デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
5款 日米有志協議会
■綱文

第35巻 p.316-326(DK350056k) ページ画像

大正9年3月28日(1920年)

是年四月、フランク・エー・ヴァンダーリップ等一行、日米有志協議会開催ノ目的ヲ以テ渡来スルニヨリ、是日栄一、内閣総理大臣原敬ヲ官邸ニ訪レ、同大臣並ニ他ノ有志者ト共ニ一行ノ歓迎其他ノ協議ヲナス。四月七日、米賓歓迎会組織ニ関スル協議会、丸ノ内東京商業会議所ニ開カレ、栄一出席ス。米賓歓迎会成立シ、栄一会長ニ推サレ、歓迎会員中協議会ニ出席スベキ協議委員十七名ヲ依頼ス。同十五日、右協議委員ヲ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ集メ協議会ニ関スル打合会ヲ開ク。同二十二日、東京商業会議所ニ接待員打合会ヲ催ス。翌二十三日、内閣総理大臣官邸ニ一行歓迎ニ関スル打合会ヲ開ク。翌二十四日、都下ノ新聞記者ヲ帝国ホテルニ招待シテ、米賓ノ歓迎ニ対シテ其協力ヲ求ム。


■資料

日米有志協議会記録 同協議会編 第二〇〇―二〇五頁 大正一〇年三月刊(DK350056k-0001)
第35巻 p.316-318 ページ画像

日米有志協議会記録 同協議会編 第二〇〇―二〇五頁 大正一〇年三月刊
  附録
    一九二〇年四月日米有志協議会開催の由来
日米両国の関係は既に本記録の冒頭に於ても述べたる如く最近両国間に種々なる問題発生し、玆に誤解を惹起し、嘗て極めて親密なりし両国の関係も時に或は大に疎隔せられ、両国間の伝統的関係に一転化を見んとするの虞之れなきにあらず、此誤解を釈然氷解せしめ日米両国の関係を改善するには、彼我の有力者相共に一堂に会合し、両国間に蟠れる種々なる問題を討究し、互に真情を吐露して其事情を明にし、互に自他を諒解するに若くものなし、日米有志協議会は即ち日米の有力者相共に一堂に会合し、日米間に介在する種々なる問題を議題とし互に腹蔵なき意見を交換して誤解を一掃し、日米関係の改善を期せんとするを目的として開催せられたるものなり、之が為に我国よりは徳川公爵以下十四名の署名を以て、米国財界の巨人ヴアンダーリツプ氏に宛て左の如き一書を致せり。
    The Welcome Association of Japan requests the
     honor of Mr. and Mrs. Frank A. Vanderlip.
  Presence on visit to Japan for sight-seeing and meeting of old and new friends, for a mutual exchange of views and for the promotion of friendly and intimate relations between our two nations.
  Reservations have been made for you on S. S. "Kashima-
 - 第35巻 p.317 -ページ画像 
Maru" leaving Seattle on April 10th, 1920.
          ―Committee―
  Prince K. Tokugawa
  Viscount K. Kaneko
  Baron E. Shibusawa
  Baron Y. Sakatani
  Baron T. Megata
  Baron R. Kondo, President, Nippon Yusen Kaisha
  Baron K. Okura, President, Okura & Company
  Mr. J. Inouye, Governor, The Bank of Japan
  Mr. R. Fujiyama, President, Tokyo Chamber of Commerce
  Mr. N. Kajiwara, President, The Yokohama Specie Bank, Ltd.
  Mr. S. Asano, President, Toyo Kisen Kaisha
  Dr. T. Dan, Chairman, Board of Directors, Mitsui & Company
 Mr. M. Kushida, Managing Director, Mitsubishi Bank.
 Mr. K. Inouye, Managing Director, Furukawa Mining Company
 Mr. K. Yukawa, Managing Director, Sumitomo Bank, Ltd.
ヴアンダーリツプ氏は右の書翰を受取るや、同氏亦同様なる思想を懐けるものと見え、戦後財界極めて多事、加ふるに米国大統領予選の時期大に迫りつゝありしにも拘らず、直ちに之を快諾し、東奔西走、米国の有力者を説き、其大なる苦心の下に、左の如き有力者を集めて一行を組織し、大正九年四月二十日、鹿島丸を以て我国に渡来せられたり。
一行の氏名左の如し。
    The List of the Names of Mr. Vanderlip's Party.
