デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.658-663(DK340079k) ページ画像

大正15年11月26日(1926年)

是日、当委員会ハアメリカ合衆国赤十字社社長ジョン・ビー・ペーン招待午餐会ヲ、神田一ツ橋如水会館ニ催シ、大正十二年ノ関東大震災ニ際シテ寄セラレタル合衆国国民ノ同情ニ対シテ、感謝ノ意ヲ表ス。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

日米関係委員会往復書類(二)(DK340079k-0001)
第34巻 p.658-659 ページ画像

日米関係委員会往復書類(二)      (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下益御清適賀上候、然ハ去大正十二年大震災ノ際甚深ノ同情ヲ以テ迅速ニ我ガ罹災者ニ多大ノ金品ヲ寄附セラレシ米国民ノ厚意ハ我国民ノ永久忘ルベカザル処ニ候、当時同国民ノ同情ヲ喚起シテ如此挙ニ出テラレシハ、実ニ米国赤十字社長ジヨン・バートン・ペーン氏
 - 第34巻 p.659 -ページ画像 
ニテ、幸ニ同氏目下来邦中ニ候ヘバ、此際本会ニ於テモ同氏ヲ招待シテ感謝ノ意ヲ表スルハ米国民ノ厚意ニ酬ユル所以ト存候、依テ同氏ノ都合ヲ承リ合ハセ来廿六日(金)正午神田一ツ橋如水会館ニ於テ午餐会相催候間、御多忙ノ際恐縮ニ候共、何卒万障御繰リ合ハセ御来会被成下度候、此段御案内申上候 匆々拝具
                日米関係委員会
  大正十五年十一月二十日    常務委員渋沢栄一
                 同   藤山雷太
    会員各位
  二伸、御諾否別紙葉書ヲ以テ御一報被下度候


集会日時通知表 大正一五年(DK340079k-0002)
第34巻 p.659 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
十一月十七日 水 午前十一時 ペーン招待会相談会(銀行クラブ)
   ○中略。
十一月十九日 金 午後二時  ペーン招待会相談会(市役所)
   ○中略。
十一月廿六日 金 正午    ペーン氏招待会、森村開作氏ト会見(如水会館)
         午後二時  ペーン氏歓迎会(帝国劇場)


(増田明六)日誌 大正一五年(DK340079k-0003)
第34巻 p.659-660 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一五年      (増田正純氏所蔵)
十一月十二日 金 曇 出勤
○上略
午後坂井徳太郎氏来訪、米国赤十字社長ペーン氏歓迎の事に付き談話があつた、顧ミれハ去大正十二年の大震災の際深き同情を以て迅速ニ多大の金品を寄送して、我か罹災者を救助して呉れた米国民の厚情ハ我国民も挙て鮮かニ記憶する処である、当時米国民をして如此同情心を喚起せしめたのハ真ニ同国赤十字社長のペイン氏である、幸ニ同氏ハ目下本邦来訪中である、同氏を款待するハ即米国民の厚意を感謝する所以と思はるゝ、玆ニ同氏を歓迎するハ誠ニ当を得た事と思ふと、坂井氏の発意ハ是非実現せしめたいと熟々感じたのである
  ○中略。
十一月十八日 木 雨 出勤
○上略 九時子爵の命に依り、明十九日開催のペーン歓迎会ニ関する打合ハセ会ニ、去十七日同件ニ付来会したる人々に集合ある様依頼の電話を架《(掛)》けたり、其数十参名、殆と一時間を要す
十一月十九日 金 晴 出勤
午後二時、東京市役所に於けるペーン氏歓迎会に関する打合ハセ会ニ出席す
去十六日の会合に於て大正十二年の大震災に対する米国民の厚意に酬ゆる為め、折柄来訪中のペーン氏を歓迎し、同氏を通して米国民に邦人の感謝の意を致さん事を希望し、其方法として東京府知事、同市長会議所会頭、日米関係委員会等の代表者ハ個人として発起人と為り盛大なる感謝会を催すべしと決定したるに、昨十八日夜赤十字社役員よ
 - 第34巻 p.660 -ページ画像 
り、ペーン氏のミの歓迎は目下来訪中の他赤十字社代表者に対し不快の念を与ふる事となるを以て、全代表者を招待せられたしとの希望ありて、急に十七日来会者全部と赤十字社より柴田・阪本両氏の参加もありて種々協議の末、来廿六日日米関係委員会の主催にてペーン氏の歓迎会を催し、午後二時より帝劇に於て東京市民の全赤十字社代表者招待感謝会を催す事と決定し、其実行委員として
東京市長 東京府知事 商業会議所会頭
の三氏其衝に当る事と決したり○下略
十一月二十日 土 晴     出勤
前九時飛鳥山邸に参向、子爵に米赤十字社長ペーン氏を日米関係委員会ニて、又同氏及各国の同社長全部を大震災救護感謝会ニて歓迎する手配を報告したり○下略
   ○中略。
十一月廿四日 水 晴     出勤
早朝飛鳥山邸ニ至リ、来廿六日日米関係委員会午餐会及震災救援感謝会の準備状況を報告す
○下略
十一月廿五日 木 晴
○上略
飛鳥山邸ニて午餐の後事務処に出勤、途次一ツ橋如水会館ニ至リ宴会掛主任鈴木氏ニ会し、明日の日米関係委員会午餐会の準備を依頼す
○下略
十一月廿六日 金 晴     出勤
午前中一切面会を謝絶し、正午ニ於ける宴会の準備を為す
正午如水会館に於て日米関係委員会主催の米国赤十字社長ペーン氏一行の歓迎会挙行、陪賓として米国大使、同大使館員等主客四十余名、頗る盛況を以て終了したり、同会の趣旨ハ大正十二年大震災の際米国赤十字社長たるペーン氏が米国民の同情を喚起して、巨額の金品を迅速ニ蒐集して罹災者を救援したるニ対し感謝の意を表したるものなり
○下略


