デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
3款 日印協会
■綱文

第36巻 p.42-44(DK360019k) ページ画像

大正7年11月9日(1918年)

是日、当協会総会、早稲田大隈重信邸ニ催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三六七号・第八八頁 大正七年一二月 【日印協会総会 は十一月…】(DK360019k-0001)
第36巻 p.42 ページ画像

竜門雑誌 第三六七号・第八八頁 大正七年一二月
○日印協会総会 は十一月九日午後一時より早稲田の大隈邸に於て開かれたり。来会者の重なる者は大隈総裁以下文学博士高楠順次郎・男爵神田乃武・副島八十六諸氏の同会幹部を始めとし、来賓としては青淵先生・高橋蔵相・山本農相・内田外相・陳福禄、其他知名の実業家二百余名にして、副幹事の事業報告ありて後大隈総裁・青淵先生其他の演説及祝辞等あり、右終りて茶菓の餐応ありて、午後五時頃散会せる由。


日印協会会報 第二五号 大正八年五月 日印協会総会(DK360019k-0002)
第36巻 p.42-44 ページ画像

日印協会会報 第二五号 大正八年五月
    ○日印協会総会
 去る十一月九日午後二時会頭大隈侯爵邸に於て大正七年度総会を開催せり。当日は流行寒冒猖獗の際とて臨時に多数の不参者を生じたるに係らず、出席者の総数二百数十名に達し本会開設以来の盛会なりき
○中略
次に渋沢男爵の左の演説あり。
      評議員渋沢男爵演説
 会頭、満場諸君、日印協会の総会に斯く多数御集りの前で、一言御喜びを述べますことを此上なき光栄と存じまする。只今会頭より印度南洋に対する関係を御申聞け下さいましたが、私などは従来同方面に関係の少ない為に、貿易上に就ては何等知悉して居る所はございませぬ。唯玆に申上げたいのは、聊か其の昔し我国が印度に対
 - 第36巻 p.43 -ページ画像 
する関係の微々たる場合に、多少の苦心を致しましたことを今日の有様から回想しますと、殆ど今昔の感をなしまするので、夫れに関する感想を一言申述べて、理事より此の御席に於て一言述べよと仰せられたに対して、其責を塞がうと思ふのであります。
 ズツト昔の事は存じませぬが、丁度紡績事業の関係から私共は印度を知りましたので、其の紡績事業に就いて大切なる綿の輸入の有様も実は微々たるものでありました。さらば其の綿の輸入若くは糸の関係等を除いて他に何等かあつたかと申すと、殆ど其他に日印の関係に於て私共の得た所では何もなかつたと申す外ないと思ひます幸に綿に対する輸入が大に日本に宜くなつて参つたから、是に依つて一歩を進めやうとするに際して、又船に対する大なる妨げが起つた。其の運賃の度合が頗る割が高い。此の困難を排除せねば日本に必要な綿を完全に印度から輸入することは出来ぬと云ふのが、当時の有様でありました。而して之れに加へて輸出を努めぬと貿易が片片になつて、所謂片輪廻らずと云ふ有様になるから、種々なる関係の方面に向つて、或は誘導し或は希望を述べましたが、中々その進歩は鈍いものでありました。唯今理事の報告に依りますと、実に僅かの間に偉大なる進歩をなした事が分りまして、真に今昔の感に堪えませぬのであります。併し会頭の御沙汰の通り、此の進歩が果して極く穏健なる進歩であるか、若くは戦争の原因が斯る進歩を来したのかと考へますると、或は後者にありはせぬか、若し果して後者にありとするならば、是が其の戦争の終局後安全に持続が出来るかと云ふことは、矢張り一の憂慮と見ざるを得ぬかと思ふのであります。殊に忌まはしい申分ではございませぬけれども、昨年タタ氏が来られた時に、私は此の印度に対する貿易の有様を承りましたが、どうも雑貨の取引なぞに就いては、印度人は我が品物に対する信用が十分でないと云ふことでありました。