1. Mr. Frank A. Vanderlip (Mrs. Frank A. Vanderlip) (Miss Vanderlip)
             Chairman of the Board of American International Corporation and President of Japan Society, Scarborugh, N. Y.
2. Mr. Lyman J. Gage   Ex-Secretary of Treasury. Point Loma, San Diego, Calif.
3. Mr. Darwin Kingsley (Mrs. Darwin Kingsley)
             President of New York Life Insurance Co., and New York Chamber of Commerce
4. Mr. Henry W. Taft (Mrs. Henry W. Taft)
             Noted Lawyer and Brother of Ex-President Taft. 36 West 48th St., New York
5. Dr. Jacob C. Shurman (Mrs. Jacob C. Shurman)
             President of Cornell University Ithaca, N. Y.
6. Mr. George Eastman   President of Eastman Kodak Company, Rochester, N. Y.
 - 第35巻 p.318 -ページ画像 
7. Mr. Seymour L. Cromwell (Mrs. Seymour L. Cromwell)
             Vice-President of New York Stock Exchange, New York City
8. Mr. Lewis L. Clark (Mrs. Lewis L. Clark) (Miss. Clark)
             President of American Exchange National Bank, 128 Broadway, New York City
9. Mr. Julian Street (Mrs. Julian Street) (Miss. Street)
             Editor of Saturday Evening Post 151 West 86th St., New York
10. Mr. J. Lyonberger Davis (Mrs. J. Lyonberger Davis)
             Noted Lawyer of St. Louis Burtmore Park, St. Louis
ll. Mr. Harry E. Benedict
             Mr. Vanderlip's Business Associate. Sleepy Hallow Country Club, Scarborough, New York
12. Dr. Edward Mulligan
             Mr. Eastman's Physician. Rochester, New York
13. Mr. Harry Serenbetz
            Mr. Clark's Secretary. American Exchange National Bank, 128 Broadway, New York City
即ち一行中には米国財界の巨星を網羅し、他に前大蔵大臣あり、著名なる法律家あり、学界よりは前コロネル大学総長之に加はり、実に有力なる代表的一行なり、特に一行中に著述家ストリート氏の加はりしは、同一行の視察研究の結果を一巻の書となし、之を公刊して広く世に我国の真情を紹介せんと欲したるに依る、用意大に周到なりと謂ふべし。
玆に於て我国に於ては米賓歓迎会を組織して此等の米賓を歓迎し、併せて日米問題に就て協議会を開催せり、是れ日米有志協議会の由来なり、而して本協議を一九二〇年四月日米有志協議会(Unofficial Conference on Japanese American Affairs April 1920)と称せしは、本協議会は全然何等公式的のものにあらずして純然たる民間有志の集会たりしが故なり。


竜門雑誌 第三八三号・第四六―四七頁 大正九年四月 ○首相邸の来賓歓迎協議会(DK350056k-0002)
第35巻 p.318 ページ画像

竜門雑誌 第三八三号・第四六―四七頁 大正九年四月
○首相邸の来賓歓迎協議会 米国紐育アメリカン・インターナシヨナル・バンキング・コーポレーシヨン取締役会長ヴアンダーリツプ氏等一行二十九名は、日米国交の親善に関し本邦有力者と協議をなす目的を以て四月二十五日入京、五月十四日まで滞在の予定なるが、右一行の迎接等に付打合をなす為め、原首相は三月二十八日午後六時より、青淵先生・目賀田種太郎男・阪谷芳郎男・添田寿一・浅野総一郎・梶原仲治・金子堅太郎子・早川千吉郎・串田万蔵・内田嘉吉・井上準之助・大倉喜八郎男・団琢磨・湯川寛吉・内田外相諸氏を永田町官邸に招待し晩餐を饗し、食後隔意なき協議を遂げたる由。


