を以て排日条項を含む別箇の移民修正案を通過するに到り日本政府の真摯なる陳述書にも、米国政府の熱誠なる警告にも耳を藉すこと無くして、却つて逆用し、飽までも其非を遂行せんとするに急なるは、真に痛嘆の極みなるが、此報一度び世上に伝はるや、米国の諸新聞紙も或る一派を除きては事の意外なるに驚き、孰れも筆を揃へて議会の不法を難詰し、英・仏・独・伊・露等の諸新聞紙も挙つて米
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国議会の態度を非難し、国際協調の精神を破壊するものとして極力論詰しつゝあるが、今や該法案は両院協議会に於て各自相違の条項を審議しつゝありて、其運命は一に大統領の署名か拒否かに岐るゝの重大時機に際会したるが如し。
 斯の如く両国の事態容易ならざるに到りしを以て、青淵先生の心痛一方ならず、日夜寝食を忘れて極力其非違を排除するに努めらるゝと同時に、円満なる解決策を講ずべく、屡々首相・外相と会見して忌憚なく意見の交換を行ひ、又民間の有力なる実業団体其他と共に米国の反省を促すに努力せらるゝと同時に、昨年六月五日青淵先生の主宰たる日米関係委員会の発表せる陳述書並に同先生の公開状に基き、此際両国政府が若干の代表者を任命して聯合高等委員会を組織し、以て該問題を徹底的に解決するの必要を力説せられつゝあるは既に周知の事なるが、四月十七日帝国ホテルに開催の汎太平洋倶楽部例会に於ける演説要領は左の如しと。
 帝国の外交は独り米国のみに重きを置く訳ではないが、始めて米国と通商が成立した当時、私は十九歳の青年で攘夷論者の一人であつた、それは英支の阿片問題に鑑みたからで、是は国交を非とするでは無く、其政策を排斥するにあつた、然し外遊以来始めて外国の長所を知り、取分け米国が正義人道を重んずる国柄なるを知るに及んで、一層国交を厚うするの必要を認め、爾来身を挺して其の増進に努めつゝありしが、幸ひ日米両国の国民的交誼も次第に日を追うて深厚の度を加へ来るを観、衷心より歓喜の情に堪へざりしに、今回米国の議会に提出せられたる排日移民問題に到りては其成行は実に寒心に堪へざる所にして、米国の正義人道何処にありやと、老人は思はず愚痴も言ひたくなる。然し真理は何年経つても最後の勝利を占めると信ずる。只此上は大統領が飽までも該法案を拒否し、日米両国の委員より成る聯合高等委員会を組織し、円満にして且つ徹底的なる解決に努力せんことを希望する云々。
 又四月十九日青淵先生は松井外相・ウツヅ米国大使と会見の上、対米問題に就き協議の上、東京銀行倶楽部に開催の日米関係委員会に出席せられ、大倉・大谷・小野・金子・添田・頭本・山田・山科・藤山・江口・浅野の出席委員と共に数刻協議の結果、同会の決議に基き、同会を代表して青淵先生より紐育日米関係委員会々長ウイツカーシヤム氏・同幹事長ギユーリツク博士及び桑港同会々長アレキサンダー氏を始め紐育ジヤツヂ・ゲーリー、ヴアンダーリップ、キングスレー、ラモント、ルート、モツト諸氏外六氏に宛て左の如く打電せる由。
   ○電文前掲(第一九二頁)ニツキ略ス。
 因に青淵先生は四月二十一日より風邪にて引籠り静養せられつゝありしも、四月二十三日日本工業倶楽部に開催の国際聯盟協会総会に出席せられ「余は此の問題の為めには、仮令病が重くならうが、死に瀕しようが、決して辞さない覚悟である」と熱誠を披瀝せられたるに観るも、如何に青淵先生が此排日移民問題に心労せられつゝあるかを推知するに足るべし。

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銀行通信録 第七七巻第四六一号・第五三九―五四一頁 大正一三年六月 ○米国に於ける排日問題の沿革(大正十三年五月二十日東京銀行倶楽部晩餐会演説) 子爵 渋沢栄一(DK340027k-0009)
第34巻 p.241-244 ページ画像

銀行通信録 第七七巻第四六一号・第五三九―五四一頁 大正一三年六月
    ○米国に於ける排日問題の沿革
          (大正十三年五月二十日東京銀行倶楽部晩餐会演説)
                     子爵 渋沢栄一
