デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第35巻 p.56-62(DK350008k) ページ画像

昭和2年11月30日(1927年)

是日、当委員会主催アメリカ合衆国クラーク大学歴史学教授ジョージ・エッチ・ブレークスリー歓迎晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。十二月一日、国際連盟協会主催同人招待会同所ニ開カレ、同ジク出席ス。


■資料

外務省関係書類 (三)(DK350008k-0001)
第35巻 p.56-57 ページ画像

外務省関係書類 (三) (渋沢子爵家所蔵)
             (別筆)
              九月九日入手 11/11 明六
          (栄一鉛筆)
          十月十五日一覧、本状来訪之米国人接待方法ニ付而ハ関係委員会阪谷・添田井上等之諸君ニ前以打合申度候事
欧二普通合第一七八八号
  昭和二年九月六日
                 出淵外務次官 外務次官之印
           (常務委員)
   渋沢日米関係委員会々長殿
    カーネギー国際平和財団派遣教授ブレークスレイ博士ニ対シ便宜供与方依頼ノ件
今般在米松平大使ヨリ明年度カーネギー平和財団海外派遣教授タルジヨージ・エツチ・ブレークスレイ博士ノ来朝ニ関シ別紙写ノ通申越シ
 - 第35巻 p.57 -ページ画像 
タルニ付テハ、委細右ニテ御了知ノ上、同博士来朝ノ目的遂行上其ノ他ニ関シ何分ノ便宜供与方可然御配慮相煩ハシ度シ
(別紙)

 華府 (写)
  日本大使閣下    紐育、一九二七年五月三十一日
              カーネギー国際平和財団理事
                ニコラス・マレー・バトラー
拝啓、益御清適奉賀候、然ばカーネギー国際平和財団に於ては、マサチユセツツ州ウスター市クラーク大学歴史並に国際問題教授ジヨージエチ・ブレイクスリー博士を、来学年間日本の諸大学に於けるカーネギー財団国際関係海外派遣教授に正式に指名致候旨公式に予告申上候は、小生の欣幸とする処に御座候、一九二六年―一九二七年度米国紳士録より採録せるブレークスリー博士の履歴書写一通玆許同封致置候間、学者としての博士の地位並に著述に関し御了承被下候は仕合に御座候、博士は米国学者中最も優秀の人に候、今回の旅行に於ける博士の目的は日米両国間の知的諒解並に親善関係の増進に有之候、博士の日本旅行には諸大学訪問をも含み居候へとも、金銭其他何等の御迷惑相掛候様の義無之筈に御座候、博士は諸大学に於て御希望有之候はゞ申込に応じ講演致候筈に御座候、博士は七月早々紐育を出発し、布哇に於ける太平洋問題調査会に列席致、同会議終了後濠州及新西蘭を経て、十二月上旬日本に到着の筈に御座候、右御通知まで奉得貴意度如此御座候 敬具
  ○同封履歴書略ス。


日米関係委員会集会ニ関スル控(DK350008k-0002)
第35巻 p.57-58 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控       (日米関係委員会所蔵)
昭和二年十一月卅日 (水) 午後五時、於東京銀行倶楽部
           来賓
     (太丸・太字ハ朱書)
     ○ブレクスリー博士
         陪賓
     欠伯 樺山愛輔    欠井上準之助
       ○宮岡恒次郎   ○一宮鈴太郎
       ○阪井徳太郎   欠服部金太郎
                欠原富太郎
                 原田助
                ○新渡戸稲造
                 堀越善重郎
                欠大倉喜八郎
                 大谷嘉兵衛
                欠小野英二郎
              子爵欠金子堅太郎
                 馬場鍈一
                欠団琢磨
                ○添田寿一
 - 第35巻 p.58 -ページ画像 
                ○頭本元貞
              男爵欠瓜生外吉
                 内田嘉吉
                ○串田万蔵
                ○山田三良
              男爵欠古河虎之助
            常務委員○藤山雷太
                欠江口定条
                欠姉崎正治
                ○浅野総一郎
              男爵○阪谷芳郎
          常務委員子爵○渋沢栄一
                ○白仁武
              男爵欠森村開作
         幹事
                ○服部文四郎
                ○増田明六
                ○小畑久五郎
         調査嘱託
                ○高木八尺
    出席者 十八名
    会費  六円
    飲物 赤ブドー・ビール・水
     花ナシ


