デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.594-602(DK340068k) ページ画像

大正14年12月20日(1925年)

是日、アメリカ合衆国人ジョン・アール・モット博士、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒ対談ス。次イデ二十
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四日当委員会主催同博士歓迎会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ催サル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

(増田明六) 日誌 大正一四年(DK340068k-0001)
第34巻 p.595 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正一四年      (増田正純氏所蔵)
二十二日○十月 木 曇
○上略
本日の来訪者及要件
○中略
4ウイルバー、松沢光茂、筧光顕の三氏来訪、来十二月モツト博士来朝の件ニ付協議の為め
○下略


子爵及外国人会見記録 【子爵 ジヨン・アール・モツト(Dr. John R. Mott)博士会見】(DK340068k-0002)
第34巻 p.595-597 ページ画像

子爵及外国人会見記録           (渋沢子爵家所蔵)
 子爵 ジヨン・アール・モツト(Dr. John R. Mott)博士会見
 大正十四年十二月二十日(日曜) 於飛鳥山邸客間
 列席者 阪谷男爵・斎藤惣一氏
    会見の光景
午前九時半の約束にてモツト博士斎藤青年会総主事と同乗、先きに客間に入る、此時阪谷男爵は已に客間にあられたり、子爵は和服著用、白足袋に革のスリツパーにて御入室、先つモツト博士と握手の礼を行はる
モ博 御病気の為め永らく御引籠りとの報知に接しました時は遥に心配致して居りましたが、今日御目に掛りて四年前御会見申上げた時と少しも御変りなく、御元気で入らつしやる事を拝見して非常に喜ぶ次第で御座います、来る数年間は最も多く子爵の御指導を要する時代で御座いますから、益々御壮健で入らせらるゝ様に御自重を御願ひ致します。私は今朝子爵に御目にかゝる事を愧かしく感ずる次第で御座いますが、然し彼の排日移民法に対する私個人としての態度は始めから反対で御座いました。当時私は欧洲を旅行致して居りましたので、電報を以て我外務省に彼の法案の通過を阻止する様申送つたのでありました。彼の排日法に関しては、将来必ず改正の道があると信ずるを以て、私は此度再び日本を訪問する程の勇気を有つたので御座います。排斥移民法改正に就ては我邦に於ける善良の分子が賛成を表して居ります。私は二百以上の諸雑誌を披見致しますが、之等は殆んど全部該移民法の改正を主張して居ります。偖而私の善良分子と申す者は先づ諸大学及諸専門学校、多くの商業会議所、実業界の重鎮、例へばシカゴのマコル、ミツク、紐育のゲーリー、及ロックフエラー等の如き人々、並に第二世ともいふべき青年団で御座います。従来日米両国の関係は実に美はしいもので御座いましたが、ドーモ基礎が堅固で無つた様に考へます。今回の出来事に就ては、神の深い摂理が背後に働いては居らないかと思はれる点があります。偉大なる結果は等しく偉大なる原因によつて生ずるものであつて、決して魔術を以て一朝一夕にドースルといふ様なものでは無いと考へます。私は移民問題に関しては親しく大統領とも懇
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談致して参りました、大統領との談話は秘密を要するのであるから之を漏らす事は出来ませんが、大体此問題に就て深く考へて居らるる事丈けは確かであると申上げる事が出来ます。私の考にては之が為め日米両国の識者は一層真剣になつて、根本的に日米親善を計る為めの一手段ではあるまいかと考へるので御座います。一般基督教的信仰は勿論、私一己人の信仰は、将来に於ける日米親善の必要に多大の重きを置いて居ります。