竜門雑誌 第三八三号・第四七頁 大正九年四月 ○米賓歓迎会組織(DK350056k-0003)
第35巻 p.318-319 ページ画像

竜門雑誌 第三八三号・第四七頁 大正九年四月
 - 第35巻 p.319 -ページ画像 
○米賓歓迎会組織 別項記載の如くヴアンダーリツプ氏一行は四月下旬来朝の予定なるを以て、徳川家達公・青淵先生、阪谷・大倉・近藤各男、添田・杉原・山科諸氏は同月七日午前十一時より東京商業会議所に会合し種々協議の結果、一行来朝の目的は日米親善に在るを以て特に歓迎会を組織し、青淵先生を会長に推薦し、懇切に歓迎の誠意を表することに決し散会せりといふ。


集会日時通知表 大正九年(DK350056k-0004)
第35巻 p.319 ページ画像

集会日時通知表 大正九年      (渋沢子爵家所蔵)
三月廿八日 日 午後五時 総理大臣官邸ニ御出向
   ○中略。
四月七日  水 午前十一時半 米国貴賓歓迎ニ関スル打合会(商業会議所)
   ○中略。
四月十五日 木 午前十時半 米国大使ヲ御訪問(同大使館)
        午前十一時 米賓歓迎会委員会(銀行クラブ)
   ○中略。
四月廿二日 木 午後三時 来賓歓迎ニ関スル打合会(商業会議所)
四月廿三日 金 零時半 ヴアンダリツプ氏一行歓迎ニ関スル打合会(首相官舎)
四月廿四日 上 正午 バ氏ニ付キ新聞記者招待(帝国ホテル)