○上略 遂に大正四年には桑港にパナマ運河開通博覧会があつた機会に於て渡米し彼地の有力者と屡々会談した結果、桑港に日米関係委員会と云ふものが出来、次で大正五年に東京に同名称の一会を組織致しました、此二つの会は別に何処から命ぜられたでもなければ、何等指揮を受ける等の事はない、全く有志申合せでやつて居るのであります。東京には三十二人、桑港には二十二人の会員があります。此両者が提携協議して常に加州に於ける移民問題の解決に尽力しつゝあるのでございます。数年前に「イニシアチーヴ・レフェレンダム」、私は英語を能く解しませぬけれども国民投票と私共は訳して居ります、土地法に付て甚だ日本の移民に不利益なる制度が布かるゝだらうと云ふ事から或は面倒の事が勃発しさうでありましたので、桑港から今お話ししました同地日米関係委員の主なる人々即ちアレキサンダー、リンチ、ムーア、ホヰラー、ジョルダンと云ふやうな学者・実業家等を東京に招待致まして色々相談をしました、其頃には唯単に西の方面ばかりでなしに東の方面即ち紐育側の人々にも実業界に日本人に快からぬ種類があつて、それは何事かと云ふと、丁度大正四年の例の支那に対する二十一箇条に対し支那人から段々亜米利加人に向つて苦情を吹聴する、亜米利加側では支那に対する事業に日本が先取権を持つが如く思ひなして嫌ふ。此有様からして頻に東部の方にも不快の念を抱く者があつた為に西部の方の人と協議するばかりでなしに、東部の人とも充分な協議会を開いたが宜からうと云ふので、即ち大正九年の三月、先づ第一に前記西部の人々と協議会を開きまして、それから更に四月に東部のヴアンダーリップ氏の一行と協議会を開いて、此日米関係を成たけ調和せしめたいと今申した東京日米関係委員会が努めたのであります種々なる評議の末に、是はどうも加州移民の問題に対しては、彼方で云へば国務卿、此方で云へば外務省、此間だけの申合せて所謂紳士協約ばかりではいけない、もう少し細かい事に立入つて廉々を成べく協議して、一般の人にも稍々解釈し得るやうにした方が、或は面倒を解決する捷径であらう、例を申せばズツト昔英米の間に起つた「アラバマ」事件の如き、両方から委員を設けて協定せしめた例もある、それ等の例に傚つてやつたら宜からうと云ふので日米聯合高等委員を両国の政府が任命して問題の解決を講じ而して其結果は可成公開したら宜からうと云ふ議案を日本側から提出して、今お話ししました桑港関係委員会の人々と熟議し、引続き又東部より特に来会した諸君と種々協議の結果、参列者一同は至極宜からうと云ふことに意見が一致しました。併し一方それを持帰つて共に政府に運動して見たが、日本の方も同意して呉れず向ふも応じなかつた為に、謂はば議成つて事挙らず、遂にそれは労して効はなかつたと言はなければならぬ。遂に其年の冬即ち十一月の二日、大統領の選挙日と同じ日に今の「イニシアチーヴレフェレンダム」は通過して、到頭現在ある所の土地を最も日本の移
 - 第34巻 p.242 -ページ画像 
民に取つては不利益なる有様に議決されたのであります。私共折角労して見たが効のないのみならず、何等得る所がなかつたのは甚だ残念に思ひましたが、如何とも致方がない。殊に右の最終に出た加州に於ける土地法では、日本から参つて居る移民には余程困難があるものですから、折角世話をした吾々としては、是等の人々に対しては真に気の毒に堪へませぬので、何とかする途はなからうかと思ひつゝある所へ、其翌年即ち大正十年に華府会議が開かれる事になりました。華府会議は皆様御承知の通り、先づ海軍の軍備縮小、それから大平洋問題若くは支那の山東省の始末、それが重要の廉である。吾々共は願はくは此加州問題を是非其中に加へて華盛頓で協議して貰ひたいと思つて其時は原敬さんの内閣の頃でしたが、金子子爵などと打合せて屡々官邸に臨んで、是非華盛頓会議の一項目に加へるやうに原さんにお勧めしたけれども日本の内閣はそれに対して不同意を云ふではなかつたらうが、何分其場合に至らずして、到頭華府会議は軍備縮小以外は支那問題とか太平洋問題とか云ふだけで、其太平洋問題も広い範囲で、加州若くは太平洋沿岸に於ける所の我移民に対する処置、即ち前に言ふ紳士協約に依つて成立つて居るものを修正すると云ふやうな事には協議が及ばずに仕舞ひました。