デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第35巻 p.196-208(DK350042k) ページ画像

昭和6年6月12日(1931年)

是日、当委員会主催ハーバート・エス・ヒューストン歓迎会、丸ノ内東京会館ニ催サル。栄一欠席ス。次イデ十九日、ヒューストンヲ飛鳥山邸ニ招キ、当委員会小数委員ト共ニ懇談会ヲ開ク。


■資料

ヒューストン博士歓迎書類(DK350042k-0001)
第35巻 p.196-197 ページ画像

ヒューストン博士歓迎書類          (渋沢子爵家所蔵)

拝啓、陳者紐育日本協会会員トシテ日米親善関係増進ノ為多年尽瘁シ来レル親日米人「ハーバート・エス・ヒユーストン」博士(Herbert S. Houston)夫妻ハ、今般本邦事情視察旁々観光ノ目的ヲ以テ、六月十一日横浜着ノ秩父丸ニテ来朝ノ上約一ケ月間本邦滞在ノ予定に有之候処、御承知ノ通リ同博士ハ雑誌The World's Work, Our. World, 及 The Foreign Affairs関係者トシテ、米国言論界ニ於テ重キヲ為シ居リ、又実業方面ニ於テハ、十年前発起人ノ一人トシテ万国商業会議所ノ組織ニ尽力シ、其レ以来米国側委員トシテOwen D. Young, Thomas W. Lamont, Silas Strawn等ト共ニ国際通商発展ノ為努力シ来レルモノナルカ、同博士ノ如キ人物ニ本邦視察上ノ便宜ヲ供与スルコト望マシキ儀ナリト存セラルルニ付、御差支無之キ限リ便宜供与方御高配相煩度、此段御依頼旁々得貴意候 敬具
 追テ同博士夫妻歓迎ノ世話ニ当リ居ル日米関係委員会幹事ヨリ本件ニ関シ何等願出ノ節ハ、同幹事ノ希望ニ副ハルル様御配慮相煩度候
  昭和六年六月二日
                  外務省情報部長
                      白鳥敏夫
   東京商工会議所会頭
    男爵 郷誠之助殿

    「ハーバート・ヱス・ヒユーストン」博士ニ就テ
一八六六年米国「イリノイ」州ニ生ル、「シカゴ」及「ボストン」大
 - 第35巻 p.197 -ページ画像 
学ニ学ヒ、一九一七年「サウスダコタ」大学ヨリ博士号ヲ贈ラル、大学卒業後操觚界ニ入リ「シカゴトリビューン」其他ノ新聞雑誌ニ関係シ記者トシテ身ヲ起セルカ、其ノ後雑誌The World's Work及Our Worldノ発行者トナル、現在ハ右雑誌発行者ノ地位ヨリ退キ居ルモ米国言論界一方ノ重鎮トシテ一般ニ認メラル
一九二四年「コスモス」新聞組合ヲ、又一九二八年「コスモス」放送会社ヲ創立シ、現ニ其ノ社長タリ
氏ハ夙ニ国際問題ニ深キ興味ヲ有シ、大戦中ハ米国政府ノ情報部員タリ、又熱心ナル国際平和主義ノ唱道者ニシテ、其ノ方面ニ於テ「ウイルソン」「タフト」前大統領及現「フーアブー」大統領トモ接近シ、平和運動ニ関シ大統領等ニ種々献策スル所アリ、其ノ業績ヲ一般ニ認メラル
国際問題ニ関スル氏ノ活動ノ重ナルモノヲ挙クレハ次ノ如シ
 前検事総長「ウイツカーシヤム」ト共ニStudent's International Unionヲ創立ス。
 米国ニ於テ最モ権威アル外交雑誌Foreign Affairsヲ機関誌トスル外交問題研究団体Council on Foreign Relations(此種団体トシテ最有力ノモノ)ノ創立者ノ一人トシテ、国際智識ノ普及ニ努力ス。
 故「タフト」大審院長ヲ会長トセルLeague to Enforce Peaceノ実行委員トシテ、米国ヲ国際聯盟ニ加入セシムル為全国的運動ヲ起セリ。
 一九二〇年米国商業会議所ヨリ選ハレ、他ノ四名ノ一流実業家ト共ニ米国側委員トシテ巴里ニ派遺セラレ、今日ノ万国商業会議所ノ創立ニ尽力シ、其ノ後続イテ米国側委員トシテ国際商業発展ノ為努力ス。
氏ハ最モ誠意アル親日家ニシテ、紐育「ジャパン・ソサヱティ」ノ幹部トシテ多年日米親善ノ為努力シ居リ、有ラユル機会ヲ捉ヘテ両国ノ理解増進ノ為尽瘁シ居レリ、一九二四年排日移民法カ議会ニ提出セラレシ際ノ如キハ、同法ヲ以テ米国ノ不名誉トシ其ノ阻止ノ為目覚シキ活動ヲ為セリ
氏ハ日本名士ノ間ニ知己ヲ多ク有ス