日米関係委員会集会記事摘要(DK350008k-0003)
第35巻 p.58-60 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要         (渋沢子爵家所蔵)
 昭和二年十一月三十日(水)午後五時、於東京銀行倶楽部ジオジ・ヱチ・ブレクスリー教授歓迎晩餐会
 出席者
 来賓 ジオジ・ヱチ・ブレクスリー教授。宮岡恒次郎氏。阪井徳太郎氏。
 会員 一宮鈴太郎氏。新渡戸稲造氏。添田寿一氏。頭本元貞氏。串田万蔵氏。山田三良氏。藤山雷太氏。浅野総一郎氏。阪谷男爵。渋沢子爵。白仁武氏。
 幹事 服部文四郎氏。増田明六氏。小畑久五郎。
 調査嘱託 高木八尺氏。
    協議事項概要
渋沢子爵 今夕は太平洋問題に関して造詣深きブレクスリー教授を御招きして御懇談申上くる事を得たるを一同と共に喜ぶ次第であります。別に形式に拘泥致しませんでブレクスリー教授に直ちに御話を願ふ事に致します。我日米関係委員会の沿革等に就きましては私から後に申上く事と致します。
ブレクスリー教授 渋沢子爵閣下並に関係委員会々員諸君、私は今夕皆様に御目に懸る機会と特権とを得ました事を光栄に存じます。私
 - 第35巻 p.59 -ページ画像 
は皆様の前に演説を致す考へでは御座いませんが東洋問題に就て吾吾大学に関係して居る者が如何なる見解を有して居るかを極めて大体的に述べて見たいと存じます。(一)過去五十年間に於ける日米関係は小説的でありました。米国は二十三年間継えず日本の条約改正を支持しました。日露戦争当時は米国は余りに親日過ぎると申す程でありました。二年前にタイラー・デンネツトTyler Dennett氏がルーズヴエルトと日露戦争と題する著述を公けにしましたが、其内に、ル大統領がサー・セシル・スプリングライス氏に宛てたる書面が転載されて居るが、其書面の中に「若し仏国か独国かが露国に加担するか如き事あらば、米国をして日本を援助せしむべし」との句がありました。ル大統領は太平洋の平和に多大の重きを置きました。(二)一九〇六年―一九二〇(イ)移民問題、(ロ)支那に関する意見の相違。国務卿ノツクス提案。米国では日本が支那の保全を侵害しつゝあるが如く考へた。
 ワシントン軍縮会議は支那政策に関し日本に対する列強の疑惑を晴らした
 一九二四年、排日移民法制定は悪むべきものであつたが、日本は此問題を誤解した嫌がある。之は元来局部的問題に過ぎない。
 過ぐる夏ホノルヽに開かれた太平洋問題調査会に代員を出すに付き其予備行為として質問を三千通発したが、之に対して七十四個の団体から回答があつた。回答中の九割二分は「日本をドー見るか」といふ質問に対し日本は敏捷であり、進歩的であると書いて来た。若し之と同様な質問がアメリカ人に関して日本国の団体に発せられたとして其回答中に大多数がアメリカは敏捷であり進歩的であるといふのであつたとすれば得意に感するであらうと思ふ。
 世界に於て堅固なる国は日本・英国及米国である。
 尚ほ左の点に関し一言せん。
 一、一九二四年の移民法に関する解決法
  イ、日本を比率に入るゝか
  ロ、移民問題に関し日米間に独特の協定をなすか、米国の各州は各自の特質を有するか故に此問題に関して一致点を見ること困難ならん
  二、支那問題 日米両国間には支那に関し何等の問題存せず。日本は支那の為に大なる物質的犠牲を払へり。又山東省及露国より軍隊を撤退せしめたり。
    税関問題・治外法権問題、其他港湾問題等に関し日米間に意見の一致を見る。
 三、海軍々備に関する競争 真実を言へば海軍部内に於ける首脳者等は米英両国間の戦争の不可能を自覚して居る、此自覚が日米間にも応用さるゝと言つて居る。陸軍の軍備制限をも主張する。
 四、抽象的にはアウストラリヤ及ニューゼイランドは米国を好まない、其理由は国債、米国の活動写真、ジヤヅ・ダンスの輸入、米国の商人及旅客に対する反感、フオド自動車の輸入。
渋沢子爵 ブレクスリー教授より項目を別けて短時間に種々の問題に
 - 第35巻 p.60 -ページ画像 
就て御話を承つた事は真に欣快とする所であります。我邦に於ける治外法権の撤廃、下ノ関事件に絡る賠償金の償還、日清・日露の戦役に関して表せられたる同情等を思ふ時に、米国は実に日本の恩恵者であります。移民問題が米国特に加州の政治及経済問題に絡つて今日の面倒を来すに至つた事は遺憾の極みでありますと述べられ、其れより十一月一日下田の玉泉寺にタウンセンド・ハリスの記念碑を建設せし事、日米関係委員会の概略を語らる。
阪谷男爵 米国が一九二四年の排日移民法によつて日本移民の入国を禁じたるにより、日本はメキシコ及ブラジルに移民を送らうとしたならば米国は反対するでせうか。
ブレクスリー教授 米墨両国間の国境線が非常に長く且つ相互間に防禦設備の無き処には交通が自由であるので、若し日本の移民が続々墨国に入るといふが如き詳報が伝はりますならば、排日派はドンナ宣伝をなすかは今より予測する事が出来ないと思ふ。南米の事は敢て問題でないと思ひます。
 添田氏 排日移民法の改正は全然米国側にて為されざるべからず。
  支那に関しては日米両国協力せざるべからず。日米戦争の如きは事実不可能なり。米国の国際聯盟加入を希望す。
ブレクスリー教授 若し米国が国際聯盟に加入すべきや否やを国民投票に問ふならば必ず大多数の反対を見るならん、ルート氏、ヒユーズ氏の如きも斯く考へらる、米国の国是は欧洲の政治問題に関与せずとの意なり。世界戦争には参加せしが最近此非関係説が力を得て来れり。支那に関しては今後十分日米間の協力を見得べしと信ず。
 移民法制定以来米国の日本に対する同情及好感は一層顕著になりました。例へば彼の人形親善の如きも始めは私共は一些事と思つて居りましたが、其影響する所極めて広く、其結果は予想する事の出来ない程有効であります。
渋沢子爵 人形問題に就ては、ブレクスリー教授と全然同感であります。政治とか貿易とかを別にして此喜ばしい人情上の親善が柔かく行はれたといふ事は結構な事であります。
頭本氏 アメリカには実業家の間に海軍大拡張の宣伝が組織的に行はれつゝあると思ふべき理由明かなり、若し此本源を突き留めて之を暴露することが出来れば、日米親善に貢献する所多大なるべしと思ふ。
新渡戸 移民法改正の目的を以て教育運動行はれ居るとの事なり、此運動の効力果して如何。吾等は差別的待遇に対し何処までも反感を抱くものなり。
ブレクスリー教授 此等の談話を最も有効に使用せんと欲す。