華府会議に何等関係のない身でしたけれども、願くはさう云うことに立ち至らせたくないと思ふた為に、特に華盛頓に罷出てまして、頻に加州問題の議案になるやうに、加藤さんなり徳川さんなり埴原氏なり、又は向ふに居つた幣原氏などにも勧めましたが、到頭其望を達せずして、他の事柄は大体都合好く進んだが加州問題は何分要領を得ませぬから、更に私は帰りに桑港を中心として日本人の多く居住する地方を丁寧に歩きまして、ロスアンゼルスにも行きサンチアゴにも行き、シヤトルにも行き、ポートランドにも行き、丁度二週間ばかりあの地方を巡廻しましたが、桑港に於きましては同地の関係委員会の連中が、其前年に日本から提案した聯合高等委員問題を反対に向ふ側から提案して、自分等は之に依つて解決する外ないと思ふから、日本でも是非同意して呉れ、共に働かうと云うて協議をして東京へ帰りましたのが十一年の一月三十日。爾来頻に其事を心配しましたが、我外務省も数月を経て亜米利加が同意するなら同意しても宜からうと云ふことになら《(衍)》つたもので、吾々は稍々仕合と思うて亜米利加の方へ照会して、此聯合高等委員会の組織を今日か明日かと待つて居ると亜米利加側が薩張り同意して呉れぬ。色々な方面から突ツついて見ても中々相応ずる有様はなくて、遂に其事が荏苒と日を送つて居る中に、彼の土地問題に付て大審院の判決を受けることになりました。其結果は原告たる日本人が敗訴をしました。此敗訴は悪くすると所謂霜を履んで堅氷至る、何か排日問題が更に勃発しはせぬかと云ふ徴候を私共は恐れたのです。果して然り、ジョンソンの移民問題又ジョーンスと云ふ人の憲法改正問題、是は今在る所の亜米利加で生れた子供は仮令種はさうでなくても亜米利加の市民である、然るに此ジョーンスの案であると其権利を取つてしまはうと云ふので、それには憲法を改正しなければならぬと云ふ意見である。今の移民問題よりは更に憶劫な法案であります。是等の案が亜米利加の議会に提出さ
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れたに付て、果して斯うなるだらうと懸念しました吾々は、頻に駐米大使以外に人を一人出したら宜からうと云うて外務当局に進言致しました。外務大臣ばかりでなく総理大臣にも御協議になつて、数回私共も其方に呼ばれて意見を申上げましたけれども、遂に其事は成立たずにしまつたのであります。但し人を出すと云うて之を阻止するとか、攻撃をするとか云ふ趣旨ではなく、相当に事情も知つて居り言葉が出来る人が参つて、或る方面から窃に之を抑止する途があるであらうがなと斯う思うて、派遣の事を協議して見ましたけれども、到頭其事も行はれずに、前に申しました通り遂に四月十二日が来て、現在の有様に及んでしまつたのであります。但し是より先に、移民問題は独り政府ばかりではいかぬから、もう少し輿論に訴へるやうにしたら宜からうと考へて居る中、丁度ギューリク博士が昨年六月此方へ来られた。博士は紐育に於て吾々と同様に有志者を集めて日米関係委員会を組織して居るのでありますが、即ち吾々と同じやうに日米の間の阻隔を防ぎ、且つ国交の親善を飽迄も進めて行かうと云ふ趣旨に依つて努めて居る人で、此人と相談をしまして、聯合高等委員問題は独り日本ばかりでなしに、もう些と亜米利加の多数に知らせるが宜からうと云ふ打ち合せが出来まして、私の知つて居る向ふの人に三百通ばかりの書面を発しました。ハツキリ数字を覚えませぬけれども、五十通ばかりは至極宜からうと云ふ回答を得て居ります。其の多くは実業界若くは宗教界の人で或は政治界・新聞界などにも多少はございます。左様であつたが併し不幸にも、極く率直に申せば国務卿のヒューズが、どうも時が悪いと云うて頭を振つて居る。現に以前のワーレン大使も余り賛同しなかつた、現ウツヅ大使も事柄は同意だけれども、時期が悪いからもう少し待つて呉れと云うて、何分其の事が実際に行はれるに至らぬ中に今申上げる通りの案が提出された。併し其時には今申すやうな阻止の仕方が表面から行かずにあらうと思ひましたが、是以て吾々の希望が外務省の容れる所とならずに、遂に今日の有様に相成つた。之が先づ、移民問題に於ける概況であります。然らば未来はどうであるか。私は玆にハツキリ申上げる事を難んずる。