子爵 鄭重なる御言葉を戴きまして甚だ恐縮に存じます。又排斥移民法に対する貴方の御態度及米国々民の意向等を組織だてゝ御話下して、誠に難有拝聴致しました。御承知の通り貴国は一億万の人口を有し我邦は六千万であります、此両国民が直接に相交際致して居る訳けでは御座いませんから、時には謬伝・誤解の生することも全く無いとは申されません、然し日米の国交は稀に見る程美はしいものでありました、之れに就ては深い理由があると思ひます、今其一例を挙げて申上けますならば、貴国より派遣された総領事にして、其後間もなく公使になられたタウセンド・ハリス氏の人となりであります。千八百五十六年頃の日本は随分国が乱れて居り、今日の支那を見るか如き有様でありました。西洋人を見ると夷狄と言つて排斥したものであります。排外思想が日増盛になりまして、或る日タウンセント・ハリス氏の書記官であり、通訳官であつたヒュースケンと申す外人が日本人に殺害されました、米国以外の国より遣はされた使節達は危険を慮つて国旗を捲いて横浜に引揚げました、然るに如何です、自分の通訳官を失つたタウンセンド・ハリス氏は厳然として他公使の意見を退け、仮令ひ人民が乱暴したとはいふものゝ、之れが為め其国の政府に侮辱を加ふるか如き事は決して取らない所である、自分は何処までも日本の政府を信頼して東京に踏み留るべしとて、危険の裡に起臥したのであります、其内に国内も平穏に帰して、諸公使達も再び東京に戻りました。私はハリス氏の此武士的行為に対しては無限の尊敬を払ふものであります。今朝貴方に御会ひして、昔日のハリス氏の再来かも知らんと思はする程で御座います。タウンセンド・ハリス氏は私の見ざりし友人であります。而して当時の外交に慣れない日本を助けて、今日ある事を得せしめた日本の恩人であります。勇敢にして人情に厚い模範的米国人でありました。彼の排斥移民法を通過した政治屋連とは、比較にならぬ程立派な人格者でありました。
モ博士 唯今子爵が御話になりました事を我国民に知らせたならば、其好影響は実に大なるものがあると存じます。今後の日米関係は教育の基礎に立たねばならないと考へます。即ち両国の青年間に完全なる親善関係を成立せしめる事であります。従つて私共の関係して居りまする基督教青年会の事業は、益々其必要を示して参つて居るのであります。東京に於ける青年会事業に就きましては、閣下を始め阪谷男爵には厚き御援助を蒙つて居るので、感謝に堪へませぬ次第であります。我か基督教青年会の事業に就てはクーリッヂ大統《(領脱)》を始め商務卿フーヴアー氏の如き大なる興味を抱いて居られます。又
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英国のジオヂ皇帝も、基督教青年会の世界的事業は世界の平和促進に大な貢献をなしつゝありとの御意見を、御漏らし下さいました様な次第で御座います。昨朝食事の際後藤子爵(モツト博士は東京滞在中後藤子爵の賓客たり)とも談話しましたが、米国は日本に多数の学生を派遣する必要かある。即ち日本が学生を米国に送るか如く米国も学生を日本に遣はすが日米親善の為めに大なる貢献をするであらう、日本の亜米利加を知ること、米国が日本を知るより遥か勝れて居る理由は、日本は学生を通じて米国を能く知つて居るからであると申す様な話でありました。斯る協力は確かに両国の親交を合理的に密接ならしむるものであります。日米両国の後進が真の了解を以て交際する時は、必ず健全なる国交を見ることが六ケ敷ないと思ひます。米国のセント・ローレンス川に鉄橋が御座いまして之をカンテレヴア・ブリッヂと申します。其構造は川の両岸に大なる支柱を建て、其頂上より川の真中に向つて手を延ばし、真中で互に相会する様になつて居ります、又他の一方は其長い腕を支へ得る丈けの重味を有する仕掛を有するのであります。ドーか日本人と米国とか太平洋の上に双方より手を延ばして、偉大なるカンテレヴア・ブリッヂを造る様に致したいと思ひます。
子爵 私は日本側の支柱を支へる為めに要する一個の石ともなることが出来れば結構と存じます、老人故余り見栄になる働きは出来ませんです。
モ博 いや子爵は確かに此支柱其物で御座います……

凡そ一時間にて散会

日米関係委員会往復書類(一)(DK340068k-0003)
第34巻 p.597 ページ画像

日米関係委員会往復書類(一)     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、然ば来る十九日正午銀行倶楽部に於てモツト博士歓迎の為め午餐会開催致候旨御案内申上候処、右は同博士の御都合に依り、来る二十四日(木曜日)正午同所に於て開催致候事に変更致候間、何卒不悪御承引の上御出席被成下度願上候 敬具
  大正十四年十二月九日    日米関係委員会
                 常務委員 渋沢栄一
                 同    藤山雷太
    会員各位
  尚々御手数には候得共、御来否封中端書にて御回示被下度候