(ジョージ・エッチ・ブレークスリー) 書翰 小畑久五郎宛一九二七年一二月一日(DK350008k-0004)
第35巻 p.60-61 ページ画像

(ジョージ・エッチ・ブレークスリー) 書翰  小畑久五郎宛一九二七年一二月一日
                      (渋沢子爵家所蔵)
        The Imperial Hotel
           of Tokyo
                        Dec. 1, '27
 - 第35巻 p.61 -ページ画像 
My dear Dr. Obata:
  I have just written out some of the main points presented last evening, from my few notes and from my memory. But I realize keenly how inadequate these are.
  When you send me the list of those present would it be too great a trouble to dictate a summary of the remarks, of especial importance, made by the various men who spoke. Since you took notes on most of this, it will not be so much of a burden. If you can do this favor, it will make it possible to carry out my mission in America much more effectively.
  Any letter addressed to the Imperial Hotel will reach me, even if I have left it.
            Most sincerely yours,
                (Signed) G. H. Blakeslee
  Will you please express to Viscount Shibusawa my particular appreciation of the opportunity of meeting with him and his friends last evening.


(小畑久五郎) 書翰 控 ジョージ・エッチ・ブレークスリー宛一九二七年一二月二七日(DK350008k-0005)
第35巻 p.61-62 ページ画像

(小畑久五郎) 書翰 控  ジョージ・エッチ・ブレークスリー宛一九二七年一二月二七日
                      (渋沢子爵家所蔵)
                (COPY)
                    December 29, 1927
Professor G. H. Blakeslee
  Imperial Hotel, Tokyo
My dear Professor Blakeslee,
  With reference to your request expressed in your kind note of Oct.《(Dec.)》 1st, I have done best I could giving you the outline of data produced on that evening. I simply jotted down what our men spoke in conversations with you, assuming that what you expressed then either positively or passively you remember. One explanation I should not forget to make is an expression which Baron Sakatani used in the course of talk, and which I may term an "enticement policy," though I did not use that phrase then. That Japanese phrase "kokomade oide seiryaku" means come-up-this-far policy. An old story is that a mother desiring her faltering child to walk, she invites it to walk up to the point where stands, herself constantly receding to keep the child walk straight on toward her. Of course something good to please the eyes of the child is supposed to be held out before it. Later this story came to be interpreted as a method or policy to entice people with some tempting words or deeds.
  Trusting that the materials presented to you may be of some use or service, I am
             Yours very truly,
 - 第35巻 p.62 -ページ画像 
                    (Signed) K. Obata
                        Secretary


集会日時通知表 昭和二年(DK350008k-0006)
第35巻 p.62 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年          (渋沢子爵家所蔵)
十二月一日 木 国際聯盟催《(協会脱)》ブレークスリー氏招待会(銀行クラブ)


社団法人国際連盟協会会務報告 同協会編 昭和二年度・第一六頁昭和三年五月刊(DK350008k-0007)
第35巻 p.62 ページ画像

社団法人国際連盟協会会務報告 同協会編 昭和二年度・第一六頁昭和三年五月刊
    八、招待会
○上略
 十二月一日 丸の内銀行倶楽部に於てカーネギー財団派遣米国クラーク大学教授ブレークスリー氏の懇談会を開催、出席者渋沢会長外理事、藤沢利喜太郎・岩永祐吉《(岩永裕吉)》・小山完吾、塩沢昌貞の諸氏にして晩餐後も歓談に時を移した。
○下略