実際を知らぬ私ですから或は夫れが誤つて居るかも知れませぬが、若し不幸にして誤またぬとするならば、之は大いに注意しなければならぬ事ではないかと思ふのであります。又其時に斯う云ふ話をしました、之は如何さま有りさうな事で、例へば印度に対する一の取引に於て、或一人が其の注文を受けて百円で引受ける、すると同じ品物を第二者に注文をすると、どうも百円では具合が悪いからもう少し安くと云ふて、九十五円に負かすやうにする。こちらでも少々の引下げなら応じ得られるし、第二の商人は宜しいと云つて夫れに応する。すると今度は第三の商人は九十円に負かす。どうしても是では品物を悪くせざるを得ぬ。さういふ訳で遂に粗製濫造の誹を来す様になる。蓋し注文する印度人も宜くないけれども、受ける日本人は尚ほ悪いと言はなければならぬと思ひます。此の如く所謂双方相俟つて粗製濫造を奨励する訳になると云ふことを申して居りました。果してさういふ取引ばかりがあるのでは御座いますまいけれど、蓋し之は事実あつた例を申されたことと思ふのであります。若し今申上げる今日の盛況が戦争に依るとするならば、即ち其の戦争の間に他の方面に於て豊富の供給力がないから、我々に於て或は十分の力を延し得られたとする
 - 第36巻 p.44 -ページ画像 
ならば、此の戦争終熄の暁に他の方面より豊富なる力を以つて之に当り、我は其の信用を失する恐れが有るとするならば、此の貿易を飽迄も完全に維持し得られるかどうかと云ふことは、大に注意しなければならぬ事ではなからうかと考へるのであります。
 私は斯る機会に支那の言葉を引くは衒気と申さうか物々しい様でございますけれども、所謂其の名をなすは常に失意の日にあり、即ち其人の成功をなすは苦んだ日に多くあるのである。其の反対に事を破るは多く得意の時にある。実に古人は吾々を欺かぬやうに思ひまする。此の世界の戦争が止んで、日印貿易に関する盛衰の岐れは丁度今の得意の時代に有りと深く考へたならば、過なきを得やうかと思ふのであります。欧洲の大戦は軈て終熄するであらう。此の終熄や既に所謂天定まつて人に勝つと云ふことになると思ひます。同じ支那の言葉に強項は必ず亡ぶ、仁者は王たりと云ふことが有ります。之は何でも項羽を詠じたものださうであります。強項は必ず亡びる。仁義を行ふ人は遂に王者になる。之は支那式の言葉でありますから、或は論理に合はぬ所があるかも知れませぬが、貿易上に於ても私は尚ほ然りと思ふ。若し唯強いのみに依頼して行つたならば或は恐る、遂に亡びる。力を尽して取引を堅固にする、即ち仁義を主とするのであつて、之は最も必要であるかと思ひます。どうか今の事を破るは多く得意の時にありと云ふことは、お互に忘れぬやうにしたいと思ふのであります。喜びを述べると共に尚ほ自らも戒しめ、御関係の皆様方にも御注意を希ひたうございます。之れを以つて今日の祝辞と致します。(拍手喝采)


中外商業新報 第一一七一七号 大正七年一一月一〇日 日印協会総会(DK360019k-0003)
第36巻 p.44 ページ画像

中外商業新報 第一一七一七号 大正七年一一月一〇日
    ○日印協会総会
日印協会にては九日午後二時より早稲田大隈侯邸に於て総会を開き、終つて茶話会に移れるが、会頭大隈侯は
 過去に於ける日印関係の障壁は政治上感情上意思の疏通を欠きたる事に依りて築かれたり、左れど亜細亜は天然の資源を無比に有し、将来世界の商戦は亜細亜に於て行はるゝ勢あれば、日印両国は愈々輔車の関係あるを要す、而かも今次大戦は国際聯盟、民族の自決、同情の共鳴と云ふ喜ぶ可き大勢を導きたるを以て、印度の自治の如きは目下英国に於て計画し居り、恐らく実現さるゝに至る可く、其暁に於て日印の関係は大に面目を新にするものあるならんと思ふ、而して現戦時著しく増進されたる日印貿易の将来は、戦後と雖好望なる可きに似たり云々
と述べ次で渋沢男・高橋蔵相・陳福碌・岡教邃諸氏の演説あり、四時過散会せるが、山本農相・内田外相を始め二百余名出席、盛会なりき