日米関係委員会集会ニ関スル控(DK340068k-0004)
第34巻 p.597-598 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控   (日米関係委員会所蔵)
 大正十四年十二月廿四日(木曜日)正午、於東京銀行倶楽部
  モツト博士歓迎午餐会
            会員
                   欠市来乙彦
    ○モツト博士 出       ○井上準之助 出
    ○ブロックマン氏 出     ○一宮鈴太郎 出
    ○フェルプス氏 出      欠服部金太郎
    ○斎藤惣一氏         欠原富太郎
 - 第34巻 p.598 -ページ画像 
    ○川尻正修氏 出      在外原田助
                  在外新渡戸稲造
                   ○堀越善重郎
                ○男爵 大倉喜八郎
                    大谷嘉兵衛
       突然手離し兼ねる用事起りし為め欠席 ○小野英二郎
                欠子爵 金子堅太郎
                   欠梶原仲治
                   欠団琢磨
                   ○添田寿一 出
                   ○頭本元貞 出
                欠男爵 瓜生外吉
                   ○内田嘉吉 出
                   ○串田万蔵 出
                   欠山田三良
                欠男爵 古河虎之助
              ○常務委員 藤山雷太 出
                   ○江口定条 出
                   欠姉崎正治
                   ○浅野総一郎 出
                ○男爵 阪谷芳郎 出
                欠男爵 目賀田種太郎
            ○常務委員子爵 渋沢栄一
                   ○白仁武 出
                ○男爵 森村開作 出
         幹事
                   ○服部文四郎 出
                 (朱書)
                   欠増田明六
                   ○小畑久五郎 出
         調査嘱託
                   ○高木八尺 出


日米関係委員会集会記事摘要(DK340068k-0005)
第34巻 p.598-599 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要       (渋沢子爵家所蔵)
 日米関係委員会、大正十四年十二月廿四日(木曜日)正午、於東京銀行倶楽部、ジヨン・アール・モツト博士歓迎会
    出席者
 来賓 ジヨン・アール・モツト博士(主賓) エフ・エス・ブロツクマン氏、ジー・エス・フエルプス氏、斎藤惣一氏、川尻正修氏
 会員 井上準之助氏・一宮鈴太郎氏・堀越善重郎氏・男爵大倉喜一郎氏《(大倉喜八郎)》・添田寿一氏・頭本元貞氏・内田嘉吉氏・串田万蔵氏・藤山雷太氏・江口定条氏・浅野総一郎氏・男爵阪谷芳郎氏・子爵渋沢栄一氏・白仁武氏・男爵森村開作氏
    嘱 高木八尺氏
 - 第34巻 p.599 -ページ画像 
 幹事 服部文四郎氏 小畑久五郎氏
    記事要領
食後渋沢子爵の簡短なる挨拶あり、之に対するモツト博士の答辞ありたり
渋沢子爵 モツト博士並に参列の諸君、モツト博士が日本御着早々御歓迎申す事になつて居りましたが、種々の事情ありて今日迄延び、歓迎と送別とが一緒になつた嫌があつて、モツト博士に対して失礼を致した様な感じが致します。モツト博士が日米親善増進の為に大なる貢献をせられましたことは、爰に喋々申上ぐるまでもありません、彼の大震災の節に於ける同博士の活動は、特に私共日本人の決して忘れてはならぬ事と存じます、此機会に於て国民に代り、モツト博士に対し厚く御礼を申上げます、唯此際一言申上げて置き度い事は、月に叢雲花に嵐といふ具合に、永い間続き来つた美はしき日米国交の間にも、時には支障の起ることで、現に吾々は両国の間に憂ふべき問題を有して居るのであります。之に関して爰に詳細を申述べる必要は無いと考へます、基督教では善い事は之を人に及ぼせよと教へて居る様に存じて居りますが、東洋の教は消極的で「己れ欲せざる所を人に施す勿れ」と教へます、日本の諺に「身をつねつて人の痛さを知れ」と申す事も御座います、珍客を御招待申上げて苦言を呈する様で失礼で御座いますが、日本の真の友人なるモツト博士で御座いますから、腹蔵なく申上げた次第で御座います、若しモツト博士が一言御話下されば、私共の喜びに堪へぬ次第で御座います
モツト博士 子爵閣下並に日米関係委員諸君、私は到着早々御招待を受けしよりも、今日此機会を与へられました事を大に喜ぶものであります、排日移民法に対する私の態度は皆様に明瞭であると存じます、当時私は欧洲を旅行して居りましたから、当局に電報を発して其非を鳴らし其通過を阻止せんとしたのであります、私は過去三十年間歴史に興味を抱いて来たものでありますが、排日法は歴史上の見地、旅行の経験に照らして非であります、私共は除外でなく抱擁破壊でなく建設、によつて世界的事業を経営すべきであると思ひます、排日移民法に反対するものは教育家・新聞記者・教会・商業会議所・大学等であります、故に暫らく隠忍さるれば我が国の有識階級は、必ず彼の排日法を改正する事に輿論を指導する事は疑ひないと存じます、私は此機会に於て、渋沢子爵を始め阪谷男爵が我が基督教青年会の事業に大なる御援助を与へ下さつたことを深謝し、尚ほ此上とも御援助を御与へ下さる様御願ひ致して置きます、将来の日米関係を徹底的に円満ならしむるは、両国の青年間に深き了解を得ることが必要であると存じます、日米国交の如何は世界の平和に大なる関係を有するものですから、是非両国の親善を堅固の基礎の上に建設せねばならぬと思ひます、最後に渋沢子爵の益御健在ならんことを祈ります、来る数年間は特に子爵の御経験と御智慧とを拝借する必要があります……
 - 第34巻 p.600 -ページ画像 