ヒューストン博士歓迎書類(DK350042k-0002)
第35巻 p.197-198 ページ画像

ヒューストン博士歓迎書類         (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ハ予て米国言論界並に実業界に於て重きを為し、特に紐育日本協会理事として日米親善増進の為多年尽瘁せられたるハーバート・ヱス・ヒユーストン博士には令夫人同伴来邦被成候に付、歓迎の意を表する為来十二日(金)午後七時三十分東京会館に於て招宴相催候間、御多用中乍恐縮御光臨の栄を得度、此段御案内申上候 敬具
  昭和六年六月五日
             日米関係委員会
              常務委員 子爵渋沢栄一
              同      藤山雷太
 - 第35巻 p.198 -ページ画像 
    子爵 渋沢栄一殿
    同   令夫人
  追て御服装は燕尾服又は羽織袴に願上候
  乍御手数御都合別紙葉書にて御示被下度候


渋沢栄一電報控 ハーバート・エス・ヒューストン宛 (昭和六年)六月八日(DK350042k-0003)
第35巻 p.198 ページ画像

渋沢栄一電報控  ハーバート・エス・ヒューストン宛 (昭和六年)六月八日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 秩父丸
  ハーバート・エス・ヒユーストン
                 六月八日 渋沢
貴台並令夫人の御来訪を衷心より歓迎す。御上陸早々拝光の機を得度鶴首す。日米関係委員会員一同と共に心からの御挨拶を申上ぐ。


(ハーバート・エス・ヒユーストン)電報 渋沢栄一宛一九三一年六月九日(DK350042k-0004)
第35巻 p.198 ページ画像

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ヒューストン博士歓迎書類(DK350042k-0005)
第35巻 p.198-199 ページ画像

ヒューストン博士歓迎書類         (渋沢子爵家所蔵)
 昭和六年六月十二日(金)午後七時三十分於東京会館
 ヒューストン氏及令夫人歓迎晩餐会出席者名薄
              主催者 日米関係委員会
                 来賓
            (太丸ハ朱書)
              ○   ヒユーストン氏
              ○   同令夫人
                 陪賓
              ○男爵 幣原喜重郎氏
              ○   白鳥敏夫氏
              ○   同令夫人
              ○   鶴見憲氏
              ○ウヰリアム・テイ・ターナー氏
              ○アール・ビー・トイスラー氏
              ○   同令夫人
              ○ジエー・アール・ゲアリー氏
              ○   同令夫人
              ○子爵 石井菊次郎氏
              ○   同令夫人
              ○   新井尭爾氏
              ○   高久甚之助氏
 - 第35巻 p.199 -ページ画像 
              ○   大谷登氏
              ○   柏木秀茂氏
              ○公爵 徳川家達氏
              ○   永田秀次郎氏
              ○   尾崎行雄氏
              ○   同令嬢
              ○伯爵 後藤一蔵氏
              ○   田昌氏
              ○   井川忠雄氏
              ○   同令夫人
              ○   土方久徴氏
                 主人側
              ○   一宮令夫人
              ○   新渡戸稲造氏
              ○   同令夫人
              ○男爵 団琢磨氏
              ○   頭本元貞氏
              ○   内田嘉吉氏
              ○   串田万蔵氏
              ○   山田三良氏
              ○   藤山雷太氏
              ○   同令嬢
              ○   服部文四郎氏
              ○   小畑久五郎氏
              ○   高木八尺氏
              ○   佐治祐吉氏