日米関係委員会集会記事摘要(DK340079k-0004)
第34巻 p.660-662 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要       (渋沢子爵家所蔵)
 大正十五年十一月廿六日(金)正午、一ツ橋如水会館、日米関係委員会米国赤十字社々長ジヨン・バートン・ペーン氏招待会(午餐)
    出席者
 来賓 ジヤツジ・ジヨン・バートン・ペーン。陸軍大佐ヘンリー・フルバー氏。カスタヴス・デイ・ポープ氏。同令夫人。米国大使チヤールス・マクヴエー氏。ノーマン・アーマー氏(同大使館員)。同令夫人。ユージエン・ヅーマン氏(同大使館員)同令夫人。ロバート・ハーガー氏(同大使館員)。ラメイーム・ソルスベリー氏(大使館員)。陸軍大佐チヤール・バーネツト氏。同令夫人。チヤールス・イー・ヘリング氏(大使館商務官)。
    平塚広義氏。西久保弘道氏。藤田謙一氏。樺山愛輔氏。阪井
 - 第34巻 p.661 -ページ画像 
徳太郎氏。川崎卓吉氏。内野仙一氏。
 会員 浅野総一郎氏。江口定条氏。団琢磨氏。井上準之助氏。梶原仲治氏。串田万蔵氏。男爵森村開作氏。大谷嘉兵衛氏。小野英二郎氏。添田寿一氏。男爵阪谷芳郎氏。頭本元貞氏。子爵渋沢栄一氏。藤山雷太氏。
 幹事 服部文四郎氏。増田明六氏。小畑久五郎氏。
 調査嘱托 高木八尺氏。
 来賓追記 乾精末氏。同令夫人。小野英二郎氏夫人。服部文四郎氏夫人。小畑久五郎氏夫人。
    記事概要
渋沢子爵の挨拶 子爵は日米関係委員会の起源・来歴等に論及せられ起源には遠因及近因ありとなし、其遠因は一千九百七年日米両国の間に紳士協約の結はれし頃にして、国民外交の必要ありとの輿論に刺撃《(戟)》されしものなる事、又其近因は子爵が一千九百十四年桑港にパナマ開通記念博覧会の際米国を訪問せし時にありし事を述べられ、其れよりペリー提督の来航せられしは子爵の十四歳の頃にして、当時日本が支那の例に鑑み外国を怖れし時代なりき、然るに同水師提督の誠実並に其後総領事として渡来せられしタウンセンド・ハリス氏の好意、其人格の武士的なる事に感じ、終に米国と其国民を尊重するに至りしことを述べらる。又米国と日本とは外部的特徴に於て大に差異ある所少しとせざるも、精神的方面に於ては大に一致する所ありと述べられ、数十年来の美しき国交も斯る精神的共通性に基けるものならんと語らる。然し人生には「月に群雲花に嵐」といふ具合に、決して順調にのみ行くものならざる事に論及せられ、現に今日の日米国交は斯る暗雲に包まれ居ると申すべきに非らずやと慨嘆せらる。然るに又両国には其れ其れ指導の地位に立つ有識者なるものありて親善に努めらるゝ故に、従来の親交を破るか如き事はなかるべし、今日主賓として御迎へ申せしジヤツジ・ペーン氏の如きは実に稀に見る国際的人格者なり、彼の大震災の節米国をして多大の物資を我罹災者に迅速に寄贈せしめたる米国赤十字社の事業は、実にペーン社長の敏捷なる処置に負ふ所大なるものがありしなり。之れが為め我邦朝野の人々は感謝の情をペーン君に表さんとして機会を待ち居りしなり、本日は二重の意味に於てペーン君に謝意を表するものなり、即ち一つは本会に於て次は二時より帝劇に於て催ふさるゝなり。私は又此処にペーン氏が我天皇陛下より勲一等旭日章を賜はりしことを披露して、参列の諸君と共に之れを祝賀せんとするものなり……云々。
ジヤツジ・ペーン氏の答辞 ペーン氏は赤十字社々長として政治の領分に立ち入る事を禁せられ居ると冒頭し、日本人が彼の移民法に対して非常なる隠忍に出でられしことを最も賢明なる態度と思ふと述べられ、米国人が比較的地方的観念に捕はれ、国際的知識に乏しと論述せらる、翻つて米国人の日本を愛慕する事は日露戦争の際中立国たる米国が取りし最も偏頗なる(日本を庇護する意味に於て)態度によつて明かなりと告げ、渋沢子爵の仰せらるゝ如く国際関係に
 - 第34巻 p.662 -ページ画像 
は時に感情の疏通を欠くことあらんなれども、日米両国の歴史的親善は容易に破壊せらるゝものに非らずとなし、特に今日の主人公たる渋沢子爵の如き国際的愛国者が日本国に大なる感化を及ぼして居らるゝ以上は、従来の日米親善を阻碍することなかるべしと楽観説を称へられ、最後に天皇陛下の優渥なる御沙汰は私一個のペーンに対してではなく、全く私を通じて大震災の際衷心より同情を表せし我国民に対するものと感銘致して居る次第なりと結ばる、尚ほペーン氏は日本の長所を宣伝する宣教師として再び米本国に還るものなりと語らる