日米有志協議会記録 同協議会編 第二〇五―二二二頁 大正一〇年三月刊(DK350056k-0005)
第35巻 p.319-325 ページ画像

日米有志協議会記録 同協議会編 第二〇五―二二二頁 大正一〇年三月刊
 ○附録
    米賓歓迎会
ヴアンダーリツプ氏の一行愈々四月十日日本郵船会社汽船鹿島丸を以て堀越善重郎氏の東道の下にシヤートルを出帆、我国に向はるゝこと確定するや、我国に於ても之が接待歓迎並に協議会開催に関し準備する必要あり、米賓歓迎会を組織して之が任に当る事とし、男爵渋沢栄一氏の名義を以て四月二日左の如き書面を我国有力者に発送せり
 謹啓益々御清適奉大賀候、陳ば今般米国よりヴアンダーリツプ氏の一行来四月十日シヤートルを出帆し、同月二十四日東京着の予定にて来遊致さるゝ事と相成り、同一行は別表の如く悉く米国に於ける有力なる人々に有之候のみならず、今回右一行の来朝は日米両国々交上極めて重要なる意義を有する次第に就き及ぶべきだけの歓迎を致し度、右に就き篤と御高見を拝聴し且つ御協議申上度、御多忙中恐入候へ共、来る四月七日午前十一時半東京商業会議所へ御来駕下され度、此段得貴意度如斯に御座候 敬具
  大正九年四月二日
                   男爵 渋沢栄一
  迫而当日は粗餐用意致置候に付、御手数ながら御来否折返し封入の葉書を以て御返事下され度候
即ち、四月七日午前十一時半、東京商業会議所に於て、米賓歓迎会組
 - 第35巻 p.320 -ページ画像 
織に関する協議会を開催し、当日出席者満場一致の賛成を得て之を確定し、渋沢男爵を会長に推し、米賓歓迎会の組織・会計・協議員に関する件等、一切を渋沢男爵に一任することゝせり、米賓歓迎会員左の如し。
     米賓歓迎会員氏名(イロハ順)
      井上公二君         井上準之助君
   男爵 岩崎小弥太君        今西兼二君
      池田謙三君         服部金太郎君
      原六郎君          原富太郎君
      早川千吉郎君        橋本圭三郎君
      堀越善重郎君     公爵 徳川慶久君
      小野英二郎君        大橋新太郎君
      大谷嘉兵衛君        大村彦太郎君
   男爵 大倉喜八郎君        和田豊治君
      梶原仲治君         川崎八右衛門君
   子爵 金子堅太郎君        神田鐳蔵君
      高田釜吉君    工学博士 団琢磨君
   男爵 園田孝吉君    法学博士 添田寿一君
      頭本元貞君         内藤久寛君
      中村房次郎君     男爵 中島久万吉君
      村井吉兵衛君        内田嘉吉君
   男爵 瓜生外吉君         野村竜太郎君
      串田万蔵君         山下亀三郎君
      山科礼蔵君         安田善三郎君
      松方巌君          増田増蔵君
      藤山雷太君      男爵 古河虎之助君
      福井菊三郎君        福原有信君
   男爵 郷誠之助君      男爵 近藤廉平君
      小池国三君         江口定条君
 文学博士 姉崎正治君         荒井賢太郎君
      浅野総一郎君        佐々木勇之助君
   男爵 阪谷芳郎君         桜井鉄太郎君
      湯川寛吉君      男爵 目賀田種太郎君
      美濃部俊吉君     男爵 三井八郎右衛門君
      志村源太郎君        島田三郎君
   男爵 渋沢栄一君         土方久徴君
      茂木惣兵衛君     男爵 森村開作君
      菅原通敬君         杉原栄三郎君
次に協議会に関しては米賓の一行は十三名にして、我国より米賓歓迎会々員全部協議会に出席するときは其の数余りに多きに過ぐるの虞あり、之を以て米賓歓迎会員中より協議会に出席するものを協議委員と称し、其選任を米賓歓迎会創立の当時会長渋沢男爵に一任せられたるを以て左の十七名を協議委員に依頼することとし、此等協議委員は四月十五日午前十一時東京銀行倶楽部に集合し協議会開催に関する打合