ヒューストン博士歓迎書類(DK350042k-0006)
第35巻 p.199-201 ページ画像

ヒューストン博士歓迎書類         (渋沢子爵家所蔵)
    ヒユーストン博士並令夫人歓迎辞
          日米関係委員会常務委員 藤山雷太
ヒユーストン博士並令夫人
閣下、紳士淑女、及
日米関係委員会委員諸君――
 紐育在住の日本人間で父母の如く仰がれてゐるハーバート・エス・ヒユーストン博士並令夫人を、今夕、我日米関係委員会が御招待申す事の出来ましたのは此上もない喜びであります。
 本夕は渋沢子爵が親しくヒユーストン博士並令夫人を御歓迎申上ぐる筈でありましたが、御高齢の為夜分の外出を医者にとめられましたので、御欠席になりました事は、私共一同遺憾に堪へぬ次第であります。渋沢子爵は我日本の国宝でありまして、太平洋の彼方からもグランド・オールド・メン・オブ・ジヤパンとして仰ぎ慕はれてゐられるのであります。従つて私が渋沢子爵に代つてヒューストン博士御夫妻歓迎の辞を申述べるといふ事は、僭越の至りであると恐縮に存ずるの
 - 第35巻 p.200 -ページ画像 
であります。
 扨、ヒユーストン博士は最も新しい世界の先駆者として、「世界の大勢」及「我等の世界」と称する言論機関を有し、ラヂオ通信社の社長であり、教育映画の研究者であり、青年の指導者であるのでありまして、米国言論界並に実業界に勢力ある紳士でいられます。特に平和促進同盟の執行委員としては、元の大統領タフト氏を助けて当時八面六臂の働をせられ、尚ほ引続き活動せられつゝあるのは世間周知の事実であります。
 これ丈でも大体窺はれますやうに、ヒユーストン博士は国際人であつて、人類の幸福の為に貴重なる時と金とをデヴオートする所の偉大なる人類の恩人であります。
 ヒユーストン博士は殊に日米親善の為には古くから全幅の努力を致されて来たのであります。紐育の日本協会の理事として御尽力下された事は申すに及ばず、米国へ渡つた程の日本の名士は孰れも懇な御交誼に浴してをります。徳川公爵を初め歴代の日本大使、此処に見えられてゐる石井子爵、又故珍田伯爵、現外務大臣幣原男爵御夫妻など、皆孰れもヒユーストン博士夫妻の親しい友人であります。
 日本は小さい国であり、米国は大きい国であります。日本は古い国であり、米国は新しい国であります。日本は帝国であり、亜米利加は共和国であります。米国は富裕な国、日本は貧乏な国であります。
 日本は決してマルコ・ポーロの考えへたやうな黄金の国でもなければ秦の始皇の求めましたやうな不老不死の霊薬を生ずる楽園でもありませぬ。けれども日本に桜の花があるやうに、日本には又武士道があります。――義を見てせざるは勇なき也、弱きを扶け強きを挫くといふ正義人道の魂があります。此精神的方面に於て大和魂と亜米利加魂とが全然一致するのであります。日米両国が以上述べました様に物質的及外形的に非常な相違あるにも拘らず、過去七十有余年間世界に比類の無い親善融和の国交を継続し来つたのは、此精神的一致に基くものであると私は断言して憚らないのであります。而して此二大国民が太平洋を中に挟んで、世界の平和と人類の幸福とを増進する為に努力しつゝある事は、両国の識者の等しく認める所でありまして、我日米関係委員会が米国の米日関係委員会と相提携して永年の間所謂国民外交を実行しつゝあるのは、取も直さず其一つの現れであります。
 ヒユーストン博士が国際平和に努力せらるゝのは、実に正義人道の観念に立脚してゐるのでありまして、博士は常に「米国の外交方針は宜しく、全国家本位を以てすべく、政党党派の如何によるべきにあらず」("American foreign policy should be national and not partisan")と明言し、且つ之を実行して居られるのであります。博士には、ウヰルソン大統領が民主党の総裁であるから反対するとか、或はタフト大統領・フーヴア大統領が共和党の総裁であるから賛成するといふ様な偏頗心は無いのであります。これ博士が民主党政府の下にも共和党政府の下にも一様に、米国の国際聯盟参加の運動を熱心に唱道せられ、また千九百廿四年の排日移民法案の通過阻止に非常なる努力を致され、通過後も其廃止の為に寝食を忘れて奔走せられつゝある所
 - 第35巻 p.201 -ページ画像 
以であります。
 今回斯の如き正義の士、平和の使が我国を訪れられたのは願うても無き我国の幸福であります。我々は博士の聡明克く眼光紙背に徹して我美点並に欠点を洞見せらるゝを疑ひませぬ。百聞一見に如かずといふ諺がありますが、親善は先づ知る事を先にせねばなりませぬ。故に博士の視察たるや、将来の日米親善に貢献する所甚大なるべきを信ずるのであります。
 而して我々日本人就中我日米関係委員会委員は、博士の御視察の便宜の為には喜んで出来得る限りの労力を惜みませぬ。どうぞヒユーストン博士は此点をよく御含み下さつて、些も御遠慮なく申出でいたゞき度いのであります。
 斯くして、我国を知られたならば、我長は之を採られ、又我短は胸襟を開いて戒められ、以て此旅行の御目的を達せられますやうに婆心乍ら御願申すのであります。
 爰に皆様と共に盃を挙げてヒユーストン博士並令夫人の御健康を祝し上げ度いと存じます。