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正一四年(DK340068k-0006)
第34巻 p.600 ページ画像

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正一四年
                  (阪谷子爵家所蔵)
十四、十二、廿 王子邸ニテ渋沢子トモツト会談カントリエ、ブリシジノ譬諭アリ余・斎藤○惣一・小畑列席ス、廿三日工業クラフニテ渋沢阪谷・長尾○賛平・斎藤ノ発起ニテモツト博士招待晩餐、余司会ス、長尾・モツト両氏演説ス、廿四日日米関係委員午餐、銀行クラフ、モツト氏招待、渋沢氏以下出席


(ジョン・アール・モット) 書翰 渋沢栄一宛一九二五年一二月二五日(DK340068k-0007)
第34巻 p.600-601 ページ画像

(ジョン・アール・モット) 書翰 渋沢栄一宛一九二五年一二月二五日
                  (渋沢子爵家所蔵)
                    Kyoto, Japan
                  December 25, 1925
Your Excellency:
  I look back with a sense of overflowing gratitude to the rare opportunities which I had of fellowship with you during the recent days in Tokyo. Your most gracious and generous kindness to Mrs. Mott and myself has been profoundly appreciated, and will ever be borne in grateful memory. I wish to thank you with a full heart on behalf of both of us. The luncheon which you so kindly arranged and the sentiments expressed there by Your Excellency have sent me on my way with added courage and hope. Let me also renew my expression of appreciation of your interest in the enlarged program or the Young Men's Christian Association. In view of the matters we considered in that memorable visit in your home last Sunday, I consider this of the very greatest importance.
  With highest regard,
          Very sincerely yours,
            (Signed) John R. Mott
Viscount E. Shibusawa
  Kabutocho, Nihonbashi
     Tokyo.
(右訳文)
         (栄一鉛筆)
         同氏ハ目下旅行中ニテ特ニ回答ニハ不及ト存候事 十五年一月六日一覧
 東京市日本橋区兜町二        (十二月廿六日入手)
  子爵渋沢栄一閣下 京都、一九二五年十二月廿五日
                ジヨン・アール・モツト
拝啓、過日東京滞在中には復と得難き機会を御与へ下され、深甚なる感謝の念を以て当時を回想致候、私共夫妻に御与へ被下候閣下の御優遇に対しては、御礼の言葉も無之次第にて決して忘却仕る間敷く候、又閣下の御厚意によりて催されたる午餐会、及び其席上に於て閣下の述べられたる御言葉により、小生は勇気と希望とを抱きて旅行を続く
 - 第34巻 p.601 -ページ画像 
る事を得申候、閣下には我基督教青年会の拡張計画に対して厚き御同情を賜はり候に対しても奉深謝候、去る日曜日に於ける記念すべき貴邸訪問の際の御談より鑑み、青少年善導の任務は極めて重要のものなる事を思ふものに御座候 敬具