 - 第35巻 p.321 -ページ画像 
会を催ふ《(ほ)》し、協議会の議題・協議の方法其他に就て協議せり。
協議委員の氏名左の如し。
     協議委員十七名(イロハ順)
      井上準之助君      早川千吉郎君
      堀越善重郎君      大谷嘉兵衛君
      梶原仲治君    子爵 金子堅太郎君
 工学博士 団琢磨君   法学博士 添田寿一君
      頭本元貞君    男爵 中島久万吉君
      串田万蔵君       山科礼蔵君
      藤山雷太君    男爵 近藤廉平君
   男爵 阪谷芳郎君    男爵 目賀田種太郎君
   男爵 渋沢栄一君
    接待
ヴァンダーリップ氏一行の渡来の主要なる目的は協議会にありと雖も同一行我国に滞在中は協議会以外にも、能ふ限り我国の種々なる事情を視察研究するの便宜を計り、又一行中には婦人小児もあることなれば、我国の滞在をして能ふ限り愉快なるものとならしむるの要あり、之が為めに接待員を嘱託し種々なる接待の方法を講ずることゝし、四月二十二日午後三時東京商業会議所に於て接待員打合会を開催し、左の原案に就て協議せり
      原案(実際上多少の修正を見たり)
    米賓歓迎役割並に順序書
一、米賓は各家に止宿するを以て、各家に左の如き米賓歓迎会接待委員を定め相互の聯絡を計ること
 渋沢家
  堀越善重郎君  同夫人
  田中夫人    武田彰子嬢
 近藤家
  黒川新次郎君  近藤滋弥夫人
 大倉家
  一宮鈴太郎君  同夫人
  門野夫人
 三井家
  阪井徳太郎君
 古河家
  神谷忠雄君   今西夫人
 浅野家
  宮岡恒次郎君  同夫人
 帝国ホテル
  小野英二郎君  頭本元貞君
  笠井重治君   小室夫人
  松方夫人    福井夫人
  福島夫人
一、出迎
 - 第35巻 p.322 -ページ画像 
鹿島丸入港の時日明瞭となるときは、直ちに出迎の順序手配をなすこと
 二十四日夜入港の際は船中一泊のこと(無線電信を以て渋沢事務所紹介)
 横浜在住米賓歓迎会員は岸壁に出迎へ、東京よりは近藤男爵・阪谷男爵・山科・一ノ宮其他接待員一同出迎ふること(渋沢事務所より通知)
 二十五日午前上陸横浜正金銀行社宅に休憩(一ノ宮接待員受持)
 午後一時横浜特別仕立電車(渋沢事務所係)にて東京駅着、各家並に帝国ホテルは東京駅に自動車を出し之を迎へ旅館に案内すること(上陸は二十四日、別記の通り)
 東京駅着の際婦人接待員は花を用意すること
 荷物は郵船会社黒川氏の掛にて各家に横浜より直接配達すること米賓歓迎会々員一同は東京駅に出迎ふること(商業会議所より通知)
一、四月二十五日夕歓迎晩餐会の順序
 会員は六時三十分参集、接待員並に掛員は六時参集(会議所より通知)
 七時十五分 開宴
 八時半
  米国国歌  大統領万歳三唱 首相又は徳川公発声
  日本国歌  天皇陛下万歳三唱 大使又はヴァンダーリップ氏発声
 九時     閉宴
        (接待員より歓迎辞、余興英訳印刷物を配布す)
 九時     余興場に移る
 九時十五分  渋沢男爵歓迎辞(能舞台に於て)
        ヴァンダーリップ氏答辞(同上)
 九時三十分  余興開始
 十一時    余興閉鎖 食堂に移る
 十一時半   解散
 晩餐会
  車馬係   主任後久泰次郎君・永井亮介君・小使(合札を用意すること、主賓大臣の自動車は別に置くこと)
  下足係   主任佐野温玉君・小使
  玄関受付係 主任依田信太郎君・原譲君・伊藤正一君・榊武雄君
  預り係   主任佐藤潤男君・幸田文輔君・小使
        (主賓の帽子外套は別に置くこと)
        (晩餐の際は二ケ所となる)
        (風雨の際は余興場に於て婦人に外套を着せしむる用意をなすこと)
        (合札を用意すること)
 主人側会員接待係
 - 第35巻 p.323 -ページ画像 
  総務    男爵渋沢栄一君(二階室内にあること)
        (補助、小畑久五郎君・市橋倭君)
  主賓米国大使係 子爵金子堅太郎君
        (補助、吉田要作君・若杉要君)