先づ今の所では大統領が必ず拒否するとは申されますまい。果して然らば七月一日からあれが行はれると云ふことになる。其結果が今ある所の移民に対してどれ位の困難が及ぶか玆に予め申上げられませぬが、定めて難儀も多からう、独り難儀のみならず、どうしても吾々は全く亜米利加から差別待遇を受けると云ふことになるのですから、条理論から言ふたならば、実に慨歎すべき有様と言はねばならぬ。然らば之を如何にするか、余程処置し難い所であつて、斯かるお席には斯う云ふ事を申上げても、皆様が極く思慮あり、深思黙考する方々でありますから宜しうございますが、迂かりした場所で申上げますと、渋沢は戦さをする積りだらうなどと云ふ誤解を招いて、とんだ間違を惹起します。私はさう云ふ乱暴の口は利きたくないが、さらば亜米利加の態度に対して喜ぶかと云ふと、亜米利加の国は尊い、亜米利加の人は偉いと云うても、此事柄に対しては私飽迄も不同意を言はざるを得ぬのでございます。併ながら此事が如何に落著するかは、未だ予め申上げ兼るのであります。
 - 第34巻 p.244 -ページ画像 
左様にジョンソンとかジョーンスとか、某々と悉くは上下両院の排日主義の論客の名は知りませぬけれども、加州に於ける排日の頭日《(目)》フイラン、インマン、マクラッチー、シャーレンベルグ、是等の人々は大抵私は知つて居りますが、随分悪どい排日論者で、第一日本人には同化性が無い、あの人間は偉い人間ではあるけれども、亜米利加に取つては是くらゐ困つたものはない、と云ふのがシャーレンベルグ及マクラッチーなどの議論である。私はマクラッチーと其為に特に三遍ばかり論を戦はせましたが、到頭論が乾きませなんだ、乾く筈はない、向ふは白此方は黒である。さらば左様な人があるから果して亜米利加人は皆さうかと云ふと、実に意外にも現に今日も、事務所に手紙が参りましたが、布哇の主立つた或はアサートンなり、クックなり、ウォーターハウスなり、こんな連中が申合せて、是非こんな事をしてはいかぬと云うて、大統領に電報を発したと云ふことであります。それ位に申して居る者もある。布哇の人のみではございませぬ、桑港のアレキサンダー、リンチ是等の人々も切に其事を申して居る。尚そればかりではなしに、現に御承知の通り「ウォールド」新聞でも、紐育「タイムス」でも「シカゴ・トリビューン」でも、ハースト系を除いたる主なる新聞は、大抵今度の上下両院の議決は実に間違つた事だと云ふて、悪魔が人類を妨げると云ふ漫画まで画いて批評して居る。此点から見ると亜米利加人は中々人道を弁へる人だ、情誼ある人だと斯う言はざるを得ぬ。併し上下両院の所作を見ると、埴原さんの言ふた重大事件と云ふ事を楯に取つて、それ程の余地もなからうと思ふのに、九十幾票の中二票か三票の日本贔屓があつただけで、他は残らず排日に同意したと云ふことは、殆ど狂気の沙汰とまで言ひたい位、今後の事は如何になるか此処では分らぬと申す外はありませぬが、未だ私は全く脈が切れた、天日が濛晦に陥つたと言はぬでも宜からうと思ふ。仮令如何にならうとも、未だ十日ばかりの間があります、此間に或は拒否になるか、何等かの方法が講ぜられはすまいかと思ひます、兎に角加州に於ける移民問題は経過が左様であつて、何が故に左様に相成つたかと云ふと、此亜米利加の国柄が或点には最も喜ぶべき最も感ずべき廉の多い国と思ひますが、又或る点には今現在申上ぐる如き点もある。悪く申せば非常に平仄の揃はぬ突飛な国柄であると云ふことは、どうもさう論ぜざるを得ぬやうに思ひます。只今一宮君のエドワード・ボックのお話を伺つても、是は和蘭人だと云ひますから、全くの亜米利加人ではないかも知れない。先づ亜米利加人の中には、善い者もあり悪い者もあると云ふことを理解せねばならぬと思ひます。亜米利加の日本移民に対する関係が、私の知つて居る限り今の有様であつて、斯う申すと脈が切れたやうにお感じなさるか知れませぬが、未ださうではございませぬから、仮令万一に之が思ふやうに行きませぬでも、又未来に望みないと申せぬであらうと思ひます。成べく短気を起されぬやうにお願をしたうございます。以上は私の知つて居る限りを包まず隠さず申上げたので、どうぞ言葉を以て意を害せぬやうにお願ひ申します(拍手)