ヒューストン放送講演筆記(DK350042k-0007)
第35巻 p.201 ページ画像

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ヒューストン博士歓迎書類(DK350042k-0008)
第35巻 p.201-202 ページ画像

ヒューストン博士歓迎書類         (渋沢子爵家所蔵)
拝啓益御清適奉賀候、然ば今般ハーバート・エス・ヒユーストン氏の来邦を機とし、日米関係委員会の小数委員各位と共に同氏を中心として、日米問題に付自由の御談話致度と存候間、御多忙中御迷惑の儀とは存上候得共、何卒来十九日(金)午前九時三十分飛鳥山拙宅へ御来臨被成下候はゞ難有仕合に奉存候、此段御案内申上度如此御座候 敬具
  昭和六年六月十二日
                      渋沢栄一
 - 第35巻 p.202 -ページ画像 
  尚ほ当日は左記諸氏に御出席相願置候(イロハ順)
   新渡戸稲造氏 男爵団琢磨氏 頭本元貞氏 内田嘉吉氏 串田万蔵氏 藤山雷太氏 男爵森村市左衛門氏
  乍御手数御都合別紙葉書にて御示被下度候
  ○当時阪谷芳郎病気ノタメ長期ニ亘リ欠席ス。


日米関係委員会集会ニ関スル控(DK350042k-0009)
第35巻 p.202 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控     (日米関係委員会所蔵)
 昭和六年六月十九日(金)午前九時三十分、於飛鳥山邸
 日米問題に関する懇談会
         (太丸ハ朱書)
         ○ハーバート・エス・ヒユーストン氏
                ○新渡戸稲造氏
              欠男爵団琢磨氏
                ○頭本元貞氏
                ○内田嘉吉氏
                欠串田万蔵氏
                欠藤山雷太氏
              欠男爵森村市左衛門氏
              ○子爵渋沢栄一氏
                ○小畑久五郎氏
                ○佐治祐吉氏


総長ト外国人トノ談話筆記集 【日米問題に関する懇談会】(DK350042k-0010)
第35巻 p.202-208 ページ画像

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ヒューストン博士歓迎書類(DK350042k-0011)
第35巻 p.208 ページ画像

ヒューストン博士歓迎書類         (渋沢子爵家所蔵)
 昭和六年六月十九日(金曜日)午後四時、於木挽町歌舞伎座
 ヒューストン氏夫妻招待観劇会
            (太丸・太字ハ朱書)

        ○ハーバート・エス・ヒユーストン氏(ヌ23)
               ○同令夫人(ヌ21)
                井上秀子氏
井上氏俄ニ差支欠席ノ為同氏令嬢ニテ菅円吉氏夫人同支那子氏参会サレタリ○代菅支那子氏(ヌ19)
               ○堀越善重郎氏令夫人(ヌ18)
               ○柏木秀茂氏(ヌ24)
               ○頭本元貞氏(ヌ25)
               ○鶴見憲氏(ヌ26)
               欠主人
               欠主夫人
               ○渋沢敬三(ヌ22)
               ○同登喜子(ヌ20)
               ○小畑久五郎(ヌ27)
        以上〆十二人内出席十人欠席二人
一、用意 松竹直営食堂ニ洋食申付済同所小田辺徳弥氏ト引合済
一、氏名下の番号記号ハ歌舞伎座一階一等席ノ場所