  陪賓大臣係 男爵阪谷芳郎君
  華族係   公爵徳川慶久君
  一般接待係 井上準之助君・早川千吉郎君・梶原仲治君・頭本元貞君・男爵中島久万君《(吉脱)》・山科礼蔵君・添田寿一君・神谷忠雄君・一ノ宮鈴太郎君・阪井徳太郎君 団琢磨君・堀越善重郎君・男爵近藤廉平君・男爵目賀田種太郎君・小野英二郎君・宮岡恒次郎君・黒川新次郎君・笠井重治君・本川一郎君
  婦人接待係 武田彰子嬢・今西夫人・堀越夫人・宮岡夫人・門野夫人・田中夫人・一ノ宮夫人・福井夫人・松方夫人・小室夫人・福島夫人
  音楽係   増田明六君・市川新一君
  食堂指揮  吉田要作君・笠原彦三郎君
  装飾係   藤崎弥三郎君
        (停電の場合の設備を要す〔一般的に)
  弁当係   箕輪剛君(係員・楽隊・警察官・余興員・其他手伝に弁当を供すること、其用意をなし、当日は六時に弁当を出すこと)
        (能役者及従属者五十名に対し別に菓子・寿司を註文し供すること)
        (茶・火鉢必要)
 午後九時接見会
  玄関受付  晩餐会のときと同様
        (預りもの外套其他)
  会員接待係 玄関整列(渋沢男・金子子・井上氏・添田博士を除く協議員)
        宮岡恒次郎君・神谷忠雄君・笠井重治君・安藤彪雄君・増田明六君・幸田文輔君
  余興場   主任本川一郎君・大山菊治君
  演芸掛   主任小倉敬止君・山崎悌二郎君
  茶菓掛   吉田要作君・笠原彦三郎君
  電灯・灯火 主任藤崎弥三郎君
        (停電の設備)
  装飾取締  藤崎弥三郎君
  ボーイ取締 笠原彦三郎君
  電話掛   阿部洋平君・給仕
  衛生係   辻博吉君
  警官掛   居相政弘君
  音楽掛   増田明六君
  新聞記者  添田寿一君・頭本元貞君
 - 第35巻 p.324 -ページ画像 
  会計主任  増田明六君
一、協議会
 午前九時二十分より正午迄(午餐会の都合により短縮することあるべし)
 銀行集会所会議室に於て
  名誉書記長 服部文四郎君
  書記    原譲君(会議掛・午餐)
  同     阿部洋平君(会議掛―協議室)
  翻訳掛   小畑久五郎君・笠井重治君・市橋倭君
  記録掛   本川一郎君
        (記録後直ちに原文を原書記に渡し謄写すること)
  受付自動車 幸田文輔君
        (茶・煙草の用意)
  速記    米人・日本人
        (タイプライターの用意)
  旅行掛   小畑久五郎君・笠井重治君
        他にツーリスト・ビューロー役員
一、五月十三日米賓一行関西より帰京したる節は、一同を帝国ホテルに止宿せしむること
  従て各家止宿は五月四日迄とし、米賓荷物は帝国ホテルに集合すること(接待係の受持)(但し実際上米賓は其出発当時迄各家に止宿せり)
一、米賓一行出帆の際は東京駅に米賓歓迎会員一同見送り、接待員は凡て横浜迄見送ること
  此際も借切電車とす(此の交渉渋沢事務所)
一、クラーク氏一行は支那を漫遊せらるゝに付き、其待遇は五月十四日を以て打切ること
接待員を嘱託したる氏名左の如し
   接待役氏名
      山田敬徳君      吉田要作君
      若杉要君       堀越善重郎君(会員)
      小野英二郎君(会員) 頭本元貞君(会員)
      一ノ宮鈴太郎君    市橋倭君
      小畑久五郎君     神谷忠雄君
      笠井重治君      門野重九郎君
      田中喜一君      黒川新次郎君
      増田明六君      松方正熊君
      福島喜三次君     小室三吉君
      近藤滋弥君      阪井徳太郎君
      宮岡恒次郎君     本川一郎君
   婦人接待役氏名
      今西夫人       一ノ宮夫人
      堀越夫人       門野夫人
      田中夫人       武田彰子嬢
 - 第35巻 p.325 -ページ画像 
      松方夫人       福島夫人
      福井夫人       小室夫人
      近藤夫人       宮岡夫人
   名誉書記長         服部文四郎君