(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正一五年(DK340079k-0005)
第34巻 p.662 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正一五年
                 (阪谷子爵家所蔵)
十五、十一、二十五 徳川議長公爵晩餐会ノ折、金子氏ヨリ今日ペイント逢ヒテ露骨ニ移民法ニ関スル日本人ノ考ヲ語リ左ノ修正ナラハ宜シカラント語リタルニ、ペインハ写取リタリ云々、No laborers or undesirable class of people from Oriental countries shall be permitted to enter the United States 同席ニ渋沢子アリ、余ハ金子氏ノ伝言ヲ語リ労働者ノ一語ハ少シ言過キニアラサルカト注意ス、翌日(二十六日)ペイン氏ヲ日米関係委員会ニテ如水会館ニ午餐ニ招キ、午后二時帝劇ニテペイン氏並赤十字社ノ会合ニ来会セル各国代表ヲ招キ、市民的ニ感謝(十二年九月一日ノ震災ノ際各国赤十字ノ行動ニ付)ノ意ヲ表ス、余欠席ス、此夜ペインハ出発帰国ス


(ジョン・ビー・ペーン)書翰 渋沢栄一宛一九二六年一一月二六日(DK340079k-0006)
第34巻 p.662-663 ページ画像

(ジョン・ビー・ペーン)書翰 渋沢栄一宛一九二六年一一月二六日
                      (渋沢子爵家所蔵)
(Printed)
                Tokyo, November 26th, 1926
             Judge John Barton Payne,
  Chairman of the American National Red Cross and of the Board of Governors of the League of Red Cross Societies, deeply touched by the extreme kindness and distinguished hospitality extended to the members of his party and himself, during their memorable visit in Japan, earnestly desires to express profound gratitude for the innumerable courtesies so graceously tendered.
(右訳文)
                (栄一鉛筆)
                昭和二年一月五日一覧
 東京市               (十二月二日入手)
  子爵 渋沢栄一閣下 東京、一九二六年十一月廿六日
          米国赤十字社々長
          赤十字社聯盟会長
           ジヤツヂ・ジヨン・バートン・ペイン
 - 第34巻 p.663 -ページ画像 
拝啓、記念すべき今回の日本旅行に際し、私共一同の忝ふしたる深大なる御親切と御厚意とは私共の深く感銘致す処にして、此の御厚遇に対し甚深の謝意を相表し度く、玆に謹んで御礼申述べ候 拝具
   ○本章第六節所収「関東大震災ニ対スル外国ノ援助」参照。