(ジョン・アール・モット) 書翰 渋沢栄一宛一九二六年六月二三日(DK340068k-0008)
第34巻 p.601-602 ページ画像

(ジョン・アール・モット) 書翰 渋沢栄一宛一九二六年六月二三日
                         (渋沢子爵家所蔵)
               347 MADISON AVENUE
                  NEW YORK
                         June 23, 1926
Your Excellency:
  Our mutual friend, Mr. F.S. Brockman, has just reported to me his conversation with you before he left Japan. My heart has been deeply touched by the message you sent through him to me. I have not forgotten and never shall forget the wonderful morning I had the privilege of spending with you in your home when I was in Tokyo last December. That was one of the most significant interviews of my life. I shall seek to be true to the vision of the future which you and I had that morning. I found myself then, as in my other conversation with you in Tokyo, fully responsive to the ideals and principles which you so well empahsized. In fact, I consider that we see eye to eye. I have no shadow of doubt that the ideals for which we stand will ultimately triumph. I shall leave no suitable opportunity unimproved in my work to this end.
  You will be glad to know that my long journey to the countries around the Pacific Basin was carried to a successful conclusion. It was one of the most timely and fruitful missions on which I have ever gone. Some time I hope to share with you more intimately the experiences and impressions.
  With highest regard,
           Very sincerely yours,
              (Signed) John R. Mott
H.E. Viscount Shibusawa
  2 Kabutocho, Nihonbashi
  Tokyo, Japan
(右訳文)
                 (栄一鉛筆)
                  十五年八月四日伊香保ニテ一覧
 東京市                    (七月十九日入手)
  子爵渋沢栄一閣下   紐育、一九二六年六月廿三日
                ジヨン・アール・モツト
拝啓、益御清適奉賀候、然ば友人エフ・エス・ブロツクマン氏より只今通信に接し、氏が日本出発前閣下と会談せる事につき承知致候、同氏に託されたる小生への御伝言を承知致し誠に難有感銘仕候、昨年十
 - 第34巻 p.602 -ページ画像 
二月小生が東京滞在中、貴邸にて早朝に閣下と御会談致候事柄は、小生の忘却し難き処にして、今後も永く小生の記憶に存すべくと存候。此会見は小生の生涯に於ける最も意義深きものにして、其際御懇談致候将来に対する希望の実現に就ては、小生は努力を怠らざるべく候、而して小生が東京滞在中其他の機会に於て閣下と御談し致せる事に対しても、閣下の力説せらるゝ理想と主義との為めに尽力する処可有之候、実に私共の意見は全く合致せるものと存候、吾等の理想は終に勝利を得る事を毫も疑はず候、小生は此目的達成の為めに凡有機会を逸せざらんとするものに御座候
太平洋諸国への小生の長途旅行は、成功裡に終結を告げ候事を御知らせ申上候、此は余の嘗て試みたる旅行中、最も機宜を得たる而して最も有効なる旅行に候き、後日を期し小生の経験と印象とにつき詳細申上度と存居候 敬具


ジョン・アール・モット 土居誉雄編 序大正一五年三月刊 【序 子爵 渋沢栄一】(DK340068k-0009)
第34巻 p.602 ページ画像

ジョン・アール・モット 土居誉雄編 序大正一五年三月刊
    序
 宗教界の人は概むね精神的にして、高遠なる理想を懐き、温雅なる情操に富めりといへども、事を為すに当りて、快力乱麻を断つが如きは、到底望むべからず、されど、我がジヨン・アール・モツト博士は然らず、博士は頭脳透徹にして、理智に明かなるを以て、事を処すること極めて敏捷にして着々其事業を成就し、一般宗教家とは全く其趣を殊にせり。是蓋し、博士が一世に景仰せらるゝ所以にして、所謂精強博敏とは、博士の如き人をいへるなるべし。
 玆に、博士の講演集を上梓するに当り、予に、序を徴せらる、乃ち平生感ずる所を率直に記して責を塞ぐといふ。
  大正十五年三月          子爵 渋沢栄一