東京日日新聞 第一五六四〇号 大正九年四月二五日 ヴ氏を迎ふ 真の共同を望む 渋沢男爵談(DK350056k-0006)
第35巻 p.325-326 ページ画像

東京日日新聞 第一五六四〇号 大正九年四月二五日
    ヴ氏を迎ふ
      真の共同を望む
                      渋沢男爵談
今度来朝されたるヴアンダーリップ氏一行の如き一流の米国実業家を網羅した訪問団を迎へた事は未だ曾て無かつた事で、日米国交の上に誠に喜ばしい事である、私は同一行歓迎会の会長として斯くの如き重要の意義を有する一流実業家の来朝をして、一層有意義のものたらしめ、日米の関係を一層円満ならしめん事を熱望する者である、私が初めてヴアンダーリップ氏に会つたのは明治卅五年で、氏は其時はナシヨナル・シチー・バンクの副総裁となつたばかりの時であつた、私は其時氏に米国将来の経済を論じた氏の著書の翻訳を読んで感じた事を告げしが、私の氏に対する印象は注意深い人のやうに思つた、併し其時は同銀行の総裁スチルマン氏とも会見したが、ヴアンダーリップ氏とは染々と話す機会は有たなかつた、其後明治四十二年に米国を訪問した時私は紐育に四・五日居てナショナル・シチー・バンクを一度訪問し、氏からも一度訪問された位であつたが、銀行家としての氏の信望は私には愈明瞭になつて来た、三度目に氏と会つたのは大正四年で其時氏からゆつくり懇談したいからと云つて午餐に招待された私は、其席上斯ういふ意見を述べた
 米国は今度の欧洲戦乱の結果富は増加した、米国は国も広く仕事も多いけれども、富が増せは其富を外国の発展に用ゐようとするのは当然の事である、氏の創設したインターナショナル・コーポレーションといふものも然ういふ目的で出来たものと思ふが、偖て外国の発展に其富を用ゐるとして、其用ゐる舞台は南米もあらうが主として東洋殊に支那であらうと考へる、而して其場合日米は是非とも共同しなければならぬ、同時に支那の開発に努力せば、支那をも利益せしむるやうにしなければならぬ
と云つて日米協調の必要を力説した所、ヴアンダーリップ氏は
 其趣意は尤もであるが、此処に若しインターナショナル・コーポレーションの中に今支那は米国に対して依頼心を有し、日本に対しては毛嫌ひしてゐるとする其場合、米国が日本と共同してやる事は折角の仕事が纏まらぬ事はあるまいかと言ふ者もあるかも知れない、之に就ては如何う考へらるゝか
と云ふ質問を受けた、私は直ちに
 支那人が米国に同情し日本を嫌ふといふ事が、道理から出る事ならば仕方のない事であるが、若し只愛憎の念にのみ依るならば米国或は日本ばかりが不利益を受くべき所以はない、日米が支那に於て提携する事は、日米の利益ばかりでなく支那に取り非常なる利益であ
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ると思ふ
と云ふ事を述べて、氏に東洋視察に来られ実際を見られん事を希望して別れたが、其後米国が愈本気になつて独逸と戦ふ事となつた時に、氏は其重要なる職を去つて一年一弗の報酬を国家から受け、ダラー・エ・イヤー・マンとなつて軍資の供給に奔走し、国事に尽して多忙なる年を送つたので、氏の東洋視察も今日迄延期されて居たのである、然るに昨年十二月私が氏に手紙を送つて東洋視察を勧誘し、今回の来朝となつたのである、私は氏が来朝して実際を視察した後に真に日米共同説を抱くやうになる事を切望して止まない者である


(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正九年(DK350056k-0007)
第35巻 p.326 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正九年
                 (阪谷子爵家所蔵)
   三、三一 兜町ニテバンダーリップ氏一行来朝ニ付打合、渋沢・阪谷・服部文四郎・神谷忠雄・添田寿一


日米関係委員会往復書類(二)(DK350056k-0008)
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日米関係委員会往復書類(二)   (渋沢子爵家所蔵)
    日米関係委員会ノ設立及目的
  一、設立
○中略
  二、目的
○中略
  大正九年以降本会ノ執行シタル主ナル事項
大正九年十一月米国加州ニ於テ一般人民投票執行セラルヽニ付、本委員会ハ之ニ先ンシテ
 一同年三月米国西部ニ於ケル有力者「アレキサンダー」氏(桑港商業会議所会頭ニシテ同地日米関係委員長)一行ヲ東京ニ招待シ、引続キ
 一同年四月米国東部ニ於ケル有力者「ヴァンダーリップ」氏一行ヲ招待シテ、隔意ナキ意見ノ交換ヲ為シテ一般人民投票ノ排日気分ノ緩和ニ大ニ努メタリ
○下略
   ○右ハ大谷嘉兵衛伝記編纂ニ際シ、ソノ編纂会ヨリノ問合セニ日米関係委員会幹事ノ名義ニテ回答セル文書ナリ。